2021年2月21日 21:00
<実らなかった不妊治療#2>「産みたい!」最初で最後の不妊治療、46歳の挑戦
育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。
奇跡にかけて期限付きの不妊治療に挑む
――二階堂編集長は再婚した46歳で不妊治療を決意します。どんな思いでスタートしましたか?
「さすがにこの年齢で妊娠することは難しいと理解していました。だけど、以前のように何もしないまま、ラストチャンスを逃したくない。『万が一の可能性があるならかけてみたい』と夫と話し合い、1年間の期限つきで不妊治療に挑戦することを決めたんです。
少しでも早い方がいいので、再婚して1か月後には専門医を訪ねました」(二階堂)
不妊治療にはステップがあり、排卵日を予測して性交を行う「タイミング法」、濃縮された精液を子宮に注入する「人工授精」、体外で受精した受精卵を培養し、子宮に戻す生殖補助医療の「体外受精」「顕微授精」※と段階を踏んでおこなわれることが多い。
※体外受精は、培養液の中で卵子と精子が自然に受精するのを待つ方法で、顕微授精は、卵子に針を使って精子を注入して受精させる方法という違いがあります。
――二階堂編集長はもっとも確実性の高い「顕微授精」から治療を始めたそうですね。
「私には時間的な余裕はもうなかったので、最終ステップの一択です。一刻でも早く顕微授精を試みたいところでしたが、まずは採卵から。しかし、卵子はいつでも自由に採れるというわけではありません。卵子はある程度育たないと受精できないので、排卵日が来る前まで卵胞が成熟するのを待つ必要があるんですね※。
そのため、週に1~2回は病院に通い、卵子の育ち具合や子宮内膜の厚さをモニタリングしてもらい、状況に合わせてホルモン剤などを服用。
採卵のタイミングを計っていました」(二階堂)
※卵胞とは、卵細胞とそのまわりの細胞の集団で、成熟するにつれ卵胞膜が大きくなり、水の入った袋のようになり、その中に卵子があります。また卵胞は半年くらい前から複数育ちはじめ、3ヶ月前ぐらいから卵胞刺激ホルモンの命令により育ちます。