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出産後から1カ月健診まで家にひきこもりがちだった私は、外に出たくてストレスがたまっていました。産後の体では大した食事を作ることもできず、どうしても外食がしたかったのです。1カ月健診で無事にお医者さんから、少しであれば赤ちゃんを外に連れ出しても良いと許可をもらい、夫と赤ちゃんと初めての外食へ出かけたのですが……。 他人に迷惑をかけないように子どもが生後2カ月になったころ、私は夫に念願だった外食へ連れて行ってもらうことになりました。赤ちゃんと初めての外食なので、他人に迷惑をかけないようにネットでリサーチしてお店を選び、事前にお店へ電話をして赤ちゃん連れでも良いか尋ねました。 お店はベビーカーでの入店OKとのこと。そして当日、赤ちゃんが泣いてしまった場合の育児用ミルクなども準備をして、お店へと向かいました。 「赤ちゃんがかわいそう」と言われた私と夫が食事を楽しんでいる間、赤ちゃんは泣くこともなくすやすやと眠ってくれていたので安心しました。おかげでゆっくり食事を堪能。お店の店員さんにも「かわいいですね」、「いい子ですね」とあたたかい言葉をかけていただき、大満足で帰ろうとしたそのときでした。 他の席に30代くらいの男女のカップルが座っていたのですが、女性のほうが私たちを見て「あんな小さな子を連れて外食するなんて何を考えているの? 赤ちゃんがかわいそう」と言ったのです。妊娠中もなかなか外食ができず、久しぶりの外食だったのに、何でそんなこと言われないといけないの? と悲しい気持ちになりました。 赤ちゃん連れで外食はいけないこと?夫には「気にすることないよ」と言われましたが、見知らぬ人からの「赤ちゃんがかわいそう」という言葉を聞いて、なんだか私は悪いことをしている気持ちになりました。 確かに、赤ちゃんは外食を一緒に楽しめないので、親の都合で連れまわしていることは事実です。しかし、赤ちゃん連れで外食をしているだけで、どうしてかわいそうなどと言われないといけないの? とも思いました。さまざまな考えがあるので、そのお客さんも悪気があったわけではないかもしれませんが、わざわざ聞こえるような声で言わないでほしかったと思いました。 見知らぬ人の言葉に悲しい気持ちになってしまいましたが、赤ちゃんを連れて外食することについて、私は悪いことだとは思いません。なぜなら私自身、久しぶりに外食を楽しめたことでリフレッシュができて、家事や育児をより頑張ろう! と思えたからです。 作画/ぐら子著者:鮫島彩美0歳の男の子のママ。2年の不妊治療経験があり、念願の子育てを満喫中です。妊娠を機に仕事を退職したことでお金や保険に興味を持ち、現在はファイナンシャルプランナーの資格取得を目指しています。
2024年05月25日ゴルフ好きの夫が、娘が生まれるのを機に「しばらくゴルフに行くのは控える」と言ってくれました。しかし出産して2カ月がたったころから、自分の親とゴルフへ行くようになったのです。ほぼワンオペ育児をする私はモヤモヤした気分になってしまい……。 ゴルフに誘ったのはまさかの義両親娘は昼夜問わずによく泣く子だったため、私は心身ともに疲弊していました。そんな中、「親からゴルフに誘われた。場所が遠いし、前日から実家に泊まっていく」と私に言い放った夫。 私は週に1度の夫の休日を頼りにしていました。休日に家事・育児を手伝ってくれてとても助かっていたのです。赤ちゃんのお世話で大変な時期ということは義両親もわかっているはず。しかし、義両親から私に、夫をゴルフに連れて行くとの連絡はありません。 「なぜ断らないの?」と私が夫に聞くと、「会社のゴルフは全部断っているし、たまにはいいだろう」と機嫌が悪くなる夫。結局、夫は義両親とのゴルフに前日から出かけていきました。それから年に数回、同じように義実家に前泊してゴルフに出かける夫。確かに会社のゴルフはなくなったけど……とモヤモヤする私。 義両親と会っても「時々(夫を)ゴルフに連れ出して悪いわね」と軽く言われる程度です。それに対し、本当は困っていると伝えたかったのですが、遠慮して「大丈夫です」と答えていました。 2人目が生まれたら変わる…?2年後、2人目が生まれるタイミングで改めて、「ゴルフは控えてほしい」と夫に伝えました。変わってくれることを期待しましたが、2人目の産後も、夫は義両親とゴルフに出かけて行きました。 以前より頻度は減りましたが、夫がゴルフに行くことは変わらないとわかり、私は諦めも肝心だと思うように。平日の夫の帰宅時間は遅く、夫のいない休日もその延長だと割り切るようになったのです。 休日のワンオペ育児のときは、実家に帰ってゆっくりしたり、ママ友を自宅に呼んで子ども同士で遊ばせたり、楽しく過ごしています。 義両親とは、言いにくいことを伝えられるような関係ではない上に、ゴルフの話題になると機嫌を損ねる夫。正直、「結婚相手を間違えたか……」と思う瞬間も。しかし今では、夫がいない間は私自身もリフレッシュするようにして、ストレス発散になっているように思います。夫だけに依存することをやめたのは正解でした。 作画/ぐら子著者:下園ひかり
2024年05月24日私の初めての出産で、女の子が生まれたときのお話です。たくさんの祝福を受けましたが、特に義母は涙ながらに喜んでくれました。退院後、しばらくの間は実家で過ごし、その後は夫が待つアパートへ、娘と共に戻ることに。その直後、娘も連れて、家族で初めて義実家へ泊まりで訪問したときに、義母からまさかの発言があったのです。 2人目を早く産みなさい!?初めての孫の訪問に義母は大喜びで私たちをもてなしてくれました。そして、すぐに私に「孫は本当にかわいいわねえ! 2人目はいつにするの?」と言いました。私は出産直後ということもあり、2人目のことはまだ考えていなかったので、その旨を話すと「2人目は早いほうがいいに決まってるじゃない! ちゃんと考えなさい!」と言うのです。 そばにいた夫は「まだ生まれたばかりなんだから、母さんも急かすなよ」と笑いながら対応。しかし、私はそのときの義母の顔を忘れられません。孫の前では絶対に見せない、義母の怒りを我慢した表情に背筋が凍りました。 義母の持論「年子のすすめ」翌日、義母と朝食を用意していると、「次の子は年子でいいと思うのよね」と再び2人目の話に。夫には弟がいますが、2人は年子です。「双子みたいに育てられて楽しいのよ! 大変かもしれないけれど本当に充実していたわ!」と義母。 私が「でも大変ですよね?」と答えると「服は上の子のお下がりがあるし、1人も2人も一緒でしょ? 私も、あと2人ぐらいは産んでおけばよかったと後悔しているんだから!」と発言。私は出産や育児は簡単なものではないと考えているので、義母の言葉に違和感を覚えました。 今は生まれたばかりの娘に集中したい義母に何を言われても、今は生まれたばかりの娘の育児で精いっぱいなので、うまくはぐらかしていたつもりだったのですが、私が2人目のことを真剣に考えていないと思ったのでしょう。 義母から「何のために私がいるのよ!? あなたは産めばいいだけなんだから、あとは私に任せなさい。まだまだ育児ならできるんだから!!」と発言した義母は鬼気迫るものがあり、無責任に年子の出産をすすめる義母に、私は開いた口が塞がりませんでした。 その後も義実家に訪問するたびに2人目の催促をされました。しかし夫と私は、まだ2人目を考えられず、義母の言葉を受け流し続けています。義母は初孫の誕生がとてもうれしかったようで、早くも2人目が欲しいと思ったのでしょう。自分が育ててもいいと言うほどに……。義母の思いを、今すぐに受け止めることはできませんが、いつか2人目が授かることができたら、すぐさま義母に報告するつもりです。きっと大変喜んでくれることでしょう。 作画/ぐら子著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2024年05月06日当時3歳の長女を育てていたとき、第2子の妊娠が判明し、私は長女に報告する瞬間を密かに楽しみにしていました。そして、報告の時期を見計っていたところ、義母の勝手な行動によって私の楽しみを壊される結果となったのです。 第2子妊娠! 長女にはまだ内緒第2子を妊娠し、私は妊娠の判明と共に始まったつわりと闘っていました。長女のときと同じように2カ月は体調の悪い日々が続くだろうと予想。おそらく近くに住む義両親にお世話になることも多いと思い、まだ妊娠9週でしたがその段階で義両親へ妊娠を報告することに。 一方で長女はかなりおしゃべりなので、私が妊娠したと話したら通っているこども園の先生などに話してしまう可能性がありました。妊娠初期のため流産の可能性がまだ高い時期だったので、長女にはまだ伝えずにいました。 義母が長女に言っちゃった!私がつわりで体調を悪くしているので、つわり期間中は週末、夫に長女をお願いしていました。同時に義実家に長女が行く頻度も増えました。そんななか、義実家に遊びに行っていた長女と夫が帰ってくると夫の表情が曇っています。どうしたのか聞いてみると、「義母が長女に妊娠のことを教えてしまった」とのこと。「え……」それを聞いて私はショックでした。 もちろん義父母には「長女にはまだ伝えないで」とお願いしてありました。しかし義母は孫だけが妊娠を知らないことを「かわいそう」だと思ったそうです。仲間外れになっている長女を見ているのが嫌で、妊娠のことを言ってしまったとのこと。それが妊娠11週のときのことでした。 悔しい……楽しみにしていたのに私は密かに娘に妊娠のことを伝えるのを楽しみにしていました。「どんな反応をするかな?」「喜ぶのかな? 嫌がるのかな?」「教えるときに動画でも撮ろうかな?」など……。けれどそんな想像ももう意味がありません。 その後義母から私に「○○(娘)ちゃんに妊娠のことを話したら喜んでいましたよ」とメッセージが届きました。それを見て一層悲しくなり、悔しい気持ちに。