日本の可愛いを求めに、越境北上中。会津の伝統工芸である会津木綿の織元、「山田木綿織元」を訪れた後に向かったのは会津木綿を使用したテディベアを制作・販売する「會空」(あいくう)のアトリエ。ついさっきまでかんかん照りだった空からお天気雨が降り始めた中、會空の代表を務める庄子ヤウ子さんが元気よく出迎えてくれた。ものづくりで元気になれる庄子さんは会津の出身ではなく、会津若松からおよそ100km離れた浜通り・大熊町の出身。大熊町は福島第一原子力発電所を抱えた自治体であったため、震災直後から町役場の主要機能を会津若松に移転した。庄子さんは原発からほんの数キロしか離れていない地域に住んでおり、帰還困難区域に指定されているため、もう故郷の空を見ることはできないという。庄子さんはかつて大熊町でニットデザイナーをしていた。ものづくりは、体に染み付いていた生きがいだった。会津に避難してきた時、女性のための起業支援団体WWB代表の奥谷京子さんが立ち上げた「ソーシャルニット・プロジェクト」に声をかけられ参加するようになる。日本全国から集められた毛糸を使用し、自身がデザイン・技術指導をしながら同じ避難所で暮らす仲間とバッグやスリッパなどを作り販売していた。「手仕事があると元気になれる。でも手が空いていたからやろうと思ったんじゃなくて、やるからにはちゃんとビジネスとしてやろうって、責任を持って制作に取り組みました」アトリエの立ち上げ「奇跡が起きるよね」ものづくりに対する情熱が再び燃え上がった庄子さんは大熊町で一緒に活動していた手芸仲間と会津で再会し、空き店舗を貸してくれる制度を使って2012年2月にアトリエを立ち上げた。「奇跡が起きるよねって、みんなで話したんです」初めは従来通りニットを編んでいたが、それと並行し会津木綿を使った小物製作の内職も始める。内職の話を持ちかけてくれたのは会津木綿を使ったストールを製作・販売するIIE(イー)の代表、谷津拓郎さん。「地元の伝統産業である会津木綿を活かして、避難してきた女性達の仕事をつくる」という活動を始めたばかりの谷津さんが「縫ったり編んだりできる人いませんか?」と、大熊町から避難してきた人でつくったサロン「ゆっくりすっぺ」に訪れたのが知り合ったきっかけだった。庄子さんのアトリエでは依頼を受けたバッグやチェアカバーなどを製作していたが次第に余力ができ始め、自分たちでも何か作ってみようということになる。テディベアを作ったことがあった庄子さんのひらめきにより、会津木綿の特徴である「縞」と福島の「島」という二つの意味を込めたテディベア「しまくま」が誕生した。世界中のどんな人でも理解してもらえるようにと、テディベアという位置付けにしたそう。テディベア以外も作ってみようと、大熊町のシンボルキャラクターである大熊特産の鮭と梨を手にした黒いくま「おおちゃん、くうちゃん」をモチーフにして「あいくー」が生まれたのはその少し後。真っ黒でシックな会津木綿を使用したボディと少しとぼけた表情がなんともいえない愛くるしさと存在感を醸し出しているあいくーは、一度目が合えば連れて帰らざるを得ない、不思議な魅力と目力を持つ。「私たちを受け入れてくれた会津若松と故郷である大熊町の空を結ぶという願いが込められているんです」団体名「會空」の會は会津の旧字体、空はもう帰れなくなってしまった故郷大熊町の空を表しているという。世界に羽ばたいた「あいくー」「一匹作りすぎちゃったからあげるわよ」と気まぐれに思いついた庄子さんは小さな「しまくま」を友人へ渡した。その友人が会津若松にあるショップ、アルテマイスターに訪れた際、ちょこんと揺れるしまくまが店員の目にとまったことで同店での取り扱いが開始。さらにこの“思いつきの縁”がきっかけとなり、あいくーはフランス・パリへと渡ることになる。2014年1月、世界最高峰のインテリア・デザインの総合見本市「メゾン・エ・オブジェ」の福島県ブースにあいくーは県のマスコットとして並べられた。パリに出展するアイテムを探していた担当者がたまたまアルテマイスターで一匹のあいくーと目が合い、「この子をパリに連れて行こう!」とその足でアトリエに飛んできたそうだ。初の海外進出となったパリの舞台で「とにかく可愛らしい、ストーリーが見える」という理由から、出展した中でもダントツの高評価を得た。パリで人気のセレクトショップ merci の企画展『Exposition NOUVELL VIE(新たな命)』の中でも展示された。「あぁ、これでいいんだ!って、自信になりましたね。一つ一つが不思議なご縁で繋がっていくみたいです」満面の笑顔でその時の話をしてくれた庄子さん。その後すぐにポーラ化粧品やJALといった大企業とのコラボが決定した。2014年の冬から2015年の春にかけJALマイレージ特典の景品として「お家に帰ろう」という思いがこめられた「お家つきあいくー」や、ポーラ化粧品の香水「アミュ ルージュ」のノベルティとして「ピンクスカーフあいくー」が誕生。こうして世界へ飛び出たことで日本全国へ広がることとなった。「一匹つくるのに2時間ほど、小さいもので1時間ちょっとかかります。コラボの話が舞い込んだ9月から4月末までで2500匹は作ったかしら。合わせて30反分。顔にクマつくりながら熊を作ってましたね(笑)」あいくーが描く未来現在アトリエに在籍するのは庄子さんを含めた4名。娘さんが営業やイベントの運営などを行い、親子二人三脚で活動に勤しんでいる。「本当はアトリエでものづくりをしている方が何ぼかいいんだけどね」困ったように笑う庄子さんのうれしい悲鳴は今年も止むことがなさそうだ。すでにワークショップや新たなアイテムの制作で予定は埋まりつつある。直近だと8月20日〜 23日の期間、日本橋の福島アンテナショップMIDETTE(ミデッテ)での販売会があり、20、21日はあいくー顔型ブローチ作りのワークショップが開催される。「よく被災者支援とかチャリティーという言葉が使われるけど、いらないけど支援になるから買ってあげようではなくて、可愛い!と思って純粋に商品を気に入った上で買ってほしい。お金は物に対しての代価だと思うんです。