2020年に芸能界を引退した木下優樹菜さんが17日、都内で写真集『CORRECT』出版会見を行った。木下さんは冒頭、「木下優樹菜です。いろいろお騒がせしてすみません。今日はお集まりいただきましてありがとうございます。よろしくお願いします」と挨拶し、「すごいありがたいお話をいただいて、みんなでこうやって1つの本を作れて発売を迎えられたので今日は楽しみにしていました」と話した。写真集を出すと決めた理由については、「このタイミングでありがたいことにオファーをいただいたので、本当にシンプルに『お願いします』っていう気持ちで、34歳の自分として何かできることがあればなと思って受けさせていただきました」と説明した。一般人として発売したことについて、「今まで芸能事務所に所属させていただいて14年間バラエティに出させていただいていましたが、芸能界を引退してどこにも所属せず、一般人の方が使える……SNSやYouTubeを使って今の優樹菜が発信できることあがればしていきたいなという思いでやっている。バラエティに出るっていうことは今の時点では全く考えてないので一般人という言葉を使わせていただいています」と説明し、「芸能事務所に所属していないのと、前みたいにバラエティ番組に出たいという気持ちが今の時点では、引退した時点でないです」と発言。今後の展望を聞かれると、「(写真集を)『あ、やりたい!』と思って思い出作りとして作らせていただいたのも含め、SNSやYouTubeで私を見て何か感じてもらったり、芸能界を引退した優樹菜でも発信できる何かがあればやっていきたいなという思いです」と答えた。芸能界を引退してよかったと感じていることを聞かれると、「辞めたらマスコミの方に追いかけられないと思ったんですけど全然それ関係なくてびっくりしちゃいました。めちゃくちゃびっくりしちゃって。『引退したんですけど』って言っても、『いやいやいや』ってお返しをいただいたので関係ないんだって」と笑いながら話した木下さん。続けて、「未練も全くないっていうのがあるんですけど、あの時代のバラエティ番組に出させてもらってすごくいい経験をさせてもらい、やり切った感しかないので、辞めてよかったなという部分はまだ感じてないですね」と話した。バラエティに戻りたいという思いはないそうで、「やり切ったという思いが本当に強くて、辞めて何カ月後とかにじわじわくるのかなと思ったんですけど、14年間ずっと素晴らしいバラエティ番組のレギュラーにさせてもらったり、紅白歌合戦にまで出させてもらったり、本当にいい思い出になったなと思っているので、自分の中で誇りですね。普通では経験できないことを経験させてもらって本当によかったなと思っています」と晴れやかな表情で語った。
2022年03月17日2020年に芸能界を引退した木下優樹菜さんが17日、都内で写真集『CORRECT』出版会見を行った。芸能界引退後、一般人として初となる同写真集』(3月17日発売/双葉社)は、沢渡朔氏と橋本憲和氏の2人のカメラマンが撮影を担当。カメラマンごとに髪の色も変え、木下さんの“2つの顔”が表現されている。木下は冒頭、「木下優樹菜です。いろいろお騒がせしてすみません。今日はお集まりいただきましてありがとうございます。よろしくお願いします」と挨拶。写真集出版に関して、「すごいありがたいお話をいただいて、みんなでこうやって1つの本を作れて発売を迎えられたので今日は楽しみにしていました」と笑顔で話した。この写真集は、交際中のJ2大宮アルディージャ・三幸秀稔選手も応援してくれていたそうで、「『ゆきちゃんらしく楽しく思い出としてやっておいで! 行ってらっしゃい!』って出してくれたのですごく頑張りました」とにっこり。「かばんの中に手紙が入っていて、『頑張ってね。楽しんでおいで』って書いてくれていたのでありがたいなと思いました」とうれしそうに話した。写真集のために初めてパーソナルジムに通って体作りに励んだという。「もともと痩せているイメージがあったと思うんですけど、30歳からお酒が飲めるようになり、34歳なので気づいたらなかったところにお肉がついたりしたので、これはまずいと思って締めるところは締めました!」と説明し、三幸選手からアドバイスをもらったことも明かした。三幸選手との出会いを聞かれると、「たまたま彼が車を買う時期と私が買う時期が一緒で、たまたまディーラーさんが一緒で出会ったんですけど、車屋さんだと思うくらい車に詳しくて。車屋さんなのにガッチリしてしているなと思ったんですけど、車屋さんじゃなかったです(笑)」と説明。さらに、再婚の可能性を聞かれると、「再婚という形にとらわれず、ずっと一緒にいられたらいいなと思うんですけど、そのときになったら考えようかと思います。なくもないです」と答えた。
2022年03月17日2020年に芸能界を引退した木下優樹菜さんが17日、都内で写真集『CORRECT』出版会見を行った。芸能界引退後、一般人として初となる同写真集』(3月17日発売/双葉社)は、沢渡朔氏と橋本憲和氏の2人のカメラマンが撮影を担当。カメラマンごとに髪の色も変え、木下さんの“2つの顔”が表現されている。木下は冒頭、「木下優樹菜です。いろいろお騒がせしてすみません。今日はお集まりいただきましてありがとうございます。よろしくお願いします」と挨拶。写真集出版に関して、「すごいありがたいお話をいただいて、みんなでこうやって1つの本を作れて発売を迎えられたので今日は楽しみにしていました」と笑顔で話した。木下にとって久々の公の場。「本当に震えていて、娘に『大丈夫だからママ頑張って』っ昨日の夜から言われていて。今、大丈夫ですよね!? 大丈夫だと思います。超緊張しています」と心境を吐露した。この写真集は、交際中のJ2大宮アルディージャ・三幸秀稔選手も応援してくれていたそうで、「『ゆきちゃんらしく楽しく思い出としてやっておいで! 行ってらっしゃい!』って出してくれたのですごく頑張りました」とにっこり。「かばんの中に手紙が入っていて、『頑張ってね。楽しんでおいで』って書いてくれていたのでありがたいなと思いました」とうれしそうに話した。
2022年03月17日モデルの木下絵里香が出演する、学校法人貝畑学園・専門学校岡山ビューティモードの新CM「あの時・・・」編が、26日より中国・四国エリアで放送される。今作でテレビCM初出演となる木下。撮影は「夢に、ホンキ。」をテーマに、木下の出身地でもある岡山で行われた。美容師になる夢を叶える未来の姿までをドラマ仕立てで描いており、木下は高校生、専門学生、美容師の三役を演じている。大人役となる美容師の際は、衣装と髪型を変えて15歳には見えない大人びた姿を見せた。コメントは以下の通り。■木下絵里香今回の撮影では最初は緊張しましたが、スタッフさんや共演者の方と沢山お話してリラックスして撮影することができました。岡山は2年ぶりでしたが、行ったことのある場所に沢山行けてとても懐かしい気持ちになれました! 大好きなきびだんごを沢山食べられて嬉しかったです。今後も今回のCMのような演技のお仕事にも沢山挑戦してみたいです!
2022年02月25日「私、木下富美子は本日、東京都議会議長に辞表を提出すること、決断をいたしました。小池都知事と直接お話をさせていただき、また支援者の方々にもあらためてご相談をし、都議会議員の職を辞することを決断いたしました」無免許運転を繰り返したとして在宅起訴された木下富美子都議(55)。11月22日に会見を開き、辞職を表明した。さかのぼること今年7月、都議会議員選挙期間中に無免許運転で人身事故を起こしていた木下都議。さらに免停期間中、6回にわたって無免許運転をしていたことも明らかに。所属していた『都民ファーストの会』は木下都議を除名し、都議会は2度にわたって辞職勧告を決議した。そのいっぽうで都議会から召喚状が2度送付されたものの、「体調不良」を理由に応じなかった木下都議。「誠意ある説明をするべき」という3度目の召喚状でようやく今月9日に“初登庁”したものの、「辞職しない」と訴えたことで波紋を呼んでいた。「木下都議は同日の公営企業委員会に出席する予定でした。しかし、理事らから異論が噴出。なかには、退席する委員もいました。委員会は13時に始まる予定でしたが、10時間後の23時過ぎに委員長らが『現状では開会できない』と判断。結局、そのまま流会となりました」(全国紙記者)■木下都議と弁護士は「理不尽な現実」「いじめ」と主張議事運営にも大きな影響を及ぼした木下都議。しかし22日の謝罪会見では、こう語っていた。「私としては有権者の方々に選んでいただいたことを最も大切に考え、法律による議員の身分保障は民主主義の根幹であり、4年間の任期を都民の皆さまにご奉仕するとの考えのもとで都議を続けたいと申し上げてまいりました」「仕事がしたくて議員継続を望んでいるにもかかわらず、仕事をさせてもらえないという現実が先日の委員会開会拒否で明らかになりました」そして「議員として十分に仕事をさせてもらえない理不尽な現実に悩みました」とも述べた。さらに同席した弁護士は「議会に呼んでおき、出席したら木下以外の議員が委員会をボイコット」「辞職勧告に従わなかった議員を無視するようないじめ行為」といい、「不祥事を行った議員を辞めさせたいのであれば、法律上の適正手続きに従って辞職させることができるよう法整備を整えたらいかがでしょうか」とも提言した。働きたいのに働けない“理不尽な現実”に悩んだという木下都議。それを「いじめだ」と指摘した弁護士。しかしネットでは、彼らの発言が物議を醸すことに。Twitterではこんな声が上がっている。《自分の責任エベレスト並みに棚上げして反省してるとは思い難い》《この段階で理不尽って言葉を残すの、やっぱりフーミンは自己中心的なんだな》《道交法守らない人に法的拘束力の話をされてもねぇ…》《何も理解していないんだ、この人は》会見後、公式サイトにコメントを掲載した木下都議。「多くの方々にご迷惑をおかけしており、申し訳なく思っております」とつづっているが、“お詫びの気持ち”は有権者に伝わるだろうか?
2021年11月23日11月18日に議会運営委員会で、一連の問題をめぐる公開質疑が実施される予定だった木下富美子都議(55)。しかし同委員会を欠席すると発表され、ネットでは非難轟々となっている。さかのぼること今年7月、都議会議員選挙期間中に無免許運転で人身事故を起こしていた木下都議。当選後にそのことが発覚し、9月に道路交通法違反などの疑いで書類送検されることに。さらに免停期間中、6回にわたって無免許運転していたことも明らかになった。所属していた『都民ファーストの会』から除名され、都議会から2度にわたって辞職勧告が決議されるも木下都議は議員継続を表明。そのいっぽう都議会から召喚状が2度送付されたものの「体調不良」を理由に応じず、「誠意ある説明をするべき」という3度目の召喚状でようやく今月9日に“初登庁”となった。「登庁した木下都議は議長らと会談し、改めて辞職しないと主張しました。そして同日の公営企業委員会に出席することにしましたが、他委員から異論が噴出。そして、委員会が流会する事態となりました」(全国紙記者)自身の行動によって、都議会に混乱を招くこととなった木下都議。彼女を問題視しているのは、議員だけではない。「強制的に議員としての地位を喪失させる法律はないため、木下都議には議員報酬などが毎月支払われ続けています。公式サイトでは『NPO法人などの団体に寄付している』とのことですが、12月1日まで議員として在籍し続ければ冬の期末手当も支払われることに。その金額はおよそ200万円にも上ると報じられています。もちろん原資は都民の税金ですから、彼女の一挙手一投足が厳しく観察されている状況です」(前出・全国紙記者)そして今月18日、議会運営委員会で公開質疑が行われることとなっていた。しかし『産経新聞』によると木下都議は欠席を表明。その理由について「体調が再び悪化した」と説明したという。2度の召喚に応じなかったのも、議会運営委員会を欠席するのも「体調不良だから」ーー。ネットでは木下都議に対して、「議員を辞めて治療に専念すべきでは?」と呆れる声がこう上がっている。《議会も欠席するほど、仕事できないほど体調悪いんですよね?辞職して治療に専念したほうがよいのではって普通に思うんだけど》《ダメじゃん。そんなに容体が悪いなら辞職して治療に専念しろってば》《体調が悪いならさっさと議員を辞めて、治療に専念しなさいよ》《早く辞めないともっと悪くなりますよ?》都民ファーストを除名された木下都議が、1人で立ち上げた会派は『SDGs東京』。しかし、議員生活はいつまで“持続可能”となるだろうか?
