初めての育児では「とにかくきちんとやらなくては」と、肩に力が入っていたように思います。現在、2人の子どもを育児中ですが、2人目で「少し肩の力を抜いて育児をやってみよう」と実践したことをご紹介したいと思います。 育児でやめてよかったこと【離乳食編】初めての離乳食は、育児書を片手に進めていました。そこに必ず出てくるのが食べる量。一応の目安だとわかっているものの、食べる量を把握したいと、毎食食べた量を1歳半まで記録しました。数値化することで、「今日も全然食べていない」と落ち込むばかりの1人目の離乳食生活でした。 2人目もあまり食べない子でしたが、食べる量を把握したところで食べる量は増えない!と、思い切って食べた量を量るのをやめました。おかげで、少し気持ちがラクになりました。 育児でやめてよかったこと【ほかの子との比較編】1人目のときは児童館などに積極的に足を運んでいました。個人差があるとは言え、同じ月齢の子ができていることを、どうしてうちの子はできないのだろうか?と思うことが多く、とにかく不安やイライラを抱えながら育児をしていました。 逆に、2人目のときは子どもがあまり児童館へ行きたがらないので、同じ月齢の子と比べることが減りました。できなくてもそのうちできるようになると、おおらかな気持ちで育児ができ、子ども自身ものびのびと育っているように思います。 育児でやめてよかったこと【育児の負担編】「育児は君の仕事」。夫にそう宣言され、1人目は家事より育児を優先して、なんとか育児をしていました。しかし、2人目誕生のとき、上の子は3歳。お風呂やトイレなど、まだ手がかかる年齢でした。 私が腱鞘炎になったり、上の子の精神面で心配な面が出てきたりと、ひとりで抱え込むのはやめようと思い、夫に相談しました。手が足りないときは助けを求めて、手伝ってもらうことにしました。夫と過ごす時間も増えて子どもたちも喜んでいます。 初めての育児ではわからなかったことが、2人目の育児では見えてくるもの。肩に力を入れすぎずに育児をすることが大切だと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:村上八重美二児の姉妹の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月09日妊娠をきっかけに、「会陰切開」という言葉を聞く人も多いのではないでしょうか? 私も出産のときには会陰切開をしてもらいました。今回は、私が感じた会陰切開の痛みはどのようなものなのか、産後の痛みをやわらげるためにどうしたのかをお伝えします。 出産より痛かった! 会陰切開の縫合破水から始まり、陣痛が始まって4時間で赤ちゃんが生まれたという私の出産は、あまり痛いという感覚がありませんでした。ところが、会陰切開はまったくの別物でした。 会陰切開自体は「切りますね」という確認から、いつ切られたかもわからないほどあっという間でしたが、傷口を縫い始めたとたんに痛みはMAX! 思わず「痛い痛い!」と声に出てしまったことを今でも覚えています。会陰切開後の傷跡の痛みまだ経験されていない方にとっては、会陰切開後の傷跡もいったいどんな痛みなのかと心配になりますよね。会陰切開後に傷口は糸で縫合されるため、私の場合、その縫合してもらった部分の違和感がすごくありました。 デリケートな部分でもあるうえに、悪露も出ているため、トイレやシャワーに行くときにも気になってしまいます。具体的にいうと、チクチク・ズキズキといった痛みがしばらく続きました。 痛みをやわらげるための試行錯誤会陰切開後の傷跡の痛みをやわらげるために、座るときはドーナツクッションが必須でした。布団などのやわらかい場所であっても座ると痛みがあったので、ドーナツクッションを使って、傷口に刺激を与えないようにして座ることが第一でした。 しかし、それ以外には特に有効な手段を見つけられず、とにかく安静にして横になっていること、痛み止めの薬を飲むことを心がけました。私の場合、出産から2週間もすると、ドーナツクッションを使わずに普通の椅子に座ることができました。 会陰切開は切るときよりも、傷跡のほうが痛いという方も多いようです。痛みが強いときは、我慢せずに医師や助産師さんに相談したいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月08日出産間近になると、もしや陣痛? これが出産の兆候? など、体の変化に敏感になりますよね。私には4人の子どもがいるのですが、親は同じでも出産の兆候はみな違いました。毎回、コレが陣痛につながるのか!? と、出産の兆候にドキドキしていた私の体験談をお伝えします。 第一子、第二子の出産1人目は出産予定日の朝におしるしがあり、念のため受診するとその場で破水。そのまま入院・出産に至りました。 同じ親から生まれるのなら、出産の兆候は同じかもしれないと思っていた私。1人目のときの経験から、2人目の出産時もおしるしがあるかもしれないと思っていたところ、2人目はおしるしも前駆陣痛も何もなく予定日超過へ。経産婦でしたが子宮口も硬かったようで、バルーンと陣痛促進剤を使用しての出産となりました。 【関連記事】・おしるしとは?初産と経産婦で違うの?陣痛や破水との関係と対処方法について・陣痛促進剤の効果・副作用・使うタイミング・使えないケース・費用について第三子、第四子の出産3人目は、出産予定日よりも1カ月前に子宮口が1cmほど開き始め、前駆陣痛も頻繁に起こりました。さすがに早めの出産になるかと思っていたら、結果的には予定日超過でした。おしるしもなく、3人目も陣痛促進剤を使用しての出産となりました。 4人目は、上の子3人のお世話に追われ、ゆっくりする時間も確保できなかったためか、出産予定日よりも早く、朝におしるしが。その夜には自然に陣痛も始まり、出産に至りました。 【関連記事】・破水とは何?破水の種類や見分け方、対処方法について・前駆陣痛とは?本陣痛との違いや痛みや特徴、対処法を解説 4人の出産を経験して思うこと4人の子どもを産んでみて思うことは、出産の兆候は同じ親でも子どもによってそれぞれ違うということです。出産間際になると気持ちが焦り、毎回ネットで「出産の兆候」や「ジンクス」などを検索していましたが、得られた情報が誰しもに当てはまることではないと感じました。 私の場合、唯一共通していたことは、夫が帰宅していたり、母が来てくれているときだったりと、誰かの助けがある状況のときに出産が始まり、子どもたちが生まれてきたということです。もしかすると、おなかの中で赤ちゃんが私の状況を感じてくれていたのかもしれませんね。 臨月は母体にも負荷がかかり、早く出産したいという気持ちも高まります。気持ちが焦ってしまうことも多いかもしれませんが、できるだけリラックスして出産のそのときを待ちたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月08日学生時代に妊娠したものの産むことができなかったため、やむを得ず妊娠7週で初期人工妊娠中絶という選択をしました。中絶に至るまでの経緯や手術当日の複雑な思い、そして10年以上が経った現在の心境もお伝えします。 中絶という選択肢大学4回生になる前の春休みに妊娠が判明し、パニックになりながら当時交際していた同級生の彼に伝えたところ、子どもを産み育てるのは無理だという返事が……。地方で会社を営む彼の家庭は厳格で、「学生でできちゃった婚なんてしたら勘当される」とのこと。この状況で保身に走るなんて……と彼に幻滅する一方で、私自身もそんな彼との間の子どもをシングルマザーとして育てる覚悟も持てず、私たちは中絶という選択をしました。 大切なものを手放していく中絶を決めた私たちは、周りに知られないように隣県の病院で手術をすることに。中絶手術は妊娠7週でおこなうことが決まりました。手術にかかる費用は約10万円。手持ちが足りず、当時私が大切にしていた中型バイクを売却して得た代金を一旦手術費用に充てて、あとで彼から分割で代金を支払ってもらうことにしました。おなかの赤ちゃんも守れないし、私は何をやっているんだろう……と情けなくて虚しい気持ちでいっぱいでした。 手術の痛みと悲しみ手術の日は朝食も水もとらずに前処置をします。その間も彼は付き添ってくれましたが、処置の作用で生理痛の何倍もの痛みと吐き気があったので、何を話したかもよく覚えていません。手術室へ案内されるときに別の部屋で出産があったらしく、ハッピーバースデーの音楽が流れてきました。それを聞いて、望まれて生まれてくる命がある一方で、私は産んであげることすらできない……と悔しさが爆発し、大声をあげて泣いてしまいました。術後は日帰りでしたが、しばらくは心にも痛みが残ったままでした。 10年以上経った今でも思い出すその後、大学卒業とほぼ同時に彼と別れて以来、彼がどうしているのかも知りませんし、私も別の人と結婚して娘を授かりました。今は幸せですし、中絶を選択したことを後悔しているわけではありません。それでも、あのときのことを思い出すことがあります。もし、あのとき子どもを産んでいたらもう中学生になるのかな、男の子だったら反抗期で大変かもしれないな……などと想像をしては、ほんの少しだけあのとき産めなかった子に思いを馳せるのです。 中絶は苦しく悲しい体験でしたが、この先私はこのことを夫や娘に話すことはなくても、きっと忘れることはないと思います。