いらなかったらそのまま通り過ぎていっても構いません。」こう正直に話す庄子さんの瞳は今までになく真剣で、そこには作り手としてのプライド、生半可な気持ちでものづくりをしているわけではないという覚悟がはっきりと伺えた。 「一反の幅は決められているから会津木綿で大きなものは作れないけど、こういった身近に親しめるもので会津の良さを発信していきたい。それが私たちにできる会津への恩返し」ぬいぐるみはくたくたとして立たないものが多いが、あいくー、しまくまは全て自立するように設計されている。庄子さんは「自分で立たないと意味ないからね!」と力強く話してくれた。大きな足で自らを支えて凛と立つあいくーの姿には、今いる地を踏みしめて歩んでいこうという強くしなやかな意思が映し出されている。とぼけた顔してしっかり者、可愛い顔した正直者、いま目指したいのはそんなレディなのかもしれない。可愛いを求める越境北上はまだまだ続く。関連記事:会津木綿の老舗「山田木綿織元」で400年続く伝統工芸に触れる 會空福島県会津若松の伝統工芸品「会津木綿」で作ったテディベア「しまくま」「あいくー」を作る工房 HP / Facebook /TwitterText&Edit. Azu Satoh
2017年06月04日ダヴィンチも創れなかった不思議な二重らせん構造「会津さざえ堂」白虎隊自刃の地でもある飯森山に江戸時代に建てられた木造のさざえ堂は、お堂の中を3階までらせん状に上がって下りても同じところを通りません。国指定重要文化財で、世にも不思議な二重らせん構造は世界でも珍しい設計なのだとか。スポット情報スポット名:会津さざえ堂住所:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404電話番号:0242-22-3163約1ヶ月の戊辰戦争に耐えた難攻不落の名城「鶴ヶ城」会津若松の町に堂々とした姿を見せる名城「会津若松城」は、地元の人からは「鶴ヶ城」と呼ばれています。戊辰戦争で新政府軍の猛攻に籠城すること一ケ月。それでも耐えたことで有名です。幕末の赤瓦をまとった日本で唯一の天守閣が美しい城です。スポット情報スポット名:鶴ヶ城(若松城)住所:福島県会津若松市追手町1−1電話番号:0242-27-4005「大内宿(おおうちじゅく)」で江戸時代から残る町並みを散策会津の殿様が参勤交代で泊まったという本陣が今も残る藁葺き民家の宿場町。重要伝統的建造物群保存地区になっていて、そのままの姿を今に残しています。江戸時代にタイムスリップしたような気分になりそう。丸ごと一本のネギでそばを食べる「ネギそば」が名物。スポット情報スポット名:大内宿住所:福島県南会津郡下郷町大字大内字山本電話番号:0241-68-2920取材・文/小野アムスデン道子スポット情報スポット名:星野リゾート 磐梯山温泉ホテル住所:福島県耶麻郡耶麻郡磐梯町大字 更科清水平6838-68電話番号:0570-073-022(9:00〜20:00)
2017年02月17日会津の豊かな自然で育った「磐梯はちみつ」会津磐梯の大自然の中で育てられた蜂が集めたハチミツを100%使った「磐梯養蜂場」の「アカシヤ蜜」「トチ蜜」は、やさしい甘さで、朝食のおめざベジタブルカクテルにも使われています。1,400円(アカシヤ)、1,200円(トチ)。おしゃれな「磐梯山温泉ホテルオリジナルアロマオイル&ストーンセット」ホテルでほのかに香る、柑橘系をベースにしたアロマ。陶器の小さなディフューザーが付いているので、思い出の香りをどこでも楽しむことができます。2,900円。デザイナーが手がける新しい会津塗り「会津漆器BITOWA」会津塗りの伝統を今に生かすBITWAのモダンなクラフトは、SOMA DESIGNがプロデュースし、デザイナーと伝統の作り手が生み出した名品。木目が美しい一輪挿しとティーポットは、一生ものになりそう。一輪挿し3,500円、ティーポット11,000円。取材・文/小野アムスデン道子スポット情報スポット名:星野リゾート 磐梯山温泉ホテル住所:福島県耶麻郡耶麻郡磐梯町大字 更科清水平6838-68電話番号:0570-073-022(9:00〜20:00)
2017年02月16日「Books & Café」で薬研を使ってのお茶作りに夢中ホテルロビー内に置かれた茶葉の瓶。好きに葉をブレンドして、漢方薬を作る時に使う薬研でオリジナルの会津薬草茶やフレーバーティーを作れます。スギナやどくだみなどの薬草に、香りの高い焙煎ハトムギを足して。初めての味にあれこれ試したくなります。毎夜開催の日本酒レクチャーでちょっとした通に毎夜9時からはロビーが日本酒のフォトシアターに。日本酒の種類や造り方などの入門編にはじまって“日本酒は振って飲むとおいしくなる”という、目からウロコの知識を教えてくれる中級編まで。最後には、会津のおすすめ地酒の試飲もあります。酒どころの地酒が約30種類も揃う「会津SAKE Bar」ラウンジの壁には、ずらりと会津の地酒が約30種類。夜には「会津SAKE Bar」がオープンします。あんぼ柿のクリームチーズ巻や桜肉の大和煮など会津らしい酒の肴と会津の地酒3種のセット(1,500円)がおすすめ。それぞれの地酒の特徴や蔵元の話など、あっと驚く知識がいっぱいのバーテンダーのお話にますますお酒がすすみます。取材・文/小野アムスデン道子スポット情報スポット名:星野リゾート 磐梯山温泉ホテル住所:福島県耶麻郡耶麻郡磐梯町大字 更科清水平6838-68電話番号:0570-073-022(9:00〜20:00)
