上皇ご夫妻のお出ましが二重権威を生んでいる……、そんな報道に苦悩されている美智子さまを支えるため、雅子さまは天皇陛下とともに、心温まる提案を――。1月2日の新年一般参賀には、上皇ご夫妻も出席された。しかしその中で、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。午前中の3回目のお出ましで、にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません」(皇室担当記者)だが、そんなハプニングにも、雅子さまは上皇ご夫妻をフォローするお気遣いをなさっていた。「雅子さまは上皇ご夫妻に身を乗り出して『どうぞ、お手振りを』とお伝えするような身ぶりで、声をかけられたのです。そういったやりとりで安心されたのか、3回目では美智子さまがお手振りされる時間も、1回目、2回目より長くなっていました」(前出・記者)宮内庁の説明では、美智子さまの嘔吐の症状は現在では治まっているという。ただ、美智子さまのご心痛が続いていることは一般参賀のご様子からも明らかだろう。そんな中、皇室ジャーナリストは、天皇陛下と雅子さまが、上皇ご夫妻にある提案をなさるのではないかと語る。「上皇ご夫妻は例年、2月ごろに葉山御用邸でご静養になります。このご静養に、天皇ご一家もご一緒する可能性があるのです。2家族“合同”でのご静養となれば、’02年8月以来、実に18年ぶりとなります」長い間“合同家族旅行”は行われてこなかったわけだが、これには理由があるという。「一つは、雅子さまが適応障害で療養に入られ、なかなかご体調が優れなかったためです。もう一つの理由は、上皇陛下が在位中であったためです。不測の事態を避けるため、在位中の天皇と将来の天皇である皇太子が、一緒に出かけ、宿泊する機会は非常に限られていたのです。しかし、上皇陛下は退位されました。そのため、2家族がおそろいで旅行されることにハードルはなくなったのです。“二重権威”などと報じられて、天皇ご一家と上皇ご夫妻との間に溝があるかのような印象を持った国民も少なくないでしょう。雅子さまの新たなご提案は、そういった声を払拭することにもつながるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)お忙しい中でも、天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻への気配りを欠かさないのだという。宮内庁関係者が言う。「12月23日の上皇陛下の誕生日には、愛子さまも連れて吹上仙洞御所を訪問されています。さらに12月27日には、上皇ご夫妻をはじめ、ご親族を招いた昼食会を開かれています。天皇皇后両陛下は、この前日に日帰りで福島県と宮城県の豪雨被災地を訪問され、たいへんお疲れだったと思われます。それでもこの昼食会を開かれたのは、昨年、象徴としての務めを終えられた上皇陛下、そして美智子さまを労うお気持ちゆえだったのでしょう」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日「美智子さまは、上皇ご夫妻の行動が“二重権威”を生じさせているとの報道を、たいへん気にされているご様子と感じました」そう語るのは、1月2日の新年一般参賀を取材した皇室担当記者。6万8千人もの参賀者が訪れる中、天皇陛下や皇族方は笑顔でお手振りをされていたが、美智子さまはどこか遠慮がちだったというのだ。参賀に訪れた70代の女性もこう言う。「上皇陛下と美智子さまのお元気なお姿を拝見できてよかったです。でも、美智子さまはあまり手をお振りになりませんでした。やはり天皇陛下や雅子さまより目立たないようにと、気を使っていらっしゃるのでしょうか……」昨年12月に宮内庁は、美智子さまが9月から複数回にわたり血の混じった嘔吐をされていたと公表した。精神的なストレスが原因とみられ、とりわけ天皇皇后両陛下との“二重権威”を指摘する報道がショックだったという。宮内庁関係者が、こうした報道についての見解を語る。「たしかに上皇ご夫妻は、退位された5月以降もたびたびお出かけされ、そのご様子が報じられています。しかし報道されているのは、上皇ご夫妻のお出かけのほんの一部だけでしょう。一般参賀への出席について『退位されたはずなのになぜ?』と疑問に思った人もいるかもしれませんが、元気なお姿を国民に見せる機会は必要だと思います。上皇ご夫妻も宮内庁も、そのように考えたのでしょう。ただ12月23日の上皇陛下の誕生日に、総理大臣をはじめ三権の長が吹上仙洞御所に足を運び、上皇陛下に祝意を述べています。天皇陛下と同じように国のトップたちから直接挨拶を受けることについては“二重権威”との指摘があっても仕方がありません。宮内庁も、もう少し慎重に検討すべきではなかったでしょうか」実は一般参賀では、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。5回あるお出ましのうち、上皇ご夫妻は午前中の3回にお出ましになった。その最後となる、3回目にその場面はあった。にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。いったいそのとき、何があったのか――。目撃した前出の記者が言う。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません。ただ、上皇陛下は天皇陛下に先んじたわけではありませんし、気づいた人も多くはないはずです。美智子さまが“二重権威”という批判を非常に気にされていることがうかがえたシーンでした」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。「とっても、よいお花ね」電話口から聞こえてきた美智子さまの嬉しそうな声に、美智子さまと文学を通じて30年以上の親交のある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)もまたほほ笑んでいた。花とは、末盛さんが御所に持って行ったリンドウのことだ。そんな、素朴で清楚な、青紫の一輪の花にも心寄せる美智子さまをバッシングが襲ったことがあった。皇后となってから5年目の10月、心ない批判報道によるストレスで倒れ、59歳の誕生日にお声を失われる。末盛さんが、葉山の御用邸に見舞った時のことだ。「あまりにおつらそうなご様子に、つい、『専門家の助けを借りることはできませんか』と、口にしてしまいました」すると、美智子さまは、かすかに聞き取れるかどうかの声で、「お医者さまには守秘義務があるとしてもね、すべてを出さないと(カウンセリングが)成り立たないから、それはできないのよ」それから、さらに声を絞り出すようにして、『でんでんむしのかなしみ』の話をしたのだった。誰の背中にも悲しみがいっぱい詰まっているという、この新美南吉の童話を初めて聞かされながら、末盛さんは思った。「この方は、これほどの苦難さえ、お小さいころに聞いた物語で乗り越えようとなさっている」5年後、美智子さまは、インドのニューデリーで行われたIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会で、この『でんでんむしのかなしみ』の話を柱としたビデオによる基調講演を行い、世界中に子供時代の読書の大切さを伝え、やがてそれが『橋をかける』という一冊の本に結実する。この本を製作する過程では、こんな場面もあった。「私たち、同じ本を持っているのね」偶然、編集を担当した末盛さんと同じ書籍を持っていることを知り、嬉しそうな声を上げたという美智子さま。「まるで女学生同士のような、純真なお喜びようでした。同時に、私たちには特別なことでもない、好きな本について語り合うお相手もいなかったのだろうかと思ったんです。周囲には、いつも献身的にお世話をする方々もいますが、それぞれの立場もあり、そう簡単にはお気持ちを外に出すわけにはいかないのかと思います」末盛さんは、そこには我々の想像を絶する孤独があるのではないかと推し量る。「だからこそ、悲しい思いをしている人にも、より一層深く寄り添うこともできるのではないでしょうか。私が、お電話などで時々お話をして、少しだけでも気がお楽になれるのでしたら、それは嬉しいことと思うのです」陛下が譲位を終えられて以降、最近の電話での会話は、気づくとかなり長いこともあるという。そんななか、上皇陛下が、最近、こうおっしゃるのだと、美智子さまが末盛さんにふと漏らされることがあった。「あなたと結婚できて、私は、本当に幸せだった。あなたも、そう思ってくれているといいんだけど」寄り添い続けた「祈り」は、令和の時代にも引き継がれていくーー。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月31日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。19年5月に『上皇后陛下美智子さま心のかけ橋』を出版したメディアプロデューサーの渡邊満子さん(57)は、4月に御所に伺ったときに美智子さまのこんな言葉を聞いた。「私は、5月まで、自分の体がもつかどうか心配なのです。でも、5月まではなんとかと思っておりますけれども」陛下のご譲位まで後1カ月という張りつめた時期でもあった。「その後に乳がん、白内障の手術があったことを考えても、また2度のお引越しも控えていて、お疲れも極限状態だったと思います。しかし、そんななか、こう言葉を続けられたのでした」美智子さまは、おっしゃった。「陛下のお心とお体のお疲れを総合的にわかるのは、私しかいなかったから……」渡邊さんは、ご夫婦の絆の深さを改めて知らされたという。「それは、『譲位のあとも、私が陛下のおそばでご健康を見守っていきます』という決意のお言葉だったと思うんです。その証拠に、譲位後に乳がん手術を終えると、わずか2日で退院なさいました」ご成婚前、美智子さまは、陛下の「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」というお言葉に、これまで読んだどの小説の中にも「このように寂しい言葉はなかった」と思われ、「力を尽くしてあたたかいホームを作ろう」と心に誓われた。その後、お子さまが誕生してからも、乳人制度を廃止して、ご自分で子育てをするなど、公務でもご家庭でも、ときに周囲の反対や軋轢と闘いながら、ご自分たちのスタイルを大切になさってきた。「美智子さまは、お子さまが赤ちゃんのころ、夜泣きすると、納戸のようなお部屋であやしながら、一晩をお過ごしになったこともあったそうです。ご自分たちの道を選択するというのは、その責務も背負うことですね。そんなとき、上皇さまと上皇后さまは、同志として支え合ってこられたのです」母として、また妻としての心配りと実践も、美智子さまらしく、ひたむきでいらしたという。文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)は続ける。陛下に前立腺の病気が発見された03年ごろの電話でのことだ。「お医者さまに生の玉ねぎがいいとアドバイスされたそうなんですが、美智子さまが、『そんなに生で食べられるかしら』とおっしゃって。