皆さんは、夫婦関係のお悩みはありますか?今回は子育てに文句をつけるモラハラ夫を紹介します。イラスト:ぬゆのモラハラ夫主人公の夫はモラハラ気質で、文句を言うのが日常茶飯事でした。ある日、主人公は子どもの学校の懇談会に出席します。すると、担任の先生が子どもの学校生活について教えてくれました。いくつかアドバイスをもらったので、夫にも報告すると…。夫が激怒出典:CoordiSnap普段は子育ての話をするとめんどくさがる夫が「お前の子育ての仕方が悪いんだ!先生の話を真に受けるな!」と激怒したのです。ついに堪忍袋の緒が切れた主人公は、先生のアドバイスを素直に聞き入れない夫に反撃。今後すべての懇談会に参加するよう求めます。何も言えなくなる夫の姿を見た主人公は、スカッとしたのでした。モラハラ夫に反撃懇談会に参加もしない夫が先生のアドバイスに文句を言うのは驚きですよね。モラハラ夫にガツンと反撃した主人公のおかげでスッキリするエピソードでした。※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。
2023年06月08日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。前回初めて 『文豪クズ男列伝』 を書いてみましたがいかがでしたか?ちょっと刺激的な内容ではありますが、作家の人生や創作に大いに影響を及ぼした恋愛事情を紐解くと案外身近に感じられたり、興味をそそられたり…ということもあるのではないでしょうか?前回の記事には「こんな作品があったんですね!興味が湧いてきました」「角度を変えて見ると面白いですね」などのコメントもいただいて、描いて良かった〜と思っています。それでは今回も 谷崎潤一郎の人生を追っていきます…!恋多き男の本領発揮!あんなに揉めたのなんだったの離婚良妻賢母の妻・千代を友人である佐藤春夫に譲る譲らないで大揉めに揉めたのに、結局離婚することになった谷崎…。その後、当時雑誌の記者をしていた丁未子と再婚するのですが、裏ではまたまさかの別の女性の影が…。それは、豪商の人妻松子。美しく理想通りの女性・松子を崇拝する谷崎でしたが、人妻で自分のものにならないので丁未子と結婚。ところが、松子の夫の店が倒産し松子から頼られるとすぐに交際スタート。松子の離婚も成立しないうちから同居を始めてしまうのです。ここまでくるとため息しか出ないんですが、私が複雑な気持ちになったのは、この松子とその姉妹が谷崎作品の中で一番好きな『細雪』のモデルだったことです!『細雪』は昭和初期の裕福な大阪町人の日常を見事な美しい文体で表していて、それぞれ種類の違う花のような四姉妹の何気ない会話や仕草が目に浮かぶような表現が素敵な名作です。当時は戦争も始まり社会はそれどころではなかったのでしょうが、それでもやはりこの作品が愛されたのは、庶民にとって身近なようで手の届かない美しい人々への憧憬があったからなのかなと思います。谷崎は理想の女性に家事や所帯じみたことはしてほしくない人だったそう。『細雪』を読んでいても舞台が裕福な家ということもあり、四姉妹が家事をするような場面はほとんど出てきません。時間をかけてお出かけの着物や帯を選んだり、どこそこで食事をしたり帰りに半襟をあつらえに行ったりコンサートを観に行ったり花見に行ったり。悩みといえばなかなか結婚相手の決まらない三女や自由奔放なモダンガールの四女の生活のこと。日常の美しいところだけを切り抜いた近代の絵巻物的な印象があるんです。日常生活にも徹底的に理想を求め続ける男!でも実際の生活ってそういうものではないですよね?だから結婚後の松子も谷崎の理想の女性(人目を忍んで逢っていた頃のまま)を演じ続けることにとても苦労していたそうです。いやーこうして見ていくと、谷崎潤一郎の人生ってリアルに光源氏みたいって言われているのもわかりますよね…。※こちらはあくまで谷崎潤一郎の世界観のイメージです平安時代だし、物語だし!で許されてたけど実際にこんなことするんだ…と思うと引きますね。当時の日本の現実からはかけ離れた西洋的、ファム・ファタール(男を堕落させる悪女)への崇拝が強く、その姿を妻になる女性に求め続けるというTHE自分勝手&癖が強すぎる谷崎ですが、そんな谷崎だからあの耽美でちょっと猟奇的な世界観に満ちた名作が生まれたんだ…と思うとなかなか複雑な感情になってしまいます。ですが…ただの胸くそクズ男なだけなら後世に名を残すことはないでしょう。女性たちが谷崎の世界に巻き込まれて不幸になっていっただけなのか…と言い切ってしまうのもちょっと違いそうです。なぜなら谷崎との関係に悩む女性たちの相談に乗っていたのは元妻や身の回りの人々だそう。女性へのちょっと変わった性癖や数々の問題点はあれど、面倒見の良い側面があったり、千代に対しても感謝の思いは示していたようです。平凡がいいよね…と気づいてしまったけれど才能に恵まれたアーティストの数奇な人生…であることには間違いないですが、それを陰で支える人々の人生や苦労にも注目してみるとまた違った楽しみ方(と言っていいのかな…?)ができるのかもしれませんね。最後に。谷崎先生、クズクズ言ってごめんなさい! 人間性としてはマジかよ? 大丈夫? と思いますが、それでもやっぱり変わらず作品は大好きです!!
2023年05月31日赤ちゃんが生まれて、家庭環境が変わったという人は少なくないでしょう。子育ては、赤ちゃんだけでなく、家族全体にとっても重要なライフイベント。夫婦共働きの世帯が増え、社会の考え方も少しずつ変わってきています。usao(_usa_ooo)さんは、夫との子育てを通じて、育児休暇に対する考え方が変わったそうです。『育休』usaoさんが出産し、新たな家族が増えたため、夫のKさんは育児休暇を取得することに。大きな決断をしたKさんや、Kさんの職場が育児に対して理解を示してくれたことに、usaoさんは感謝していました。家族で過ごす時間が増え、のんびりと1日を過ごすようになったものの、Kさんに気を遣わせてしまっていないか、不安になった、usaoさん。そんな時、Kさんがusaoさんに声を掛けます。「オレ、週に1回…」夫からのお願い事とは実は、Kさんは育児休暇を過ごす中、パソコンで日記をつけていたのです。「妻からのコメントも欲しいから、暇な時に入力してほしい」と頼まれたusaoさんは、ある夜、パソコンを開きました。すると、Kさんの育児日記に書かれていたのは、季節の移り変わりや、公共施設の子育て設備への気付きの数々。「育休を取ってよかったし、もっと取りやすい世の中になってほしい」という願いを結びに、作品は締めくくられています。【ネットの声】・こんな育児日記を書いてくれていたら、私なら読んだ時に泣いちゃうな…。・改めて、夫婦で協力しながら、子育てをしていきたいと思いました。・優しさと愛にあふれた、いいパパさんです。素晴らしい。両親にとっての子育てとは、子供の成長を見守る喜びを味わえるだけでなく、心の豊かさも養える期間なのかもしれません。家族で力を合わせて、コミュニケーションを取りながら、大切に過ごしたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2023年05月11日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。活字離れが進んでいると言われる昨今ですが、子どもだけでなく大人の皆さん…読書していますか?私は昔から本が大好きで歴史好きでもあるので純文学と呼ばれる近代小説は大好物です。エッセイのような軽妙さや気楽さは無く、芸術性を追求した表現が多かったり、その時代のことを知らないと良さが感じにくい部分があって難しい部分もあるのですが…。でも、だからこそ(私の拙い画力と文章ではありますが)、ちょっと視点を変えて紹介することで作家や作品に興味を持ってもらえたら…と思って書いてみることにしました。教科書にのってる文豪ってひどい男が多くない?ってことで『クズ男列伝!』スタートです!ええ…作品は輝くばかりの芸術性、美しい文章に彩られているのに書いてる作者のクズエピソードのひどいこと…。もちろん時代性を考慮すると仕方のないことはあるのですが、まぁ現代の感覚ではドン引き必至ですね。(※クズなんて刺激的な言葉を使ってはいますがあくまでも人物像と恋愛遍歴は別物だし、作者の経験あってこその作品の創意性というのは大前提であることはご了承ください。)では早速いってみましょう!今回紹介するのは近代の耽美・陰鬱私小説の大家、谷崎潤一郎先生です!なぜこの方を一発目に持ってきたのか…実は私は谷崎作品が大好きだからです。幼少期からどこか陰のある妖艶な美女や威勢よく啖呵を切る美人に惹かれていた私にはピッタリの理想的な女性たちが谷崎作品では描かれています。…とそこに現れたのはいつもの歴史案内人、おこんさんたち。ですが…?なるほど…今回はちょっと子どもには刺激強め〜…というか説明しにくい〜…モゴモゴ…な内容が含まれることになりそうですな。というわけでたぬ君に子守りを任せておこんさんと女ふたり旅と行きますか。恋多き男…谷崎潤一郎の女性関係図まずは、谷崎潤一郎をめぐる女性関係図を整理してみると…。めっちゃくちゃ複雑なんですけど!?3回結婚しているのは良いとしても、なんで同じ家の姉妹やら人妻やらと結婚したの…?ですが、この時代には姉妹を娶るということはおかしいことではありませんでした。ただ、例えば妻に先立たれたために身の回りの世話(当時の嫁への価値観がわかりますね)のため独身だったその妹をもらうとか、家同士の結婚という考え方の下では特に問題ではなかったのでしょう。でもこの人の場合はちょっと事情が違うみたいなんですよ。早くもうーん、ひどい。初さんに惹かれるのは分かります。私もこういう女性、好き。でも初には旦那がいるから「仕方なく」「姉に似ているだろうと思って」妹の千代と結婚…。平安時代のクズ男代表『源氏物語』の光源氏が若紫を拉致する理由に通ずるものがあって風情があると言えば…いや理解が難しい。(片想いの義母に所縁があって面影のある少女を自分好みに育てようという…現代の感覚だとあり得ない理由です)しかしながら妹の千代さんはいなせで悪女味ある元芸者の初とは違い、家庭的で夫の言うことをよく聞く良妻賢母。わがままで生活の一つ一つに強いこだわりのある夫に支える控えめな奥さんなんて、妻の鑑といった感じで羨ましい限りだと思うんですが、逆にそれが気に入らない谷崎先生は次々と“妻殺し“や“夫婦の不和“をテーマにした作品を量産してしまいます…!!小説の中で千代をモデルにしていると思われる女性は常に「地味な縞」の着物を着ていると表現されているんですが、実際に残っている千代の着物を見ると慎ましい渋い色の紬や鮫小紋、縞が多くて、これまた切なくなってしまいます…。千代さんは後に谷崎の親友でもある作家の佐藤春夫と(谷崎と離婚後)再婚するのですが…千代を譲る譲らないで揉めています。でも千代さんが最終的に佐藤春夫と落ち着いて良かった…と思ってしまいます。(自分は良妻賢母タイプでも無いのに勝手に千代に感情移入するのはやっぱ女性視点だからでしょうか…)癖が強い…狂気溢れる作品の数々一方で谷崎は初への憧れを強くし美しい悪女をヒロインとした『お艶殺し』『神童』などの作品も生み出します。中でも狂気溢れるフェティシズム・被虐趣味を体現した作品が『富美子の足』という短編。いやぁ…性癖ィ………しかし才能溢れるクズ男による理想の女性を探す旅は始まったばかりで次のターゲットは、初と千代の妹…!初と千代の妹の「せい」は谷崎と出会った当時はまだ少女。スラリとしなやかな体つき、そしてどこか若い時から妖艶さ&性への奔放さを持っていてこれが谷崎の理想に見事にハマったようで…。この時期に描かれたのが谷崎作品の代表作の一つとも言える有名な『痴人の愛』。若く美しく奔放な女性をわがまま放題にさせ女王のように扱って傅く男のマゾヒスティックな愛は、まさに谷崎が求める女性との関係性だったんですねぇ…。いやぁ…だから性癖ィ………個人的に一番クズみが強い! と思ったのは、せいとの結婚を考え千代を佐藤春夫に譲ろうとしたのに、まだまだ若く遊びたい盛りのせいに断られて前言撤回し、結果佐藤と絶交してしまった『小田原事件』。その後現れる別の女性のために谷崎は結局離婚し、千代と佐藤は結婚することになるんですがこの事件は世間から誹謗中傷を受けて千代と佐藤も大変な思いをしたそうです。クズ男に振り回された誠実な千代さんを思うと言葉が出ないtomekkoでした。さて、大先生の女性への偏向的な執着は同族姉妹の間だけでは済まなかったようで…。まだまだ谷崎のクズ烈伝は続くのです…!
2023年05月10日嫁姑問題に、頭を抱えている方も多いのではないでしょうか……。もし息子の奥さんが、家電からベビー用品までたかる強欲妻だったら……?職場の先輩と、その息子夫婦の間でのお金に関するトラブルをリアルに伝える漫画家ライコミ(@ricomichan)ちゃん。今回はそんなライコミちゃんの大人気マンガシリーズ、「”強欲すぎる”息子夫婦との闘い」第7話をご紹介します!【前回までのあらすじ】主人公のライコミちゃんは、ある日、同じ職場で働く年配の先輩ハルちゃんの愚痴を聞きます。ハルちゃんは、息子の奥さんが非常識なことで悩んでいたのでした。ハルちゃんの愚痴を聞いた数ヶ月後、話の続きを聞く機会があったライコミちゃん。どうやらハルちゃんの娘から電話で「弟夫婦と縁を切る!」と言われたそうです。しかし、ハルちゃんも娘の意見になぜか同意し……。娘の意見に同意し……?我慢の限界に達し……一通り愚痴を言うと……?愚痴を言いきったハルちゃんは、元の優しい笑顔に戻り……。そして、愚痴を聞いてくれたライコミちゃんに感謝します。突然、息子夫婦の愚痴を話し出したハルちゃん。ライコミちゃんは、自宅に帰りハルちゃんの愚痴を思い出します。果たして、“嫁姑問題”の原因は、誰にあるのでしょうか?