2017年02月07日日本の可愛いを求めに、越境北上。福島県の玄関口郡山から電車で1時間、野口英世ゆかりの地である会津若松にはすでに本格的な夏が訪れていたようだ。会津若松の伝統工芸品、会津木綿を使用してキュートなテディベア「あいくー」を作る庄子ヤウ子さんの元へ訪れる前に、会津木綿の織元「山田木綿織元」へと足を運んだ。明治38年創業の山田木綿織元は会津若松の駅から歩いて10分ほど、ノスタルジックな街並みが残る七日町にある創業100年を超える老舗の織元。小さな敷地の中で糸の染色から織り、製品化まで全て一貫して行っている。会津木綿は今から約400年前に誕生した。当時の会津藩主、蒲生氏郷公が産業振興のために綿花栽培を始め、木綿を織ったのが起源と言われている。丈夫で厚手の生地、地域によって異なる地縞と呼ばれる縞模様、ランダムに現れる横糸のぷっくりとしたふくらみが会津木綿の特徴だ。経糸と横糸の間に空気をよく含むため汗をしっかりと吸い保温性に優れる生地は、夏はうだるほど暑く、冬は雪で埋もれるほどの極寒という会津の盆地独特の気候にもよく合うのだそう。伝統工芸品として400年以上続いてきたが、明治末から大正にかけての木綿生産の最盛期には30以上あった工場も、現在は山田木綿と原山木綿工場の2社にまで減ってしまった。それでも続いてきた伝統を絶やさぬようにと、毎日工場は動き続けている。音を立てて織る優しい縞山田木綿織元では昭和初期の豊田式織機を使用し、昔ながらの風合いを今でも大事に受け継いでいる。しかし現役で動いているのは10数台程度で、修理が必要で稼働していないものもある。機械が古いため部品がなく、修理できないままになっているのだ。一反の大きさは横幅37cm、長さ約12メートル。織り機一台で1日に織り上がるのは約一反半だが、日本全国から発注が相次ぎ今では生産が追いつかなくなっているのだとか。工場で働くのは熟練した織職人のおかあさん、おばあちゃんたちで、中にはこれから工場を担っていくのだろう若い女性もいた。生地の生産から服や小物の製品化まで、現在は20人程度で回している。小さな部屋一面に置かれている織り機とは別に、糸を整える作業をする機械やボビンに巻きつける機械もある。大きな歯車に色とりどりの糸が巻きついているのは“整経”をする機械。一反の幅を織り上げるのに必要な経糸(たていと)を作りたい縞模様、長さに合わせて揃えていく作業である“整経”の工程が会津木綿では特に重要になる。ここであの鮮やかな縞模様の配列が決まっていく。作業途中で止まっていた機械を覗いてみると、縞が出るように途中で経糸の色が変わっているのがよくわかる。上、下、上、下、と交互に離された経糸の間に横糸を通すことで一段一段織られていく。ガシャンガシャンという大きな音とともに横糸を巻き付けた杼(ひ)と呼ばれる棒が規則正しく高速で往復していく光景はなかなかダイナミック。この横糸に凸凹としたアクセントがつくのが会津木綿の特徴であり、素朴な質感が出るポイント。「工場全体がまるで機械のように動くんですよ。スイッチを入れると、みーんな動くの」製品の制作や営業を担当している3代目の奥さんが、針と木綿を持った手を動かしながら嬉しそうに答えてくれた。工場の天井には織り機一つ一つに繋がるベルトを動かす機械が連なっており、一つのスイッチで全てが稼働するそう。まるでハウルの動く城のようだった。オリジナル商品も制作工場の隣には縫い場兼販売スペースがあり、山田木綿を使用して作られた雑貨やIIE(イー)のストール、山田木綿織元のオリジナルアイテムが並んでいる。この日も頼んだ品を取りに来たり、商品を見に訪れる人が多くいた。一軒家の居間がそのまま工房になっているのもどこか暖かい雰囲気を感じる。会津木綿を使用したぬいぐるみを作る會空(あいくう)の“しまくま”も山田木綿の生地を使用。キャスケットやネクタイなど、縞模様を活かしたポップなアイテムも並ぶ。山田木綿織元オリジナルブランド「Le Cotonnier d’Aizu」はフランス語で “会津の紡績工” という意味。工場で作られた会津木綿を使用したワンピースやシャツ、エプロンや帽子といった小物をその場で制作し販売している。「木綿って素朴なイメージがあって若い人には馴染みがないから、今っぽくも着れるようにね」と、ガウチョパンツやギャザーの寄ったフリルブラウスなど、若い女の子たちでも着たいと思うようなデザインも多くあることに驚いた。しっかりとした生地、しゃりしゃりと清涼感のある肌触りは今の季節にもよく合いそうだ。木綿というと少し野暮ったくて渋い色合いで、若い子が身につけるイメージはあまりなかったが、実際生地を見てみるとカラフルな色合い、ぷっくりとした糸が出す表情に思わず「可愛い!」と声をあげてしまった。この生地が、一体どんな可愛いものに変身していくのか。どんな思いを編みこまれ形になっていくのか。可愛いを求めに越境北上はまだまだ続く。続き:会津木綿のテディベア 「あいくー」が結ぶ、私の笑顔と故郷の空Text : Azu Satoh
2016年08月23日可愛いを求めに、越境北上中。木綿とテディベアに出会えた会津若松を離れ、福島最後の目的地は福島駅から徒歩10分にある施設「チェンバおおまち」の1階にある小さなお店。「女子の暮らしの研究所」では、福島の伝統工芸品を可愛くアレンジした雑貨やアクセサリーを販売している。「ふくしまのかわいい」がぎゅっと凝縮された空間だ。出迎えてくれたのは代表の日塔マキさん、ショップスタッフの大内清加さん、店長の林崎知実さんの3人。まるで家族のように仲が良いスタッフたちからは、春先の太陽のような暖かさと親しみやすさを感じた。支援の網から抜け落ちた世代「女子の暮らしの研究所」の前身は「peach heart」という任意団体。代表の日塔さんを含む5人の女性が震災後に女の子が話し合える場を作ろうと立ち上げた。「女の子たちが自由に話せる場所」が必要だと考えた裏には支援の網から抜け落ちた世代の存在があった。震災後に様々な支援があった中で「19歳以上お母さん未満の女の子」たちに対する支援がすっぽり抜けていたのだ。18歳以下は甲状腺の検査が無料(震災当時)で、子を持つ母親だったら母子避難をはじめ、メンタルケアなどのサポートがあったのだが、19歳以上お母さん未満のこれからお母さんになる世代に対するサポートは手薄だった。現在メインスタッフ、そしてショップの店長として活躍する知実さんは震災当時19歳。実家が原発事故の避難区域となった。暮らしの中で感じる不安を打ち明けられる場所が見つからずに悩んでいたという。