ちょうど、地元の盛岡のおそば屋さんに“オニオンそば”という名物があったんです。その話をしましたら、とてもご興味を持たれたんです」早速、作り方の説明をする末盛さんだった。「玉ねぎのスライスにかつお節をふって、味ぽんなどをかけて召し上がるとおいしいですよ」「えっ、味ぽん!?」驚いたような口調で返ってきたという。「“味ぽん”を、初めてお聞きになったご様子でしたね。私もちょっと驚きましたが(笑)。でもその後には、その盛岡のそば屋さんから直接レシピを取り寄せお送りするなどして、お手伝いしました。そこまで陛下のお体を気遣っていらっしゃるのだと知って、また驚いたからです」ここ数年、美智子さまがお好きだとおっしゃる言葉がある。《静かに行くものは健やかに行く健やかに行くものは遠く行く》イタリアの経済学者の言葉だそうだ。親しく交流のある末盛さんも、渡邊さんも口を揃えて言う。「いまのご自分の思いと、相通じるところがあるのではないでしょうか」「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月30日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。《「生きてるといいねママお元気ですか」文に項傾し幼な児眠る 》11年の東日本大震災後、津波で両親と妹を奪われた4歳の女の子の新聞記事を見て、いじらしさに心打たれた美智子さまが詠まれた「手紙」と題された御歌である。平成は、戦争のなかった時代として人々の記憶に刻まれるだろうが、一方で地震や台風など多くの大災害に見舞われている。そのたびに、上皇ご夫妻は避難所となっている体育館の床の上に膝をつかれて、被災者に語りかけてこられた。阪神・淡路大震災から14日後の1月31日。余震も収まらないなか、神戸市長田区の菅原市場を訪れた美智子さまは、その帰りのバスの窓から、見送る住民たちに向かって、両手を握りしめ、2度振り下ろすジェスチャーをされた。この「頑張ってください!」という手話は、被災者だけでなく、日本中を勇気付けたものだ。お二人が天皇皇后となられ最初に訪れた被災地が、91年の長崎県・雲仙普賢岳の噴火災害の現場。このとき両陛下が両膝をつかれて被災者と話す光景があったが、そのお姿に感銘を受けたというのが、本誌の皇室担当記者で皇室ジャーナリストの近重幸哉さん(58)。「上皇ご夫妻がお若かった昭和の御代、皇太子と皇太子妃時代ですが、子供たちの施設などを訪問された時も、美智子さまは、相手と視線を合わせるために膝をつかれていましたが、上皇陛下は、傍らでお立ちのままでした。ですが、平成となり被災地へのご訪問が続くなか、両陛下で膝をつかれるスタイルが定着しました。当初は『天皇陛下が膝をつくというのはいかがなものか』といった声もありました。しかし、その後も平成流といわれたその寄り添われ方を貫かれたのです」美智子さまと、文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)も語る。「上皇陛下は、ご自分で“世事にはうとい”ということもおっしゃっていましたね。訪問された現場での美智子さまの雰囲気を察し、その方がいいと共感されて、ということはあったと思います。美智子さまが、人々の悲しみに気持ちを寄せられるというのは、持って生まれた資質もあるでしょうが、お若い頃の精神科医の神谷美恵子さんとの交流や、聖心女子大学での体験、そして『子供捨てるなら正田の門へ』という言い伝えがあるほどのご実家の影響もお強いのではないでしょうか」喜びにつけ、悲しみにつけ、常に誠実な思いとともに人々に寄り添われる美智子さま。そのお姿に、「象徴」の真の意味を教えられた人々は、どれほどいることだろう。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月29日乳がん手術の経過が心配されていた美智子さまに、さらなるご体調の不安――。発症から3カ月間にわたる“沈黙”にあった悲痛と、雅子さまへの思いとは……。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます。上皇職の見解では、詳しい原因はわからないものの精神的なストレスが原因になった可能性が高いとのことでした」美智子さまを苦しめた“精神的ストレス”の原因となったのは、いったい何だったのだろうか。皇室ジャーナリストは、美智子さまは孫である眞子さまと小室圭さんの長引く結婚問題を憂慮されているのではないかと語る。「やはり眞子さまの結婚問題については、美智子さまもたいへん心配されているようです。秋篠宮ご夫妻が結婚に反対する一方、佳子さまは眞子さまを応援する姿勢を示されています。“小室さん問題”をめぐって秋篠宮家が分裂してしまう――。そういった危惧を、美智子さまもお持ちなのではないでしょうか」しかし宮内庁関係者は、ストレスの原因はほかにもあるとの見解を語った。「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」上皇ご夫妻はこれまで、お体の不調に関してもなるべく公表されてきた。だが、嘔吐の症状が出始めたのは9月のことだというのに、美智子さまはなぜ12月中旬までずっと沈黙を守られていたのだろうか?前出の宮内庁関係者は、皇后となられた雅子さまへの配慮があるのではないかと語る。「9月から12月上旬にかけて、天皇皇后両陛下はたいへんな過密日程でした。適応障害からの快復途上にある雅子さまは、即位に関連する一連の儀式に臨まれることに、大きなプレッシャーがおありだったはずです。すべての儀式が終わったのが12月4日、そして雅子さま56歳の誕生日が9日でした。雅子さまが皇后としてのお務めに集中できるように――。美智子さまはそうお考えになって、症状の公表を遅らせたのではないでしょうか」深く傷つかれ、嘔吐に耐え続けながらも、美智子さまは新皇后を思いやり続けられていたのだ。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日今年9月以降、美智子さまが血の混じった嘔吐を複数回されていた――。宮内庁の上皇職が衝撃的な発表をしたのは、12月13日の夕方に開かれた会見でのことだった。皇室担当記者が語る。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。また6月の検査では心不全の判断指標となるBNP値が上昇していました。この数値もいまだに改善がみられないそうです。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます」美智子さまの側近から伝えられた“異変”の数々――。その原因についても言及があったという。「上皇侍従次長は今回の会見で、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として胃に負担がかかった可能性があると説明しています。美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです」(宮内庁関係者)昨年の5月、宮内庁のホームページで「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」と題された文書が発表された。一部の週刊誌で、眞子さまの結婚についての美智子さまの発言とされる文言が掲載されていることについて、宮内庁は《これまで両陛下は共に首尾一貫このことに関し一切発言を慎まれてこられました》と反論。「’93年に、美智子さまに対するいわれなきバッシングが続き、ついには数カ月にわたって美智子さまは声を失われてしまいました。当時、新しい御所の建設が計画された際に、昭和天皇が愛された自然林が美智子さまのせいで丸坊主になった、といった内容でした。しかし、実際には美智子さまはこの建設場所決定にいっさい関与していなかったのです。こうした事実と異なる報道に苦しまれた経験もあって、美智子さまはご自分やご家族が週刊誌でどのように報道されているのか、非常に気にされていらっしゃいます」(前出・宮内庁関係者)美智子さまの“肉声”とされる文言を多数掲載するような記事はいったん減少するが、御代替わり後から美智子さまに批判的な記事が増加し始める。たとえば即位パレードの延期について《上皇后美智子さまのご意向が強く反映されていた》などと、宮内庁は雅子さまより美智子さまの意向が優先される「二重権威」状態であるとの報道も散見された。さらに、御代替わり後にはインターネット上でも心ないコメントが急増している。ツイッター上には次のような信じがたいツイートも見られた。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししたりしないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》さらに、今回の美智子さまの嘔吐を伝えた記事にさえ、ヤフーニュースのコメント欄には、ご体調を気遣うどころか、目を疑うような文言が並んでいる。《もういいよ、そういうの。引っ越し延期の言い訳でしょ》《一線を退いたのにストレスとかあるんですか?度々お出かけになられている様ですが、自宅でゆっくり静養してください》美智子さまは雅子さまをいじめてきた、雅子さまへの嫌がらせで皇居からの引っ越しを拒否している――。そういった趣旨の書き込みが、ネット上にあふれているのだ。ご友人がフェイスブックに綴っていた介護日記を閲覧されるなど、美智子さまは以前からインターネットを利用されている。心なき誹謗コメントの数々をご覧になっている可能性も高い――。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日タレントの上原さくら(42)が12月15日に、ブログ内で3度目となる結婚を発表した。『クリスマスのお買い物☆』と題したブログの後半で、《今年のクリスマスは家族と一緒に過ごします》と切り出した上原。《実は先日結婚したので(相手の方は一般の方です。私も一般の人間ですが。)夫と過ごすクリスマス》と明かした。続けて《ブログでお伝えするべきなのかしばらく考えていたのですが、いつも私生活の一部をブログ記事にしているのに、結婚した事をこの先ずっとお話ししないのも不自然かなと思いまして、思い切ってアップしてみました》とつづった。上原といえば、03年にアパレルメーカー社長と結婚したが09年に離婚。11年には建築関連会社社長と再婚。しかし、調停の末に13年4月に離婚が成立した。また同じ頃には所属事務所との契約が終了し、事実上の引退状態だった。しかし、15年4月からは38歳で志望大学の英文科に入学。16年3月からは現在の事務所に所属し、新たな出発を果たした上原。また同年4月にはブログも再開し、フォロワーは4万6千人を超えている。そんな上原は16年4月に本誌に登場し、再出発への思いをこう語った。「私は38歳で大学に入りました。最初は無理かと思いましたが、やってみたら意外とできた。だから何かをやるのに年齢は関係ない」また、結婚観についてもこう明かしていた。「特にこうありたいと思っているわけではありませんが、結婚は何回してもいいと思います」人生に制限を設けず邁進する上原に、祝福の声が寄せられている。《さくらちゃん!おめでとう!!!これからも応援させてください!!!》《頑張っているさくらちゃんのこと、いつも応援しています。幸せになってくださいね!》《10年以上前からさくちゃんのブログ見ていました!幸せ報告が聞けてすごく嬉しいです。今さくちゃんが幸せなのが私もすごく嬉しい!お幸せに!!!》