しばらくは長女が私のおなかに向かって「赤ちゃん」と言うたび、悔しい気持ちが消えませんでした。 幸い長女は私の妊娠のことをそこまで大きなことと受け止めていなかったようで、こども園で先生に言ってしまうことはありませんでした。妊娠を報告するときに、長女に伝えない理由をきちんと話し、しっかりと義父母に念を押しておけばよかったと思った出来事です。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2024年04月22日私の息子は6歳、娘は1歳。娘は息子のことが大好きで、いつも息子のあとをついてまわり、よく息子のマネをしています。息子はおふざけが好きで、ふざけすぎて私や夫に叱られることも……。そんなときに問題が発生しました。 「なんで妹は怒られないの?」息子の疑問あるとき、夫の対応に息子が疑問を抱きました。息子がふざけておもちゃを投げたとき、夫は「投げたら危ないだろ!」と注意。しかしその直後に、息子のまねをして娘がおもちゃを投げたときは「投げることができてすごいね」と褒めたのです。同じことをしているのに「なんで妹は怒られないの?」と息子は夫に聞きました。すると「息子はもう6歳。娘はまだ赤ちゃんだから仕方ない」と説明していた夫。息子はその説明に「なんで?」と繰り返していて、納得できていない様子でした。 私も息子も納得できない! 夫に物申す!たしかに6歳と1歳でまったく同じ対応をすることは、難しいと思います。とはいえ、息子に対して「仕方ない」とだけ説明しても、納得するはずがありません。私は夫に、まず私自身が普段どのように対応しているかを説明しました。私は息子にも娘にも「投げたら危ないから投げないでね」と注意します。夫の対応のように、同じことをしているのに、一方は叱られて一方は褒められる、という差はつけないようにしているのです。 夫は「まだ1歳の娘に注意してもわからないだろう」と言いましたが、私は「まだ1歳でも理解できることはある」ということ、「息子の気持ちも考えてほしい」ということを再度伝えました。 夫は「なんか難しいけど気をつけてみる」と言ってくれました。その後もまだ兄妹へ対応の差が感じられますが、そのたびに私が夫にどうしてほしいか伝えています。 必ずしも私の対応が正解とは限りません。「年の差があるから対応が違うのは仕方ない」という気持ちもわかります。しかしできる限り、子どもが差を感じてモヤモヤが残ることのないよう、努力することは必要です。これからも夫とコミュニケーションをとって理解を求めていきたいと思っています。 作画/ぐら子著者:海原えめ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月27日子どもがヨチヨチ歩けるようになり、家族で外へ出かけることが増えました。そして、出かけるとなると増えるのが荷物です。家族で出かけるたびに荷物の準備でイライラしていた私は、とうとう夫へのモヤモヤが爆発してしまい……。 夫よ、なぜ外へ行くの?私たち家族は外へ出かけることが好きで、近所でも散歩をするときは、おむつや育児用ミルク、着替えなど最低限の荷物を持っていきます。しかし、なぜか毎回私が荷物の準備をしていました。 夫は自分の身支度が終わると、すぐに子どもを連れて「外で待っているね」と出ていきます。私は子どもの身支度を先に済ませ、荷物の準備をしながら、これから自分の身支度をするのだけど.......とモヤモヤしていました。 夫が先に出ていく理由は…!?ある休日、少し離れた公園でピクニックをすることに。いつも通り私は子どもの身支度を済ませ、荷物の準備にとりかかりました。慣れていない場所へ行くのでいつも以上に荷物が増え、用意をするものが多くワタワタ……。 すると、「外で待っているね」といつもの夫の声が聞こえ、ついに私のモヤモヤが爆発しました。私が「自分の身支度が終わったなら、荷物の準備をしてほしい」ということを伝えると、すぐに謝ってくれた夫。 なぜ、いつも先に外へ行くのか夫に理由を聞くと、私が子どもを気にせずゆっくり準備ができると思っていたからだと話してくれました。私は、夫は荷物の準備や私の身支度には関心がないのだろうと勝手に思い込んでいたことを反省。私の怒りは消え、夫と一緒に荷物を準備し、予定通りピクニックへと出かけたのでした。 夫なりの配慮に気づかず、すれ違いが生じてしまっていた私たち。日頃から自分の気持ちや要望を言葉で伝えていればよかったと思いました。その後、夫は自分の身支度が済むと、荷物の準備をしてから子どもを外へ連れて行くように。改めて、お互いの気持ちを言葉で伝えることは大切だなと痛感した出来事です。 著者:楠 かのえ/30代女性・主婦。2017年生まれの女の子と2022年生まれの男の子の母。子どもたちから教わることが多い日々を過ごしている。夫とは子どもが生まれてから不穏になったが乗り越えた。お酒を飲みながらの読書が好き。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2024年03月17日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 著者:伊藤あいり/20代女性・主婦。3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年02月27日息子が1、2歳のころのお話です。夫も私も昭和生まれではありますが、悪い意味で夫の子育てに関して違和感を覚えることが時折あります。男だからこう、女だからこうあるべきという考え方です。男女区別なく育てたいと考えている私と、夫との育児の価値観の違いについて話し合った結果……。 男の子は泣いちゃダメ?家族で、公園で遊んでいたときのことです。息子はよく動き、よく転びます。 この日も、倒れて半ベソの息子を夫は心配そうにすぐさま抱き起こすのですが、「男の子なんだから泣いちゃダメだぞ~!」と自然に言うので、私はとても違和感を覚えました。 そう言われると、息子は泣かないよう我慢します。泣かなければ「強い強い、いい子だ」と夫がまた言うのです。 性別や生まれ順で何かを強制したくない昔は「男は強くたくましく、女はやさしくかわいく」と言われることが多かったようですが、もう今の時代には合わない考え方だと思います。 私自身、第1子の長女で育ったので「お姉ちゃんなんだから〇〇しなさい」とたくさん言われてきました。それが本当に嫌で、理不尽に感じていました。上の子だからと言って何でもできるわけではありません。そのため、自分の子どもにそんな価値観は持たないでほしいのです。 夫と話し合い価値観をすり合わせ夫は「男はこう、女はこう」という価値観の中で育ってきて、特に嫌な思いをしたことはないそうです。公園の出来事で、私はこのままではいけないと感じ、「そういう考え方は古いよ。男の子だって好きなだけ泣けばいいし、性別は関係ない」と、私の考え方や現代と昔では感覚が違うことを話しました。 夫は「古いかな?」と初めは少し反発していましたが、何度も話し合い、最終的には「すべてがボーダーレスの時代におかしいよね」と納得してくれたようです。未来を生きていく子どもたちが、時代遅れの感覚では困るだろうと理解してくれました。 私としては、別に男でも泣きたいときは泣いたり、長子でも我慢したりする必要はないと思うので、息子にもそう伝えています。下の子は女の子ですが、2人とも各々得意なことがあり、年齢や性別関係なく助け合って暮らしていて、私はそのことを何よりうれしく思うのです。 著者:橘つばき/女性・主婦。2014年生まれの男の子と2017年生まれの女の子の小学生ママ。元エステティシャン。ワンオペで苦労した経験、食育、知育など全然思い通りにならない子育ての日常を執筆中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2024年02月14日第1子出産のとき、急きょ帝王切開に切り替わりました。初めてのことに緊張と不安・戸惑いの中、私は出産。赤ちゃんと私にひとまずは問題なく、すぐに母子同室になり幸せを嚙みしめていました。しかし、ほっとしたのもつかの間、傷が痛んで起き上がれない私の体を心配して面会を控えた実両親とは反対に、数時間後に面会に来るという義両親に私は違和感を抱きました。 帝王切開で無事出産。傷が痛む中の面会出産時、赤ちゃんの心拍が低下し始めるという事態になり、緊急帝王切開に切り替わりました。夫が病院に駆けつけたのですが間に合わず、私は不安の中出産。赤ちゃんの顔を見たときには安堵したことを、今でも鮮明に思い出します。 両家両親には事後報告をし、私の両親は「大変だったね。体休めて」と言って、面会は翌日にすると連絡をくれました。義両親は数時間後には揃って面会に来ると言い、疲れている私は乗り気ではありませんでした。 予想以上の面会時間に身も心もボロボロ…面会に来た義両親は孫にべったり。私はおなかの傷が痛くてつらかったのですが、義両親が話しかけてくれば相槌をうっていました。「寝ていていいよ」と言われても、遠慮して会話は続けました。 30分ほどで帰ってくれるかと思っていましたが、まったく帰る素振りのない義両親。夫から促す様子もありません。私は疲れからか急に眠くなり「どうして体のつらさを誰もわかってくれないんだ」と、イライラと悲しみの感情がどんどん溢れてきました。 イライラから助けてくれた看護師さんそんなときに看護師さんが体調チェックに。悪露(おろ)を見るので夫たちには一旦部屋の外に出てもらい、そのとき私は思い切って看護師さんに経緯を話しました。すると看護師さんから義両親に帰ってもらうように伝えてくれることになり、義両親はその後すぐに帰って行きました。 後日「長居してごめんね」と義両親から謝りの連絡が来ました。純粋に孫の誕生を楽しみにしてくれた気持ちがわかったので、イライラが長引くこともなかったです。 面会に来てくれたのに帰ってほしいなんて言えなかった私が、看護師さんや助産師さんに相談する手段をもっと早く知っていたら、気持ちがラクになっていただろうなと思います。赤ちゃんの誕生はうれしいことなので、面会に来てくれるならば前もって「短時間でお願いね」など伝えておくと、お互いに気持ち良く過ごせるなと勉強した出来事でした。 作画/ぐら子著者:樋山ゆり菜6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。