「そういうデリケートな不安を抱えた福島の女の子たちが、気負いせずに気持ちを晒け出せる場所があればいいなと思ったんです」任意団体peach heartは女の子のコミュニティ作りや県外への保養ツアーなどを企画。震災直後、放射能の心配からマスクをつけたくても「そんなの気にしているの?」と怪訝に思われ付けにくかったことがあり、可愛いからつけているんだと言えるようなおしゃれなマスクのデザインなどを行った。その後メンバーは各自の道を進み、日塔さんは2012年12月、株式会社GIRLS LIFE LABOを立ち上げ、女子の暮らしの研究所の運営をはじめた。女の子が自分で選択できる社会「若い女性が自分自身の暮らしについて自分なりに考え見直し、ちゃんと選択して生きていけるような社会を作ろうというコンセプトのもと活動を始めました。『女子の暮らしの研究所』という名前にはそんな思いが込められています」震災以前は遊んでばかりだったという日塔さんは「自分から半径5メートルの世界で生きていた」と震災以前の自分について語ってくれた。震災が起こったのは日塔さんが27歳の時。当時は県内のイベント制作会社に勤務していた。震災・原発事故後、日塔さんの考えは180度変わったと言う。「原発が爆発した時に国や偉い人たちを責めたけど、あるとき19歳の子に『私って見捨てられたんですかね』と言われて、はっとしたんです。18歳まではサポートがあるのに、彼女たちにはケアがなかった。でも彼女たちは選挙権がない。自分たちで選んだ結果ではなく、大人たちが選んで出来た社会で子どもたちが犠牲になっている事実に直面したとき、なんてことをしてしまったんだろうと後悔しました。そこから、自分の身内だけではなく社会全体のことも考え、意識を持って社会に参加していこうと決めたんです」自分たちの投げやりな選択で未来を潰してはいけない。自ら考えて選択できる権利があるのだからしっかりと選んでいこう。そうやって一緒に福島、日本の未来を考えていく仲間が増えればいいな、と日塔さんは優しい口調で語った。立ち上げ当初から始めたラジオ番組も好評だ。毎週火曜日の午後9時から1時間、郡山コミュニティ放送「KOCOラジ79.1MHz」で「LABOLABO♡ラジオ」を放送中。毎月設けられたテーマに沿って研究員がゲストを交えてゆるくトークしていく。恋バナといったガールズトークの一方、選挙の時には政治に関する話もする。「自分たちで選択して生きていこう。というコンセプトなので、若い女の子たちと一緒に社会のことを考えていけたら嬉しいなって。県知事選の時には立候補予定者の方を呼んで話を聞いたりしています」「わたしたちの声に耳を傾けて」木綿とシルクのピアス彼女たちは福島の伝統工芸品を使用したアクセサリーを製作・販売している。FUKUiro Pierce(ふくいろピアス)と名付けられたピアスは、会津木綿をアクリルで挟んだおはじきのような小さなピアスとイヤリング。金属アレルギーの人でも付けられるようにとキャッチは樹脂でできている。使用している会津木綿はあいくーにも使用されていた山田木綿と原山木綿のもの。福島の素材を使ってものづくりをしようと考えていた会社設立当初、会津木綿を使ってストールを作るIIE(イー)の代表、谷津さんの会社に訪れたのが会津木綿と出会ったきっかけだという。「よく見るとめちゃくちゃ可愛い!って気づいてしまって。色も渋いものだけではなくて、女子が好きそうな淡い色彩もあるんですよ」早速これで何を作ろうかというときに、「私たちの声に耳を傾けてください」という意味を込めて耳につけるアクセサリーにしようと決めた。こうして会津木綿を使用した「ふくいろピアス」が誕生した。自然にちなんだ8色で展開されるシリーズには「8つのいろのはなし」というストーリーが込められている。震災直後の女の子たちの率直な気持ちをガールズボイスとして商品それぞれに託した。外で遊ぶのが不安だったり、庭で採れた野菜を食べるのが怖かったり、福島にいる人なら感じたことがあるかもしれない気持ちは、県をまたいでしまえば伝わらなかった。こうした現実と不安の声に耳を傾けてもらいたい。「聞いて!」と押し付けるようにただ主張するのではなく、単純に可愛いと手に取ったことがきっかけで、この声を聞いてもらいたいのだ。「かわいいがキーワード。たくさんのひとに届くように、いかにポップにするかを大切にしています」第一弾の会津木綿のピアス、第二弾の会津漆のヘアアクセサリーに続き第三弾としてジュエリーラインをスタート。「HITOTOKI -kasumi-」は世界中のラグジュアリーブランドからもラブコールが絶えない福島県・川俣町の老舗「齋栄織物」が作るシルク「フェアリーフェザー」を使用している。1本1本の糸が髪の毛の6分の1の細さという世界一薄いシルクを透き通る水晶の中に閉じ込めた。霧をイメージしたというHITOTOKI -kasumi- は、極薄のシルクが光を通すため、水晶の輝き吸い込むかのように布と肌を輝かせる。縦糸と横糸は先染めした違う色の糸を作っているため、見る方向によって色が変わる不思議なジュエリーだ。女子の共感力「わかる〜!」は最強女子の暮らしの研究所が期待しているのは女の子が持つ “共感力” 。女子の会話でよく出てくる「かわい〜!」「わかる〜!」は棒読みの相槌だと感じるかもしれないが、実は無意識のうちに出ている「いいね!」という共感なのだ。共感はそのまま発信の原動力へとつながっていく。現在30名弱の研究員が在籍。福島出身者から他県出身で福島在住の女の子、学生や社会人、ママさんなど様々な個性が集まった。ファッションの好みも性格もみんなバラバラだそう。「様々なタイプの女の子が集まってお互いを認め合えるようなコミュニティです。それぞれがパワーアップしたり、自信を取り戻したりする場所になってほしい。まだまだ研究員募集中です!」個人が生まれ持った魅力を活かしのびのびと活動できるコミュニティが、福島女子たちの心の支えになっている。これは福島に限ったことではないが、自分以外の誰かに些細なことでも相談できる環境はあまりにも希少だ。