産めなかった子どものことも忘れずに時々思い出すということが、私が親として唯一あの子にしてやれることなのです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:坂本ひろ子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月07日妊娠検査薬で陽性反応! 喜びをかみしめつつも次の行動にうつらなくてはいけません。先輩ママたちは妊娠がわかったあと、どのような行動を取ったのでしょうか? 今回は、妊娠がわかったあとのママの体験談をまとめてご紹介します。 妊娠がわかり、まずは自分の体調をしっかり管理しました。風邪を引かないように栄養あるものを食べ、サプリメントでも補うようにしました。人混みに出かけるときは必ずマスク。帰ってからは手洗いうがい。夫にも徹底させました。 すぐに職場の上司と周りの人に伝えました。そのおかげでつわりのときも休みやすかったし、いろいろ気にかけてもらえました。職場の環境にもよると思いますが、伝えることでこちらも安心できるし、職場の人も後任のことなどを考える時間がたくさんできたのでよかったようです。 第一子のときは、月経予定日から1週間で陽性が出て、慌てて産院を調べました。その後すぐに産院で診てもらいましたが時期が早過ぎたようで「また来週来てください」と言われてしまいました。そのため第二子のときは、月経予定日から2週間後に検査して産院へ行きました。 私は早くから婦人科へ受診したら、医療費も少し多くかかってしまうんじゃないかと思い、何週間か経ってから婦人科を受診しました。すると、分娩できない婦人科だったため、すぐ産む病院を決めるように言われました。近くの病院へ予約を取ると、予約いっぱいで断られてしまい、なんとか金額の高くない病院へ入院予約を取ることができました。半年以上先なのに、もう予約いっぱいだったので、ビックリしました。妊娠がわかったら、すぐに産婦人科へ行ったほうが良いのだと思いました。 とりあえず夫には連絡し、他の人には病院に行って心拍が確認できるまでは何も言いませんでした! 妊娠がわかったあとのママの体験談をまとめてご紹介しました。妊娠判明後は産院選びや体調管理などすることがたくさんありますが、これから始まる出産までの長い期間を穏やかに過ごせるといいですね。 【関連記事】・妊娠検査薬のすべてを徹底解説!妊娠検査薬はいつから使える?どれがいい?・基礎体温の正しい測り方や正常値・異常値・妊娠時の高温期と低温気の変化について
2020年02月07日1歳半をすぎると、徐々に言葉が増えてきてかわいい盛り。ところが、わが家の長男が最近習得した言葉で大変困っているものがあります。それはズバリ「いたいよー!」。二言目には「いたい」と叫ぶので、虐待だと思われないか、いつも心配になります。 お風呂場でも「いたいよー!」お風呂場に入ったとたん「いたいよー!」が始まります。いつもお風呂場の窓を開け放っているので、間違いなく声は外にダダ漏れ。「お風呂場で痛いこと+子どもに熱湯でもかけている?=虐待」と思われそうで不安です。 「はー、始まった……」と思いつつ、長男に向けてというよりは、外を通る未知なる人物に向けて「いたくないでしょお~。あったかくて気持ちいいよねえ~。きれいきれいしようねえ~」と大声で話しかけ、「虐待していませんアピール」をする日々です。 ママの姿が見えなくなった途端にトイレや洗濯干しでママの姿が見えなくなると、とたんに絶叫が始まります。「ママーっ!!」と見つけるまで大声で叫び、最近覚えた「ねーどこー!?」に続きます。 外に聞こえるほどの大声なので、ご近所さんに「幼児を置き去りにして親が外出している+育児放棄=虐待」と思われるのではと気が気ではありません。私の返事が息子に届かないものなら、「いたいよーう! いたーい!」と習得した言葉が始まります。 きょうだいとのやりとりでも「いたいよー!」長女とおもちゃで遊んでいて、取り合いになると「いたいよー!」が始まります。長女が手をあげた形跡はないのですが、「いたい」を繰り返します。食事中もエプロンをつけると「いたいよー!」、苦手な野菜を食べさせようとすると「いったいよー!」です。歯磨きはもちろん断固拒否。無理に磨くと「いったーいーっ!」。 こんなに連呼されると、「あの家では子どもが1日中痛い目に合っている=虐待」と思われても無理ないレベルです。 「いたい」という言葉を発したときの家族の反応から「注目が集まる」ということを覚えたのかもしれませんが、なかなか厄介な言葉です。しばらくはこちらも大声で「虐待していませんからアピール」を外に向けて続けていかなくてはならなさそうです。みなさんのご家庭でもそんな「困った」はありませんか? 監修/助産師REIKO著者:伊川 遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2020年02月07日つたい歩きを始めた生後9カ月の次男。私がしっかりドアを閉めなかったことが原因で、ドアに指を挟んでしまい爪が剥がれる事態に。泣き叫ぶわが子を強く抱きしめ、心から「ごめんね」と謝るしかなかった私の体験談をご紹介します。 つたい歩きで私を追いかける次男次男が生後9カ月になったころのこと。つたい歩きがじょうずになり、自分の行きたい場所へ自分で行けることがうれしかったようで、よく私を追いかけていました。そんなある日、リビングのドアを開けたまま玄関を掃除していると、ぺたぺたとつたい歩きをして近づいてくる次男の足音が聞こえてきました。次男が来る前に、玄関の掃除を終わらせようと急いでいると、急にドアが「バタンッ」と閉まり、それと同時に次男の大きな泣き声が……。 指の先端が真っ赤に…慌ててドアを開けると、指を挟んだようで指の先端部分が真っ赤。痛がって号泣している次男の姿がありました。保冷剤で指を冷やしますが、泣き止まない次男の様子に、心底ドアを閉めなかったことを後悔。「ごめんね! ママが悪かったね! 痛かったねぇ……」と、私も必死になって次男をなだめました。挟んだ指をよく見ると爪の中に空気が入っているように見えます。次男が落ち着いたので、その日はとりあえず様子を見ることにしました。 爪が剥がれる事態に…指を挟んでから数日の間は、内出血をして赤紫色になり、少し爪から膿が出ていました。それが約1週間もすると爪の間に隙間ができ始め、浮き上がっているような状態に。次男が爪を引っかけないよう、絆創膏を巻いて保護します。しかし、何かの拍子で絆創膏が取れてしまったようで、ついには付け根を残し、爪がベロンと剥がれてしまったのです。次男の痛々しい小さな手を見て、「本当にごめんね」と涙……。強い自責の念に駆られました。 その後すぐ皮膚科に行って簡単な処置をしてもらい、爪が生えてくるまでは常に絆創膏を巻いてあげるようにとのことでした。帰り道、キャッキャと楽しそうに笑う次男の笑顔を見て、この子がなるべく痛い思いをしないよう、注意していかなければいけないなと強く思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:堀江ゆうき二男の母。現在第三子を妊娠中。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2020年02月06日現在、夫の実家近くに住みながら、3人の子どもを育てています。夫には妹がおり、妹家族も近くに家を構えて住んでいて、同じくらいの子どもが3人います。いとこたちに会うと子どもたちは楽しそうに遊んでいますが、ふとしたときに義母の対応の違いが感じられて切なくなります。 旅行に誘われない妹家族の家は別に構えているものの、パパの仕事が忙しく帰りが遅いため、食事やお風呂などはすべて実家で済ませています。 そのため、ずっと一緒に住んでいるような感覚なのでしょう。連休にはたびたび義母と妹家族で旅行に出かけており、わが家はまったく知らされません。もしかしたら妹家族が旅費を出していたりするのかもしれませんし、うちに気をつかってくれているのかもしれませんが、なんだかちょっぴり寂しい気持ちになります。 誕生日を忘れられる妹家族は義母とほぼ一緒に過ごしているため、子どもたちの誕生日も毎回一緒にお祝いしている模様。しかしわが子たちは3人目が生まれたころから誕生日については触れられなくなり、「おめでとう」とも言われなくなりました。 数年前に義父が亡くなり、孫が多くなり、義母も大変なんだろうとは思います。でも、「おめでとう」も言われなくなるのはやっぱり寂しいものがあり、その傍らで妹家族が一緒にお祝いしているのを知ると、なんだか差を感じてしまいます。 「うちの子は…」と言われる義母にとっては何気ないひと言なんだと思いますが、妹の子どものことを「うちの子たちは……」といつも言います。実の娘の子どもですし、ほぼ一緒に暮らしているようなものなので、そう言うのも不思議ではありません。 でも、「うちの子は」と聞くたびに、私や私の子どもたちはよそ者扱いされているような感覚になります。義実家近くに住んでもう8年になりますが、なかなか関係的な距離は縮まらず、私の足も遠のく一方です。 近いのになかなか足が向かない義実家ですが、行けば子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいますし、義母も子どもたちにやさしく接してくれるので特に問題はありません。義母の何気ない一言や行動にちょっぴり切なくなることもありますが、適度な距離感で良い関係を保つほうがいいのかなと思うようにしています。 