2024年01月06日2人目の子を出産し、落ち着いたころに児童館へ通い始めました。そこで出会った同い年の子がいるママと仲良くなったのですが、いろいろなことを話すうちに、次第に価値観が合わないと感じてしまって……。 初めての児童館でドキドキ上の娘が2歳、下の息子が生後6カ月のころ、同じぐらいの年齢の子たちと遊べるかなと思い、近所の児童館へ足を運んでみました。初めての場所だったのですが、娘は緊張しながらも次第におもちゃで遊ぶようになり、息子もゴロゴロしながら、楽しく過ごしていました。 そこで話しかけてきてくれたのが、息子と同じ月齢の子どもがいるAさん。Aさんとは子どもの成長など悩む時期が同じだったこともあり、何度か児童館で会ううちに徐々に仲良くなっていきました。 子どもを比べる発言が気になる…Aさん親子と仲良くなって3カ月ほど経ったころ、次第に会話の中で疑問に思う発言が出てくるようになりました。私の息子とAさんの下の子の成長を比べるような発言が増えてきたのです。 「まだ歩かないの?」「体重増えていないの?」。さらに、「うちは離乳食も進んでいるけど、まだ食べないの?」などと言われてしまうように……。その当時、離乳食を食べない息子に悩んでいた私には、勝手に責められているような言葉に聞こえてしまい、だんだんとAさんと距離を取るようになっていきました。 「比べられているようで嫌だ」と直接気持ちを伝えられたらよかったのですが、子どもの前で険悪な雰囲気になりたくなくて離れることを選択しました。 私の対応は間違っていたかもしれません。しかし、そのころ自分の気持ちを保つためには、離れるという選択をしてよかったと思っています。これからも、他の子と比べずにわが子の成長をしっかり見守っていきたいです。 作画/ぐら子著者:高山ななみ
2023年11月29日夫と結婚をし、2人での生活が始まりました。義母は週2回程度、夫に電話をし「ごはんを食べに来なさい」「顔を見せに来なさい」などと言い、私たちの自宅から車で1時間の距離にある義実家にたびたび訪問するように促します。そんな状態が数カ月続き、私はだんだんと義実家への訪問がおっくうになっていました……。 義実家への訪問回数が多くてつらいある日、夫と義実家を訪問したときの出来事です。このとき義実家へ訪問したのは、親戚が来るので私たち夫婦も義実家に来るように、と義母から話があったからです。 夫の親戚と共に義実家で過ごす時間は、料理の手伝いや掃除などを頼まれ、せっかくの休日でも休むことはできません。そして気を使うので疲れが残るものでした。 さらに翌週も遠方の親戚が義実家を訪れるということで、私たち夫婦も来るようにと義母から話がありました。 私の心の声を義母に聞かれた?とっさに心の中で「行きたくない」と思った私。 義母はそんな私の心の中を見透かしたように、「お嫁さんって大変よねえ。結婚というのは相手と結婚するだけじゃなく、夫の家とも結婚して家族になるということなの。行きたくないという理由だけじゃ断れないのよ」と言い、私はその言葉に驚き、何も返答できませんでした。 夫に相談したけれど…義母から、「義実家への訪問は断れないのよ」と釘を刺されましたが、私は月に3回程度の義実家訪問に疲れ、夫に相談。 夫は、義母から「親孝行のために義実家への訪問はしなければならない」と言われ続けており、その言葉に従っています。そのため夫は義実家への訪問は当たり前のことだと思っていて、断ることはよっぽどのことがない限り許されないと言うのです。私は仕方なく義実家への訪問を続けることに。 夫の親戚に囲まれて過ごす時間は、正直苦痛でした。しかし、時間はかかりましたが、徐々に打ち解けて心に余裕が生まれ、楽しく過ごすことができるようになってきたのです。また、夫の親戚にかわいがってもらえるようになり、今は義実家で過ごす時間も以前より苦痛ではありません。 当時はつらいと思うことが多く、このまま嫁としてやっていけるのかと不安になりましたが、義実家で多くの時間を過ごしたことで少しずつ馴染んできたように思います。これからも、夫の家と良い関係を築けるように努めていきます。 著者:神崎 ハナ/30代女性・主婦。2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年11月23日長男が1歳になった翌日から、職場に復帰した私。「最初の1年はほとんど出勤できないよ」と先輩ママから聞いていましたが、本当に毎週のように園から職場に電話がかかってきていました。夫は、私が仕事に復帰してから3カ月たったころに転職。新しい夫の職場はシフト勤務なので、夫が平日休みの日は長男の送迎や園からかかってくる電話の対応を頼んでいたのですが……。 「何度かけても出ないんです」仕事で大事な会議が予定されていたため、その日はどうしても早退したくなかった私。長男に何かあったときのために、会議の日程に合わせて夫に希望休を出してもらっていました。 すると当日、保育園から電話が。「今日はパパに連絡してほしいと連絡帳にも書いたんだけどな……」。そう思いながら電話に出ると、「長男くんが発熱しているのでお迎えをお願いしたいのですが、パパさんに何度かけても電話に出ないんです」と言う先生。 「もしかしたら寝ているかもしれないので、私からも連絡します」と言い、電話を切りました。私から何度か夫に電話をかけましたが、まったく出てくれません。「本当に寝ているのかも」と諦めかけたそのとき、夫から1通のメッセージが。 「さっきから着信すごいけどマンガ喫茶にいるから電話はできない。知らない番号からかけてきたのもママ?」と衝撃的な文に目を疑いました。夫は休日なのでマンガ喫茶にいるのはまだいいとして、園の番号を知らない番号と言っている夫に呆れてしまった私。 長男の状況を説明すると、「お迎えってすぐに行かないとダメ?」と返信がきました。私は「きっと夫は自分のお小遣いから出したマンガ喫茶代がもったいないと思っているのだろう」と思い、「ダメに決まっているし、病院も連れて行って。マンガ喫茶のお金はあとで払うから」と返信。そこでやっと行く気になってくれた夫に、お迎えと病院を頼めました。 その後、長男の体調はすぐに回復。しかし、体調不良による早退のお迎えが初めてだった夫は、かかりつけ医や母子健康手帳をしまっている場所すらわからなかったようです。育児への無関心さが明らかなってしまったことに反省した夫は、園やかかりつけ医の電話番号を登録することはもちろん、今では園の連絡用アプリも使いこなせるようになりました。 ※仕事が休みの日に保育園に子どもを預けること(リフレッシュ目的等)が可能か否かは、保育園によってルールが異なります。保護者の仕事が休みの場合は、その旨を先生に伝え、必ず連絡がとれる状態にしておきましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:安藤はるか/女性・主婦。2014年生まれ、2017年生まれの男の子と2021年生まれの女の子のママ。カラーセラピストとしてお悩み相談のサービスを運用中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年10月27日結婚を機に出身地から離れ、右も左もわからない未訪問の地へ。間もなくして妊娠が判明。「子どもとおでかけしたい」「お揃いの服とか着たいな」。そんな想いで日々SNSでキラキラしたママたちを見て、出産後の妄想をしていました。しかし、土地勘のない場所では、毎日の育児と家事をこなすので精一杯。キラキラしたママとはほど遠く、孤独な日々を送ることに。孤独な子育てをどう乗り越えたか、私の体験をお伝えします。 イメージトレーニングはできていたのに出産までは、SNSで検索したベビーグッズを集めたり、プレママ講座に出かけたりと、マタニティライフを楽しみながら過ごしていました。里帰り出産後、子どもが生後3カ月から自宅での子育てスタート! 日中は子どもと2人きり。初めての育児に必死で、毎日家から一歩も出ない……そんな毎日の繰り返しでした。「SNSで見たママは、オシャレしてママ友とベビーカーで散歩してたのに」「もっと友だちとおでかけできるはずじゃないの?」……イメージしていた理想と現実の違いを受けて、次第にネガティブな考えをもつようになりました。 焦りと孤独で周りが見えない同じことを繰り返す毎日。周りに知り合いもなく、もちろんママ友もいません。子どもの友だちを作るためにも外に出なきゃ! と思ったものの、自宅付近の支援センターや遊べる場所を知らないことに、そのとき気づきました。焦りを感じながらも自宅に戻って1カ月後、まずは最寄りの支援センターを調べてすぐに行ってみることに。 しかし、訪れた日はそれぞれのグループで遊びに来ていて、私は子どもと2人で遊びました。「これじゃ家と一緒だな」そんな想いで、逆に孤独な気分になり、それから支援センターへ行くのもおっくうに感じるようになりました。その後、子育てイベントにも参加しましたが、孤独から抜け出したいという焦りで自分自身いっぱいいっぱいになっていました。 みんなと一緒じゃなくていい実家が遠方のため、実母に悩みを聞いてほしくても手段は電話のみ。ときには泣きながら電話をかけ、子育てに関する悩みを聞いてもらっていました。自宅に戻って3カ月後、大型連休にあわせて実家に帰省することに。顔と顔を合わせて相談すると、溜まった想いがどんどん込み上げて、実母に素直な想いを伝えました。 