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初めての出産や育児は楽しみな気持ちもありましたが、私の場合、不安な気持ちのほうが大きかったです。そのため、金銭面や生活面の負担を少しでも減らすために、夫の両親と同居することを決意しました。 猛反対されながらも義両親と同居私の同僚や友人からは、 「今から同居しなくてもいいんじゃない?」 「やめたほうがいい! 絶対無理!!」 と散々反対意見を聞きました。 しかし娘が育つ環境を考えれば、これが一番いい選択だと自分で自分に言い聞かせていました。 娘が生まれるタイミングに合わせて同居を始めたので、まだ生活環境にも慣れない状態で慣れない育児がスタート。実際の生活は義両親がいてくれて助かることももちろんありましたが、慣れない環境での家事や育児にてんやわんやでした。 原因がわからない! 黄昏泣き娘が生後3〜4カ月のころ、黄昏泣きが始まりました。家族が仕事を終えて帰宅する夕方ころに、必ず大泣きの日々。おむつ? おっぱい? 抱っこ?など、考えられることはやったつもりですが、泣きやんでくれません。 さらに、毎日家にいる私が自然と夕飯を準備する担当でした。 夫だけでなく義両親も食べるごはんということもあり、毎日気をつかいました。泣きやまない娘、準備しなきゃいけない夕飯、精神的に疲弊していました。 心に突き刺さった義母の一言そんな日が続くなか、泣いている娘を見た義母がひと言「ママとずーっと一緒にいるから、飽きちゃったんじゃない?」。 その言葉が、当時は深く心に刺さりました。娘は私だとつまらなかったの? じゃあ明日からどうすればいいの? 義母は冗談のつもりだったかもしれませんが、私には、まるであなたのせいだと言われているように聞こえました。心に余裕がなかった当時の私は、その言葉が心に深く突き刺さり、しばらく落ち込みました。 あれから2年ほど経ちますが、あの言葉やあのときの状況は今でも忘れられません。義母との関係は以前とあまり変わっていませんが、私の心の中ではどこか一線を引くようになってしまいました。著者:倉本美桜二歳の娘の母。二人目妊娠中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月15日私は、2歳の男の子と0歳の女の子のママです。食べることが大好きな私たち夫婦が妊娠する前に話し合い、堪能しておいてよかったことを紹介したいと思います。 夜の外出私は妊娠するまで夜勤のある仕事をしていたので、夜勤明けの日は仮眠をとり、夜に夫の運転で夜景のきれいなスポットまでドライブしたり、テーマパークに出かけたりしていました。 その後、第1子を妊娠してから今まで夜にひとりで外出したことは一度もありません。夜に外出したとしても、家族で外食をしたことが数回ある程度です。 なにより難しいのは、仕事などで夜にしか会えない友人に会うこと。「会いたいね」と話ながらもう何年も会えていない友人も……。お風呂や子どもの寝る時間を考慮すると、夜の外出はなかなか難しいのが現状です。 お酒を飲む私たち夫婦はお酒がきっかけで結婚したといっても過言ではないくらいのお酒好きです。夫婦でお気に入りの居酒屋が何店舗かあり、飲みに行く日は「今日はどこに行こうか」とワクワクしていました。居酒屋ではお酒も入り、外での食事は家での食事とは気分も変わるので、家では話さないような会話もできるのが楽しかったです。 今、私は授乳中なので、お酒は飲めません。上の子が卒乳して第2子を妊娠するまで半年程あり、その期間は念願のお酒を飲みましたが、寝かしつけもあり、以前のようには飲めません……。 思いっきり飲むことができるのはまだまだ先になりそうですが、夫婦でゆっくり晩酌できる日を楽しみにしています。 カウンター席しかないお店に行く夫はラーメンが大好きで、おいしいラーメン屋さんをたくさん知っています。今でも家族でラーメンをよく食べに行きますが、子どもが小さいうちは行けないお店もなかにはあります。 夫に紹介された私も大好きなラーメン屋さんがあるのですが、そこのラーメン屋さんはカウンター席のみ。人気店なうえ、ラーメンなので、ゆっくり食べることも難しいお店です。カウンター席は子どもが小さいうちは座れないので、行っておいてよかった場所です。子どもがカウンター席に座れるようになる日を楽しみにしています。 結婚後、私たち夫婦で決めていたことは、「多少お金がかかっても子どもができたらできなくなることをしておこう」ということです。子どもがいると気兼ねなく食事できる場所は限られてしまうので、行きたいお店に行っておいてよかったと思っています。著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2020年02月15日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月15日40代に突入し「乾燥・シミ・たるみ・くすみ」が目立ってきたという人も多いのではないでしょうか? ネットなどで調べたところ原因はさまざまで、加齢・環境の変化・女性ホルモンの減少などいろいろなことが考えられます。私も40歳になり肌トラブルに悩み「このまま老け込んでセルフケアでは改善できないほど手遅れになったらどうしよう」と焦るばかりでした。今回は、私のエイジングケアを始めるきっかけや体験談を紹介したいと思います。 「くすみがひどいよ」。母からの一言にドキッ38歳で1人目を出産し、肌のくすみが気になるようになったのが肌トラブルの始まりでした。もともと化粧水と乳液のみしかお手入れをしていなかったのですが、出産まではあまり肌トラブルもなく過ごせていたのです。帰省したとき、母から「なんかくすみがひどくなってない? そろそろエイジングケアしたほうが良いかもよ」と言われドキッとしました。自分でも鏡を見るたび気にはなっていましたが、現実逃避していたからです。 さらに輪郭がぼやっとするようになり、口角が下がったような……。乾燥がひどくなりシワも増えてきたように思います。キレイなママでいたい、自分の肌に少しでも自信が持てるようになりたい!とエイジングケアを始めようと思いました。 エイジングケアって何から始めればいいの? エイジングケア始めよう!と意気込んだものの、一体何から始めればいいのかわからず……。まずは自分の一番気になることはなんだろう?と考えました。その結果、やはり1番の悩みはくすみでした。ファンデーションを塗っても隠しきれず、なんだか疲れた感じに見えるからです。そうと決まればあとは化粧品を購入し使用するだけです。 しかし、産後、敏感肌がひどくなり合わない化粧品が多かったため、まずは無料のお試しサンプルやトライアルセット、高くても2,000円以内で試せるもので自分に合ったものを選ぶことにしました。また、産後から便秘になったのも少しは関係しているのではと思い、普段のお茶をごぼう茶に変え水分をこまめに摂るよう心がけてみました。 敏感肌でも安心して使えるものをくすみ=美白と安易な考えで高レビューだったトライアルセットを使用しましたが、見事に目の周りがかぶれ皮膚科を受診することに。皮膚科の先生から聞いた話では、敏感肌は刺激となるアルコール系・香料・美白成分(ビタミンC誘導体)が入っていないものを選ぶほうがいいとのこと。それからは敏感肌でも使えるものだけに絞り、試しましたがすぐに効果は実感できず、なかなかこれというものは見つかりませんでした。 また、普段はよくても生理前になると肌がさらに敏感になり合わなくなったりもしました。便秘はまだ完全には改善されていませんが、ごぼう茶に加え朝に軽くストレッチをするようにした結果、以前よりは良くなったように感じます。 まとめ現在もコレ!というものには出合えずですが、普段のスキンケアに少し気を使うようになりました。お風呂上がりに、すぐに化粧水をたっぷりつけるだけでも、その後の乾燥が少し和らぐような気がします。また、子どもが毎日お風呂上がりに保湿剤をつけるので、一緒につけるようにもしました。赤ちゃんの肌にも使えるものなので、敏感肌の私でも安心して使えます。そして生活習慣を改善して体の中からもキレイになれるようにしていきたいと思います。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!取材・文:エグママ40歳になり、変わりゆく自分にとまどいを隠せない専業主婦。プレ更年期やPMSに悩みながら子育てや家事に奮闘する毎日を送っている。