2023年04月30日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。突然ですが…みなさんは“推し”がいますか?少し前までは一部のオタク趣味と言われていましたが、コロナ禍を経て(?)主婦&子育て層もドッと増えたと言われる推し活。自分が応援したい人=推しを見つけて応援したり動画を見たりグッズを買ったり音楽を購入したり…最近では「推し事(おしごと)」ともいうみたいですね!表立っては言ってませんが、例に漏れず私も推しの底なし沼入りしております。正直これまでの人生全く興味のなかった分野だったのに、推しに出会ってしまったせいでズブズブと…。妻の推し活を冷ややか〜な目で見ている夫ですが、よく考えたら子どもたちだって変形ロボットや野球のスター選手、戦国武将などそれぞれの琴線に触れる推しを見つけて日々楽しんでるんだもん。母だって推しで癒されたり(時間溶かしたり)したっていいじゃないですか?!…なんて言っていたら、日本史好きな長男がこんな疑問を投げかけてくれました。「推し活って昔もあったのかなぁ?」よくぞ聞いてくれました〜〜〜!推し活の歴史といえば?私は以前から歌舞伎鑑賞が趣味なのですが、六代目中村勘九郎さんがまだ勘三郎だった頃に友人に誘われて行った平成中村座。江戸っ子たちが日夜通い詰めていたであろう芝居小屋を再現した造りで、役者さんの汗の粒さえも肉眼で見える距離に驚いた記憶があります。その芝居小屋の中でも特に印象深かったのが『御大尽席』。高額なチケット代を支払えば特別なサービスを受けることができるそう。つまり、江戸時代だって“推し”に感謝&特別扱いされるために必死にお金をかけた人もいたわけです。日本史上調べればもちろんいろいろな流行はあったわけですが、推しという『個人』を『一般庶民』がお金をかけて応援する、というブームがはっきりと見てとれるのはやはり江戸時代。歴史案内人のお二方と一緒に江戸時代の推し活について見ていきましょう〜!歌舞伎の発祥は以前こちらの連載でも取り上げた通り出雲阿国が始めたかぶき踊りですが、そのブームを遊女屋が真似て客集めをしたことで「たくさんの演者」の中から好みの1人を選ぶ、という形でした。舞台に立つのは遊女(禁止されてからは若衆と呼ばれる男娼)であり、客は誰を買うか「品定め」しているので、この時代の歌舞伎は今でいう「推し活」ではないようです。(「推し活」は推しが発信するコンテンツを楽しんだり、活動を応援したり、勝手に貢ぐこと(お布施?)で払った以上の精神的快楽を得る活動ですから!!)どちらかというとお店の入り口の写真からホステスを選んでいるのに近いんでしょうね…。さて女歌舞伎も若衆歌舞伎も風紀を乱すという理由で禁止され、成人男性のみの野郎歌舞伎が定着し定期的に公演されるようになっていくと、いよいよ「推し活」文化が隆盛していきます。芝居小屋は舞台を三方から見下ろすようにできており、上の階に行くほど席代は高くVIP扱いとなります。前述の「御大尽席」は当時「上桟敷」と言われ、この最も高い席には贔屓の役者さんが直接ご挨拶に来てくれたり、公演後は芝居茶屋と呼ばれる宴席に役者さんを招待することができたりしたんですって…!え、推しが直接会いに来てくれるなんてそんな世界線あるの…? 想像しただけで息が…!!色男役はもちろん女性たちの憧れのアイドル。本気で恋してしまう女子たちも多かったことでしょう。でも歌舞伎の場合、面白さはそれだけじゃないんです。女性役を務める女形が独自の路線で女性たちの心をつかんで一大ブームを巻き起こします!明和期(1700年代後半)に活躍した二代目瀬川菊之丞という女形は、その美貌と独創的なファッションで女性たちのファッションのリーダーとなりました。髪型から帯の結び方、身につける小物に着物の色などこぞって真似する女性たちは彼の俳号(俳句を読む際に使うペンネーム)にちなんで「路考娘」と呼ばれたそう。現代だと、例えばジャニーズやK-POPなど男性アイドルは疑似恋愛的な対象ですが、女性たちのファッションアイコンになるのは女性アイドルがほとんどですよね。女形(男性から見た理想の女性を演じている男性)が、女性たちに支持されるというのは歌舞伎ならではの特殊な事例なのかもしれません。江戸の男性の推し活とは?では江戸の男性に人気だったのは…?今でいう清純派で身近に感じられる坂道系アイドルなら、茶屋の娘。いわゆるカフェの看板娘です。高嶺の花、セクシー系なら吉原の人気遊女でした。遊女は芸能にも秀でており相当のお金がないと会える機会も無いので庶民は芸能人のような感覚で見ていたようです。いずれも現代のグッズ戦略を彷彿とさせる物販が大盛況。ポスターにうちわにタオル(手拭い)…マジで昔からオタクもグッズも存在してたんです…!男女問わず、相撲の力士も大人気でした。両国で時々見かけるお相撲さんってやっぱりテレビで見るより断然大きくてびっくりしますが、当時さらに平均身長が低かった日本人の中で力士は別格の体格でさらに違いが際立ちますよね。人気力士には役者同様固定ファンがついて、中でも裕福なファンがパトロンとなり宴席に招いて自慢したり金銭的に支援したりしていたようです。インターネットがない時代…どうやって推しを見つけたの?ここまでいろいろな種類の江戸っ子の推し活を見てきたけれど、今のようにインターネットも無い時代にみんなどうやって推しを見つけたり、その良さを広めたりしていたの?そう、推しと持ちつ持たれつの存在「絵師」が大活躍だったんですね。カメラ小僧と言われた人たちは「野鳥でも撮るんか?」ってぐらいのなっがい望遠レンズを担いで写真を撮ってますし、彼らが撮った写真が、公式では出せない臨場感やオタクのツボを突いてバズることでアイドルたちの宣伝になったりしていますよね。ファンがファンを広げていくあの現象です。当時の絵師たちも、役者や遊女、力士などを次々と描いて最新の姿をグッズ化。まぁ彼らの場合は特定の推しを応援するためというよりは、自分の絵師としての人気、商売を確立することが主な目的も大きかったのでしょうが結果的に「○○の描く△△が良い」と評判になって、絵師も推しも知名度と人気が上がるという相乗効果があったというわけです。なんだか本当に江戸時代と現代は似ているな〜と思っていたらおこんさんが「現代の推し活ブームは『自分を取り戻すため』なのかもしれないね」と…。いい学校に行っていい会社に入らなければ、結婚しなければ、子育てに専念しなければ、家庭のために尽くさねば…こんな「あるべき姿」の圧に対して、自分の意志で見つけた推しに、はたから見たら無駄なお金や時間を注ぐ…自分だけの楽しみ。そして同じく趣味の合う人たちと推しの良さを語りあう喜びがそこにはある…。なるほどな〜。私も推しを見つけてから育児や仕事・家事で埋まっていた日々の中に「非日常」な時間ができています。推し活している間は母とか妻とか仕事のこととか、社会の中から期待されている自分の役割とは無関係な「いちオタク」でいられるし、相手の素性は全く知らないままただ同じ人のファンであるというだけのオタ友もできました。ハマりすぎて健康を害したり生活費まで使い込んだり…と生活や身を持ち崩すような状態は良くないと思うので、最低限のルールや常識を持つことは大前提として…「推し活」は精神の解放…というかつまり最高です!そして、さんざん人の推し活を白い目で見ていた夫ですが、スラムダンクの映画三回見てるし 限定グッズ、欲しいんだって! ってことでそれぞれの楽しみがあって何よりです。
2023年03月31日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。暖かくなって目や鼻がむず痒くなってきたなぁ(花粉症)と思ったらもう3月ですね。春らしい可愛らしいお節句、ひな祭りじゃないですか〜!ってウキウキしたいけど…男3兄弟、最近仲間入りした犬まで男の子のわが家には縁の無い話。華やかな雛飾りが飾れなくて寂しいです(涙)でも保育園児がいる間は、制作物で作ってくるのクスッと笑える可愛いお雛様を見るのが楽しみ。目下制作中の三男は、園で聞いて覚えてきたことを事細かに教えてくれます。「今日はおだいりさまのおぼうし作って〜、なんか持つやつ作って〜」「ねぇ冠とか持つ棒(笏です!)ってさ、なんであるの? いらなくない?」そんな合理主義な夫のツッコミにイラッ! としたところで…歴史案内人のお二方に登場してもらいます〜。最近は雛人形の小物が省略されて販売されている商品もあるんですよね。誤解のないように強調したいのは、時代に合わせて改変していくことは賛成しています!古臭いままでは売れない、職人さんも食べていけない。伝統を継承しつつ新しい雛人形のジャンルを打ち立てることは素晴らしい取り組みだと思っています。人形のお顔はその時代の流行を反映するので、後々の研究史料にもなることもあるし、衣裳の色や生地が斬新になるのも良いですね。でもね、やっぱり歴史を知った上で省略しても良いものと絶対に外せないものとあると思うんですよ。というわけで今回はひな祭りと雛人形の歴史を見てみましょう。雛人形のはじまりは…何時代?時代はたぬ君の出身、平安時代。桃の節句は魔除けの意味のある桃にちなんで、厄払いの願掛けがもとになっていました。紙で作った人形(ひとがた)に病をうつして川に流す(地味な)お祓い行事だったようですが、それとは別にこの時代にはもう女の子遊びとして紙人形やミニチュアの調度品を使った、今でいうままごとのような「ひいな遊び」はあったみたいです。それから時代が流れて〜中世には雛人形自体が少しずつ技巧を凝らしたものになっていき…江戸時代には、雛人形は(裕福な家庭限定ですが)女の子の成長を祝って飾るためのものになり、天皇の結婚式を模して豪華絢爛な段飾りになっていき、今に至るのです。私たちの母の時代までは嫁入り道具として揃えたり受け継いだりしていたものです。そんなわけで今に残る雛人形の多くは江戸時代の衣装がベースになるのですが、平安の世からずっと受け継がれている伝統の中で男雛は衣冠束帯、女雛は唐衣裳装束の姿です。男性にとって冠をつけない状態が「恥ずかしい」のはなぜ?私は毎年SNSでひな祭り頃になると絶対にお内裏様の冠は付けてくれ!省略しないで!と騒ぐのですがそれは、以前も 「日本人が恥ずかしいと思うこと」 について描いた記事でも伝えた通り、平安時代の男性にとって冠をつけない状態はとても「恥ずかしい」ことだったからなんです。が…なぜそんなに恥ずかしいのか? をもうちょっと深掘りしてみましょう。実は私も一時期「髷を見せること」が恥ずかしいという解釈をしていたんですが、たぬ君によると実際には当時の冠の構造に理由があったらしいのです!よく時代劇などで、武士は髷を切られることが何よりの屈辱であるというシーンがありますが、この考えの元になるのは平安時代の冠の付け方にあります。髷の髻(結び目)に冠が外れないよう結びつけるようにできているため、この結びつける「髷が無い」ということは当時の「社会的地位を表す冠をかぶれない」ということになるんですね。当時の価値観では自分が真っ当な社会人男性であることの証明のようなものなので、絶対に無くてはならないものだったんですね。他にもお内裏様が持つ笏は、元は大事な儀式で話す内容を忘れないようメモ・カンペとして使っていたものだそうで今はもちろんそのようには使っていません。でもこれが無いとポーズが決まらないんですよねぇ。女雛の小物も例えば髪飾り、釵子(さいし)と言いますが、これも冠と同様成人女性であることを示す「髪上げ」の具です。女性が裳着と呼ばれる成人式を執り行う際に髪を上げていたことが起源。檜扇は平安時代の女性が他人に顔を見せないことがマナーだったことから必需品でしたが、今でも着物の礼装では必ず扇子を脇に挿すものだし、やはり省略して良いものではありません。このように、全てに成り立ちがあり、セットで揃っているからこそ意味がある小物たちなんです!洋装で考えるとわかりやすいのではないかと思います。正式なパーティーの盛装で女性のイブニングドレスから手袋だけを、男性のタキシードから蝶ネクタイだけを「どうせ使わないよね?」と取り上げたら、全体の調和を損なうと思いません?いっそ雛人形の衣装を丸ごとオリジナルで作りました!…というのならなんの文句もありません。現代の価値観で勝手に判断して省略するのではなく、せっかく飾るなら「なんでこんなもんつけてるんだろー?」って疑問から意味や歴史を知る良い機会になると良いなぁと。ちょっと興奮して荒ぶった内容になってしまいましたが…女の子たちの健やかな成長を願う、華やかで楽しい桃の節句を楽しんでください!