「自分の悩みなんて小さなもので、言ったとしても認められないんじゃないかって不安が若い子たちにはあると思うんですけど、それを解消できるのが女子の暮らしの研究所です。真面目な話もしょうもない話もできる仲間がここにはいて、彼女たちがいるから自分に自信が持てた。自分のことも大切にしよう、健やかに生きようって思うようになりました」若干24歳ながら店を率いる店長の知実さんは自身も“じょしくら”に救われた福島の女の子の一人。福島ということがコンプレックスになってしまう子もいる中、地元の名産品や伝統工芸など、「ふくしまのかわいい」を届けることで地元である福島に対して自信を持ってほしいという。現在お店が入っているスペースは1年間限定の出店。間も無く、念願の常設店がオープンする。1階はショップ、2階はイベントを行えるようなコミュニティスペースにするそう。かわいいが持つ魔法、選択する勇気、女子たちの原動力、手仕事の尊さ、女性の多様な生き方。ここで学べることは一人一人違うはずだ。個性豊かな糸が織られることで丈夫な木綿になっていくように、空気のように軽やかなシルクが輝く色を変えるように、彼女たちそれぞれが糸となり「ふくしまのかわいい」を編みだすことで、日本中に輝きを届けようとしている。女子の暮らしの研究所さまざまアプローチで「これからの暮らし方」を考えるふくしまの女の子のためのコミュニティ。研究員として所属する女の子たちが商品開発やツアーガイド、イベントなどを企画・運営し、ふくしまの魅力と今を発信している。HP / Facebook / Twitter / Online ShopText. Azu Satoh
2016年08月19日ビームス(BEAMS)が展開するファミリー向けショップ「ビーミング ライフストア バイ ビームス(B:MING LIFE STORE by BEAMS)」が、東日本大震災の被災地復興支援プロジェクト「KENDAMA TOHOKU」を4月20日から5月24日まで開催する。昨年よりスタートした同プロジェクトでは、話題のクリエーターやブランドのデザインを元に、東北での復興を目指して活動する団体や工房がオリジナルのけん玉を製作している。今年は新たに競技用けん玉生産で日本一を誇る「山形工房」と、4 組のクリエーターによるコラボレーションが実現した。子育てママたちによる被災地支援団体「東北ちくちくプロジェクト」による「けん玉&チャームセット」(5,500円)は、漫画家のしりあがり寿が朝日新聞で掲載中の4コマ漫画『地球防衛家のヒトビト』をモチーフとしたもの。一方、地域の伝統工芸「会津木綿」を素材とした雑貨などを提供している「IIE」は、香港出身の俳優でファッションブランド「Subcrew」を手掛けるサム・リー(SAM LEE)とコラボした「けん玉セット」(6,500円)を発売する。また、塩害に強い綿を有機栽培して製品化している「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」は、脱力ギャグコメディ漫画『秘密結社鷹の爪』とコラボレーション。人気キャラクターの吉田くんとレオナルド博士をモチーフに、「けん玉&手ぬぐいセット」(6,500円)を製作した。その他、被災地の女性たちが立ち上げた「南三陸ミシン工房」は、昨年に引き続き「ミナ ペルホネン(mina perhonen)」とのコラボレーションによる「ケース付けん玉」(5,000円)、「ケース付カップボール」(5,000円)を展開。両者はこのイベントをきっかけに、その後もブランドが工房の拡張資金を出すなど良好な関係を続けているという。今年は新たにパリを拠点に個性的なグラフィックを発信するクリエーターユニット「パピエ・ティグル(PAPIER TIGRE)」とコラボした「ポーチ付けん玉」(5,500円)を発売した。また、ゴールデンウィークにはファッションブランド「430」のBMXライダーのNOBが「ビーミング ライフストア」の各店に登場。けん玉ブームの火付け役でもある彼が直接指導を行う「KENDAMA ワークショップ」を開催する。
2015年04月09日JR東日本仙台支社は27日、「走るカフェ」がコンセプトの乗って楽しい列車「フルーティア」について発表した。2015年4月下旬以降、磐越西線郡山~会津若松間で運転開始される予定だという。JRグループは2015年4~6月の3カ月間、福島県・地元自治体・観光事業者らと連携し、大型観光キャンペーン「ふくしまデスティネーションキャンペーン」を開催。これに合わせて運転開始される同列車は、719系を改造した2両編成(カフェカウンター車両1両・座席車両1両、座席36名)の列車となる。車両愛称の「フルーティア」は、「FRUIT(果物)」「TEA(お茶)」を組み合わせて命名された。エクステリアデザインは赤瓦や黒漆喰壁、明治・大正時代の西洋モダンが織り成す独特な街並みと雄大な自然との調和を表現。建築外板に使用される質感表現を車両デザインに取り入れ、新しいイメージの創出をめざすという。インテリアデザインは明治・大正時代の近代建築や会津塗の持つ豊かな質感を基本にデザイン。カフェカウンター車両は大きく伸びやかなカウンターで優雅な鉄道旅行を演出し、カウンター席も設定する。座席車両は車窓風景を眺めながら会話を楽しめるような座席・テーブルの配置とする。車内ではカフェサービスとして、「福島県産フルーツなどを使用したケーキやタルトといったオリジナルスイーツ」とドリンク類をセットにして提供予定。なお、具体的な運転日や座席の発売、車内で提供するメニューの詳細については、「決まり次第、別途お知らせいたします」としている。
2014年11月27日福島県の会津鉄道はこのほど、昨年12月25日から1月27日まで実施した「車両ラッピングデザイン」公募の選考結果を発表した。ラッピングデザイン公募は、2015年4~6月に実施される「福島デスティネーションキャンペーン」と、今年4~6月に実施する「プレ・デスティネーションキャンペーン」に合わせた企画。「花咲く会津」をデザインテーマとして公募を実施した。応募作品の中から最優秀賞に選ばれたのは、会津若松市内の企業の作品。ピンクとパープルのグラデーションに県内のゆるキャラを配し、明るく楽しいデザインになっている。最優秀作品はAT500型車両(1両)にラッピングされ、この春から運行を開始。来年の「福島デスティネーションキャンペーン」期間中まで継続する予定となっている。