2021年11月18日以前とは違う“新しい日常”が戻りつつあるなかで、「毎日の食事作り」は変わらぬルーティーン。思いがけない予定変更や時間に追われ、キッチンでバタバタと準備をして、うっかり失敗したり、後片付けが面倒になったり…と、食事作りにおける小さなストレスを感じている方も多いはず。実は「使いやすい道具」を取り入れることで、そんなプチストレスから一気に解放されることもあります。「取っ手のとれるティファール」はまさにそんな頼れるキッチン道具。2児のママでファッションライターの川口ゆかりさんは、10年以上も前から「取っ手のとれるティファール」を愛用し、家族に料理を作ってきました。多忙な日々でも使いやすい道具があったおかげで、「苦手だった料理」がいまや「いい気分転換」にもなっているといいます。一度使ったら手放せなくなり、近年は自宅のみならず、趣味のキャンプにも欠かせないという川口さんに、長年使い続ける理由を伺いました。また、「取っ手のとれるティファール」はこの秋リニューアルして、こびりつきにくさが格段にパワーアップしたばかり。新商品も体験していただきました。川口ゆかりさん プロフィールファッション雑誌でエディター・ライターとして活躍。プライベートでは小5の女の子と小3の男の子のママ。JSIA飾り巻き寿司1級インストラクター資格を取得し、不定期で飾り巻き寿司レッスンを開催。Instagram: @yucarikawaguchi 取っ手がとれるから、家でもキャンプでも活躍!結婚するまでは、実家暮らしだった川口さん。結婚を機に、まずは道具をそろえようと「取っ手のとれるティファール」をセットで購入したところ、その使い勝手の良さに驚いたそうです。「実際に使ってみると“取っ手がとれる”ということが、実はものすごく便利だと気づきました。買い替え時は、ほかのフライパンも検討しましたが、結局『取っ手のとれるティファール』に落ち着いて。もう10年以上、毎日使っています。コンロ下の引き出しのような“限られたスペース”にも、コンパクトに収納可能。「フライパンもソースパンも同じデザイン・色でそろえると、統一感が生まれるのもうれしいです」取っ手がとれるので調理中のコンロもすっきりするし、お皿のように重ねられるので収納も省スペースで済みます。自宅はもちろん、アウトドアで使うのにも便利で、キャンプには必ず持っていきますね」実は川口さんファミリーはキャンプが大好き。これまでに子連れで100回以上キャンプを楽しんでいるそうです。「キャンプの魅力は、自然のなかでリフレッシュできて、子どもも大人も楽しめること。最近はキャンプ道具も増えてきて、車への荷物の積み込みはまるでパズルのよう。いかにスペースを無駄なく使うかがポイントなんですが、『取っ手のとれるティファール』なら重ねるとコンパクトにまとまるので、車にも積みやすいんです。現地では、お皿感覚で料理をそのまま出せるので洗いものも減るし、キャンプアイテムとしても優秀なんですよ」取っ手がとれて重ねて収納できるから、ピクニックバスケットやカゴにもすっきり収納。車載時のストレスもゼロ!とにかく「外」が大好きで、 “ベランピング” も頻繁に楽しむという川口さん。ベランダでも「取っ手のとれるティファール」が活躍しています。「昔からよくベランダでごはんを食べるんです。子どもが小さいうちは外食もしづらかったし、子どもたちに『朝ごはん、ベランダで食べるよ』と言うと休みの朝も喜んで起きてくれたので。外出しづらいコロナ禍では、いい気分転換にもなりました」ベランピング時はパエリアも熱々のままベランダへ。おかわりも好きなタイミングで好きなだけ。食事中にママが席を立つ回数が減り、のんびり寛げます取っ手がとれるメリットは、調理中にも感じているそう。「3つのコンロを同時にすべて使って調理することが多いのですが、取っ手が熱くなったりジャマになったりしないよう配置を考えなくていいのでラクですね。朝食も卵を焼いたり、野菜を茹でたり、パパッと短時間で準備できます。慌ただしい朝にストレスを感じずに調理できるのは大きいんですよね。コンロまわりが見た目にもすっきりするので、気分よく調理できます」狭いコンロでの複数同時調理も、取っ手が外れることでかなりスムーズに。中が見えるガラスぶたは、調理の様子がわかって便利「夫の帰宅が遅いときは『シールリッド』(専用のプラスチック製蓋)でフタをして、味噌汁やおかずを冷蔵庫で保管しておくことも。保存容器に移す手間も不要で、余計な洗いものが減らせるのもいいですね。冷蔵庫のスペースも限られているので、取っ手がとれると収納しやすくて助かります」道具次第で、誰でも料理上手になれる!結婚するまでは実家暮らしで、撮影や取材に飛び回る日々。料理はほとんどしていなかったという川口さん。結婚を機に「取っ手のとれるティファール」を使って食事作りを始めてみると、大きな失敗もなく、どの料理もおいしく作れたといいます。今回リニューアルした「取っ手のとれるティファール」は、底面のIHデスクを最大限まで拡大し、熱伝導率がさらにパワーアップ!「料理にはなんとなく苦手意識があったのですが、道具次第で上手に作れることを痛感しましたね。実はいまだに薄焼き卵は『取っ手のとれるティファール』じゃないとうまく作れません(笑)。中華料理が大好きでよく作るのですが、餃子も焦げ付かないし、エビチリや酢豚も均一なとろみを付けられます。毎日かなり酷使していますが、使い始めの“こびりつきにくさ”が長く続くのも特長ですね。リニューアルした新商品は、こびりつきにくさがティファール史上最高になったということで、さらに長持ちしそうでうれしいです。子どもたちが大好きなハンバーグも熱伝導率がよいので焼きムラもなく、ふっくらジューシーに仕上がります。最近は娘も手伝ってくれるようになって一緒に作っていますが、『取っ手のとれるティファール』なら安心してチャレンジさせてあげられますね」取っ手の着脱が簡単! 熱々をそのまま食卓へできたての料理をそのままテーブルへ運ぶことも多い川口さん。取っ手の安定性と着脱のしやすさも気に入っている点だといいます。「シチューは簡単に作れて、娘が一番好きな料理なので、家でもキャンプでもよく作ります。かなり大量に作るので重さはありますが、取っ手がものすごく安定しているので、安心してテーブルへ運べます。片手で簡単に着脱できる取っ手。ティファール独自の3点固定システムで、抜群の安定感を実現。重い汁物でも安心して運ぶことができる。「キャンプでは、チャーハンやオムライスなどを大量に作ってフライパンのまま出すことも多いですね」「あと、オーブン使用OKなのでグラタン作りなどにも活躍しますね。コンロで調理したあと、そのままオーブンへ入れられるから時短にもなりますし、耐熱皿と違ってチーズの焦げ付きなども気になりません。洗うときも汚れがさっと落ちるので洗いやすいですね。取っ手がとれるのでお皿感覚で丸洗いできて、片付けもあっという間。キャンプのときも炊事場で洗いやすく、重ねて運べるので助かっています」毎日使うから“ストレスフリーな道具”を「やっぱり料理は道具選びが大事。毎日使うものなので、少しでもストレスを感じると結局使わなくなってしまいます。『取っ手のとれるティファール』は、これだけ毎日タフに使っているのに、こびりつきにくさがずっと続いているのもすごいと思いますし、片付けや収納までストレスフリーなのも魅力です。家で過ごす時間が増えたことで、料理が一種の気分転換になっていますね。そう思えるのは、もしかすると料理初心者のころから『取っ手のとれるティファール』のおかげで、調理や片付けのストレスをあまり感じずに、おいしい料理を作れてこれたからかなぁと。『取っ手のとれるティファール』は、料理初心者から料理が好きな人まで、誰もが使いやすい理想的な道具だと思いますね。もう10年以上使っていますが、これからもずっと愛用していくつもりです」 \こびりつきにくさが格段にアップ/取っ手のとれるティファール を見る ティファール史上最高の「こびりつきにくさ」と「耐久性」を実現!「インジニオ・ネオ IHマロンブラウン・アンリミテッド」<セット9 >フライパン22/26cm、ソースパン16/20cm、バタフライガラスぶた16/20cm、シールリッド16/20cm、専用取っ手(フィグ・ブラウン) 1本 ※IH・ガス火対応、食洗機OK川口さんが体験したのは、今年65周年を迎えたフランス生まれの世界ナンバーワン調理器具ブランド「ティファール」の取っ手のとれる「インジニオ・ネオ」新シリーズ。この秋、こびりつきにくさが格段にアップ、お知らせマークもさらにわかりやすくなり、リニューアルしました。 \こびりつきにくさが格段にアップ/取っ手のとれるティファール を見る ▼新次元の「耐久性」と「こびりつきにくさ」6層からなるチタン・アンリミテッドコーティングにより、こびりつきにくさが格段にアップ。さらに、今まで困難だった技術に成功し、金属へらなどによるダメージに対する耐久性も飛躍的に向上。コーティングの耐久性が高いから、使い始めのこびりつきにくさが驚くほど長続きします。▼「お知らせマーク」のデザインを一新!ティファールのフライパンの中央にある赤いマークは、適温を知らせるためにあるもの。今回のリニューアルでさらにデザインがわかりやすくなりました。砂時計の模様が消えたら適温の合図、調理スタートのサインです。今回の新モデルは、厚くて広い底面設計となり熱伝導率もさらにアップ! ムラなく調理ができる上に蓄熱力があるため冷めにくく、続けて調理をするときは時短にもなります。ティファール史上最高レベルの「こびりつきにくさ、耐久性、熱伝導率」により、毎日の“手軽においしいごはん作り”をしっかりサポートします。\おうちごはんレシピが満載!/ 取っ手のとれるティファールレシピ一覧 を見る [PR] ティファール 取材・文/古屋江美子 スタイリング/花沢理恵 撮影/林ひろし撮影協力/ジョイント(リーノ・エ・リーナ)Tel.03-3723-4270
2021年11月12日木下優樹菜(33)が10月28日、YouTubeで謝罪動画を投稿した。木下がYouTubeを使用したのは今回が初めてのこと。YouTuberデビューともいえる。’19年10月、姉の勤務していたタピオカ店経営者を恫喝していたことが報じられた木下。その後、裁判沙汰となり、動画投稿の前日に40万円の支払いを命じられていた。木下は動画で「今回自分のしてしまったことが、脅迫という結果になり、それを真摯に受け止めています。本当に嫌な思いをさせてしまった相手の方、不快な気持ちにさせてしまった皆さん、本当に申し訳ございませんでした」と謝罪している。それから2日後の30日時点で、動画の再生回数は170万を記録。そして低評価数は約4万6,000となっており、これはかなり多いといえる。“デビュー”から圧倒的な低評価数を記録した木下。実はこれまで低評価数で“ディフェンディングチャンピオン”の座についていたもう一人の“木下”が。それはTKO・木下隆行(49)だ。木下も昨年4月、同じく謝罪動画でYouTuberデビュー。そして、いまやYouTube界で1、2を争うほどのアンチ数を誇る。苗字だけでなく、謝罪の際に白シャツを着ているという共通点もある2人。しかし、木下優樹菜は「TKO木下さんの謝罪動画は公開2日で再生回数13万回、そして低評価は2万ほどでした。ですが、ユッキーナさんは公開2日で170万再生ですからTKO木下さんの13倍。さらに低評価数は4万6,000ですから2.3倍多いんです。TKO木下さんの謝罪動画は1年半経った現在、再生回数は626万で低評価は48万。『レベルが違いすぎる』ともいわれていますが、ユッキーナさんの動画は11月1日現在で約300万。さらに低評価が9.2万です。公開4日でこの数字ですから、彼女が追い越すのも時間の問題かもしれません」(テレビ局関係者)10月29日、TKO木下はYouTubeに「木下から優樹菜にメッセージがあります。」との動画を投稿している。ユッキーナについて「めちゃくちゃ気さくな。オープンでなんでも喋るみたいな人やねんな」といい、さらに「コラボしましょう」とも呼び掛けている。“2大木下”がコラボした際の低評価数は一体どうなってしまうのだろうか。