2023年03月02日1児のママでもあるライター・かわむらあみりがお届けするコラム【ママライフばんざい!】連載第49回は、生活するにつれて夫婦で意見が衝突しがちなエピソードを3選ご紹介します。1.子どもの習い事でモメる【ママライフばんざい!】vol. 49結婚してからしばらくはラブラブ状態が続いても、生活していくにつれて、お互いの違いを実感することはよくあること。育った環境が違うのですから、物事のとらえ方や考え方に差ができるのも仕方がありません。とくに夫と妻で意見が分かれやすいことといえば、ひとつめは、子どものことについてでしょう。なかでも夫婦で意見が衝突しがちなこととえいば、子どもの習い事でモメる話をよく耳にすることがあります。たとえば、「幼児期から英会話を学ばせたい」など幼児の頃から子どもに英才教育を施したい妻、「元気に育ってくれればそれでいい」という思いから小さいうちはのびのびと育てたいと思っている夫。根本的に理想が違うために、成長するタイミングでの折々にある出来事に、どうやっていきたいか意見が割れてしまうのです。そこに子ども本人の意思は関係なく、親がなんでも決めてしまうと、夫婦でどちらが正しいかという不毛なケンカになってしまうことも…。いずれにしても、大事な我が子の将来を思うがゆえの親心でもあるので、夫婦の考えをうまくすり合わせて、家族仲良く暮らしてほしいものです。2.デジタル機器の使用でモメるいまの時代には欠かせないスマートフォンやパソコンなどのデジタル機器は、それぞれの家庭によっても、考え方が異なります。コロナ禍の小学校では、学校から貸し出しされる児童用のパソコンを使用して、オンライン授業を導入する学校も多くありましたし、いまは低学年からデジタル機器に慣れていく環境で育っていますよね。兄弟がいる場合、上のお子さんが持っているスマホに早くから下のお子さんが興味を持ってしまうなど、家族構成によっても、使いどころが難しい場合もある様子。夫が「スマホぐらいそろそろ持たせてもいいんじゃないか」と考えても、妻は「まだスマホは早すぎる」と、夫婦で意見が合わないという話はよく聞くものです。何歳から個人のスマホやパソコンを持つのが適切なのか。夫や妻のデジタル機器の使用状況によっても、とらえ方が変わってくるため、お子さんの性格や家庭の状況によって、夫婦で適切な答えが出るといいですよね。3.家事の仕方でモメる最後は、家事の仕方でモメるというお話です。以前は、亭主関白タイプの夫が多い時代がありましたし、家庭は妻が守るものという考えがあったことも。令和のいまも、夫がバリバリ働いて、そんな忙しい夫を支えたいという気持ちでいる妻もいるはず。そういったタイプの家庭だと、妻に家事を任せることが多いので、それほどモメることはないのかもしれません。ですが、いまは共働きの夫婦も増えてきて、夫も妻も家事を分担するという家庭が普通になってきました。家事もそれぞれのやり方があるため、「妻の洗濯物のたたみ方が気になる」という夫や、「夫がどんなに忙しくても部屋を掃除したがる」という妻など、お互いに多忙を極めると、少しのことでもイライラしてしまう原因になってしまいます。少しの亀裂が大きな溝にならないように、夫婦ともに余裕ができたら「あのときはごめん」などと、歩み寄っていったり、家事のルールをゆるくしてみるなど工夫できるといいですよね。長く一緒にいると、時にはぶつかったり、時には離れたり、仲が良いだけではないときもあるはず。でも、夫婦の関係をうまくやっていけるように、お互いのことを尊重して、なるべく家庭円満でいきたいところです。みなさんの家庭がうまくいきますように。文・かわむらあみり©Georgijevic/Getty Images©FG Trade/Getty Images©ljubaphoto/Getty Images
2023年02月22日3人の子どもを子育て中のパパ・大地さんは、今でこそ順風満帆な家族生活を過ごしていますが、いっときは奥さんが本気で離婚を考えるほどに夫婦関係が冷え切っていいました。このマンガでは「産後、夫婦のすれ違いはなぜ怒る?」テーマに、大地さん自らの体験を振り返りながら実例を紹介していきます。結婚してから2年後に妊娠し、出産すると、夫婦のコミュニケーションの話題が子ども中心になってしまいました。 そんなある日、コトミさんが「子どもの話題以外も夫婦で話せる時間を作りたい」と、週1の夫婦会議を提案。 最初はめんどくさいと思っていた大地さんでしたが、何度も夫婦会議を繰り返すことで、夫婦間でコミュニケーションを取る重要性を少しずつ分かってきて……!? 夫婦会議を繰り返すうちに、お互いの信頼関係が深まり… ある日の夫婦会議のテーマは、奥さんの社会復帰についてでした。 「定時出社、定時退社したい」というコトミさんの要望に応えるべく、社長に直談判をしに行った大地さん。 しかし、社長には「プライベートを優先するようなヤツはいらない」と、言われてしまいました。 交渉がうまくいかなかったことを伝えると、理解してくれたコトミさん。 「社長さんに言ってくれてありがとうね!」 その言葉を聞いた大地さんは、"夫婦会議を続けてよかった"と心から思うのでした。 日頃からコミュニケーションがあるのとないのとでは、信頼関係が全然違ってきますよね。大地さんは"夫婦会議を続けて良かった"と言っていましたが、夫婦会議を続けることで、奥さんの考えていることや感じていることなど、今まで以上に知ることができった良い機会になったのではないかと思います。なかなか育児をしていると、そういう時間も作らないとないかもしれませんが、お互いの関係性が良くなるなら、2人だけで話す時間を作ってみるのもいいかもしれないですね。作画:青柳ちか著者:ライター 渡辺大地株式会社アイナロハ代表、札幌市立大学非常勤講師、両親学級プランナー。3児の父。第1子誕生後に離婚の危機を迎える(妻談)も、夫婦会議で危機を回避。第2子妊娠をきっかけに株式会社アイナロハを設立。「産後サポート“ままのわ”」事業では、自治体の産後サポート事業を多数受託。年間1000組以上の夫婦が受講する「アイナロハの父親学級」や、産後の交換日記「めおと産後手帳」は厚生労働白書はじめメディア紹介多数。著書に『産後が始まった!』、『夫婦のミゾが埋まらない』、『赤ちゃんがやってくる!〜パパとママになるための準備カンペキBOOK〜』(以上KADOKAWA)など。
2023年02月14日3人の子どもを子育て中のパパ・大地さんは、今でこそ順風満帆な家族生活を過ごしていますが、いっときは奥さんが本気で離婚を考えるほどに夫婦関係が冷え切っていいました。このマンガでは「産後、夫婦のすれ違いはなぜ怒る?」テーマに、大地さん自らの体験を振り返りながら実例を紹介していきます。結婚してから2年後に妊娠した妻のコトミさん。 赤ちゃんを授かったことに喜ぶ2人だったのですが、出産後、少しずつ夫婦の間に溝ができ始めていったのです。 そんなある日、コトミさんが神妙な表情で「ダイチ座って」と言うと、ある提案をしてきて……!? 「めんどくせぇ」突然の提案に最初は戸惑ったけれど… お説教をされるのかと思いきや、コトミさんが提案したのは、子どもの話しをするのではなく、夫婦だけの会話を週1でいいからしたいというものでした。 初めての夫婦会議は、次の日曜日の20時過ぎに開催されることに! 第1回目のテーマは、「理想の一軒家の間取りを描いてみる」というものでした。 久しぶりに2人だけの楽しい時間を過ごせたことで、大地さんからも「悪くないな」という言葉が飛び出しました。 そして、次の週も無事に夫婦会議を開催することができたのでした。 夫婦会議、大成功でしたね。何よりお互いが楽しかったと思うのが大切ですよね。また、ダラダラするのではなく1時間を決めることや、テーマが決まっているのも良いアイデアだなと思いました。久しぶりに夫婦で会話ができたことで、コトミさんもスッキリしたのではないでしょうか。作画:青柳ちか著者:ライター 渡辺大地株式会社アイナロハ代表、札幌市立大学非常勤講師、両親学級プランナー。3児の父。第1子誕生後に離婚の危機を迎える(妻談)も、夫婦会議で危機を回避。第2子妊娠をきっかけに株式会社アイナロハを設立。「産後サポート“ままのわ”」事業では、自治体の産後サポート事業を多数受託。年間1000組以上の夫婦が受講する「アイナロハの父親学級」や、産後の交換日記「めおと産後手帳」は厚生労働白書はじめメディア紹介多数。著書に『産後が始まった!』、『夫婦のミゾが埋まらない』、『赤ちゃんがやってくる!〜パパとママになるための準備カンペキBOOK〜』(以上KADOKAWA)など。
2023年02月13日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。小学校は2学期も半ば、ある日1年生の次男の宿題を覗いてみると漢字の書き取りをしていました。5年生の長男は好きな戦国武将の小説を読んでいます。そんな姿に感慨深い母…江戸時代の日本人の識字率は世界一だった!今では当たり前となっている「読み書きの能力」って、歴史を遡るとふつうじゃ無いんですよね。もちろん現代では、先進国ならだいたい国民に教育の権利が行き渡ってきているので識字率のパーセンテージは大差なくなってきています。でも、ワタシたちが当たり前のように時代劇で見ているような江戸時代のこんなシーン。人々が幕府からのお触れである高札を読んで理解したり、町人が貸本屋から本を借りて読んでいたり…これって実はすごいことなんです!!1800年代後半(江戸時代後期)の日本人の識字率が世界一だったって知ってますか?地域差が大きく、また正確な統計は取れていないのでブレはありますが、識字率はだいたい国民の50〜60%、江戸に限って言えばおそらく70%を超えていたのではと言われています。え、案外低いじゃんって思いました?これ、農民も職人も、大人も子ども、そしてここがポイント!女性も含めてなんですよ。同じ頃のロンドンが20%ほどだと言われています。ヨーロッパでは教育は上流階級の中でも男性に主に与えられる権利で、読み書きのできる女性は少数だったようです。読み書きのできる女性は少数って…日本だと平安時代の感覚じゃない?(紫式部さん、清少納言さんどうぞ〜)歴史を遡ってみると、日本語の文字の元は中国から輸入した漢字・漢文学です。これを古代は貴族男性のみが政治の記録用に習得しましたが、宮中で働く女官たちが使うために「女手」として発達したのがひらがな。ひらがなが書ける女性というのも当時の世界基準で見たら結構すごいことだったのでしょうが、男性が使う漢字も併用して使いこなせる一部の女房が現れ『才女』として名を残しています。当時はそれはそれで嫉妬から嫌がらせを受けたりと「デキる女」ならではの悩みもあったようですが…。中世になると政治の中心が貴族から武士に移行していきます。そんな中で武士たちも読み書きの必要性が出てきて教育が盛んになります。庶民たちは琵琶法師による『平家物語』の弾き語りから耳で文学を吸収していたようですね。近世に流行った『高度な言葉遊び』とは?なんだかね、これって本当にすごいことだと思うんです。貴族や武士が嗜んだ和歌・連歌文化が庶民に降りてきた形ではありますが、町人の間で『高度な言葉遊び』として流行し、練り上げられていくんですよ。俳句を作ってみたことがある方はわかると思いますが、単純に日常的な読み書きができれば良いってもんじゃないですよね。風景や心中を限られた文字数で表す豊富な語彙、季節を表現する季語などかなりの知識量が試されます。過去に編纂されてきた有名な和歌集など、裕福な人たちに限ってだとしても触れる機会があったのならすごいことですよね。俳句からさらに大衆化していったのが川柳や狂歌。江戸末期には幕府の政治を風刺した、皮肉の効いた歌が庶民からいくつも生まれました。それにしても…なんでこんなに日本では大昔から文字の教育が盛んだったのでしょうか?その背景は仏教教育でした。平安時代から、お寺は教育の場でもあり、当時は貴族の子弟、そして中世には武士たちも通うようになり、江戸時代になり藩政治が安定してくると各藩ごとに藩士の教育が始まります。では庶民は? というと…。戦国時代から江戸幕府の安定までの間に多くの大名や藩が取り潰され、浪人と呼ばれるどこにも属さない武士が大量に町に溢れました。武士として持つ能力を職業にして生き残る術の一つが、寺子屋と呼ばれる庶民の子どもたち向けの教育の場でした。(今で言うと、雇い主の会社が無くなったので得意分野でフリーランス起業するみたいな感じですね)。この寺子屋のおかげで、地域差はあるものの多くの庶民の子が『読み・書き・そろばん』という基礎的な教育を受けることができたんです。ということは…もしも、日本の政治がずっと貴族だけのものだったら…?もしかしたら教育は近世までヨーロッパのように上流階級に限定され、国民全体の識字率が高く文化文芸が盛んな時代はもっと後だったかもしれませんね。でも…面白いと思いませんか?他の国と比較するとシャイで対人コミュニケーションが控えめな日本人ですが、昔から、おしゃれな言葉遊びや洒落の効いたコミュニケーションは好きだった…。そういうワタシ自身も対人コミュニケーション超絶苦手です(笑)もしかしたら連歌でやりとりした方が盛り上がれるのかもしれません…(コミュ障仲間大募集)。
