第二子不妊治療を始めてから約3年の時を経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。 やっと赤ちゃんがきてくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第二子不妊治療。第一子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっときてくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ぎゅっとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精一杯でした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年06月30日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症の可能性を意識するように長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども、私は自分の妊娠をあきらめることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度目・4度目の流産でした。「もしかして、妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進むほかに道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 原因不明の不育症と経過観察不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は、今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月29日結婚後、1年経過しても妊娠しなかったので、不妊治療専門の病院に通いました。実際に通ってみてつらかったこと、でも治療してよかったなと思うことをお伝えします。 まずは検査を受けることに結婚して1年。夫婦で妊娠を待ち望んでいましたが、なかなか妊娠できないので、不妊治療専門の病院へ。まずは夫婦ともに、不妊の原因になりうる感染症や体質的に妊娠しやすいかどうか、各種検査を受けました。 その中でも特につらかったのが、卵管造影検査。「生理痛がひどい場合はちょっと痛いかも」と主治医に言われ、実際、生理痛がひどい私には激痛でした。 次に各種検査の結果を聞きにいき、私はとある感染症にかかっていることが、そして夫は精子の運動率が低いことが判明。お互いに自覚がなく、なんだかとてもショックを受けたことを覚えています。 タイミング療法と人工授精にトライ各種検査の結果がわかり、主治医と治療方針を立てることに。まずは3回、タイミング療法にトライしましたが、うまくいかず。早めの妊娠を希望し、人工授精に切り替えました。しかし、2回人工授精をおこなっても、妊娠しませんでした。 当時はフルタイムで働いており、職場の上司には不妊治療中であることを伝え、理解を得ていました。しかし、私が通った病院は、院長がひとりで治療方針を立てるところだったため、予約しても待ち時間が長い! 仕事を休んだり、時間休を取りつつ、長いときは受付から会計まで6時間……という状況。 また、人工授精の実費負担もあり、大変な割に妊娠しない……。次のステップに進めば体外受精で、さらに実費負担がかさむな……と、うまくいかないことがつらく、先々の不安が重なって、ついに通うことを中断してしまいました。 なんと自然妊娠!ところが中断してすぐ、念のためタイミングだけ取っていたのですが、なんと自然妊娠! 主治医にも驚かれました。思えば、検査結果がわかってから、夫は主治医に相談して、すすめられたサプリメントを摂取し、私は感染症の治療をしたことや、行き詰まったときに思いきって治療を中断したことが気分転換になり、よかったように思います。 不妊治療は、精神的・経済的な負担が大きく、今思い出しても、とにかくつらく大変でした。ただ、不妊の原因がちゃんとわかり、現実的に必要な治療ができたことは、本当によかったなと思っています。 それから、あまりにつらいと感じたときは治療を中断し、気持ちをラクにすることも必要なことだったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/しおみなおこ監修/助産師REIKO 著者:野田 理恵もうすぐ2歳になる女の子の母。福祉関係の仕事に従事するかたわら、記事執筆をおこなう。
2021年06月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月29日20代前半の私は生理が疎ましく、生理不順で生理が規則的にこないことを“これ幸い”と思っていました。一応、婦人科を受診してもすぐに放置。真面目に生理不順と向き合ってこなかったのですが……。 生理不順の自分を「ラクでいいや…」と思っていた20代前半まだ結婚や出産が現実的ではなかった20代前半の私は、生理のことを疎ましく感じていました。むしろ、生理不順で、生理がちゃんとこない自分をラクだと思っていたぐらいです。 時折、婦人科を受診して生理不順の治療をしようとしたこともありましたが、当時は仕事が不安定だったことと、「生理がちゃんとくるのも煩わしいんだよな……」という思いがあり、勝手に中断。真面目に治療する気がないのに、それを医師に悟られたくないという思いもあり、あちこちの婦人科に通院してはやめ、通院してはやめを繰り返していました。 病院で婦人科系疾患を診断されるもそのまま放置そんな不真面目な気持ちで受診していたある婦人科でのことです。 その婦人科では、多嚢胞性卵巣症候群であると診断され、「ちゃんと排卵ができていないようです。妊娠したいと思ったときは苦労するかもしれませんよ」と、医師に言われたのです。 しかし、将来のことなど頭になく、当時パートナーもいなかった私は、そう言われても真剣に治療するには至らず、「そうなんですね」と気のない返事をするだけ。その日のうちに生理と思われる出血がみられたこともあって、処方された薬も飲まずに放置し、また不順な日々を過ごしてしまいました。 20代後半でようやく生理不順と向き合う仕事が安定してきた20代後半、ようやく将来のことを考えられるようになった私は、やっと真面目に生理不順の治療に取り組む気になりました。 漢方治療に2~3年、病院を替えて低用量ピルの服用を1年続けましたが、生理不順は改善しません。気づけば30歳過ぎ。このころには結婚をしており、出産も考えていました。 よくなる兆候がみられないなか、思い出したのが、以前診断を受けた多嚢胞性卵巣症候群のこと。「もしかして……」と生理不順の治療をやめて、不妊治療をおこなっている病院を受診。やはり多嚢胞性卵巣症候群であったことがわかり、すぐに治療を開始しました。 いろいろな婦人科を受診しましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたのはあのときだけ。結果的に、この診断が治療への足掛かりとなりましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたときにちゃんと治療をしていれば、その後、生理不順で苦労せずに過ごせただろうと思うと、放置してしまったことを後悔しました。 若いときは煩わしく思える生理も、子どもを産むためには大切なもの。出産にはどうしても年齢制限があるので、生理不順の場合は、面倒くさがらずにしっかりと治療をすることの大切さを知りました。 私と同じような過ちや苦労をする人が少しでも減ればと、今は職場の若い子に自分の経験を話しながら、検診を積極的にすすめています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/加藤まなびさん
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は、第一子のお子さんを授かるまでの不妊治療のお話について、取材させていただきました! つらかった不妊治療…。母のひと言で気持ちが吹っ切れた!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー第一子のお子さんは、体外受精で授かったと伺いました。どのような経緯で不妊治療を始めることになったのでしょうか? 杉山さん:結婚をしたのが36歳だったので、婦人科系の機能がちゃんと動いているかどうかを調べたほうが良いと思い、婦人科にチェックをしに行ったんです。その当時は「何の問題もない」と言われ、その言葉通り、その後すぐに妊娠することができたんですよね。ただ、その後、赤ちゃんの心拍を確認する前に流産してしまって……。そのときはすごく落ち込みました。でも、赤ちゃんが1度来てくれたのだから大丈夫だろうと思っていたんですが、その後なかなか授かることができなかったんです。 ーそこから不妊治療をされたんですね。 杉山さん:はい。結果として人工授精を4回チャレンジしました。すべてに失敗し、そのたびにショックを受け、気持ちがすごく疲れてしまったんです。できると思っていたのにできずに、こんなにも妊娠することが難しいんだと実感した瞬間でした。さらに高齢でしたし、それまでも選手として身体も酷使していたので、そういうことが不妊に繋がっているのかなと思い、一度気持ちが相当落ちてしまった時期があったんです。 ーどうしてもネガティブになってしまいますよね。 杉山さん:そうなんですよね。なので、一度不妊治療を1年くらいお休みして、体質改善することに切り替えました。趣味を取り入れる形で、自分が「心地良いな」「楽しいな」と思えることをやっていこうと思い、ベリーダンスに挑戦したり、冷え性を直すために、針治療やびわの葉を温める温灸をしたりしました。さらに、夏野菜は体を冷やす作用があると言われているので、夏野菜を控えるようにしたり。苦痛にならない程度に、体が喜ぶようなことを実践していきましたね。でも、その反面、次のステップとなる体外受精をして、“できなかったら、もうダメかもしれない”という恐怖があり、その一歩をなかなか踏み出せずにいたんです。主人も、弱気になっていた私をずっと見てきたので、「もう1回やってみようよ」とは言わなかったんですよ。そんなとき、私の母が主人と不妊治療について話すことがあったみたいで、主人から私の状態をすべて聞いたうえで、母は「最後までやってみればいいじゃない? 」と軽く言ったそうなんです。ただ、主人は「自分の口からは愛にそれは伝えられないから、もしそう思うんだったら、直接愛に電話して伝えてあげて」と言ったみたいで。その後、母から電話がかかってきて、「愛ちゃんらしくないじゃない。最後までやってみて、ダメでもいいじゃない。何がダメなの? 」と言ってくれて。私自身その言葉を聞いて、何を躊躇しているんだろうと心の底から思えて、気持ちが吹っ切れたんです。 ーお母さんの言葉が背中を押してくれたんですね。 杉山さん:そうなんです。そこから、ダメでもいいじゃんと思えるようになって。できなかったらできなかったで2人の人生を選べばいい訳だし、全部やってみて悔いが残らないほうが得策だなと思ったんです。そこからはすぐに行動に移せるようになって、1回目の体外受精を行い、そこで妊娠することができました。“今まで何を悩んでいたんだろう”って、後になった今なら言えるんですけど。当時は、女性として授かれなかったらどうしようというマイナスなイメージが先行していて……。それぞれの人生だから、授かれなかったら、それはそれでいいやって思えれば良かったんですけど、当時はそうに思うことができなくて……。でも、考えてみればチャンレジしないで、後になってやっておけばよかったと後悔するほうが、よっぽど後悔として残るなぁと思ったので、あのとき意を決して試すことができて、すごく良かったと思っています。 最初から最後まで寄り添ってくれたパパには感謝しかない画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーお話を聞いていると、パパは杉山さんのことを考えて発言などをしてくれる方なのかなと思ったのですが、不妊治療中はどのように支えてくれましたか? 杉山さん:不妊治療って女性のほうが、どうしても負担が多くなってしまうように思うんですよね。それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。 ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか? 杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。 ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。 杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。 ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか? 杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。 今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。「女性として授かれなかったらどうしよう……」と目に見えないプレッシャーを感じ、負のループに陥っていた愛さんを救ってくれたのは、お母さんの言葉だったそうですが、そのエピソードを聞いて、改めて母の存在って偉大だなぁと考えさせられました。さて、次回は不妊治療中に愛さんが取り組んでいたという、選手時代から継続しておこなっているある方法についてお送りさせていただきます。次回が配信最終回です。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月28日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。夫に内緒で検査を行うと、「単角単頚」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形だと発覚。果たして、妊娠は叶う……!?新たな不妊専門クリニックへ、医師の言葉が励みに考え方を変えれば、妊娠の可能性がゼロではないということでもあった。きっと今の医療の技術でなんとかなる。妊活に非協力だった夫は、検査結果を聞いて「これからはやれることは一緒に頑張ろう」と協力を誓ってくれた。 新たに職場近くの不妊治療専門のクリニックへ通うことになった。最初の受診から紹介を繰り返し、5軒目にたどり着いたクリニックだった。そこで出会った50代の女性医師は「まだまだよ!」と明るく励ましてくれた。 「これまでの検査結果がすべてじゃないから。あせらないで。一般的な治療を始めるわよ」と。 その明るさがうれしかった。「先生との相性がいい!ここは当たりかも!」と直感した。この医師との出会いが、うつむきがちだった夏美さんの考え方を変えてくれた。 夫がすぐには検査を承諾してくれず……治療を始めるにあたって、夫の検査が必要になった。夏美さんが住む東京都では、不妊検査や治療にかかる費用の一部に対し、助成金が出る(対象者のみ。詳しくは「東京都福祉保健局」へ)。夏美さん夫妻の場合、夫も検査を受ければ約5万円の助成金が出る。夫は子作りに協力するとは言ったものの、いざ自分の検査となると、なかなか一歩が踏み出せない。「1週間考えさせてくれ」 夫なりに考えた末、検査を受けることを決断。夫側に問題はなかった。 医師と夫の言葉で吹っ切れた未来像でもすぐには授からない。わかってはいたが、現実を目の当たりすると落ち込む。