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月06日寒くなるとスノースポーツを楽しむという方も多いと思います。インドア派のわが家でも子どもと雪遊びがしたい、雪を触らせてあげたいと思ったのですが、雪遊びは出費がかさみます……。そこで、わが家が頼ったのはユーズドショップでした。 雪遊びをさせてあげたい!冬になると、スキーやスノーボードの広告をよく目にするようになります。子どもと一緒でも楽しめる! なんて謳い文句を見ると、スキーが少し滑れる程度の私でも、子どもに雪遊びをさせてあげたいと思ってしまいます。けれども、雪遊びができるほどの積雪量がない地域に住んでいるため、少し遠出をしなければなりません。子どもとの遠出は夫婦だけの旅行よりも出費がかさみます。さらに、雪遊びに必要な服も靴もないため、一から揃えるとなるとかなりの出費に……! ユーズドショップへ!子どもが汚してしまうことを考えると、レンタルのウェアは少し気が引けてしまいます。そこで、友人からすすめられてユーズドショップを見てみると、子どものスノーシューズやスキーウェアがたくさん売られていました。状態もそんなに悪くないことにもビックリ!ウィンタースポーツは年に数回しかチャンスがないけれど、子どもは1年で服や靴のサイズが変わってしまうことも少なくないため、ユーズドショップに売る人が多いのだとか。同じ理由で、わが家もユーズドショップでスノーアイテムを購入することにしました。 わが家の節約ポイントユーズドショップを訪れる前に、もう遊ばない子どものおもちゃが何点かあったので買い取ってもらうことに。一揃いごと袋にまとめておくことで、買い取ってもらいやすいというのも友人からの情報でした。買い取り金額は大したことはありませんが、買い取り品があると駐車場のサービス券がもらえる店舗もあります。脱ぎ着がしやすい服装と、スノーシューズを購入することも考えて少し厚手の靴下を履いていくなど、試着しやすいように服装を整えていくことも大事だと思いました。子どもとの買い物は時間との勝負なので、家でできる準備は大切だと感じました。 その結果、新品を購入するよりもウェアーと靴を合わせて3,000円ぐらい節約することができました! こんなふうに準備を進めて出かけた先は、人工雪の子ども向けのソリ遊び場。子どもたちは大人がへとへとになってしまうほど雪遊びを楽しんでくれました! 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月06日1人目で、36時間の出産を経験しました。2人目のときは、妊娠40週0日に陣痛が来て入院。先生から、また長時間の出産になる可能性もあるため陣痛促進剤を使用するかどうかの判断を迫られましたが、薬を使わず自然に産むことを決断。「歩いてください」という先生の助言を受け、私がどのように陣痛を乗り越えたかを紹介します。 とにかく歩いて下半身を動かした2人目は、妊娠40週0日のときに陣痛が来て入院。入院中は院内の自由に歩くスペースを利用して、夫と一緒に散歩気分でとにかく歩きました。陣痛の波が来ると壁にもたれかかり、テニスボールで尾てい骨付近をグッと押してもらいながら痛みに耐え、ゆっくりとした呼吸を意識しました。 私の場合は、ベッドで横になっているよりも歩いたほうが痛みを強く感じ、陣痛間隔も5分間隔から2〜3分間隔へと狭くなってきたので、「この調子! もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ!」と前向きに考え、足を動かしました。 水分補給はラズベリーリーフティ 私は1人目の妊娠後期〜出産時に、インターネットでお産を軽くすると話題になっているラズベリーリーフティを飲みながら過ごしました。2人目の妊娠後期は1人目のときと同じように、安産になると信じお守り代わりに飲み続けていたので、陣痛中もこまめにラズベリーリーフティで水分補給。 陣痛中は不安と緊張が続き、心身ともに疲れが溜まってくるのですが、ラズベリーリーフティを飲むとホッと気持ちが軽くなり、本当によかったです。 夫と前向きな楽しい会話を心がけた陣痛中、夫と歩き回っているとき、できるだけ私は「痛い、つらい」などの言葉を発さないように心がけました。「赤ちゃんに会えるの楽しみだね、どんな子かな?」と想像を膨らませたり、陣痛の波が来るたびに、「いい陣痛が来たね! きっともうすぐだね!」と夫と2人で声を掛け合いました。 私にとって苦しい陣痛ではあったものの、心強い夫と二人三脚で楽しく、陣痛〜出産を乗り越えられたことが一番の良い思い出です。そして私たち夫婦が、「早く会いたい」という言葉をかけていたことが赤ちゃんに伝わったのではないかと信じています。 結果的に2人目の出産は陣痛開始から15時間の出産となり、1人目の36時間の出産と比べて、半分以下の分娩時間で済みました。先生からは「頑張って歩いたから赤ちゃんも早く出てきてくれたんだね」とうれしい言葉をかけてもらい、肩の力が抜けたことを覚えています。陣痛中によく動き、よく笑った結果、1人目のときよりも早く赤ちゃんに会えたことは私にとって最高の思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日赤ちゃんと一緒にお風呂へ入るのは、時間との勝負! 自分が先に入ったり、赤ちゃんを先に入れてみたりいろいろなプランを試してみても、湯船にゆっくり浸かることはなかなか……。そんなときに短い時間で体を温めてくれる入浴剤、バスクリン「きき湯 ファインヒート」を紹介します。 寒い冬はお風呂が億劫…ママにとっても、赤ちゃんにとっても寒い冬のお風呂は大変。浴室をあらかじめ温めておいたり、すぐに服を着せられるように肌着と服を重ねて用意しておいたりと、赤ちゃんのためにいろいろな工夫をしても、自分の入浴時間はほんの一瞬だけ。 冷え性の私にとっては、それが睡眠不足の原因にもなっていました。寒くて眠れない、翌朝も体が冷えて動き出せない……。そんな状態でした。 短時間で体を温めるためには?そんなときに出合ったのが「きき湯」でした。CMで何度も見ていたこともあり、試してみようかとドラッグストアに行ってみると、「きき湯 ファインヒート」という商品を発見。 温浴効果を高めて血行を促進してくれることなどがパッケージに書かれていました。なかでも私が惹かれたのは、「湯上り後がラクに!」の言葉。コレだ! と思い即決。その日はお風呂に入るのが楽しみでした。 いざ、入浴!息子は肌が弱いので、念のため息子を出した後で「きき湯 ファインヒート」を浴槽に入れてみました。プラスチック製の容器の中に、小指の先端ほどの大きさの粒が入っていて、容器のフタの線に合わせて入浴剤の量をはかります。それをお湯の中に入れると一斉に泡が出現! 固形状の発砲タイプの入浴剤は、1カ所から泡が出るのに対して、「きき湯 ファインヒート」は浴槽に散らばる粒の一つひとつから泡が出るので、鍋で湯を沸かしているときのように無数の泡が立ちました。入ってみると、設定温度は同じなのに、熱が体のなかに染みこむような感覚が味わえ、一度で病みつきみなりました! 入浴後、体に染み込んだ熱は布団に入ってからも冷めることはなく、翌朝までぐっすりと眠ることができました。おかげで、日中も体が軽く動かしやすかったです。後日、息子も一緒にこの入浴剤を入れたお風呂へ入りましたが、肌にはこれといった変化はなく、むしろ、泡がたくさん出てくるお風呂に大喜びでした! 冬のお風呂は、もうこれなしでは入れないかもしれません。 ※本記事の内容は公開時に確認した情報のため、商品によっては変更となっている場合があります。※きき湯ファインヒートはお子さまの手の届かない場所に保管し、誤飲等にご注意ください。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日心身ともにのびのびと育ってほしいと願いながらも、成長曲線や生後○カ月には何ができるなどの“標準”にとらわれ過ぎてしまい、長女自身の成長を認めずに怒ってしまっていた経験があります。 体重がなかなか増えない悩みが始まりもともと小さめで生まれた長女は、おっぱいの飲みもあまりよくないため体重が増えず、健診のたびに保健師さんから指導されていた私は、成長曲線の標準に入れるために離乳食作りや授乳など、とても気をつかっていました。 しかし娘はそんな私の頑張りなど関係なく、晩ごはんを食べずに眠ったり、日々の食事もほんの少しのご飯を食べたりするだけでした。食事に手をつけないことに怒り、しつこく食べるように言ったり、時には無理やり口に運んだりと、今思えば余計に食べたくなくなるような方法をしていました。 標準でないことが許せない長女の体は小さめでしたが、早い時期から明瞭に話せていました。おむつがはずれたのも1歳半ごろで、保育者の言っていることを理解している行動も見られ、親バカですが賢い子だと期待していたのです。 他のことはいろいろと月齢以上にできるのに、あまり食べずに小柄なままの長女。健診では必ず指導を受けるという状況に、ますます長女に食べさせようと躍起になって怒る悪循環でした。なぜここだけができないのかと、目の前のわが子ではなく母子健康手帳のグラフとにらめっこをしていました。 新たな視点をくれた医師3歳児健診の際、自分で病院を選んで予約をとっていくシステムだったので、ママ友の間で評判の良い小児科を予約してみることに。当日はやはり体重が少ないことを指摘されましたが、ただ指摘で終わるのではなく、今までの推移と目の前の長女を見て、体重は少なめだけれど増え幅は安定していることや、顔色はよいことなどを話してくれました。 