2020年02月14日Instagramで大人気のニシカタさん(Instagram@c_nishikata)の育児エピソードをお届けします。今回はニシカタさんが産後やめたこと、使わなかったものなどについてのお話です。 当時は、授乳しやすいかどうかが服を買う基準だったので、それまで好きだったワンピースは着られず……。 かわいいものもあるとはいえ、授乳服がどうも好きになれなくて、アパレルショップでいろいろあさってました。バッグも一気に変わりましたねー。今までは大きいバッグを使うことがほぼなかったのですが、産後は収納力のあるバッグオンリー! リュックも使ってみたんですが、サッと出せないのが嫌で、トートを愛用してました。リュックのほうが両手フリーで便利なんですけどね。そして、とうとうスリングから抱っこひもにシフトチェンジです!抱っこひもが思ったより高かったので、メルカリで中古をゲットしました。いやー、しっくりくるまではビクビクしながら使ってました。今では慣れたものですが、最初は慣れないし、怖いですよね。授乳室や病院で、抱っこひもを素早く使いこなすママを見て、すごくカッコよく見えました! ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2020年02月14日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月14日もともとやせ型だった私は、厚生労働省から出ている妊産婦のための食生活指針を見て妊娠中に7〜9kg程度体重を増やす予定でした。妊娠中は自然と体重が増えると思っていましたが、仕事が立ち仕事で活動量が多かったせいか、思うように体重が増えず…⋯。今回は、私が感じた妊娠中の体重や食事管理の大切さなどをお伝えします。 妊娠中に食べる量を加減していた「妊娠中に、これ以上の体重増加はダメと言われた」という話を友人などからよく聞いていました。そのため、妊娠中は自然と体重は増えていくもので、食べ過ぎてはいけないと思っていました。体重が増えすぎないように気をつけつつ、栄養バランスの整った食事を3食摂っていたのです。しかし、仕事が立ち仕事で消費カロリーが多いせいか、妊娠8カ月でプラス4.5kg程となかなか体重が増えず…⋯。妊娠したら体重は増えると思っていたのにそうでなかったので、食べる量を増やしたほうが良いのでは? と不安になりました。 臨月でも思うように体重が増えなかった臨月になってもプラス5.5kgと、妊娠8カ月のころから体重は1kgしか増えませんでした。医師からは「妊娠中に体重がしっかりと増えないと、赤ちゃんが低体重で生まれるリスクが高くなるので、もっと増やしましょう」と言われていたので、間食を増やして体重増加するように心がけました。妊娠中は食べ過ぎもダメですが、カロリー消費量が多くてよく動く人は、間食で食事量を増やすことも大切なんだと実感しました。臨月に入ったら増えるだろう…⋯となんとなくで体重管理をするのではなく、つわりが終わったころから体重変化を気にしておけばよかったなと思っています。 低出生体重にぎりぎり入らず誕生子どもは2,575gと低出生体重児にならずに生まれました。それでも母乳を飲む力が弱くて入院中になかなか体重が増えませんでした。妊娠中に増やそうとしていた予定体重まで増えていれば、もう少し大きく生まれていたのかなと思います。仕事で活動量が多いことも分かっていたので、妊娠中は赤ちゃんにも栄養が供給されることも考え、妊娠4〜5カ月ころから食事量をしっかりと増やしておけばよかったと反省しています。 初めての妊娠でどれくらい体重が増えるのか予想がつかず、増やしすぎないことを気にするあまり、体重増加が少なくなってしまいました。妊娠中の体重管理は、妊娠前の体重なども考えてきちんと食事管理をおこなうことが重要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中道麻智子一児の母。管理栄養士として給食を作っている。管理栄養士の知識を生かした記事や、初めての妊娠・出産・育児で学んだことを中心に記事を執筆している。
2020年02月13日不妊治療が始まると、生活のすべてを治療のために調整しなければなりませんでした。これは事前に納得していたはずなのに、いざ治療のための調整となると、精神的にも肉体的にも、想像以上の負担を強いられるようになりました。 いよいよ治療初日なんとか治療する日程を調整し、初めて病院に行きました。不妊治療の検査は何をするのか想像もつかず、不安でいっぱいでした。 診察が始まり、軽い問診のあとに妻とは別室へ連れて行かれ、精子検査を初めて経験しました。小さな個室に入り、看護師さんに説明をされたのですが、説明があまり頭に入ってこないくらい部屋の様子に驚きました。 部屋の中にあったのは、小さなソファ、小さなテレビモニターと、選んだ人の性癖がわかるようなDVDの数々です。まるで漫画喫茶の個室をアダルトな雰囲気にした上、DVDのみをずらっと並べた感じです。病院内にこんなスペースがあることにびっくりしました。 初めての精子検査妻と看護師さんがドアの向こうで待っていると思うと、一刻も早くこの空間から出たい気持ちで、すぐに作業に移りました。 好みのジャンルでもないDVDの力を借り、ありとあらゆる想像力を働かせたのですが、精神的な影響もあって思うように捗りません。なかなかスムーズに作業できないことが、余計に恥ずかしく、より一層作業を遅らせてしまいました。 なんとか採取できたのですが、容器から伝わる温もりがとても生々しく、すぐには渡すことができませんでした。 不妊の原因は不明のまま私と妻はいろいろと検査をしたのですが、私の精子は正常、妻の卵子も年齢と比較するとかなり良い状態であるとの診断を受け、結局不妊の原因は特定できませんでした。 とりあえず、しばらくは通院をすることにしたのですが、通院する日程を決めることが大変でした。初診のときと同じく、仕事の調整・祖母の時間調整に加えて、排卵日など妻の状態も配慮しなくてはいけなくなりました。 このあたりから毎日診察日のために行動をしなければならなくなり、日常生活に徐々に影響が出始めました。 だんだん小さな衝突が増えるすぐに結果が出ないことは最初から理解していたとはいえ、終わりが見えない状態が続くと、私は日に日に疲弊していきました。妻の負担も目に見えてわかり、この時期から小さな喧嘩が増え始めました。私も家事の負担を少しでも減らそうと努力していたのですが、すべてを補うことができません。 小さな喧嘩から始まり、言い争いも激しくなると、結局は不妊治療の話になり、毎日がその繰り返しでした。 治療を始める前に、夫婦でお互い励まし合い治療に向き合うことを充分に話し合いました。しかし、頭では理解していても、今までの生活リズムに影響が出始めると、想像以上に治療に負担を感じました。 次回は人工授精についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月13日私は長男、長女、次男の3人の子どもの母です。長女の育児休業中、次男を妊娠しました。次男を出産すると、職場復帰するまでに期間が空いてしまうと思い、妊娠5カ月のときに仕事に復職したときの体験談を紹介します。 育休中の妊娠育休の期間が残すところ3カ月のときに、次男の妊娠が判明しました。会社の上司と相談して育休の延長も考えましたが、仕事から離れる期間が長くなってしまうことを考慮して、一度復帰してから産休をもらうことにしました。 職場復帰した直後は体の変化がほとんどなく順調でしたが、間もなくつわりがスタート。無理のないよう、不調を感じたときは産院にも相談しながら仕事に取り組むことにしました。 妊娠中期の体調管理仕事に復帰してから1カ月ほど、つわりによる吐き気と頭痛がありました。職場の理解があったこともあり、休憩時間を設けながら仕事に取り組むことで大きく体調を崩すことはありませんでした。 日々の体調管理として、血圧と体調の変化も記録。体調不良で仕事に影響を及ぼすことがないよう、睡眠時間の確保、バランスの良い食事、適度な休息に気を付けて過ごしました。 妊娠後期の体調管理妊娠7カ月になるころにはつわりはおさまり、胎児の成長に合わせて腰痛や便秘、おなかの張りの症状が現れるようになったので、体調管理を心がけ、骨盤ベルトも着用することに。 また、職場での関係を良好に保てるよう、同僚への連絡や報告をおこなうと同時に配慮への感謝も。毎日の体調変化の記録は、体調管理や家族への配慮、仕事のバランスを保つために体調を整えたり休憩を取ったりする際にもとても役立ちました。 自ら決めた仕事復帰でしたが、つわりや体調の変化で仕事が思うようにできないことも……。自分の調子が良いときと悪いときの違いを知っておくなど、体調管理の大切さを実感した期間でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、1歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2020年02月12日私は、過去に原因不明の続発性不妊症で不妊治療を約6年間経験しました。自分には関係ないと思っていた治療でしたが、調べてみると経済的にも精神的にも負担の大きな治療だと初めて知りました。