2021年11月02日10月28日、YouTubeチャンネルを開設し、“涙の謝罪”を行ったのは木下優樹菜(33)。「木下さんは’19年10月に姉が勤務していたタピオカ店経営者に対し、恫喝まがいのダイレクトメッセージを送ったことが判明。その後、ネットを中心に炎上する事態となりました。この経営者は、木下さんに対して1,000万円の損害賠償を求める訴訟を提起。ついに今月27日に判決が下されたのです。裁判所は木下さんの行為を『脅迫行為に当たる』と認め、40万円の支払いを命じました。一方で、木下さんが出廷することはありませんでした」(スポーツ紙記者)黒髪を1つに束ね白シャツ姿で動画に登場した木下は、裁判の結果を受けて「本当に嫌な思いをさせてしまった相手の方、不快な気持ちにさせてしまった皆さん、本当に申し訳ございませんでした」と謝罪。そして時折、言葉を詰まらせながら「やっぱりみんなの前に立って仕事がしたい」「この2年間、色んな仕事も考えましたけど、この仕事しかできないと思いました」と芸能活動の再開を宣言したのだ。また2児の母でもある木下は、「子供たち、娘たちのためにも働きたい。働かなきゃいけない」「私も頑張りたいので、これからもまた一から活動させていただきたく思います」とも語った。涙を流しながらも始終反省の弁を述べ、“復帰”を申し出た木下。すでに動画は170万回を超える再生回数を記録している。しかし動画に対する高評価が約8,100に対して、低評価はなんと約4万6,000と5倍以上(10月30日現在)。注目度の高さが伺える一方で、支持する人は少ないようだ。■「2年間、ずっと楽しそうに生活をしてらっしゃる」実業家で“ひろゆき”こと西村博之氏(44)も29日に行ったYouTubeの生配信で、木下の謝罪を「1分ほど見た」と告白。そして、木下の涙は“嘘泣き”だと指摘したのだ。まず、ひろゆき氏は「2年前に暴言を吐いたことに対して、今泣きながら謝罪しているんですけど、インスタグラムを見るとその2年間の間、ずっと楽しそうに生活をしてらっしゃるんですよ」と指摘。その上で「確実に演技で泣いてらっしゃると思う」と述べ、「芸能界でやらかした人がYouTubeに来るっていう、芸能界島流しのオーストラリアみたいな感じに今YouTubeでなっている」とコメント。だが、「やらかしてYouTubeに行って、なんとかなった人ってお笑い芸人だけ」とシビアな見解を示した。「木下さんは騒動後、インスタグラムで謝罪し芸能活動を自粛しました。’20年7月1に活動再開を果たしましたが、わずか5日後に所属事務所から契約を解除され芸能界引退が発表されたのです。その後はインスタグラムで、充実した生活ぶりをアピールしていました。木下さんは引退したとはいえ、テレビなどのメディアには登場しなかっただけ。一方でアパレルブランドのモデルに起用されるなど、インフルエンサーとして活動することもありました。これでは実質的に、“自粛”と同じだったのではないでしょうか」(ワイドショーデスク)判決が下されたことを機に、引退から一転して活動再開を宣言した木下。その変わり身の早さに、SNS上では呆れる声が相次いでいる。《脅迫の判決が出た謝罪会見で芸能界復帰したいとか意欲を語り出して「えっ!?」と声が出たわ。子供達の為に仕事したいと言うが、芸能界引退したんだからそれ以外で考えないと。引退が騒動を鎮める一時しのぎの言葉みたいで嫌だわ》《いやいやいやいや…木下優樹菜なんで泣いてるの?人を脅迫しといてなんで泣いてるの?賠償命令出たから泣いてるの?で、なんでシレッと芸能界復活宣言してるの?それって引退じゃなくて休業だったって事か?芸能界復活してニーズあるの?》《引退って言ったでしょ?それだと休んでただけでは?なんとも口が軽い…あ、だからこうなったのか(笑)》
2021年10月31日10月27日、元タレントの木下優樹菜(33)は、東京地裁で行われた“タピオカ裁判”の判決で、40万円の賠償命令を下された。木下は2019年10月、姉が勤務するタピオカ店とのトラブルについて、タピオカ店の店長から給料や給与明細をもらえなかったなどと投稿した上、店長側にどう喝まがいのダイレクトメールを送ったとされている。騒動が明るみとなり、木下は2020年7月に芸能界を引退。2カ月後、タピオカ店の店長は木下を相手取り、脅迫されて精神的苦痛を受けたとして1,000万円の損害賠償を求めて裁判を起こしていた。「判決では、木下さんが店長側に送信したメッセージの内容が『社会通念上、限度を超えた脅迫に当たる』と指摘し、店長側が被った苦痛は相当大きいという判断が示されていました。引退直後に取材を受けた店長は『騒動後謝罪はない』とメディアの取材に明かしていましたが、裁判ではそれ以降に木下さんが店長に複数回謝罪していたことがわかりました。謝罪して反省の意図を示していたことなどが考慮されて、1,000万円という請求額から大幅に下がった40万円という賠償金額になったと見られています」(司法担当記者)判決の翌日、木下は自身のYouTubeチャンネルで、涙ながらに謝罪する動画をアップ。涙ながらに「本当に申し訳ありませんでした」と声を詰まらせながら、何度か頭を下げて反省の弁を述べた木下。そして「母親として悪いことは認めて謝って、娘たちに恥ずかしくないように生きたいと思った。子供たちのためにも、1からこれからも活動していく」と、ファンに向けて思いを語りつつ、「この2年間、いろんな仕事も考えましたけど、この仕事しかできないって思いました」と、芸能活動再開を示唆したのだ。「一度引退を表明していましたが、木下さんは配信で語ったように、本格的に芸能活動を復活させたい思いはずっと持っていました。しかし現に、ファンクラブはこれまでも維持してきましたし、インフルエンサーとしての広告の仕事が結構あったのです。“引退”を宣言した手前、あくまでテレビのバラエティ番組などこれまでの仕事はしていなかっただけで、インフルエンサーとしての“実入り”はしっかりあったわけです。経済的には困っていない状態と聞いていますよ」(芸能プロダクション関係者)謝罪動画の公開を受けて、SNS上には厳しい指摘も相次いだ。《反省動画見てください!ってInstagramで告知しないでしょ》《もっと前に謝れよ!》《本当に謝りたいなら、今後の自分の活動に言及する必要はないし、そもそも公に知らせる必要ない》芸能活動再開を示唆した木下。再起の道程は険しいままだ。
2021年10月29日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第12のテーマ、「幸福」とは何か。(後編)をお届けします。12.「幸福」とは何か。(後編)私はかねてより、第12ハウスの象意について、個人的な仮説を抱いてきました。それは、「第6ハウスが雇用関係を象徴する。それは他人から自分への命令、または自分から他人への命令を意味する。であれば、その対岸にある第12ハウスとは、自分で自分に命令する場所、つまり、究極の『自由意志』の場所なのではないか」ということです。たとえば、義務を果たす(6ハウス)ことは他者との関係の中で起こりますが、「自己犠牲(12ハウス)」は、自分で自分に命じることによってだけ成立します。もといこの仮説は、かなりの暴論です。一般的な星占いの考え方の真逆をゆくもの、と言ってもいいかもしれません。6-12ハウスはあらゆる意味で「自由意志の制限」を意味する、という考え方のほうが「主流」のはずです。なぜ私がそこに全く逆の仮説を抱いたかといえば、「星占いにおける自由、人生における自由とは、一体何なのだろう?」と考え続けていて、まだその答えにたどり着いていないからなのかもしれません。ホロスコープにおける12のハウスの意味づけには、様々な根拠があると言われます。そのなかでも重視されるのが「アセンダント/第1ハウスからの位置関係」です。第1ハウスとの位置関係が「アスペクトするか否か」が大変重要なのです。伝統的占星術においては、第1ハウスとメジャーアスペクトの位置関係にならないハウス、すなわち2、6、8、12だけが、凶意を付与されています。これらは第1ハウスという「自己」からは「見えないところ」、つまり「コントロールの及ばない場所」なのです。それでも、第2ハウスは第1ハウスに隣接している分、まだ「見える」場所です。即ち「自分の手の中にあるもの、持っているもの」を示します。第12ハウスも第1ハウスに隣接していますが、これは「背後」です。普段は自分に見えない自分、振り返らなければ見えない自分を象徴している、と言えるのではないでしょうか。私たちの日常の行動の多くは、ほとんど無意識に発動しています。「どうやって歩いているか」をいちいち考えながら歩いていたら、たぶん転んでしまいます。自転車に乗るのも、私がこうしてキーボードを叩いているのも、ひとつひとつ意識に上らせて動作しているわけではありません。同様に、たとえば誰かが自分に怒鳴りつけてきたとき、無意識に固まって、何も言えなくなります。道端で二人の人が喧嘩しているのを見て、とっさに「怖い」と感じ、見て見ぬ振りをして急いで通り過ぎる、といったことも、やってしまいます。あとになって「あの時、言い返せばよかった!」「仲裁に入るか、警察を呼ぶかすればよかった!」などと思い返しても、間に合いません。それでも、なにか困難やトラブルに遭遇したとき、敢えて立ち止まり、怯える自分や面倒を避けたい自分と闘って、「自分の時間や労力を犠牲にしてでも、よいことをしよう」とおもえることがあるとすれば、これはすばらしい「自由意志」です。それをしたからなにか見返りがあるというわけではありません。ただ、自由な一人の人間として「そうしたい」と思い、自由に行動する権利を行使するだけなのです。損をするかもしれず、ケガをするかもしれず、「良かれと思ってやったのに、拒否される・失敗する」といったことになる可能性もあります。それでも、究極の自分の「自由の行使」として、私たちは時折、そうした行動を起こします。前述の通り、第12ハウスには古来、凶意がたくさん詰め込まれています。でも、そこには「苦悩」とか「隠遁」とか「海外追放」「犠牲」など、「おや?」と思わされるキーワードがところどころに現れます。ある人が12室を生きていて、「苦悩し、隠遁したり、海外追放になったりしている」とすれば、この人はいったい、どうしてそんなことになったのでしょうか。ただ単に「運悪く」そうなったのでしょうか。この人は何に悩み、どうして追放になったのでしょうか。「単に生きるのではなく、善く生きる」と言ったソクラテスのように、自説を曲げずに火刑に処されたジョルダノ・ブルーノのように、この人はもしかすると、限りない自由な意志を生きたのではないでしょうか。もちろん、人間は、自分の身に降りかかる災厄を避けるために、意志を隠したり曲げたりすることもできます。実際、現実の中では、多くの人がそうした選択をします。それは決して、悪いこととはいいきれません。家族の暮らしを守るために上司の理不尽な命令に従うとか、進学に有利な成績をつけてもらうために教師の理不尽な要求に応えるとか、そんなことはいくらでもあります。世の中は広い意味での権力の関係に支配されていて、だれも完全に自由になど生きられません。