2019年12月17日10月29日、親交の深かった緒方貞子さんの葬儀が営まれ、美智子さまは葬儀が始まる前に弔問された。祭壇には上皇ご夫妻から贈られた花が飾られていた。お2人の交流のはじまりは、美智子さまが高校生だった70年ほど前にさかのぼるという。美智子さまの児童文学を通じての知人で、ジャーナリストとして皇室を取材してきたメディア・プロデューサーの渡邊満子さんは言う。「上皇后さまと緒方さんは、先輩後輩であると同時に『サダ』『ミチ』と呼び合われて、上皇后さまが皇室に嫁がれてからも強い信頼関係で結ばれていました。聖心女子大学初代学長のマザー・ブリットは『世の中の役に立つ女性を育てたい』という教育方針を掲げました。上皇后さまと緒方さんは、その方針を体現するように世の中のために活躍されてきたのです。まさに“日本の誇り”とも呼べる女性たちであると思います」緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した’91年、クルド難民危機が起こった。湾岸戦争によりイラク国内で迫害を受けた100万人を超えるクルド人が、イラクとトルコの国境地帯に取り残されたのだ。国際条約上、国境を越えなければ難民として支援できない。しかし緒方さんはイラク国内のクルド人への支援を決断。揺るがない人道主義を貫いた。安全な場所から指示を出すのではなく、自ら防弾チョッキを着てイラク北部やボスニア・ヘルツェゴビナといった紛争地に出かけ、大規模な救援作戦を指揮する。その行動力は国際的な尊敬を集めた。そうした緒方さんの活躍を美智子さまも気にかけてこられた。’92年のお誕生日に際しては「この一年で印象深かったこと」として《緒方貞子さんの難民高等弁務官のお仕事》を真っ先に挙げられた。「天皇皇后時代の上皇陛下と上皇后さまは、御所に何度も緒方さんを招かれて世界情勢や国連の活動などについて繰り返しお話を聞かれていました。ご自身たちに何ができるかお考えになって、海外青年協力隊などのボランティアで活動している方たちにお会いになり励まされてもいます」(前出・渡邊さん)緒方さんは『文藝春秋』(’03年11月号)に寄稿した文章のなかで、その当時の美智子さまについて、こう記している。《難民やその地域について、恐らく日本で一番ご理解をいただいていると申しても過言ではないでしょう》日本の皇后として世界の悲惨な現状を心配されてきた美智子さま。日本人として国際平和に貢献し続けた緒方さん。二人はお互いをリスペクトし合っていたのだ。上皇陛下が即位され、美智子さまが皇后になられたのは’89年。緒方さんが難民救済や発展途上国への支援に打ち込まれているのと時期を同じくして、美智子さまも人々の平和と安全を願って、行動を示されていた。上皇陛下とご一緒に激戦の地をお訪ねになり、太平洋戦争の犠牲となった戦没者を全身全霊で慰霊する旅を続けられた。そして、日本が災害に見舞われれば、いち早く被災地に足を運ばれて、多くの被災者を前に膝をつき、同じ目線でお見舞いの言葉をかけられた。その行動は“平成流”と呼ばれ、皇室が国民に寄り添い続けることで、甚大な災害が相次いだ日本を大いに勇気づけたのだ。「美智子さまと緒方さんは自分のことを顧みず、弱者のために力を尽くすことを、人間の最高の美徳として、共通の道を歩まれた女性だと思います。緒方さんが天国に召されたことで、美智子さまはとても大きな喪失感を抱かれていらっしゃるでしょう」(前出・渡邊さん)美智子さまの“涙の弔問”には、緒方さんと夢見た平和への思いもこめられていたことだろう。
2019年11月08日冷たい雨のなか、美智子さまが乗られた車がゆっくりと東京都内の教会に入っていった。車窓に映る美智子さまは沈痛な面持ちで、和装の喪服に身を包まれていた――。10月29日、親交の深かった緒方貞子さんの葬儀が営まれ、美智子さまは葬儀が始まる前に弔問された。祭壇には上皇ご夫妻から贈られた花が飾られていた。22日に92歳で亡くなった緒方さん。女性として初めて国連難民高等弁務官を務め、国際協力機構(JICA)の理事長などを歴任し、人道支援、難民救済活動に尽力してきた。上皇陛下の学習院の後輩で上皇ご夫妻とテニスを通じて親交が深い織田和雄さんは、緒方さんとも交流があり、葬儀に参列していた。「緒方貞子さんと私がペアを組んで、上皇陛下と美智子さまのペアと対戦したこともあります。美智子さまと緒方さんは、お二人とも球を追いかけてよく走ります。プレースタイルもよく似ていらっしゃいました」緒方さん本人が『文藝春秋』(’03年11月号)に、美智子さまとの関係をこう寄稿している。《実は、正田ご一家とは古くからのお付き合いで、皇后陛下がまだ高校生でいらした頃、軽井沢のコートでテニスをしていらしたのをよく存じ上げているのです》つまり、美智子さまと緒方さんのご交流はおよそ70年前から続いてきたのだ。《私の母校である聖心女子大学を志望しておいでだとお母様から伺って楽しみにしておりましたところ、ご入学になりましたので、“先輩”“後輩”の間柄になりました》緒方さんの寄稿文には、そんな親しみに満ちた文章もあった。ベテランの皇室ジャーナリストは、美智子さまのお気持ちを推し量る。「当時の軽井沢で、緒方さんは優秀な女子大生として有名でした。美智子さまが聖心女子大学に進学されたのは、7歳年上の緒方さんに“憧れ”を抱かれていたからかもしれません。だからこそ、緒方さんと同じ英文科に進まれ、緒方さんも務めた学生自治会の会長を美智子さまも務められたのでしょう」
2019年11月08日「週刊誌で、美智子さまがトートバッグを持っていらっしゃる写真を見たのですが、もう販売していないのでしょうか?」そんな問い合わせが、『株式会社レオノーレ』に頻繁に来るようになったのは、9月に入ったころだったという。レオノーレは大阪にある音楽グッズを製造・販売している会社だ。担当者は言う。「お客様のお話をよく伺うと、皆さま、『女性自身』を読まれたとのことでした」本誌9月17日号のグラビアページでは、皇室ご一家のご静養先でのご様子を掲載している。美智子さまが8月27日に、毎年恒例となっている群馬県草津町での音楽祭ワークショップにお出ましになった際の写真もその1枚だった。美智子さまはピアノの鍵盤柄のトートバッグをお持ちだったのだが、実はその写真が反響を呼んでいるというのだ。前出の担当者が続ける。「美智子さまが持たれていたのは弊社がかつて製造・販売していたトートバッグでした。25年前から販売をスタートし、3年前に製造を中止しています。ロングセラー商品で、大勢の方に愛用いただきました。お問い合わせは、以前購入いただいた方からの『もう一つ新しいものが欲しいのですが』というものが多いです」鍵盤柄のバッグはけっして珍しいものではないが、レオノーレの製品の大きな特徴は、鍵盤柄がプリントではなく、しっかり縫い付けられており、丈夫でかつ立体感もあることだ。「楽譜の重みに耐えられるように生地も厚手にしています。熟練の職人たちが、裁断から縫製まで、一つひとつを手作業で制作していますので、温かみも感じていただいているようです。音楽好きの方達が愛用されている商品なのですが、美智子さまがなぜお持ちなのかは不明なのです」音楽を通じたご友人からのプレゼントだったのだろうか。それにしてもすでに製造中止になっているのは残念なこと。しかし、担当者は言う。「たくさんのお問い合わせをいただきましたので、期間限定で復刻生産することに決定したのです」
2019年10月16日「美智子さまはご退院後すぐから朝早く起きられて、夜も遅くまでお荷物の整理をされています。あまりに一生懸命やられているので、側近が『ご無理はなさらずに』と申し上げても『そうはいかないのよ』と手をお休めにはならないのです」そう語るのは、最近の上皇ご夫妻の生活を知る関係者。9月8日に乳がんの摘出手術をお受けになったばかりの美智子さまは、すでにお引っ越しに向けた準備を再開されたというのだ。上皇ご夫妻は、現在お住まいとなっている吹上仙洞御所から高輪皇族邸(仙洞仮御所)へ引っ越される予定。そして上皇ご夫妻のお引っ越しが完了しなければ、皇居・御所の改装工事に着手できず、天皇ご一家が皇居にお引っ越しになれないのだ。「美智子さまは、皇居は天皇陛下がお住まいになるところとの思いを強くお持ちです。両陛下に少しでも早く御所を譲りたいとのお気持ちから、ご無理をされているのでしょう。しかし、そうは言いましても吹上仙洞御所には“断捨離”をしてしまえるものなど、ほとんどございません。上皇陛下、上皇后陛下が一つひとつご覧になり、どのように整理すればいいのかを判断なさるほかないのです」(前出・上皇ご夫妻の関係者)前回お住まいを移されたのは、ご即位から約5年後の’93年12月のこと。上皇ご夫妻は赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現・吹上仙洞御所)にお引っ越しされた。そのときの規模を見ると、赤坂御所から運び出された荷物はなんと2トントラック延べ100台分。そのうち4割ほどは宮内庁庁舎に搬入され、御所に運び込まれたのは約6割。今回も同規模、もしくはそれ以上の荷物になると予想されているため、上皇ご夫妻の“私物”は120トンを超える見込みなのだ。しかし、高輪の仮仙洞御所はそれほど広くない。赤坂御用地内に新設された倉庫に運び込まれるものもあるようだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう語る。「外国ご訪問時や来日した賓客からいただいたプレゼント、即位などの際のお祝い品、献上品などは上皇上皇后両陛下の私物になりますが、ご在位が30年という長きにわたりますので、相当な数になっていると思われます」ご贈進品や献上品の一部は、ご即位30年、ご成婚60年を記念した特別展で展示もされた。英国のエリザベス女王から贈られたボウル、オランダのベアトリックス女王からの花瓶など、外国王室からの贈り物の数々。また国内からも、全国に古くから残る伝統的な名産品が献上されており、歴史的文化的にも貴重な逸品が並んだ。そして、それらの品々はただ保管されているだけではないと話すのは前出の宮内庁関係者。「沖縄が日本に復帰した5月15日前後、御所の居間の一角にシーサーが置かれます。雲仙・普賢岳の火砕流、三宅島の噴火、終戦記念日、東日本大震災……それぞれに“ゆかりの品”が飾られます。“思いがこもった品々”が多いので、職員が勝手に手を出すわけにはいかないのです」さらに上皇ご夫妻の蔵書も膨大な量になる。前回のお引越しのときは1万冊といわれた。「ご研究関係の書籍、ご公務関係の資料なども平成23年度に御所に書庫を増築したほどですから、相当な数になっているのでしょう」(前出・山下さん)もちろん書籍に関しても、上皇ご夫妻の指示を仰ぐほかない。お引っ越しの準備が整うまでには途方もない時間がかかってしまいそうだが――。「即位の礼に続き、11月には即位の最重要儀式ともいえる大嘗祭が行われます。天皇陛下と雅子さまもお忙しい日々が続きます。上皇陛下と美智子さまのご体調を案じていらっしゃいますし、決して皇居への引っ越しをお急ぎではないはずなのです」(前出・宮内庁関係者)美智子さまには、お体に気づかわれながらゆっくりと準備を進めていただきたい――。