医師は「よく食べる子に食べさせないのは親ができるけど、食べない子に食べさせるってすごく大変だよね!」と言ってくれて、その場で大泣きしてしまいました。長女に対して過度に期待をかけ過ぎていたのと、健診のたびに指導されたくないという見栄からきつく怒っていたことに、医師の言葉から気づかされました。長女なりのペースで成長していることを本当に理解したあとはとても気持ちがラクになりました。 しかし、長女には申し訳ないことをしたと本当に後悔しています。小学生になった今も食は細いほうですが、大きな病気などなく元気に過ごしてくれていることが何よりうれしいです。 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月04日私の息子が生まれたとき、すでに下の前歯が1本生えていました。生まれたときから歯が生えている赤ちゃんはまれにいるらしく、その歯は「魔歯(まし)」と言われているそうです。歯のぐらつきもなく問題なければそのままで大丈夫なのだそうですが、息子の魔歯にはぐらつきが……。窒息の危険もあるため、歯科で抜歯することになりました。 そもそも「魔歯」って何?生まれたときからすでに生えている乳歯のことを「魔歯」と呼ぶそうです。魔歯は決してめずらしいものではなく、まれに見られるそうです。 魔歯は、ぐらつきや歯自体に問題がなければ、乳歯としてそのまま残すことも可能ですが、通常の乳歯に比べ少し黄ばみがあり、虫歯になりやすいため、抜歯することが多いのだそうです。 「魔歯」がある息子。産婦人科では…私が出産をした産婦人科は個人病院でした。院長先生は息子の魔歯を見ても驚くことはありませんでしたが、その産婦人科では初めての出来事だったようで、助産師さんたちはとても驚いていました。 助産師さんたちは、息子に育児用ミルクを飲ませるときに「魔歯が抜けて窒息してはいけない!」と、とても緊張したと言っていました。その後、院長先生と相談し、息子は先生に紹介してもらった歯科で早めに抜歯しようということになりました。 生後5日目、紹介された歯科で抜歯息子が生後5日目のとき、産婦人科の先生に紹介してもらった歯科に行き、抜歯してもらいました。麻酔もなしとのことで、はじめはとても心配しましたが、元からぐらついていた歯だったため、すぐにポロッと抜けました。 息子もまったく痛みはなかったようで、終始眠ったままでした。魔歯を抜歯した息子は、もう永久歯まで前歯が生えてきませんが、虫歯になったり窒息の危険があるよりはよかったと思っています。 生まれてくる赤ちゃんにまさか歯が生えているとは考えもしませんでしたが、経験豊富な先生と助産師さんのサポートのおかげで、安心して抜歯までの処置を見守ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月04日私は出産を機に退職。それから4年間、専業主婦として2人の子を育ててきました。上の子は幼稚園の年少、下の子は1歳。あと1年待てば下の子も幼稚園のプレが始まるという年齢でしたが、下の子を小規模保育園に預けてパートで働き始めることにしました。一番の動機は夫が不在がちのため2人育児がつらく、現状をどうにかしたいという思いが強かったことです。働き出すまでの道のり、そして実際に働いてみて感じたことをご紹介します。 保育園が見つかった!上の子とは幼稚園入園までの3年間ずっと一緒にいました。周りの友だちも、当然のように下の子も入園まで自宅でみています。そんななか、うちだけ下の子を保育園に入れることに罪悪感もありました。下の子に申し訳ないような、やるべきことを途中で放棄したような感覚でした。私の住んでいる地区の認可保育園は超激戦。求職中では歯が立たず、4月入所はできませんでした。少しホッとしたのも本音です。近くの認可外も検討しましたが、パート勤務を希望しているため、保育料の高さがネックとなり踏み切れず。今年度は無理かなと思っていた矢先、近くの少規模保育園が大幅な保育料の値下げをしたことを知りました。これはもう縁だと思い、すぐに電話をして入所の申し込みをしたのでした。 生活バランスは最高保育園の慣らし保育の間に面接を受け、無事に仕事も見つかりました。保育園と仕事、両方が軌道に乗るまでは、毎日緊張しながら過ごす日々でした。やっと落ち着いたかなと思ったら、息子が発熱。数カ月経った今でも、度々風邪をもらって来ますが、職場が理解してくれているので助かっています。夫も不在がち、両実家も遠いわが家の場合、私の体調が万全でないと家事・育児はまわりません。保育園のおかげでその重圧がかなり軽くなりました。また、職場で誰かと話すこと、業務に集中すること、生活の中に家事・育児以外のやりがいが加わって、本当に良いバランスだと感じています。 働いて見えてくる問題点仕事が忙しい時期は、上の子は幼稚園の預かり保育を利用し、仕事が終わってから幼稚園と保育園の2カ所にお迎えに走ります。バタバタで毎日あっという間。また、夏休み期間は8月からお盆明けまでは幼稚園の預かり保育がまったくなく、働きづらさも感じました。下の子が少規模保育園を卒園した後は、上の子と同じ幼稚園に入るか、別の保育園に入るか検討中です。そして、パート収入の半分は下の子の保育料に消えます。子どもが熱を出したり、祝日が多かったり、園行事の都合で仕事に行けない日も多く、稼ぎとしてはおこづかい程度。私個人の生活としてはバランスが良いけれど、もう少し子どもが手を離れたら仕事の比重を増やしても良いかなと思っています。 下の子だけを保育園に入れる後ろめたさは最初だけでした。ブランクがあるからこそ仕事は新鮮でおもしろく、子どもを介さない人間関係も気楽で、世界が広がった感じがしました。1日中子どもと一緒だったときよりもメリハリが出て、子どもといる時間も充実感が得られるように。園ママとの人間関係などの細かい悩みも全然気にならなくなりました。そして何より、初めてのお給料を家計に納めたときの満足感は今でも忘れられません。働き始めて本当によかったと思います。 著者:ひらたかおる二児の母。趣味はメルカリと写真。自分の備忘録と、いつか誰かの役に立つことを願って妊活中からブログを続けている。2018年から、自身の妊活や子育てでの経験をさらに活かすべくライターとして活動している。
2020年02月04日会陰切開とは、その名の通り会陰(腟から肛門の間とその周辺の部分)を切開することを言います。切開自体は避けられない場合がありますが、産婦人科の先生に相談したり、事前準備をすることで切開の痛みや不安が和らぐことがあるそうです。今回は私の体験談をお話しします。 初の会陰切開! あれ? 意外と痛くない?私が体験した会陰切開では、いきむ直前に「切りますね~」と先生の声があり、チクッと針で会陰部分を刺される痛みを感じました。あれ? 全然痛くない。その後、無事に第1子を出産し、わが子の顔を見たときは幸せな気分に。 しかし、会陰切開の痛みとの闘いはここからだったのです。まずは縫合! 赤ちゃんを産んだあとに、切開した部分を縫うのですが、これがなんとも痛い! 「ゆっくり縫ってください!」と言ってしまった記憶があります。 本当の痛みは産んだあとから! 入院期間中は縫合部分が痛くて、歩き方はペンギンのようなよちよち歩き。座るのも「くっ」と顔をしかめながらでした。また、トイレで拭き取るとき、縫合部分にトイレットペーパーが触れると激痛が走りました。そして退院時の抜糸。こちらも麻酔なしなので、「産後にこんな痛みが待っているなんて!」と思ったことを覚えています。ただ、抜糸をした後は日が経つにつれて傷口の違和感もなくなり、私の場合は3週間経つころにはすっかり回復していました。 次男妊娠……二度目の会陰切開に備えて その後、次男を妊娠。まず頭をよぎったのが会陰切開でした。産婦人科の先生に会陰切開が不安なことを伝えると、会陰マッサージを教えてくれました。清潔な手にオイルをつけ、会陰の周囲をUの字を描くように、次にくるくる円を描くようにをマッサージすることで、出産時に皮膚が伸びてくれて、切開幅を減らせる可能性があるそうです。 また、ドーナツクッションも準備。産後、椅子に座る際に縫合部分が座面に触れないようにするためです。 事前準備や相談で痛みと不安を軽減 2度目の出産時、先生から「切りますね」の言葉はありませんでした。会陰が伸びていたため、少し裂けたが切開はしなかった、とのこと。また、裂けた部分を溶ける糸で縫合してくれたので、抜糸もありません。入院期間中、縫合部分の痛みはありましたが、事前準備のおかげで痛みや不安が和らぎ、ラクな気持ちで過ごせました。出産は、不安になることや痛みを伴うことがよくあります。不安なときは「不安です!」と言ってよかったんだな、と改めて感じました。 私の場合は、事前準備のおかげで会陰切開が「ただ怖いもの」ではなくなりました。「みんな我慢してるだろうから……」「こんなこと聞いてもいいのかな?」と思わずに、些細なことでもいろいろな人に相談したり、情報収集してよかったなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:菅谷里奈一女、二男の母。現在第四子目妊娠中。ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクター、ベビーシッターの資格所得。子育て経験を活かしながら、妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年02月03日私は3歳の長女と生後6カ月の次女の母です。