ただ、「自分の力ではあらがえない権力や圧力に屈した」という経験は、人の心の中に、深い傷を残します。でも、「自分がこれを選んで、自分の力でこれを成し遂げたのだ」という主体感、自己効力感は、あくまで「自由な意志」としか結びつかないはずです。外圧に負けて意見を変えたなら、主体感や自己効力感は著しく削がれるでしょう。本物の幸福がもし、「私が自分の意志で何事かをなしている」という条件を必要とするなら、「自分の意志に反して身を守った」記憶は、幸福感を減じるはずなのです。もしかすると「殺されても自分の意見を曲げない・捨てない」人はつまり、「殺されても自分の幸福を手放さない」人だった、ということになるのでしょうか。「私の出生図では、12ハウスに星が集まっているのですが、私は不幸なのでしょうか」というご質問を以前、頂いたことがあります。結論から言えば、そういう読み方にはならないと思います。アセンダント近くにある星は「上昇星」と言われ、フレッシュで強い状態にある、という考え方があります。また、12室に星を多く持つ人の中には、優れた政治家や医師など、「(原理的には)営利を目的としない仕事につく人々」が多く見られるという説もあります。「ギブアンドテイク」を度外視したような仕事、役割は、世の中にとてもたくさんあります。他に宗教家やアーティスト、教育者、社会運動家、思想家などもそうした要素を担っているだろうと思います。その人の中に何かしら自由な強い意志がなければ、担えない役割がたくさんあるのです。12室に星を集めている人は、その役割にハッキリした名前がついているかどうかは別として、そうした方向への道を選びやすいのかもしれません。そうした意志を持てる人たちは、幸福なのでしょうか。たとえば、雨の日に傷ついて倒れていた子猫を保護して、その子猫が息を吹き返して元気になっていくのを見るのが「幸福」だとするなら、きっと、第12ハウスの幸福とは、そうしたものなのではないかと私は想像しています。それは奇跡のような、ギフトのような、それでいて「受けとらなければ決して手に入らない」、神秘的な幸福なのだと思います。
2021年10月25日《木下富美子さんのメンタルの強さは 小室佳代さんや小室圭君に匹敵する》《小室母もすごいが木下都議もすごいな》小室圭さんの母・佳代さんと木下 富美子都議が似ている――。今、こうした指摘がネット上でにわかに増えてきているのだ。果たして、どのような共通点があるのだろうか。実は佳代さんと木下都議は同じ1966年生まれで、どちらも現在55歳。そんな佳代さんと木下都議は、しばらく体調不良を理由に世間に姿を現していない。体調不良は責められるものでは決してないが、世間を騒がす騒動の当事者でありながら”説明責任”を果たさない姿勢が似ているようだ。まず佳代さんは、圭さんが間もなく眞子さまと結婚するというのに報じられている元婚約者との金銭トラブルが未解決状態にある。元婚約者は佳代さんから直接の説明を求めていたが、佳代さんの体調不良で実現しなかったという。元婚約者は「佳代さんの代わりに圭さんが話をする」との提案を受けたというが、進展していないことも公表している。一方、木下都議は今年7月の東京都議選で再選したものの、選挙運動期間中に無免許運転で人身事故を起こしていたことが発覚。その後、所属していた「都民ファーストの会」から除名され、都議会から2度の辞職勧告を受けるも議員継続を表明するまさかの展開に。さらに説明を求める召喚状が出されるも、それを木下都議は“無視”。ついに10月13日に定例会が最終日を迎えたが、体調不良を理由に1度も議会に出席することはなかった。■互いに引けを取らない“強メンタル”ぶりだが彼女らが動こうとしなければしないほど、“強メンタル”な印象が日増しに色濃くなっているのではないだろうか。「佳代さん、木下都議ともに金銭的な面で問題視されています。佳代さんは金銭トラブルを抱えているだけでなく、遺族年金と傷病手当金の“不正受給疑惑”も浮上。国民の間で批判は高まり続け、ついに刑事告発までされてしまいました。それでも説明に応じる気配はないのです。また木下都議は“雲隠れ”し続けている間に、議員報酬など総額約395万円が支払われたのです。辞職を求める声が殺到していますが、それでも強制的に辞めさせる手段はなく、都議会も手を焼いている状態です」(スポーツ紙記者)さらに、木下都議にはこんな証言も。「ある国会議員の朝食会に、突然、開始時刻を過ぎてから現れたんです。事前に連絡もなく、しかも遅刻してきたくせに、とても偉そうな態度でした。席がもう埋まっているのに、木下さんは自分の席を最前列に用意するよう要求。特に何か発言したり、あいさつ回りをしたりすることなく、弁当だけ食べてさっさと帰ってしまったんです」(都政関係者)このような“強心臓”ぶりは、佳代さんだって負けていないだろう。佳代さんは元婚約者男性に、“セレブ要求”していたと報じられている。「週刊文春」(’20年12月17日号)の記事によれば、婚約直前に佳代さんが元婚約者にセレブな食事を“おねだり”するメールが次のように送られていたという。《次回は代官山ASOでキャビアのパスタを是非!》《今年は圭の大好きな恵比寿ウェスティンHの『龍天門』でお祝いDinnerしたく》果たして彼女たちは、その”強すぎるメンタル”でこのまま逃げ切れるのだろうか――。
2021年10月15日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第12のテーマ、「幸福」とは何か。(前編)をお届けします。12.「幸福」とは何か。(前編)第12ハウスのテーマから「幸福とは何か」を考えたとき、私は2つのことを思い浮かべました。ひとつは、「人間が最も大きな幸福を感じるのは、どんなときか」ということです。これは、このシリーズでも何度か書いたように思いますが、「心配事が解決したとき」「心待ちにしていた人が帰ってきたとき」「辛い病気が快癒したとき」「苦しみが終わり、安らぎが来たとき」なのではないかと私は考えています。何か辛いこと、悲しいこと、強い制限やガマンしている状態があって、それが「解除」されたとき、私たちは雨上がりの虹と青空を見上げるように、突き抜けるような「幸福だ!」という思いを味わいます。たとえば恋人に愛を伝えたり、生涯のパートナーとなってくれるようにプロポーズしたりする時でも、思いを伝える側は極度に緊張し、「もし受け入れてもらえなかったらどうしよう」という恐怖を感じます。申し出を受ける側も、それを期待している場合は特に「このまま相手が態度をハッキリさせなかったらどうしよう」という深い不安や孤独感を抱くものだろうと思います。こうした暗い疑念や不安が深ければ深いほど、「告白」が受け入れられたときの喜びが大きくなるものではないでしょうか。もうひとつは、「主体感」「自己効力感」というようなもののことです。「自分の力でやった」「自分の判断でやった」「自分の意志でやった」という手応えは、幸福の重要な条件ではないでしょうか。たとえば、自分が取り組んだゲームがうまく行ったときでも、それが全くの偶然でうまく行ったときと、自分自身の創意工夫、技術などでうまく行ったときとでは、喜びの質が異なります。「自分が頑張って成し遂げたのだ」「自分の力で出来たのだ」と感じる時、私たちはその喜びを受けとる「正当な権利を持っている」と思えます。たとえば、自分で首や脇の下を触ってもなんともないのに、他人が触ってくると「くすぐったい」と感じます。同じように同じ部位を触っても、「自分で触った」のと「他人が触った」ので感じ方が変わります。私たちは「自分がやったこと」と「他人がやったこと」を、こうした感覚レベルでさえ、細かく区別しています。苦しみが解決したとき。そして、自らの行動で良いことが起こったと感じたとき。この条件が「幸福」を生み出すのではないか、と私は想像しました。たとえば、保険会社やハウスメーカーの「幸福な家族」のイメージを思いえがいた時、「彼らは生まれつき裕福な家庭に生まれ、何の問題もなく育ち、特に挫折することもなく出会い、子供を持ち、みんな健康で、引き続き問題なく裕福に暮らし続けている」と考えると、なんとなく薄ら寒いような、リアリティのなさを感じてしまいます。もちろん、そういう家庭も存在するかもしれませんが、それが「幸福の究極の形」と言えるかというと、頷けない気持ちになります。一方でもし、その家族は実は、破産を乗り越えてもう一度再生した家族だったとか、家族の誰かが重病から回復したとか、そういった「苦労した過去」があったなら、「この人達は今現在の幸せの価値や意味を、誰よりも知っているのだろうな!」と想像したくなります。また、「ギフトを受けとる側と、ギフトを贈る側では、どちらが幸福か」というテーマがあります。ずっと欲しかったものや憧れていたもの、見た瞬間に気に入るようなものを「プレゼントされる」のは、確かに嬉しいものです。でも、自分が贈ったギフトを大喜びして受けとり、ずっと大事に愛用してくれている、といったことのほうが、喜びの「重み」は大きいのではないかという気がします。これは「自分の力でよいことが起こった」という喜びに属するはずです。「石井ゆかりの幸福論」という壮大なお題をいただいて、ホロスコープの「12のハウス」をそのまま章立てにして、ここまで「幸福」とは何かを考えてきたわけですが、最終章である「第12ハウス」は、現代的には「無意識、過去、秘密、自己犠牲」などを象徴する、とされます。ただ、古い時代の占星術では、このハウスはあまり良い象意を与えられていません。その解説には「悪い予兆、不運、自己破壊、奴隷、使用人、危険、外国、敵、隠れた敵、魔女、犠牲、国外追放、自己犠牲、幽閉、隠遁、恐れ、病」などというキーワードが並びます。どれも「幸福」のイメージからはほど遠い言葉たちです。実は、これらのキーワードには、第6ハウスと共通するものが少なくありません。第6ハウスは現代的には「雇用関係、仕事の状態、家事、健康」ですが、伝統的占星術では「使用人、奴隷、病気、敵、不運」などが当てはめられるのです。12室と6室は向かい合っていて「ポラリティ」で結ばれています。対岸のハウスはその意味合いにつながりがあり、あるいは「反転」しているのです。たとえば第1ハウスは「自己」で、第7ハウスは「他者、パートナー、相手」です。第3ハウスは「基礎的学習、兄弟姉妹、短い旅」、第9ハウスは「専門的な学問、遠い親戚、長旅」となります。「自分」の対義語は「他者・相手」、「近い」の対義語は「遠い」だとすると、向かい合ったハウスは対義語の関係になっている、と言えるかもしれません。第6ハウスと第12ハウスの意味合いが似ているのは、両者に割り当てられた惑星がともに「凶星(マレフィック)」、すなわち火星と土星だという点に関係があるのかもしれません。古い時代の星占いでは吉凶がかなりはっきりと語られる傾向があります。一方、現代的な占星術の世界では、「吉凶とはそもそも、なんなのだろう?」という掘り下げが行われますので、「幸運・不運」だけをバッサリ決めてしまうような考え方は、あまりしないように思われます。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年10月25日更新)