2019年10月03日乳がん手術から退院された翌日の9月11日、美智子さまは上皇陛下とともに赤坂御所へ向かわれた。紀子さまの53歳の誕生日を祝う夕食会に参加されたのだ。「夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加したのです。清子さんは上皇陛下とともに、手術当日の美智子さまに付き添われました。また、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻もお見舞いの言葉をお伝えになっていました。美智子さまはそうした“ご一家総出”のサポートへの感謝をお伝えになったことでしょう」(宮内庁関係者)ただ、退院翌日に夕食会に参加された理由はほかにもあるのではないか、と語るのは皇室担当記者。「国際親善でのご活躍など、天皇皇后両陛下に称賛が相次いでいるのとは対照的に、秋篠宮ご夫妻には、小室さん問題についての責任を問う厳しい声が上がっています。眞子さまは紀子さまに対して口を閉ざし、ご公務についての相談を除けばほとんどコミュニケーションがとれない状況が続いているそうです。小室さん問題に悩む紀子さまを少しでも労いたい、そして眞子さまとの親子仲を取り持ちたいというお気遣いから、夕食会に出席されたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)お誕生日に際して紀子さまは、宮内記者会の質問に答える文書を発表された。眞子さまの結婚延期に関しては、推測で答えることを《控えたい》と、回答を避けられたかのように見える。しかし皇室ジャーナリストは、実はこのご回答には重要なメッセージが込められていると語る。「佳子さまの将来については、ご本人に《深く考え、歩んでいくことを期待しております》と綴られていますが、これは眞子さまの現状を念頭に置いたお言葉ではないでしょうか。眞子さまは“深く考えていない”ために小室さんと決別できずにいる、と紀子さまはお思いなのでしょう。そして《成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう》との一節は、誰よりも上皇陛下と美智子さまを思い描いて綴られたお言葉でしょう。優しく見守ってこられた上皇ご夫妻をこれ以上悲しませてはならないーー。それこそが眞子さまの“暴走”を憂慮する、紀子さまからの切実なメッセージなのです」美智子さまはこれまで、結婚については眞子さまの内心に触れる事柄であり、ご本人の決心を待つ以外ないと、辛抱強く眞子さまのお気持ちを尊重されてきた。しかし今年7月、本誌は美智子さまの知人からこんな話を聞いた。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”が誰かは明言しなかったが、前出の皇室ジャーナリストは言う。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう。親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態が好転することはないと思い直されたのかもしれません」美智子さまは、’10年のお誕生日に際してこう述べられている。《東宮家、秋篠宮家の家族を私はこの上なく大切なものに思っており、その家族一人一人の平穏を心から祈っています》これは雅子さまの健康や愛子さまの登校不安を心配されてのご発言だが、“小室さん問題”はそれらに匹敵するご家族の危機といっていい。「病身をおしてまで夕食会に参加されたことは、ご家族の結束を何よりも大切にされてきた美智子さまの強い意志の表れでしょう。それは、小室さんを大事に思うあまりご両親に対して心を閉ざし続ける眞子さまにとって、美智子さまからの叱責にも等しいものだったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)ご家族勢ぞろいの夕食会がきっかけとなり、再び秋篠宮家が一つになる日は来るのだろうかーー。
2019年09月19日「お世話になりました。ありがとうございました」美智子さまは、見送りに並んだ病院長らに何度も頭を下げ、感謝の言葉を述べられていたーー。乳がん手術を終えられた美智子さまは、9月10日に東大病院を退院された。美智子さまが入院されるのは帯状疱疹を発症された’97年7月以来、実に22年ぶりのこと。宮内庁関係者によれば、手術にあたっては“ご一家総出”のサポートがあったという。「手術当日の朝には上皇陛下と黒田清子さんが病院に駆けつけ、美智子さまに付き添われました。手術室へ向かうエレベーターホールでは、上皇陛下が美智子さまに優しく身を寄せ、声をかけていらっしゃいました。また、秋田県を訪問されていた天皇皇后両陛下からは、侍従職を通じてお見舞いの言葉が伝えられました。秋篠宮ご夫妻もお気持ちを伝えられたそうです」ご家族の絆を胸に、手術を乗り越えられた美智子さま。8日の手術から、わずか2日でのご退院となった。そして退院翌日の11日午後6時半ごろには、上皇陛下とご一緒にお車で赤坂御所へ。美智子さまはサングラスをかけられ、まっすぐ前を見つめられていた。「11日は、紀子さまの53歳の誕生日でした。上皇ご夫妻は、誕生日をお祝いする夕食会に出席されたのです。夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加し、天皇家のご家族が勢ぞろいとなったのです。当然ですが、眞子さまもいらっしゃいました」(皇室担当記者)美智子さまの乳がんは「ステージ1」だったとはいえ、がん手術後たった3日での外出。お体に心配はないのだろうか。乳がんに詳しい相良病院乳腺科臨床研究センター長の柏葉匡寛医師に話を聞いた。「今回の手術は抜糸や術後の処理がほぼ必要のない術式と考えられます。傷に異常がなく、全身麻酔からの回復を確認できれば、少なくとも翌朝までにお食事、歩行は可能です」早期退院を決断され、まっさきにご家族に会いに行かれた美智子さま。紀子さまの誕生日をお祝いされただけでなく、お見舞いへの感謝をお伝えになったことだろう。
2019年09月18日左胸に早期の乳がんが見つかった美智子さまは、9月8日、東京大学医学部附属病院で、がんの摘出手術を受けられた。手術は乳房を残す温存手術(部分切除)で行われ、がん組織だけを摘出。術後には必要に応じて放射線治療を受けられ、順調なら2〜3カ月で軽い運動ができるまで回復するという。美智子さまが84歳で手術を決断されたことは、高齢化が進む日本で、がん治療をどうすべきか、考えるいい機会でもあるーー。がんは加齢とともに増加する病気。平均寿命が延びたことで高齢者の患者数が増え、’14〜’15年にがんと診断された人では、75歳以上が約4割を占めている。福岡大学医学部総合医学研究センター教授で「高齢者のがんを考える会」の発起人でもある田村和夫先生はこう語る。「がんの治療には、3大治療である、手術、抗がん剤療法、放射線治療があります。それぞれに副作用や合併症などのマイナス面を伴い、それが高齢者には高いハードルになるのです。特に体の負担が大きいのが手術。がんを切除できても、ダメージから、体力や免疫力の低下による肺炎で死亡するケースもあります。当然ながら、高齢者のがんの治療によって、その人の本来の寿命を短くしてしまうことは避けなければいけません。さらに副作用で寝たきりになったり認知症になったりしないよう生活の質(QOL)を維持することも重要なのです」東京大学医学部附属病院放射線治療部門長の中川恵一先生はこう語る。「高齢者のがん治療は、体の負担の大きい手術よりも、放射線治療が中心になります。放射線治療では治らず、手術が必要なのは胃がんや大腸がん、子宮体がんなどです。早期の胃がんや大腸がんは、身体的なダメージの少ない内視鏡・腹腔鏡などで腫瘍の切除ができるため、高齢者でも耐えることができます。しかし、進行したがんで胃や大腸の全摘となると体の負担が増え、術後に体重減少や筋力低下を招き寿命を縮めてしまうことがあるので慎重な判断が必要です。子宮体がんの全摘手術も、体へのダメージが大きいので、80歳を超えて健康状態の悪い方は、慎重に考える必要があります」がんは部位ごとに違う病気といっても過言ではない。さらに進行スピードも異なる。進行が速い、肺がんは注意が必要だ。「肺がんの根治を目指し、肺葉切除をすると、呼吸機能が大きく損なわれます。高齢者で早期の肺がんなら放射線のピンポイント照射、進行した肺がんなら抗がん剤と放射線の併用が、比較的体の負担も少なくメリットが大きいのです」(中川先生)逆に、高齢であっても手術という選択が適切な場合も。「乳がんの手術は、おなかを切るわけではないので、体への負担が少ない。そのため高齢者であっても、健康状態がよければ、手術をしたほうが完治や再発を防げるなどメリットが大きい」(中川先生)美智子さまのご決断は、医師との話し合いのうえ、最善の方法を選んだことがうかがえる。最後に田村先生が語る。「高齢者のなかには、すごく元気な人もいれば脆弱な人もいます。同年齢でも個人差がとても大きい。さらに、若い人のがん治療は、根治や長期延命が目的ですが、高齢者の場合には“残された人生をどう過ごすか”ということが重要な要素になってくるのです」