「無理してみんなと同じようにしなくていいんじゃないの?」実母から言われたひと言は当たり前のようですが、そのときの私にとっては衝撃的なひと言でした。「子育てだって、人それぞれ違っていいんだ」と気づくことができました。 自分のペースで少しずつ自分のペースで子育てしていこうと考え直し、無理して居場所を探すことをやめました。その後、子どもが生後6カ月で習い事教室に通うことになり、徐々に地域の子育て事情を知り、育児について共感しながら話せる場を作れるように。それと同時に子どもにも同月齢のお友だちができ、楽しそうに遊ぶ姿を見て、「キラキラしたママじゃなくても楽しそうならいいや」と思えるように。 ささいなきっかけですが、それだけでも孤独を感じることが少なくなり、日々の子育ての刺激にもなりました。今思えば、孤独から抜けだしたいというより、SNSで見たキラキラしたママになれるような居場所を見つけたかっただけなのかもしれません。 キラキラしたママへの憧れは、まだあります! 以前の私はそれを求めるがあまり周りが見えず、素直に子どもの成長を喜ぶことができませんでした。今でも一対一で子どもと向き合っていると、周りには誰もいない……と孤独を感じてしまうこともあります。ですが他とは比べないように、「私は私」と割り切ることで自分のペースに合った育児ができるようになりました。 作画/ぐら子著者:吉田史香3歳と0歳姉妹のママ。夫の実家と敷地内同居中。実家は県外遠方。出産前まで、診療放射線技師として病院やクリニックでの勤務経験有り。育児や美容、地域情報に関する記事を執筆中。
2023年09月01日結婚してから10年以上経ちますが、義理の両親がやってくるのはいつも突然です。いつでもどこでも、何度言っても……。どのようにしたら事前に連絡をしてくれるのか、試行錯誤した私たち家族の経験談をお話しします。 飛行機に乗る直前に連絡!?両家にとっての初孫が生まれた10年前のこと。私が出産後の入院をしていたときに、義両親から「今から飛行機に乗るから」と連絡がきたことが始まりでした。 義両親が住んでいるのは飛行機での移動も含めて5時間ほどかかる距離なので、とても驚いたことを覚えています。当時はそれだけ喜んでくれているのか、うれしい!と感じていたのですが……。 突然すぎて予定が空かない…その後も1年に数回、「明日そっちへ行くんだけど、何時ごろ会えるかな?」と連絡がくるようになりました。義両親は私たちのスケジュールを聞かずに飛行機を取っているので、こちらが予定を変更するしかありません。義両親には何度か、事前に連絡をしてほしいとお願いしたのですが、「会えなかったら仕方がないのよ」と取り合ってもらえませんでした。 孫の成長とともに変化が!子どもが成長するにつれ、幼稚園や学校に通うことで生活リズムが定まってくるようになり、義両親もそれを把握して、休みの週末に会いにきてくれるようになりました。 週末ならこちらも予定を合わせやすいですし、義両親も長い時間、孫たちと遊ぶことができるようになり、お互い満足できるようになったのです。 具体的な解決策を見出せないまま何年も過ごすことになってしまいましたが、自然と落ち着くことになってよかったと思っています。とはいえ、連絡せずに急に来訪することは相手を困らせてしまうので、私自身はしっかり事前に連絡をしてから行動しよう思わされる出来事でした。 著者:高山ななみ/女性・主婦。9歳、7歳、4歳、2歳の4人の子どたちと夫との6人暮らし。医療系の資格を保有。医療の知識や子育ての経験をもとに、ライターとして活動中。作画/ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年08月17日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女は1歳半のころ、電車やバスが大好きでした。そんな長女の好きな物を聞いた義母が「やめさせたほうがいい」と言い出し……。そして私にとって衝撃的な発言をし、驚かされた体験談です。 長女1歳半、電車にはまる長女は1歳半~2歳手前まで電車やバスにはまっていました。児童館や子育て支援センターに行くと、まず遊ぶのは電車やバスのおもちゃ。おままごとやぬいぐるみで遊ぶのに興味がないわけではないのですが、一番好きなのは電車やバスのおもちゃで遊ぶことでした。 「女の子なのに珍しいね」と言われたりもしましたが、私自身はそのことを気にかけることもなく、「そんなに好きなら」と駅まで電車やバスを見に行ったり、電車やバスのおもちゃを買ったりしていました。 「将来が心配! やめさせたら?」と義母義実家へ遊びに行ったとき、「長女は今、電車やバスが好きなんです」と言うと、義母が怪訝そうな顔をしました。そして「え、それって大丈夫なの? 女の子なのに電車が好きなの?」とのこと。私が「そうですね。最近好きですね」と答えると「将来男性みたいになったらどうするの?」という意味合いの差別的な言葉を言われました。そして「そうなったら大変だから、やめさせたほうがいいんじゃない?」と……。 電車やバスが好きだから男の子っぽくなるという考えにも驚きましたが、「なりませんよ」というのも違うし、仮になった場合でも「なってもいい」のという私の思いを伝えたところで義母が納得してくれるかわからなかったので、何と言うのが良いのか考えた末、「そうですかねぇ」とあいまいに答えてしまいました。 改めて思う「どうあっても愛しいわが子」義母の発言は改めて夫と話す機会になりました。「将来長女が男の子になりたいって言ったらどうする?」と夫に聞くと、「応援する」とのこと。夫が私と同じ考えであったことにうれしく思いました。 女の子が男の子のようになることは特別なことではないと思います。ただ、義母のような考えの人もいるのだなとわかり、私も夫も「女の子は女の子らしく」と押し付けるのではなく、「できる限りそのままの長女を受け入れられる親でいよう」と改めて思いました。夫婦で長女への考えについて共有することができてよかったと思います。 義母の発言は、私たち夫婦で子育て方針を共有する良いきっかけになりました。今3歳の長女はおままごとも好きですし、電車やバスも好き。何より工作が一番好きな女の子です。これからも長女が好きなことに敏感に、大切にして育てていこうと思っています。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2023年06月16日現在9歳になった息子が、1歳になってすぐのことです。当時、まだ夜中に何度か泣いて起きることが多かった息子の寝かしつけで、私は育児疲れと寝不足の日々が続いていました。そんな中、ある人物によって精神的に追い込まれた私は、ある日突然動悸とめまいに襲われたのです。 電話越しに聞こえてくる義母の怒りの声息子が1歳になったばかりのお正月のこと。夫と息子とともに、私は義実家へ行きました。お正月ということもあって夫に手土産の購入を頼み、それを持参したのですが、私は中身を知らないまま義母にその手土産を渡しました。 そして何事もなく帰宅したあと、夫に姑から電話があったのです。夫が電話に出るなり聞こえてきたのは「手土産が気に入らない! お正月のあいさつにこんな物を渡してどういうつもり!?」という義母の怒りの声でした。 毎日続く義母からのLINE義母から突然かかってきた怒りの電話に夫も腹が立ったようで、2人は1時間ほど電話で揉めていました。そのあと電話を終えた夫に話を聞くと、「お正月に持ってくる手土産はもっと豪華な物にするべきだ」と言うのが義母の主張だったようです。そしてその日から毎日、私の携帯には義母からの長文のLINEが届くように。 その内容は「あなたも息子も何もわかっていない」、「こっちはいろいろと助けてあげているのだから感謝の気持ちを込めてもっと高級な手土産にするべきだ」といったもの。私はもう謝ることしかできず、毎日のようにくるLINEが怖くて眠れない日が続くようになっていました。 突然の激しい動悸と息苦しさ相変わらず姑からのLINEは続き、1カ月が経ったある日、家にいた私は突然息苦しさを感じ、同時に激しい動悸に襲われました。その症状は2、3分で治ったので、そのときは寝不足が続いたからかな?ぐらいにしか考えていませんでした。 しかし、それをきっかけに息子の予防接種の順番待ちやレジに並んでいるとき、車の運転中に信号待ちをしているときなど、外出先でも同じ症状が起きるように。電車やバスにも乗れなくなってしまい、これはおかしいと感じた私は心療内科を受診することを決意しました。 心療内科でパニック障害と診断心療内科で下された診断はパニック障害でした。主治医の先生によると、育児疲れや寝不足によって疲弊していたところに、強いストレスが加わったことで発症したのではないかとのこと。日常的に薬を内服する必要はないものの、外出時などパニック発作を起こしそうな場面では、薬を内服するようになりました。 1歳の息子は卒乳していて、母乳を気にせず薬を内服できたので、それだけが救いでした。その後、私の病気のことは夫から義母に説明してくれることに。義母は私を追い詰めたことを反省し、謝罪してくれました。 私がパニック障害を発症してから6年が経っても、電車やバスの乗車、長蛇の列に並ぶという行為はできないまま。ですが義母に病気のことを伝えたあとは、あまり私へLINEをしてくることもなくなりました。そのため今ではゆったりとした気持ちで育児しています。私も義母にもう何も言われないように、手土産はもちろん、細やかなことにも気を配るように注意して、適度な関係を保っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:森井さやか/女性・主婦。小学生と幼稚園児の男児2人、0歳の女児を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年05月08日私の初めての出産で、女の子が生まれたときのお話です。