2014年02月12日福島県会津若松市一箕町、飯盛山の白虎隊士墓前で「白虎隊慰霊祭」が開催される。開催日時は9月24日、10時30分~12時まで。白虎隊は幕末、戊辰戦争時に会津藩が組織した部隊で、16歳から17歳の武家の男子で構成されていたが、中には13歳、15歳の少年もいたといわれている。白虎隊の士中二番隊は戸ノ口原の戦いで打撃を受け、飯盛山に潰走。多くが自刃して果てたという。同祭は、この白虎隊の霊を慰めるため、飯盛山の白虎隊士墓前で行われるもの。慰霊祭のほか会津高校生徒による「白虎隊剣舞」の奉納が行われる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年09月20日福島県会津若松市門田町の北御山集会所で天皇・皇后両陛下を始め宮家に献上する「会津身不知柿(あいづみしらずかき)」の箱詰め作業が11月26日に行われた。北御山生柿生産出荷組合の農家が生産した柿を厳選し、会津地方振興局の職員らが柿を一つ一つ丁寧に磨き上げ、和紙に包んで箱詰めした。今年は、夏場の雨不足で例年よりやや小ぶりであるものの、甘味の強い柿ができた。「身不知柿」は、ビタミンAやビタミンC、カリウムなどの栄養を豊富に含むのが特徴。さらに二日酔いや悪酔いに効果があるタンニンが多く含まれている。名称の由来は、「枝が折れそうなほどにたくさんの大粒の実をつける」ことからだという説や「あまりに美味しいので我が身も考えずに食べすぎてしまう柿」だという説などがある。「献上柿」は1928年、会津藩主ゆかりの松平勢津子様が秩父宮様とご結婚されたお祝いとして献上されたのが始まりだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月04日福島県で臨時列車「極上の会津喜多方号」が運行される。運行日時は11月23日(金・祝)~25日(日)まで。全車指定席。「喜多方まち歩きとマイ喜楽弁(きらべん)づくりの旅!」と題したイベント列車は、郡山~喜多方間で運行される列車の旅を楽しむとともに、喜多方駅到着後、蔵の街である喜多方市内を「蔵ガイド」の案内でめぐり、人気の食事処をまわって「マイ喜楽弁」を完成させるというもの。「マイ喜楽弁」づくりは、「食堂つきとおひさま」で厚焼き玉子と野菜の煮物、「塩川屋」でエゴマ豚メンチカツとロース醤油麹漬けの焼き物、「会津田舎家」では芋がらの胡麻和えと胡瓜の紫蘇漬け、菊の甘酢漬け、鰊の焼き物、「若喜商店」ではかつお風味焼生姜と黒胡麻ごぼうを弁当箱にトッピングする。そのほか、「会津田舎家」からおにぎり、「ぬりの里」から郷土料理の「こづゆ」、「若喜商店」からはみそ汁が提供される。完成したお弁当を若喜商店内の「ふれあい夢くうかん」で味わい、その後解散となる。イベント詳細はJR東日本仙台支社ホームページで確認を。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月22日福島県会津若松市のシンボル鶴ヶ城で、紅葉の時期に合わせてライトアップが行われる。期間は10月19日(金)~11月11日(日)の日没~21:00まで。見どころは黄色に色づいたイチョウと青白く幻想的にライトアップされた鶴ヶ城天守閣、石垣、赤い廊下橋など。昼間とはまた違った美しい姿が現れる。鶴ヶ城は会津藩の松平氏を始め、数多くの大名が城主として君臨した城。鶴ヶ城を有名にした出来事は、幕末、戊辰戦争の戦いの舞台となったこと。特に飯盛山での白虎隊の自刃は、薩摩琵琶の語りやドラマや映画などで現在に伝えられている。ちなみに、2013年の大河ドラマは会津藩の砲術指南役である山本権八の娘、新島八重を主人公にした「八重の桜」だ。鶴ヶ城では幕末当時の姿である赤瓦への葺(ふ)き替えが2011年に完了。現存する天守閣では国内唯一の赤瓦だ。また、天守閣では「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。石垣の内部には塩倉、第一層には歴代藩主と城の変化、第二層には江戸時代の会津庶民の暮らし、第三層では戊辰戦争の様子を描いた錦絵が展示されている。第四層は四季をテーマに会津の人々の暮らしを展示。第五層は東西南北が見渡せる展望室となっており、白虎隊最期の地である飯盛山も見える。鶴ヶ城は唱歌「荒城の月」の作詞者である土井晩翠が詩の構想を練った場所の一つとされ、「荒城の月」の歌碑も建てられている。さらに千利休の子である千少庵が建てた茶室、「麟閣」もライトアップされる。千少庵は父の千利休が豊臣秀吉の命により切腹したあと、時の鶴ヶ城主蒲生氏郷にかくまわれていた際に「麟閣」を建てたと伝えられている。その後明治になり、鶴ヶ城取り壊しとともに「麟閣」も取り壊されようとしていたが、それを惜しんだ森川善兵衛が明治5年に自宅へ移築、その後120年の歳月を経て平成2年に元の鶴ヶ城へ移築された。ライトアップの詳細は会津若松観光物産協会ホームページで確認を。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月15日JR東日本仙台支社はこのほど、只見線の一部区間(会津坂下~会津川口間)で行っていた「タブレット閉塞式」による運転保安方式を廃止し、9月23日より「特殊自動閉塞式」に変更すると発表した。機器の老朽化によるもので、ローカル線の象徴的な風景として親しまれてきた「タブレットの受渡し」が只見線で見られるのは22日までとなるという。これに合わせ、同社は22日限定で、「JR只見線ありがとうタブレット記念の旅」を実施する(すでに完売)。会津若松駅発、会津川口駅着の列車に乗り、会津川口駅または会津坂下駅で「タブレット閉塞機」に触れる体験ができるツアー。