2022年11月30日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。子どもがいると、けっこうオバケや妖怪の話が話題になりませんか?「早く寝ないと鬼が来るよ〜」「夜トイレいくの、オバケに遭いそうで怖い〜」「幽霊が脅かしに来るんじゃない?」鬼、オバケ、幽霊…ごちゃ混ぜになってるのは子どもだけじゃないはず。大人もけっこうそこらへんの違いが曖昧だったりしませんか?鬼とオバケと幽霊の違いって…?恐らく最も古くから存在していたのが『鬼』ではないでしょうか。起源は中国で、亡くなった人の魂を鬼(キ)と呼んだようです。日本では平安時代に『物の怪(もののけ)』と呼ばれていた怪異現象や得体の知れない姿や行動をする人、日本古来の神の中で悪神となってしまった神様の概念が混ざって『鬼(おに)』という認識になっていったようです。…なんて子どもたちに説明していると、いつの間にか現れていたたぬ君とおこんさん。そういえばおふたりにも人ならぬアイテムが付いていますね〜?ま、それはともかく『鬼』が街を跋扈していたという平安時代に行ってみましょう!出典: 百鬼夜行図(東京大学総合図書館所蔵) 京を夜な夜な練り歩く不思議なものたちの『百鬼夜行』。物の怪や付喪神(長い年月を経た道具などに魂が宿ったもの)たちが、平安時代の人々を脅かし、これらを総称して『鬼』と呼んでいたようです。そしてこの様子を表した『百鬼夜行図』はコミカルで思わず見ていると楽しくなってきちゃうんですが、なんとこれが描かれたのは室町時代なんですよ。アニメ・漫画文化大国として名高い日本ならではの歴史に納得〜!時代が進む中で、これらの中でもより人々の生活に身近な鬼たちが『妖怪』と呼ばれるようになっていったのかなぁ。でもね、なんとなく妖怪って冒頭に挙げたように、現代では子どもをちょっと脅かすぐらいのイメージじゃないですか? でも、日本の昔話や歴史の話の中では子ども騙しではなく大人も当たり前に妖怪と向き合っているんですよね。なんなら政治に関わる文献にも登場したり、平安時代の殿上人たちは物の怪との遭遇を理由に仕事を休むこともあったようです。なぜ妖怪は、昔の日本人たちの生活にリアルに存在していたのかというと…。そう、妖怪とは『暗闇=見えない/わからない』ことへの“恐怖“。人は見えないもの/わからないものが怖いので、その恐怖を乗り越えるため形を与えたのが妖怪になったようです。木造の家の木が乾燥や湿度の変化によって軋むことで音を発する事象は「家鳴(ヤナリ)」という名で小鬼の姿の妖怪になりました。灯の無い道を歩むと着物の袖を引っ張られるが振り返ってみると誰もいない、草木の枝のいたずらは「袖引き小僧」という黒塗りの子どもの姿に。恐らくアルツハイマーなどの症状で徘徊していたのかも知れない、家にいつの間にかいてお茶を飲んでいる知らない人は「ぬらりひょん」。東北地方のお金持ちの家に現れるという「座敷童子」は、もしかしたら事情により公表していない庶子を客人などがたまたま見かけて噂になったものではないかと言われています。こういった、現代であれば科学的・医学的に理由が分かったり、光が差せば原因が判明するようなものがまだわからなかった時代は得体の知れないものに名前や姿をつけて恐怖を紛らわしていたのではないでしょうか?でもここからが日本人の面白いところ。恐怖を紛らわすだけでは終わらせず、妖怪をキャラクター化してエンタメとして楽しんじゃおう! という流れになっていくんです。(「ゲゲゲの鬼太郎」「妖怪ウオッチ」「アマビエ」など、現代でも妖怪は日本人にとって身近な存在ですよね。)江戸時代に妖怪はキャラクター化する!鳥山石燕という江戸時代中期の浮世絵師は、妖怪の絵を描いて本として発表しました。怖さよりもコミカルでちょっと可愛くも見えてくる画風が大当たりし、庶民の中で妖怪は怖がるものから楽しむものへ。江戸時代後期には、このキャラクター性が高い妖怪を使った見せ物小屋やお化け屋敷が出現し、大人も子どもも楽しむ娯楽になったんですって! 今でもお化け屋敷は遊園地などで体験できますが、現代ではもう本物の?妖怪に出会うことはないですよね。現代の町中では夜でも真っ暗闇の場所なんてないですよね。安全性が高まったことはとてもありがたいけれど、見えないことで高まる想像力は失われているのかも知れません。そして昔は狐憑きと言われたりする人の奇妙な行動や、家鳴りなどの不思議な現象も科学的に解明されてきているため、怖がることもなくなってきたんですね。今回のお話はリアリストで非現実的な話には一切興味の無い夫でもスッキリ納得できたようです。怖いことの乗り越え方として、どこか愛らしい妖怪を作り出した…その想像力って偉大ですよね!
2022年10月30日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。前回は古代から中世(戦国時代末期)までの遊女たちの意外な姿を見てきました。時代劇などで見るイメージとはずいぶん違って驚きましたか?夫にこの話をしても最初はよく理解できなかったようで…。それでは、いつもとは違う格好のおこんさんと、慶長年間(江戸初期)の京都四条河原に行ってみましょう…!阿国歌舞伎(おくにかぶき)とは?そこで演じられていたのは、戦国時代から江戸時代への転換期の話をするのに外すことはできない「阿国歌舞伎」。出雲国の歩き巫女だったという阿国(おくに)が率いる一座は都で一世風靡しました。阿国はジプシー的巫女兼芸能者ですね。阿国歌舞伎は、女性が男装し、当時流行していたかぶき者 (他と異なる服装や行動をする若者) を取り入れた「かぶき踊」を演じて人気となったようです。これも現代の感覚だとなかなか受け入れ難いのですが、江戸時代までの性愛対象って異性に加えて「若衆(未成年男子)」も対象として存在していたんですよね。(詳しくは同性愛の歴史をご参照ください)つまり男装(女装)して演じるという男女が入れ替わった内容は、異性愛に限定されず、どの立場の人にとっても関心が高く注目を集めやすい演目だったのではと…。これを遊女屋が真似し始めると風紀が乱れるとのことで禁じられ、すると若衆を売る陰間屋が真似していき…最終的に「成人男性」だけが歌舞伎を演じてOKというルールに落ち着いて現代に至ります。そして異性装や変わった服装で舞踊に興じるブームって、実は時代の混迷期・転換期によく起こるなぁと。平安時代末期には白拍子舞。戦国末期には歌舞伎。江戸末期にはええじゃないか踊り。そして…ちょっと飛躍してるって言われるかもしれないけれど、個人的には1980年代のディスコブーム。異性装や派手で変わった服装で踊るというのは、文化の爛熟期と不安定な社会情勢への庶民の反発が強まっている時期に流行りがち…と考えられませんか?その視点で見ると阿国は、まるで中世の終わりを告げにきた存在に見えます。貴と賤、聖と俗、男と女、いろんな両極間の媒介者であり自由の象徴でもあった中世までの遊び女(あそびめ)が活躍するのはここまで…です。自由は失われ…管理された街へ阿国歌舞伎ブーム後、幕府によって島原に移転された傾城町は、塀に囲まれた場所に遊女たちを集住させ、主に特権階級の接待をする場所となりました。遊女たちはいずれかの遊女屋に所属し、支配され管理される生活に変化していきました。同時に、それまで曖昧に兼ねていたような宗教性を失っていきます。江戸前期の寛文の頃の史料からは、太夫と呼ばれる全てにおいて優秀な最高級遊女を筆頭に序列を作り、着るものから髪型までを取り決めて管理するようになっていたことがわかります。幼少期(禿)から素質のある子をマニュアル通りに育て、個性よりも完璧性を追求した遊女。中世までのイメージとずいぶんかけ離れていきますね。太夫と花魁の違いとは?ちなみにとてもよく似ているようだけど京都・島原のトップの称号である太夫と、時代劇などで見る江戸・吉原のトップ、花魁は実は全然違うんです。「太夫」とは元々能や舞踊に優れた者に与えられる称号であり、また島原の太夫の中には「正五位」を授けられ天皇と謁見できた人もいたとか。芸能や貴人の接待に重きを置いていたことがわかります。一方この島原を模して江戸に作られた吉原は、同様に江戸幕府公認の遊郭でありながら、犯罪を犯し非人となった女性や人身売買で売られてきた子どもなどが遊女にされることが多く、一握りの高級遊女以外は奴隷的な生活を送っていたのも事実でしょう。江戸吉原は庶民も手を伸ばせば届くような娯楽の場として発展し、目的も性的なことが中心となっていきます。花魁という呼び名は、禿が「おいらの太夫でありんす」などと言うところを省略し「おいらん」と短くなったのが始まりという説があり、禿を従えるクラスの高級人気遊女という意味の敬称のようです。こちらの江戸吉原が、現代の遊郭・遊女のイメージに近いのではないでしょうか。…お気づきでしょうか?遊女には、古代から長きにわたって築き上げられてきた歴史があるにも関わらず、普段私たちがイメージするのは、江戸吉原の遊女・遊郭のみとなっているのです。歴史を学んで身に付く力とは?私は遊女という職業・商売形態を全肯定したいわけでも、酷い目にあった女性たちがいるという事実を伝えずに子どもたちに良いイメージを植え付けたいわけでもありません。どちらかというと、大人には都合の悪いことも史実は史実として伝えていくべきだと思っているクチです。でも今回このテーマで2回に渡って書いたのは(これまでの記事にも共通しているんですが)、現代の私たちが知っている(つもりになっている)歴史なんて流れのほんの一部をだったり、意図的なムーブメントでいかにも伝統のように作られた比較的新しい価値観だったりすることもあるのです。ネットでなんでも調べられる時代だからこそ、簡単にわかったつもりになってしまい浅い理解で止まってしまうことって…歴史に限らずよくありますよね。興味を持ったことだけでもいいので、物事の流れを知って情報を整理していろんな角度から正しく全体像を捉えられる人に自分もなりたいし、これからの子どもたちに必要な力ではないかと思っています。
2022年09月30日K-omura Creative Studioは、子育て夫婦の実話から生まれた、読み聞かせに最適な絵本「るすばんりょこう」のクラウドファンディングをCAMPFIREにて2022年11月4日(金)まで実施しております。パパも頑張る子育て家庭にもっともっとお届けしたい!という想いで、絵本の世界が楽しい挿画を用いたTシャツやタオルなどのオリジナルグッズをご用意しました。絵本「るすばんりょこう」クラウドファンディングトップ画像「CAMPFIRE」クラウドファンディングサイト ■絵本「るすばんりょこう」について子育て夫婦の実話といたずら描きから生まれた絵本です。赤ちゃんが産まれた時から母子カプセルになりがちな母子関係。そんな子育てで張りつめているママに語りかけたパパのひと言から、父と子のおるすばんの一日が始まります。さあ、“バ・ビ・ビュ~ン!”で、楽しい冒険の世界旅行へ。子どもも大人も楽しめるエンターテインメント絵本「るすばんりょこう」。~パパの子育て参加・応援プロジェクト~■クラウドファンディング特徴All-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、ご支援いただいたすべての方々に、ご希望のリターンをお届けします。■主なリターンの紹介・すぐに発送!絵本だけプラン :¥1,880・るすばんりょこう 支援と学びセット :¥4,000・るすばんりょこうの世界 満喫/A 親子タオルセット(3種):¥8,000・るすばんりょこうの世界 満喫/B 親子トートセット(2種):¥9,000・るすばんりょこうの世界 満喫/C 親子Tセット(3種) :¥10,000※すべて税込、送料込■プロジェクト概要プロジェクト名: 絵本「るすばんりょこう」~パパの子育て参加・応援プロジェクト~期間 : 2022年9月1日(木)0:00~11月4日(金)23:59URL : ■絵本「るすばんりょこう」詳細2021年11月4日 第1版発行著作者 作:大村 純絵:大村 和装丁 :大村 和(K-omura Creative Studio)発行人 :久保田 貴幸発行元 :株式会社 幻冬舎メディアコンサルティング発売元 :株式会社 幻冬舎印刷・製本:中央精版印刷株式会社絵本サイズ:横幅265mm×高さ240mm×厚さ約9mm頁数 :40頁(C)JUN OMURA,KAZU OMURA,GENTOSHA MEDIA CONSULTING2021Printied in JapanISBN 978-4-344-93467-2 C8793■クラウドファンディング管理者概要通称 : K-omura Creative Studio代表者: 主催 大村 和郎所在地: 〒195-0072 東京都町田市金井1-13-7設立 : 2012年5月URL : 【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】お客様相談窓口TEL:042-735-6977 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月15日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。