夫婦で話し合い、負担は納得しているつもりだった治療も、実際に始まるとイメージしていたものとは違うさまざまな経験をしました。 不妊治療を始めるきっかけ私たち夫婦が不妊治療を始めたのは、私が35歳、妻が32歳のときでした。私たちはすでに子どもを1人授かっており、そろそろ2人目が欲しいなと話していたのですが、なかなか授かることができませんでした。 長女を計画通り授かることができたので、2人目も欲しいタイミングで授かるものとばかり思っていたので不思議に感じていました。自然妊娠がなかなかできないので、ネットなどで情報を集めると、続発性不妊症という言葉が目にとまりました。続発性不妊症というのは、以前に妊娠したことがあり、その後妊娠しない場合を言うそうです。 さらに続発性不妊症について情報を集めると、私たちがその言葉に該当することがわかりました。そのとき、初めて私たちは不妊治療が必要なのだと認識しました。 不妊治療を始める前に私たちは、それまで不妊治療についての知識がほとんどありませんでした。ただ、「金銭的に大変」「女性は精神的にも負担が大きい」などマイナスなイメージだけ持っていました。そこで、具体的に金額がいくらかかるのか、どのような治療法なのか、精神的負担とは何かなどの情報を本やネットを通じて、事前にできるだけ調べました。 やはり、そこにあった情報は精神的、金銭的負担が大きいことや、夫婦の協力・理解が必要だということでした。私たちは、長女を含めて3人で話し合い、やはり子どもを授かりたいこと、無理なら治療を中断することを確認し、不妊治療を始めることを決意しました。 病院選びも難航まず、不妊治療をおこなっている病院選びを始めましたが、この作業が意外と難航しました。妻が、近所の病院だと誰かに知られてしまうのが嫌だということで、少し遠い病院に決めました。 しかし、その病院へ通うことで、私たちの予想していなかったハードルがありました。不妊治療をおこなっている病院ではよくあることですが、子連れ厳禁だったのです。そのため、祖母に長女を預かってもらう日程と私が仕事を休める日程を調整し、病院に予約を入れなければなりません。私は治療を始める前段階で、いろいろと戸惑うことがあり、徐々に先行きに不安を感じ始めていました。 私には関係ないと思っていた不妊治療でしたが、気軽な気持ちで始めました。おそらく、1人子どもがいるので2人目もすぐにできるだろうと、心のどこかで過信していたように思います。 次回は初めての精子検査についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月12日2人目を出産したあと、親戚などに頼れない事情があり、夫も子どもたちが寝静まったころにやっと仕事から帰ってくるのが当たり前だったので、産後直後から「私ひとりでなんとか目の前のことを処理しなければ」と気負ってしまうことが多かったです。そのときに私が感じた「2人目出産後のママの壁」についてお話しいたします。 長女は産前産後要件で保育園に入園させた現在、3歳と生後7カ月の姉妹のママをしていますが、産後は基本的にワンオペ育児でした。しかし、ありがたいことに、私が住んでいる自治体では保育園の入園要件として「産前産後要件」というものがありました。これは、おおむね妊娠後期~産後2カ月ごろまで「保育に欠ける」と認定された子どもは入園の要件を満たし、保育園に優先して入園できる権利がもらえるというものです。私は本当に運が良く、長女を自宅近くの保育園に入園させることができたので、日中は主に保育園に通わせていました。 長女の赤ちゃん返りにイライラしかし、そう簡単になんでもうまくいくわけがありません。長女は、私の妊娠中はわりと泣きもせず落ち着いて登園できていたのですが、次女を出産後は次第に「保育園に行きたくない!」と言うようになったのです。さらに「家で2人で一体何をしているの?」と聞いてくることも……。ほかにも一度泣き出せば1時間はひたすら泣き叫んでいたり、長女はよく食べる子だったので、ストレスを食事で解消しようとし、食べ過ぎてしまったりすることがありました。私も今の状況をうまく長女に説明することができず、いわゆる「長女の赤ちゃん返り」に対して次第にイライラすることが増えていったのです。 長女を罵倒し、物に当たる毎日今思うと産後1~2カ月ごろが長女に対して一番当たりがキツかったように思います。正直に申し上げると、授乳しているところを邪魔しようとしたり、育児用ミルクを作っている最中にぶつかってきたり、次女が泣き叫んでいても「トイレついてきて」「抱っこして」と要求が止まらない長女に、「うるさい!」「ひとりでできるでしょ!」と罵倒し、腹が立ちすぎておもちゃを壁にぶつけてストレス解消したこともあります。当然長女はそんな私を見てさらに不安定になっていきました。感情的に怒鳴るたびに反省と後悔の毎日で、その場では「ごめんね……」と反省しても、なかなか穏やかなママとはなれず、理想とはほど遠い私でした。 長女優先をできる限り徹底したしかし、産後3カ月ごろになるとだんだんと冷静になれて、「これではいけない」と思い「長女ファースト」の思考をできる限り徹底しました。家事は最低限しかおこなわず、基本的に夫が休みの日だけ掃除機をかけたり風呂掃除などをおこないました。また、次女が寝たらなるべく長女と2人の時間を過ごすことや、夫に次女を預けて長女だけと遠くへお出かけして、特別感を与えるなど思い付く限りのことをやり切りました。 そして次女が生後6カ月ごろ、ようやく長女の気持ちも安定してきて「保育園に行きたい!」「私がひとりでする!」といった自立に向けた前向きな発言がと増えていきました。産後まもなくは私も不安定で一時的に感情的になってしまいましたが、すぐに軌道修正を図れば必ず子どもとの関係をやり直すことはできるんだと、今は実感しています。 著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月11日次男を妊娠中、高齢出産ということもあり、妊娠15週でクアトロ検査をおこないました。結果はまさかの陽性。おなかに針を刺すことによってリスクが生じるおそれのある羊水検査をおこなうかどうかの選択をしなければならず、悩んだ結果、羊水検査を選択した私の体験談です。 軽い気持ちで受けたクアトロ検査妊娠当時、私は36歳で出産時には37歳。高齢出産になる年齢でした。高齢出産ではダウン症などの出産率も高いと聞いていて、漠然とした不安感がありました。 そんなとき、通院している産院で「クアトロ検査が受けられます」という張り紙を見つけたのです。値段もそれほど高くなく、血液検査だけでおこなえるというのも魅力的でした。 まさかの陽性結果クアトロ検査をした結果はまさかの陽性でした。医師から陽性の結果を告げられ、羊水検査をどうするか聞かれました。続いて羊水検査には破水のリスクがあると説明されたときには、「受けません!」と言って号泣……。それまでの健診で一度も異常を指摘されたことがなくて順調だったこともあり、まさか陽性の結果が出るとは思いもよらず、ただ陰性の結果を見て安心したかっただけの自分に気付きました。 真剣に悩んだ結果…その後、どうするかは保留にし、一度帰宅しました。夫にも検査結果を伝え、もし子どもがダウン症だった場合、自分たちに育てられるのか? きょうだいがダウン症だった場合、長男にどんな影響があるのか? と話し合いました。私の気持ちはもちろん、夫の意見や2歳になる長男の言葉の遅れで発達に不安があったことも考え、羊水検査を受けることにしました。 羊水検査は陰性検査の日、私はとても緊張していて、少しでも動けば破水してしまうのではないかと怖くて仕方なかったです。検査自体はすぐに終わりましたが、その後もおなかに刺激を与えるのが怖くてずっと布団で横になっていました。 検査の結果は陰性で、遺伝子に関する病気も一切なくひと安心! 羊水検査の結果でおなかの子どもが男の子であることも判明したのでした。 クアトロ検査を軽い気持ちで受けたのが間違いでした。ただ漠然と「高齢出産で不安だから安心したい」という理由で安易に受けたことを後悔しました。しかし、当時の周りの環境や夫の意見、自分の気持ちを考え羊水検査を選択したことに後悔はありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月11日子どもの安全に配慮しているつもりでも、ちょっとした気のゆるみで大きな事故につながってしまうこともあります。子育て中の私も、子どもの安全には気を配っていたつもりでしたが、時が経つにつれてつい油断してしまうことも……。そんなときに起きてしまったヒヤリとしたできごとを、状況別に3例ご紹介します。 ハイローチェアからの落下 子どもをハイローチェアに乗せるとき、最初のころはどんなに短い時間でも必ずしっかりとベルトを付けていました。「ベルトをせずに乗せるなんてありえない!」とすら思っていたのに、いつの間にか「ちょっとだけなら……」と短い時間の場合はベルトを使わないことも……。 