2021年09月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第11のテーマ、「友」と「希望」。(後編)をお届けします。11.「友」と「希望」。(後編)私は自分が愛読する本の作者を、勝手に友だと感じています。でも、生身の彼らに会って友達になれるか、というと、絶対になれないだろうな!とも思います。人間は色々な部分でできていて、その部分のいくつかで友情を交わせれば、それでいいのではないでしょうか。毎日挨拶をするお店の店員さんも、家に帰れば全く違った表情をしているかもしれません。でも、その人の全てと友情を交わすのでなくとも、たった一瞬の積み重ねで、温かな細い糸が紡がれていく、ということで、十分だという気がするのです。夢も同じです。庭の花を育て、窓ガラスを拭き、食事を支度し、書類のブランクを埋め、ダンボールをまとめてしばり、といった具合に星屑のようにたくさんの日々の夢が散らばっていて、その小さな星屑を一つ一つ集めて、それで人生の道筋ができていく、ということではないかと思うのです。たった一つの巨星を追いかけつづけるような人生もあれば、星屑で出来た天の川を歩き続けるような人生もあるのだと思うのです。全ての瞬間の中に、11ハウスのテーマがきらめいている。そんな生き方ができれば、すばらしいだろうな、と思います。そしてそれは、けっして、それほど大それたことではないだろうとも思うのです。本稿のタイトルは「友」と「希望」としました。「希望」と「夢」は、似ているようで違います。「夢」はビジョンですが、「希望」には、絵面はありません。「希望」とは、「なにかはわからないけれど、なにかきっといいことがある」という信念のことだと思います。「夢」は持てなくとも、「希望」は持てます。「希望」は、人が生きていくためにどうしても必要な思いであり、他者と関わる時にも絶対に必要な合い印です。希望を失った人は、いわゆる「セルフ・ネグレクト」のような状態に陥ります。自他を破壊するような衝動、自分を放棄するような衝動に駆られます。絶望と孤独は密接につながっています。そこは、光の射さない、深い洞窟のような場所です。現代社会において、社会生活の大部分は「ルール」と「ビジネス」でできています。「仕事だからやる」「ルールだからやる」ということだらけです。仕事でもきまりでもないけれどもやる、という活動は、「個人的な趣味」と見なされがちです。11室のテーマは「友」と「夢、希望」で、これらはルールでもビジネスでもありません。ゆえに現代的な目には、これらは「個人的なテーマ」と映ります。でも、11ハウスは本来、プライベートな世界ではありません。この場所は世の中そのもの、社会そのものです。「一人の人間として、自由な気持ちのもとに社会参加する」ということは、特殊な活動と考えられがちです。でも、本来はもっと自然なことであり、多くの人が願い目指すことであり、もっと祝福された活動なのではないか、と思われます。たとえば日本では選挙の投票率がなかなか上がりませんが、投票行動は11ハウスのテーマと考えられます。もちろん、自分一人だけの利益を追求するために投票に行く人もいるかもしれませんが、多くの場合はどんな立場であれ「みんなが幸福になるためには、こんな状況はおかしい」「もっといい世の中にしたい」というビジョンを抱いて投票に臨むはずです。そこには希望があり、同じ社会を構成する他の人々との、友愛の感情があります。11ハウスの対岸には、5ハウスがあります。5ハウスは個人としての愛や歓びを象徴します。対する11ハウスは、自分を取り巻くこの世の中への愛や、社会的な喜びを象徴します。11ハウスの「公共性」のイメージが、両者の対比で際立ちます。人間は個人的にも、社会的にも、「自分さえよければいい」という具合にはいかないのだろうと思います。愛する人が、ひいては全世界の人が幸福になってくれなければ、自分自身も本当に幸福にはなれない。そういう思いが、この5ハウス-11ハウスのポラリティに示されているような気がするのです。>>次回もお楽しみに(2021年9月25日更新)
2021年08月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第11のテーマ、「友」と「希望」。(前編)をお届けします。11.「友」と「希望」。(前編)友達がたくさんいる人、夢を持っている人。この2種類の人々は、もしかすると現代社会でもっとも「肯定される人」なのかもしれません。「友達がいない」「自分が何をしたいのかわからない」と悩んでいる人は、現代社会にはたくさんいます。人間がかかりうる最も大きな病が孤独と絶望なのだとすれば、「友達と夢があればとりあえず大丈夫」と言えるのかもしれません。先日、ヘミングウェイの名作「老人と海」を再読していたのですが、たった一人で漁に出て行く老人サンチアゴには、少年マノーリンという友があり、大物を釣り上げようという夢があります。この2つの条件によりサンチアゴは、認知症の影を見せ始めていながらも、とても充実した人物に見えます。ホロスコープの12の「ハウス」のうち、第11ハウスは最も祝福されたハウスと言っていいかもしれません。そこには古く「友、希望、贈り物、才能、将来の夢」といったテーマが並べられ、大吉星である木星が、ここに位置するとき喜ぶ、とされています。人間が人生において望みうるもののうちもっとも大きなものが、この11室という場所に関連付けられています。どれもお金では買えないもの、「授かる」しかないものたちです。こう考えてみて、自分自身を振り返ると、「私には、仕事以外でマメに連絡を取り合うような相手はいないし、これを目指しているとはっきり言えるような夢もないな」と、苦笑したくなります。ただ、それで自分がとても恵まれない不幸な人間だと感じるか、と言えば、そうでもないように思われます。「夢」と言えば「人生を賭けるような夢!」のイメージが浮かびます。「友」と言えば「終生信頼し合い、支え合い、いつでも何でも相談できる親友」を想像したくなります。でも、もしかすると、「夢」や「友」は、そんなに大それたことでもないのかもしれません。たとえば「日々の夢」は、そんなに高く輝かしいものではなくて、ただ「今日やるべきこと」「やってしまいたいこと」程度のものなのかもしれません。しばしば仕事を引退した人たちが「やるべきことや通う場所がなくなると、一気に老いる」と語ります。「夢」は、ここから一歩でも二歩でも先に進んだ場所にいる自分のビジョンだと考えると、このことはしっくりきます。日々のタスクは、ごく小さな単位の「夢」なのです。「友」も、「ズッ友だよ!」というような「友」だけが友ではありません。日々挨拶する隣人や顔見知りのコンビニの店員さん、行きつけの店のスタッフなど、「知人」レベルでもうっすらとした親愛の情が存在するもので、それで十分「友」なのかもしれません。たとえば災害に見舞われたようなとき、そうした「顔見知り」とは、すぐに声をかけ合ったり、助け合ったりできるでしょう。外国で孤独を感じているとき、自国の人に出会うととても嬉しくなる、といったことがあります。人間同士の心の距離とはそんなもので、お互いをわずかにでも「知っている」と思えれば、それで十分なのかもしれません。純粋で、完璧で、絶対的な「友」「夢」というのは、たしかにそうしたものを持っている人もいますが、多くの場合は幻想なのではないでしょうか。更に言えば、人間は成長し、変容します。それとともに、夢も友も、変わっていくものです。11ハウスで力を持つとされる星は前述の通り、木星です。木星は、射手座と魚座の支配星です。両者は柔軟宮、変容を司る世界です。夢も友も、変化の中にあるのです。「永遠の友」は、もしかしたら、存在しないかもしれません。でも、「この瞬間の友」は、いつでも作り得ます。先日、ある人がこんな話をしていました。「子供を自転車に乗せて走っていたら、後ろから走ってくる人がいて、見れば脱げ落ちてしまった子供の靴をとどけてくれようとしていた」というのです。走ってきてくれた人は「この瞬間の友」です。その靴が落ちるのを見たのは、走ってきてくれた人だけではないかもしれません。同じように拾おうとして、先を越されたので立ち去った、という人もいるかもしれません。みんなが「その瞬間の友」です。もしあなたが今、この稿の中に共感できる部分を見いだして下さったなら、あなたは私の「この瞬間の友」です。でも、さらに成長を遂げた未来のあなたは、この稿を振り返って、とても幼稚で陳腐だと感じるかもしれません。友情は、変化していきます。とはいえ、たとえば幼い頃に読んだ絵本を愛する気持ちが終生変わらないなら、その絵本は、瞬間の友であったと同時に、永遠の友です。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年8月25日更新)
2021年07月25日シャネル(CHANEL)は、限定フェイス パウダー「プードゥル カンボン」を2021年8月6日(金)よりシャネル限定店舗ほかで発売する。シャネルゆかりの地がフェイス パウダーにシャネルにとって象徴的なパリのカンボン通り31番地。ガブリエル シャネルが過ごしたアパルトマンは、メゾンのスタイルの真髄が宿る象徴的なスポットとして、今なおクリエーイションに影響を与えている。そんな「カンボン通り31番地」をモチーフにした、特別なアイテムが到着。エンボス加工で「カンボン通り31番地」のファザードを刻んだ、フェイス パウダーが特別限定品として発売される。メークアップの仕上げに肌にのせると、肌表面をさらりとマットに整え、均一な輝き肌に。専用ブラシが付属するので、外出先でもスマートにメーク直しができ、1日中活躍してくれそうだ。【詳細】シャネル「プードゥル カンボン」8,800円<特別限定品>発売日:2021年8月6日(金)取り扱い店舗:シャネル限定店舗(シャネル 表参道・GINZA SIX・ニュウマン新宿・ルミネ有楽町店・ルミネ横浜店)、シャネル オンライン ブティック※8月13日(金)より大阪阪急3Fでも発売予定。【問い合わせ先】シャネル カスタマーケアTEL:0120-525-519
2021年07月23日木下優樹菜(33)の熱愛が7月8日に報じられた。お相手はサッカーJ1『湘南ベルマーレ』に所属する三幸秀稔選手(28)。交際宣言まで飛び出したというが、そこで思わぬ余波が生まれている。『FRIDAYデジタル』によるとある日、木下は次女、そして三幸選手とともに公園へ。また別の日には、木下と三幸選手は買い物を済ました後、手も繋いでいたという。記者から「交際されているのでしょうか」と直撃されると、木下は「はい。娘も含めて、家族ぐるみでお付き合いさせてもらってます」と返答。さらに三幸選手について「ほとんど一緒に過ごしています」とも語ったという。木下は19年10月、タピオカ店への恫喝事件が発覚。そして、同年末にFUJIWARAの藤本敏史(50)との離婚を発表していた。おしどり夫婦として話題を集めていたにも関らず、恫喝事件の直後に即離婚。しかしその後も2人は同じマンションの別フロアに住んでおり、木下のSNSに藤本が登場することも。そのため「偽装離婚では」との疑惑が絶えず、藤本に対して辛辣な意見がネットで見かけられることもあった。しかし、今回の報道で「偽装じゃなかった!」との声がネットで上がっている。《木下優樹菜とフジモンずっと偽装離婚だと思ってたけど違ってた》《偽装離婚じゃなかったのか》《フジモンは、ようやく偽装離婚と言われなくなるな……》また『FRIDAYデジタル』によると木下の家庭に三幸選手が出入りしているだけでなく、藤本は元妻の新しい恋人の存在を“知っている”という。そのため《フジモンも可哀想だねぇ……。同じマンションに住んでて、そういう存在知ってるって……》《フジモン、なんか可哀想に思うのオレだけかな。。新しく見てくれるお父さんがいるからフジモン身を引いてって事にならなきゃ良いけど》《ただただフジモンが不憫でならない》と藤本に同情が集まることに。さらに《フジモン幸せになってほしい!》《頑張れフジモン》《フジモンがんばれ!と応援したいです》と、エールも相次いでいる。思わぬ形で藤本の株が急上昇することとなったがーー。災い転じて福と成す?