少し前のことですが、大ヒット漫画がアニメ化&テレビ放映されることで、ちょっと子育て世代を中心にネットがざわついた話題をご存じでしょうか?『遊郭』を子どもが多く見るテレビ番組で描くのはいかがなものか? という論争があったのです。その漫画については、わが家は夫と長男が主にハマっていたんですが、家族でこの話題が出ると真っ先にヒートアップしたのは…ワタシです(笑)ワタシは日本史の中でも服飾史を調べていたのですが、服飾や髪型、化粧などの流行を知る上でどの時代でも外せないのが遊女の存在。そのため、遊女史にもやたら詳しくなりました。だからこの話題について黙っていられない!!現在の遊女や遊郭のイメージは、近世以降の事実をもとに、時代劇や映画などで脚色された独特の淫靡な世界観だったり、搾取される悲惨な話が一般的に浸透しているような気がするのです。でも…でもね、これまでのお話と同様、歴史、文化史を調べてみると、実はぜんっぜん違う印象に…。というわけで今回の主役になりそうなあの方をお呼びしましょう!あ、もう怒ってるわ…おこんさん。おこんさんはその姿から、おそらく中世と近世の間、桃山時代ごろの遊女と思われます。ご本人的にも現代の遊女の一方的なイメージには納得いかないみたいですね。ではでは今回はちょっと長くなりますが前編後編でお送りいたします。ガッツリ語りますよ? いいですか?「遊女」は巫女だったという説も“巫娼“という言葉を聞いたことはあるでしょうか?現代のワタシたちがイメージする「巫女さん」といえば清楚で穢れの無い女性ですよね。厳密に求められることはことは無いにしろ大前提として“処女性“が重要視されているとも言えるでしょう。巫女と遊女なんて、現代では真逆のような存在…。でも古代から中世にかけてはその両方の役割を兼ね備えた巫娼がいたようです。そもそもこの時代は性的なサービスをすることが良くないこと、恥ずかしいことであるという認識はなかったようで…。彼女たちは「遊び女(あそびめ)」と呼ばれていました。「遊」から想像するのは楽をしていたり、一定の場所に留まらずふらふらと好きなことをしている自由なイメージですよね。でも実は「遊」の語源は「神様を楽しませる、喜ばせる」という意味があり、神前で舞や音楽を奉納することを「神遊び」と言ったりもします。歌や踊りも上手な遊び女ですから、社会的地位も低くなかったようです。いや、むしろ一般庶民よりもずっと高い教養を持ち、遊女は特別な存在で憧れの対象だったことも。記録としても高級官僚、大伴旅人が赴任先の太宰府を去る際に、見送り人の1人、児島という遊び女が対等に歌を交わし合ったものが残されているのです。遊び女は歩き巫女とも呼ばれ、巫女としての役割も持ちながらジプシーのように旅をして生活していたようで…。その中で神事に関わる歌や舞の技術を発展させて芸能者として派生していきます。芸の道を行く女たちの栄枯盛衰平安時代には、傀儡(人形使い)や白拍子(男装して仏歌や流行歌を歌いながら舞う)などが遊女性も持ちながら台頭します。ここで、平安末期の平家物語で有名な祇王御前と仏御前のエピソードを例に出してみます。平清盛に気に入られている白拍子、祇王御前ですが、ある日別の若い白拍子、仏御前が現れ清盛に心変わりされて追い出されてしまいます。その後仏御前もまた同様に清盛に捨てられて祇王と共に出家して尼寺で暮らす…。ざっくりあらすじを説明するとこんな話なのですが、ちょっと不思議じゃないですか?平清盛って、一般庶民が会いたいと思ってもとてもとてもお目にかかれるような人ではありません。それなのに、白拍子は次から次へと清盛の家に入っていき、その御前で舞を披露できるんですよね。なんででしょう?この時代、僧侶や芸能者はいわゆる「身分を超越した者」として貴人に直接会うことができたのです。これを「遊行」と言います。白拍子は芸能者ですが遊女性もあり、この時期多くの貴人、それも上級貴族や上皇などの最高権力者の側室となっているんですよ。遊女の「遊」は“自由“の象徴へさてさて、そんな全然今とは違う遊女の成り立ちを見てきましたが、いよいよおこんさんの時代に突入してみます。室町時代に入ると、社会的役割ごとに住む場所ができ、分業が進んでいきます。そんな中で遊女たちの「遊」からは、神遊びという宗教性を失っていき、"自由"の象徴と変化していきます。おこんさんはじめ桃山時代ごろまでの遊女たちはよく絵画にも描かれていますが、さぞかし絵師も描きがいがあったんだろうなぁ、と意気込みが伝わってくるほど彼女たちのいでたちは独特でさまざまです。それまで日本の絵画は様式美が重要視されてあまり個性を感じないものが多かったんですよね。同じ髪型に同じ衣服の着方、顔も引き目鉤鼻がお約束でした。そんな中世末期の時代に、ルールや制限がなく、さまざまな髪型をし、同じ小袖でも越せていきな着こなし方やアクセサリーを身につける遊女たちには、当時の人たちも目を見張ったことでしょう。肩で風切るように街を闊歩する遊女たちの逞しさは、まるで現代のファッションの聖地、渋谷や原宿の若者たちを見ているよう。日本中世の市中を描いた屏風などを見ると、すごく多様で人それぞれだったように見えるんですよね。日本で遊郭をはじめたのは豊臣秀吉この時代の遊女の自由さは、戦国時代を経て武士が天下統一を成し遂げるにつれ、徐々に奪われていくようです。日本で初めての遊郭は、豊臣秀吉によって作られました。とはいえ完全に隔離された島原に移転するまでのいわゆる「六条の頃」は、街の一角に遊女が集住させられるだけで仕切りもなく自由に出入りができたそうです。公然と貴人が出入りし人気の高い遊女は宮中にも招かれることがあったんですって!つまりこの頃の遊郭は、公家や武家とやりとりできるような教養や知識を持ち、貴人をも喜ばせるレベルの舞や楽器などの芸事に秀でた才色兼備の遊女たちがもてなす高級文化サロンだったのです。遊里図などの絵画からは、一般には出回らないような目新しい海外製のインテリアや遊び道具なども見られ、流行の最先端を感じられる場所でもあったのでしょう。こうして見ていくと、どうでしょう? 思っていた遊女とだいぶイメージ違いません?ワタシがこの話を初めて知った時、中世までの遊女って時代の最先端の文化に触れ、ハイレベルな教養や知性を身につけた文化レベルが高い存在だったんだな…と思ってちょっと憧れちゃいました。もちろん、「昔の遊女は素晴らしかった!」と美化するつもりはありません。でも、「不幸でかわいそうな存在」と決めつけるのも一方的だなと…黙っていられなかったのです!でもね…と暗い表情のおこんさん。幕府の体制が整い武家社会として社会の秩序を求めていく時代になるにつれ、遊女・遊郭のイメージは憧憬の対象から全く違うものになっていくのです…。ということで、後半へ続く!!
2022年09月02日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。わが家はワタシと長男の趣味で大河ドラマを欠かさず見ているのですが、その中では当たり前のように現代とは全く違った文化・習慣が見られますよね。小5の長男がふと疑問を持ったのは、一人の男性を挟んで睨み合う二人の女性。一夫多妻制だった昔の日本。時代劇には他にも妻とは別の女性の元を訪れる男性や、ひとりの権力者男性の子どもが複数の女性から生まれることで跡目争いが起こる様子も描かれています。これまでの連載でも、男性に比べ歴史上の女性たちは決定権が無く人生の選択肢も少なく、なんとも不自由を強いられてきたような印象を受けている方が多いのではないでしょうか?実際、戦国時代や江戸時代を舞台とするドラマでは、女性や子どもは立場が低く人質や貢物のような扱いとして描かることもあります。さらには日本女性の理想とされるイメージはほんの数十年前までは『大和撫子』。男性の半歩後ろを歩き、どんな扱いを受けても慎ましく従順で貞節を守る姿ですが…。でも…それってホント!?なんだかワタシの知ってる女性史とは違うんだよなぁ〜!とモヤモヤ…そこでやっぱりあの方たちをお呼びしま…あ〜もう察して出てきてくれるようになりましたね!史料を紐解けば、歴史の中から“女性たちの姿”が見えてくるはず…二人の天皇に愛された額田王恋多き女の坂上郎女ということで、まずは古代まで遡ってみましょう〜!!出典:万葉集 ~夫がいても元夫と愛の歌を交わす額田王~出典:万葉集ーー男女の恋愛が平等&自由じゃない?最高権力者の男性二人に愛されて、結果的にどっちも手に入れちゃう額田王ってシンプルに…カッコよくない?そして恋多き女として有名な坂上郎女の、自分からどんどん男性にアプローチしていく自己肯定感の高さ、憧れません?古代には「歌垣」と呼ばれるイベントがあり、既婚者にも大っぴらに声を掛けても許されるという出会いの場だったようです。(今だったら許されない! 感覚かもしれませんが、実は昭和初期まで地方の集落のいわゆる「お祭り」は、これに近い風習だったところもあるんですよね…余談)平安時代の女性は受け身だった?次に、女性が公の場から姿を消し男性が複数の妻の家を訪れる形の『通い婚』になった平安時代はどうだったのでしょうか?いかにも女性=待つ、受け身な感じがしますよね。出典:後拾遺集和泉式部の場合はお相手が高貴な方ばかりだったり、「恋ふ」というワードを使うのは男性が主流になっていた時代に女性ながらガンガン使っていたこともあり、平安女性のイメージを覆す派手さはありますね。基本は受け身であることが推奨された時代なので周りからの評判も人によってさまざまなようですが、宮廷に勤める女房たちにとって、恋は教養のようなものでした。なぜならこの時代、どんなに字が書けても容姿が良くても、和歌のセンスが無ければ評価されません。投げかけられた歌にその場で情緒ある返歌を詠む機転、引用された古い漢詩を理解して自分の想いを掛けた言葉を入れて返す知識と語彙力、そして限られた文字数の中で切ない恋心を伝えられる感性…。これらは数をこなさなければ身に付きません。つまり和歌が上手い=モテる女性(男性ももちろん)という相関関係があるのは当然のようです。戦国時代も…思いのほか女性は強かったさて、冒頭であったように時代劇ではいろんな武将に嫁に出されたり人質にされたりとモノのように描かれがちな戦国時代のリアルは…?日本史の中では貴重な海外とのやりとりが盛んだった期間ということで、せっかくなので客観的な外国人の感想をお伝えしましょう。・処女の純潔をなんら重んじない。それを欠いても栄誉も結婚も失いはしない・各々が自分のわけ前を所有し時には妻が夫に高利で貸し付ける・しばしば妻の方から夫を離別する出典:ルイス・フロイス著『日本覚書』ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスもびっくり!!西洋に比べ、日本人女性の性への奔放さや離婚がなんの恥にもならないこと、男女が財産を別々に管理したり女性にも男性と同等の教養があって当たり前であることなどを驚きと共に伝えています。(もちろん平安時代も中世も、高貴な女性は親の権力争いや献上品のような扱いで利用されていたのでこれには当てはまりません。物語や日記に残る女性は相応の身分であることが多いので、不憫なイメージの方が強く残ってしまうのかもしれないですよね。)江戸時代…武家の女性は貞淑だったけど…さて、江戸時代へと時が進み武家社会が確立されていく中で、それまでに比べて女性に貞節を求める考え方が強くなっていくようですが、それも武家限定の話…。先にも書いた通り、庶民の間では古代の「歌垣」からあまり変わらぬ風習は続いていたようだし、夜這いの習慣なども意外と最近まであったことだと知ると不思議な感じがしますよね…。一夫一婦制が確立したのは明治31年現代に戻ってみると、個人的にはとりあえず一夫一婦制の時代に生まれて良かったな〜(汗)とは思います。でも、制度はそうでも価値観は古いまま残っているところがあるような…?少なくとも夫婦はお互いの貞節への価値観は一致させておかないと揉める原因に…といった個人の話から、結婚制度はどう改善するべきか? など社会的な話まで…制度はもちろん、貞操観念なども、時代によって生きやすいように改善していけるといいですよね。
2022年08月04日いま男女ともに大人気の「サウナ」。さっぱりとして心が解き放たれるような“整う”感覚にハマる人が続出していますが、ハマりすぎには要注意!?今回はサウナ大好き夫が暴走した結果、夫婦トラブルに発展してしまったエピソードをご紹介。整うどころか、家の中がメチャクチャに…!?...サウナストーン、サウナハット、ヴィヒタと、どんどん増えていくサウナグッズ。整うどころか家をメチャクチャにしていく夫ですが、ついに熱波師の検定まで受けることに。のんきに熱波の練習をしていますが、この時の夫はまだ知らないのです。まさかこの後、とんでもないトラブルが待ち受けているとは…。原作:mamagirlWEB編集部作画:タバタユミあわせて読みたい🌈【夫婦トラブル】サウナ大好き夫の『やらかし』に妻がブチギレ!!