子どもの腰がすわったころだったので自分で起き上がり、そのまま前に倒れて顔から落ちてしまいました。幸いなことに怪我はありませんでしたが、大怪我をしてしまう可能性も十分にあります。それ以来はどんなに短い時間でもベルトを必ず付けています。 床に落ちていた〇〇をぱくり 私がごはんを作っているときのこと、子どもの「おえっおえっ」という苦しそうな声が聞こえてきました。急いでわが子の口の中を見ると、私が机に放置してしまっていた留め具のモールが子どもののどに引っかかっていました。どうやらモールは机の上から床に落ちていたようです。 モールはなかなか取れず、本当に焦りましたが、何とか手で取り出せてその場は落ち着きました。誤飲につながりそうなものはすべて手の届かないところに置き、床にも誤飲につながるものがないか、よく確認しなければならないと改めて感じました。 放置したかばんから取り出した小銭をなめなめ お出かけから帰ってきて、私はかばんを開けたまま放置していました。すると、気付かぬうちに、子どもがかばんから財布を取り出し、小銭をなめて遊んでいました。 完全に口には入れていなかったのですぐに返してもらい、事故は起こりませんでしたが、もし小銭を飲み込んでいたらと思うとヒヤリとした場面でした。お出かけから帰ってきたら、かばんの口をしっかり閉じ、さらに手の届かないところにしまうほうが安全だと反省したできごとでした。 3つの例のように、育児に慣れてきたころのちょっとした油断から、わが子を危険にさらしてしまいました。身近に潜む危険には十分気をつけたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:白木あい2歳の男児の母。保育士・幼稚園教諭の資格を取得。保育士として勤務後、出産を機に退職し、専門知識や子育て経験をもとに記事執筆をおこなう。
2020年02月10日長女を出産したときは、初めての育児でバタバタしていたせいか、産後すぐに体重が戻った私。次女を妊娠したときも、産後はすぐに体重が戻るなんて思っていました。ところが次女出産後、3カ月経っても体重が一向に減らず……。そのときの体験談を紹介します。 産後は授乳の影響で体重が元に戻る?長女を出産したときは初めての育児でわからないことも多く、バタバタしていたこともあってか、産後2カ月ごろから「痩せたね」と周りに言われることが増えました。その後、産後半年くらいで妊娠前の体重に戻り、さらには妊娠前の体重よりも少なくなりました。 ありがたいことに母乳がよく出ていたので、母乳のおかげで体重が元に戻ったのかもしれないと思っていました。そして翌年には、次女を出産。また半年くらいで体重が元に戻ると軽い気持ちでいたのですが、今回は違いました。 体重が元に戻らない! 運動をスタート2人目で余裕があったからかわかりませんが、次女を出産してから3カ月過ぎても体重が元に戻りません……。「産んだあとは、自然と体重が元に戻る」と安易な考えでいたため、焦りました。とりあえず買い物がてらにウォーキングをスタート、ダイエットDVDを買って自宅で運動も始めてみました。 ところが体重が戻るよりも先に、腰を痛め、さらには肩も痛めてしまう結果に……。子育てにも支障が出そうな状況だったため、病院に相談に行くと、「産後にいきなり無理をしすぎです!」と厳しく注意されてしまいました。 焦りは禁物! ゆっくりと体重を戻そう私の場合、普段から運動習慣もないうえに、本調子ではない産後に突然運動を始めたことで体がビックリしてしまったようです。病院の先生からは、「産後、すぐに体重が戻る人もいれば、ゆっくり戻る人もいる」「体を動かすのは、もっと落ち着いてからにすること」とアドバイスを受けました。 「今は体重よりも赤ちゃんを気にしてあげて」と先生は言っていました。赤ちゃんよりも、自分の体重のことを先に考えてしまっていた……と、反省しました。それからは食事内容を見直すなどして、1年くらいかけて元の体重に戻りました。産後に無理は禁物です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2020年02月10日私は4人の子どものうち、3人目と4人目を11カ月差で出産しました。1人目と2人目は5歳差、2人目と3人目は6歳差と、上の子たちはそれぞれ歳が離れていたので、今回初めて年子を経験することに―。11カ月差の兄弟を産んで、実際に感じたことをご紹介したいと思います。 妊娠初期と後期がきつかった!私は妊娠初期に眠気が強く現れる体質なのですが、ちょうどその時期に3人目である次男は、授乳間隔がまだ3時間おき。なおかつ夜泣きが始まりだしたことなどもあり、体力的にも精神的にもつらかったです。また、つわりのピーク中に離乳食作りをしなくてはならず、お粥のにおいが非常につらかったです。 妊娠後期になると大きいおなかで、まだ歩けない体重10kg弱の次男を抱っこしなければならず、腰痛が悪化しました。それに加えておなかの赤ちゃんが下がり始めてしまい、自宅安静を指示されてしまったのです。しかし、1歳前の子がいては安静にしていることも難しく、妊娠後期にもかなり苦労しました。 産後は同時に泣き出しカオス状態に……4人目である三男が生まれたとき、次男はまだ生後11カ月。どちらかが泣くともう一方も泣き出してしまい、夫が仕事でいないときなど、ひとりで2人をあやすのは一苦労。三男はまだ新生児のため、2人を同時に抱っこすることもできず、まずは次男、次に三男と、代わる代わる抱っこをしたりあやしたり……。 2人の泣き声が部屋に響き、家の中はまさにカオス状態でした。また三男と次男の授乳時間が重なると、2人の泣き声に急かされながら、育児用ミルクを2本調乳しなければならず、地獄のような産後を経験しました。 弟に興味を持つ兄と、兄が怖い弟次男が1歳を過ぎたころ、弟である三男に興味を持つように。生後2カ月の三男に近づきしばらく見つめたあと、三男の口や鼻の穴に指を入れようとしたり、突然叩いたりといった行動をとるようになりました。 三男はその都度大泣きし、次第に次男が視界に入るだけで泣いてしまうようになってしまいました……。常に2人の行動から目が離せず、神経をすり減らしていました。 次男にお兄ちゃんの気持ちが芽生え始めた?次男が1歳3カ月になり、三男が4カ月になったころ、次男が三男をかわいがるようになりました。頭をなでたり、抱きしめてみたり、時には顔にチュッとするようなしぐさをしたり。そして三男が泣き出すと、いないいないばぁをしてあやそうとしたり、おしゃぶりを持って行ったりと、お世話をしようとするようになりました。 そのころから三男も次男に心を開き始めたのか、次男を見ても泣かなくなりました。次男はまだ1歳3カ月なのに、もう立派なお兄ちゃんなんだなぁと感心してしましました。歳が近い兄弟だからこそ、こういった経験もできたのだと思います。 3人目まではそれぞれ歳が離れていたので、同時に手が掛かることの大変さを経験していませんでした。今回11カ月差での妊娠、育児を経験し、年子の大変さを痛感しました。でもそれと同時に、歳が近い兄弟ならではの成長を見られ、年子っていいなあと感じています。これからも下の子2人の成長を、家族みんなで楽しみながら見守っていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月10日友人や会社の同僚から「陣痛はとても痛いもの」と聞いており、出産前から陣痛について調べ、かなりの痛みを覚悟していました。しかしいざ陣痛が始まると、微弱陣痛でなかなか痛みが強くならず、間隔も狭まらない状態で、産む瞬間も思っていたものとは違ったのです。 子宮口を開く処置後に自然と陣痛が予定日を1週間過ぎても陣痛の気配がなく、誘発入院をすることに決まりました。入院初日にバルーンで子宮口を開く処置をおこなうと、その後から自然と陣痛が始まりました。 夜中の0時ごろに軽い痛みから始まり、その後徐々に痛みが強くなり、陣痛の間隔も5分間隔になりました。このときの痛みは下痢でおなかを下しているときの痛み程度で、我慢できない痛みではありませんでした。ナースコールで陣痛が5分間隔になったことを伝えると、病室からLDR室(陣痛室・分娩室・回復室が一体となった個室)へ移動するように言われました。 陣痛の合間は特に痛みもないため、私は誰の手も借りずに、スタスタと歩いて移動していました。 LDR室で12時間! 変化のない陣痛LDR室へ移動してからも痛みや間隔に変化がなく、耐えられる程度の地味に痛い陣痛が続きました。途中、陣痛促進剤を点滴しましたが、その後も陣痛に変化はありませんでした。隣のLDR室から「痛い! 痛い!」と叫び声が聞こえ、「隣の人大丈夫かな?」と他人の心配をする余裕もあったぐらいです。 さすがに睡魔には勝てず、陣痛の合間にフッと寝てしまい、陣痛が始まると痛みで目が覚めるということを繰り返し、気がつくと12時間も経っていました。