たくさんの祝福を受けましたが、特に義母は涙ながらに喜んでくれました。退院後、しばらくの間は実家で過ごし、その後は夫が待つアパートへ、娘と共に戻ることに。その直後、娘も連れて、家族で初めて義実家へ泊まりで訪問したときに、義母からまさかの発言があったのです。 2人目を早く産みなさい!?初めての孫の訪問に義母は大喜びで私たちをもてなしてくれました。そして、すぐに私に「孫は本当にかわいいわねえ! 2人目はいつにするの?」と言いました。私は出産直後ということもあり、2人目のことはまだ考えていなかったので、その旨を話すと「2人目は早いほうがいいに決まってるじゃない! ちゃんと考えなさい!」と言うのです。 そばにいた夫は「まだ生まれたばかりなんだから、母さんも急かすなよ」と笑いながら対応。しかし、私はそのときの義母の顔を忘れられません。孫の前では絶対に見せない、義母の怒りを我慢した表情に背筋が凍りました。 義母の持論「年子のすすめ」翌日、義母と朝食を用意していると、「次の子は年子でいいと思うのよね」と再び2人目の話に。夫には弟がいますが、2人は年子です。「双子みたいに育てられて楽しいのよ! 大変かもしれないけれど本当に充実していたわ!」と義母。 私が「でも大変ですよね?」と答えると「服は上の子のお下がりがあるし、1人も2人も一緒でしょ? 私も、あと2人ぐらいは産んでおけばよかったと後悔しているんだから!」と発言。私は出産や育児は簡単なものではないと考えているので、義母の言葉に違和感を覚えました。 今は生まれたばかりの娘に集中したい義母に何を言われても、今は生まれたばかりの娘の育児で精いっぱいなので、うまくはぐらかしていたつもりだったのですが、私が2人目のことを真剣に考えていないと思ったのでしょう。 義母から「何のために私がいるのよ!? あなたは産めばいいだけなんだから、あとは私に任せなさい。まだまだ育児ならできるんだから!!」と発言した義母は鬼気迫るものがあり、無責任に年子の出産をすすめる義母に、私は開いた口が塞がりませんでした。 その後も義実家に訪問するたびに2人目の催促をされました。しかし夫と私は、まだ2人目を考えられず、義母の言葉を受け流し続けています。義母は初孫の誕生がとてもうれしかったようで、早くも2人目が欲しいと思ったのでしょう。自分が育ててもいいと言うほどに……。義母の思いを、今すぐに受け止めることはできませんが、いつか2人目が授かることができたら、すぐさま義母に報告するつもりです。きっと大変喜んでくれることでしょう。 作画/ぐら子著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2023年04月04日私は胎児発育不全で入院し、自然分娩を希望していましたが、分娩途中で胎児の心拍が下がり緊急帝王切開となりました。2,150gとかなり小さめでしたが元気に生まれてきてくれました。自然分娩を経験してみたかったという気持ちが大きく残るなか、経腟分娩を経験しているママ友とランチに行ったのですが、そこで思いもよらないことを言われたのです……。 久しぶりの再会を楽しみにしていた私私と、数週間違いで赤ちゃんを産んだママ友とランチの約束をしました。そのママ友は2人目の出産だったので先輩ママです。子ども同士の月齢も近く、きょうだいに関することや仕事と子育ての両立についてなど、育児の相談もできるかな~とかなり楽しみにしていました。 お互いに子どもを連れて会うので気兼ねなく過ごせるように、私の家で会うことになり久しぶりに再会。最初のうちは子どもの写真を撮ったり、お互いの近況報告をしたりと楽しい会話が続いていましたが……。 お互いの分娩について話したところお互いに産後4カ月だったこともあり、分娩の話になりました。私は誘発分娩をしたことと、途中で胎児の心拍が落ちてしまい緊急帝王切開での出産になったことを話しました。手術後、傷の痛みがあり、退院後も体が痛くしんどかったことや、初めての手術で不安感が強かったことなども伝えました。 ママ友は2人目を無痛分娩で出産。そんな経腟分娩で2人の子どもの出産を経験しているママ友から言われたのは、衝撃的なひと言だったのです。 えっ…!?帝王切開はお得な出産?なんとママ友から「帝王切開はお金もらえるからいいじゃん。うらやましい。出産してお得な気分にならない?」と言われたのです。たしかに帝王切開は保険適用になるけれど、望んだわけではなく、経腟分娩への憧れがあるのに……と悲しい気持ちになりました。 ママ友は都内での出産、無痛分娩を選択して、100万円ほど分娩費用がかかったそうで、「退院時にいくら請求された。でも帝王切開はないよね。本当に高かったのに!」など、分娩方法を比較して、いかに帝王切開が金銭的に得をするのかという話を聞かされました。 今では帝王切開の傷も愛おしく思えますが、産後数カ月の間は経腟分娩がしたかった、と落ち込むこともありました。そんななか、「お得な出産」と言われ深く傷つきました。それ以降は、分娩についてママ友とは話すことはせず、たまに子どもの成長を報告する程度の関係に落ち着いています。 著者:白田よう/女性・主婦。保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年02月09日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女は食物アレルギーがあり、食べ物には普段から気をつかっています。その長女が1歳半のとき、公園で会った見知らぬおばさんが勝手にお菓子をあげそうになり、ひやりとしたことがありました。 公園で出会った見知らぬおばさん長女が1歳半のとき、公園で遊んでいると散歩をしていたおばさんに話しかけられました。そのころ長女は人見知りとは無縁。誰にでも愛想のいい子だったので、知らない人に話しかけられることがよくありました。私もいつものように長女が見知らぬ人とやり取りしているのを微笑ましく見ていました。 その中でおばさんが自分のかばんを開けて何やらゴソゴソ……。そこからお菓子を取り出し、長女と話をしながら食べ始めたのです。「子どもの前で食べるのかぁ……」とうっすら嫌な気持ちを感じつつも、私は見守っていました。 そのお菓子ちょっと待った!すると案の定、長女はおばさんが食べているお菓子を欲しがりました。そして「あら食べる?」とおばさんは言い、自分の食べかけのお菓子をそのまま長女の口の中に入れようとしたのです! 私はとっさにおばさんと長女の間に手をねじ込んで、「ちょっ……! すみません!!」と遮りました。 そして長女には食物アレルギーがあり、何が入っているのかわからない物は食べさせられないと……。するとおばさんが「これは卵が入ってるわねぇ」と原材料を見ながらつぶやき、私が「卵はアレルギーなので食べられないんです」と答えたのですが、次のおばさんのひと言に耳を疑いました。 全然わかってくれない!「大丈夫よ! これくらい! はいどうぞ!」。そう言って再び長女にお菓子をあげようとしました。「いや! いやいやいや……」。再び私が遮り、少し長女を遠ざけました。すると、「あのね、私の孫は小麦のアレルギーだからわかるのよ。孫はアレルギーでも少しくらいは食べてるの。アレルギーだからって何でもダメって言うのは逆によくないのよ」。 おばさんの主張にめまいがする思いでした。アレルギーの程度は人によって違いますし、そもそも親がダメだと言っているものを無理矢理与えようとするなんて……。ぐいぐいくるおばさんに「このままここにいたらダメだ」と思い、「食べる!」と泣く長女を抱えて逃げるように公園をあとにしました。 自分の子どもが知らない人と交流するのは大いに結構です。ただ、誰もが食物アレルギーについて詳しいわけではないですから、常に油断ができません。これから長女が大きくなっていっても親が気をつけていなければいけないところだな、と改めて気を引き締めました。 著者:水田 真理/30代女性・主婦。アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年02月08日初めての育児に悩まされ、身も心もボロボロの育休期間から脱出したくて職場復帰を選択。復職後も夜泣きでヘトヘトになり断乳を決意したのですが、夜泣きは続き状態は悪化。初めての経験に心が折れそうな私を支えてくれた、息子の保育園についてのお話です。 つらかった育休…とにかく職場復帰したい息子は生まれたてのころから目覚めている時間はほぼ号泣、夜も30分~1時間おきに泣く本当に大変な赤ちゃんでした。おかげで育休期間は産前に夢見た笑顔で穏やかな日々とはかけ離れ、1日中泣き声を聞かされるつらさと寝不足から精神的にも体力的にも追い詰められる毎日。 職場復帰の際も同時期に出産した友だちや会社の先輩は育休2年目を希望。息子に対して申し訳ない気持ちもありました。それでも、当時私はすがる思いで入園申請したのを覚えています。 無事入園が決まり、生後9カ月で職場復帰自宅が駅から離れていたことが幸いして、激戦区にもかかわらず第1希望の保育園への入園が決まり、息子が生後9カ月のときに復職しました。当初息子は保育園でもやはり1日中泣き、食事もとらず、先生方に抱っこばかりしてもらっていたようです。保育園の洗礼とも言えますが、手足口病や突発性発疹など毎月のように病気も経験しました。 仕事も度々休まなければならず、産前同様の仕事をこなすことは困難でしたが、身も心もボロボロの育休期間から解放され、戻れる職場があって本当によかったと心から思いました。 夜泣きは続くよどこまでも…断乳を決意保育園へ通い始め1歳を過ぎても息子の夜泣きがおさまることはなく、私は出産以降2時間以上連続して寝たことがありませんでした。日中に会社で体力を温存し、一晩中続く耐久レースのような寝かしつけに挑む状態が続き、1歳5カ月で断乳を決意しました。