2019年09月16日9月10日の午後、美智子さまは東大病院から退院された。乳がんの摘出手術からわずか2日での退院となり、病院の玄関で病院長や看護部長にあいさつされた美智子さまのご表情も晴れやかだった。「美智子さまの左の乳腺に腫瘤が見つかったのは今年7月の健康診断です。その後の検査で乳がんと診断されました。病期は『ステージ1』で、明らかな転移もありませんでした。医師団は全身麻酔のうえ、がんとその周辺だけを摘出する『乳房温存手術』を行いました」(宮内庁関係者)手術を前にした8月下旬、美智子さまは上皇陛下とご一緒に、長野県・軽井沢と群馬県・草津で静養されている。「上皇陛下の退位関連行事に伴う過密スケジュールの影響もあってか、美智子さまはかなりお痩せになってしまいました。ご高齢でもありますし、疲労の蓄積やお体への負担は想像されていた以上のものだったようです。今回のご静養は乳がん手術へ向けて、美智子さまに体力をご回復いただくことも大切な目的でした」(皇室担当記者)美智子さまと親交の深い絵本編集者の末盛千枝子さんは、ご静養前に電話を受けたという。「軽井沢に行かれる前の晩でした。『婦人之友』9月号の書評欄に、上皇后さまが朗読されてきた詩とその英訳などを収めた書籍『降りつむ』と、私のエッセイ集『根っこと翼皇后美智子さまという存在の輝き』の書評が載っていることをお知らせくださったのです。そのことをとてもお喜びになっていましたが、手術をお控えとなっていたからか、いつものお元気な上皇后さまとは少し違うご様子も感じました。翌日、軽井沢駅に到着されたときのご様子を映像で拝見したのですが、少しお疲れのようで……。しかし、ご静養から帰られてサントリーホールのコンサートにお出かけになったときには、お元気そうでした。お隣の上皇陛下も柔らかなご表情をされていましたね」軽井沢ではテニスでご友人たちと旧交を温められ、妹の恵美子さんの別荘もお訪ねになるなど、例年と同じように過ごされた。草津ではワークショップに参加されて、世界的フルート奏者、カールハインツ・シュッツさんと合奏で、サンサーンス『白鳥』のピアノ演奏を1時間ほど練習された。現地で美智子さまに会った知人はこう語る。「少しお痩せで、最近は『ピアノの譜面がなかなか覚えられないのよ』とおっしゃっていました。けれど、拝聴した美智子さまのピアノ演奏は素晴らしいもので、ほかの参加者たちからアンコールをお願いされるほどでした。そのアンコールにお応えになり、華麗に演奏される美智子さまのお姿を拝見して、ご病気も心配ないと思いました。そしてお帰りの際には、美智子さまから『来年もね』とのお言葉をいただけました」旧友たちとの会話、そして大好きなピアノを楽しまれて、美智子さまは手術へ向けての体力も英気もしっかりと養われたようだ。8日の手術は約4時間で無事終了。リンパ節への転移も認められなかった。今後、詳細な病理診断の結果を踏まえ、再発を予防するホルモン療法などが検討されるという。手術を乗り越えられた美智子さま。友人たちに囲まれ、文学を語らい、ピアノを演奏される日を心待ちにされていることだろう――。
2019年09月14日美智子さまは9月8日、東京大学附属病院で乳がんの摘出手術を受けられた。宮内庁によれば、手術は無事に終わり、経過は順調だという。美智子さまにとって初めてのがん手術。不安もおありだったのではないかと思うのだが、8月下旬の軽井沢・草津ご静養の際、美智子さまに悲愴な雰囲気はほとんどなかったという。「幸いなことに、美智子さまの乳がんは“奇跡的な早期発見”だったのです。本当に極小のがんで、ベテラン医師でも見逃してしまうようなものだったようです」(宮内庁関係者)美智子さまは、15年以上前から乳がんの検診を受けられている。本誌も’03年5月、美智子さまが都内の癌研究会附属病院(現・がん研究会有明病院)で精密検査を受けられたことを報じている。「そのころから検査を担当してきた女性医師の高橋かおるさんに、美智子さまは絶大な信頼を寄せられています。彼女は’06年の1月に地元・静岡県の県立静岡がんセンターに移りましたが、その後も毎年、美智子さまの検診を担当してきました。そのことが、今回の奇跡的な早期発見につながったのです」(前出・宮内庁関係者)今年7月、高橋さんは乳腺超音波検査で美智子さまの左胸に病変を発見、MRI検査でも乳がんの疑いと診断した。その後、いくつかの検査を経て乳がんの告知を受けた美智子さまは「よくぞ見つけてくれました」と高橋さんへの感謝を述べられたという。医療関係者が明かす。「実は、彼女は“スーパー女医”ともいうべき名医なのです。患者さんと丁寧にやりとりし、なおかつはっきりものを言う医師。術例数も非常に多いので、手術の腕も間違いありません。20年ほど前から“乳がんといえば髙橋かおる医師”と言われるほど評価が高かったのです」高橋さんは以前から、日本の乳がん検診受診率の低さに警鐘を鳴らしてきた。’05年度の時点で欧米諸国では6~8割だった受診率が、日本ではたった17.6%だった。そうした状況に危機感を覚えた彼女はいち早くマンモグラフィーを導入して、触診でわからない「非蝕知がん」の発見にも尽力してきた。触診で判別できる大きさになる前に発見すれば、より治癒の可能性が高くなるからだ。「高橋さんは“忙しくても笑顔を忘れない”、そして“自分自身が受けたいと思える医療を行う”をモットーとしていて、女性患者の信頼がとても厚いのです」(前出・医療関係者)8日の手術は高橋かおる医師と東大病院乳腺・内分泌外科の合同チームにより行われた。がんの大きさは1センチ弱で、乳房温存手術によりその周辺5センチ弱を摘出。手術は4時間ほどで終了した。美智子さまは、経過が順調ならば術後数日で退院される見通しだという。
2019年09月10日乳がん手術のため、9月7日に東大病院へ入院されることが発表された美智子さま。ご体調が心配されていたが、軽井沢に滞在された8月23日から8月30日までのご静養では、元気な姿をお見せになっていた。8月27日には、群馬県草津町で行われていた「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」にお出かけに。午後はお一人でピアノのワークショップに参加され、夜には上皇陛下とコンサートを観賞された。「ワークショップからコンサートまでの間は数時間と短いインターバルしかありませんでした。にもかかわらず、美智子さまはワークショップでは動きやすい白いシャツスタイル、コンサートではシックなブルーのトップスに“お召し替え”されていました」(皇室担当記者)そのこだわりは、小物使いにも。「とくに印象的だったのがバッグ。ワークショップではピアノの鍵盤柄のユニークなトートバッグをお持ちでした。コンサートでは、手持ちの金具が上品な、小ぶりの籠バッグで印象を変えられていました。タイの手工業品である高級なもので、暑い季節によくお使いになられています」(前出・皇室担当記者)上皇后となられてからも、おしゃれを楽しまれている美智子さま。退院されたあとも、お元気に過ごされることを願うばかりだ――。
2019年09月07日女優の羽田美智子(50)が8月25日、神宮球場にて行われたヤクルト・阪神戦で始球式を行った。羽田は現在出演中のドラマ「特捜9」(テレビ朝日系)にちなんで、背番号“9番”を背負って登場。その姿に球場中が湧いた。「こんにちは!よろしくお願いします!」と元気に登場した羽田は、ユニフォームに赤いパンツという衣装で美脚を披露。さらに「夏休みの思い出になるような、いい試合になるよう頑張ります!」と意気込みを語った。屋外練習場や実家の庭でも練習したという羽田だが、結果はワンバウンド。「ちょっと緊張しました」「高校球児の気持ちがわかりました」と話し、「本当はノーバウンドでストライクを狙っていたんです」とも明かした。いっぽうで「試合前の皆さんの緊張をほぐすっていう意味では、結構よかったんじゃないかな?」と笑顔で始球式を結んでいた。「~東京音頭の作曲家『中山晋平』の故郷~信州なかのナイター」と銘打たれていた今回の試合。始球式は今年4月にグランドオープンした羽田が店主を務めるオンラインセレクトショップ「羽田甚商店」がキッカケで、オファーにつながったという。大のぶどう好きである羽田は中野市産のぶどうを同店で取り扱っており、情報交換を続けていくなかで声がかかった。自身にとって2回目となる始球式は、羽田にとって思わぬ“収穫”となったようだ。また当日は作曲家・久石譲(68)の長女であり、中野市音楽親善アンバサダーを務める麻衣(40)が「君をのせて」を独唱するというスペシャルな一幕も。試合は5-1でヤクルトが逆転勝ちを果たし、連敗をストップさせた。
2019年08月26日美智子さまが早期の乳がんと診断されたと宮内庁が発表したのは、8月9日のことだった。美智子さまの近況について、親しい知人は心配そうに話す。「私が今年の春ごろにお会いした際、上皇后さまは『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。御代替わりとなる5月まで上皇陛下をお支えし続けることができるのか……。たいへんな過密スケジュールの中で、上皇后さまはそれだけを心配されていました。国民と皇室のために尽くしてこられた60年だったのです。上皇陛下が退位される日まで全身全霊で取り組まれたご負担が、一気にお体の症状として現れてしまったように思えてなりません」上皇陛下とともに、美智子さまは8月下旬に軽井沢と草津で静養され、体力の回復を図られる。そして9月以降に手術を受けられる予定となっている。美智子さまは診断結果を動揺されることもなく受け止められたという。一緒に医師の説明を受けた上皇陛下は「しかるべきタイミングでいちばん良い治療を受けられるように計らってほしい」と話されたそうだ。実は、80代の乳がん患者は増加傾向だという。乳がんに詳しい相良病院臨床研究センター長で乳腺科の柏葉匡寛医師に話を聞いた。「国立がん研究センターによると、’03年からの12年間で80歳以上の乳がん罹患者数は3倍近くまで増加しています。がん全体の罹患者数が2倍になっていることを考慮しても、大幅な伸びです。ただ平均寿命が延び、高齢でも検診に行ける元気な女性が増えたことが患者数増加の要因と思われるので、一概に悪いこととは言えません。早期乳がんとは、腫瘍の大きさが2センチ以内で、リンパ節転移のないものです。手術では腫瘍を部分切除する『乳房温存手術』と、がんが最初にたどり着くリンパ節だけを1~2個摘出する『センチネルリンパ節生検』を行うのが標準的です」美智子さまは6月に心臓弁の逆流症も公表され、両目の白内障手術も受けられた。また、御代替わり前後から急激に体重が落ちてしまったという。次々にお体の軋みが明らかになるなか、84歳での乳がん手術――。前出の知人によると、美智子さまの決断の陰には上皇陛下の愛あふれるお言葉があったという。「上皇后さまは、ご退位後の上皇陛下と静かに過ごすことを楽しみにされていました。それだけに、乳がんという宣告には、やるせない思いでしょう。昨今、上皇陛下は上皇后さまに『あなたと結婚してよかった』と、何度も何度も繰り返しおっしゃっているのだそうです。上皇陛下の愛情が何よりの支えになり、手術と闘病への後押しになっていることと思います」ご退位後、上皇陛下との“愛の新生活”でさらに強まった夫婦の絆が、病魔を乗り越えるための原動力になっているのだろう。手術後には、どういった生活を送られることになるのだろうか。前出の柏葉医師に聞いた。「美智子さまはご高齢であるからこそ、術後には早期に離床され、1日も早く術前と同じ生活レベルに戻すようなリハビリテーションが重要です。また乳がん手術後、再発のリスクを少しでも抑えるには肥満と体重増加に気をつける必要があります。バランスのよい食事と、適度な運動習慣を取り入れることが大切です」上皇陛下が’12年に心臓のバイパス手術を受けられた際には、美智子さまがリハビリをサポートされていた。「上皇陛下も7月には脳貧血でお倒れになり、体調は万全ではありません。それでも、美智子さまを支えたいという上皇陛下のお気持ちは強いはずです」(皇室担当記者)あふれる夫婦の愛で、病魔にもきっと打ち勝てるはず――。