夫に泣きすがると、非協力的だと思っていた夫から思いもしなかった心のうちを聞いた。 「俺は子どもが欲しくて夏美と結婚したんじゃなくて、夏美と一緒にいたいから結婚した。最終的に子どもができなくても俺は良いけど、夏美が子どもを望むなら一緒に病院に行こう」 はっとさせられた。子どもが欲しくて、頭がいっぱいになっていた。 「そっか。この人と結婚したいから結婚したんだったよな。このまま2人の生活もいいな」と素直に思えた。 医師の明るい励ましと、夫の言葉のおかげで、夏美さんは吹っ切れるようになった。荒んでいた心はポジティブに。「このまま2人暮らしなら、豪華な旅行も行けるかも」と新たな未来を思い描けるようになった。 休日は2人で鎌倉の海へドライブに行き、神社を巡っては2人の幸せな未来を願った。でも諦めたわけではなかった。「最後の1回」という条件付きで、子授けで有名な神社で祈祷してもらったり、ネットで調べた真偽不明のおまじないをこっそり試したり。 でも、どんな生き方になっても、行く先の道には明るい未来が待っている気がした。奇跡の妊娠で医師や看護師も拍手、無事に出産そろそろ人工授精も視野に入れていた矢先のこと。生理が3週間来ていないことに気づいた。強めの花粉症の薬を飲んでいたので、そのせいだと思っていた。一本だけ残っていた検査薬を試すと、陽性反応が出た。 「びっくりして家で思わず叫んじゃいました。すぐに検査薬を、スマホで写真を撮って、夫や母に送っちゃいました」 クリニックで調べてもらうと、既に胎嚢が確認できた。 「先生も看護師さんたちも、拍手して喜んでくれたんです。本当にうれしくてうれしくて。しばらくにやにやが止まりませんでした」 その後、大学病院に転院。子宮が小さいことから懸念されていた妊娠経過も順調だった。小さかった子宮は一般の妊婦と同じように膨らみ、立派に命を育んだ。 2020年11月、逆子による予定帝王切開で、約2,600グラムの元気な女の子を出産。産後も順調に過ごしている。妊活から2カ月で不妊の検査と治療を開始し、治療から4カ月で授かった夏美さん。 「私の場合は、早めに検査して本当によかったです。それからいい先生との出会いも大きかった。夫の言葉で気持ちを前向きに切り替えられたことも良かったと思います」と振り返る。 現在、生後4カ月のわが子の寝顔に癒される日々を送っている。 「すやすや気持ちよさそうに眠ってる顔を見ていると、力が湧いてきます。育児が大変でもがんばれるなって。2人目も授かったらうれしいけど、あせらないでやっていこうかな」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月30日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。果たして……?妊活から2カ月、夫に反対されながらも1人で産婦人科へ夫の理解を得ることは容易ではなかった。妊娠はそんな簡単なものじゃない。正しい情報を集めていた夏美さんは、強く反論したかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、その場はそれきりの話し合いで終わらせた。 「反論したかったけど、これから先、夫婦関係が気まずくなってしまう方が危険だと思って。悔しかったけど引き下がりました。でもわたしが安心したかったので、1人で産婦人科へ行きました」 一歩目は踏み出しやすかった。向かったのは、生理痛で10年近く通っていたかかりつけの産婦人科クリニック。主治医は顔なじみのおばあちゃん先生だった。話しやすく、生理の状態も知ってくれていた。まずはタイミング法を試しながら、検査を進めることになった。 気絶しそうな人生最大の痛みを味わうことに通常、不妊治療の検査は男女ともに行われる。日本生殖医学会によると、女性側は①内診・経膣超音波検査、②子宮卵管造影検査、③血液検査が一般的な検査とされている。 夏美さんの場合、第一段階として行われた検査の一つが「通水検査」だった。子宮内にカテーテルをいれて生理食塩水を注入し、卵管の通り具合を調べる検査だ。一般的に麻酔を使用しない検査で、「多少の痛みは伴います」と説明を受けて臨んだのだが、ここで人生最大の痛みを味わうことになる。 激痛どころじゃない、気絶しそうな痛みだった。 「究極の痛みで、便が漏れてしまいそうなほどでした。寒くて怖くて……。顔面蒼白になってしまいました」 カルテに書かれた「不妊症」の文字、頭が真っ白に ここで夏美さんの“嫌な予感”は確信に変わったという。わたしの体に何かが起きているーーー。 普通の検査でこれほど壮絶な痛みを感じるなんて、きっと体に何か原因があると直感したという。その日は何も診断が出ず、結果が出るまで1週間を待った。翌週、結果を聞きに訪れた診察室で、予想だにしない言葉が医師の口から出た。 「片方の卵管が見えません。通りが悪すぎるから、ちゃんとしたところで調べないと」 不妊治療専門のクリニックを紹介され、卵管の造影検査をすることになった。同学会によると、子宮卵管造影検査とは、「X線による透視をしながら子宮口から造影剤を注入し、子宮の形や卵管が閉塞していないかを見る検査」のこと。さらに子宮の形態を詳しく調べるため、総合病院で子宮のMRI検査も受けた。1人で検査結果を聞きに行くと、医師のカルテには「不妊症」の文字。 震えた。 不妊症の原因が明らかに!思わぬ事実が発覚説明の前から頭が真っ白になった。医師は淡々と説明した。 「普通の人は卵管が2つあって、子宮は鶏の卵くらいの大きさがあるけれど、あなたの場合は卵管が1つしかありません。子宮は半分くらいの大きさでとても小さいです。もし妊娠できたとしても、体が異物だと思って流してしまう可能性があります。 妊娠したあとも大変だから、大きな病院で診てもらってください。まずは妊娠しないと話が進まないから、不妊治療専門クリニックに紹介状を書きますね」 夏美さんの子宮は「単角単頚(たんかくたんけい)」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形で、通常の半分の大きさで小さく、片側に寄っており、2つあるはずの卵管が1つしかなかった。長年悩まされた生理痛の原因でもあった。 病院の帰り道はふらふらだった。本当は誰かにしがみつき、声を出して泣きたいくらいだった。 ポケットに、飴が1粒入っていた。袋を開ける手と飴をなめる口が、小刻みに震えていた。これからどうしよう。 込み上げる涙と一緒になめた飴の甘みが、これでもかというくらい心にしみた。とりあえず夫にLINEを送った。 「家でちゃんと聞きます。とりあえずおつかれさま」 短い文章から、夫の動揺も伝わってきた。 ◇ ◇◇ 夫に内緒で行った産婦人科。そして発覚した子宮奇形。まずは妊娠のために、不妊治療専門の病院へ通うことになった夏美さん。 次回、不妊治療の結果が明らかに! 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月29日「仲良く夫婦生活を送っていれば、赤ちゃんは自然に授かるだろう」。妊娠についてそう考えている人は少なくありません。しかし、健康な夫婦でも排卵1回あたりの自然妊娠率は約20-30%程度と言われています。若くて健康でも1年の排卵のチャンスはたった12回。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 自然な妊娠を望む年上夫は非協力的。気持ちのすれ違いに涙「あぁ、疲れた」 その日、夫は仕事から帰るなり、大げさに疲れをアピールしてきた。その日、というのは妊娠しやすいタイミングの日。ネットや妊活アプリで調べ、予め伝えておいたが、明らかに拒絶していることが伝わってきた。 「今日もだめか……」 夏美さんは、疲れた夫を責めることもできず、すれ違う気持ちを抱えて1人静かに泣いた。 現在、生後4カ月の女の子を育てる夏美さん。絶望と希望の間でさまよった不妊治療期間を経て、今は穏やかな日々を送っている。 27歳の時に13歳年上の夫と結婚。夫の年齢も気にして、結婚前から「すぐに子どもは作ろうね」と語り合い、ハネムーンから妊活をスタート。ところが2カ月経ってもいつも通りに生理が来る。 「そのころは妊娠に関する知識がなくて、すぐに授かると勝手に思っていたんです」と夏美さん。同じ時期に結婚した同僚たちは、次々に妊娠を報告していた。 夫にいいタイミングを伝えるも「そういうのは自然にできるものだから。欲しい欲しいと思うと逆に妊娠できないよ」と非協力的な言葉が……。夫とのタイミングが合わず、日に日に焦りは増していった。 寝込むほどの生理・・・もしかしからできにくい?と不安に毎回、生理は苦痛でたまらなかった。腹痛、腰痛、頭痛に加えて多量の出血。学生時代は寝込むほどだった。実家近くの産婦人科クリニックに長年通い、痛みを緩和するための低容量ピルを処方してもらっていた。妊活に備えてピルの服用はやめていたが、市販の痛み止めに頼りすぎることも。 人より重い生理が気になってネットで調べると、不妊と結びつく情報がいくつか引っかかった。「もしかしたら、自分は赤ちゃんが授かりにくいのかもしれない……」。胸がざわざわした。 日本産科婦人科学会では、不妊を定義する期間として、「1年間が一般的」と定義している(妊娠を望む健康な男女の間に授からない期間)。しかし問題が考えられる場合は、すぐに治療を開始するよう勧めている。 頭に浮かんだ「不妊治療」の文字、しかし夫は……夏美さんの頭には、妊活から2カ月の時点で「不妊治療」の文字が浮かんだ。妊娠するチャンスは1回の排卵でたった数日間しかない。排卵は月に1回、1年で考えるとたった12回だ。このままではあっという間に年を重ねてしまいそうな気がした。 ところが赤ちゃんは誰もが自然なタイミングで授かると思い込んでいる夫。ネットの書き込みでも、夫と同じ意見を多く見かけた。通院したいと相談すると、予想通りの反応が返ってきた。 「行く必要はないよ。自然に任せたいんだ」◇◇◇妊活には非協力で、しかも不妊治療の検査へは「行く必要がない」と言う夫。果たして、夏美さんの妊活はどうなるのでしょうか。 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月28日私が31歳、不妊治療をしていたときのことです。私は普段、生理は7日で終わるのですが、そのときは8日目にまた出血がありました。生理痛のように下腹部もだんだん痛くなり、ついには冷や汗や吐き気まで……。激痛でのたうち回り、気づけば病院に救急搬送されたのです。不妊治療にはこんなリスクもあるんだと知った出来事です。 不妊治療は、精神的にも肉体的にもしんどいものです。そして、まさか自分にもこのような副作用が起きるとは思っていませんでした。 ちなみに、そのときに飲んでいた排卵誘発剤は服用をやめて、別の薬を処方してもらうことになりました。そして、今では第一子を妊娠中です。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO--------原案/たなかまさぽんさん作画/コジママユコイラスト制作者:イラストレーター コジママユコマンガ作家、イラストレーター。北海道出身、現在は関東で夫と二人暮らし。WEBを中心に、自身の経験を元にしたマンガを発表しています。女性向けメディアでイラストレーターとしても活動中。
2021年04月26日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日気になる男性とのLINEのやり取りは、どこで終わりにするかを意識しておくことが大切。好意があるからといって、いつまでもダラダラと続けてしまうと、うっとうしく思われてしまう危険性も出てきます。そこで今回は、気になる男性との「LINEのやめどき」を紹介します。■ 「間」が空くようになった「飽きてくると返事をするのが面倒になってしまう。そうなると、ポンポンと返事をする気にもなれなくなるから、どんどん遅くなっていっちゃうかも」(31歳/男性/アパレル)楽しいときには、ポンポンとテンポよくやり取りが弾むのがLINEの大きな特徴。逆に、飽きてきたり疲れてきたりすると、テンポが悪くなり、なんとなく間が空くようになっていきがちです。男性が既読するまでにいちいち時間がかかるようになったら、もう会話に集中できなくなっているか、ほかに何かやることが起きた可能性が高いので、一旦終わりにしたほうがいいでしょう。■ 「話題」がなくなった「話すことがなくなっているのに、終わりにしてくれない女の子って、はっきり言ってイライラする。こっちはもう終わりの雰囲気を出しているのに…」(28歳/男性/WEBデザイナー)これといった話題もないまま、ズルズルといつまでも会話を続けるのは、男性がもっとも苦痛に感じること。ひと通り会話をして、もう特に話すことがなくなってきたのなら、そこから無理に引っ張ったり、次の話題を探したりはしないほうがいいかもしれません。また話したいことができたらLINEをすればいいだけなので、長くつながっていることにこだわりすぎないでくださいね。■ 「相手からの話」がなくなった「もう終わりにしたいときには、こっちから話し始めたりはしませんね。またそこから新しい会話が始まっちゃったら、長くなる一方ですからね」(27歳/男性/営業)男性から話をしてくれることがなくなり、自分からばかり話題を振るようになったら、LINEのやめどきサイン。男性の中ではもう続ける気持ちが薄れてきているはずので、その気持ちは尊重してあげましょう。話すことと聞くことのバランスが良くないと、そもそも楽しいLINEにはなりにくいので、そこは細かくチェックしてくださいね。■ 「簡単な返答」しか来なくなった「LINEのやり取りに疲れてくると、どうしても適当な返事が増えてしまいます。長い文章とかは、打とうという気持ちにまったくなれないですね」(30歳/男性/IT)男性がLINEに飽きてきているときに見せる、わかりやすいサインのひとつが、返信内容が簡単なものになること。「うん」「へぇ」「そうなんだ」といった、軽い相づちばかりになってきたら、もう会話を広げる気力はないのかも。さらに、「じゃあ」とか「また」などの単語が出始めたら、終わりに向かっている証拠なので、そこから無理には続けないほうがいいですよ。■ おわりにLINEをしている最中に、相手の男性の様子が変わってきたら、飽きてきているサインなのかもしれません。それを見逃してしまうと、あなたとのやり取り自体を面倒に思われることにもなりかねませんよ。(山田周平/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年04月10日江上敬子さんは、「ニッチェ」というコンビを結成しているお笑い芸人です。現在はバラエティー番組にレギュラー出演するほか、「ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん~胃ぶくろをつかむ、嫁ラクレシピ!」「ニッチェ江上敬子ダンナやせごはん~かさ増し!レンチン!缶タン!編」など、料理本の出版もおこなっています。また、2015年9月には一般男性と結婚し、2020年9月5日に第一子を出産しました。 今回は不妊治療のお話を中心に、治療中につらかったことや、つらい時期の乗り越え方などを取材させていただきました! 不妊治療中の夫婦関係は真っ黒!? 溝はどんどん深まっていき…ー江上さんは不妊治療の上、出産されていますが、どのくらい治療を続けていたのでしょうか? 江上さん:トータルの期間は2年間くらいでしたね。結婚して、子どもが欲しいなと思ったときに、自分の体がどういう状態なのか知らなくてはいけないなと思い、検査を受けることにしました。 ーそこでの結果はどんなものだったのでしょうか? 江上さん:検査は旦那と2人で行き、旦那には何も問題がなかったんですが、私は卵子が育ちづらい体質なだけでなく、子宮内膜症が見つかり、妊娠しづらいことがわかったんです。