当時息子は離乳食も進まず、体重は標準を下回っていたので、本当に迷った末の決断でした。 ところが、断乳して1週間経っても2週間経っても、息子の夜泣きはまったくなくなりませんでした。やはり心のどこかで朝まで寝てくれることを期待していた私は絶望して、それまでの仕事の疲れも重なって、夜になると息子を怒鳴りつけたり、自分も号泣してしまったり、事態は一段と悪化しました。 異変に気づいてくれた先生当時の私の異変にいち早く気がついてくれたのは、保育園の先生でした。ある日担任の先生から一度面談させてほしいとの申し出があり、お迎え前に温かいお茶をいただきながら、息子の夜泣きが続き私が追い込まれた状況であることについて相談に乗ってもらいました。 先生に言われたのは、息子のためにも母である私が元気でいることが一番大切だということ。そして休日保育の利用も検討して睡眠時間を確保してはどうかなど、具体的な提案をしてくれたのです。 結果的に土曜保育を利用することはありませんでしたが、「先生たちがいつでも助けになってくれる」という安心感が最悪の時期を乗り越える支えとなったことはたしかです。保育園が親と一体となって子どもを育ててくれる、心強い存在であることを実感させてもらった経験でした。 著者:鈴木ゆり/女性・会社員。2歳の男の子の母。現在第2子を妊娠中。結婚後は夫の実家で義両親と同居しながら、旅行会社にフルタイムで勤務。その傍ら、自身の体験をもとに子育てに関する体験談を執筆している。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年01月27日息子がかわいくて仕方がなかった私。息子のどんなに小さな成長も逃したくはありませんでした。しかしあるとき、息子の「初めて」が、私ではない人へと向けられることに……。 息子の初めてを見逃したくない専業主婦だった私は息子と一緒にいられる時間が多かったため、「初めての寝返り」、「初めてのハイハイ」、「初めての1歩」などを見逃すことはありませんでした。息子は成長していく中で、さまざまな「初めて」をすべて私に見せてくれたのです。 私はそのことがとてもうれしくて、「これからもさまざまな成長を、私に見せてくれるのだろうな」と思っていました。 外出先でショックな出来事息子が1歳を過ぎたころ、ベビーカーに乗せてショッピングしていると、若い女性の店員さんが対応してくれました。息子にもやさしく声をかけて遊んでくださり、息子もニコニコしながら満足気な様子。買いものを終えて店を出るとき、先ほどの店員さんが息子に「バイバイ」と言いながら手を振ってくれました。 私は「息子はどんな表情をしているのかな?」と思い、息子を見てみると……なんと店員さんに向けて、初めてのバイバイ(手を振るマネ)をしているではありませんか!! 息子の初めてのバイバイを見られたことはとてもうれしかったのですが、そのバイバイを向けた相手は私ではなく、女性の店員さん。 これまで「ありがとう」、「どうぞ」などの相手に向けた動作もすべて、私へ一番に見せてくれていたのに……とショックを受けてしまいました。 母の言葉にハッとした「初めてのバイバイも私にしてほしかった」と思いながら帰宅し、この思いを誰かに聞いてほしくて、母親に電話しました。すると母親は呆れながら「そんなこと当たり前じゃない。あなたは息子ちゃんといつも一緒にいるんだから。あなただって、息子ちゃんにバイバイなんてしたことないでしょ? いつも一緒にいて、子育てを頑張っている証拠じゃないの」と言われ、私もハッとさせられました。 たしかに私たちはいつも一緒にいて離れることはほとんどないので、私は息子にバイバイをしたことがなかったのです。「それなら、息子が私にバイバイしてくれないのは当たり前のことだな」と納得できました。 ショックを受けていた私ですが、母親に「頑張っている証拠」と言われ、とてもうれしくなりました。そして、毎朝仕事へ行く前に息子にバイバイをしていた夫は、この事実を知り、私よりもショックを受けていたことは言うまでもありません。 著者:山下亜衣/女性・主婦。10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年01月26日私は夫と結婚してから6、7年、「靴をそろえる」ということを口が酸っぱくなるほど夫に言い続けてきました。しかし育った環境のせいなのか、夫が靴をそろえられるようになる気配は一向にありません。私があきらめかけていたある日、ちょっとした事件が起きたのです。 私が一番大切にしているしつけ私が息子たちへのしつけの中で特に厳しく言っているのが、「靴をそろえること」です。なぜなら靴がそろっていなければまず見た目が悪いし、乱雑に置かれた靴が次に家に入ってくる人の邪魔になるかもしれないからです。 逆に家族の誰かが出かけようとしたときに靴が散乱していたら自分の靴が履きにくく、その人をイライラさせたり、時間のロスに繋がったりする可能性もあります。そのため私は靴をそろえるというしつけだけは絶対に譲りません。 夫が靴をそろえられない理由とは一方で、夫は靴をそろえるのをよく忘れてしまいます。夫の実家は昔ながらの家で土間があり、その土間を家族用の玄関として使っています。そのため靴をそろえなくても正面玄関から入ってくる来客には見えないようになっており、夫の実家では靴をそろえる習慣がなかったのです。 それゆえ私は結婚してから6、7年、夫に靴をそろえるようずーっと言い続けていたのですが、夫はすぐ忘れてしまうのか、なかなかそろえられるようにならず、私は半ばあきらめていました。 夫が脱ぎ捨てた靴が原因で…そんなある日、ちょっとした事件が起きたのです。前日の夜に帰宅した夫はいつものごとく仕事用の革靴をそろえていませんでした。その日は休日だったため、息子たちは意気揚々と公園へ行こうとしていました。 息子たちが靴を履いて立ち上がったまではよかったのですが……、まだよちよち歩きの次男が夫が乱雑に脱ぎ捨てていた革靴につまずいて転んでしまったのです。そして次男は泣いてしまいました。するとその様子を見ていた長男が、「お父ちゃん、靴はちゃんとそろえないと邪魔になっちゃうんだよ」と夫を諭してくれたのです。 本来であれば大人が率先して息子たちにお手本を見せるべきところなのに、逆に夫が息子たちに教えられるかたちとなってしまいました。夫は息子たちに謝り「これからはお父ちゃんも靴をそろえるようにするよ」と約束してくれました。それ以降、夫が靴をそろえ忘れる回数はグッと減ったのです。大人が子どもから学ぶこともあるのだなあと実感した出来事でした。 著者:今岡めい/女性・ライター。7歳と4歳の超わんぱく兄弟を育てるママであり、フリーライター。「子育てで一番大切なのは母親が笑顔でいること」「幼児期最大の英才教育は遊びである」をモットーに掲げ、日々テキトー育児を繰り広げている。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年01月26日明るくておもしろい夫。おかげで保育園では息子のお友だちや先生に人気があり、行事にも前向きに参加してくれていました。人見知りの私にとって、とても助かる存在。しかし、ハイスペック夫に頼りきっていた私は、痛い目を見ることになったのです。 保育園の行事に積極的な夫夫はお笑い芸人のようなキャラクター。誰とでもすぐに仲良くなり、人見知りの私とは正反対の性格です。あいさつの声は誰よりも大きく、息子の送り迎えのときは先生やお友だちをどうやって笑わせようか……と考えているような人。もちろん行事でも目立つ存在です。 人が大勢集まるイベントが苦手な私の代わりに、いろいろと頑張ってくれていました。お友だちや先生方からも「〇〇くんパパ!」と人気があり、自慢の夫です。夫が目立ってくれいている分、私はひっそりとしていられてラッキーとも思っていました。 職業を知られて人気急上昇夫は高校・大学受験の塾の講師をしています。ある日何気なく1人のママ友に話したところ、またたく間に広まりました。ママ友に勉強や受験の相談をされることもあり、夫は「僕って人気だね!」とのんきな様子。夫の職業を知ったとたん、あいさつ程度の関わりだったのが急にグイグイ話しかけてくるママ友もいて、私としてはあまり気分がよくありませんでした。 妻の私から見ても、夫はとても魅力的な人だと思います。夫の人柄を評価してもらえるのはとてもうれしいのですが、有益な情報を持っているかもしれない人として近寄られるのは何だか嫌だなと感じていました。 保護者に言われるのは「パパ来ないの?」保護者のみの食事会が年に数回あり、私が参加すると決まって言われるのは「今日はパパ来ないの? 聞きたいことあったのになぁ」というセリフ。たしかに私じゃ力不足だよね……とさみしい気持ちになりました。 私はママ友たちの輪にうまく入れず、みんなの話に相づちを打つだけ。自分のコミュニケーション能力のせいもありますが、私が参加すると期待外れだと思われているような感じがして、情けない気持ちになってしまいました。 保育園の行事など、表に出る場面では夫に頼り切っていた私。おかげで私はママ友の輪にうまく入れなくなってしまいました。少しずつでも頑張って自分を出していくべきだったなと反省しています。夫は「気にすることない。苦手なことは無理する必要ないよ」と言ってくれますが、これからは努力していこうと思います。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。