それでも出産前に聞いたり調べたりしたような痛みではなかったので、自分の陣痛はまだまだこれからだと覚悟していました。 出産前も変化なし! 陣痛待ちの微妙な時間しかし先生に確認してもらうと、「もう赤ちゃん生まれるね」と言われ、私は「こんな痛みで産めるのか?」と半信半疑でした。次の陣痛が来たらいきむよう言われ、陣痛が来たタイミングでいきみました。しかし、私の陣痛は持続時間も短く、1回いきむと陣痛が終わってしまうのです。また次の陣痛を待つのですが、陣痛の間隔も長いため、次の陣痛がなかなか来ず、先生と談笑をしながら陣痛を待っていました。この陣痛待ちの時間のせいで出産の緊張感がなくなってしまい、微妙な時間が流れます。 これを3回ほど繰り返し、やっと赤ちゃんの頭が出てきて、次の陣痛で出すと言われました。思いっきりいきんだのですが私の陣痛は持続せずに終わってしまい、それ以上いきむことができませんでした。最終的には上からおなかを押して、下から引っ張り出して、ようやく赤ちゃんを出してもらいました。 事前に調べていた陣痛についての記事や体験談と、実際に私が体験した陣痛とはまったく違うものでした。赤ちゃんは無事生まれましたが、想像していた陣痛の痛みよりも軽く、最後まで「これでよかったのか?」と不思議な感じでした。出産の際も陣痛待ちの時間に出産の緊迫感がなくなってしまい、少し拍子抜けでした。私のように陣痛の痛みが弱い人もいるのだとわかり、陣痛やお産は人それぞれだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:塚田さき0歳男児の母。普段は作業療法士として訪問看護ステーションで勤務、現在産休中。自身の体験をもとに、主に体験談を中心に執筆している。
2020年02月09日産後3カ月のときに、私は初めて体調を崩しました。具合が悪くて横になりたいのに、授乳におむつ替え、抱っこと、赤ちゃんのお世話でまったく休めず、十分に療養できないつらさを思い知りました。聞くと、産後3カ月で体調を崩すのは「産後あるある」なのだそうです。私が産後に体調を崩し、つらかった体験と対処法についてお伝えします。 ついでに受けた予防接種がきっかけで産後3カ月、娘の予防接種に行った際に、私もインフルエンザの予防接種を一緒にしてもらえるとのことでお願いすることに。 すると、翌日から産後かつてないほどの風邪モードになってしまいました。熱とのどの痛み、頭痛、口内炎と体はボロボロ……。横になって休みたい! そう思いましたが、授乳やおむつ替えもあり、赤ちゃんが寝るまで抱っこをしてユラユラと動かねばならず、まったく休めません。母は具合が悪くても寝られないのか!と、子持ち風邪っぴきのつらさを初めて痛感しました。 初めての授乳中の抗生物質服用前日に行った病院で風邪薬をもらいましたが、授乳中でも飲める薬だからか、5日間飲み切ってもまったく治らず、別の内科で抗生物質を処方してもらいました。抗生物質を服用したあとは、4~5時間は授乳を控えるようにと指導されたので、夜間授乳を育児用ミルクに切り替えました。 赤ちゃんに育児用ミルクを飲ませる予定時間より30分前に起きて、搾乳をして捨て、育児用ミルクを作って飲ませて寝かせるという作業は重労働でしたが、なんとか5日間を乗り越えることができました。 完治まで2週間以上かかった風邪のピークは過ぎたものの、のどの痛みが長引き、市販ののど飴などをなめながら完治まで2週間以上かかりました。 先輩ママから聞いてあとからわかったことですが、産後3カ月で体調がガクッと崩れるのは、ママの「産後あるある」なのだそうです。たしかに出産からろくに眠れず、休みもなく、体の痛みに耐えながら慣れないことをして気を張っていたら体調を崩すのも納得です。素直に周りに甘えて、休ませてもらったほうが早く治ったかもしれません。 産後3カ月の風邪はとっても厄介! 夫や親など、頼れる人がいるなら遠慮なく頼って休ませてもらいたいところ。病院でも薬や治し方を相談し、とにかく体調を優先させて、早く治してしまうことをおすすめします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:桜井みお子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月09日初めての育児では「とにかくきちんとやらなくては」と、肩に力が入っていたように思います。現在、2人の子どもを育児中ですが、2人目で「少し肩の力を抜いて育児をやってみよう」と実践したことをご紹介したいと思います。 育児でやめてよかったこと【離乳食編】初めての離乳食は、育児書を片手に進めていました。そこに必ず出てくるのが食べる量。一応の目安だとわかっているものの、食べる量を把握したいと、毎食食べた量を1歳半まで記録しました。数値化することで、「今日も全然食べていない」と落ち込むばかりの1人目の離乳食生活でした。 2人目もあまり食べない子でしたが、食べる量を把握したところで食べる量は増えない!と、思い切って食べた量を量るのをやめました。おかげで、少し気持ちがラクになりました。 育児でやめてよかったこと【ほかの子との比較編】1人目のときは児童館などに積極的に足を運んでいました。個人差があるとは言え、同じ月齢の子ができていることを、どうしてうちの子はできないのだろうか?と思うことが多く、とにかく不安やイライラを抱えながら育児をしていました。 逆に、2人目のときは子どもがあまり児童館へ行きたがらないので、同じ月齢の子と比べることが減りました。できなくてもそのうちできるようになると、おおらかな気持ちで育児ができ、子ども自身ものびのびと育っているように思います。 育児でやめてよかったこと【育児の負担編】「育児は君の仕事」。夫にそう宣言され、1人目は家事より育児を優先して、なんとか育児をしていました。しかし、2人目誕生のとき、上の子は3歳。お風呂やトイレなど、まだ手がかかる年齢でした。 私が腱鞘炎になったり、上の子の精神面で心配な面が出てきたりと、ひとりで抱え込むのはやめようと思い、夫に相談しました。手が足りないときは助けを求めて、手伝ってもらうことにしました。夫と過ごす時間も増えて子どもたちも喜んでいます。 初めての育児ではわからなかったことが、2人目の育児では見えてくるもの。肩に力を入れすぎずに育児をすることが大切だと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:村上八重美二児の姉妹の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月09日妊娠をきっかけに、「会陰切開」という言葉を聞く人も多いのではないでしょうか? 私も出産のときには会陰切開をしてもらいました。今回は、私が感じた会陰切開の痛みはどのようなものなのか、産後の痛みをやわらげるためにどうしたのかをお伝えします。 出産より痛かった! 会陰切開の縫合破水から始まり、陣痛が始まって4時間で赤ちゃんが生まれたという私の出産は、あまり痛いという感覚がありませんでした。ところが、会陰切開はまったくの別物でした。 会陰切開自体は「切りますね」という確認から、いつ切られたかもわからないほどあっという間でしたが、傷口を縫い始めたとたんに痛みはMAX! 思わず「痛い痛い!」と声に出てしまったことを今でも覚えています。会陰切開後の傷跡の痛みまだ経験されていない方にとっては、会陰切開後の傷跡もいったいどんな痛みなのかと心配になりますよね。会陰切開後に傷口は糸で縫合されるため、私の場合、その縫合してもらった部分の違和感がすごくありました。 デリケートな部分でもあるうえに、悪露も出ているため、トイレやシャワーに行くときにも気になってしまいます。具体的にいうと、チクチク・ズキズキといった痛みがしばらく続きました。 痛みをやわらげるための試行錯誤会陰切開後の傷跡の痛みをやわらげるために、座るときはドーナツクッションが必須でした。布団などのやわらかい場所であっても座ると痛みがあったので、ドーナツクッションを使って、傷口に刺激を与えないようにして座ることが第一でした。 しかし、それ以外には特に有効な手段を見つけられず、とにかく安静にして横になっていること、痛み止めの薬を飲むことを心がけました。私の場合、出産から2週間もすると、ドーナツクッションを使わずに普通の椅子に座ることができました。 会陰切開は切るときよりも、傷跡のほうが痛いという方も多いようです。痛みが強いときは、我慢せずに医師や助産師さんに相談したいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月08日出産間近になると、もしや陣痛? これが出産の兆候? など、体の変化に敏感になりますよね。私には4人の子どもがいるのですが、親は同じでも出産の兆候はみな違いました。毎回、コレが陣痛につながるのか!? と、出産の兆候にドキドキしていた私の体験談をお伝えします。 