まずはそこを改善するために、1年くらいの時間を費やしました。 ー実際不妊治療をおこなっているときに、「一番つらかった」と思うことはどんなことでしたか? 江上さん:夫婦間の認識の差ですね。あとは、比重です。子どもは2人で作るものなのに、どうしても女性の負担が大きくなってしまうなぁと。女性しか子どもを産むことができないからこそ、仕方のないことなのかもしれないですが、2週間に1度、遠い病院へ早朝に通い、仕事に行き、同じ時間に薬を飲み、おなかに注射をしていると、本当につらくて「なんで私だけ」と思ってしまうこともありました。さらに、BMIが高めだと妊娠しづらいということで、体重も8キロほど減らしました。その間、旦那は普通に生活をしているからこそ、どうしてもイライラしちゃうんですよね……。本当なら、そのすべての苦労を話して理解してもらえばよかったんですが、当時は自分から話す気力もなかったんです。男性にしてみれば、「言われないからわかんないよ! 」という感じだと思うのですが、心のどこかで「言わなくてもわかってよ! 」という気持ちがありましたね……。「2人で治療しているんだから、もう少し気を遣ってよ! 」みたいな感覚の差もあったりして……。なので、そういったお互いの認識の違いから、どんどん溝が深まっていって、そのころの夫婦の仲は最悪でした。 ーそのような夫婦間の溝は、どのように解消していったのでしょうか? 江上さん:話し合いもしたんですが、当事者同士はうまくいかず……。わが家では、お互い仲がいい友達に間に入ってもらい、話を聞いてもらうことにしたんです。旦那も私も、直接言えないようなことをその友達には言えますし、第三者がいるということで、ちゃんと冷静に言葉を咀嚼して考えることもできたんです。それからは少し落ち着きましたね。今思うと、そこが不妊治療最大の山場だった気がしますし、今思えば「言わずともわかってくれよ」と思わずに、もっと自分の気持ちを素直に言っていればよかったなと思いますね。 ーそういった治療に対する夫婦間の温度に悩む方は多いと思います。男性に不妊治療について理解をしてもらうのは、なかなか現実では難しいようですね。 江上さん:そうなんですよね。でも、これから2人の子どもが欲しいと思っているのに仲が悪くなったら意味がないと思います。私も夫婦関係の暗黒時代を切り抜けるために、意識的に実践していたことがあるんです。それはとにかくポジティブな将来のことを話すということでした。「子どもができたら、どんな漢字の名前にしようか」とか、「何を習わそうか」とか、そういった妄想を楽しむようにしていました。それだけで和むんですよ。自分たちの気持ちも前向きになりましたね。 「どこまでチャレンジするのか」を2人で決めることがすごく大切ー今は不妊治療に対しての保険適用化のお話もありますが、どう考えますか? 江上さん:すごく素晴らしいことだと思います。そこで諦めてしまう人もいると思いますし、実際に私のまわりにも、そういった夫婦が何組もいるんです。なので、なるべく早く実現化してほしいですね。私の希望としては、「今子どもが欲しい! 」と思っている人たち全員に、適応されるといいなと思っています。なので、1日でも早く可決してもらいたいですね。 ー 金銭的な問題で諦めるのは悲しいですよね。 江上さん:そう思います。また、不妊治療をおこなう際に絶対に大切なのは、「どこまでやるのか」を決めることだと思うんですよ。自分たちの中で期限というか、「ここまで挑戦しよう」という線引きをちゃんと決めるというか。それに、できることをやるだけやって無理だったら、諦めもつきやすくなると思うんですよね。 ー 不妊治療を受けるときに、事前に何か2人で決めていたことはあるんですか? 江上さん:金銭面や年齢などに制限があったので、私たちの場合は最初から“何回まで”と回数を決めていましたね。「この回数で挑戦してみて無理だったら、金銭的にも続けられないし、諦めましょう」という感じできちんと2人で話してから、治療を始めました。 ー 最初に不妊治療について、どういう方向性でおこなうのかを確かめておくということは大切なことですよね。ほかにも、治療でつらいときなどは「察して欲しい」と相手に求めるのではなく、今の状況や自分の思っていることを伝えることが大切だとおっしゃっていましたが、それもすごく大事なことだと思います。 江上さん:「察してほしい」という気持ちはわかるのですが、女性も男性も自分の言葉で説明するのが面倒なんでしょうね。でも何でかそう思っちゃうんですよね。ただ、その状態だといつかケンカになってしまうと思うので、ケンカになったときに「自分たちには何が足りなかったのか」ということを見直すことが大切だと思います。男性は男性なりに絶対悩むし、しんどいだろうし、どうしていいかわからないと思うんですよね。なので、女性も「自分ばっかり」って思わないようにするのは大事なんだなって、それは自分の経験を通してそう思いましたね。 ーそれでは、不妊治療を頑張っている人たちにメッセージをお願いします。 江上さん:まず、“1人じゃないよ”ということを伝えたいですね。今はSNSを駆使すると、同じ体験をしている人や、同じことで苦しんでいる人、喜んでいる人などがいっぱい見つかるんです。なので、そういう人たちとたくさん繋がって、一緒に頑張っていることを実感してほしいですね。手を出せば、絶対に握ってくれる人はいます。決して1人で抱え込まないでほしいですね。 今回は不妊治療に特化した内容を取材させていただきましたが、いかがでしたか? 不妊治療中の夫婦関係など、一歩踏み込んだ内容についても、江上さんはときに明るく、ときに真剣に話してくださいました。さて、次回はコロナ禍の妊娠・出産についてお話を伺っています。次回の配信もぜひ楽しみにしていてくださいね! PROFILE:江上敬子さん島根県出身の1984年9月17日生まれ。マセキ芸能社に所属しており、女性お笑いコンビ「ニッチェ」ではボケを担当している。著者:ライター 吉田可奈
2021年04月09日28歳のときに不妊治療で第一子を授かり、出産した私。第一子である娘が1歳を過ぎたころから第二子の不妊治療を始めたのですが、治療を受けるなかで失敗したと思うことがいくつかあります。今回はその失敗体験を紹介します。 不妊治療の記録をすべて捨てた待望の第一子は、タイミング法を3回したあとの人工授精3回目で授かりました。おなかの赤ちゃんは順調に育ってめでたく出産となったのですが、産後2カ月が経ったあとに急きょ夫の転勤で引越しをすることに。 引越し後は見知らぬ土地で子育てをしながら片付けにハマり、勢い余って第一子の不妊治療に関する書類をすべて捨ててしまったのです。第二子の治療は引越し先の病院で受けたため、過去の資料が一切なくて困ったのを覚えています。 領収書の管理がいいかげん第一子の不妊治療では人工授精3回目で娘を授かることができたので、治療にかかる費用はそこまで高額にならず、助成金の申請はおこないませんでした。 けれど、第二子の不妊治療では10回を超える人工授精をおこなっても子どもを授かることができませんでした。治療費も高額になったため助成金申請をしようとしたところ、領収書がいろいろな場所に保管してあったり日付通りでなかったりして大変な手間が。領収書の管理はきちんとしておく必要があると痛感しました。 妊娠に対する考えが甘かった不妊治療当初から「自然妊娠をする確率はほぼゼロで体外受精でも難しい」 と先生から言われていましたが、娘を3回目の人工授精で授かったので次も思っているよりも簡単に妊娠すると考えていました。 ところが、人工授精12回、体外受精を1回おこなったものの、未だに妊娠に至っていません。私も夫も年齢はどんどん高くなり、体も衰えていくなかでどこまで治療を続けるのかまだ決めていません。出費は増え続ける一方なので、子どもが授からなかった場合にいつ諦めるのかを考えなくてはならないなと思っています。 不妊治療をしていると、まだ見ぬ未来の赤ちゃんと会える日を楽しみに気持ちが前向きになる一方で、現実的に考えなくてはならないことがたくさんあり、気持ちが後ろ向きになることもあります。それでも、後悔のないように納得のいくまで治療に取り組んでいきたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/manami.koiso 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年04月07日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 総合商社で正社員管理職の下村さんは31歳で結婚。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始。朝6時半に家を出て不妊治療後、出社する仕事との両立で体も心も疲弊してしまいます……。 友人の妊娠出産が喜べず限界にタイミング法での妊娠を待った通院から約2年が経ち、人工授精へステップアップしないかと医師からアドバイスされた。 周囲は出産ラッシュを迎えていた。地元の仲のいい友だちから来る妊娠・出産報告。友人が出産するたび、ベビーコーナーで離乳食の食器やチャイルドシートなどのお祝い品を奮発した。次第に友人との集まりには、子どもや赤ちゃんが増えていった。 「地元の友だちはみんな大好きだけど、さすがに会うのがつらくなっていきました。おめでとうって顔では笑っていても、心では笑えなくて。親友の1人がそんな私の様子に気付いてくれて、『今は無理しなくていいんだよ』って言われ、少し気持ちが落ち着きました」 そして豊華さんは、約2年続けた不妊治療の中断を決意する。 「限界だったと思うんですよね。基礎体温に一喜一憂して、生理が来るたびに『あぁ、まただめだった』って落ち込んで。これは本人しかわからない気持ちです。タイミング法だと夫との行為も義務的になってしまって、精神的にもつらかったです。何より仕事と通院の調整がもう限界でした。一度休憩したいって先生に伝えました」 まさかの妊娠、不妊治療していたことを職場に告白 通院を休んで少し経ったころ、基礎体温がだらだらと高い日が続いた。生理も来ていなかった。もしかして……。受診するとおなかには新しい命が宿っていた。36歳の時だった。 「治療をお休みしてすぐ妊娠したので驚きました。今思えばストレスもいけなかったのかな、と。私の場合、会社にだまって通院していたことが一番つらかったんだなって気付きました」 妊娠を機に不妊治療していたことを職場に打ち明けようと決めた。本当は子どもが欲しいのに授かれず、不妊治療に踏み切れない同僚や後輩が、ほかにもいるかもしれない。会社の雰囲気が一因になっているかもしれない。ここで私が不妊治療を打ち明けることで、なにか変わるかもしれない。 まずカミングアウトしたのは、同い年と5つ下の既婚の女性社員。聞けば2人とも子どもが授からずに悩んでいたという。豊華さんが不妊治療をすすめると、2人ともすぐに専門のクリニックに通い始めた。「私が産休に入るまでは全力でサポートするから」と応援した。 豊華さんが産休に入るとき、不妊治療で通院していた2人が産休の準備に入っていた。職場の空気が変わったと手応えを感じだ。 「まぁ、社長はあんまりいい顔してませんでしたが、周りの反応は意外とやさしくて祝福してくれました。本当によかったです」 40歳目前、2人目の不妊治療へ。職場に伝えて周囲に協力を依頼 豊華さんは、無事に第1子となる女の子を出産した。育休が明けて職場へ戻ると、管理職からは事実上外されていた。やりがいを感じていたメーカーとの交渉はほぼできなくなり、女性社員が多い営業事務の教育担当になった。 もう40歳目前。2人目の妊娠を急いでいた。多嚢胞性卵巣症候群が悪化していたこともあり、体外受精を目指した。 凍結技術の進歩により、体外受精の受精卵はいったん凍結保存するケースが多い。豊華さんも凍結保存を選んだ。通っていたクリニックでは、凍結保存した受精卵を融解して移植する場合、5時間ほどかかった(※通常1時間程度。クリニックにより大きく異なる)。 「その日は1日予定を入れないでください」とも言われたため、そうなると仕事を休まなければならない。もうごまかしは利かない……周囲の助けが必要だった。今度は最初から不妊治療を同僚にカミングアウトした。 「今度は体外受精なので、もう会社の協力がないと無理!って思ったんです。最初に治療のことを打ち明け、周囲に協力をお願いしました。その代わり、同じような人がいたら私も全力でサポートしますって伝えました。産後の異動は納得できませんでしたけど、女性が多い部署になったので、伝えやすかったです」 体外受精であっても、予定通りに進まない。1回目の移植は失敗、子宮のポリープ除去手術と予想外のことが続いた。そして2回目の体外受精で妊娠。 しかし切迫流産で1カ月の自宅安静を余儀無なくされた。会社を急に休むことも、長期で休むことも多くなったが、もうあの頃のような後ろめたさはなかったという。 「私のカミングアウトによって、後輩たちが続々と不妊治療を始めていました。だからお願い! 私、休むから!って堂々と言えたんです」 2020年7月、自宅から近い大学病院で無事に第2子となる男児を出産した。42歳だった。 必要なサポートは、制度よりも「周囲の理解」と実感会社の空気は変わったが、まだ課題は残る。豊華さんが打ち明けられたのは女性社員だけ。男性からの理解は得られる気がせず、伝えられなかった。会社が組織の制度として不妊治療を応援しているのではない。周りの女性社員たちが、個人としてサポートしてくれている段階だ。 2020年の菅内閣誕生で、不妊治療の保険適用が動き出すなど、追い風が吹いている。社会が、時代が変わってきた。でもサポート制度の整備を待つよりも、周囲の理解が深まることで、当事者も協力を仰ぎやすくなると感じている。 「仕事と不妊治療の両立は本当に難しいんです。会社にだまっていることが一番つらかったです。不妊治療をすることを恥ずかしがらず、職場や同僚の協力を得て治療に臨むことができれば、妊娠にも早くつながるような気がします」 今は育児休暇中の豊華さん。仕事はこれからも続けて、さらに会社を変えていきたいと考えている。 「復帰してからの新たな目標ができました。これからは社内の女性たちが不妊治療しても出産しても働きやすい環境を作っていきたいです。『私に続けー!』という気持ちです」 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月27日川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。そんな育児も仕事も充実しているイメージの川崎希さんですが、実は不妊治療で苦労したり、昨年の出産はコロナ禍の出産だったので、戸惑ったりすることも多かったようです。今回は川崎さんの不妊治療の体験談を中心に、不妊治療で悩んだことやつらい時期をどのように乗り越えたのか……などを取材させていただきました。 きょうだいが欲しいという思いから不妊治療をスタートー2020年8月20日にオフィシャルブログで娘さんの妊娠を報告されていましたが、その時に「出産してからずっときょうだいができたらいいな〜と思っていた」と書いてあったのですが、きょうだいが欲しいと思ったのはどうしてでしょうか? 川崎さん:私がひとりっ子だったので、小さいときからきょうだいがいるのはいいな〜と思っていたからです。 ー息子さんを出産後、タイミングを見て妊活をされていたのですか? 川崎さん:息子を出産してすぐに次の子の妊娠を考えていたので、出産したその日に次の妊娠はいつから可能かお医者さんに聞いたりしていました。そして出産後、半年くらいしてから妊活のための通院をスタートしました。 ー川崎さんの場合、第1子も不妊治療で授かったとのことですが、それまでにかかった期間は約4年、第2子についても体外受精で授かったとのことを伺いました。第2子のお子さんを妊娠するまで、不妊治療はどれくらいの期間だったのでしょうか? 