かつて只見線で使用され、現在会津若松駅で保管されている本物の閉塞機を使用する。会津若松駅をそれぞれ7時37分、11時5分、13時10分に出発する列車が対象となる(11時5分発は臨時列車)。各列車20名の参加者を募集したが、即完売している。22日には、会津若松~会津川口間の10駅の入場券をセットにした「只見線タブレット記念入場券」も限定発売される。発売額は1,400円。会津若松駅、会津坂下駅、会津宮下駅、会津川口駅の各駅にて取扱う。発売時刻は会津若松駅が5時40分から、その他の駅は10時から。500セット限定で、1人5セットまでの購入制限あり。売切れ次第終了となる。「タブレット閉塞式」は、列車の衝突や追突の防止を目的として、一定の区間に同時に2つ以上の列車を走行させないために用いられてきた運転保安方式。運転士が出発駅の駅長から、「タブレット」と呼ばれる円盤状の金属を受け取らない限り、その列車は出発できない。その区間にタブレットは1つしかないため、必然的にその区間に同時に複数の列車が走行することはできなくなる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年09月12日大正時代から人々に親しまれて、会津のガンコおやじがプライドを持ってその味を守り続けている。会津のソウルフード「伝統会津ソースカツ丼」だ。現在、「伝統会津ソースカツ丼の会」加盟店は23軒。その1軒1軒、味に個性があり、比べて食べるのもこれまた一興(いっこう)だ。一般的にカツ丼といえば、玉ねぎとカツをしょうゆで煮込み、その上に卵をからめたもの。しかし会津のカツ丼は、その名の通りソースで味付けしたカツ丼だ。誕生の経緯は定かでないそうだが、定義としては、「ほかほかのごはんの上にサクサクのキャベツを敷き、揚げたてのカツを店独自のソースで絡めた丼」となるよう。そんな会津オリジナルのカツ丼に一家言ある飲食店数店が一致団結して、2004年に「伝統会津ソースカツ丼の会」を誕生させた。ソースカツ丼誕生の経緯は、カフェ全盛期だった大正時代、洋食のコックが手軽なまかないとして考案したという説がある。余った肉片を当時人気だったカツレット(今のカツレツ)にして、ウナギのかば焼きからヒントを得た甘めのソースで絡める。それを食べやすいように、さっと丼に盛ったのが始まりではないかというのだ。いまなお古い街並みを随所に残す会津若松に、なんとも似つかわしい説ではないか。ところで、このレトロな街並みと相性ぴったりな、「ハイカラさん」という周遊バスをご存じだろうか?市内観光の足として利用されているこのバスは、「伝統会津ソースカツ丼の会」加盟店23店舗のうち、15店舗の店にほど近い各バス停に停車する。1日に数軒でも回れるというツワモノは、バスに乗って食べ歩きしてみてもいいかもしれない。しかし、ソースカツ丼はいずれもボリュームたっぷりで、中には、丼からはみ出るような大きなカツを揚げている店もある。胃腸と相談しながらにすべし!同会の会長を務めている「なかじま」は、創業63年を数える老舗だ。スパイシーでまろやかなキャベツソースカツ丼と、先代社長が考案したという、コクとうまみたっぷりのソースで煮込んだソースカツ丼。“さすが老舗の逸品!”とうならされる味だ。ちなみに、使用している肉は福島県鮫川村(さめがわむら)の銘柄豚「健育美味(けんいくびみ)豚」。この豚はサツマイモを飼料として与えるなどして育てられており、深い味わいがあるだけでなく、ビタミンやオレイン酸などといった栄養分も豊富。肉のもつ強い甘みが、ソースの酸味に見事にマッチしていている点も魅力である。また、同じく創業60年以上の歴史をもつ「白孔雀食堂」のソースカツ丼は、丼からはみ出る大きなカツとやや甘みのあるソースが特徴。どんぶりからのはみ出しっぷりには最初驚くこと必至だが、いざ箸を付けると、薄くたたかれていて、見た目からは想像できない食べやすさであることが分かるだろう。お客に楽しく食事してほしいと願う店主の優しさがそこはかとなく感じられる。いずれの店も会津っぽ(会津魂)の優しさとこだわりで、長い間、店独自の味や盛り付け法を貫いてきたことは間違いない。ガンコな会津の料理人の心は、昔も今も変わらずに、この地に脈々と息づいているのだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月31日福島県会津若松では、「カレー焼きそば」のことを「B級グルメ」とはカテゴライズしない。ではどのように位置づけるのかというと、カレー焼きそばは「ソウルフード」、つまり「故郷の味」なのだという。「カレー」と「焼きそば」の見事なコラボレーション、会津のカレー焼きそばは会津市民にとって青春の味であるとともに、「会津っぽ(会津魂)」を象徴する、ソウルフードとして定着した。カレーと焼きそば。日本人の老若男女のほとんどが好きなB級グルメの両雄をコラボレーションさせることは、どうして会津若松以外の人たちは気づかなかったのだろうかと不思議になるほど、会津のカレー焼きそばとの出合いは、鮮烈な印象を与えるものであった。現在15店舗が加盟する「会津カレー焼きそばの会」の事務局がある、一七市町村物産市場「会津ブランド館」の一階にあるカフェを訪ね、運営責任者でテクニカルスタッフの代表取締役社長・佐藤正彦氏に会津カレー焼きそばを発想するに至った裏話を聞いてみることにした。その前にまず試食。トッピングを組み合わせたメニューは10種類近くになるが、まずは原点でもあるトッピングなしのカレー焼きそば(500円)をオーダーしてみた。太麺に会津産の野菜と、同じく会津特産のエゴマ油で炒め、ソースで味付けした焼きそばに中辛のカレーを上からかけている。もちろん、カレーの中にも会津産の人参が顔をのぞかせている。「いかがですか?カレー味の焼きそばではなく、焼きそばにそのままカレーをかけるというスタイル、おもしろいでしょう?」と佐藤氏。「本当にどうして全国の他の地域では考え付かなかったのか不思議でなりませんね。でも、なんでこの組み合わせを思いついたんですか?」