2021年07月09日’20年7月の芸能界引退後も、アパレルブランドのモデルを務めるなどたびたび世間の注目を集めている木下優樹菜(33)。そんな木下の新恋人報道が話題を呼んでいる。7月8日配信の『FRIDAYデジタル』によると、現在、木下はサッカーJ1湘南ベルマーレ所属の三幸秀稔選手(28)と交際中だという。2人は知人の紹介を通じて知り合い、木下はすでに2人の娘に三幸選手を紹介済み。三幸選手が木下の家を定期的に通う半同棲状態だと報じている。また記者の質問に対して木下は「はい。娘も含めて、家族ぐるみでお付き合いさせてもらっています」と交際を認めており、三幸選手も「(木下は)魅力的な方だと思います」と答えたという。’19年末にお笑いコンビ・FUJIWARAの藤本敏史(50)と離婚してから約1年半。SNSでは木下の新たな恋路を《おめでとう!》《お似合い》と応援する声があるいっぽう、三幸選手の“職業”に注目する声も。《木下優樹菜サッカー好き過ぎ》《やっぱり……サッカー選手が、お好きなようね》《木下優樹菜サッカー選手好きすぎで草》それもそのはず、木下といえば元サッカー日本代表の乾貴士選手(33)との“不倫疑惑”が浮上していた。「19年に“タピオカ騒動”が炎上した際、まだ藤本さんと結婚していた19年7月10日に木下さんがInstagramに投稿した文章を縦読みすると、《たかしあいしてるずーーっと♪♪》と読めると話題になりました。さらに、乾さんも18年8月に自身のInstagramで《ゆきなだいすき♪》と縦読みできる投稿をしており、かねて木下さんも乾さんのファンを公言していたことから2人の不倫疑惑が浮上したのです。結果的に、乾選手は昨年2月の『女性セブン』の直撃に対して『本当に仲のいい友達の1人でして』と不倫関係を否定。ただこうした疑惑があったことから、“木下さんはサッカー選手好き”という声があるのでしょう」(スポーツ紙記者)‘10年にJリーグ特命PR部長に就任した際の発表会で「(サッカーの試合は)すごく熱いものを感じるので、応援してても、どっちも頑張れってなっちゃうんですよね。一生懸命の男の人はかっこいい」と語っていた木下。2人の恋の行く末は果たしてーー。
2021年07月08日東京都議選で当選した翌日に無免許運転で事故を起こしていたことが報じられた木下富美子都議(54)。都民ファーストの会から除名された彼女だが、7月7日までに『SDGs東京』なる新会派を立ち上げていたと判明。さらなる波紋を呼んでいる。「仕事をしていくことで期待に応えたい」とし、議員辞職はしないと明かしていた木下都議。東京都議会の公式サイトを見ると、現在、彼女のページには「無所属(SDGs 東京)」との文言が。『時事通信社』によると、SDGs 東京は木下氏のみの1人会派だという。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、国連加盟193か国が16年から30年の15年間で達成するために掲げた17の目標だ。具体的には貧困をなくすことや、ジェンダーの平等を実現すること、気候変動に具体的な対策をとること、平和と公正をすべての人に提供することといったもので、ここ数年、日本でも関心が高まっている。木下都議の公式サイトには「政治への想い」というコーナーがある。そこを見ると彼女が政治の分野で女性の参画が少ないこと、そして貧困問題に注視しているとわかる。またTwitterでも4月23日、小池百合子都知事(68)の会見を引用し《2030年、都内新車におけるガソリン車ゼロ。達成の為の具体的な取組が始まっています》と環境問題について投稿。6月2日には同性パートナーシップ制度に関するツイートもしている。確かに木下都議はSDGsに取り組もうという気持ちが強い様子だ。しかし選挙期間中に無免許運転を行い、さらに事故も起こしていた彼女がその直後にSDGsを掲げることに違和感を覚えているひとたちも。ネットでは、SDGsへの風評被害を懸念する声がこう上がっている。《SDGsに対する超弩級の旬な風評被害でわろた》《SDGsに対する灼熱の風評被害》《SDGsという言葉に対してめっちゃ風評被害与えそう》《SDGsやってる人に多大な迷惑と風評被害与える》さらに《議員活動を「持続可能」にしたいんですね》《持続可能な議員生活》《免許がなくても運転持続可能な社会へ》《議員の身分の持続可能性の追求》と揶揄する声も。批判ばかり目立つが、木下都議はどこまで信念を“持続”できるだろうか?
2021年07月07日東京都議選で当選したものの、無免許運転で事故を起こしていたと翌日に報じられた木下富美子都議(54)。読売新聞によると木下都議は「違反の累積で今月2日まで免許停止中だった。2日から運転できると勘違いした」などと話したという。しかし5日、所属政党・都民ファーストの会は彼女を除名することを決めた。木下都議の発言で、さらに波紋を呼んでいることがある。時事通信によると、彼女は「選挙活動中で、選挙対策本部には(事故を起こしたことを)話したが、他には説明できていなかった」と語ったというのだ。そのため、都民ファーストの会に対してネットでは《選対は知っとったのにこれはないわー》《党では把握していたんでしょうか?》《選挙期間中だから党が事故の事実を公表しなかったようにも思えるな》と指摘する声が上がっている。いっぽう同党のおじま紘平都議(32)は《無免許状態での運転は明確な法律違反であり、公人としてあるまじき行為》とし、《党への報告も本日、報道が出てからだったようです》とTwitterに投稿している。ひょっとすると木下都議の指す選挙対策本部とは党のものではなく、自身の事務所の選挙対策本部なのかもしれない。■応援者に隠蔽?「免停終了と勘違い」発言に疑惑もさらに、木下都議には“隠蔽疑惑“も浮上している。応援に駆けつけていた無所属・南雲由子区議(38)は自身の公式サイトで事故当時、木下都議からこう連絡があったと明かしている。・木下氏が自分の車で接触事故を起こした・今回の事故で免許停止になったため、運転出来る人を警察署に送ってほしいつまり木下都議は南雲区議に、もともと免許停止であったこと、そして無免許にも関わらず運転していたことを隠しウソをついていたことになる。南雲区議は、「政策に期待し全力で応援した分、私自身心からショックを受けています」とも記している。また木下都議は「今月2日まで免許停止中だった」とコメントしているが、免許停止期間は最短で30日だ。そのため、彼女に対して異議を唱える声がTwitterで上がっている。日本維新の会・松本みつひろ区議(37)は《選挙期間前、期間中の両方で、木下都議が自ら車を運転して、二連ポスターの貼り替えやテープ流しをしているところを何度もお見かけしました》とツイート。さらに同じく日本維新の会・まえだ順一郎氏(46)も《告示日直前の6月21日に志村坂上でご自身が街宣車を運転しているのを、私はハッキリと見た》と投稿している。これらの告発の真偽は定かではないが、木下都議に多くの疑問が浮上していることは事実。産経新聞によると彼女は「仕事をしていくことで期待に応えたい」とし、議員辞職はしないという。彼女に期待されているのは、ひとまず疑いを晴らすことかもしれない。
2021年07月06日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第10のテーマ、「自己実現」とはなにか。(後編)をお届けします。10.「自己実現」とはなにか。(後編)学業を修めて社会に出て、ひとつの仕事に就き、その仕事を定年まで続けて、引退後は晴耕雨読でのんびり暮らす。たとえばこのような人生を送った人には、第10ハウスのテーマ「キャリア、社会的立場」は、ごくわかりやすいものに思えるかもしれません。一方、様々な事情から社会的に複雑な道のりを歩んできた人、若いときに学びの機会が得られなかった人、結婚して仕事を辞めて家庭に入った人、「ヤングケアラー」のような立場に立たされ、ほとんど仕事を選べなかった人などの中には、「自己実現とは何か」というテーマの前で、怒りや痛みを抱きながら立ち尽くす思いをしている人が少なくありません。人に誇れるような社会的立場、収入がなければ、人生は失敗なのか。自分は幸福では無いのか。昨今では「承認欲求」という言葉が一般的になりました。「マウンティング」「キラキラ」といった言葉もよく見かけます。人から、社会的存在としてどう見えているかということを、だれもが気にしています。古い時代の第10ハウスのテーマに「評判」があります。社会的評判。人間が人生を賭けて目指す、最も高いところにあるものは、「社会的評判」なのでしょうか。社会的に評判がよければ、それこそが人生最大の幸福なのでしょうか。どんなに人からうらやましがられても、個人として幸福でなければ、なんにもならない。そう考える人もいます。パートナーや子供達から愛され、人から尊敬され、たくさんの友に囲まれることこそが人生の幸福であり、金や立場、名誉などはどれほどあっても意味がない、と語る人もいます。そうした話に耳を傾け、深く頷きながら、「そんな風に割り切れるのは、老人か宗教家だろうな」とシニカルに考える人がいます。「やりたいことをやるのが、一番だ」と言いきる人もいます。その「やりたいこと」がなんなのか、まるで解らずに、「やりたいことのない自分」を責めている人もいます。「やりたいこと」と言われて、ゲームをしたり遊びに行ったりすることを思い浮かべる人がいます。一方、「なんらかの活動をして社会的に名をなす」「儲かるビジネスをする」ことを「やりたいこと」と捉える人もいます。所属する組織の中で、どんどん地位を上げ、大きな権力を持とうとする人もいます。その権力をもって「世の中をよくしよう」と考えていたのに、いつか、権力を持って維持することだけが喜びとなっている人もいます。社会的に大きな力を持てば持つほど、それを失うことが怖くなり、自分の内側に閉じこもってしまう人がいます。自己実現とは、何なのでしょうか。社会的な成功や幸福とは、どんなものなのでしょうか。この問いへの答えは、たぶん、生きている人の数だけ存在するようにも思われます。私の知人に、生まれつきの重病と闘いながら生きた人がいます。その人は幼い頃「そう長くは生きられない」と言われながら、何度も危険な橋を渡りつつ、なんとか大人に成長しました。20代の頃、比較的病状が安定していたときに障害者採用で会社勤めをしましたが、数年で体調が悪化し、退職せざるを得ませんでした。病気のため、結婚したり子供を生んだりすることもありませんでした。退職した後、体調のよいときはボランティアをしたり、町内会の資料作成などの仕事を引き受けたりしました。老いた両親の体調が悪くなると、自分も辛い中で、なんとか面倒を見ました。たくさんの本を読み、映画を見、世の中のことを知ろうとしていました。病気のために足が悪くなっても、出かけるのが好きなお母さんを、色々な場所に連れ出しました。やがて病状が悪化し、50代の若さで亡くなりました。私たちは、自分の人生の全体を知ることはできません。いつも途中までしか解りません。もとい、死ぬ間際に「これが自分の人生だった」と総括することができる人もいるでしょう。ただ、私が知人の人生をこんなふうに短くまとめたようには、本人が捉えることは難しいのではないかという気がします。素晴らしい頭脳の持ち主だった知人が、「もし、病気がなかったら、どうだっただろう」と想像したくなることはありました。でも、病気のせいで知人の人生が「自己実現」を阻まれたのかというと、それはちょっと違うのでは無いかという気もするのです。もちろん、本人の思いと、他人の認識は全く異なります。知人自身は、自分の病を恨んでいたかもしれません。ただ、私から見れば、知人の人生は本当に力強く、ひたすら尊敬に値するものでしかありません。どんな有名人の人生、どんな成功者の人生とくらべても、知人の人生はなんらひけをとるものではありません。それどころか、私の目には、だれの人生よりもたちまさって感じられます。ドラッカーは「なにをもっておぼえられたいですか?」と問いかけました。たとえば自分が死んだ後で、自分のことを思いだしてくれた人が、「あの人はこんな人だった」と語るとして、それはどんな表現だったら満足か、というのです。「あの人は野球の名選手だった」「あの人は名監督だった」などと言われたい人もいるでしょう。「あの人は素晴らしい職人だった」「ユニークな芸術家だった」「多くの人の命を救った医師だった」などと言われる人もいるでしょう。「情熱的な営業マンだった」「誰よりも愛されたガイドだった」「最高の父親だった・母親だった」「かけがえのない親友だった・恋人だった」等と言われたい人もいるかもしれません。人の人生は一言でまとめられるようなものではありませんが、その人と関わった人には、なんらかの記憶と印象が残ります。私は知人の印象を、「誇り高く、強く、人間として限りなく尊敬できる人生を送った人だった」と記憶しています。第10ハウスがもし「評判」ならば、ドラッカーの問いは正鵠を射ています。「なにをもって記憶されたいか?」という問い、そしてそのあとには「そう記憶してもらえるような生き方をしているか?」と続きます。その答えこそが、第10ハウスの幸福の答え、なのだろうと思うのです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年7月25日更新)