長女を妊娠中に前職を辞めて、いったんは専業主婦の道へ。長女の育児が落ち着いたあとは、家計の足しにと細々とアルバイトをおこなっていました。ワーママに憧れはあったものの「フルタイムで働くのなんて無理」と思っていたのですが……。そんな私に転機が訪れたのです。 働きたいがワンオペ環境では難しい…夫が激務の仕事に就いており、親せきは事情があって一切頼れない環境にありました。しかし、周りのワーママへの憧れもありましたし、決してゆとりある家計でもなかったので、「本当は働いたほうがいい、でもこんな環境では働くのは無理に等しい」とずっと思い悩んでいました。そして次女の妊娠後期になり「里帰りもしないし、これでは長女の保育の手が明らかに足りなくなる」と心配になり、産前産後要件で長女を保育園に入所させたころ、転機が訪れたのです。 次女を出産。働きたい想いは募るが…私が住んでいるのは保育園が足りず激戦区の自治体だったので、長女を入所させられたのは本当に奇跡的だと思います。このまま就職しなければ、産前産後要件では産後2カ月で保育園を退園せざるを得ないという状況でした。だからこそ、この偶然の縁を大切にしたいという想いがありました。 次女の出産という一大イベントで心身共に大変な時期ではありましたが、「なんとかして働いて、このまま長女の保育園通いを継続させたい。けどどうしたらいいの? 今の私の状態で雇ってくれる仕事なんてあるの?」と、とても悩みました。 雇ってくれないのなら、自分で起業する悩み抜いた挙げ句、「雇ってくれるところがないのなら、自分で起業すればいい」と思いつきました。個人事業主という自営業のなかでも比較的規模が小さいものを選択したのですが、特に決まりなどはなく税務署で手続きを踏めば誰でも起業できるのです。 職業は「Webライタ-」を選択。育児の経験を生かした記事などを執筆しています。 現在、完全在宅勤務で長女は保育園、次女は自宅保育で隙間時間を見計らい執筆にあたっていますが、月に5万円前後の収入があります。きちんと就労しているのか審査する市役所の目もあるので、逆にそれがモチベーションとなり「頑張って稼ごう!」という気にさせてくれます。転機の流れがきたときに勇気を持って行動することが大切だと感じました。著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月03日私たち家族はオーストラリア在住です。2人目出産時、頼れる身内は夫だけという状況のなか、夫婦で育児ノイローゼのようになってしまいました。ここでは、2人目で育児経験があってもうまくいかないと実感したことや、精神的に不安定な状態になってから復活までの体験をお伝えします。 オーストラリアでの出産を決意!2人目の妊娠判明後、オーストラリアでの出産を決意。理由は、長女のときは日本に戻って出産したため、夫が初めて長女に会ったのが生後3日目だったのです。貴重な新生児期を一緒に過ごせたのはたったの1週間程でした。仕事があるので仕方のないことですが、私は夫と子どもを引き離してしまっていたことずっと後悔していたのです。日々変化する子どもの成長を夫にも見せたい! と思ってオーストラリアでの出産を決断しましたが、普段あまり娘のお世話をしていない夫と2歳イヤイヤ期真っ最中の娘を抱えての出産には正直なところ不安もありました。 ついに出産! そして……その後、妊娠38週3日の深夜に次女を出産しました。妊娠中の苦しさや、出産での疲労でくたくたでした。「これでやっと数日入院して休める」と思っていた矢先、看護師さんから「少し休んだら帰ってね」と一言。これには驚愕しました。私は疲労困ぱいでしたし、長女と一緒に帰ったら絶対に休めないと思い、一泊だけでも入院したいと食い下がりましたが答えはNO。沐浴もまだで胎脂をべったりとつけたままの次女を連れ、出産から約8時間後に泣く泣く退院することになったのです。 空回る夫、疲れ果てた私。その結果……夫は張り切って家事・育児をしましたが、慣れない家事や2歳イヤイヤ期の娘のお世話は簡単ではなく、次第に夫の様子に異変が。表情には覇気がなく食事をしなくなり、靴を履かないだけで長女を怒鳴ったり、ぼーっとしたりしている時間も増えていき……。それを見た友人が冗談ぽく「育児ノイローゼじゃない?」と一言。それだ! と心の中で叫びました。私のほうも夫のフォローにまわり、家事も育児も頑張った結果、心身を病み育児ノイローゼのような状態に……。めまい、食欲不振、倦怠感、突然出る涙、娘たちがかわいく思えないという事態にまでなってしまったのです。 一家の危機に救世主現れる!そして出産から2カ月後、わが家へ義母が手伝いに来てくれました。家の空気は一変! 明るくて子どもの面倒もよく見てくれる義母。バランスの良い食事を作ってくれて、家事もテキパキとおこなってくれて助かりました。私は十分に休息でき、仕事に復帰した夫も次第に育児ノイローゼのような症状が治ってよかったです。約3週間滞在してくれた義母と一緒に、私も娘たちを連れて日本に帰国しました。久しぶりの母国、実家、すぐに助けてくれる人たちがいる環境に安堵し、心から娘たちをかわいいと思える余裕が生まれました。 この経験で学んだことは、・誰でも育児ノイローゼのような状態になる・自分の力量を知り、対策する・育児や家事に完璧を求めない・産後は無理してでも休む以上4つです。まさか夫婦で精神的に不安定な状態になるとは思いませんでした。経験者でも育児を甘く見てはいけないと身をもって感じたのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:藤原 にじ二児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き!妄想の中でも旅行に行く。
2020年02月03日つわり症状の程度はさまざまですが、なかには症状がひどく入院となることも。そうなるとつわりは「妊娠悪阻(にんしんおそ)」という診断がつきます。今回は妊娠悪阻で入院となったママたちの体験談をご紹介します。 妊娠5週から嘔吐が始まり、最初は通院で点滴していましたが、妊娠6週から入院になりました。入院すると24時間ずっと点滴になりました。それでも効かず、病院食は止めてもらい、何も入っていない胃袋から少しの胃液を吐くばかり。たまにちょっと調子が良くなるとお菓子をかじることもありましたが、そのお菓子も吐く始末。夜中も吐くので寝られず、「何のための入院だ! 何のための点滴だ!」と思い、悔しさや悲しさで、看護師さんに泣きついたこともありました。食事の時間になれば、配膳車が廊下に来るので、食事のにおいでまた吐き……。個室代を払う余裕がなく大部屋に入っていましたが、同室の方は普通に食事をされます。だから部屋にいても食事のにおいがダメで、食事の時間になると、フラフラしながらにおいがしないところまで避難していました。しかし、ある日、その同室の方が、「あの……体調いかがですか? 冷凍庫にアイスを入れているんですが、もし食べられそうなら食べてください」と、遠慮がちに声をかけてくださいました。私がつわりで入院しているので、体調次第で声をかけていいものか迷って、やっと思い切って声をかけてくださったようでした。本当にありがたかったです。それ以来、毎日のように同室の方が声をかけてくれました。食事のときも「今日のおかず、ちょっとにおいが強いですね。大丈夫ですか?」など。おかげで、点滴が効かずとも、気持ちはラクになれました。結局、私は2カ月も入院してから退院しました。でも、つわりの苦しみと共に、あのときにやさしく気づかってくれた同室の方のことが良い思い出になりました。(アヤ☆さん) 現在2人目を妊娠中、妊娠34週です。1人目も2人目も妊娠悪阻で、食事はもちろん水分も摂れなくなり、どちらも2カ月ほど入退院を繰り返しました。食べていないので動く体力もなく何もできず、寝ているときだけ気持ち悪さから解放されますが、起きると地獄という、本当につらい日々でした。妊娠20週くらいになるとだんだんラクになって外出や外食もできるようになり、多少マタニティライフを楽しめるようになりました。(ゆこさん) 18年ぶりに41歳で4人目の妊娠。上3人は、食べたら吐き、あとはスッキリして仕事もフル勤務していました。今回は妊娠がわかり、一週間後にはつわりが始まり、日に日にひどくなり、仕事もできなくなりました。つわりでフラフラ。ケトンが高く、即入院。両腕に朝から晩まで点滴。点滴しながら吐きに行く状態。さすがに心の中で、この子を諦めようか……とひとりで思いました。夫とは再婚同士。夫には子どもがいなく、49歳で初めてわが子を抱くことができると大喜び。入院中は毎日仕事帰りに来てくれて、「母ちゃんつらいな。頑張ってくれ」と言われ、何とか乗り越えました。(莉愛ママさん) 妊娠6週からつわりが始まり、妊娠9週がピークで一日10回以上は吐いていました。何も食べられず、飲めずで、病院に行くとすぐ入院になりました。点滴の中に入っているビタミン剤のにおいも気持ち悪くて、それに耐えていると、少し吐き気がマシになりました。退院後、徐々にはおさまっていきましたが、結局妊娠6カ月の今もまだ日によっては吐くことがあります。泣きながら過ごしていましたが、赤ちゃんのエコー写真をみたり今では胎動を感じて、精神的には落ち着いてきました。(ねこだらけさん) 妊娠3カ月、最初はちょっとムカムカする感じでした。日に日にごはんが食べられなくなり、体重が50kg→39kgに……。そのころには食べ物、飲み物ともに受け付けず、氷菓子(某アイスの梨味)しか食べられなくなりました。1日ベッドの上でひたすら胃液と胆汁を吐き、歩くことすらままならず……。結局24時間点滴&絶飲食で5日間入院。何とか水分を摂れるようになり、退院しました。退院後は日に何度かは吐く生活が、タマゴサンドとスイカが食べられるようになりました。出産が近づくにつれて、ましにはなってきましたが、最後までお肉は食べられませんでした。(めいさん) つわり症状がひどく入院となってしまったママたちの体験談をまとめてご紹介しました。つわりの症状がひどく、水分も摂れなくなるようであれば、無理せずかかりつけ医に相談して対処してくださいね。