第一子、第二子の出産1人目は出産予定日の朝におしるしがあり、念のため受診するとその場で破水。そのまま入院・出産に至りました。 同じ親から生まれるのなら、出産の兆候は同じかもしれないと思っていた私。1人目のときの経験から、2人目の出産時もおしるしがあるかもしれないと思っていたところ、2人目はおしるしも前駆陣痛も何もなく予定日超過へ。経産婦でしたが子宮口も硬かったようで、バルーンと陣痛促進剤を使用しての出産となりました。 【関連記事】・おしるしとは?初産と経産婦で違うの?陣痛や破水との関係と対処方法について・陣痛促進剤の効果・副作用・使うタイミング・使えないケース・費用について第三子、第四子の出産3人目は、出産予定日よりも1カ月前に子宮口が1cmほど開き始め、前駆陣痛も頻繁に起こりました。さすがに早めの出産になるかと思っていたら、結果的には予定日超過でした。おしるしもなく、3人目も陣痛促進剤を使用しての出産となりました。 4人目は、上の子3人のお世話に追われ、ゆっくりする時間も確保できなかったためか、出産予定日よりも早く、朝におしるしが。その夜には自然に陣痛も始まり、出産に至りました。 【関連記事】・破水とは何?破水の種類や見分け方、対処方法について・前駆陣痛とは?本陣痛との違いや痛みや特徴、対処法を解説 4人の出産を経験して思うこと4人の子どもを産んでみて思うことは、出産の兆候は同じ親でも子どもによってそれぞれ違うということです。出産間際になると気持ちが焦り、毎回ネットで「出産の兆候」や「ジンクス」などを検索していましたが、得られた情報が誰しもに当てはまることではないと感じました。 私の場合、唯一共通していたことは、夫が帰宅していたり、母が来てくれているときだったりと、誰かの助けがある状況のときに出産が始まり、子どもたちが生まれてきたということです。もしかすると、おなかの中で赤ちゃんが私の状況を感じてくれていたのかもしれませんね。 臨月は母体にも負荷がかかり、早く出産したいという気持ちも高まります。気持ちが焦ってしまうことも多いかもしれませんが、できるだけリラックスして出産のそのときを待ちたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月08日学生時代に妊娠したものの産むことができなかったため、やむを得ず妊娠7週で初期人工妊娠中絶という選択をしました。中絶に至るまでの経緯や手術当日の複雑な思い、そして10年以上が経った現在の心境もお伝えします。 中絶という選択肢大学4回生になる前の春休みに妊娠が判明し、パニックになりながら当時交際していた同級生の彼に伝えたところ、子どもを産み育てるのは無理だという返事が……。地方で会社を営む彼の家庭は厳格で、「学生でできちゃった婚なんてしたら勘当される」とのこと。この状況で保身に走るなんて……と彼に幻滅する一方で、私自身もそんな彼との間の子どもをシングルマザーとして育てる覚悟も持てず、私たちは中絶という選択をしました。 大切なものを手放していく中絶を決めた私たちは、周りに知られないように隣県の病院で手術をすることに。中絶手術は妊娠7週でおこなうことが決まりました。手術にかかる費用は約10万円。手持ちが足りず、当時私が大切にしていた中型バイクを売却して得た代金を一旦手術費用に充てて、あとで彼から分割で代金を支払ってもらうことにしました。おなかの赤ちゃんも守れないし、私は何をやっているんだろう……と情けなくて虚しい気持ちでいっぱいでした。 手術の痛みと悲しみ手術の日は朝食も水もとらずに前処置をします。その間も彼は付き添ってくれましたが、処置の作用で生理痛の何倍もの痛みと吐き気があったので、何を話したかもよく覚えていません。手術室へ案内されるときに別の部屋で出産があったらしく、ハッピーバースデーの音楽が流れてきました。それを聞いて、望まれて生まれてくる命がある一方で、私は産んであげることすらできない……と悔しさが爆発し、大声をあげて泣いてしまいました。術後は日帰りでしたが、しばらくは心にも痛みが残ったままでした。 10年以上経った今でも思い出すその後、大学卒業とほぼ同時に彼と別れて以来、彼がどうしているのかも知りませんし、私も別の人と結婚して娘を授かりました。今は幸せですし、中絶を選択したことを後悔しているわけではありません。それでも、あのときのことを思い出すことがあります。もし、あのとき子どもを産んでいたらもう中学生になるのかな、男の子だったら反抗期で大変かもしれないな……などと想像をしては、ほんの少しだけあのとき産めなかった子に思いを馳せるのです。 中絶は苦しく悲しい体験でしたが、この先私はこのことを夫や娘に話すことはなくても、きっと忘れることはないと思います。産めなかった子どものことも忘れずに時々思い出すということが、私が親として唯一あの子にしてやれることなのです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:坂本ひろ子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月07日妊娠検査薬で陽性反応! 喜びをかみしめつつも次の行動にうつらなくてはいけません。先輩ママたちは妊娠がわかったあと、どのような行動を取ったのでしょうか? 今回は、妊娠がわかったあとのママの体験談をまとめてご紹介します。 妊娠がわかり、まずは自分の体調をしっかり管理しました。風邪を引かないように栄養あるものを食べ、サプリメントでも補うようにしました。人混みに出かけるときは必ずマスク。帰ってからは手洗いうがい。夫にも徹底させました。 すぐに職場の上司と周りの人に伝えました。そのおかげでつわりのときも休みやすかったし、いろいろ気にかけてもらえました。職場の環境にもよると思いますが、伝えることでこちらも安心できるし、職場の人も後任のことなどを考える時間がたくさんできたのでよかったようです。 第一子のときは、月経予定日から1週間で陽性が出て、慌てて産院を調べました。その後すぐに産院で診てもらいましたが時期が早過ぎたようで「また来週来てください」と言われてしまいました。そのため第二子のときは、月経予定日から2週間後に検査して産院へ行きました。 私は早くから婦人科へ受診したら、医療費も少し多くかかってしまうんじゃないかと思い、何週間か経ってから婦人科を受診しました。すると、分娩できない婦人科だったため、すぐ産む病院を決めるように言われました。近くの病院へ予約を取ると、予約いっぱいで断られてしまい、なんとか金額の高くない病院へ入院予約を取ることができました。半年以上先なのに、もう予約いっぱいだったので、ビックリしました。妊娠がわかったら、すぐに産婦人科へ行ったほうが良いのだと思いました。 とりあえず夫には連絡し、他の人には病院に行って心拍が確認できるまでは何も言いませんでした! 妊娠がわかったあとのママの体験談をまとめてご紹介しました。妊娠判明後は産院選びや体調管理などすることがたくさんありますが、これから始まる出産までの長い期間を穏やかに過ごせるといいですね。 【関連記事】・妊娠検査薬のすべてを徹底解説!妊娠検査薬はいつから使える?どれがいい?・基礎体温の正しい測り方や正常値・異常値・妊娠時の高温期と低温気の変化について
2020年02月07日1歳半をすぎると、徐々に言葉が増えてきてかわいい盛り。ところが、わが家の長男が最近習得した言葉で大変困っているものがあります。それはズバリ「いたいよー!」。二言目には「いたい」と叫ぶので、虐待だと思われないか、いつも心配になります。 お風呂場でも「いたいよー!」お風呂場に入ったとたん「いたいよー!」が始まります。いつもお風呂場の窓を開け放っているので、間違いなく声は外にダダ漏れ。「お風呂場で痛いこと+子どもに熱湯でもかけている?=虐待」と思われそうで不安です。 「はー、始まった……」と思いつつ、長男に向けてというよりは、外を通る未知なる人物に向けて「いたくないでしょお~。あったかくて気持ちいいよねえ~。きれいきれいしようねえ~」と大声で話しかけ、「虐待していませんアピール」をする日々です。 ママの姿が見えなくなった途端にトイレや洗濯干しでママの姿が見えなくなると、とたんに絶叫が始まります。「ママーっ!!」と見つけるまで大声で叫び、最近覚えた「ねーどこー!?」に続きます。 外に聞こえるほどの大声なので、ご近所さんに「幼児を置き去りにして親が外出している+育児放棄=虐待」と思われるのではと気が気ではありません。私の返事が息子に届かないものなら、「いたいよーう! いたーい!」と習得した言葉が始まります。 きょうだいとのやりとりでも「いたいよー!」長女とおもちゃで遊んでいて、取り合いになると「いたいよー!」が始まります。長女が手をあげた形跡はないのですが、「いたい」を繰り返します。食事中もエプロンをつけると「いたいよー!」、苦手な野菜を食べさせようとすると「いったいよー!」