2022年12月08日私は6歳と3歳の女の子の母です。どこの家庭もそうなのかもしれませんが、娘たちはよく喧嘩をします。喧嘩をする声にうんざりする毎日でしたが、あることを実践したら喧嘩が長引かなくなったうえに、私のイライラも軽減されました。怒りが爆発したママのとった行動を娘さんたちの反応と合わせてご紹介します。 わが家の喧嘩事情毎日のように姉妹喧嘩をする娘たちですが、喧嘩の原因は本当にささいなことが多いです。例えばどちらがテレビを消すか、どちらがどの食器を使うかなど、私にとってはどうでもよいと思えることばかり。 「どっちでもいいでしょ」と言ってもお互い譲る気はありません。次女はイヤイヤ期真っ盛りなので、細かいことにこだわるのはまだわかります。でも長女はもう小学校1年生。そこは自分より幼い妹に譲ってほしいなと思ってしまいます。 喧嘩を仲裁するとしかし、わが家では「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言い方しないようにしています。私は平和的に解決できればと思って、「さっき〇〇(長女)がテレビを消したんだから、次は〇〇(次女)が消したら?」「こっちの食器もかわいいから、こっちは?」など、なるべく公平を期すような声かけをしていたつもりです。 でもそれではうまくいきません。我慢を強いられたほうは「お母さんが優先してくれなかった」と感じるのか、頑なになるばかりでした。 もう知らない!とキレたら…私は娘たちの気持ちや状況に配慮して仲を取り持とうとしているのに、喧嘩が収まらないことに徒労感を覚えていました。そしてある日、私はキレて「もう知らない! あとは自分たちで解決して」と言い残し、自室に閉じこもることに。 すると2人は、わりとすぐに「仲良しだよ。もう喧嘩してないよ!」と笑顔で部屋まできました。どうやら私が本気で怒っていることを察したため団結し、どうにかしようとしたみたいです。 仲裁は必要なかった?何回かそのようなことを繰り返すうちに、私は自分が喧嘩を大きくしているということに気がつきました。私が介入すると私の意見に従わせることになり、娘たちは余計に意固地になっていたようです。 そのため今では「2人で考えて、仲直りしたら教えて」と言い、離れたところから様子を伺っています。すると、長女がきちんとリードして2人で解決法を考えるのです。2人とも私が離れることにより冷静になる感じがします。 仲裁しないと私のストレスがたまらないばかりか、早く喧嘩も収まります。「子どもの喧嘩に親は口を出すな」という言葉は友達同士だけではなく、兄弟姉妹にも当てはまるのだなと思いました。自分たちで考え、自分たちで解決すると納得感があるのでしょうか。今後も娘たちが喧嘩を始めたら、適度に距離を置こうと思います。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子 著者:小川恵子6歳と2歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年12月01日当時1歳の息子を義実家に連れていったときのこと、義母は決まって息子の離乳食を手作りしてくれています。料理好きな義母の離乳食はとにかく豪華! そんな離乳食とともに義母からは「手作りしないとね」とチクリ。義母の豪華な離乳食に圧倒された体験談です。 義実家へはベビーフード持参義実家へ行くといつもお昼ごはんを食べるので、1歳の息子用に市販のベビーフードを持っていきます。家でのごはんは手作りとベビーフードの半々くらいの割合なのですが、義実家などに出かけるときは手間のないベビーフード一択でした。 ある日息子が1歳を過ぎたとき、義実家に行くと、「息子用に」と義母がおかゆを用意してくれていました。食欲旺盛な息子は義母の作ったごはんもペロリ。それを見た義母はうれしそうに「おいしかった? おいしかった?」と何度も話しかけていました。 料理上手な義母の手作り離乳食それからというもの、息子を連れて義実家に行く際は、必ず義母が息子の離乳食を作っておいてくれるようになりました。10種類の野菜が入ったおかゆに、野菜をうさぎの形に切って柔らかく煮た物、星の形のハンバーグに生のトマトから作った手作りケチャップまで……。どれも手間がかかっていて豪華な離乳食です。 「ありがとうございます」と言いながらも、内心「こんなに手の込んだもの作ったことないよ……」と義母の張り切りように圧倒されていました。さらに義母は毎回「こんなの大したことないわよ。息子くんのためなら時間も手間も惜しくないわ。毎回レトルトじゃ味気ないしね」とにっこり言います。 トライしてみて至った結論義母の豪華な離乳食を受けて、「もう少し私も頑張ったほうがいいのかな?」と思い、いつもより料理に時間をかけてみることに。ただ、頑張って野菜をかわいく切ったりしていると、4歳の娘からは「まだー? 遊ぼー?」の声と、1歳の息子から抱っこを求める声が……。その声を聞いて「あれ? 子どものためにしていることなのに子どもたちを放って私は何をしているんだろう……」と思い至りました。 その結果、やはり息子の料理はこれまでのままでいくことに。手の込んだ料理よりも子どもたちとたくさん遊んで関わることのほうが、私にとっては大事なんだなと再確認した瞬間でした。 義実家で手作り離乳食を振る舞われるたびに義母から子どもの食事についてチクリと指摘されますが、そのたびに「家だと子どもの相手優先で、なかなか難しいんですよ!」と笑って返しています。義母が私の返事をどう受け取っているかはわかりませんが、これからも義母の厚意だけありがたく受け取り、批判的な言葉はスルーしていこうと決めています。 作画/ぐら子著者:山口花2017年生まれの女の子と、2021年生まれの男の子のママ。夫の地元で個性的な人たちに囲まれながら育児しつつ、教育系ライターとして活動中。
2022年11月28日第1子出産のとき、急きょ帝王切開に切り替わりました。初めてのことに緊張と不安・戸惑いの中、私は出産。赤ちゃんと私にひとまずは問題なく、すぐに母子同室になり幸せを嚙みしめていました。しかし、ほっとしたのもつかの間、傷が痛んで起き上がれない私の体を心配して面会を控えた実両親とは反対に、数時間後に面会に来るという義両親に私は違和感を抱きました。 帝王切開で無事出産。傷が痛む中の面会出産時、赤ちゃんの心拍が低下し始めるという事態になり、緊急帝王切開に切り替わりました。夫が病院に駆けつけたのですが間に合わず、私は不安の中出産。赤ちゃんの顔を見たときには安堵したことを、今でも鮮明に思い出します。 両家両親には事後報告をし、私の両親は「大変だったね。体休めて」と言って、面会は翌日にすると連絡をくれました。義両親は数時間後には揃って面会に来ると言い、疲れている私は乗り気ではありませんでした。 予想以上の面会時間に身も心もボロボロ…面会に来た義両親は孫にべったり。私はおなかの傷が痛くてつらかったのですが、義両親が話しかけてくれば相槌をうっていました。「寝ていていいよ」と言われても、遠慮して会話は続けました。 30分ほどで帰ってくれるかと思っていましたが、まったく帰る素振りのない義両親。夫から促す様子もありません。私は疲れからか急に眠くなり「どうして体のつらさを誰もわかってくれないんだ」と、イライラと悲しみの感情がどんどん溢れてきました。 イライラから助けてくれた看護師さんそんなときに看護師さんが体調チェックに。悪露(おろ)を見るので夫たちには一旦部屋の外に出てもらい、そのとき私は思い切って看護師さんに経緯を話しました。すると看護師さんから義両親に帰ってもらうように伝えてくれることになり、義両親はその後すぐに帰って行きました。 後日「長居してごめんね」と義両親から謝りの連絡が来ました。純粋に孫の誕生を楽しみにしてくれた気持ちがわかったので、イライラが長引くこともなかったです。 面会に来てくれたのに帰ってほしいなんて言えなかった私が、看護師さんや助産師さんに相談する手段をもっと早く知っていたら、気持ちがラクになっていただろうなと思います。赤ちゃんの誕生はうれしいことなので、面会に来てくれるならば前もって「短時間でお願いね」など伝えておくと、お互いに気持ち良く過ごせるなと勉強した出来事でした。 作画/ぐら子著者:樋山ゆり菜6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。
2022年11月06日私には4歳の息子がいます。息子は昔から人見知りで警戒心が強い子でした。息子が1歳だったころのこと。息子は家でママと絵本を読んでいる時間が一番好きな子でした。しかし、私には公園でお友だちと一緒に楽しそうに遊んでいる親子がうらやましく思えてしまい……。 息子の人見知りのせいでママ友ができない息子が1歳のころ、引っ越してきたばかりで、私には近くに知り合いがいませんでした。そのため、公園に遊びに行ってママ友ができたらいいなと期待していたのです。しかし、私が他の親子に近づくと人見知りの息子が大泣き。私はまともに他の親子と話をすることもできませんでした。 無邪気にお友だち同士で遊んでいる子どもたちを見ると、「うちの子がもう少し社交的な性格だったらよかったのに……」と、息子の人見知りのせいで私が苦しめられているように思ってしまうことも。 親子だけでできる楽しみを見つけてお友だちと一緒に遊ぶことのできない息子の姿を見ていると、このままではずっと人見知りが治らないのではないかと心配になる毎日。人見知りな息子はお友だちがいる公園に入ることを嫌がるので、公園の外からお友だちの遊んでいる様子を眺めたり、道端でお花や小石を拾ったりと、人の少なそうなところばかりで遊んでいました。 息子はもともと本が大好きだったのですが、散歩から家に帰ると、散歩中に見つけた虫や車を図鑑で探すのが親子の楽しみでした。 4歳になった息子はクラスのまとめ役に図鑑に興味を持つようになってから息子の語彙力が一気に増えて、2歳ごろには大人と対等に話ができるようになっていました。息子はその後幼稚園に入園し、しばらくは人見知りをしていましたが、数カ月後の4歳になるころには自然と人見知りがなくなりました。 幼稚園でお友だちとうまく打ち解けられているのか心配していましたが、担任の先生に聞いたところまったく心配ないとのこと。息子は周りをよく見ていて、話もじょうずなので、クラスのまとめ役として頑張っているようです。あんなに人見知りだった息子がまさかまとめ役になっているなんて思いもせず、息子の成長に私は驚かされました。 社交的な子どもたちに憧れて息子を公園に連れて行っていましたが、息子には自分なりのペースがあったようです。息子はお友だちと直接遊ぶことはしませんでしたが、遠くからお友だちの様子をじっと観察していたのです。人見知りの時期に培った観察力や言語能力が息子の長所だったのだなと、息子が4歳になり私はようやく気がつきました。 作画/ぐら子著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。