との私の質問に、佐藤氏は軽く笑いを浮かべ、「ひょうたんからコマみたいな話なんですよ」と返してきた。カレー焼きそばの誕生は今から40年も前のこと。部活で腹をすかせ、家まではどうしても持ちそうにないと、発車までの時間、焼きそばを頼んだ高校生の一団が「発車時刻が迫ってるから、焼きそばとカレーと一緒に出して」と店の経営者に注文。出てきた焼きそばの上からカレーをかけたところ、これがなんと初めて食べる味ながらビックリするほどおいしい!!高校生の一団はみんなで皿を回しながら、「おいしい、おいしい」とがっついた。この話を翌日学校中に触れて歩いたところ、あっという間にみんながまねして人気メニューになったという。取材の途中、女子高校生のグループに話を聞いてみた。すると、カレー焼きそばを出す店は15店あるのだが、各店それぞれレシピは違うしトッピングも違うので、ひいきの店はみんな違うということが分かった。そして驚くべき事実も判明した。現在、カレー焼きそばの主なファンは高校生ではなく、40年前にこれをヒットさせ、今はもういい歳のオヤジたちとなった連中なんだとか。酒飲みが〆にカレー焼きそばを食べるというのだ。オヤジたちだけではない。店を閉めた後のママさんやホステスさんたちも、お客と一緒にお酒の〆に食べているという。「寝る前に食べると太るっていうけど、でもカレーは脂肪を燃焼させてくれるっていうし、気にしないで食べてるわ」と話す人も。カレー焼きそばの元祖「トミーフード」が店を構えるのは「野口英世青春広場」。そして、カレー焼きそばは会津の青春の味。読者の皆様、まずは一度、その味をご自分の舌でお試しあれ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月10日夏休み。青春18きっぷでどこに行こうかと鉄道路線図を眺めていたら、只見線の駅名が興味深かった。始発駅の会津若松をはじめとして、会津坂下、会津宮下、会津川口など、17の駅に「会津」が付いている。只見線は全部で38駅だから、半数近くが「会津」の付く駅名だ。そういえば、JRには地方名や旧国名を付けた駅が多い。特急「ワイドビュー南紀」の終点でもある紀伊勝浦駅。北陸本線と越美北線が分岐するのは越前花堂駅で、越美北線も「越前」の付く駅が多い。JR四国は「阿波」「伊予」「讃岐」が付く駅が多い。ちなみに高松駅の愛称も「さぬき高松うどん駅」になった。高松駅の場合はうどんにひっかけたのだろうが、そもそもJRには旧国名や地方名を被せた名前の駅が多いのだ。これには理由がある。旧国名や地方名が付く駅を俯瞰すると、JRに多いだけではなく、「東京や大阪など大都市はわりと少ない」「幹線より支線に多い」という傾向も見えてくる。これは鉄道路線が建設された順番ともいえる。大都市のほうが鉄道の整備は早かったし、幹線の後に支線がつくられた。つまり、後から開業した駅に旧国名や地方名の付く駅名が多いということになる。「新しい駅のほうに古くさい旧国名(地方名)を付ける」とは不思議かもしれないけれど、これは鉄道の発達にともない、全国で駅名の重複を避けようとした結果でもある。「新しい駅を作ろう」「地域の名前がわかりやすい」「いや、その名前はすでに別の駅が使っているぞ」「それなら目印を被せよう」といったような経緯で被せられたのだろう。只見線の会津川口駅の場合、「川口駅」としたくても、すでに埼玉県に川口駅が存在した。どちらも同じ名前では、川口行きのきっぷを買うとき間違えやすい。だから地方名である「会津」を付けよう、といったところだろう。これならどの地域にあるかもわかりやすい。同じ地域で駅名の重複を避ける場合は、東西南北の方角を付けたり、「新」を付けたりもする。異なる鉄道会社の場合、「近鉄四日市」「京急蒲田」など会社名の略称を付ける場合もある。遠い地域なら同じ駅名でも不便はなさそうだが、JRの前身である国鉄は全国に路線網があり、「離れていたとしても、同じ駅名があると混同されやすい」というわけで、なるべく違う駅名にしようとした。その一環で旧国名・地方名が使われたようだ。だから、「JRの駅には旧国名・地方名付きが多い」というよりは、「旧国鉄の駅には旧国名・地方名付きが多い」ということになる。JRグループに分割民営化された後、JR北海道の函館本線に桂川駅があるにもかかわらず、JR西日本が東海道本線の桂川駅を開業させた例もある。ちなみにJR九州にも、国鉄時代から桂川駅(筑豊本線)があるけれど、こちらは「けいせん」と読む。国鉄当時から問題ないと判断されたようだ。同じ地域で駅名の重複を避けるため、旧国名を付けた例もある。たとえば三河安城駅。JR東海が発足してから誕生した駅だが、安城市にはすでに東海道本線の安城駅があった。しかし他の新幹線駅にありがちな「新安城」では、名古屋鉄道の新安城駅と間違われてしまう。東海道新幹線の駅だし、遠方からの利用者も多いだろうから、地域全体の位置をわかりやすくするためにも旧国名を付けよう、ということなのかもしれない。埼京線と武蔵野線が接続する武蔵浦和駅も、浦和駅から近いのに旧国名が被せられている。浦和の場合、浦和駅のほかにも東浦和駅、西浦和駅、南浦和駅、北浦和駅があり、言うなれば”浦和ネタ”は尽きかけていた。新しい駅だから「新浦和」でもよかったのではないかと思うけれど、新幹線と並んでいるため、新幹線の駅と間違われないようにとの配慮があったのだろう。武蔵浦和駅と同日に開業した埼京線の隣駅も「中浦和」となった。気の毒な事例といえるのが岩手川口駅(現・IGRいわて銀河鉄道)。いま川口駅といえば埼玉県にある京浜東北線の駅のイメージが強いが、岩手川口駅はその川口駅が開業する前から「川口駅」を名乗っていた。伊勢川口駅や越後川口駅は、こちらの川口駅との混同を避けるために旧国名を付けたわけだ。一方、現在の川口駅はかつて「川口町」という駅名だったが、川口市の発足と同時に川口駅を名乗ることに。岩手県にあった川口駅が現駅名に改称させられることになった。当時の地元の人々は悔しかったに違いない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月21日