です。歯磨きはもちろん断固拒否。無理に磨くと「いったーいーっ!」。 こんなに連呼されると、「あの家では子どもが1日中痛い目に合っている=虐待」と思われても無理ないレベルです。 「いたい」という言葉を発したときの家族の反応から「注目が集まる」ということを覚えたのかもしれませんが、なかなか厄介な言葉です。しばらくはこちらも大声で「虐待していませんからアピール」を外に向けて続けていかなくてはならなさそうです。みなさんのご家庭でもそんな「困った」はありませんか? 監修/助産師REIKO著者:伊川 遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2020年02月07日つたい歩きを始めた生後9カ月の次男。私がしっかりドアを閉めなかったことが原因で、ドアに指を挟んでしまい爪が剥がれる事態に。泣き叫ぶわが子を強く抱きしめ、心から「ごめんね」と謝るしかなかった私の体験談をご紹介します。 つたい歩きで私を追いかける次男次男が生後9カ月になったころのこと。つたい歩きがじょうずになり、自分の行きたい場所へ自分で行けることがうれしかったようで、よく私を追いかけていました。そんなある日、リビングのドアを開けたまま玄関を掃除していると、ぺたぺたとつたい歩きをして近づいてくる次男の足音が聞こえてきました。次男が来る前に、玄関の掃除を終わらせようと急いでいると、急にドアが「バタンッ」と閉まり、それと同時に次男の大きな泣き声が……。 指の先端が真っ赤に…慌ててドアを開けると、指を挟んだようで指の先端部分が真っ赤。痛がって号泣している次男の姿がありました。保冷剤で指を冷やしますが、泣き止まない次男の様子に、心底ドアを閉めなかったことを後悔。「ごめんね! ママが悪かったね! 痛かったねぇ……」と、私も必死になって次男をなだめました。挟んだ指をよく見ると爪の中に空気が入っているように見えます。次男が落ち着いたので、その日はとりあえず様子を見ることにしました。 爪が剥がれる事態に…指を挟んでから数日の間は、内出血をして赤紫色になり、少し爪から膿が出ていました。それが約1週間もすると爪の間に隙間ができ始め、浮き上がっているような状態に。次男が爪を引っかけないよう、絆創膏を巻いて保護します。しかし、何かの拍子で絆創膏が取れてしまったようで、ついには付け根を残し、爪がベロンと剥がれてしまったのです。次男の痛々しい小さな手を見て、「本当にごめんね」と涙……。強い自責の念に駆られました。 その後すぐ皮膚科に行って簡単な処置をしてもらい、爪が生えてくるまでは常に絆創膏を巻いてあげるようにとのことでした。帰り道、キャッキャと楽しそうに笑う次男の笑顔を見て、この子がなるべく痛い思いをしないよう、注意していかなければいけないなと強く思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:堀江ゆうき二男の母。現在第三子を妊娠中。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2020年02月06日現在、夫の実家近くに住みながら、3人の子どもを育てています。夫には妹がおり、妹家族も近くに家を構えて住んでいて、同じくらいの子どもが3人います。いとこたちに会うと子どもたちは楽しそうに遊んでいますが、ふとしたときに義母の対応の違いが感じられて切なくなります。 旅行に誘われない妹家族の家は別に構えているものの、パパの仕事が忙しく帰りが遅いため、食事やお風呂などはすべて実家で済ませています。 そのため、ずっと一緒に住んでいるような感覚なのでしょう。連休にはたびたび義母と妹家族で旅行に出かけており、わが家はまったく知らされません。もしかしたら妹家族が旅費を出していたりするのかもしれませんし、うちに気をつかってくれているのかもしれませんが、なんだかちょっぴり寂しい気持ちになります。 誕生日を忘れられる妹家族は義母とほぼ一緒に過ごしているため、子どもたちの誕生日も毎回一緒にお祝いしている模様。しかしわが子たちは3人目が生まれたころから誕生日については触れられなくなり、「おめでとう」とも言われなくなりました。 数年前に義父が亡くなり、孫が多くなり、義母も大変なんだろうとは思います。でも、「おめでとう」も言われなくなるのはやっぱり寂しいものがあり、その傍らで妹家族が一緒にお祝いしているのを知ると、なんだか差を感じてしまいます。 「うちの子は…」と言われる義母にとっては何気ないひと言なんだと思いますが、妹の子どものことを「うちの子たちは……」といつも言います。実の娘の子どもですし、ほぼ一緒に暮らしているようなものなので、そう言うのも不思議ではありません。 でも、「うちの子は」と聞くたびに、私や私の子どもたちはよそ者扱いされているような感覚になります。義実家近くに住んでもう8年になりますが、なかなか関係的な距離は縮まらず、私の足も遠のく一方です。 近いのになかなか足が向かない義実家ですが、行けば子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいますし、義母も子どもたちにやさしく接してくれるので特に問題はありません。義母の何気ない一言や行動にちょっぴり切なくなることもありますが、適度な距離感で良い関係を保つほうがいいのかなと思うようにしています。 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月06日寒くなるとスノースポーツを楽しむという方も多いと思います。インドア派のわが家でも子どもと雪遊びがしたい、雪を触らせてあげたいと思ったのですが、雪遊びは出費がかさみます……。そこで、わが家が頼ったのはユーズドショップでした。 雪遊びをさせてあげたい!冬になると、スキーやスノーボードの広告をよく目にするようになります。子どもと一緒でも楽しめる! なんて謳い文句を見ると、スキーが少し滑れる程度の私でも、子どもに雪遊びをさせてあげたいと思ってしまいます。けれども、雪遊びができるほどの積雪量がない地域に住んでいるため、少し遠出をしなければなりません。子どもとの遠出は夫婦だけの旅行よりも出費がかさみます。さらに、雪遊びに必要な服も靴もないため、一から揃えるとなるとかなりの出費に……! ユーズドショップへ!子どもが汚してしまうことを考えると、レンタルのウェアは少し気が引けてしまいます。そこで、友人からすすめられてユーズドショップを見てみると、子どものスノーシューズやスキーウェアがたくさん売られていました。状態もそんなに悪くないことにもビックリ!ウィンタースポーツは年に数回しかチャンスがないけれど、子どもは1年で服や靴のサイズが変わってしまうことも少なくないため、ユーズドショップに売る人が多いのだとか。同じ理由で、わが家もユーズドショップでスノーアイテムを購入することにしました。 わが家の節約ポイントユーズドショップを訪れる前に、もう遊ばない子どものおもちゃが何点かあったので買い取ってもらうことに。一揃いごと袋にまとめておくことで、買い取ってもらいやすいというのも友人からの情報でした。買い取り金額は大したことはありませんが、買い取り品があると駐車場のサービス券がもらえる店舗もあります。脱ぎ着がしやすい服装と、スノーシューズを購入することも考えて少し厚手の靴下を履いていくなど、試着しやすいように服装を整えていくことも大事だと思いました。子どもとの買い物は時間との勝負なので、家でできる準備は大切だと感じました。 その結果、新品を購入するよりもウェアーと靴を合わせて3,000円ぐらい節約することができました! こんなふうに準備を進めて出かけた先は、人工雪の子ども向けのソリ遊び場。子どもたちは大人がへとへとになってしまうほど雪遊びを楽しんでくれました! 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月06日1人目で、36時間の出産を経験しました。2人目のときは、妊娠40週0日に陣痛が来て入院。先生から、また長時間の出産になる可能性もあるため陣痛促進剤を使用するかどうかの判断を迫られましたが、薬を使わず自然に産むことを決断。「歩いてください」という先生の助言を受け、私がどのように陣痛を乗り越えたかを紹介します。 とにかく歩いて下半身を動かした2人目は、妊娠40週0日のときに陣痛が来て入院。入院中は院内の自由に歩くスペースを利用して、夫と一緒に散歩気分でとにかく歩きました。陣痛の波が来ると壁にもたれかかり、テニスボールで尾てい骨付近をグッと押してもらいながら痛みに耐え、ゆっくりとした呼吸を意識しました。 私の場合は、ベッドで横になっているよりも歩いたほうが痛みを強く感じ、陣痛間隔も5分間隔から2〜3分間隔へと狭くなってきたので、「この調子! もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ!」