2022年08月31日結婚を機に出身地から離れ、右も左もわからない未訪問の地へ。間もなくして妊娠が判明。「子どもとおでかけしたい」「お揃いの服とか着たいな」。そんな想いで日々SNSでキラキラしたママたちを見て、出産後の妄想をしていました。しかし、土地勘のない場所では、毎日の育児と家事をこなすので精一杯。キラキラしたママとはほど遠く、孤独な日々を送ることに。孤独な子育てをどう乗り越えたか、私の体験をお伝えします。 イメージトレーニングはできていたのに出産までは、SNSで検索したベビーグッズを集めたり、プレママ講座に出かけたりと、マタニティライフを楽しみながら過ごしていました。里帰り出産後、子どもが生後3カ月から自宅での子育てスタート! 日中は子どもと2人きり。初めての育児に必死で、毎日家から一歩も出ない……そんな毎日の繰り返しでした。「SNSで見たママは、オシャレしてママ友とベビーカーで散歩してたのに」「もっと友だちとおでかけできるはずじゃないの?」……イメージしていた理想と現実の違いを受けて、次第にネガティブな考えをもつようになりました。 焦りと孤独で周りが見えない同じことを繰り返す毎日。周りに知り合いもなく、もちろんママ友もいません。子どもの友だちを作るためにも外に出なきゃ! と思ったものの、自宅付近の支援センターや遊べる場所を知らないことに、そのとき気づきました。焦りを感じながらも自宅に戻って1カ月後、まずは最寄りの支援センターを調べてすぐに行ってみることに。 しかし、訪れた日はそれぞれのグループで遊びに来ていて、私は子どもと2人で遊びました。「これじゃ家と一緒だな」そんな想いで、逆に孤独な気分になり、それから支援センターへ行くのもおっくうに感じるようになりました。その後、子育てイベントにも参加しましたが、孤独から抜け出したいという焦りで自分自身いっぱいいっぱいになっていました。 みんなと一緒じゃなくていい実家が遠方のため、実母に悩みを聞いてほしくても手段は電話のみ。ときには泣きながら電話をかけ、子育てに関する悩みを聞いてもらっていました。自宅に戻って3カ月後、大型連休にあわせて実家に帰省することに。顔と顔を合わせて相談すると、溜まった想いがどんどん込み上げて、実母に素直な想いを伝えました。 「無理してみんなと同じようにしなくていいんじゃないの?」実母から言われたひと言は当たり前のようですが、そのときの私にとっては衝撃的なひと言でした。「子育てだって、人それぞれ違っていいんだ」と気づくことができました。 自分のペースで少しずつ自分のペースで子育てしていこうと考え直し、無理して居場所を探すことをやめました。その後、子どもが生後6カ月で習い事教室に通うことになり、徐々に地域の子育て事情を知り、育児について共感しながら話せる場を作れるように。それと同時に子どもにも同月齢のお友だちができ、楽しそうに遊ぶ姿を見て、「キラキラしたママじゃなくても楽しそうならいいや」と思えるように。 ささいなきっかけですが、それだけでも孤独を感じることが少なくなり、日々の子育ての刺激にもなりました。今思えば、孤独から抜けだしたいというより、SNSで見たキラキラしたママになれるような居場所を見つけたかっただけなのかもしれません。 キラキラしたママへの憧れは、まだあります! 以前の私はそれを求めるがあまり周りが見えず、素直に子どもの成長を喜ぶことができませんでした。今でも一対一で子どもと向き合っていると、周りには誰もいない……と孤独を感じてしまうこともあります。ですが他とは比べないように、「私は私」と割り切ることで自分のペースに合った育児ができるようになりました。 作画/ぐら子著者:吉田史香3歳と0歳姉妹のママ。夫の実家と敷地内同居中。実家は県外遠方。出産前まで、診療放射線技師として病院やクリニックでの勤務経験有り。育児や美容、地域情報に関する記事を執筆中。
2022年06月24日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女は1歳半のころ、電車やバスが大好きでした。そんな長女の好きな物を聞いた義母が「やめさせたほうがいい」と言い出し……。そして私にとって衝撃的な発言をし、驚かされた体験談です。 長女1歳半、電車にはまる長女は1歳半~2歳手前まで電車やバスにはまっていました。児童館や子育て支援センターに行くと、まず遊ぶのは電車やバスのおもちゃ。おままごとやぬいぐるみで遊ぶのに興味がないわけではないのですが、一番好きなのは電車やバスのおもちゃで遊ぶことでした。 「女の子なのに珍しいね」と言われたりもしましたが、私自身はそのことを気にかけることもなく、「そんなに好きなら」と駅まで電車やバスを見に行ったり、電車やバスのおもちゃを買ったりしていました。 「将来が心配! やめさせたら?」と義母義実家へ遊びに行ったとき、「長女は今、電車やバスが好きなんです」と言うと、義母が怪訝そうな顔をしました。そして「え、それって大丈夫なの? 女の子なのに電車が好きなの?」とのこと。私が「そうですね。最近好きですね」と答えると「将来男性みたいになったらどうするの?」という意味合いの差別的な言葉を言われました。そして「そうなったら大変だから、やめさせたほうがいいんじゃない?」と……。 電車やバスが好きだから男の子っぽくなるという考えにも驚きましたが、「なりませんよ」というのも違うし、仮になった場合でも「なってもいい」のという私の思いを伝えたところで義母が納得してくれるかわからなかったので、何と言うのが良いのか考えた末、「そうですかねぇ」とあいまいに答えてしまいました。 改めて思う「どうあっても愛しいわが子」義母の発言は改めて夫と話す機会になりました。「将来長女が男の子になりたいって言ったらどうする?」と夫に聞くと、「応援する」とのこと。夫が私と同じ考えであったことにうれしく思いました。 女の子が男の子のようになることは特別なことではないと思います。ただ、義母のような考えの人もいるのだなとわかり、私も夫も「女の子は女の子らしく」と押し付けるのではなく、「できる限りそのままの長女を受け入れられる親でいよう」と改めて思いました。夫婦で長女への考えについて共有することができてよかったと思います。 義母の発言は、私たち夫婦で子育て方針を共有する良いきっかけになりました。今3歳の長女はおままごとも好きですし、電車やバスも好き。何より工作が一番好きな女の子です。これからも長女が好きなことに敏感に、大切にして育てていこうと思っています。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年06月24日私の義両親はいつもとても穏やかで、結婚以来、嫌な思いなどしたことがありませんでした。しかし第1子の出産時のことはいまだに忘れられません。わが子を守ろうとするあまり、周囲に攻撃的な気持ちを向けてしまう産後の「ガルガル期」だったのかな、とも思うのですが当時は本当に嫌でした。 今日もですか?毎日毎日来られても…陣痛が始まり入院したのは早朝でしたが、お昼前には義両親が産院に現れました。気を使うし、苦しんでいる姿を見せるのも嫌だったのでなんとか帰ってもらいましたが、夕方に無事子どもが生まれると、再び産院にやってきたのです。 孫の誕生に感激している姿にこのときはうれしく思ったのですが、まさか退院するその日まで連日義両親が病室に現れるとは思ってもみませんでした。「会いに行ってもいい?」と事前に連絡はくれるものの、「嫌です」とも言えず毎日義両親の顔を見て過ごしました。 まだいるのですか?ずっといられても…連日病室に現れる義両親。「毎日ごめんなさいね。ちょっとでも顔が見たくて」と申し訳なさそうにはするものの、一度子どもを抱くと離しません。私は退院後は実家に里帰りをする予定だったので、「じっくり子どもと触れ合えるのは今しかない」という思いも義両親にあったのだとは思います。 そうだとしても毎回毎回、面会時間いっぱいまで粘られるのは産後の体力的にもとてもきつく、途中から「面会時間が変更になった」と嘘をついて、短時間で済ませられるようにせざるを得ませんでした。 なんでこれ!?大量の差し入れに衝撃「母乳にはあんこが良いのよ」と義母が買ってきたのは、箱に入った大量のたい焼きでした。とてもひとりで食べきれる量ではありません。ましてや「食べ物の差し入れは保管に困るから遠慮したい」と伝えていたのに、まったく聞く耳を持っていない様子にがっかりしてしまいました。 さらに助産師さんからは「食べ過ぎないでね」と注意されたばかり。どうしたものかと途方にくれました。結局、その後に面会にきた夫にこっそり持って帰ってもらうほかありませんでした。 すべては義両親の孫を思う気持ちゆえの行動だとわかっています。それでも心身ともに疲れ切っていた出産直後の私には、泣きたくなるほど嫌なことばかりでした。子どもが大きくなった今では笑い話ですが、それでも思い出すとあのころのつらかった気持ちが少しだけ蘇ります。将来、子どもやそのパートナーが出産したときには、私も気をつけようと今から思っています。 作画/ぐら子著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年05月27日