2022年07月22日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。6月って、日本では梅雨のイメージばかりが強く、あまり目立った季節の行事も無いような気がしますが、実はプライド月間と呼ばれるLGBTQ+(性的少数者)の権利を啓発する活動が行われているって知っていましたか?昔は同性愛は普通のことだった?まさに今国内でも同性婚についてとても先進国とは思えない議論がされているわけですが…家庭内でもちょうど子どもたちの会話から気になるワードが出たのもいい機会だったので…。学生時代に遊女の研究をする過程でジェンダーやさまざまな芸能者の性にも触れてきたワタシとしては、同性の恋愛や結婚に対する日本の歴史的な価値観について黙っていられない…!!今回もこちらのお二方にご案内してもらいます!そもそも日本で同性愛がタブー視されたのは明治以降のようでして…。そう、この連載でもたびたび触れてきましたが、日本は西洋化が進む前と後では価値観ががらりと変わっているのです。戒律(宗教上の禁忌)の無い八百万の神を祀る神道と女性を穢れとする仏教で文化が成り立ってきた日本では、主に僧侶とその身の回りの世話をする稚児(貴族の子弟で未成年)の関係から同性愛は広まったと言われています。ただしこれは男性同士…と言ってもあくまでも『女性の代用』として子どもが使われていたという、現代の感覚で子を持つ親という立場から見ると許せない気持ちになってしまいますが…。歴史研究において恩師からもよく言われた言葉ですが、「歴史上の事実に対して現代の常識や価値観で善悪を判じてはいけない」歴史を知るとモヤモヤすることも多いんですが、ここは気をつけたいところです。とりあえず、当時はそうだったということで…。平安時代は『政治に関わる重要な関係』この稚児愛から始まった男色文化は貴族間へ広まっていきます。そういえば大学時代にすごい史料を読み解く講義があったなぁ…なんて思い出すワタシ。藤原頼長という貴族が好みの男性を取っ替え引っ替えしてはその夜の感想を細かく綴っている、これがホントの黒歴史日記というものがありまして…(正式名称は『台記』)。一緒に講義を受けた友人と「自分の死後1000年経って教材にされたら恥ずかしいと思う手紙や写真は焼き捨てよう…!!」と誓い合いましたとも。(1000年後に“何が恥ずかしいこと”になってるのか…わからないんですけどね!)ただひとつ真面目な話をすると、この頃には『女性の代用』ではなく男色が『趣味』兼『政治に関わる重要な関係』になっていることがわかります。戦国時代は『武将と小姓の主従関係』その後、戦国時代に入ると武将と小姓という上下関係の中での男色が流行っていきます。この時代も『女性の代用』ではないみたい。有名どころで言うと織田信長の小姓、森蘭丸のような美形(史実かどうかは不明ですが)の小姓を連れた戦国武将というのは確かに絵になるショットですが、お飾りのお供ではなく実際武道の腕にも優れ主人のボディガード役でもあったんですって。江戸時代は『庶民の趣味娯楽』江戸時代に入ると武士から庶民へも広まっていきます。女歌舞伎が風紀の乱れを理由に禁止されると、若衆(未成年の男性)歌舞伎が流行。女性がダメなら少年を使えばいい、という概念がやっぱり根底に染み付いてるなぁ、とわかる施策ですが、若衆は若衆でまた風紀を乱す結果になってしまったので、結局成人男性しか出られない『野郎歌舞伎』に落ち着き、現代までそのルールが引き継がれているわけですね。ここで、歌舞伎役者(主に女形)の見習いが女装して客の相手をする『陰間』文化も盛んになりますが、こちらは明治時代にほぼ消滅したようです。さて、ちょっと子どもに見せるにはモザイク強めな話はここまで。ここで気づいた子どもたち。女性はまるで存在してなかったかのよう…そう、日本の歴史上認識されている『同性愛』って、ほぼ男性同士のみ。性的マイノリティーなら女性だっているはずなのに、なぜ?少なくとも日本史上の同性愛って、性的指向や性同一性障がいに寄り添ったものではなく、男性主体の趣味、だったんですね。恋愛(性愛)の決定権や趣味を持つこと自体が、男性にしか許されなかったってことなんだ、と気づいて呆然。女性同士のカップルだって居たことは居たでしょうが、表向きに認知されていなかったり、それこそ隠さなければいけないことだったのかもしれません。歴史学は基本的には男性によって営まれる制度のみに焦点をあてることになり、女性はまるで存在してなかったかのように描かれてしまうようです。明治以降は男女関係なく同性愛自体を禁忌とするイメージが強くなったけれど、性的マイノリティだった女性の生きづらさは江戸時代までと変わらなかったのかもしれないですね。 結婚と恋愛は別物…!そしてもちろん、マイノリティの『結婚』というゴールは設定されていなかったわけで。結婚は家同士の結びつき、そしてニュースでも騒がれていた「生産性」…つまり子孫繁栄のための義務でもあったんですよね。現代よりも結婚という制度は社会のシステムの一部であるという側面が強く、個人の意志は尊重されなかったことが多く…。だからこそ『心中物』(現世で身分違いの恋が叶わない恋人同士が来世で結ばれることを願って自死する話をモチーフにした演劇)が大流行したりもしたのでしょう。そう考えると「昔の日本の方が同性愛に寛容だったから自由だった」とか「昔の方が多様性の受け入れが進んでた」とも言えないです…。最近は性別もいろいろな正当な性のあり方のひとつでしかないと受け止められる社会に、徐々になってきているような気もするけれど、同性婚などの制度が整っていない現実からも、まだ同性愛への理解は深まっていないように思いますよね。家庭を築きたいと考えるカップルが同性か異性か、子どもを産めるか否かに関わらず望めば戸籍を同じくする選択肢が当たり前に国から認められるように…なって欲しいです。社会というのは万古不変のものではなく、少しずつでも変えられるもの。次の一歩を踏み出した日本の姿を子どもたちにも見せてあげたいなぁ…とつくづく思ったのでした。
2022年06月30日子どもが生まれると、どうしても夫婦だけの時間は取りづらくなるものです。それでもラブラブな関係を維持している夫婦には、どんな秘訣があるのでしょうか?実際に、既婚女性から「夫と仲良くするために心がけていること」を聞いてみました。■ 旦那と会話する時間を作る「一方的に私の愚痴大会にならないように気をつけています。できるだけ明るく話して、夫が聞いて苦痛にならないように、と意識しています」(34歳/看護師)「夜寝る前には、必ず少しだけ話す時間を作っています。その時間は軽い話に限定しているので、夫も色々と話してくれます」(37歳/歯科助手妻がおしゃべり好きで旦那が寡黙だと、つい一方的に話しすぎてしまうこともあるでしょう。そうならないために、お互いに話す、聞く時間を作ることを意識しているようです。■ 恥ずかしがらずにスキンシップ「外ではよく手をつないでいます。ずっとつないでいるので、あまり恥ずかしいとも思いません」(32歳/英会話講師)「『なに見てるの?』とのぞき込むときに肩に触れたり、テレビを見るときにぴたっとくっついてみたり……。スキンシップは欠かさないかも」(26歳/事務員)一緒に暮らし始めると、スキンシップも減りがちになるでしょう。だからこそ、手をつないだり、肩に触れたりして、恋人同士の頃のようなスキンシップを心がけると、関係も良好に保てるでしょう。■ 2人きりでデートする♡「子どもが学校や保育園でいない間にランチデート。歩いてでもドライブでも恋人気分で楽しめます」(37歳/事務員)「子どもを預けてデートするときは、必ずオシャレをします。メイクをしてスカートを履くだけでも、喜んでくれます」(36歳/医療事務)子ども中心の生活を過ごしていると、それぞれ親としての意識が強くなるため、ラブラブ感は薄れやすいものです。そんなときこそ、2人きりになる時間を作ってみましょう。カップルだったあの頃に戻った気分で、2人きりの時間を過ごしてみてくださいね。■ 気持ちはあの頃のまま♡ポイントは、恋人同士だったあの頃の習慣を忘れないことです。家族が増えて環境が変わっても、2人だけの時間を共有できるように心がけることで、ラブラブも長続きするでしょう。(矢島 みさえ/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2022年06月28日【前編】全盲の弁護士と音楽家の夫婦子どもたちの笑顔は心に映ってから続く夫婦それぞれに「もし、目が見えたら何を見てみたいですか?」と尋ねた。「子どもたちの顔が見たい」こう即答したのは誠さん。いっぽうの亜矢子さんは、「私ももちろん子どもたち。でも、私は幼いころから鏡を見るのが夢だったので、まずは鏡かなぁ」そしてふたたび、大胡田家。「今日のお肉、おいしいね〜」食卓からは、子どもたちのうれしそうな声が聞こえてくる。「今日は取材があるから奮発したんだ、やっぱり和牛は違うよね」こう言って笑う誠さん。亜矢子さんも「うん、おいしい」と器用にナイフで切り分けた肉を、フォークで口に運んでいる。ここで記者は、子どもたちに最後の質問をした。「もし、パパとママの目が見えたら、何を見せてあげたい?」と。響くんは、照れくさいのか声に出さずに自分で自分の顔を指さしてみせた。そんな弟を見て、こころさんは、「私も同じかな。あ、あと鏡、鏡を見せてあげたい」■子どもたちも自分のことはできるようになりましたし、私たちを手助けしてくれる場面も誠さんと亜矢子さん、ふたりはともに全盲の夫婦だ。誠さんはハンディキャップを乗り越え、司法試験に合格。日本の法曹界史上3人目の、全盲の弁護士になった。幼いころからピアノを続けてきた亜矢子さんは、音大を卒業しソプラノ歌手に。弾き語りのミュージシャンとしても活躍。上皇后美智子さまの前で、歌声を披露したこともある。ふたりは’10年に結婚し子宝にも恵まれた。しかし……。健常者でもたいへんな子育て。記者は素朴な、でも、不躾な質問を、ついつい、ぶつけてしまった。「目の見えないふたりがどうやって?」と。「もちろん、できないことや難しいこともあります。でも、そこは割り切ってといいますか、見える人の手を借りながら、ですね。それに、いまでは子どもたちも自分のことは自分でできるようになりましたし、私たちを手助けしてくれる場面も少なくないんですよ」■震災を機に、本当に大切なものはなにかと考え、長女を「こころ」と命名。’11年3月。東日本大震災で日本中が混乱するなか誕生した長女に、誠さんは「こころ」と名付けた。「いろんなものが震災で破壊されてしまった世の中で、本当に大切なものはなにかと考え決めました」さらに1年4カ月後の’12年7月には長男が生まれる。ふたりは「誰かの心に響く人になってほしい」と「響」と命名した。「子どもがふたりとなると、少しの油断で命に関わる事故が起きてしまうかもしれない。そこで、思い切ってサポートをお願いしました」こう誠さんが説明するように、’12年秋から亜矢子さんの母が同居。全面的に家族を支えてくれた。「絵本の読み聞かせや学校とのプリントでのやりとりなど、どうしても視覚情報が必要な部分は義母が助けてくれました。義母はじめ周囲の人たちの手も借りて、どうにかやってきた、そんな感じです」先述のとおり「自分たちだけでは無理」と早い段階からいい意味で割り切っていた誠さん。それは亜矢子さんも同じはずだったが。亜矢子さんの不安は、寄り添い上手な夫、それに成長の早い子どもたちが、徐々に和らげてくれた。「こころは、上手に響にミルクを飲ませてくれました。小学校に上がるころには2人とも料理の手伝いも。掃除のときも『ここにまだゴミ落ちてるよ』と教えてくれたり、拾ってくれたりも」順調だった家族5人の暮らしだったが、昨年、亜矢子さんの母が他界。ここへ来て、改めて4人だけの暮らしがスタートしたのだ。■私たちの場合は頭にきたからって、しゃべらないというわけにはいかないので「最初のころは『皆で役割分担して頑張っていこう』なんて言って、うまくいってたんです。でも、それも、だんだん崩れてきましたね。子どもたち、気が向いたら手伝ってくれますけど。最近は基本的には『私が頑張ればいいのよね』って感じかなぁ」苦笑しながら家事負担が激増したことを訴える亜矢子さん。いっぽうの誠さんは「自分のスタイルを崩さないほうかも」と自己分析するようなマイペース人間。ときに夫婦の間が険悪になることも。「そういう夫婦げんかは、障害のあるなし、関係なくありますよ。ただ、私たちの場合は頭にきたからって、しゃべらないというわけにはいかないので」亜矢子さんの言葉に、誠さんがこう言葉を継いだ。「それはそうだね。うちは、言葉をかけ合わないと、生活が回らないから。僕らはどんなときも、夫婦の会話はなくならないよね」「そうね、怒ってると必要最低限、事務的にはなるけどね。『ほらほら、コーヒー、熱いの通るよ』とかね(笑)」「あれ、まだ怒ってるなとか、声のトーンで判断したりも(苦笑)」■目が見えないからこそ「ありがとう」と言ったり言われたりする機会がすごく多いまた、亜矢子さんがどれだけ頑張っても、ときには見えないことが原因で失敗することだってある。「先日も朝、子どもたちの上履き、それぞれ袋に入れて持たせたんですけど。登校していざ履こうとしたら、姉と弟の上履きが逆に入ってたみたいで。子どもたち、慌てて取り替えに走ったって(笑)」こんなふうに失敗を笑って話せるのも、家族で確かな幸せを実感できているからにほかならない。亜矢子さんは言葉を続けた。「私自身は、よそのママたちと同じようにできないことや、いろんな人に手伝ってもらうことに引け目を感じたこともありました。でも、それはそのぶん、いろんな人と関わりを持てたということでもあって。私たちは夫婦の間でも、親子の間でもそうですけど、『ありがとう』って言ったり言われたりする機会がすごく多いんです。それは決して悪いことじゃないかなと、いまは思ってます」
2022年06月26日■前回のあらすじ私の夢を応援するために、プレゼントをくれた夫。夫は出会った頃からずっと私の一番の味方だったことを改めて気付かされ…。■夫が在宅勤務になって思うことは…夫が在宅勤務になって、育児の現状を見る機会があったり、たくさん話し合う機会ができたり…。少しずつ、少しずつ、夫が育児について理解してくれるようになり、生活が変化していきました。これからもすれ違いはあると思うけど、お互いの気持ちに向き合って、たくさん話し合って、支え合っていきたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2022年06月23日う○ことち○こという下ネタでずっと笑っていられる男子多めの家庭ならあるあるだと思いますが、風呂上がり、ほんっといつまで経っても服着ない〜。今日もお風呂から素っ裸でリビングに現れ、そのまま遊び出すオトウトズにうんざりしつつ雷を落とすワタシ。確かに裸がデフォルトの生活をしている人々もいるし、もしかしたら裸を見せていてもを恥ずかしいとは思わない文化圏もあるのかもしれないけれど…もしかして日本も…? 昔はどうだったのかなぁ?というわけでまたまた歴史検索アプリを開くと〜…?胸を見せても恥ずかしくない?やはり日本でも歴史を遡ると、今とはずいぶん『恥ずかしい』ポイントが違うようでした。これはワタシも確かに不思議に思っていたところ。現代では当たり前にきっちりと襟元を合わせて中に小袖を着ている十二単は本来は素肌に袴を履き、上から衣を羽織っているだけの服装だったんですって。それに江戸時代の浮世絵や錦絵を見ると、今とは比べ物にならないほどみんな襟元が緩いんです。着崩れているのか、あるいは遊女・美人画など色っぽさを強調するためにそうしているのか…。なんて思っていたけど、幕末や明治期に残っている庶民の写真なんかを見てもみんなゆるっゆるですね! その頃の日本は裸を見られるのは恥ずかしいことではなかったようです。今では女性が胸や下着が見えてしまうような服装をしていたらギョッとするしマナーを疑われたり年少者なら注意をされますよね。でもそれは、「女性の胸」が「性的なもの」として認識されているから。男性にしても、ふんどしひとつで表を歩き回っていることに違和感が無いあたり、とりあえず性器さえ見せなければ問題ない、という価値観だったということかぁ。(今だとビーチ以外では許されないですよね)鎖国時代、よその目(他の常識・価値観を持つ人)が一切無いために日本中が『家の中』みたいな感覚だったのかもしれませんね…?平安時代の恥ずかしいとは?子どもたちが不思議に思っていたのはこの帽子(烏帽子)…次男はいつでもどこでもキャップをかぶって行くし、何なら風呂上がりでも野球ごっこをするためにかぶるし、予防接種にグローブとキャップをお守りのように身につけて行ったこともあったっけ…。そんな次男から見ると、たぬ君もお気に入りの帽子をかぶっているのかと思ったみたいですが…。でもたぬ君の反応からして、彼の烏帽子は現代のキャップのような存在では無いようですね。実はワタシ、これは前から知っていたのでひな祭りが近づくと女の子のいるご家庭に「絶対に男雛には冠つけてあげて!」ってしつこく注意喚起していました(笑)それぐらい、ホント人間やめるかどうかぐらいに大事な価値観なら尊重してあげたかったんです。たとえ人形だとしてもね。日本人が裸を恥ずかしがるようになるのは明治以降こうした独自の文化の中で作られた常識やマナーの数々は、大航海時代以降、ヨーロッパ各国の植民地支配のときに、占領した文化圏を『野蛮』として、その土地の価値観を奪い取ってしまうことが多かったようです。日本は植民地にはならなかったものの、自ら『富国強兵』のために西洋化を進めました。その結果、前回書いたような「父親の育児」「家族団欒」も、今回わかった「恥の概念」も率先して捨てていったようで…。無理やり奪い取られる国が多かった中で日本はちょっと変わった形での変遷ですが、現代から振り返ると、元々の価値観そんなに捨てなくても! もったいないなぁ!! と思っちゃったりも。日本史上の『恥の概念』を知って改めて思うことさて、日本史上の『恥の概念』を知って改めて思うこと。その国や地域の価値観や文化は、歴史や立地などいろんな要素があって独自の形ででき上がっていくものであって、どれが正しい、どれが間違っている、野蛮ということはないですよね。それは見た目でも、言葉でも同じ。「いろんな人がいるんだね」「そういう国/文化もあるんだね」と、自分が正しいと思わずに違った考えも受け入れて、否定せずに共に妥協点を探っていくことができたら…世の中はもっと平和になるだろうなぁ…。子育ても…親の考えや現代の常識を伝えつつ押し付けないこと。それが意外と難しいんですが、やり続けないとですよね!