2020年02月02日妊娠中からできれば母乳育児をしたいと思っていましたが、母乳のケアについてはあまりよくわかっていませんでした。しかし産後、母乳育児だった私は乳腺炎になりかけてしまったのです。でも、早めに乳房マッサージを受けたことで症状が改善し、無事に双子を母乳で育て、断乳まで至ることができた話をご紹介します。 母乳育児のスタート双子は低体重で生まれたため、1カ月ほど入院していました。お世話になった産院の助産師さんからは、母乳の出し方について丁寧な指導があり、マッサージもしてもらったため、順調な滑り出しで母乳育児をスタートできました。しかし生まれた娘たちは、生後しばらくは哺乳力があまり強くなく、母乳の出る量に対して飲んでくれる量が少なかったように思います。手での搾乳もあまりうまくできませんでしたが、時間をかけて搾り、入院する病院まで届けて哺乳瓶で飲ませる日々でした。 すぐに乳腺炎になりかける娘たちの哺乳量があまり多くなかったためか、だんだんと乳房が張るようになりました。搾乳もしていたのですが、ある日の朝、起きてすぐに、乳房に強い痛みを感じました。友人が同じような症状で母乳育児相談室の助産師さんに相談したと言っていたことを思い出し、紹介を受け、すぐに診てもらうことにしたのです。助産師さんによると、やはり乳腺が詰まっているとのことでマッサージを受け、詰まりをほぐしてもらいました。マッサージ後、乳房が柔らかくなって痛みも取れたので驚きました。 母乳マッサージを継続して無事に断乳までその後、定期的にマッサージに通ううちに乳腺炎のような痛みを感じることはなくなりました。また生後6カ月の離乳食が始まるころには、双子を完全母乳で育てられるほど母乳の出もよくなりました。1歳9カ月ごろの断乳の時期にもその助産師さんにはお世話になり、娘たちのケアや、断乳に伴う母乳の搾乳方法も含めて指導してもらいました。そして、何のトラブルもなく無事に断乳ができました。 産後すぐに母乳マッサージを受けたおかげで、乳腺炎を免れ、双子の娘たちを母乳で育てることができました。さらに継続的に同じ助産師さんに診てもらっていたので、スムーズに断乳することもできたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。
2020年02月02日自分が体調不良のときは子どもを見守ることで精一杯。そんなとき、夫にごはんを作れないことを伝えると、「外食してくるよ」と返事が来て……? 頼れない環境両親や知人のいない土地で子育てをしていた私は、体調不良になっても誰かに頼ることができず、とにかくわが子にごはんを食べさせて危険のないように見守り、無事に一日を終えることしかできない日もありました。 夫は洗濯や掃除などの家事には協力的でしたが、料理は絶対にしない人だったので、私が体調不良のときに掃除はお任せできても料理は無理して作っていました。胃腸炎の際はさすがに無理だ! と仕事中の夫に状況を説明するメールを送ると「晩ごはんは食べて帰るからいらないよ、ゆっくり休んでね」と返信が。夫に申し訳なく思いつつも食事を作らなくていいことに安堵し、うちの夫はやさしいなぁなんて思っていました。 子どものお世話は休めない体調不良がただの風邪くらいであれば、多少無理をしてもおでかけや買い出しに行っていましたが、親子ともに胃腸炎になった際は外出することもままならず、いつもより多い夜泣きに寝不足になりながら、無理をしてでも汚れたシーツの洗濯や家事をしていました。 しかし、なかなか症状が治まらず買い出しにも行けず、ぐずる子どもを抱いていて料理できない日が長引き、ついには食料も底を尽きてきたころに、ふと気がつきます。こんな状況でも夫は毎日おいしいものを外で食べているのだ! と。私は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けました。 察してもらうのは難しい!食事を作れないことに罪悪感をもっていたので、夫からの“ごはんいらないメール”はやさしさだと思っていた私は、その間違いに気がつきませんでした。一見、体調不良の妻を気づかうようでいて、同居する家族の状況がまるで見えていないのでは!? とも感じたのです。 料理ができないほどの体調不良なら、妻がまともな食事を食べられていないことは想像に難くありません。外出もできていないなら食材だってない。気付いた際には一瞬怒りが湧いてきましたが、単に知らないだけかもと思い直し、すぐさま夫に買い出しリストと簡単で良いので何か作ってほしい旨のメール。その日の夕食は私が教えながら作ってもらった温かいお味噌汁にありつけました。 言わなくても察してもらうということは難しいことなので、体調不良のときはどんな状況になって何が困るのかを夫に説明しました。ちなみに夫は、今ではごはんやスープ、カレーなど簡単なものは作れるように! あのときのことは笑い話になり、私の体調が悪いときには「何を買っていく?」とメールをくれるようになりました。 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月02日息子が1歳を過ぎ、そろそろ2人目を考えるようになったころ、正直そんな余裕がないくらい育児に悩まされていました。でも、年の差が近いきょうだいが欲しい気持ちはあります。理想は2歳差でした。今回は、私の2人目妊活エピソードをお伝えします。 そろそろ2人目を考えなければ…当時、息子は1歳3カ月。夜泣きはひどく、1時間以上まとまって眠ることが少ない状況でした。出産してから1年以上も睡眠不足が解消されていません。 そんななか、そろそろ2人目を考えるタイミングに。息子と同い年の子どもを持つママは次々と妊娠していきました。2歳差を好むママが多かったように思います。私もそうだったので、焦りを感じていました。 2歳差が理想だけど、もう半年もない!2歳差の子を産むには、いつまでに妊娠すれば間に合うのだろうと計算したところ、息子が1歳11カ月になるころには妊娠をしている必要があるとわかりました。本格的に妊活を開始したのは息子が1歳6カ月ごろ。もう半年もありません。 また、「女の子」が欲しかったため、産み分けにもチャレンジ。基礎体温表や排卵検査薬を使い、計画的に妊活をしました。ところが思うように妊娠できませんでした。 焦れば焦るほど妊娠できない年の差を意識するがゆえに、妊娠できないことに焦りを感じました。あっという間に息子は2歳になり、2歳差は不可能に。息子が2歳になってから妊娠し、年の差は3歳になりました。 2歳差が理想だった理由は、学校の卒入学が重ならないなど、メリットを感じていたからです。でも、今振り返れば、年の差はそこまで気にする必要はなかったかもしれません。 2人目は欲しいけれど、思うように妊娠できないと悩む方もいると思います。今振り返ると、あまり構えすぎないことも妊活するうえで大切だったかもと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年02月02日何かと「大変ね~」と言われがちな男の子育児。わが家にも4歳の男の子がいますが、たしかに女の子と比べると少しだけ乱暴だったりやんちゃだったりする面もあります。でも、手がかかればかかるほど愛しくなる!? そんな男の子特有の「あるある」をご紹介します! 内心うれしい! 徹底したママ至上主義 わが家の息子は生後6カ月ごろから極度の人見知りが始まり、とにかくママにべったり。1歳後半になり、言葉が出るようになると、保育園でも「ママ~」とよく泣いていました。何か困ればすぐにママ……。何をするにもママがいい! とグズることが本当に多かったです。 もちろん個人差はありますが、保育園のお友だちを見ていると、女の子のほうがしっかりしているイメージが強く、やっぱり男の子だから? と日々感じています。 雨が大好き! 水たまりは最高の遊び場 水が大好きな息子。雨の日は長靴+カッパでウキウキです。そして道などに広がる水たまりで延々と遊びます。カッパを振り乱しながら水たまりでジャブジャブと遊ぶ姿を見ていると、「女の子はきっとここまでやらない……」と、ママとしてはグッタリしてしまいます。 何がそんなに楽しいのかさっぱりわからないものの、そこまで好きならどうぞ! と最後には笑えてきてしまう雨の日のお出かけなのでした。 前に進まない! 拾って拾って拾いまくる 晴れの日のお散歩も油断は禁物。息子をはじめ男の子の多くは、石や葉っぱなどを収集することが大好きなようです。少し歩いてはしゃがみ込み、普通の石をうれしそうに拾う姿は愛しくてたまりません。 とにかく興味を持つ物の幅が広く、さらに「たくさん欲しい」という気持ちも強いと見ていて思います。時間に余裕があるときは、呆れつつもとことん付き合い、そして洗濯物のズボンから石などが出てきた日には思わず笑ってしまうのです。 ご紹介したエピソードはほんの一部で、まだまだなぞに思うような行動はたくさんあります。もちろん大変なことも多いですが、冷静に観察してみるとおもしろくてかわいい男の子あるある。少しでも共感していただけたら幸いです!著者:小林夏希4歳と1歳の二児の母。フリーライターとして育児・インテリア・住宅関係の媒体を中心に記事執筆をおこなう。