2021年06月25日木下優樹菜(33)が5月28日、イメージモデルを務めていた企業から訴えられていたと報じられた。各メディアによると木下は「イメージを棄損した」との理由で関連会社とともに、損害賠償として約3億円を求められているという。さかのぼること19年10月、タピオカ店オーナーへの恫喝が報じられた木下。その後に活動自粛となっており、“イメージの棄損”もこの事件に端緒をなしている。「木下さんとタピオカ店との騒動も訴訟に発展していましたが、和解や判決したということは今も伝えられていません。そうなると現在、訴訟を2つ抱えている状態ということになります」(芸能関係者)自粛中には離婚や、不倫疑惑も報じられた木下。20年7月に芸能活動を再開したものの、5日後に当時の事務所が「信頼関係を維持することが著しく困難であると判断」と発表。そして芸能界引退が報告され、Instagramも削除された。ところが木下は20年9月、“再始動”している。「ファンへの感謝の言葉とともに、Instagramをまたスタートしたんです。しかし、その翌日はタピオカ店のオーナーが損害賠償請求をしている裁判の第1回口頭弁論だったと一部メディアで報じられています。また口頭弁論の直後には、Instagramでレゲエダンサー風の髪型も披露していました」(前出・芸能関係者)■500万フォロワーのインフルエンサーだったその挑発的ともいえる態度から、ネットでさらなる反感を買う事態にーー。しかし、木下のもとにはオファーが次々舞い込んでいるようだ。「今年に入ってから、彼女は3つの企業の広告に登場しています。その1つはストリート系ブランド『GALFY』。ブランドのInstagramには木下さんの写真とともに、『ファッション的治安惡化推進會』『惡犬』といったハッシュタグが。『ピッタリすぎる』と皮肉の声も上がったものの、実は彼女がモデルに起用された商品は即完売となりました」(ファッション関係者)そしてこの4月にも、スポーツストリート系ブランド『MADE IN WORLD×#FR2』のモデルに白羽の矢が立ったばかりだ。「木下さんは“ワルっぽさがかっこいい”という価値観を持つ層から、一定の支持を得ています。だからでしょうか。訴訟を2つ抱えていても、無言を貫いています。もともとはInstagramで500万人ものフォロワーを抱えていたインフルエンサーでしたし、影響力は依然として大きい。もしかすると、これから悪女キャラで活路を見い出すことも可能かもしれません……」(前出・ファッション関係者)『GALFY』のInstagramに、「最強の一般人」とのハッシュタグも添えられていた木下。令和の新たな女性像となるだろうか?
2021年05月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第10のテーマ、「自己実現」とはなにか。(前編)をお届けします。10.「自己実現」とはなにか。(前編)「私は今、子育て中なので、占いに『仕事』と書いてあっても、関係がありません。どのように読んだらよいでしょうか?」「今は仕事をしていないので、占いに『目標達成』『ミッションのスタート』『社会的立場やキャリア』などの表現が出てくると、自分のことではないと思ってしまいます」過去にこうしたご質問を、しばしば頂いてきました。「仕事」か、「家庭」か。現代ではかなり変化も出てきましたが、それでも尚、この命題が多くの女性の目の前に置かれる状況は、少なくとも日本の社会では、続いていると言わざるを得ません。星占いで用いる第10ハウスは、一般には「仕事」「キャリア」「職業」などを象徴するといわれます。実際、「私の適職は何ですか?」などのご質問があればまず、第10ハウスに注目する占い手が大半だと思われます。もちろん、それ「だけ」では回答できませんが、まず最初の一歩として第10ハウスの様子を見るのは王道です。雑誌の記事等で占いを執筆する上でも、第10ハウスに星が入れば「目標達成」「仕事が忙しくなる」「キャリアの転機」などと書くことになります。では、第10ハウスは本当に、「子育てや介護で、主に家庭の中のことを担っている人」には、「関係がない」のでしょうか。ホロスコープの円で、第1ハウス-第7ハウスカスプのライン、これは言わば「地平線」、あるいは「地面」です。ゆえに、第1ハウスから第6ハウスの半円は、「地面の下」です。一方、第7ハウスから第12ハウスは「地面の上」です。ホロスコープを読む上で、地面の下にあたるハウスは「内側の世界、プライベート、原点、個人」を象徴し、地面の上にあるハウスは「外界、他者、パブリック、世の中、集団」を象徴する、と大きく捉えることができます。もちろん、各ハウスの機能を細かく見ていけば、12ハウスのテーマには「隠遁」があったり、6ハウスは「義務、責任」だったりと、簡単に「プライベートか、おおやけのことか」というふうに割り切ることは難しいのですが、ハウスのイメージを掴む上では、「見えている空は外界で、見えない部分はインナースペース」と捉えると、だいぶ解りやすくなります。そう考えると、9、10、11ハウスあたりは、ホロスコープにおいて「もっとも広い場所」「最も遠い場所」です。一人の人間として生まれて、成長とともにどんどん行動範囲を拡大した結果、たどり着くのが9ハウスから11ハウスあたりというわけです。12ハウスになると、第1ハウス、つまり「スタートライン」が視野に入ります。私たちはぐるっと世界を巡って、最終的にはなんらかのかたちで、またもとの世界に戻ろうとするものなのかもしれません。人生において目指していく、一番遠い場所。人生でたどり着ける、一番高い場所。これが第10ハウスのイメージです。とするなら、たとえば幼い頃から「結婚して温かい家庭を作り、子供を育てる」ことを夢見ていた人は、第10ハウスは「自分が創り上げた家庭」であっておかしくありません。実は、古い時代のホロスコープ解釈では、第10ハウスのテーマとして「子供」が置かれていたこともあるのです。かつて、各種産業の家族経営や世襲が一般的だった時代には、家を継いでくれる確かな子供を持つことは、社会的使命に近いものでした。場合によっては、その人自身の社会的評判や地位に直結することだったのです。いまだに「家の跡継ぎを産み育てること」を子供に要請する人々は存在します。子供を育てることは、社会的なテーマだったのです。一方現代では「子供を持つことは、あくまでプライベートなこと」なのでしょうか。そう考えている人もたくさんいますが、本当は、そうではありません。もし本当に子育てが個人的生活だけに帰属するテーマであるなら、たとえば義務教育という考え方や子供のための各種施設、青少年を保護するための法律などは、存在しなくてもよいはずです。子供は未来の大人であり、社会の構成員です。どんなに親子が親しく深い愛情で結ばれていても、親と子供は別々の人間であり、子供には子供の社会的権利があります。子供もまた「他者」です。子供と関わるということは、個人としての情愛の問題だけに留まりません。それは、かつて以上に社会的な活動なのです。会社で同僚や上司や顧客と関わるのと同じように、社会的関わりという側面を多量に含んでいるはずです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年6月25日更新)
2021年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)をお届けします。9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)はこちら >>9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)「自分は誰なのか」、すなわち「アイデンティティ」は、とても危険な概念でもあります。なぜなら、簡単に差別意識やナショナリズム、排外主義などに結びつくからです。特に、ごく狭い視野の中で、小さな世界だけの経験で生きている人は、「他者」「異邦人」が理解できず、ゆえに「怖ろしい」「危険」と感じ、ほとんど無意識に排除しようとします。人間は「わからない」ものは、幽霊から虫から、すべて「こわい」のです。でも、ごく広く旅をした人なら、「アイデンティティ」の捉え方も変わります。日本にいる間は「関西の人は苦手」「九州は怖い」などと感じている人も、遠く海外に旅に出て、現地で日本人に出会ったら、相手がどこ出身だろうと「仲間!」と感じられます。同じく、宇宙人の集団に囲まれたとき、地球の人間に出会えたなら、「仲間!」と思うはずです。広く旅をし、深く学んだ人は、「わからない」を「わかる」に変えていきます。更にそのプロセスで、「わからない」ものとのつきあいかたを身につけていきます。どんなに賢くても、どんなに多くを学んでも、全てを知り尽くすということはできないでしょう。ゆえに、この世界には常に「わからないもの」が残っているわけですが、そうした「わからないもの」も、いつか「わかるようになる」可能性があります。むやみに恐れたり排除したりするのではなく、「わからない」という状態を受け止め、「わかるかもしれない」道を探すのです。広い世界を旅し、深く学んだ人は、差別や排外主義的な観念に陥りにくくなります。「理解できる」と思える範囲が広く深くなるからです。「私は何者か」を、限りなく広い世界のなかで捉え直し続ける作業は、自分以外の人々を幸福にする力を授けてくれます。なぜなら、誰も排除されたり、差別されたりしたくないからです。人間は「自分だけが幸福ならそれでいい」とは、いかないのです。開きなおってそう思ってみても、心のどこかに罪悪感がうずきます。自分が誰かを、特に相手の行為とは関係なく「怖い、いやだ」と感じたとき、そう思われた相手は、多少なりとも傷つくのです。学ぶこと、旅することは、それ自体が本来、楽しい体験です。ですがさらにここで、第9ハウスのテーマとして、「なぜ学び、なぜ旅をするのか」という問題が出てくる気がします。この「なぜ」は、おそらく倫理や道徳といった、私たちが社会集団を作って暮らす上で欠かせない概念、「善」というものと結びついているのではないかとも思います。本稿のテーマである「幸福」について考えると、第9ハウス的「幸福」は、ただ自分一人の幸不幸に留まらないように思われます。「道徳的であろう」「善くあろう」とすることは、他者の存在が前提となっています。たいていは、「自分以外の誰かのために」、道徳的であろうとするのです。つまり、第9ハウスの「旅、学び、宗教、法律」というテーマには、「集団の中で生きるにあたり、いかに他者の幸福を大事にするか」という観念が組み込まれています。徳の高い人は、幸福なのです。そして、徳の高い人とは、他者に対して誠実に、真実に振る舞える人のことを意味します。「自分とは誰なのか」を探しに出かけたとき、究極には「自分は結局、善い人間であり、正しく生きようとしている人間だ」という答えにたどり着かなければならないはずです。