2022年05月31日2022年5月現在、新型コロナウイルス感染症の流行にともない、見知らぬ人と接触する機会が少なくなっています。コロナ禍以前には当たり前のように見かけていた、他人同士の交流が減り、どこかさびしさを感じている人もいるでしょう。ごぼふく(gobohuku)さんが、Instagramでフォロワーさんから寄せられた実体験をもとに描いた、夫婦のエピソードをご紹介します。ある日、幼い子供を連れて、バス停でバスを待っていた夫婦。そこへ信号待ちをしている、1台の車が停車して…。運転席にいた見知らぬ男性は、車の窓を開け、夫婦に「赤ちゃん!!かわいいですね」とひと言。予期せぬ言葉のプレゼントに、嬉しくなった夫婦は、男性に向かって「ワンちゃんかわいいですね」と返事をします。実は、初めてとなる子育ての真っ最中だった夫婦。コロナ禍ということもあり、人との関わりが少なく、さびしさを感じていただけに、心に残る出来事となったのでしょう。「みんながハッピーな世界で最高」「素敵!こういうお話が大好き」といった声が相次いだ、エピソード。関係が希薄になりがちな時こそ、こんな風に相手が喜ぶ声かけができたら、素敵ですね。[文・構成/grape編集部]
2022年05月21日わが家は男子3兄弟。性別が偏っているだけに多様性や男女平等、そして性教育など、より注意深く子どもたちに伝えていかねばと常に思っております…!わが家は夫が平日忙しい分、休日に子どもたちの対応を積極的にしてくれている方だと思います。元々、夫はジェンダー役割にとらわれた考えを持っているタイプではなく、子育ては母親のやるものとは思っていないのですが、いかんせんリアルに子どもたちと触れ合う時間は少ないのが現状なんですよねぇ…。というわけで、子育ての多くの部分を母親であるワタシがやっており、どうしても平日はほぼワンオペで…子どもたちもそれが当たり前と思ってしまっているようです。『孤育て』という言葉があるほど、子育ては女性のワンオペor負担が多いのが現状の日本。でもそれって…昔からなの? 『子育ては女の仕事』ってイメージは一体いつから…? とモヤモヤが止まらなくなってしまったワタシ。たぬ君とおこん に日本の歴史を教えてもらおう!そこでスマホにダウンロードしたての歴史検索アプリを開くと…突如現れた不思議な公家のたぬ君と遊び女おこんのふたりは歴史空間への案内人?! ワタシが疑問に思っていること、この目で確かめさせてもらえることになりました!江戸(幕末)は子どもの楽園だった…?たぬ君の持つ葉っぱマジックでドロンとタイムリープしたのは、幕末日本の街並み。馬や人が賑やかに行き交う大通りで何より目立っていたのは道のど真ん中を楽しそうに遊び場にしている子どもたちの姿でした。この頃は各国からの外国人使節たちも日本に来ていて、ヨーロッパとは明らかに違う子どもへの対応の差に大いに驚いたんですって。在留外国人たちの記録に、江戸時代の日本では子どもたちが大人からとても大切にされて、愛情深くのびのびと育っていたという風景が残されているようです。例えば馬車の先駆けをする別当(係)の道路の中央に安心しきって坐っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道の傍へ丁重に導いたり、実際10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながら進む出典:『逝きし世の面影』渡辺京二(メアリ・フレイザー『フレイザー前掲書』)そんな様子も見られてちょっとほっこり。そして、もっと驚いたのは長屋の並ぶ庶民の住宅街。江戸の日常の中では父親たちが当たり前に子育てをしていたんです!!イザベラ・バードはこう記しています。毎朝6時ごろ、12人から14人の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれ自分の腕に2歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。出典:『逝きし世の面影』渡辺京二(Bird,ibid,vol1)幕末に来日したオールコックというイギリス人は上陸した長崎の様子を見て『子どもの楽園』という表現で記していました。子どもという存在が、親だけでなく大人たちから、つまり社会全体からとても大切に扱われ「子ども達は朝から晩まで幸福であるらしい」出典:『逝きし世の面影』渡辺京二(モース『その日2』)と西洋人の目に映っていたなんて、ちょっと胸にくるものがありますよね…。明治以降、欧米に追いつけ追い越せで必死に西洋文化を受け入れていった日本。その時代に、より生産力を高め富国強兵を目指す中で男女の役割も変わっていって…というのが現代の形になっていった経緯みたいですね。現代…そして未来はどうなる?それぞれいろんな感想を持ちながら現代に帰ってきたわが家のメンバー。働き方も生活様式も全く違う江戸時代と現代を比べても仕方ないのですが、日本人がもともと持っていた良い部分は少しずつでも取り戻したい。夫とワタシ、どうしたらお互いの負担を減らしながら子どもたちにも我慢をさせずに満足度の高い暮らしをしていけるか…膝突き合わせて話し合ってみました。歴史に興味のなかった夫は、武士の時代でいかにも男尊女卑の意識が強そうと思っていた江戸時代の男性が育児をしていたということが意外だったそう。ワタシは、父親たち男性が家事の忙しい時間帯に家にいられて現代よりずっと家族団欒が多そうなところが羨ましかったなぁ…。家事は主に女性の仕事だったようで、年長の子どもが年少の子守りをしたり労働させられたりと、もちろん今より大変なことも多かったはずですが。翻って現代の男性に目を向けると…昭和の価値観『男は大黒柱であれ』にプラスして、昨今は『育児も家事もしろ』と求められるものが多すぎることも問題になっているようです。わが家の男子3兄弟はそんなプレッシャーと戦う未来が待っているのか…と思うとちょっと心配…。誰かに負担が偏ると、お互いを思いやる気持ちが消えやすくなりますもんね。歴史を知ることで、男性も女性も無意識に思い込んでいる『あたりまえ』(アンコンシャス・バイアスっていうようです)から抜け出せたらいいなぁ…。そんなわけで、たぬ君とおこんさんにこれからいろんな歴史の世界に連れて行ってもらうことにしたわが家でした。
2022年05月16日せっかく夫婦になったのですから、「素敵な夫婦関係」を目指したいですよね。そこで今回は、子育てアドバイザーの資格も持つ筆者が、素敵な夫に育てる方法をご紹介します。夫をうまく導いてあげてくださいね♡■ 外で夫を褒める夫がたとえ「1回」でもやってくれたことは、夫の前で友人や母親に言うようにしてみてください。ポイントは「1回でも」という点。「ウソ」はNGです。これは心理学でいう「レッテル効果」を応用したもの。「不良のレッテルを貼られると不良になる」のように悪い意味で使われることが多いのですが、じつは「レッテル」とは相手に一面的な評価を与えることで、貼るのは「良い評価」でも「悪い評価」でも良いのです。「夫は皿洗いをしてくれる人」というレッテルを貼って周囲に伝えると、夫は本当に「皿洗いをしてくれる人」に変化していきます。また逆に「夫はなにもしない人」というレッテルを貼ると、本当にそうなっていきますのでご注意を。「できる夫」をあなたが作っていくのです。■ 不満はふざけて伝える怒られるとだれしもイヤなもの。そしてそれが夫にとって「小さなこと」であればあるほど夫は「そんなに大げさに言わなくても」と聞き入れてくれなくなります。本当に今後の人生を左右するような「不満」ならともかく、日々発生する小さな不満は「小まめに」ただし「真面目に伝えない」ことを意識してみてください。冗談めかして伝えたり、写真で残せるものならちょっと加工して「大事件です!」なんてLINEを送ってみたりするのもいいかもしれません。ちなみに筆者はよくミュージカル調で伝えます。コツは相手が「しょうがないな(笑)」と笑ってしまうような伝え方を意識すること。案外そっちのほうがすんなり不満を聞き入れてくれます。■ とにかくたくさん褒める「褒め」の効果がもっとも発揮されやすいのは、以下の3つの段階をクリアしたときです。1.直接本人を褒める2.「夫がこんなことしてくれたの」と第三者に伝えているのを本人に聞かせる3.「〇〇さんが褒めてた」と第三者の意見を伝えるちなみに「良いレッテル貼り」は2に当たります。さらに、3で挙げた他者評価が入ることで、まるでレビューや口コミのように、夫の行動の評価が「良かったもの」として信憑性が増すのです。「褒める」というと1で挙げたもので終わる人が多いのですが、それだけだと相手はだんだんと飽きてしまいます。「褒める」ときはきっちり3段階で試してみてください。効果が段違いですよ。■ 伝え方次第で素敵な夫に!「夫」は生まれたときから「夫」ではありません。あなたと結婚してはじめて「夫」になったのです。つまりまだ「素敵な夫」への道ははじまったばかり。ここから夫をどう育てるかはあなた次第ですよ。(矢島 みさえ/ライター)(恋愛メディア・愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年12月19日11月22日は、いい夫婦の日。冷え込んで来たいまの季節、家族でゆったりテレビを見て過ごすのも良いでしょう。そこで今日は、様々な“夫婦”の姿を描いた話題の作品をピックアップしてご紹介していきます。あなたは、どの作品が気になりますか?“夫婦のリアル”を芸能人架空カップルが体現!「私たち結婚しました」「私たち結婚しました 2」(C)AbemaTV, Inc.韓国で国民的大ヒットとなった同名番組を、日本版にリメイク。ABEMAが送る恋愛モキュメンタリー番組「私たち結婚しました」が、11月26日(金)より新たな放送を開始します。もしも、あの芸能人たちが結婚したら…!?多方面で活躍している有名芸能人同士の架空の結婚生活に密着し、期間限定で送られる夫婦生活の中で、結婚式や新居の準備、寝室での様子など普段見ることができない“夫婦のリアル”を映し出す本作。シーズン1では、野村周平さん×さとうほなみさん夫婦の不意打ちのキスや、白洲迅さん×堀田茜さん夫婦の思わずキュンとする手繋ぎなど、それぞれのカップルによるリアルで甘い結婚生活が大きな話題を集めました。気になるシーズン2の顔ぶれは――浅香航大さん×トリンドル玲奈さん、そして塩野瑛久さん×足立梨花さんとこれまた豪華な2組。MCをつとめるのは、前作に引き続き、千鳥・ノブさんと三浦翔平さんです。さらに、あの人気漫画家・東村アキコさんも続投して、結婚生活を送る2人のミッションの考案や番組の監修をつとめるとあって、益々目が離せない展開になりそうですね。良い所も悪い所も…“夫婦のリアル”をとくとお楽しみください。“夫婦契約”から見えてくる、新しい愛の形「婚姻届に判を捺しただけですが」「婚姻届に判を捺しただけですが」(C)TBS有生青春さんの同名コミックを実写化した本作。デザイナーとしての仕事に奮闘、気ままな独身生活を謳歌していた主人公・大加戸明葉(清野菜名)の元に、とある事情から偽装結婚を申し込む百瀬柊(坂口健太郎)。利害の一致から、突如始まった広告代理店勤務・堅物サラリーマンとの共同生活はドタバタの連続で…。本作は、誰もが一度は考えたことのある「幸せな結婚って何?」「仲良し夫婦の定義とは?」という悶絶するような葛藤を、即席“偽装夫婦”の背中を通して追求していく不意キュンラブコメディーとなっています。交際期間0日でスタートした共同生活――本来であれば、事前に擦り合わせるべき価値観問題も、二人は“掟”を作ることで解決を試みていくのが面白いところ。食事は各自で摂る、お互いの食器は使わない、ゴミは別々に出す、共有スペースに趣味のものを置かない…そして、恋に落ちないこと。無駄なストレスを溜めないため、お互いのことを考えて作ったはずの“掟”ですが、日々の喜怒哀楽を共有していくうち、自然と許せる部分も大きくなってきて…。相手のことを思いやるがゆえ、少しずつ“掟”が減っていく様が妙にリアルで、視聴者の共感を集める部分となっています。令和らしい新しい愛の形を、放送でチェックしてみてくださいね。禁断の恋を乗り越えた先にある、強固なる“夫婦愛”「ルパンの娘」『劇場版 ルパンの娘』(C)横関大/講談社 (C)2021「劇場版 ルパンの娘」製作委員会横関大さんの有名小説を原作に、深田恭子さんを主演に迎えて実写化された話題のドラマ「ルパンの娘」。先祖代々受け継がれてきた泥棒家業、通称Lの一族の娘として生まれた主人公・三雲華(深田さん)は、同じく警察一家の末裔として育った桜庭和馬(瀬戸康史)と恋に落ち、様々な弊害を乗り越えながら、禁断の恋を実らせて結婚を果たします。しかしながら、泥棒VS警察という高い壁に阻まれた夫婦生活は、決して容易ではなく…。ドラマではその様子が、笑いあり、涙ありのコメディータッチに描かれていますが、その苦悩は計り知れません。特に、愛娘・杏が生まれてからというもの、「普通に育てたい」という夫婦の強い想いが、返って泥棒の才能を秘めた杏を追い詰めることになってしまい、家族を総動員した大騒動へと発展。意見の食い違いから揉め事絶えない日々を送りながらも、最終的に全てを解決に導いたのは、やはり強固なる“夫婦愛”でした。お互いが生きてきた環境、目の前にいる愛おしい人が育ってきた環境を真摯に受け止めて尊重する愛情の深さには、時に目頭が熱くなる瞬間も…!劇場版と合わせて楽しめる一作となっています。以上、秋の夜長“いい夫婦の日”のおともに是非、視聴してみてはいかがでしょうか。(text:Yuki Watanabe)