2019年08月26日ジャズピアニスト上原ひろみの新作アルバム『Spectrum(スペクトラム)』が、2019年9月18日(水)にリリースされる。本作は、2011年リリースの『VOICE(ヴォイス)』以降、ベーシストのアンソニー・ジャクソンとドラマーのサイモン・フィリップスを迎えた“トリオ・プロジェクト”を中心に活動してきた上原にとって、『Place To Be(プレイス・トゥ・ビー)』以来、約10年ぶりとなる新作ソロアルバム。レコーディングエンジニアとしてデビューアルバムの『Another Mind(アナザー・マインド)』に参加して以降、ほとんどの作品に携わっているマイケル・ビショップ (Michael Bishop)が、本作でも上原と共に共同プロデュースで参加。ルーカスフィルムが持つカリフォルニア州の名門音響スタジオ「スカイウォーカー・サウンド・ステージ」にて録音された全9曲が収録されている。アルバムの発売に先駆けて、7月26日(金)よりタイトル曲の「スペクトラム」が各種音楽ダウンロード/ストリーミングサービスにて先行配信。既に公開中の新作トレーラー映像でも使用されている楽曲だが、この先行配信と共にその全貌が明らかとなる。また、アルバム発売直後の9月19日(木)及び21日(土)~23日(月・祝)には、昨年に続き人気漫画「BLUE GIANT」シリーズのライヴ・イベント「BLUE GIANT NIGHTS 2019」へ出演。ブルーノート東京3日間公演に加え、「BLUE GIANT」の主人公=宮本大の故郷である仙台での開催も決定した。さらに、11月17日(日)の東京・サントリーホールでの公演を皮切りに、ライブツアー「JAPAN TOUR 2019 “SPECTRUM”」もスタートする。【作品情報】上原ひろみ『Spectrum』発売日:2019年9月18日(水)価格:・初回限定盤SHM-CD 2枚組 3,564円(税込)・通常盤SHM-CD 2,808円(税込)・高音質SA-CD~SHM仕様 4,320円(税込)<収録曲>1. カレイドスコープ2. ホワイトアウト3. イエロー・ワーリッツァー・ブルース4. スペクトラム5. ブラックバード6. ミスター・C.C.7. ワンス・イン・ア・ブルー・ムーン8. ラプソディ・イン・ヴァリアス・シェイズ・オブ・ブルー9. セピア・エフェクト<初回限定盤ボーナスCD>1. BQE2. シシリアン・ブルー3. シュー・ア・ラ・クレーム4. パッヘルベルのカノン5. ビバ! ベガス - ショー・シティ・ショー・ガール6. ビバ! ベガス - デイタイム・イン・ラスベガス7. ビバ! ベガス - ザ・ギャンブラー8. プレイス・トゥ・ビー※2010年8月20日・21日、ブルーノート・ニューヨークでのライブ録音■ライブツアー「JAPAN TOUR 2019 “SPECTRUM”」チケット イープラス先着先行受付:7月25日(木)12:00~8月4日(日)18:00一般発売日:9月28日(土)日程:11月17日(日) 東京 サントリーホール11月19日(火) 広島国際会議場 フェニックスホール11月21日(木) 札幌文化芸術劇場 hitaru11月23日(土) 水戸芸術館 コンサートホールATM11月24日(日) 大阪 ザ・シンフォニーホール11月26日(火) 金沢市文化ホール11月27日(水) 長野市芸術館11月29日(金) 四日市市文化会館 第1ホール11月30日(土) 静岡市清水文化会館マリナート 大ホール12月1日(日) 大阪 ザ・シンフォニーホール12月3日(火) 愛知県芸術劇場 コンサートホール12月6日(金) サンポートホール高松 大ホール12月7日(土) 岡山市民会館12月8日(日) アクトシティ浜松 大ホール12月10日(火) 新潟県民会館12月11日(水) 日立システムズホール仙台12月13日(金) 東京 サントリーホール12月14日(土) 東京 すみだトリフォニーホール12月15日(日) 横浜 みなとみらいホール12月17日(火) 福岡シンフォニーホール12月18日(水) 大分 別府ビーコンプラザ フィルハーモニアホール12月19日(木) 山口市民会館 大ホール
2019年07月28日上皇陛下は7月11日の夕方、強い脳貧血の症状があり、治療を受けられた。体調が回復された上皇陛下は、15日には美智子さまとご一緒に健康診断を受けられた。すると今度は美智子さまに、一部再検査が必要な項目が見つかったのだ。「6月には心臓の異常が発見され、白内障の手術もされました。まだ再検査の詳細は発表されていませんが、美智子さまのご体調も心配です」(皇室担当記者)だが、白内障手術について報じた記事に対し、ヤフーニュース上ではこんなコメントが。《病気だ、体調悪いアピールする年寄りに限って元気だよね》《いろんな理由をつけて、引っ越しを先延ばしにして、権力を誇示しているのですか?》美智子さまの体調を案じるどころか、心ない言葉の数々が並んでいるのだ。さらにTwitter上には、このような信じがたいツイートも見られる。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》雅子さまはこれまで、美智子さまにいじめられ続けてきた――。そんなツイートが、御代替わりを機に目立ちはじめているのだ。美智子さまは以前からインターネットを利用されている。’12年に上皇陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた際、パソコンを駆使してリハビリの勉強をされた。美智子さまの古くからの友人も「私がFacebookで親族の介護を日記風に記していると、美智子さまから『とても面白うございました』とご感想をいただき、恐縮いたしました」と話している。美智子さまがネット上の“心なき誹謗”の数々をご覧になっていてもおかしくはない。雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた。陛下は’04年2月の会見で《皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います》と述べられている。「独身時代は外務省で活躍された雅子さまですが、皇室に入られてからは“目立ちすぎないように”と気を使っていらっしゃいました。雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。当時、雅子さまの苦しみを理解していたのは、陛下ただ一人だったといっても過言ではないのです。美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えなかったことに、忸怩たる思いを抱かれたに違いありません」(皇室担当記者)適応障害という診断が下った雅子さまについて、当時美智子さまは《東宮妃の回復を願い、助けになりたい》と会見で語られていた。しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまう。上皇陛下が《愛子と会う機会も限られ、残念》と会見で漏らされるほど、両家の交流は途絶えてしまったのだ。当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と、雅子さまに手を差し伸べることもできない苦しさを語られていたという。誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの著しい“復活”があると皇室担当記者は言う。「天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされ、国際親善での存在感は世界に絶賛されています。これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない――。そんな憶測につながっているものと思われます」しかし、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう話す。「美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。“いじめ”に近い体験もあったはずです。ご自分がやられておつらかったことを、後進になさるような方ではありません。雅子さまを長い間見守ってこられた美智子さまが、バッシングを受けているという事実は、たいへん嘆かわしいことです」ようやく上皇陛下との平穏な日々を迎えようとされている美智子さま。これ以上のご心労が重ならないことを祈るばかりだ。
2019年07月26日「上皇后さまから、つい先日お電話があり、お話をさせていただきました。いまは、お引っ越しのための整理がたいへんなのだそうです」そう話すのは、美智子さまと親交のある元絵本編集者の末盛千枝子さん。美智子さまからお電話があったのは7月上旬だったという。御代替わり後、体調が心配される美智子さま。6月上旬の検査で、不整脈や心臓の血液が一部逆流する症状が明らかとなった。心臓については経過観察となったが、美智子さまは6月に2回、手術を受けられた。白内障が悪化しており、6月16日に右目、23日に左目を手術されたのだ。末盛さんは術後の経過についてもお話を伺ったという。「手術からは10日ほどたっていましたが、上皇后さまは『もともと遠視気味でしたので、急にはよく見えるようにならないの。もう少し時間がかかりそう』とおっしゃっていました」宮内庁によれば、手術を担当した医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話したという。「実は、美智子さまが白内障と診断されたのは数年前。ここ1~2年でさらにご症状が進んでいましたが、両目の手術をすると3週間はご公務を離れなければならないため、御代替わりまで手術を延期されていたのです」(皇室担当記者)まだ“よく見えない”という美智子さまの目の状態が気がかりだが……。眼科手術を専門とする、愛知医科大学病院の瓶井資弘教授に話を聞いた。「症状が悪化して水晶体が真っ白に濁る『過熟白内障』になると、手術は難しくなります。さらに放置すれば、目の中で炎症が起きて失明する恐れもあるのです。ただ、日本では過熟白内障まで悪化する方はほとんどいません。美智子さまの場合は、推測になりますが、その手前の『成熟白内障』に近づきつつあったのではないかと思います。術後は視界がまぶしく感じられ、慣れるまでに1週間ほどかかることもあります。また、濁った水晶体に代えて単焦点のレンズを入れて遠くにピントを合わせた場合、本を読む際には老眼鏡が必要になります」美智子さまは、まだ術後の変化に慣れていない状況なのかもしれない。末盛さんによると、美智子さまはこんな話もされたそうだ。「上皇后さまは、平成の終わりからとてもお痩せになったように見えました。お聞きしたところ、やはりお痩せになっていたそうです。ただ、上皇后さまは『今は上皇陛下のお世話をすればいいだけだから、いいのよ』とも、お話しになっていました」