2020年02月01日近くに住む義母の口癖は「お金ならある」。義父の遺産と年金で悠々自適の暮らしをしており、生活に余裕のある義母は時々旅行に連れて行ってくれます。旅費を出してくれるのはありがたいのですが、その分面倒なことはすべてこちらに任されてしまいます……。 出すのはお金だけ私たち家族は海外旅行ができるような余裕はないので、最初義母から「みんなでハワイに行きましょう」と言われたときは戸惑い、どう断ろうかと悩みました。義母は「旅費は全部出してあげるから気にしなくていい。その代わり手配は全部お願い」とのこと。 旅費を出してもらうということに抵抗があったのですが、夫が「親孝行だと思って」と言うので一緒に行くことになりました。 慣れない海外旅行なので旅行会社に頼んだのですが、義母は注文が多く、何度も旅行会社と連絡を取ることになり、思っていたよりも大変でした。 ハワイが大好き無事旅行をすることができ、義母は満足したようで、翌年もまたハワイに行こうと誘ってくれました。もちろん旅行は楽しかったのですが、小さな子どものおむつや離乳食の準備、慣れない海外への渡航準備で私はくたくたになってしまって、正直なところ断りたい気持ちでした。 しかし、義母は本当に楽しみにしているらしく、会うと話題はハワイのことになるので断り切れず、結局翌年も行くことに……。行き先や観光場所は義母がすべて決め、手配は私。しかしお金を出してもらっているので文句も言えず、立場の弱さに嫌気が差してしまいました。 なかなかできない経験になる年老いた義母にお金を払わせてぜいたくな遊びをするなんて……という気持ちも大きくて、夫に「次は断りたい」と訴えました。しかし、そういった引け目や準備の大変さを差し引いても、子どもにとってはなかなかできない経験をさせてもらっているのだから、よしとしようという結論に落ち着きました。 義母も、「自分のためだけにお金を使うのではなく、家族を喜ばせるために使えることがうれしい」と言っていたので、私もやっと納得することができました。 「お金は出すからあとはよろしく」という義母の態度に、引け目もあって不満を覚えることもあります。しかし、私たち夫婦だけでは与えられない経験を子どもにさせてくれるので、義母には感謝しています。著者:松本寛子3児の母。結婚を機に地方へ引っ越し出産。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月01日陣痛について調べる、または経験者に話を聞くなかで、「陣痛に気が付かないことは、まずない」という情報を得ていた私。ところが私の場合、陣痛だということに気が付くことができませんでした。そんな私の出産エピソードをご紹介します。 おなかを壊したような腹痛がやってきた出産予定日を過ぎ、陣痛促進剤を使って分娩することになった私。その入院を翌日に控えた日の夜のことです。夕食後に、おなかを壊したようなギュルギュルした感覚が続き、トイレを行ったり来たりを繰り返していました。実際に排便するわけでもなく、ただ鈍い、どんよりした痛みが続くだけ。「何か変なもの食べちゃったかな……」と、不安に思っていましたが、まさかこれが陣痛の始まりだとは考えもしませんでした。 気が付かないうちにお産が進んでいた!何十回もトイレを出入りしていた私に、夫が「もしかして陣痛では?」と助言してくれて、ようやく病院に電話をしました。 初産婦だからあと1時間くらい様子を見るように言われ、2時間ほど経ってから再び連絡。夜間の緊急外来で診てもらえることになり、病院へ行ったところ、子宮口がすでに5cm以上開いていて、急きょ分娩台へ上がることになりました。 初産婦にはめずらしいほどスムーズに出産分娩台に上がってからのお産の進みもかなり早く、対応してくださった助産師さんに「本当に初産婦だよね!?」と確認されるほどでした。結果、分娩自体は6時間、傷の縫合などを含めると7時間半で出産しました。 助産師さんも「電話口ではかなり落ち着いていたし、あんまり痛がっていないから出産はまだまだだと思った」と驚いていました。 私は、まさかこの「おなかを壊したような痛み」が陣痛だとは思いもしませんでした。もし夫に言われなければ、病院に連絡せずに自宅で破水していたかもしれません。お産は本当に人それぞれだと実感した出産でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:桜ゆいの子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年02月01日漠然と自然妊娠できるだろうと思っていた私ですが、30代後半になり焦り始め、不妊治療に踏み切りました。幸い、夫も協力してくれたのでありがたかったです。いつまで治療が続くのか……という不安もありつつ、治療と向き合った私の体験談をお伝えします。 不妊治療を開始不妊治療は約1年だったのですが、はじめは、「どうして私ばっかり痛い思いをしないといけないの?」とイライラすることもありました。でも、「どうしても赤ちゃんが欲しい!」という強い思いがあったので、妊娠するまで頑張ろうと決意していました。 子宝神社にお参りはじめは、人工授精。毎月のようにタイミングをとりながらおこなっていましたが、なかなか妊娠に至らず、焦りを感じ始めていました。 そんなあるとき、マタニティ雑誌で子宝神社の記事を見て、これは神頼みするしかない! と思い、「夫婦木神社」へ行ってみました。 そこは、なかなか妊娠に辿り着けなかったけれど、お参りしたら授かることができた!という方がたくさんいるという名所でした。 最後の人工授精私たち夫婦は、6度目の人工授精で最後にして、体外受精にステップアップしようかと話していました。でも、体外受精は痛く、つらいという話を聞くので、できれば避けたい思いもあり、悩んでいました。 ところが、最後と思っていた6度目の人工授精でなんと大成功! ついに赤ちゃんを授かることができました。本当にうれしかったです。夫婦木神社へのお参りが功を奏したのかな、と思いました。 今では息子も生後6カ月になり、毎日元気に過ごしています。かわいいわが子に出会えて幸せです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松浦理恵6カ月の息子の母。現在、専業主婦で子育て奮闘中。
2020年01月30日娘の寝かしつけに悩んでいた私でしたが、試行錯誤を重ね、その方法が変化してきました。娘が生まれてから保育園入園前の現在(生後9カ月)の変化をお伝えします。 生まれてしばらくは…娘が生まれてからしばらくは、添い寝や添い乳で寝かしつけをしていました。抱っこでは寝るものの、布団に寝かせると泣いてしまうので、布団で寝付いてもらおうとひたすら添い寝、添い乳……。大泣きして寝かしつけに1〜2時間かかることもありました。 生後3カ月ごろになると、昼夜の区別がついてきたのか、寝かしつけの時間が1時間以内に。時間が短くなったのはとてもうれしかったのですが、添い寝していると、私も一緒に寝落ちしてしまうことがほとんどでした。 夫にもできる寝かしつけを寝落ちしてしまうことで家事や自分の時間が取れないことに悩みました。また生後10カ月で助産師の仕事復帰の予定があり、ゆくゆくは夜勤もあるため、夫にもできる寝かしつけをしたいと考えて、寝かしつけの方法を変えることにしました。 まず娘に寝る時間の合図として、入眠儀式を取り入れました。リビングで授乳後、寝室へ移動し、絵本を読み、部屋を暗くして、寝かしつけをすることにしました。添い寝や添い乳をやめて、私は娘の隣に座った状態で頭や眉間をなでたり、手を握ったり、子守歌を歌ったり……。 娘に効果があったのは、少し強めにトントンする方法でした。トントンする場所も、おなかや背中、お尻を試し、お尻が一番良さそうでした。トントンするとだいたい30分以内には寝てくれたのですが、ずっとトントンすることで自分の腕がつらくなってしまっていました。 昼は明るく、夜は暗く娘の寝入る様子を観察すると、娘は目をこすり「眠い」という合図を出したあと、モゾモゾしつつ目を閉じて自分の手首辺りを吸いながら寝付いていました。 そこで、「眠い」という合図が見られたらトントンするのを徐々に減らし、自分で寝付くことができるように見守ることにしました。すると今では、激しく泣くときやあと一歩のところで眠れないときのみトントンしますが、ほとんどは見守りのみで寝付くようになりました。 生まれてからずっと意識していたのは、「昼は明るく、夜は暗く」というメリハリです。今後、娘の成長や保育園入園などの環境の変化で、また寝かしつけ方法を変えていくかもしれません。娘の様子を見ながら、眠りをサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:金子ゆかこ9カ月の女の子のママ。職業は助産師。不妊治療や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月29日第一子の息子は現在1歳3カ月、そして私は第二子妊娠中で妊娠8カ月になります。