川崎さん:長男を出産して半年くらいで妊活をはじめたので、約2年半くらいだったとは思います。でも2年半ずっと通院をしてるわけではなく、気分転換のために通院せずに休む月もありました。 ー今回は体外受精を迷わず選択されたとのことですが、その理由を教えてください。 川崎さん:自然でできたらいいなとは思ったのですが、やはり妊娠できる期限が限られてる中で、ステップとしてはタイミング法や人工授精もありますが、以前に人工授精などを何回しても妊娠したことがなかったので……。自分の体質では、1番妊娠への近道が体外受精だったと長男の妊娠のときに思ったので、妊娠の可能性か高い体外受精にしました。 「まだ見ぬわが子に会いたい!」その一心で乗り越えた治療ー実際、不妊治療中の期間は苦しかったり、つらかったりすることも多かったと思います。川崎さんが一番つらいと思ったことはなんでしたか? 川崎さん:仕事との両立が大変でした。治療はあまり先のスケジュールまでわからず、ホルモンの数値を見て急にスケジュールが変更になることもあるので、仕事のスケジュールがあると調整が大変でした。あとは採血が多いので注射が苦手な私は毎回気合いを入れて通院していました。 ーそういったつらいことは、どのようにして乗り換えたのでしょうか? 川崎さん:子どもに会うことだけを考えると、治療などなんてことない! と思えて頑張れました。 ー不妊治療中、パパはどのように接してくれていましたか? 川崎さん:長女を妊娠するための治療中は長男をみていてくれたり、すごく協力的で助かりました。治療の内容などあまり詳しく説明したりはしませんでしたが、体調を気遣ってくれるなど、やさしくしてくれていました。 ー不妊治療中が保険適用化される話が出てきていますが、川崎さんはそのことについて賛成ですか?反対ですか? 川崎さん:私は賛成です。 ーその理由を教えてください。 川崎さん:不妊治療はすごく高額なので、金銭的な理由でできない方や数回でやめてしまう方もいると思いますし、私は20代から通院していましたが、体外受精は特に1回あたり50万近くする病院が多いです。そのため、かなり経済的な負担があると思います。国が少子化対策と言っていても、自然妊娠がなかなかできない方は通院するほうがいいと思うのに、今までなんで保険適用外なんだろうと思っていました。妊娠は年齢が低いときから通い始めれば年齢的に妊娠の可能性は上がるのに、若年層ほど貯蓄がないために先延ばしにしてしまうこともあると思うので、保険適用はいいことだと思います。 さて、次回は川崎さんが妊娠生活を送る上で感じた不安や、出産時に大変だったことなど、コロナ禍の妊娠・出産をテーマにインタビューさせていただきました! また、コロナ禍の妊娠・出産以外にも、子どもがいる生活についてや、子どもが生まれて変化した夫婦関係についても取材しています。次回もぜひお楽しみください! PROFILE:川崎希さん1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。
2021年03月26日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 31歳で結婚。子どもができたら専業主婦を望む夫、しかし正社員で総合管理職の仕事は下村さんにとって自分の価値を認めてもらえる場所だった。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始することに。 会社には言えない…仕事との両立のために選んだ職場近くのクリニック不妊治療のことは、会社には言わないでおこうと決めていた。というより、言える雰囲気ではなかった。 「当時の私の職場は男性の方が多くて、出産しても働いている女性が1人もいなかったんです。結婚妊娠で辞めていく女性がほとんどで、有給すら使いづらい雰囲気でした」 結婚出産で退社するのは当然、お茶汲みや電話の担当は女性が当然という旧態依然とした職場が、「不妊治療は恥ずかしい」「言ったって誰も理解してくれない」という思考回路に追い込んだ。「子どもができない体と思われるのでは」という被害妄想もあった。 会社が従業員の不妊治療を把握してないケースは多い。厚生労働省が2017年に実施した調査(平成29年度『不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査』によると、半数以上の企業が「把握できていない」と答えた。さらに不妊治療に特化した制度がある企業はわずか19%だった。 治療もしたいが仕事もしたい。この2つの願いを叶えるため、クリニックは自宅ではなく会社に近いところを探した。 選んだクリニックは、会社のある渋谷駅から電車で20分以内の場所にあった。インターネットの口コミ評価が高く、望んでいた自然妊娠(タイミング法)に力を入れていた。多嚢胞性卵巣症候群でホルモン調整は必要だが、それ以外に問題はなく、夫側にも問題はなかった。 「可能なら人工授精ではなく自然妊娠したい」との思いがずっとあった。そして、自宅から1時間以上かかるこのクリニックに望みをかけることにした。 午前6時半に出発…通院と仕事との両立に疲弊ベビーカレンダーの独自調査によると、「仕事をしながら不妊治療を行ったことがある人」のうち、「不妊治療を辞めた」理由として最も多かったのが「通院スケジュールを事前に立てることが大変だった」という結果になった。 豊華さんも通院スケジュールに悩まされていた。卵の大きさによっては「明日来てください」「明後日来てください」と急に来院日を指定された。タイミング法を選んでいた豊華さんの診察は、排卵前後になると頻回になった。2日おき、3日おきになることも。 けれどもメーカーとのアポイントもあった。仕事を休むことはできない。かといって遅刻や早退もできない。信頼を失いたくなかった。平日の診察は始業前に通院するか、残業しないで駆け込むかの二択だった。 会社の始業は9時から。クリニックの平日の診察は午前8時からだった。できるだけ早い順番を取るため、午前7時半には到着するようにした。診察のある日は午前6時半に家を出る。冬の朝はまだ薄暗く、突き刺す寒さがえらくこたえた。 朝一番の待合室では、いつも時計との睨み合いだった。午前9時までのカウントダウン。診察では超音波で卵の成長を確認する。「今回はだめだねぇ」と言われ沈む日もあった。診察はたった5分で終わる。よし、終わった。足早にクリニックを後にする。渋谷駅に着くと何事もなかったかのように“いつもの顔”をして出社した。診察が遅れて会社に遅刻した日は、「電車に乗り遅れました」と苦しい嘘をついた。 「こんな生活、いつまで続くの」 そんな想いがふと胸を過った。 ◇◇◇ 仕事と不妊治療。心身ともに限界……。 次回、豊華さんに訪れた思いもよらぬ奇跡とは……? >後編へつづく 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月26日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 ◇◇◇ 仕事を辞めるか続けるか両立させるか。働きながら不妊治療を始めた女性の多くは、この3択に悩まされます。厚生労働省が2017年に実施した調査(平成29年度『不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査』によると、働きながら不妊治療をした人のうち、仕事と両立できずに退職した人が16%いることが明らかになりました。 ベビーカレンダーが独自に行った調査によると、不妊治療中で最もつらかったことについて約17%が「仕事との両立」と答えています。 仕事をしながら不妊治療をしたことがある人のうち、不妊治療中に「両立できずに仕事をやめた」「両立できずに雇用形態を変えた」と答えた人は合わせて17%となりました。通院と仕事をスムーズに両立させるためには、職場の協力が欠かせません。しかし「職場の理解がある」と答えた人は約35%にとどまりました。 職場の立場や環境によっては「絶対にバレたくない」と考えるケースも。こうした背景にはどんなリアルがあるのでしょうか。職場にバレずに不妊治療を続ける難しさを体験した、女性の物語をお届けします。 仕事に穴を開けたくない…後回しになった「親になる」という選択肢正社員11年目、総合商社の管理職。会社を辞めようという選択肢なかった。仕事はわたしの生きる場所、自分の価値を認めてもらえる場所だった。 メーカーとの商談は性に合っていたし、企画も任されるようになっていた。仕事に穴を開けられない責任もあった。あまつさえ、夫は建築関係の自営業。突然収入を失うこともあるかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。 31歳で結婚したが、夫との価値観の違いから子作りには積極的になれなかった。夫からは「子どもができたら仕事はしないでほしい」と言われていた。お母さんになっても仕事を続けたいと伝えると、返ってきた言葉は「だったらいらない」。 いつか子どもは欲しいけど、仕事だって辞めたくない。そんな30代前半を過ごした。2人ともいつかは親になりたいと願っていたというのに。 30代半ば、流産がきっかけで向き合った不妊治療 2人の考え方が変わったのは、34歳で流産したことがきっかけだった。妊娠が判明し、「親になる」という意識が夫婦に小さく芽生えた。だが、夫と二人で向かった産婦人科で伝えられたのは「胎児の心臓が止まっている」ということ。超音波検査で発育が止まっていると診断される稽留(けいりゅう)流産だった。 「え、心臓が止まるってどういうこと?」 ショックが大きく、現実が受け入れられなかった。妊娠って誰でも普通にできるんじゃないの? 心臓って本当に止まるの? 何度も何度も確認してもらったが、鼓動は止まったままだった。 「ショックすぎて当時のことはあまり覚えてません。付き添った夫もすごいショックを受けていました。そのときはまだ身近に流産を経験した人がいなかったので、なおさら信じられませんでした」 手術のため、総合病院に1泊2日で入院した。そのとき、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断された。 「多嚢胞性卵巣症候群は妊娠しづらい原因にもなります。妊娠を望むようでしたら、不妊治療専門のクリニックに通った方がいいでしょう」と医師は告げた。 抵抗があった不妊治療、タイミング法で始めることに日本内分泌学会によると、多嚢胞性卵巣症候群は①月経不順 ②卵巣にたくさんの小さな嚢胞(卵胞)がある ③ホルモン値がアンバランスになる(男性ホルモンが高くなるなど)、という症状が揃うと診断される。卵胞が発育不良な状態で、無月経や月経不順、不正出血などの排卵障害が起こる。程度の差はあるものの、不妊の原因になる。 振り返れば高校生の頃から月経不順に悩まされていた。だらだら続いたり、来なかったりを繰り返していた。でもまさか治療が必要とは。豊華さんの場合、ホルモンの調整が必要と指摘された。 「なぜ私が不妊治療に通わなきゃいけないのって抵抗がありました。流産はしましたが1度自然妊娠してるし、できれば通わないで医療を介さずに妊娠したいって思いが強くて。今から7年前ですから、今ほど不妊治療自体も世間に浸透していない雰囲気でした。当時は無知で不妊治療=体外受精でと思っていて。お金のこととか、ホルモン剤の副作用が強いんじゃないかとか、いろいろ心配でした」 けれども夫は常に前向きだった。 「いいと思うよ。行くだけ行って検査して、それから考えればいいじゃん」とやさしく背中を押してくれた。そのとき、35歳だった。 ◇◇◇ 不妊治療を決意したものの、「仕事と不妊治療の両立」は思っていた以上に大変だったという豊華さん。なかでも、最も頭を悩ませたこととは……? >中編へつづく 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月25日育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 平日の採卵は「仕事のために」麻酔なし――二階堂編集長は顕微授精による治療を1年間続けてきました。けれど、不妊治療のことは、職場ではオープンにしていなかったんですよね。 「女性社員の多い会社で、不妊治療に対しても理解のある職場だと思います。だから、隠さなくてもいいかなと思ったけれど、治療の成果が出なかったときに周りが声をかけにくくなるかもしれない、お子さんのいる社員にも気を遣わせてしまうかも……といろいろ考えてしまい、一部の人にしか伝えませんでした。 そして、仕事の上で周囲に迷惑をかけたくなかったので、週1~2回の通院はなるべく土日に予約を入れていましたね。仕方なく平日になってしまった場合はクリニックの待合室に併設されているデスクスペースで仕事をしたり。業務が滞らないように、明け方や夜中にパソコンを開くこともありました。 『不妊は病気ではないので、通院を理由に仕事を休むのに気が引ける』という人は多いです。私もそうでした。ただ、リモートワークのできる私の環境は恵まれているほうだろうし、治療の期間も決めていたので、何とかやっていけたように思います。先の見えない状態だったら、体力・気力をどこまで持つことができたか……。 自分が経験してみて思うのは、不妊治療は職場の理解を得て、柔軟にフォローし合える環境でおこなえるのが理想的。少なくとも上司の理解が得られないと、仕事と不妊治療のバランスをとるのは難しいと感じました」(二階堂) ――前回、採卵日は卵胞の育ち具合で急に決まると聞きました。仕事との調整はどのようにされたのでしょう? 「採卵日は1~2日なら調整可能とのことで、3回のうち2回の手術は土曜日に行いました。1回だけ、週末まで待つと自然排卵する恐れがあったので、平日に採卵することに。 私の通っていたクリニックでは採卵時に全身麻酔を使用するのですが、全身麻酔をしての採卵を仕事のある平日におこなうと、時間がかかりすぎてしまうと感じました。そのため私は、平日の採卵は少しでも短い時間で済ませるために、麻酔を使わずに採卵。幸い、私はあまり痛みを感じなかったのですが、人によっては体調が悪くなることもあると聞いていたので、そうなったとしたら、かえって仕事に支障が出るのではないかと気が気ではありませんでした」(二階堂) 厚生労働省によれば、生殖補助医療(体外受精・顕微授精)の場合、女性の通院の目安は『月経周期ごとに1~2時間の診察が4~10日』かつ『半日~1日かかる診察が2日』。診察時間以外に2~3時間の待ち時間があるのが一般的としています。不妊治療と仕事の両立ができず、約16%の人が仕事を辞めています※。 ※出典:厚生労働省作成リーフレット「仕事と不妊治療の両立支援のために」 不妊治療の助成や特別養子縁組にも年齢の壁――不妊治療は経済的な負担もあります。トータルでどのくらいの費用がかかりましたか? 「顕微授精を3回おこない、総額約193万円かかりました。不妊治療のためにとお金を準備していたので後悔はないけれど、やはり高額ですね。 2021年1月から体外受精・顕微授精による不妊治療の助成が拡大されて、1回あたり30万円の補助を6回まで受けることができるようになりました。だけど制度を利用するには年齢制限があり、治療開始の初日時点で女性の年齢が40歳~43歳未満なら助成は3回まで、43歳以上は対象外になるので、この制度があっても私は適用されません。ただ、このような助成が拡大されことで、チャンスが広がる方もたくさんいるはずなのでとてもいいことだと思います。 また、同時期に特別養子縁組についても調べてみたのですが、養親の年齢は45歳までや子どもとの年齢差とを設定されているところが多いようで……。ここでも年齢の壁にぶつかってしまいました」(二階堂) 後悔しないために考えたいライフプランと卵子凍結――不妊の検査や治療を受けたことのある夫婦は、子どものいない夫婦では28.2%だそうです。