2021年11月22日どの地域にも、名称は違えど「子育てひろば」というものがあると思います。ママばかりなのでパパが連れて行くにはハードルが高そうですが、土日に行くとパパもたくさんいます。おもちゃがあって子どもたちもよく遊び、話しかけてくれる職員さんもいて、パパにとっても居心地がよいそうです。今回は、わが家のパパの子育て広場体験談をお伝えします。 ※コロナ禍前の体験談です 子育てひろばとは?地域によって呼び名は異なりますが、一般的に地域子育て支援拠点として、0~6歳を中心とした乳幼児とその保護者が、一緒に遊んで過ごせる場所として自治体が管理している施設です。利用料は無料のところが多く、開館時間は施設によって異なります。乳幼児と保護者が対象なので、もちろんパパも利用できます。子どもたちが喜ぶおもちゃや広いスペースがあるので、雨が降ったりして遊び場に困ったときにも利用でき、親子ともに楽しい時間が過ごせます。 子育てひろばってパパも利用しているの?パパが一番気になっていたのが「ほかのパパも利用しているのか?」という点だったそうです。私たちは東京郊外在住ですが、土日の昼間に子育てひろばに行くと、ほとんどがパパと子どもという組み合わせの場合がありました。一般的に土日はお休みのパパが多いので、子育てひろばにいることも多いようです。わが家の場合、まずパパと私と子どもたちの家族みんなで土日に遊びに行ってみました。雰囲気もわかってパパも安心したそうです。 パパが子育てひろばに行くときの注意点実際にわが家のパパが子育てひろばを利用するときに注意した、2つの点をご紹介します。1つ目は、利用の流れを確認しておくことです。男性がおむつ替えをする際は多目的トイレを使うなど、配慮しておきたいルールがある場合もあります。2つ目は、持ち物をママが確認しておくことです。子育てひろばに行く時間帯によって、おむつ、お昼ごはんやおやつなど、必要なおでかけグッズがいろいろあります。わが家のパパは「持ち物まではわからない!」とのことなので、私が事前に準備して送り出していました。 「子育てひろば」は子どもたちも楽しむことができ、ママだけでなく、パパにとっても安心できる居場所だったようです。最近、わが家のパパは土日のどちらか数時間、子ども2人と子育てひろばで過ごしています。さらにパパ友もできて、情報交換するなど、子育てひろばによって楽しい子育てライフを過ごせているようです。 イラスト/おもち監修/助産師REIKO著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。
2021年11月20日くるくる変わる表情が愛くるしい豆千代くんと、ちょっぴりおてんばなモチ代ちゃん。2匹は仲のよい柴犬の夫婦です。2021年11月に、モチ代ちゃんは出産。飼い主(mamechiyo728)さんのInstagramでは、夫婦と3匹の子犬たちの様子を見ることができます。5匹が集まった動画では、モチ代ちゃんがせっせと子犬たちのお世話をしています。一方、豆千代くんは…。※動画は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 仲良し豆柴夫婦⁈豆千代くんとモチ代さん(@mamechiyo728)がシェアした投稿 動揺しすぎ…!子犬たちを舐めるモチ代ちゃんとは対照的に、かなり戸惑っているようです。モチ代ちゃんのお尻に鼻先を寄せているのは、慣れ親しんだにおいで心を落ち着けようとしているのかもしれません。2匹の子育て模様を見守る人たちから、こんなコメントが集まっています。・新米パパのオロオロが面白い~!・ママ頼もしい!頑張れ!・犬の夫婦も人間界と同じだな。「僕は一体どうしたら…」という心の声が聞こえてきそうですが、豆千代くんは優しい性格の持ち主。モチ代ちゃんと仲良く子育てをする姿を、これから見せてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2021年11月16日都内のタワーマンションで子育て中のママ。大型マンションでの子育てを通して感じたメリット・デメリット、そしてタワマン内でのお友だちとの交友関係について紹介しています。 都内のタワーマンションで子育て中の私。夫も私も田舎の一軒家で育った背景があり、引っ越す前は都会の大型マンションでの子育てがどのようなものになるのか、まったく想像がつかずドキドキでした。なかでも心配だったのが「お友だち関係」。ドラマのようなタワマンカーストがあったらどうしよう......と不安もありましたが、現実はドラマとは違いました。タワーマンション子育てをしてみて感じたお友だち関係のメリット、デメリットをご紹介します。 うれしいメリット! お友だちに困らないまず、タワーマンションに住んでみて一番よかったのは、お友だちがたくさんできたこと。うちのマンションは全800世帯程ですが、すべてファミリー向けのため同じように子育てをしている世帯が多く、親の年も子どもの年も近いです。幼稚園バスもうちのマンションで1台うまってしまうほどで、とにかくお友だちがたくさんできました。マンション内にお友だちがいると雨の日でも天気を気にすることなく遊べますし、近くの公園に行けば誰かしらお友だちに会えて一緒に遊んでもらえることが多く、とても助かっています。みなさん良い方ばかりで、住んでいる階数で差別されるようなことも、もちろんまったくありません。 結構ストレス! 全然家に帰ってくれないしかし、気軽にお友だちと遊べるというのは、時に親にとってはデメリットもあります。幼稚園から帰ると、バス停周辺やマンションのキッズルームでお友だちと遊びこむのが常で、全然家に帰ろうとしません。降園後に何か予定があっても、用事を達成できないストレスが常にあります。 今年、上の子が年長ですが、今では降園後に用事を入れるのは諦めるようになりました。習い事がある日などは、わざわざ幼稚園にお迎えに行って、遊びこむ状況を作らないようにしています。 メリット? デメリット? 家は常にきれいにまた、お互いの家への行き来もかなり気軽に頻繁におこなわれます。降園後のアポなし訪問も日常茶飯事。いつ何時誰がくるかもわからないので、常に家の中をきれいにしておかなければいけません。掃除が苦手な私は、幼稚園に入園したてのころ、これが結構ストレスでした。 「今日は掃除していないから」とわが家で遊びたいという子どもたちの要望を断ったりもしていましたが、ほかのお家はいつでもウェルカム、いつお邪魔してもきれい。私も見習って、できる限り部屋を掃除していつでも訪問オッケーな状態をキープするよう心がけています。 掃除を頻繁にしなければいけない点は時々面倒くさく感じますが、以前よりもきれい好きになっているので、良い影響を与えられていると思うようにしています。タワマン子育ての交友関係にはそれなりのデメリットもありますが、うちの子たちはお友だちと遊ぶのが大好きなので、総合的にはこの環境を気に入っています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。
2021年10月16日「熟年離婚」という言葉が流行語になり、いわゆる老後を前にした夫婦関係のあり方に注目が集まったのは、かれこれ15年ほど前になるだろうか。近年、そのあり方はさらに細分化し、「離婚未満」を選ぶケースが増えているという。そこで、昭和女子大学理事長の坂東眞理子さんに話を聞いた。著書『老活のすすめ』のなかで、人生100年時代の新たな生活提案をしているが、婚姻関係の多様化も自然な流れだそう。「夫婦のカタチはそれぞれ。特に60歳を過ぎたら、夫婦はベッタリでなくてもいいのです。私は常々、人間関係には距離が大切と言っていて、車間距離ならぬ“人間距離”ですねーー近すぎれば衝突してしまうし、常に目の前にいられたら煩わしく、自由を奪われた気になる。けれど、離れすぎれば関係そのものが絶たれてしまいます。長年連れ添った夫婦も同じこと。新婚当初は一心同体、なんて思ったかもしれませんが、上手に関係を続けるためには、互いにとって心地よい距離が必要なのです」離婚を選ぶ夫婦がいる一方で、いくつになってもラブラブな夫婦もいて、さらにその間には無数の婚姻のカタチがある。「夫・妻という役割を捨て、同居人として互いに得意なことをする」「同じ家に住みながら、関わりを持たない家庭内別居」「休日だけ別々に過ごす、あるいは一緒に過ごす」など、じつにさまざまだ。「残り数年なら我慢もできるでしょうが、人生100年時代、ここから40年は長すぎますよね。相手に不満があるなら、きちんと伝えるべきです。ただし、爆発させるのは考えもの。多くの場合、夫は妻の不満に気づいていないので伝わりづらく、自分自身も疲れますから、小出しにして様子を見るほうが得策です。もしかしたら、相手も距離をとりたいと思っているかもしれないし、そうであれば合意を得やすいですよね」そして何より、心地よく暮らすには経済的な安定が不可欠だ。「日本の家庭は妻がお財布を握っている、なんていわれますが、資産となると別で、家も夫名義の場合が多いですよね。妻は、今日の大根を買う自由はあっても、資産を動かす自由はない。経済と気持ちを天秤にかけ、相手の譲歩を引き出しながら、妥協できることは妥協することも必要です」それでも別居を選ぶなら、用意周到な準備が必要になる、と話すのはかがりび綜合法律事務所の野条健人弁護士だ。「最近の相談で目立つのが、夫のモラハラです。モラハラという概念が広く知られるようになったのも一因ですが、残念ながら、無意識な夫は多い。『養ってもらったくせに生意気を言うな』『オレ様にたてつくな』という感覚です。世代的にも妻を家来だと思っている男性は多いので、妻の言葉には耳を傾けないし、譲歩しません。愛情ではなく支配欲ですね。ただ、そういう人は案外、権威には弱いので、法律を使って譲歩を引き出す手があります。必要に応じて弁護士に相談してください。いずれにしても、経済的に破綻しないために証拠を集めておくこと。不倫にしてもモラハラにしても、用意周到な準備が必要です」「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月20日