2019年07月11日ビーントゥバーブランド「ミニマル(Minimal -Bean to Bar Chocolate-)」は、2019年6月22日(土)、代々木上原に新業態となるガトーショコラ専門店「ミニマル ザ ベイキング(Minimal The Baking) 代々木上原」をオープンする。香りを楽しむチョコレート菓子を提供する「ミニマル ザ ベイキング」「ミニマル」は、ブランドがこれまで変わらず目指している“新しいチョコレート体験”の提供のため、“カカオの香りを楽しむ”商品づくりに注力してきた。新たにオープンする「ミニマルザベイキング 代々木上原」は、今まで培ってきた知識と経験、技術を土台にし、新たな“チョコレートの表現”を目指す新業態の店舗だ。カカオ豆の香りをダイレクトに楽しむ板チョコレートの販売を中心に行ってきたこれまでとは異なり、チョコレート菓子をメインとしたラインナップを揃える。“火入れ”にこだわる「ガトーショコラ」そのメインのお菓子となるのが「ガトーショコラ」。「火入れ」をコンセプトとし、“板チョコレートとして美味しい火入れ”と“チョコレート菓子として美味しい火入れ”の2段階を極めることで、カカオの濃厚な香りを引き出している。また、しっとりもちもちとした食感は、じっくりと焼き上げる拘りがゆえに生まれたものだ。酵母発酵によって板チョコレートにはない“うま味”を実現また、板チョコレートにはない味わいは、酵母発酵がもととなっている。カカオ豆は、元来、農園で発酵を行う発酵食品。ミニマルの「ガトーショコラ」では、酵母を入れて焼くことで、 さらに発酵させ、豊かな香りを引き出している。 この二次発酵とも言える新しい製法により、うま味がひきたち、板チョコレートにはない満足感とコクを生み出すことができている。コーヒーor紅茶に合う!2種類のガトーショコラを用意「ガトーショコラ」には、うま味の強い「ハイカカオ(High Cacao)」とカカオの果実感が感じられる「フレッシュ(Fresh)」の2種を用意した。「ハイカカオ」は、王道の濃厚な味わい深さが魅力なので、コーヒーやラテ、バニラアイスなどとの相性が抜群。一方「フレッシュ」は、レーズンのような香りが特徴のカカオ豆を使用しており、渋みやスパイス感のある飲み物と相性が良いので、紅茶やミルクティー、ポートワインなどと楽しみたい。カフェメニューも充実店内では、「ガトーショコラ」のほかにも、チョコレートクリームが主役の「チョコレートウィッチ」、そしてスペシャル素材からバリスタが提供するカフェメニューを展開する。カフェメニューには、カカオとも相性のいいハンドドリップコーヒーのほか、カフェラテ、カフェモカ、紅ほうじ茶 by GEN GEN AN、レモングラスほうじ茶 by GEN GEN AN、チョコレートドリンクなどを揃えている。【詳細】ミニマル ザ ベイキング(Minimal The Baking) 代々木上原開業日:2019年6月22日(土)営業時間:10:00~18:00住所:東京都渋谷区上原1-34-5電話番号:03-6407-8292定休日:月曜日・火曜日客席:室内8席、屋外ベンチ ※席数は変更の可能性あり。■メニューガトーショコラ 3,250円+税ガトーショコラ -バトン- 600円+税チョコレートウィッチ 350円+税・ドリンクメニューハンドドリップコーヒー(Hot / Ice) 、カフェラテ(Hot / Ice)、カフェモカ(Hot / Ice)、ティー(Hot / Ice) 紅ほうじ茶 by GEN GEN AN・レモングラスほうじ茶 by GEN GEN AN、チョコレートドリンク ホットチョコレート(Hot)・ショコラトル(Ice)ほか
2019年06月21日美智子さまは6月16日、東京都内の病院で右目の白内障の手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる予定だ。宮内庁は10日、美智子さまのご体調について、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。それでも手術はせず経過観察という方針となり、上皇ご夫妻は翌日から予定通り2泊3日の日程で京都を訪問された。これが上皇陛下の退位に伴う最後の儀式だった。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変――。美智子さまの知人のひとりが明かす。「ご退位までひと月くらいの時期でしょうか、上皇陛下と上皇后さまが3月下旬に京都へ行かれる前にお会いする機会があり、いろいろな話をしてくださいました。そのなかで、ふと上皇后さまが『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。お忙しい日々が続き、お疲れも極限まで来ていらしたのかもしれません。そのお言葉が心に残っています。やはり、上皇陛下のご在位中は、陛下とご一緒にお出ましになることが上皇后さまには何より大切で、手術や検診はお控えになっていたのだと思います」’12年2月には、上皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられている。美智子さまは、手術の前後に何度も病院にご宿泊になって献身的に看病された。「上皇陛下の退院後も、料理と担当する大膳課に『タンパク質を多く摂取できるものを』『陛下の食欲が増すものを』と細かい指示を出されていました。リハビリにも片時も離れず寄り添われ、上皇陛下の体力づくりのため、テニスや卓球にもご一緒に取り組まれていたのです」(宮内庁関係者)’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。美智子さまはそれから4年間、満身創痍で上皇陛下を支えられた。去年12月の誕生日会見で、上皇陛下はこう述べられた。《結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました》《60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います》そう美智子さまへの感謝を述べられたとき、上皇陛下は落涙されんばかりに声を震わせていた。「美智子さまは壮絶な覚悟のもと、ご自身の痛みをこらえて上皇陛下を支えてこられました。誰よりもそのことをご存じだったのは上皇陛下でした」(皇室担当記者)美智子さまと長年の友人である元絵本編集者の末盛千枝子さんは言う。「先日、上皇后さまとお電話でお話しさせていただきました。『上皇陛下が退位されて、少しほっとされておられますか?』と伺いましたところ、『今までと同じよ』とおっしゃっていました。お引っ越しの準備もたいへんでしょうが、少しゆっくりされることができましたらと思います」長きにわたる“旅”は終わりを迎えたが、上皇陛下をお支えするという美智子さまの覚悟は変わらない――。
2019年06月20日グレーのロングドレスをお召しになった美智子さまが、手すりを頼りに、明治天皇陵への階段を一段一段、慎重な足取りで上られていく――。上皇ご夫妻は、6月11日から2泊3日の日程で京都を訪問された。孝明天皇陵と明治天皇陵に退位の報告をされ、平成の御代から続けられていた上皇陛下の退位に伴う儀式をすべて終えられたのだ。「12日の午前に参拝された孝明天皇陵では、女性皇宮護衛官の腕におつかまりになって、約120mの長い坂道をゆっくりと上られました。今回ばかりは美智子さまのご様子が心配でなりませんでした」(皇室担当記者)美智子さまは京都ご訪問直前の8日、心臓の検査をお受けになっていた。宮内庁は、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。心臓への負荷の増大が疑われるものの、すぐに手術はせずに経過観察をしていくという方針を示した。昭和大学横浜市北部病院循環器センターの南淵明宏教授は言う。「経過観察というのは単に放置するわけではありません。症状を見ながら検査を重ねて、慎重にデータを比較していきます。手術による身体への負担は考慮しなければなりませんが、80歳以上でも心臓の大手術を受ける方はいらっしゃいます。高齢を理由に手術ができないということは決してないのですが……」16日、美智子さまは都内の病院で右目の白内障手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる。医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話していたという。退位を控えた時期に両眼の手術を行うとなると、3週間はご公務を離れなければならない。しばらくは外出の際には濃いサングラスのご着用が必要になる。そのため日程が確保できず、手術も、そして病名の公表も、上皇陛下のご退位後まで延期されていたのだ。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変。ただ、美智子さまが心臓に異変を感じられたのは今回が初めてではない。’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。このときも宮内庁は「心身に強いストレスを与えることがないような配慮が望まれる」としたうえで、手術はせずに経過観察を続ける方針をとった。4年前に判明した冠動脈の狭窄は、新たに発表された疾患にも影響していたのだろうか――。今回のご病状である「三尖弁逆流症」について、前出の南淵教授はこう解説する。「一般的に三尖弁逆流症は、ほかの心疾患が原因になっています。何らかの原因で右心室の容積が拡大して弁が引き延ばされ、その機能が低下し、逆流が起こるのです。三尖弁逆流症と冠動脈の狭窄に関連性がある場合もあります。冠動脈の狭窄は治療をしなければ自然に治るということはありませんから、むしろ三尖弁逆流症よりこちらに着目すべきでしょう。冠動脈の狭窄が進むと狭心症や心筋梗塞を引き起こします。心臓が止まり、死に至る危険性もあるのです」美智子さまは深刻なリスクを抱えながら、満身創痍で4年間を過ごされてきた。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは言う。「高齢のお体にメスを入れると、傷の回復やリハビリに長期間かかってしまいます。美智子さまは60年前のご成婚当時から、命がけで陛下をお支えするという強いお気持ちを抱いていらっしゃいました。最後のお務めを果たすまでは……と、かなり我慢をされていたのだと思います」
2019年06月19日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は女優、モデルの上原実矩さんです。たくさんのことをインプットして表現に活かしていきたい!女優以外にモデルとしても活動の幅を広げている上原さん。モデル撮影のときは“心のトレーニング”をしているそう。「ヘアメイクが“仮面”、衣装が“仮装”にならないように、毎回見せ方を考えて、イメージ像になりきってから撮影に挑みます。あと、表情が硬くならないように表情筋をマッサージして、テンション高めに!」。今後もトライしたいことがたくさん。「未経験のミュージカルや舞台、ラジオもやってみたいです。今まで陰のある役が多かったので、コメディで明るい役も演じてみたいな」ワンちゃんがとにかく好きなんです。飼っているトイプードルの、れお。もっともっと大きくなってほしい…!毎日食べる納豆は自分流にアレンジ!付属のタレではなく塩で食べたり、炒めたり。いろいろな食べ方を開拓中。漫画『宇宙兄弟』にハマっています。撮影現場に持参して、空き時間に読むほど夢中。宇宙飛行士に憧れる~!うえはら・みく1998年生まれ。2010年、映画『君に届け』で女優デビュー。その後、数々のドラマやCMに出演する一方、雑誌『NYLON JAPAN』を中心にモデルとしても活躍中。※『anan』2019年6月19日号より。写真・土佐麻理子文・松下侑衣花(by anan編集部)