不妊治療を受ける人も増加していますね※。つらかったことはどんなことでしょうか。 「不妊治療でつらかったのは、努力が結果につながらないことでした。仕事や勉強は頑張った分だけ成果が出るけれど、不妊治療は着床しなければ振り出しに戻る。むしろ年をとる分、マイナスからの再スタートですね。 今の医療では卵子を若返らせるはできません。卵子の数も日々減っていく中、子どもが欲しいけれど不妊の疑いがあるのなら、早めにカップルで受診することをすすめたいです。自分の体と向き合うことで妊娠への糸口が見つかるかもしれないですから」(二階堂) ※出典:国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査」P27「図表Ⅱ-3-3 子どもの有無・妻の年齢別にみた、不妊についての心配と治療経験: 第 15 回調査(2015 年)」 ――四年制大学を卒業して就職した場合、23~24歳ごろに社会人となり、妊娠適齢期とキャリアを積む時期が重なります。二階堂編集長と同じように、仕事を理由に、妊娠を先延ばしにする人は多いかもしれませんね。 「産休や育休を取るタイミングや仕事と子育ての両立、待機児童など、今の日本で子どもを産み育てるには、乗り越えるべきハードルがあるように思います。 でも、妊娠・出産に関しては年齢を挽回できないことがあるというのも事実。妊娠適齢期は35歳ごろまでで、だいたい閉経の約10年前から妊娠する能力は失われるといいます。これからの時代、いつか子どもが欲しいのであれば、パートナーがいてもいなくても卵子凍結を検討する余地はあるのかもしれません。 思い切り仕事がしたい、子どもも産み育てたい――当たり前のことを当たり前に叶えるためには、妊娠についての正しい知識が必要です。そのうえで、自分なりの生みどきを見据えたライフプランニングが必要ではないでしょうか。手遅れになって後悔しないために……と、自戒を込めて心からそう思いました」(二階堂) インタビューを通して「赤ちゃんが欲しいと思う人が増えること、笑顔で育児できる世の中になることを心から願っている」と語った二階堂編集長。「そのためにも妊娠を望む女性や妊婦さん、ママだけでなく、全ての人が他人事でなく“自分事”と思える情報をしっかりと届けていきたい」と言います。 コロナ禍ではありますが、『こんなご時世でも産みたい』と思えるように、世の中が変わるためには、私たち一人ひとりの意識を変えることが必要だと改めて感じました。 取材・文/来布十和
2021年03月05日5.5組に1組――。不妊に悩む夫婦の割合です。晩婚化が進み、現実にはさらに高い割合とも言われています。いまや、赤ちゃんが授からない悩みは、特別なことではなくなっています。 世界保健機関(WHO)によると、不妊に悩むカップルの半数は男性側に原因があるといいます(※1)。とはいえ、心も体も女性の負担が大きい不妊治療。でも、医療技術は日々進歩しています。ベビーカレンダーの独自調査とともに、不妊治療を乗り越えた女性の物語をお届けします。 ▲ベビーカレンダー独自の調査によると、子どもをもつ2,868名の女性のうち、不妊治療をしたことがある割合は約35%(990名)。3名に1名は不妊治療を経験していた。 夫の一言に落胆、互いにたまるストレス「え。今日何もしてへんの?」 帰宅した夫が、開口一番言い放った言葉に、安藤かなさん(33・仮名)は落胆した。この日は仕事を休んで不妊治療の処置を受けた。治療内容は顕微受精のための採卵。何週間かホルモン注射を打って育ててきた卵子を、卵巣に針を刺して採取する。麻酔もしたので、帰宅後は何も手に付かず横になっていた。 「きつい一言でした。私が今日どんだけ大変な思いをしたか、わかってるはずだよねって。でも今思えば、夫もストレスがたまっていたんだと思います」 かなさんは現在、0歳と4歳の育児に奮闘する。1人目は不妊治療の末に授かり、2人目は自然妊娠で授かった。命が宿るということは、医療の手が介入しようとしまいと、奇跡の連続だと実感する日々だ。 どうして自分だけ……まぶしく映った「産休育休」23歳で結婚。子どもはすぐにでも授かりたいと思っていた。ところが結婚の翌年の夏、突然の出血で子宮外妊娠(受精卵が子宮内膜以外の場所で着床すること)が発覚。緊急の腹腔鏡手術(お腹に数か所の小さな穴をあけ、カメラや手術器具を使って手術を行う方法)を受けた。 奇跡的に卵管摘出には至らなかったが、小さな傷口が4〜5カ所お腹に残った。約1カ月間入院した大学病院の産婦人科病棟は、お腹の大きい妊婦ばかり。元気な赤ちゃんの声も聞こえてきた。早く妊娠しなければという焦りが込み上げると同時に、「どうして自分だけ」と卑屈な感情が湧いた。 「あの時のみじめな思いがきっかけで、どうしても自分の子どもが欲しいってこだわり始めました。職場の先輩たちが『産休』『育休』をとる姿が、まぶしく見えるようになりました」 その後、2年間自然妊娠を待ったがかなわず、不妊治療を開始した。 タイミング法で結果出ず、自己嫌悪に日本産科婦人科学会は、子どもを望む夫婦が夫婦生活を1年続けても妊娠しないことを「不妊」と定義する。年齢や病気などで妊娠しにくい場合は、すぐに治療を開始することも。かなさんは年齢的な余裕はあったものの、2年が経過したので不妊治療に踏み切った。ゴールの見えない2人旅の始まりだった。 初めは近くの産婦人科クリニックの門を叩いた。卵子が20代から劣化するというグラフを見せられ、ショックを受けた。「まずは基礎体温を付け、タイミング法でやってみましょう」という医師の助言に従った。 毎月何本も妊娠検査薬を使い、ちょっとした変化があるたび、インターネットで情報をかき集めた。しかし半年経っても毎月生理はやって来る。妊婦で混み合うクリニックの待合室。人の幸せが喜べない……。穏やかなオルゴールBGMを聴きながら、かなさんはこぶしを握った。 「私はなんてひどい人間なんだろうって自己嫌悪に陥りました。その状況が耐え難くて、専門のクリニックに移ることにしたんです」 専門クリニックで治療開始夫が原因で「妊娠の可能性1%」 不妊の原因はさまざまだ。病気や体質、精神的ストレスのほか、原因が見つからない場合もある。男性、女性、または両方が問題を抱えていることもある。原因の半数は男性側にある。(※1) 紹介された不妊治療専門のクリニックでは、夫婦2人の血液や卵巣、精巣など、生殖に関する器官の検査から始まった。 検査結果を聞きに行くと医師は告げた。 「旦那さんのこのデータから見ると、妊娠の可能性は1%です」 夫の精子は数が少なく、動きも活発ではなかった。かなさんにもホルモンの出方などに問題があった。「つまり、毎月ベストタイミングで子作りをしても8年後にできるかできないかといったところですね」と医師は続けた。0%じゃないんだね、と励まし合った。すぐに治療に取り組もうと、二人で決意した。 「実現するかどうかわからない自然妊娠を待つのではなく、2人ともサラリーマンである今、経済的に余裕のあるうちに積極的に治療に取り組んでみようって決めました」 データから成功を願うもかなわなかった人工授精不妊治療は、タイミング法、人工授精、体外受精・顕微受精の順にステップアップする。かかる費用も段階を追うごとに高額になる。夫婦が次に選んだ治療は、人工授精だった。 「データ的には人工授精でも厳しいとは言われていたんですが、授かったらそれはそれでラッキーだね、ということになりました」 だが3回試したものの、成功はしなかった。 どうして自分だけーーー。 再びこの言葉が襲いかかってきた。治療前にクリニックで見せてもらったデータが頭をかすめる。20代の人工授精の妊娠率を示したあのグラフ。「あぁ、私はまたグラフの“成功”の割合から外れるんだなぁって。ひどく落ち込みました」 高額な顕微受精へ精神的に追い詰められ医師に促され、すぐに顕微授精に切り替えた。顕微受精とは、顕微鏡下で卵子に直接精子を注入し、体外受精する方法のこと。かなさんは人工授精の時からホルモン注射は打っていたが、顕微授精となると何個も卵子を育てる必要があるため、注射の量も期間も種類も増えた。この頃、かなさんは“妊娠=成功”という考えで凝り固まっていた。 「当時は本も読めなくなっていましたし、休みの日も妊娠のことばかり考えていました。うつの一歩手前だったかもしれません」と振り返る。どんどんのめり込む妻を、夫は何度もたしなめた。 「もうやめようよ」「そんなに急がなくてもいい」「二人でも楽しいことはたくさんある」「仕事の環境を変えてみたら?」「養子っていう方法もあるよね」「子どもが欲しいからじゃなくて、俺と一緒になりたいから結婚したんだよね?」 しかしどの言葉も耳をすり抜けていった。 初めての顕微受精。結果、いくつか状態の良い受精卵ができ、より良い受精卵を選んで体内に戻した。かなさんの場合、顕微受精に向けた事前の検査やホルモン治療、薬代もひっくるめると、1回の顕微受精で約100万円かかった。あとは順調な経過を待つだけだった。 私のせいで……電車で涙が止まらなかった初期流産 その日から次の受診日まで、意味がないとわかっていても過剰に安静を心掛けた。「通勤の電車が揺れすぎじゃないか」と無駄に精神をすり減らした。 受診日、妊娠が確認できたものの「少し成長が遅いかな?まだ安心はできません」と、翌週の受診まで判断は待つことに。結果は、心拍確認できず初期流産だった。帰りの電車で一人、涙が止まらなくなった。 「自分がとてもかわいそうに思えてきて。子宮外妊娠したときのことも思い出して、なんで自分ばっかりって……。冷静に考えると流産なんて普通にあることなんですが、最新の医療でも私はだめなの?って落ち込みました。ただただ本能的に、子どもが育てられないのかという悲しみでした」 日本産科婦人科学会によると、年齢により流産率は大きく異なる。医療機関で確認された妊娠のうち、流産が起こる確率は20代で15%前後だが、40歳以上で50%以上と、決して少なくない。原因のほとんどが染色体異常だ。 かなさんの場合、流産が偶然だったのか母体に原因があったのかを調べるため、手術で組織を取り出し検査した。結果、受精卵の染色体には問題はないと判明した。妊娠を継続しにくい「不育症」の可能性をいくつか指摘された。 「悪気はないとわかってはいましたが、そのときに先生が『男の子だったんだね』とおっしゃって。私の体がポンコツなせいで、この男の子は育つことができなかったんだ!と考えてしまって、さらにつらくなりました」 注射と食事制限で体質を改善心拍確認、出産へ不育症への対策が始まったが、負担は想像以上だった。糖尿病予備軍とされ、注射を12時間おきに毎日打つこと、1日1食は炭水化物ゼロ、さらにほかの2食については、食後に血糖値を下げる薬を飲むことが課せられた。 食事制限で目に見えてやせたため、会社の人たちにも不妊治療のことを伝え、毎日の注射は更衣室で打たせてもらった。体質が改善してきたところで、2個目の受精卵を体に戻した。 2回目の移植では、心拍が確認できた。しかし安堵と不安がマーブル状に入り組んだ。 「心拍が確認できても、また流産の悲しみが待っているのではという気持ちがずっとありました。生まれるまで心からの安心はできませんでした」。妊娠8カ月まで、血糖値の薬は飲み続けた。 妊娠の経過は良好だった。不妊治療からおよそ3年経った28歳の春、元気な男の子を出産した。 やっと会えた……。 立ち会った夫の目は、うるんでいた。治療を通して夫とぎくしゃくしたこともあったが、負の感情もぶつけ合い、より深く互いを知ることができた。2人は、ただただ純粋な喜びに包まれた。 タイミング法、人工授精、顕微受精に費やした治療費は200万円を超えた。 「今は『あの子は高級な子やからな〜』って夫婦で冗談を言うこともあります。まさかこんな幸せな日が来るなんて。医療に感謝です。医療の進歩があったから、この子に会えたんだと思います」 ▲不妊治療をしたことがある人のなかで、赤ちゃんを授かるまでにかかった金額は「50万円以下」が半数以上。一方、200万円以上かかった人は全体の約18%と多額の不妊治療費を負担している実態が見える。 2人目の夢を吹っ切れた直後の奇跡 母になって2年が経ち、かなさんはいろいろ吹っ切れるようになっていった。2人目は欲しかったが、夫は1人で十分だと言った。夫と息子の家族3人で生きて行こうと決めた。 年間5万円かけ凍結保存してきた受精卵。愛おしかったが、サヨナラする決断をした。仕事を辞め、友だちと飲みに行くようにもなった。すると半年後、体調に異変が。2人目の命が自然妊娠で宿ったのだ。 「これまで何十本使ったかわからない検査薬で、初めて陽性が出たんです。お世話になった先生たちは『奇跡だ!』っておっしゃいました」 ▲第一子出産後も受精卵(胚)の凍結保存を更新した時の領収書「凍結保存した受精卵にも愛着がありました」 浅田レディースクリニックの浅田義正院長はこう言う。 「体外受精後の自然妊娠は数百人に1人というデータがあり、安藤さんは特殊な事例です。不妊治療にはいろいろな方法があります。不妊の原因も、施設も、医師も、成績もいろいろ。不妊治療にスタンダードも、ガイドラインもまったくありません。 中にはつらい思いを続けて、努力しても妊娠できずに自分を責める人もいますが、本来、医療である不妊治療は痛い、つらいものであってはいけないと思っています。しかし、妊娠は努力すれば必ず100%妊娠できるというものでもありません。 結果が悪くても決して自分を責めないでくださいね。そして少しでも痛みや苦しみを感じず治療できる環境を選んでください」 安藤さんは昨年、無事女の子を出産した。きょうだい並んで眠る姿、妹の手に愛おしそうに触れる息子を見て思う。あのまま2人目や仕事を吹っ切れずにストレスを抱えて生きていたら……。きっと目の前にある光景は見られなかっただろう、と。 もしも当時の自分に会えるとしたら、掛けてあげたい言葉がある。「あんまり自分を精神的に追い込んじゃだめだよ。パートナーのことも大切にしてあげて。治療の痛みに耐えた先には、幸せな未来が待ってるんだから」 (※1)厚生労働省 不妊治療と仕事の両立サポートハンドブック※不妊治療費は病院や患者の状態によって異なります【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)〜2月3日(水)調査件数:2,868名 取材・文/大楽真衣子 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月05日日本は世界で最も体外受精の実施件数が多いのに、1回の採卵あたりの出産率は世界最下位―2016年に国際生殖補助医療監視委員会〈ICMART〉が世界60ヵ国を調査したレポートからわかったのは、衝撃的な現実でした。そうしたなか、2020年の菅内閣誕生で不妊治療の保険適用が動き出すなど、不妊治療への世間の注目はますます高まっています。 しかしショッキングな現実が明らかになったものの、決して日本の不妊治療の技術すべてが劣っているわけではありません。赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える世の中になるために、日本の不妊治療の仕組みは、一人ひとりの意識はどうすべきなのか? 日本における顕微授精の草分け的存在の浅田レディースクリニック理事長・浅田医師にお話を伺いました。 出産率6.2%、日本の不妊治療の実態日本の体外受精の出産率は世界最下位―その裏付けとなるのは、ICMARTが発表した下記のレポートです。 ※ICMARTが2016年に発表したレポートより、2010年の60ヵ国・地域のデータから抜粋して作成。顕微授精、体外受精を合わせた数値。参考:『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(講談社ブルーバックス 著:浅田 義正、河合 蘭) 浅田医師(以下、カギカッコはすべて浅田医師の発言):「日本の体外受精からの出産率は、世界でダントツの最下位なんです。