第二子の妊娠が判明したとき、息子はまだ生後10カ月でした。ハイハイとつたい歩きをしている息子の育児中につわりがやってきたのです。私がつわり中の息子の様子やパパの奮闘ぶりをお伝えします。 第二子妊娠時のつわり息子を妊娠したときのつわりは吐きづわりで、20日ほど入院するくらいつらいものでした。第一子妊娠時は自分のことだけを考えればよかったので入院できましたが、今回は息子の育児をする必要があり、入院している場合ではありません。なんとかその気持ちが通じたのか、入院するほどひどい状態にはなりませんでした。ただ、気持ち悪くて動くことがつらいため、妊娠が判明したころからほぼ1カ月ほどは寝て過ごす日々でした。 【関連記事】・つわりはいつから?症状、軽減させる対処方法・緩和方法について つわり中の息子の様子生後10カ月の息子にはまだ言葉も通じないので、「つわりでつらい」ということを理解してもらうことは当然不可能です。そのため、寝ている私に向かってハイハイで突進してくることも多々ありました。 私は寄って来た息子を横になったまま抱きしめ、「ごめんね、つらくて遊んであげれないんだよ」と言葉にするよう心がけていました。幸い息子がまだ歩き出していなかったので、決められたスペース内でハイハイしている様子を見守ることができて助かりました。 【関連記事】・妊娠悪阻(にんしんおそ)とは?つわりとの症状の違いや対処法・治療方法について つわり中のパパの奮闘ぶり!私が寝込んでいる状態だったため、家事・育児のほぼすべてをパパがおこなうことに。毎日の買い物、洗濯、料理、そうじ、そして息子のお風呂と離乳食作り……。すべてパパが頑張ってくれました。 もともとひとり暮らしも長く、普段も家事を率先してやってくれるパパだったので、私が寝込んでも、特に困ることなくこなしてくれて、ありがたいと感じました。 現在、つわりのようなつらさはありませんが、おなかが大きくなり、動きが制限された状態になってきています。息子が走り回るようになり、第一子のときのようなのんびりした妊娠生活は送れていませんが、パパにも協力してもらって、なんとか妊娠生活と家事・育児を両立中です! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:岩田かおる子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月29日初めての育児は、何事も初めてのことばかりで戸惑うことが多いですよね。赤ちゃんの性別によっても、悩むことや驚くことに違いがあります。私の場合、次女が生まれて数日後に、とてもびっくりする体験をしました。今回は、その体験についてお伝えしたいと思います。 お風呂に入れようとしたら血が!次女が生まれて2~3日後のあるとき、助産師さんと一緒に赤ちゃんをお風呂に入れようとしたときの体験です。赤ちゃんの洋服を脱がせ、おむつをはずしてみたところ、陰部に血がついているのを見つけました。 「え!? 血が出てる!」と私はとても驚いてしまったのですが、助産師さんいわく「新生児月経ですね」とのこと。どうやら女の子の赤ちゃんは、このような現象があるそうなのです。 新生児月経はどうして起こるの?新生児月経についてあとで調べてみたところ、母体からへその緒を通して赤ちゃんに送られていた女性ホルモンが関係しているということでした。 母体から送られていた女性ホルモンは、へその緒が切られることで赤ちゃんに送られなくなり、赤ちゃんの女性ホルモンの濃度が下がって、新生児月経が起こるようです。 どの女の子にも起こる現象?では、どの女の子の赤ちゃんにも新生児月経があるのかというと、そういうことではありません。実際、長女が赤ちゃんのときは新生児月経がありませんでした。また、新生児月経の状態もその子によるようです。 次女は、血の塊が1回少し出ただけですが、少量の出血が数日続く場合もあるそうです。おりものが出る新生児帯下という症状もあるとのこと。いずれも少量で数日の場合は、心配ないそうです。 赤ちゃんが出血することもあるなんて知らなかったので、私は本当に驚きました。もし長く続く場合や量が多いときなどは、おむつを持参して、産院や小児科を受診するといいそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年01月28日自分の赤ちゃんの血液型ってご存知でしょうか? もしもわが子がママから生まれてくるはずのない血液型だったら戸惑いますよね。私は実際にそんな状況を経験しました。今回は、わが子の血液型に関する体験談をお伝えします。 生後4日目の血液型はAB型長男を出産した病院は、子どもの血液型の検査をしてくれるところでした。生後4日目に出た結果は「AB型」。夫はAB型、私はO型です。A型かB型の赤ちゃんが生まれてくると思い込んでいた私は衝撃を受けました。 「ま、まさかドラマでよく見る取り違え?」と、私は戸惑いました。しかし、そんなはずはありません。生後すぐに、私の名前入りのタグが赤ちゃんの足につけられ、たしかに生まれてきたのはこの顔の赤ちゃんに間違いなかったからです。 O型からは生まれないはずのAB型赤ちゃんの取り違えでないとすると、「じゃあどうして血液型が違うの?」と疑問がわきました。調べた結果、そもそもO型である私からは、夫が何型であってもAB型の赤ちゃんが生まれてくるはずがないことがわかりました。 出産直後はママの血液が混ざって、赤ちゃんの血液型が正確に出ないこともあると聞いたことはありましたが、私のO型の血が混ざって、本来A型かB型である子がAB型になるというのもおかしな話だな……と、とにかく謎でした。 再検査の結果はA型!ママ友から「小児科で赤ちゃんの血液型を調べようとしたら『占いにしか使えないから必要ない』と断られた」という話を聞き、心の隅に引っかかってはいましたが、そのままになっていました。 しかし、ついに真実を知る機会がやってきました。夫の海外赴任帯同に伴い、子どもの血液型も調べることになったのです。検査は耳たぶに針を刺して一瞬で終わり、結果もすぐ出ました。結果は「A型」。「ああ~やっぱり。AB型って一体なんだったんだ~」と力が抜けたことを覚えています。 ごくごく稀にO型ママからAB型の赤ちゃんも生まれるという情報をネットで見て、そんな稀な赤ちゃんなのかな? と考え込んでいましたが、結果的には予定通りのA型でした。生後すぐの血液型検査は正しい結果が出ないことがよくあるそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:沢木素子子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月28日思いもよらない妊娠は喜びと同時に驚きや戸惑いも多いのでは? 誰もが迷わず産む選択ができればよいけれど、すべてがそうではないのも事実。私が”子どもを出産する”と決意するまでのエピソードをご紹介します。 思いがけず、妊娠が判明!それは突然のできごとでした。まだ彼と付き合い始めて1年も経過していなかったときのことです。生理が来ず、妊娠検査薬で調べて妊娠がわかりました。 突然のことで驚きを隠せませんでしたが、子どもが欲しかった私にとってはとてもうれしく、子どもができたと伝えれば、彼も産んでいいと言ってくれるだろう、と思っていました。ところが……彼は、「結婚はしてもいいけど子どもはおろしてほしい」と言ってきたのです。 ショック! 子どもをおろしてほしいだなんて…なぜ彼がそんなこと言うのかまったく理解できませんでしたが、本当に妊娠しているのか? 何かの間違いかもしれないと思い、病院へ。エコーを見せてもらって、私は本当に妊娠しているんだ、と実感したのを覚えています。 彼が産むことに反対していたのは経済的な問題ではなく、2人の時間が減ってしまう、子どもに奥さんをとられてしまうという理由からでした。男の人は命よりも自分を優先するんだということがとても悲しかったです。中絶の話を病院で聞いて、彼の前では、話を合わせたように中絶する方向で話していました。 でも、心の中では絶対的に産みたいという希望が捨てられませんでした。せっかく宿った命を捨てることがどれほどつらいか、命を粗末にするなんて、そんなこと私にはできない、と思いました。そのときが一番つらかったです。 彼を説得。産んでよかった!彼を説得するのには両親との話し合いも含めて何回もしました。1カ月話し合い、彼もしぶしぶ納得してくれました。妊娠生活では制限も多かったですが、2人の時間を存分に楽しむことができました。そして、子どもが生まれてから、夫はおむつを替えたり子どもをあやしたりしてくれていて、私のことも大事にしてくれています。 子どもと夫が一緒に寝ている姿や、触れ合っている様子を見て、私は産んで良かったと心から思っています。悩み、つらかったときもありましたが、私はこの結論、選択でよかったと思います。子どもがいると、自分の時間は減りますが、その分、幸せなことも増えるし、少し取れた貴重な時間を有効に使おうと思うようになり、自分自身も成長できたと感じます。「生まれてきてくれてありがとう」と子どもに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:田中あきこ0歳の母。子どもと共に成長していける母を目指している。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年01月28日