と前向きに考え、足を動かしました。 水分補給はラズベリーリーフティ 私は1人目の妊娠後期〜出産時に、インターネットでお産を軽くすると話題になっているラズベリーリーフティを飲みながら過ごしました。2人目の妊娠後期は1人目のときと同じように、安産になると信じお守り代わりに飲み続けていたので、陣痛中もこまめにラズベリーリーフティで水分補給。 陣痛中は不安と緊張が続き、心身ともに疲れが溜まってくるのですが、ラズベリーリーフティを飲むとホッと気持ちが軽くなり、本当によかったです。 夫と前向きな楽しい会話を心がけた陣痛中、夫と歩き回っているとき、できるだけ私は「痛い、つらい」などの言葉を発さないように心がけました。「赤ちゃんに会えるの楽しみだね、どんな子かな?」と想像を膨らませたり、陣痛の波が来るたびに、「いい陣痛が来たね! きっともうすぐだね!」と夫と2人で声を掛け合いました。 私にとって苦しい陣痛ではあったものの、心強い夫と二人三脚で楽しく、陣痛〜出産を乗り越えられたことが一番の良い思い出です。そして私たち夫婦が、「早く会いたい」という言葉をかけていたことが赤ちゃんに伝わったのではないかと信じています。 結果的に2人目の出産は陣痛開始から15時間の出産となり、1人目の36時間の出産と比べて、半分以下の分娩時間で済みました。先生からは「頑張って歩いたから赤ちゃんも早く出てきてくれたんだね」とうれしい言葉をかけてもらい、肩の力が抜けたことを覚えています。陣痛中によく動き、よく笑った結果、1人目のときよりも早く赤ちゃんに会えたことは私にとって最高の思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日赤ちゃんと一緒にお風呂へ入るのは、時間との勝負! 自分が先に入ったり、赤ちゃんを先に入れてみたりいろいろなプランを試してみても、湯船にゆっくり浸かることはなかなか……。そんなときに短い時間で体を温めてくれる入浴剤、バスクリン「きき湯 ファインヒート」を紹介します。 寒い冬はお風呂が億劫…ママにとっても、赤ちゃんにとっても寒い冬のお風呂は大変。浴室をあらかじめ温めておいたり、すぐに服を着せられるように肌着と服を重ねて用意しておいたりと、赤ちゃんのためにいろいろな工夫をしても、自分の入浴時間はほんの一瞬だけ。 冷え性の私にとっては、それが睡眠不足の原因にもなっていました。寒くて眠れない、翌朝も体が冷えて動き出せない……。そんな状態でした。 短時間で体を温めるためには?そんなときに出合ったのが「きき湯」でした。CMで何度も見ていたこともあり、試してみようかとドラッグストアに行ってみると、「きき湯 ファインヒート」という商品を発見。 温浴効果を高めて血行を促進してくれることなどがパッケージに書かれていました。なかでも私が惹かれたのは、「湯上り後がラクに!」の言葉。コレだ! と思い即決。その日はお風呂に入るのが楽しみでした。 いざ、入浴!息子は肌が弱いので、念のため息子を出した後で「きき湯 ファインヒート」を浴槽に入れてみました。プラスチック製の容器の中に、小指の先端ほどの大きさの粒が入っていて、容器のフタの線に合わせて入浴剤の量をはかります。それをお湯の中に入れると一斉に泡が出現! 固形状の発砲タイプの入浴剤は、1カ所から泡が出るのに対して、「きき湯 ファインヒート」は浴槽に散らばる粒の一つひとつから泡が出るので、鍋で湯を沸かしているときのように無数の泡が立ちました。入ってみると、設定温度は同じなのに、熱が体のなかに染みこむような感覚が味わえ、一度で病みつきみなりました! 入浴後、体に染み込んだ熱は布団に入ってからも冷めることはなく、翌朝までぐっすりと眠ることができました。おかげで、日中も体が軽く動かしやすかったです。後日、息子も一緒にこの入浴剤を入れたお風呂へ入りましたが、肌にはこれといった変化はなく、むしろ、泡がたくさん出てくるお風呂に大喜びでした! 冬のお風呂は、もうこれなしでは入れないかもしれません。 ※本記事の内容は公開時に確認した情報のため、商品によっては変更となっている場合があります。※きき湯ファインヒートはお子さまの手の届かない場所に保管し、誤飲等にご注意ください。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日心身ともにのびのびと育ってほしいと願いながらも、成長曲線や生後○カ月には何ができるなどの“標準”にとらわれ過ぎてしまい、長女自身の成長を認めずに怒ってしまっていた経験があります。 体重がなかなか増えない悩みが始まりもともと小さめで生まれた長女は、おっぱいの飲みもあまりよくないため体重が増えず、健診のたびに保健師さんから指導されていた私は、成長曲線の標準に入れるために離乳食作りや授乳など、とても気をつかっていました。 しかし娘はそんな私の頑張りなど関係なく、晩ごはんを食べずに眠ったり、日々の食事もほんの少しのご飯を食べたりするだけでした。食事に手をつけないことに怒り、しつこく食べるように言ったり、時には無理やり口に運んだりと、今思えば余計に食べたくなくなるような方法をしていました。 標準でないことが許せない長女の体は小さめでしたが、早い時期から明瞭に話せていました。おむつがはずれたのも1歳半ごろで、保育者の言っていることを理解している行動も見られ、親バカですが賢い子だと期待していたのです。 他のことはいろいろと月齢以上にできるのに、あまり食べずに小柄なままの長女。健診では必ず指導を受けるという状況に、ますます長女に食べさせようと躍起になって怒る悪循環でした。なぜここだけができないのかと、目の前のわが子ではなく母子健康手帳のグラフとにらめっこをしていました。 新たな視点をくれた医師3歳児健診の際、自分で病院を選んで予約をとっていくシステムだったので、ママ友の間で評判の良い小児科を予約してみることに。当日はやはり体重が少ないことを指摘されましたが、ただ指摘で終わるのではなく、今までの推移と目の前の長女を見て、体重は少なめだけれど増え幅は安定していることや、顔色はよいことなどを話してくれました。 医師は「よく食べる子に食べさせないのは親ができるけど、食べない子に食べさせるってすごく大変だよね!」と言ってくれて、その場で大泣きしてしまいました。長女に対して過度に期待をかけ過ぎていたのと、健診のたびに指導されたくないという見栄からきつく怒っていたことに、医師の言葉から気づかされました。長女なりのペースで成長していることを本当に理解したあとはとても気持ちがラクになりました。 しかし、長女には申し訳ないことをしたと本当に後悔しています。小学生になった今も食は細いほうですが、大きな病気などなく元気に過ごしてくれていることが何よりうれしいです。 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月04日私の息子が生まれたとき、すでに下の前歯が1本生えていました。生まれたときから歯が生えている赤ちゃんはまれにいるらしく、その歯は「魔歯(まし)」と言われているそうです。歯のぐらつきもなく問題なければそのままで大丈夫なのだそうですが、息子の魔歯にはぐらつきが……。窒息の危険もあるため、歯科で抜歯することになりました。 そもそも「魔歯」って何?生まれたときからすでに生えている乳歯のことを「魔歯」と呼ぶそうです。魔歯は決してめずらしいものではなく、まれに見られるそうです。 魔歯は、ぐらつきや歯自体に問題がなければ、乳歯としてそのまま残すことも可能ですが、通常の乳歯に比べ少し黄ばみがあり、虫歯になりやすいため、抜歯することが多いのだそうです。 「魔歯」がある息子。産婦人科では…私が出産をした産婦人科は個人病院でした。院長先生は息子の魔歯を見ても驚くことはありませんでしたが、その産婦人科では初めての出来事だったようで、助産師さんたちはとても驚いていました。 助産師さんたちは、息子に育児用ミルクを飲ませるときに「魔歯が抜けて窒息してはいけない!」と、とても緊張したと言っていました。その後、院長先生と相談し、息子は先生に紹介してもらった歯科で早めに抜歯しようということになりました。 生後5日目、紹介された歯科で抜歯息子が生後5日目のとき、産婦人科の先生に紹介してもらった歯科に行き、抜歯してもらいました。麻酔もなしとのことで、はじめはとても心配しましたが、元からぐらついていた歯だったため、すぐにポロッと抜けました。 息子もまったく痛みはなかったようで、終始眠ったままでした。魔歯を抜歯した息子は、もう永久歯まで前歯が生えてきませんが、虫歯になったり窒息の危険があるよりはよかったと思っています。 生まれてくる赤ちゃんにまさか歯が生えているとは考えもしませんでしたが、経験豊富な先生と助産師さんのサポートのおかげで、安心して抜歯までの処置を見守ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月04日