採卵件数に対しての出産率が非常に低く、1回の採卵あたりでは出産率6.2%。これは、世界平均20.1%の3分の1にも満たない数値です」 なぜ、日本の不妊治療はこんなにも成績が悪いのでしょうか。その理由は2つ考えられると、浅田医師は語ります。 「まずはそもそも晩婚化が進み、不妊治療を始めるタイミングが遅く、卵子の老化が進んでしまっているからです。もうひとつ、世界では推奨されていない『自然周期採卵』を推奨する風潮も原因だと考えられます」 自然周期採卵とは、体外受精において排卵誘発剤を使わずに採卵する方法。日本ではこの自然周期採卵を“体にやさしい”として推奨するクリニックも多いのです。 しかし浅田医師は「体外受精で自然周期採卵を推奨するのは日本だけ」だと語ります。 「イギリスの不妊治療に関するガイドラインでは、自然周期採卵を患者に勧めてはいけない、とはっきり書いてあるんです。統計的に排卵誘発剤を使って複数の卵子を採卵したほうが妊娠しやすいことは明らかな一方、自然に排卵する卵子はたった1個しかないんですから」 こうした現状を招いてしまうのも、「クリニックごとにバラバラな治療実態」が問題だと浅田医師は指摘。「医師としては、クオリティや品質が統一された生殖医療システムを作っていかなければならない」と語ります。 菅内閣が打ち出す不妊治療の保険適用の課題とは世界と比べ不妊治療の成績が芳しくない現状があるなか、2020年には菅内閣が誕生し「不妊治療の保険適用」が表明された日本。このことについて浅田医師はどう考えているのでしょうか。 「患者さんの費用負担が減ることについては、私は大賛成です」としながらも、課題は多いと語ります。 「まずは不妊治療で現状使用している薬剤や機械を保険適用にするために、治験や手続きのための莫大な時間と費用がかかる点です。 保険適用にするためには使用する薬剤の承認を得ることが必要で、たとえ『明日から体外受精を保険適用にします』ということになっても、保険適用で使用できる薬剤がほとんどなく、事実上治療ができない非常事態になってしまうんです」 さらに、現状の薬が無事に保険適用の承認を得られても、「今後新しい薬が出るたびに承認を得なければならず、不妊治療の技術の進歩に保険が追いつかなくなる可能性もある」と指摘します。 しかし課題がある一方、先ほど問題点として挙げられた「クリニックごとのバラバラな治療実態」については改善が期待されると言います。 「保険適用の過程で、クリニックごとの成績開示の必要性が生じれば、施設のレベル統一につながる可能性もあります。アメリカではクリニックごとの妊娠率・出産率はすべて公開されていますが、日本では日本産婦人科学会に登録して成績を全部出しているクリニックもあれば、登録すらしていないクリニックもある。 今まではこうした現状を議論する場もなかったので、実態が明らかになったのは一歩前進だと思います」 家族を考える、すべての人に伝えたいこと体外受精の成功率が世界最下位というショッキングな現状がありつつも、不妊治療の保険適用をきっかけに制度が見直されつつある日本。枠組みが変わろうとするなか、個人としてはどのような意識を持てばよいのでしょうか。 実際に不妊治療をおこなうカップルはもちろん、不妊治療についてあまり知らない方も含め、将来的に赤ちゃんを迎えたいと願うすべての人に対し、浅田医師からこのようなメッセージがありました。 「まずは正しい知識を持ってほしいですね。妊娠するための女性の体の仕組みや、卵子の老化について。また、今回お話した世界と比較した日本の体外受精の成績や、自然周期採卵を推奨しているのは日本だけ、といったことを知っていれば、どういった方針を持つクリニックに行くべきなのかも判断でき、誤った情報にもまどわされないと思います」 不妊治療というものが日本でも制度から見直され始め、大きな一歩を歩み始めた今。 この時代のうねりのなかで、不妊治療に関する正しい知識を男女問わず世の中の人が当たり前に持ち、制度と意識の両方が変われば日本の不妊治療の成功率も大きく変わるはず。そして赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える、そんな世の中になっていけると願っています。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 平 理沙子Webライター。ITスタートアップ企業での広報なども経験あり。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。フェムテックやジェンダー、現在在住するシンガポール情報などを中心に執筆活動をしている。
2021年03月01日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。2年間の治療をお休みしていた大山さんですが、あることをキッカケに不妊治療を再び始めることになります。前回の治療時に比べて、どういう風に気持ちの持ち方や取り組み方が変わったのか。また、コロナ禍での妊娠ということで妊娠中に気を付けていたこと、不妊治療が保険適応されるかもしれないという今、大山さん自身が思うことなどを答えてもらいました。 「もう待てない…」と思い、治療を再開ー不妊治療をやめてから2年後に、再度治療をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 大山さん:当時は2020年の東京オリンピックが終わってから、不妊治療のことを考えようと思っていました。でも、オリンピックが延期になったときに、これ以上は待てないと思ったんです。それまでは仕事も忙しくて治療にも通えなかったので、“今ではないな”と思っていたんですよね。でも、コロナ禍で仕事がなくなり、時間が出来たときに、今なら治療に専念できると思ったんです。もちろん、コロナ禍で妊娠することに対しての不安はありましたが、“今しかない”とも思いました。 ー時間があることで、精神的にも余裕を持てたのかもしれないですね。 大山さん:そう思います。2年前は藁にもすがる思いで、できることは何でも取り組んでいました。今思うと、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。年齢に対しても焦っていましたし……。でも今回は、「子どもができたらいいな」くらいの感覚で取り組めたことが、良い結果につながったような気がします。 大好きな先輩の妊娠! 「私も続きたい」という願いが叶うー不妊治療をするときに、大山さんが気を紛らわせるためにしていたことはどんなことでしたか? 大山さん:1人で抱え込むことが1番つらいことなので、同じ環境下にいた仲のいい先輩とお話をして、苦しさを共有できたことはすごく救いになりました。その先輩は、同じくらいの時期に体外受精にステップアップして、お子さんを授かることができたんです。そのときの先輩の妊娠は、心から喜ぶことができました。その成功体験を見ていたからこそ、私も続きたいなと思っていました。 ーいざ、妊娠をしたときの旦那様の反応はいかがでしたか? 大山さん:旦那さんにはLINEで「陽性だった」と伝えたら、「すごいじゃん」と返ってきました(笑)。不器用で分かりづらさはあるんですが、妊娠をしてから家事を積極的にやってくれますし、支えてくれていることは伝わりました。 ー今改めて、旦那様にどんな言葉をかけたいですか? 大山さん:はじめは積極的ではなかったかもしれないけど、不妊治療に付き合ってくれたことに対して感謝しています。また、だいずと出会うきっかけを作ってくれたことに対してもありがとうと伝えたいです。 ーこれからだいずくんと双子ちゃんたちが遊ぶ姿が見られるのが楽しみですね。ちなみに、コロナ禍での妊婦生活ではどんなことに気を付けていましたか? 大山さん:移動はできるだけタクシーや、旦那さんに送ってもらうようにしていました。また、公共の乗り物を出来るだけ避けて、人と触れ合わないように気を付けていました。ただ、心配過ぎても良くないと思うので、緊急事態宣言が出ていないころは、感染対策をきちんとおこなった上で友達とランチに行くなど、気分転換をするようにしていました。 自分の納得のいくまで治療が受けられる世の中に…ーさて、現在は不妊治療が保険適用化されるような話題が出てきています。経験者として大山さんはどのように思いますか? 大山さん:不妊治療は本当にお金がかかります。その金銭的なところで諦めてしまう人もたくさんいると思うんですが、それってすごくつらいことだと思うんですよね。だからこそ、今後は金銭的な部分で不妊治療を諦める人が出てこないような社会を作ってほしいと思います。さらに、子どもを望む方が自分の納得がいくまで治療できるような環境や制度は、しっかりと整えて欲しいと思っています。今、保険適応という言葉が出てきていますが、パフォーマンスではなく本気で取り組んでほしいですね。 ーただ、不妊治療は1人ひとりの状態に合わせて必要なオプションを付けるなど、それぞれに合った治療方法が受けられるようにしているそうですが、保険適用化することで、自分に合った治療が受けられなくなるかもしれないなど、ネット上では反対の意見も出てきているようですが……。 大山さん:そこは大きな課題だと思います。1人ひとりにあった治療がちゃんと出来なくなってしまったり、最先端のものは保険適応が難しいと聞いたりもするので、本気で子どもを望んでいる方に、ちゃんと子どもが授かれるような社会を確立してほしいです。 ーありがとうございました。では最後にメッセージをお願いします。 大山さん:子どもが欲しくても、なかなか授かることができず苦しんでいる人がたくさんいるということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。さらに、それと同時に子どもを望まない人生も尊重されるべきだと思っています。子どもを持つ、持たない、結婚する、しないなど、どんな選択をしても、それはすべて尊重されるべきだし、お互いのことを思いやることができる社会になることを心から願っています。 1つ1つの質問に対して真摯に向き合ってくださり、ご自身の言葉でしっかりとインタビューに答えてくれた大山加奈さん。この度はリモート取材にてご協力くださり、誠にありがとうございました! また、取材日から1カ月後の2月19日に双子の女の子を無事にご出産されましたこと、本当におめでとうございます! 家族が増えて、これからますますご家庭が賑やかになるかと思いますが、お体に気を付けながら子育てを頑張ってください! PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月28日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。また、2021年2月19日に双子の女の子産を出産し、念願だったママになりました。不妊治療を開始したものの、思うように結果が出なかったという大山さん。そこで、思い切って体外受精に踏み込むことを決意します。今回はそのときの大山さんの心情の変化を中心にお話を伺いました。また、周囲の言動でつらかったことや、働き盛りの時期に仕事を休むということへの後ろめたさ、子どもができないことに対して考え方が変わるキッカケとなった愛犬との出会いについても話してくれました。 経済面・精神面で負担が大きいとされる人工授精に挑戦ー具体的にはどのような内容の不妊治療をされていたのでしょうか? 大山さん:最初は、自然な形で授かりたいという想いが強かったんです。なので、タイミング療法(※1)を試していた時期も長かったですね。ただ、先生からは「早く人工授精(※2)にステップアップしたほうが良い」とアドバイスをしていただいていました。でも、なかなか妊娠することができず、年齢を重ねてきてしまっただけでなく母親にガンが見つかり、早く子どもの顔を見せたいという気持ちが溢れ、体外授精(※3)にステップアップすることを決意しました。 (※1)タイミング療法:正確な排卵日を予測し、医師が性行為をおこなうタイミングを指導することで、妊娠へと導く療法。 (※2)人工授精:細い管を使い、事前に採取しておいた精子を子宮腔内に注入する治療法。タイミング療法で妊娠しなかったという人の次のステップとされている。 (※3)体外受精:卵子と精子を採取し、培養液内で受精させ体内に戻す方法。タイミング療法や人工授精と比べると金額が高く、体への負担も大きいとされている。 ー体外授精にステップアップすると決意するのは、簡単なことではないですよね。 大山さん:はい。まず引っ掛かったのは経済面のことでした。体外受精だと1回の治療は何十万とかなりの高額なので、そのことを考えると気軽に出せる金額ではないです。また、その金額を出したからって子どもを授かれる保証があるわけでもないですからね。さらに、体への負担も大きいと聞いていたので、“仕事をしながら体外受精にステップアップすることは可能なのか”ということはすごく気になっていました。大事な仕事のときに、ちゃんと仕事と向き合えなかったらそれこそ大変ですからね。 ー実際にお仕事と治療の両立をされてみていかがでしたか? 大山さん:私の仕事が1番少ない年度初めの4月に合わせて、初めての体外受精に臨みました。その当時は、精神面の浮き沈みが激しかったですね……。また、仕事と両立するために通院回数を減らそうと、排卵を促すための排卵誘発剤を自分で打つ「自己注射」というものを取り入れたのですが、昔から注射が苦手だった私は、“なんでこんなことをしなくちゃいけないんだろう”と思いながら、ときには涙を流しながら注射を打つこともありました。そこでメンタルはかなり削られました。 ー旦那様は不妊治療についてあまり賛成ではなかったと伺いましたが、どのように2人で話し合って治療を進めていったのでしょうか? 大山さん:不妊治療の話し合いもしっかりとおこなう感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。 ー実際に体外受精に挑戦したのはどのくらいだったのでしょうか? 大山さん:そのときは1度だけですね。でも、採れた卵がほぼ使えない卵だったんです。かろうじて1個だけ、他のクリニックなら廃棄してしまうようなものがあって、それを受精させて戻したんですけど、やっぱりダメで……。きっと、また採卵をしても同じ結果になるんじゃないかと思ったのと同時に、もう疲れちゃったんです。そこで一度、治療を終わりにする決意をしました。ちょうど仕事も忙しくなってきたころだったので、仕事を取ったというのもありますね。 周りの何気ない発言に傷ついてきたことも…ー不妊治療中につらかったことなどはありましたか? 大山さん:仕事では子どもと関わることも多くて、質問コーナーでストレートに「子どもはいますか?」って聞かれることがあったんです。ほかにも、「きっと加奈ちゃんならいいお母さんになれると思う」と言われたことも……。その質問や発言には悪気がないのは分かっていましたが、ちょうど治療がうまくいかなかったり、気持ちも落ちていたときだったので余計につらかったです。また、ある食事会では、子どもができないことを冗談交じりに茶化されたことがありました。そのときは思わず涙が出てしまい、とても傷つきました。 ーすごく難しい問題ですよね。 大山さん:そうですね。やっぱり、当事者じゃないとその言葉がどれだけ鋭いものかって難しいと思うんです。それは不妊だけではなく、どんな場所でも同じなので、発言は軽々しくしてはいけないなと改めて感じました。 愛犬との出会いにより、気持ちと体に変化が…出典:大山加奈さんのInstagramより(左側は飼い始めたころ(2018年5月)のだいずくん)、右側は2020年12月のだいずくん) ー不妊治療を休んだ当時は、どんな心境でしたか? 