2019年06月18日イタリアン【Quindi】ガストロノミー【セララバアド】和食【おこん】フレンチ【Sio】イタリアン【il Pregio】イタリアン【Quindi】気に入った食材は購入可能、生産地と人を繋ぐレストランジューシィさが病みつきになる『沖縄産今帰仁アグー豚の腿(もも)肉のロースト』 3,600円京都の野菜や沖縄・今帰仁村のアグー豚、ワイナリーの調味料など現地に足を運び、尊敬する生産者の食材だけを扱うイタリア料理店【Quindi】。素材のよさを際立たせる調理や美しい盛り付けにも注目です。ジューシィな『沖縄産今帰仁アグー豚の腿(もも)肉のロースト』は、脂がおいしい原種の今帰仁村産アグー豚を使った逸品。低温で火入れしたモモ肉は肉汁したたり、豚骨から煮出したエキスでつくったソースとも相まって素材の持ち味をそのまま味わえます。ガラス張りのシックで入りやすい空間スタイリッシュな店内はテーブル席やソファ席、個室風など4つのシーンに分けられ、デートはもちろんのこと、家族での食事、貸切パーティーまで幅広く利用できます。また店が扱う加工品や調味料、食器などの物販コーナーもあり、料理好きの女性から人気を集めています。Quindi【エリア】初台/代々木上原【ジャンル】イタリアン【ランチ平均予算】2000円【ディナー平均予算】8000円【アクセス】代々木上原駅 徒歩5分ガストロノミー【セララバアド】驚きと感動が味わえるモダンガストロノミー森をイメージした『根セロリ 折り鶴 柚子』 ※コースの一例代々木上原の閑静な住宅街に佇む【セララバアド】は、家庭的な雰囲気が魅力的なモダンガストロノミーのお店です。世界一のレストランとして知られるスペインの【エルブリ】をはじめ、世界の名だたる料理店を経験した橋本宏一氏が腕を振るいます。『根セロリ 折り鶴 柚子』は、根セロリでつくった折り鶴を柚子のピューレに乗せ、ホロホロ鶏の希少なナチュラルフォアグラを添えた逸品です。高級レストランの味をアットホームにカジュアルに楽しめる「レストランの楽しみを多くの人たちに知ってもらいたい」というシェフのもと、厳選した素材を用いた料理をリーズナブルな価格で味わうことができます。店内は北欧インテリアを中心にカジュアルに彩られ、デートや記念日などの大切な時間を過ごすにはピッタリ。オープンキッチンでつくられる革新的な料理の数々に、驚きと感動が訪れること間違いありません。レストランセララバアド【エリア】初台/代々木上原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】17000円【アクセス】代々木上原駅 徒歩8分和食【おこん】ご飯の真髄が味わえる大人の隠れ家ローストビーフとウニ、キャビアを贅沢に盛った『ローストビーフの土鍋ごはん』 ※コースの一例代々木上原の閑静な住宅街にまるで隠れ家のようにひっそり佇む【おこん】は、山形県の昭和天皇穀物献上農家が栽培する「ミルキークイーン」をはじめ、日本全国から集めた極上のお米を中心に据えたコースを提供しています。中でも土鍋で炊き上げたご飯の上に、ローストビーフにウニ、キャビア、イクラなどを贅沢に使った『ローストビーフの土鍋ご飯』は自慢の逸品。モッツアレラチーズ入りご飯も濃厚でクセになる味わいです。稲穂をイメージしたダークトーンの店内が非日常感を演出店内は稲穂をイメージしたというゴールドと黒を基調としたダークトーンで統一され、非日常感を演出。デートや記念日にぴったりな個室も用意されていて、落ち着いて食事を楽しみたい夜に応えてくれる一軒です。おこん【エリア】初台/代々木上原【ジャンル】和食全般【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】7000円【アクセス】代々木上原駅 徒歩7分フレンチ【Sio】驚きが隠された繊細な美しい料理で女性が喜ぶ店鳥羽シェフのシグネチャー『フォアグラ/アメリカンチェリー/べったら漬け』 ※コースの一例フレンチ【Sio】で食べられるのは、繊細さの中に驚きが隠された料理の数々。鳥羽シェフのシグネチャーである『フォアグラ/アメリカンチェリー/べったら漬け』は、口に含むとカカオの香りの後に、チェリーの甘味やフォアグラの旨味が広がり、咀嚼する毎に味が完成されていきます。中身や食感はシーズンを重ねる度に改良されています。驚きが隠された繊細な料理と、センスのいい空間で過ごす上質なひととき欧米のカフェを思わせるような店内に、センスのいいBGMが流れるおしゃれな空間。ゆっくりと食事が楽しめる、デートにぴったりの居心地のいい一軒です。人気のワインペアリングに加え、亀井ソムリエが織り成す台湾茶ベースのティーペアリングも秀逸で、アルコールが飲めない人でも食事が楽しめます。sio【エリア】初台/代々木上原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】9000円【ディナー平均予算】20000円【アクセス】代々木上原駅 徒歩2分イタリアン【il Pregio】感度の高い女性に愛されるクリエイティブなイタリアンオープン時から大好評なスペシャリテ『カボチャとフォアグラ』 ※コースの一例イタリア全土で3年に渡って研鑽を積んだ岩坪氏がオーナーシェフを務める【イル プレージョ】は、少量多皿のコース料理を提供しています。フォアグラの発祥は、古代ローマ時代のロンバルディア州だとも言われていますが、その地方はカボチャを使った料理も有名です。『カボチャとフォアグラ』は、その2つを合わせてみようと、シェフが工夫を重ね、軽やかに仕上げた一皿です。カボチャはエスプーマを使い、フォアグラは一回テリーヌに。「ヴィンコット」や「アマレッティ」で甘みや塩気、食感を。料理、サービス、空間と三拍子揃い2人の距離が縮まる清潔な店内に、気の利いたインテリアや小物。そこで繰り広げられる、少量多皿のクリエイティブなイタリアン。一皿一皿が、違いがわかる大人が楽しめるさりげない驚きに溢れています。そんなサプライズにパートナーも満足することでしょう。il Pregio【エリア】初台/代々木上原【ジャンル】イタリアン【ランチ平均予算】5000円【ディナー平均予算】12000円【アクセス】代々木上原駅 徒歩5分大人の街・代々木上原で人気を集めている各レストランは、2人の記念日など特別な時間を過ごすのにぴったり。次のデートのお店は、代々木上原で探してみるのはいかがでしょう。
2019年06月03日上原多香子(36)の夫で演出家のコウカズヤ氏(41)が5月29日、所属していた劇団から退団処分を受けたとTwitterで明かした。14日に《自殺するような子供になったら親の責任なんで、その時はそんな子供にしてしまった自分を責めますよ》などとツイートし、非難の声が殺到したコウ氏。29日Twitterを更新し、《私のTwitter上での投稿で、多くの方々に不快な思いをさせてしまったことを、心よりおわび申し上げます》と謝罪。さらに《私が所属していた劇団BuzzFestTheaterは今回の一件を重く受け止め、その責任として、私は劇団から退団処分を受けることとになりました》と退団の経緯を明かした。17年6月、上原との交際が発覚しその名が広く知られることとなったコウ氏。もともとはお笑い芸人だった。「コウさんはお笑いユニット・超新塾のメンバーとして活躍していました。ですが11年にグループを脱退し、翌年も演出家・脚本家としてデビュー。上原さんとはBuzzFestTheaterの舞台を通して親密な仲になったといいます。上原さんは17年8月に前夫・TENNさん(享年35)の自死が上原さんと阿部力さん(37)との不倫がキッカケだったと報じられましたが、そういったなかでもコウさんは彼女を支え続けました」(舞台関係者)2人は昨年9月に結婚し、同年12月には第一子が誕生したばかり。大黒柱であるコウ氏の退団は、家計に大きく影響するはずだが……。「上原さんは女優業を開店休業状態となっており、慎ましい生活を送っているといわれていました。そんななかで、コウさんも劇団を退団することになったのです。かつては優雅な暮らしをしていた上原さんですが、さらに倹約を強いられる状態となりそうです」(前出・舞台関係者)自身の発言をキッカケに劇団を去ることとなったコウ氏。上原との結婚を発表した当時、《誰が何と言おうと、僕は妻と産まれてくる子供を守りたいと思っております!》とTwitterで宣言していたが――。ネットでは《あなたが守りたかったものは何だったのですか》と厳しい声が上がっている。
2019年05月30日「5月10日に、美智子さまは宮内庁病院を訪れ、首のレントゲン写真を撮られていたのです。持病の再発が疑われたので、緊急検査となったようです」(宮内庁関係者)3月から4月にかけて上皇ご夫妻は、通常のご公務に加えて退位に向けた行事が目白押しで、ギリギリまで心身を酷使されてそれらに臨まれていた。「美智子さまはどのような公務に際しても、また人々にお手振りされるときでも、避難所をお見舞いされるときも、背筋を伸ばされて姿勢を保たれています。人目につかないところで椅子に座られても、背もたれに寄り掛かるようなことはありません。ただ、そのお心がけが持病の『頸椎症性神経根症』を悪化させてしまうこともあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)宮内庁は上皇ご夫妻が「お引っ越しへ向けて、身近な物から整理を始められている」と公表したが、前出の宮内庁関係者は、引っ越しの準備が「気の遠くなるような作業」なのだと明かす。「退位の当日まで上皇ご夫妻は“全身全霊”で公務に臨まれました。引っ越しの準備ができる余裕などまったくなかったのです。プライベートな品々に関しては職員が手を付けるわけにもいきません。長女の黒田清子さんにもお手伝いしていただくようですが、まだ仕分けが始まったばかりで、遅々として進んでいません。荷造りはだいぶ先になりそうです」’93年に赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現在の吹上仙洞御所)に移り住まれたときは、荷物が2トントラック延べ100台分にも及んだ。「ご家族の思い出の品は前回より増えているはずです。陛下の魚類の研究資料も大量にあります。絵本、児童書はもちろん、退位後に読んでみたいとおっしゃった探偵小説など、美智子さまの蔵書だけでも膨大な量ですので、整理はとても大変だと思います」(前出・宮内庁関係者)新居となる仙洞仮御所の改修工事は3月末に完了しており、引っ越しの作業を始められる状態だ。しかし、上皇ご夫妻にはまだなさらなければならないことがある。「近いうちに、退位の報告のために京都の孝明天皇陵・明治天皇陵へ参拝することが決まっています。その前には東京都八王子市にある大正天皇陵にも参拝しなくてはならないのです」(前出・宮内庁関係者)ご結婚以来60年にわたり、全身全霊で公務に臨まれてきた美智子さまの“後遺症”が軽度で済むことを切に祈るばかりだ――。
2019年05月24日