大山さん:不妊治療を休むことになってから、愛犬である“だいず”を飼い始めたんです。それからは、治療のことや子どものことをあまり考えなくなったんです。それよりも、このだいずを育てていくことに幸せを感じて、次第に“この子がいればいいや”と思うようになりました。すごく心がラクになりましたし、純粋に毎日が楽しく感じられるようになったんです。それまでは、生理が来るたびに苦しい気持ちになっていたので、久しぶりに幸せだと思えた期間でした。 ーだいずくんが心を癒してくれたんですね。 大山さん:はい。だいずが来てから、精神的にも落ち着きましたし、健康になった気がします。もともとストレスを抱えてしまうタイプで、不眠症も患っていたのですが、それも治ったんですよ。毎日だいずのお散歩に行かなくちゃいけないので、朝寝坊も夜更かしもしなくなりました。そのおかげで心身ともに健康になりました。だいずには、心から感謝をしています。 そのころのことを思い出したのか、だいずくんの話をし始めた途端、大山さんの表情もやわらかく、その場の空気も温かいものへと変わっていくのを感じました。さて、大山加奈さん独占インタビューの最終回は、不妊治療の再スタートについてやコロナ禍での妊娠・出産について答えてもらいます。ぜひ最後までお付き合いください。 <第3回に続く> ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。また、病院や治療方法などにより、金額が異なる場合があります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月27日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げています。 そんな幅広い分野で活躍する大山加奈さんですが、去年の9月に不妊治療の末、双子の赤ちゃんを授かったと公式ブログで妊娠を報告。2021年2月19日には、双子の女の子を無事出産し、念願だったママになる夢が叶いました。 今回は大山さんの不妊治療の体験談を中心に、これまでに悩んでいたことや、現役スポーツ選手時代を振り返って感じた生理と不妊の関係の重要性などを取材させていただきました。 ブログで報告する際、ためらっていた理由…ー昨年の9月にブログでの妊娠報告をされていましたが、そのときの心境を教えて下さい。 大山さん:私はずっと不妊治療をしていたので、最初は報告することをためらいました。でも、今も治療を続けている方や、不妊で悩まれている方から、「勇気をもらった」「励まされた」という声をたくさんいただいたんです。その言葉がなによりもうれしかったですし、誰かの役に少しでも立てたのなら、よかったのかなと思っています。 ー報告をためらっていた1番の大きな理由は何だったのでしょうか? 大山さん:まずは妊娠したのが双子ということで、出産のリスクが大きいからこそ、何があるか最後までわからないんですよね。なので、まだ無事に生まれていないタイミングで報告をしてもいいのだろうかということに悩みました。あとは何より、私も子どもが欲しくてもできない時期が長かったので、誰かの妊娠のニュースを目にすることでつらい想いをする方もいらっしゃると思ったんです。そんな想いが頭を駆け巡って、この報告が果たして正解なのかどうかはすごく悩みました。だからこそ、「勇気をもらった」という言葉は、本当にうれしかったです。 もっと早く知りたかった! 生理と不妊の関係性とはー不妊治療についてもお伺いさせてください。大山さんは生理不順や生理痛などに悩まされていたのでしょうか? 大山さん:いや、私は特に生理不順ではなかったです。でも、現役時代を振り返ると、厳しい練習の影響で生理痛が重くなってしまったり、生理不順になっていることに対して、知識がないためにそこに重きを置かない人たちが多かったように思います。不妊治療の先生によると、実際には生理が止まったり生理痛が重いということは、体になにか異常が起こっている可能性が高いそうです。そして、それを放っておくと「赤ちゃんが欲しい」と思ったときには不妊症になっていたり、取り返しのつかないことになっているケースもあるそうで……。だからこそ、学生時代に生理のことについてちゃんと学ぶ場所が大事だと思うんです。 ーたしかに、生理のことって、なかなか相談しづらい現状がありますよね。 大山さん:そうなんですよね。学校によってはトレーナーさんなどがいて、生理についてもちゃんと相談できる人がいるケースもあるんですが、まだまだ少ないのが現状です。なので、学校の先生や保護者と連携を取ってサポートすることが何よりも大事だと思っています。 ーこうやって発信していくことも、すごく大事ですね。 大山さん:はい。こういった記事を若い子が目にすることで、自分の生理と向き合ってもらえたらうれしいですね。実は、生理前や生理中ってホルモンのバランスの関係でケガが多くなるらしいんですよ。 ーそうなんですか!? 初めて聞きました。 大山さん:まだまだ知らない人が多いと思います。お仕事でシンポジウムなどに登壇させていただいた際に先生方がおっしゃっていたり、ネット記事やSNSなどでもそのような情報を見かけて私も知ったのですが、そう言われてみれてば……と、過去を振り返って納得したんです。その事実を指導者の方が知っていれば、その人にあったトレーニングメニューを組むことができますし、無駄なケガに苦しまなくてもすむようになると思うんです。自分自身が不妊治療を経験したからこそ、今スポーツを頑張っている方たちにはスポーツ選手として悔いがないよう選手時代を送って欲しいですし、子どもが欲しいと思ったときには手遅れにならないよう、こういったことも知っておいて欲しいです。 数値が低すぎる…! ブライダルチェックの結果にがく然ーその後、大山さんはご結婚されるときにブライダルチェックをしたとお聞きしたのですが、実際に受けてみていかがでしたか? 大山さん:私は生理不順ではありませんでしたが、体の冷えがひどかったのと現役中に腰の手術もしていたほか、痛み止めの薬をたくさん飲んできました。さらに自律神経失調症も患っていたので、精神安定剤なども飲んでいたり、基礎体温もガタガタだったんですよ。そこで一度ブライダルチェックを受けて自分の体の状態を知ろうと思いました。また、母のガンがちょうどそのころに見つかり、「孫の顔を見たい」と望んでいたので、焦りながらも妊活をスタートすることになりました。ちなみにブライダルチェックの結果は、AMH(アンチミューラリアンホルモン/発育過程にある卵胞から分泌されるホルモン)の数値が低く、当時は30歳だったのに42、3歳くらいの数値が出てきたんです。それはさすがにショックでした。 ー最初に不妊治療のクリニック外来を受けたときの心境はいかがでしたか? 大山さん:私はみなさんに顔と名前を知られていますし、体も大きいので目立つんですよね。それもあって、人の目はすごく気になりました。内診台も正直な話、すごくイヤでしたね(笑)。 ーあまり慣れるものではないですよね。ちなみに不妊治療について、旦那様とはどんなお話をされていたのでしょうか? 大山さん:実は、旦那さんはそこまで子どもを欲しいとは思っていなかったんです。さらに私がケガや自律神経失調症で苦しんでいたことも知っていたので、「そんなにつらい想いをしなくていいんじゃないか」とも言ってくれていて……。でも、私はどうしても子どもが欲しかったんです。なので、不妊治療に関しては私が主体となっておこなっていたのですが、夫婦間での温度差は感じていました。話し合いもしっかりする感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。私の体のことを気遣ってくれるのはうれしかったのですが、「子どもが欲しい」ということに対して、私と旦那さんでは気持ちの面でのスタートラインがお互い違っていたので、寂しさやモヤモヤを感じることも多かったですね。 ーそのモヤモヤした気持ちはどのように解消していたのでしょうか? 大山さん:う~ん……。日々モヤモヤはしていましたし、ときには泣いてしまうこともありました。ただ、それを旦那さんの“やさしさ”だと受け止めて、過ごすようにしていました。あとは、一緒の時期に不妊治療を頑張っている先輩がいたので、ランチやお茶などをしながら治療に対する苦しさやつらさを共有し合えていたことは、今思い返してもすごく大事な時間だったと思います。人に言いづらい問題だからこそ、同じような状況で頑張っている人が身近にいることで励まされたり、勇気づけられることが多かったですね。すごくありがたい存在でした。 「このインタビューが誰かのためになるなら……」と熱心に質問に答えてくれた大山加奈さん。ご自身の体験を包み隠さず、正直に話してくださる姿がとても印象的でした。次回は不妊治療ステップアップや2年間の休養期間など、大山さんの心の葛藤について答えてもらいます。 <第2回に続く> PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月26日水泳、ピアノ、英語は、子どもの習い事の定番と言えるでしょう。最近では、プログラミング教室が人気沸騰中なのだとか。そして、習い事のジャンルが増えたことで、複数の習い事をかけもちするお子さまも増えています。送り迎えをするお父さん、お母さん、本当にごくろうさまです。そんな忙しい日々のなか、子どもから「もうやりたくない。やめたい!」と言われたことはありませんか?子どもが「習い事をやめたい」と言ったとき、親はどう答えるのが正解なのでしょう。今回は専門家の意見を参考にしながら、その答えを探っていきます。子どもの「習い事やめたい」、どこまで本気!?子どもの年齢や性格、習い事の種類によって、やめたい理由はさまざま。親は、そのやめたい理由によって、「やめるのか」「続けるのか」を考えていかなければいけません。やめたい理由としては、以下のようなことが挙げられるでしょう。飽きた、楽しいと思わなくなったからお友だちとけんかしたからお友だちにいじめられたから先生が怖い、嫌いだからレベルが上がってついていけなくなったからスケジュールが詰まりすぎていて体力的に限界だからほかにやりたいことができたから とはいえ、やめたい理由が「ほかにやりたいことができたから」ということであっても、「習い事を始めて1ヶ月の子ども」と、「3年以上続けている子ども」では、親の対応も変わってくるはず。また、「本当にもうやめたい」のか「なんだか面倒だからやめたくなった」のか、本人の気持ちによっても対応は異なります。では、専門家の意見に耳を傾けてみましょう。■習い事の継続期間によって対応を変える(家庭教育専門家・田宮由美氏)『子どもの能力を決める0歳から9歳までの育て方』の著者で家庭教育専門家の田宮由美氏によると、習い事の継続期間に応じて、以下のように対応の仕方を変えるのがよいのだそう。【始めたばかりの習い事】→できるだけ続けられる工夫と努力をすぐにやめさせるのはちょっと待ったほうがよさそうです。やめたい理由を聞いたうえで、親がその原因を解消する努力をします。たとえば、「いじわるなお友だちがいるから」という理由ならば曜日やクラスを変える、体力の問題や「思っていた内容と違ったから」という理由なら、子どもの気持ちを優先し、いったん休ませるといった対応がよいでしょう。そして、頃合いを見てもう一度チャレンジさせてみるなど、臨機応変な対応で子どもを見守ります。【長く続けている習い事】→やめることも選択肢に入れて子どもが長く続けている習い事をやめたいと言い出したときは、よりしっかり理由を聞くことが大切です。なぜならば、深刻な問題が隠れていることが多いから。人間関係が原因で行きたくないのかもしれませんし、周りのレベルについていけなくなり習い事の時間が苦痛なのかもしれません。ですから、問題が解決しない場合は、やめることも選択肢に入れるべきです。もしやめる選択をしたのであれば、次の目標について親子で話し合ってみましょう。■「やめたいレベル」を見極めて対処すべき(臨床心理士・福田由紀子氏)臨床心理士の福田由紀子氏は、子どもの「やめたいレベル」を見極めて、それによって対処を考えるべきと言います。レベルは次の3段階です。【やめたいレベル1:習い事が面倒くさい】やめる決断を急がず、習い事を始めたときの楽しさを思い出させるような会話をしたり、ときには休ませたりしてもいいでしょう。「もっと試合で活躍したいのに地味な練習ばかりでつまらない」「難しくなってきたから行きたくない」などのスランプかもしれません。子ども自身が積極的にやめたいと思っているわけではない状態ですので、様子を見つつ、子どもの「やりたい」気持ちを引き出すようなサポートができるといですね。【やめたいレベル2:習い事がイヤだ】“黄色信号” の「積極的拒否」の段階です。子どもの気持ちをじっくりと聞いてみてください。「やりたいけど、うまくいかない」「頑張ったのに評価されない」など、気持ちが揺れているのかもしれません。気持ちが不安定なときなので、「すぐにやめたいと言うなんて、あなたはダメな子ね」など、人格を否定するような言葉は絶対にNG。子どもの気持ちに共感することがなによりも大切です。担当の先生に相談してみるのもいいでしょう。【やめたいレベル3:習い事がつらい】「習い事に行くのがイヤ」なのか「習い事に行くのがつらい」のかを子どもに聞いて、 “赤信号” の状態かどうかを確認しましょう。つらいのであれば、すぐにやめることも考えるべき。ここまで状況が進行してしまうと、子どもの自尊心は低下し、意欲が大幅に落ちてしまっているからです。親はとにかく子どもの気持ちを受け止めてあげましょう。完全にやめるのではなく、「一時休会」という決断もありですよ。さまざまな角度からのアプローチがありますね。すべてに共通するのは、「状況次第ではやめてもいい」という考えでしょうか。しかしそうはいっても、実際には、「やめグセがついたら困るから、もう少し続けなさい!」と言う親御さんも多いかもしれません。そこで、次項では「やめグセって本当につくの?」という疑問について考えてみます。「やめグセ」がつくなんて嘘!子どもから「習い事をやめたい」と言われても、「『飽きっぽい』『忍耐力が足りないから』と、無理やり続けさせるのは要注意」だと、教育評論家の親野智可等氏は警鐘を鳴らします。では、どう対応すればいいのでしょうか。■「やめグセ」がつくなんて嘘!我慢はしないで(教育評論家・親野智可等氏)親野氏は、「やめグセがつくというのは嘘」と断言。「やりたくないことを我慢してやり続ける」のは、メリットよりもデメリットのほうが大きいと言います。「脳が急激に発達中の子どもの1年は、大人の5年に相当する」ので、子どもにとって我慢している時間は、大人が想像する以上に長く、苦痛なのだそう。その状態が定期的に続くことで、子どもが鬱になることも。また性格形成にも悪影響が及ぶ危険性があります。親野氏の「ダメならさっさとやめて、ピッタリハマるものに出会うまで、どんどん新しいことを試したらいい」という言葉は、親にとって安心できる助言ですね。■「やめたい」は好奇心旺盛な証拠。やめさせてあげて!(心理学者・植木理恵氏)テレビでも活躍中の心理学者・植木理恵氏は、「やめさせるのは悪いことではない。むしろ子どもがやめたいと言うのなら、親の感情で無理に続けさせるよりも、やめさせてあげたほうがいい」と述べています。好奇心旺盛な子どもがいろいろなものに目移りしてしまうのは、健全な証拠。たとえ習い事をやめてしまっても、子どもはその体験から、技術以外にもいろいろな学びを得て、ちゃんと成長しています。「根性が足りない」「モノになるまでやめるのはもったいない」などと思わずに、「興味が増えた」とプラスにとらえて、子どもの背中を押してあげるくらいの気持ちで対応しましょう。その習い事、合わなければやめてもいい!「こどもちゃれんじ」「進研ゼミ小学講座」を提供するベネッセの「やめた習い事はどのくらいの期間続けたか」という調査(2009年)では、全体の47%が2年未満で習い事をやめていることがわかりました。しかも、なんと全体の25%は1年未満でやめています。やめた理由のトップは、「習い事との相性」。継続1~2年未満でも32%とその割合は高いですが、継続半年未満を見てみるとなんと「習い事との相性」が問題でやめた子どもの割合は44%です。「習ってみたら、あまり夢中になれなかった」というところでしょうか。しかし、習い事を2年以上続けると、相性の問題は解消されるようです。そして今度は「習い事のレベル」や「レッスン時間」の問題に問題が移っていきます。子ども時代は興味を探るとき。いろいろ試して合うものが見つかれば、続けられる。それが自然なことなのですね。では最後に、10歳までの「自己肯定感×非認知能力」に重点を置いた『究極の子育て』著者で教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏からのアドバイスを紹介します。■エンディングを決めてから習い事を始める(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏)おおたとしまさ氏は、「習い事を始めるときに、『どういう状態になったらやめるか』ということまで決めておくといい」と言います。「何年生までやる」「〇月の試合(発表会)までやる」など、目標となる節目を意識して始めることで、子どものモチベーションが保たれるからです。さらに、節目のタイミングごとに、「やめるか、続けるか」を考えるようにすると、一時の感情だけで「やめたい」と思うことが減り、「やめる」と言い出したときも、親は子どもの気持ちを理解しやすくなるでしょう。「我慢は美徳」「継続は力なり」という概念にとらわれすぎずに、臨機応変に対応したいもの。子どもたちが、心身ともに健やかに、習い事を楽しみながら、成長できるように、「合わなければ、やめていい!」――そう確信してよさそうですね。最近は、送迎不要のオンラインレッスンが人気です。以下の記事では、人気のプログラミングやピアノ教室以外にも、ミュージカル・マインドフルネス・アート(制作、鑑賞)など、編集部が厳選した「未来につながる習い事」を紹介しています。↓↓↓『【2021年版】子供の能力を上げるオンラインの習い事|プログラミング・ピアノ・アート・作文など』***習い事について、親が気をつけるべき点がもうひとつあります。それは「下心をもたないこと」。おおたとしまさ氏は「成果を求めて、期待しすぎても、子どもは親の下心を見抜いて逆効果になる」と実体験を交えて語っています。あくまでも子どもの興味が最優先。すべてはそこから始まり、そこに終わるのです――お子さまは、いま、どんなことに興味をもっていますか?(参考)Hapimama「習い事を辞めたい」は止めるべき?心理学者が教える子どもの心理と対処法」日経DUAL|「習い事をやめたい」と言われたら、やめさせるべき東洋経済ONLINE|多くの親が「子どもの習い事」でしくじる理由東洋経済ONLINE|子どもの習い事は、「やめ時」が肝心!ベネッセ教育情報サイト|2年未満で習い事をやめる理由は「お子さまと習い事の相性」All About|子供の習い事は無理にでも続けさせた方がいい?All About|子どもが「習い事をやめたい」と言い出したら
2021年02月22日育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 奇跡にかけて期限付きの不妊治療に挑む――二階堂編集長は再婚した46歳で不妊治療を決意します。どんな思いでスタートしましたか? 「さすがにこの年齢で妊娠することは難しいと理解していました。だけど、以前のように何もしないまま、ラストチャンスを逃したくない。『万が一の可能性があるならかけてみたい』と夫と話し合い、1年間の期限つきで不妊治療に挑戦することを決めたんです。少しでも早い方がいいので、再婚して1か月後には専門医を訪ねました」(二階堂) 不妊治療にはステップがあり、排卵日を予測して性交を行う「タイミング法」、濃縮された精液を子宮に注入する「人工授精」、体外で受精した受精卵を培養し、子宮に戻す生殖補助医療の「体外受精」「顕微授精」※と段階を踏んでおこなわれることが多い。※体外受精は、培養液の中で卵子と精子が自然に受精するのを待つ方法で、顕微授精は、卵子に針を使って精子を注入して受精させる方法という違いがあります。――二階堂編集長はもっとも確実性の高い「顕微授精」から治療を始めたそうですね。 「私には時間的な余裕はもうなかったので、最終ステップの一択です。一刻でも早く顕微授精を試みたいところでしたが、まずは採卵から。しかし、卵子はいつでも自由に採れるというわけではありません。卵子はある程度育たないと受精できないので、排卵日が来る前まで卵胞が成熟するのを待つ必要があるんですね※。そのため、週に1~2回は病院に通い、卵子の育ち具合や子宮内膜の厚さをモニタリングしてもらい、状況に合わせてホルモン剤などを服用。採卵のタイミングを計っていました」(二階堂)※卵胞とは、卵細胞とそのまわりの細胞の集団で、成熟するにつれ卵胞膜が大きくなり、水の入った袋のようになり、その中に卵子があります。また卵胞は半年くらい前から複数育ちはじめ、3ヶ月前ぐらいから卵胞刺激ホルモンの命令により育ちます。そのなかで大きくなった1個の卵子が卵胞を破り、卵巣から飛び出します。これが排卵です。なお、同時に、卵子が受精して受精卵となった場合に備えて、受精卵が着床しやすいように子宮内膜は厚くなります。不妊治療では、卵胞の発育を促し、採卵後は子宮内膜を厚く整えるためのホルモン剤が投与されることがあります。 実は、クリニックの方針で、不妊治療の方法は大きく異なる「私の通っていたクリニックでは、卵巣の中で卵胞をなるべくたくさん育てて、1回の採卵で受精可能な卵子をすべて採取しましょう、という方針でした。クリニックによっては母体の負担を考えて1回の採卵数が少ないところもありますが、時間のない私には1回でなるべく多くの卵子を採取するこの治療方法しかないな、と思っていました。 余分に採取した卵子は凍結し、着床がうまくいかなかったときに次の治療に回すことができますし、少しでも若い卵子を使用できる、というメリットもありますね。 主治医によると年齢と共に卵子はどんどん老いていき、妊娠力も低下するとのことでした。子どもが欲しいという思いがあったのならば、妊娠時期を遅らせるにしても、20代や30代の若いうちに卵子凍結だけでもしておけばよかった※。今は、そこも後悔しています」(二階堂)※健康な女性による将来のための卵子凍結は、日本産婦人科学会では「推奨していない」、日本生殖医学会は「40歳以上での採卵・凍結、45歳以上での凍結卵子の使用は推奨していない」としています。 日本生殖医学会のデータによると、ART(体外受精・顕微授精)の妊娠率・出産率は35歳から急低下することがわかります。ただし若い人から卵子を提供された場合は、妊娠率は一定で加齢の影響を受けていません。このことから、卵子の老化が妊娠率を低下させると考えられています。※参考:日本生殖医学会「ART妊娠率・生産率・流産率」※参考:日本生殖医学会(アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が発表した2003 ART Success Rates in USAのデータを用いて作成)「提供卵子と自身の卵子を用いた生殖補助医療による治療成績」 妊娠できたら奇跡、とわかっていても結果を聞いて涙――不妊治療はどのように進みましたか? 「1回目の治療では3個の卵子を採取することができました。採卵数も加齢の影響があり、若い人の方が多く採れるといいます。ところが皮肉にも、妊娠するためには高齢の人ほどたくさんの卵子が必要なんですよね」 卵子のもととなる卵母細胞は、生まれる前から作られていて、胎児のときに約700万個とピークを迎えます。その後急激に減り、思春期には約20~30万個となり、1000個以下になると閉経となります。※出典:Human+(日本産婦人科学会監修) 「主治医と相談し、少しでも妊娠の可能性を上げるために、2個の受精卵を子宮に戻し、1個は凍結保存することにしました。無事に着床すれば、妊娠、ということになります。主治医からは、2個の受精卵を使うため双子を妊娠する可能性があります。でも年齢的にその確率は低いでしょう、と。産めるのであれば、私は双子でもまったく問題なかったんですけどね。 無事に着床し、その後育ったかどうかが判明するのは、子宮に受精卵を戻してからおよそ10日後。病院からの帰り道は気持ちが高揚していて、赤ちゃんを授かることができるかもしれないと、かなり前向きになっていました。けれど数日後に出血が……。ただ、着床の時も出血することがあるので、『大丈夫、これはきっと着床出血だから』と無理やり思い込んだものの、10日後の妊娠判定の結果、妊娠はしていませんでした。2回目は、凍結しておいた受精卵を子宮に戻しましたが、こちらも妊娠に至らず。その後、再度採卵を試みたのですが、そのときは卵胞がなかなか成熟せず、採卵するまでに長く時間がかかりました。それでもようやく2個の卵子を採ることができて受精卵を戻したのですが、この3回目の治療でも、妊娠は叶いませんでした。そして、この3回の治療の間に、私も47歳に。予定していた通り、不妊治療を終了しました。これまでも親に子どもがいないことを指摘されたことは何度かあり、当時は何を言われてもあまり気にならなかったんですね。でも、不妊治療中に言われた『子どものいない人生は寂しいわよ』という実母の言葉はかなりこたえました。母にとっては不妊治療を頑張っている私へのエールだったかなと思うのですが、『子どものいない人生』が現実味を帯びてくると、その言葉の重さが、ずしんとのしかかってくるようでした。クリニックでも、泣きながら診療室を出てくる人の姿をよく見ました。私は高齢での治療だったので冷静に受け止めようとは思っていましたが、結果を聞くたびにやっぱり涙が出るんですよね……。とくに3回目の結果を聞いたときは、もう本当に赤ちゃんは産めないんだと、最後の希望の光が潰えたことに、涙が止まりませんでした」(二階堂) <第3回に続く> 医療監修/医療法人浅田レディースクリニック 理事長 浅田義正先生取材・文/来布十和
2021年02月21日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月14日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月12日私は第1子を不妊治療で授かり、現在は第2子不妊治療中です。不妊治療をしていると薬の服用やホルモン注射、度重なる通院などにより精神的にも肉体的にも疲れ、ささいなことでも苛立ってしまうことがあります。今回は、私が不妊治療をするなかで言われてイラッとした言葉があるので、いくつかご紹介します。 「諦めたら赤ちゃんが来るってよく言うよね」この言葉は、不妊治療をしていることを相手に伝えると大抵の人に言われる言葉です。言っている人はおそらく励ますつもりで言ってくれているのでしょうが、治療の最中であるとなかなか素直に受け入れられないのです。 もちろんその場では「 そうですよね!」 と答えますが、心の中では「 その諦めがつかないから治療をしているんです。諦めて赤ちゃんが来なかったらきっと後悔するんです」 と叫んでいます。相手が不妊治療を経験して赤ちゃんを授かった人であればまた受け止め方が違うのですが……。 「少し休んでみたらいいんじゃない?」これは夫に言われてすごくイラッとした言葉です。 1年間で子どもを授かることのできるチャンスは12回程度しかありません。だからこそ、今休んだらそのチャンスを1回捨てることになると感じてしまうのです。ゆったりとした気持ちのほうが妊娠しやすいのかもしれないと思いつつ、先の見えないトンネルを早く抜けて赤ちゃんを授かりたいと思ってしまうのです。 夫婦で治療に対する考えを伝え合うことの大切さを感じたきっかけとなった言葉でもあります。 「そんなに怒るから赤ちゃんが来ないんだよ」この言葉を言われたときの衝撃は、今でも忘れられません。一瞬何を言われたのかわからず、理解してから湧き上がる怒りに我を忘れるほどでした。実はこれ、3歳の娘に言われた言葉なのです。ついついイライラしてしまっている自分を自覚していたからこそ、言われたときは怒って娘に当たり散らしてしまいました。 その後、「この言葉は本当に傷つくし悲しくなる言葉だからもう言わないで」と娘に伝えましたが、それだけ私が怒っていたのだなぁと反省しました。 不妊治療をしていると、自分ではコントロールできないような怒りや悲しみに振り回されることがあります。それでも、周りの人の言葉をネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えて、かわいい赤ちゃんを授かることができるように頑張りたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年02月11日不妊治療が始まると、生活のすべてを治療のために調整しなければなりませんでした。これは事前に納得していたはずなのに、いざ治療のための調整となると、精神的にも肉体的にも、想像以上の負担を強いられるようになりました。 いよいよ治療初日なんとか治療する日程を調整し、初めて病院に行きました。不妊治療の検査は何をするのか想像もつかず、不安でいっぱいでした。 診察が始まり、軽い問診のあとに妻とは別室へ連れて行かれ、精子検査を初めて経験しました。小さな個室に入り、看護師さんに説明をされたのですが、説明があまり頭に入ってこないくらい部屋の様子に驚きました。 部屋の中にあったのは、小さなソファ、小さなテレビモニターと、選んだ人の性癖がわかるようなDVDの数々です。まるで漫画喫茶の個室をアダルトな雰囲気にした上、DVDのみをずらっと並べた感じです。病院内にこんなスペースがあることにびっくりしました。 初めての精子検査妻と看護師さんがドアの向こうで待っていると思うと、一刻も早くこの空間から出たい気持ちで、すぐに作業に移りました。 好みのジャンルでもないDVDの力を借り、ありとあらゆる想像力を働かせたのですが、精神的な影響もあって思うように捗りません。なかなかスムーズに作業できないことが、余計に恥ずかしく、より一層作業を遅らせてしまいました。 なんとか採取できたのですが、容器から伝わる温もりがとても生々しく、すぐには渡すことができませんでした。 不妊の原因は不明のまま私と妻はいろいろと検査をしたのですが、私の精子は正常、妻の卵子も年齢と比較するとかなり良い状態であるとの診断を受け、結局不妊の原因は特定できませんでした。 とりあえず、しばらくは通院をすることにしたのですが、通院する日程を決めることが大変でした。初診のときと同じく、仕事の調整・祖母の時間調整に加えて、排卵日など妻の状態も配慮しなくてはいけなくなりました。 このあたりから毎日診察日のために行動をしなければならなくなり、日常生活に徐々に影響が出始めました。 だんだん小さな衝突が増えるすぐに結果が出ないことは最初から理解していたとはいえ、終わりが見えない状態が続くと、私は日に日に疲弊していきました。妻の負担も目に見えてわかり、この時期から小さな喧嘩が増え始めました。私も家事の負担を少しでも減らそうと努力していたのですが、すべてを補うことができません。 小さな喧嘩から始まり、言い争いも激しくなると、結局は不妊治療の話になり、毎日がその繰り返しでした。 治療を始める前に、夫婦でお互い励まし合い治療に向き合うことを充分に話し合いました。しかし、頭では理解していても、今までの生活リズムに影響が出始めると、想像以上に治療に負担を感じました。 次回は人工授精についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月07日