もし「自分は弱く卑怯で、クズのような人間だ」という答えにたどり着いたとしたら、まだ旅が終わらないでしょう。そこから「では、どうすればいいのだ?」という問いが生まれてしまうからです。第9ハウス的な幸福とは、社会集団の中で生きる上で、より「善いもの」はなんなのかを探し当てる、ということに結びついている気がします。利他心、集団性、アイデンティティ。社会の中で何を「崇高なもの」とするか、そしてそこにどう到達するかということが、一つの大きなテーマとなっているのです。「古代の人類は、ある場所に住んで一定期間を過ぎると、その場所を捨てて別の場所に移動していくという生き方をしていたのだ」という記事を読んだことがあります。一つの場所に住み続けた後では、ゴミや排泄物などが蓄積されます。そのうち住環境が悪くなってくるので、その場所をあとにして移動していった、というのです。現代にも、似たようなことはあります。たとえば、ある土地や集団において、嫌な辛いことが起こると、私たちはその場所から遠く離れたところで「人生をやりなおす」ことができます。そこでは、自分自身というものを「生まれ変わらせる」ような体験をする人もいます。「長距離の移動」はこんなかたちでも、人間のアイデンティティと結びついています。第9ハウスは、ホロスコープの中でもっとも「広い世界」「遠い世界」を象徴しています。この世界がどんなに大きいか、ということは即ち、一人の人間がどんなにちっぽけか、を実感することに他なりません。その上で尚、何か高く善いものを求めて生きようとする人間の不思議な指向性が、第9ハウスという場所にぎゅっと詰まっている気がします。もし、科学技術が発達した遠い未来、「人間とは/私とは何か」が、完璧な形でわかってしまうような時代が来たら、人間はもはや、誰も旅をしなくなるかもしれません。星占いもまた「私とは何か」「人生とは何か」を問いかける道具となることがあります。ゆえに「自分とは何か」が判明するような時代が来たら、星占いも、消えてなくなるのかもしれません。>>次回もお楽しみに(2021年5月25日更新)
2021年04月25日Y’s(ワイズ)から、書家・木下真理子の「書」に着想したジェンダーレスなカプセルコレクション「Y’s カリグラフィー コレクション(Calligraphy Collection)」が登場。2021年4月21日(水)より東京・京都・広島・静岡・福岡で順次開催される限定ストアをメインに販売される。一部のY’sストアでも5月12日(水)より展開。木下真理子の「書」がモチーフ木下真理子は、古来より受け継がれてきた伝統文化としての「書」を探求しながら、現代的な方法論で「書」の本質へアプローチする書家。禅の思想「不立文字(ふりゅうもんじ)」などにインスピレーションを得た作品を代表作に持つ。「書」がドレープでたゆたうブラウスやドレス「Y’s カリグラフィー コレクション」では、そんな木下の作品をモチーフにしたバックボタンブラウスやドレス、ビッグシルエットシャツ、ワイドボトムなどを展開。「書」を、単なる“文字”としてではなく、物の表面に現れる形や模様“文(あや)”として捉えて、洋服に落とし込んだ。「書」の“かすれ”や“にじみ”がブラウスやドレスのドレープでたゆたう、躍動感あふれるクリエーションに仕上がっている。「Y’s カリグラフィー コレクション」の証として、全アイテムに木下が描いた「Y’s」のタグを採用。また、限定数のアイテムには木下の「書」の現物を裁断・再構築して作った「不立文字」シリーズの作品パーツが取り付けられている。一点ものシャツドレスもまた、木下真理子が筆で「書」を描いた布地を、そのまま洋服に仕立てた一点ものシャツドレスも販売。4月21日(水)、伊勢丹新宿店 期間限定ストアのオープンとともに、その姿を披露している。【アイテム詳細】Y’s Calligraphy Collection販売店舗:期間限定ストア、および一部Y’sストア※一部Y’sストアでは2021年5月12日(水)より展開予定。詳細は近くの店舗へ問い合わせ。※全国のY’sストアで限定アイテムの電話受注が可能。詳細は近くの店舗へ問い合わせ。アイテム例:・バックボタンブラウス 74,800円(税込)・ブラックドレス 143,000円(税込)・一点ものシャツドレス 550,000円(税込)【期間限定ストア】・東京:4月21日(水)~5月25日(火) ※会期延長場所:伊勢丹新宿店 本館1階 プロモーション(東京都新宿区新宿3-14-1)TEL:03-3350-8079(Y’s 伊勢丹新宿店)※5月31日(月)までY’s Calligraphy Collectionを三越伊勢丹オンラインストアでも購入可能。一点物シャツドレスを除いた全アイテム。・広島:5月11日(火)~ 5月24日(月)場所:広島三越 3階 ステージ(広島県広島市中区胡町5-1)TEL:082-242-7488(Y’s 広島三越)・静岡:5月12日(水)~5月18日(火)場所:静岡伊勢丹 2階=ステージ#2(静岡県静岡市葵区呉服町1-7)TEL:054-653-5610(Y’s/Yohji Yamamoto 静岡伊勢丹店)・福岡:5月12日(水)~5月18日(火)場所:岩田屋本店 本館3階 プロモーションスペース(福岡県福岡市中央区天神2-5-35)TEL:092-732-9632(Y’s 岩田屋本店)■プレゼント企画内容:木下が書いた「Y’s」がプリントされたハンカチを、Y’s Calligraphy Collection を22,000円(税込)以上購入者へ、先着順でプレゼント。限定数のため、各限定ストアで無くなり次第終了。【問い合わせ先】ワイズプレスルームTEL:03-5463-1540
2021年04月19日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)をお届けします。■9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)これを書いているのは2021年3月ですが、「旅行」を考えるのがまだまだ難しい状況です。でも、今回のテーマ、星占いでの「第9ハウス」は、「旅と学びと宗教の部屋」なのです。どうしても「旅」を語らないわけにはいきません。いわゆる「コロナ禍」で、私たちは「不要不急の外出を避ける」ことを求められています。「楽しみのための旅行」は、不要不急の最たるものです。少なくとも今の社会で「旅」は、人間が生きていく上で、絶対必要なものではない、とされています。ですが、長い人間の歴史を考えると、「旅=長距離の移動」は、また別の意味合いを持って見えてきます。というのも、私たち「ホモ・サピエンス」は、アフリカに起源を持ち、そこから世界中に広がったのです。祖先の長旅の結果として、私たちは今ある場所に住んでいる、と言えます。もとい、人間がどこで発生してどう拡がったか、という問題には諸説あるようですが、とにかく大陸や海を越える「移動」は起こっていたのです。私たちの祖先が「旅をした」理由は、これまた諸説あるようです。食べものを求めてなのか、気候変動のためなのか、集団同士の闘争・戦争のためなのか、疫病から逃れるためなのか、etc,.とにかく人間はごく古い時代から、山を越え海を渡り、長い長い距離を超えて、今のように世界中に住まうようになりました。もし宇宙人が地球にやってきて、人間を長期的に観察したなら、「旅は人間の習性だ」と考えるでしょう。「フンコロガシはフンをまるめる」のと同じように、「人間は旅をする」のです。なぜ、現代を生きる私たちもまた、旅をするのでしょうか。異文化に触れ、しばしば不自由な思いをし、時には身を危険にさらしても、「どこか知らない世界に行ってみたい」と考えるのは、なぜなのでしょうか。第9ハウスの向かい側は、第3ハウスです。第3ハウスも、「旅と学び」がテーマになっています。ただ、第3ハウスはコミュニケーションやショートトリップなど、比較的「近距離・身近」な世界間の移動を担います。それに対して第9ハウスの移動は、宇宙旅行まで管轄するような、ごく遠くまでの旅です。第3ハウスの記事()で、私は大阪大学の仲野先生へのインタビューのエピソードをご紹介しました。「なぜ学ぶのか」「なぜ旅をするのか」という疑問に、仲野先生は「知ることが楽しいから」と応えられたのですが、さらに私が執拗に聞いていったとき、こう仰いました。「自分が生きてる世界を知りたい、っていうことでしょうね。世の中ってどんなもんか知りたい。好奇心でしょうね。それは、自分というものがどういうものが知りたい、ということでもあると思います。納得して死んでいきたい。」私たちは「自分がなんなのか」を知るために、常に外界に答えを求めます。自分が「何と同じ」で、「何と違う」か。その情報を集めることで、次第に「自分」の像をつくっていきます。友だちと遊ぶとき、しきりに「○○ちゃんと同じ!」「○○ちゃんは違う」というふうに、自分と他人の一致/相違点を探していく幼児をよく見かけます。親と自分が似ていることを無意識に確認し、そこで見つけた特徴が、自分のアイデンティティに組み込まれます。一方、親と全く違う性質を見つけたら、それもまた、自分自身の個性としてアイデンティティの部品となります。ある集団の中で「自分だけ違う」ことを痛烈に恐れるのは、大人になってからも続く傾向ではないかと思います。一方で「自分探し」をするために、あえてハデな格好をしてみたり、際立った行動を取ってみたりする人もいます。帰属意識と、差異を見いだして独立しようとする気持ち。その両者が複雑に絡み合って、「自分はこういう存在だ」という思いが形成されます。「自分がなんなのか」を知るためには、私たちは常に外部にコンタクトを取らねばなりません。よその家に遊びに行って初めて「自分の家とは違う文化」に出会います。自分が住む地域を離れて少し離れた場所に出かけたとき、新しい方言に出会い、自分の話し言葉の特殊性に驚かされます。さらに遠く海外に出ると、自分が日本人であるということを発見します。人類が宇宙旅行を夢見、宇宙人を探しに出かけたいと考えているのは、自分がどんな宇宙人と同じで、どんな宇宙人と違うかを知りたいからではないかと思います。つまり、「人間とは何か」が知りたいのです。今は地球上の動物との比較でしかわかりませんが、「他の星」の知的生命体と人間を比べたら、「人間ってこうなのか!」と、その時初めてわかることがあるはずです。私たちには「自分が誰かを知りたい」という願いがあります。「自分が何者なのか」がよくわからないとき、私たちはそれを必死に探そうとするだろうと思います。たとえば、親を「知る権利」ということが、昨今問題になっています。自分の産みの親が知りたい、という切なる思いは、否定できるものではないように思われます。第9ハウスのテーマに「宗教」があります。古い時代、庶民が旅に出る理由として、ごく一般的なのが宗教的な「巡礼の旅」でした。これだけでも、宗教と旅が密接に結びつくのは納得できます。さらに、いくつかの宗教は「人間とは何か」「わたしとは何か」に、ある程度の答えを与えてくれます。世界の創造神話にはじまり、その神を信仰する者だということ自体が「アイデンティティ」になり得るのです。「クリスチャン」「ムスリム」などの呼称が、即「わたしは何者か」という問いへの、ひとつの答えになります。遠く高い知恵に触れて、地上の自分のなんたるかを知る、ということは、「宇宙人に出会って、人間とは何かを(より深く)知る」ということと、わずかに通じるものがあるような気もします。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年4月25日更新)
2021年03月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)必要なものを、必要なだけ受けとる。リスクは最低限に抑える。いつも冷静に、自分の欲望に振り回されることなく、自分の損得をきちんと考えて行動する。こうした態度は確かに、大人として望ましい生き方です。ただ、ここには、ある視点が欠けています。それは、人間を生かしている「生命力」の視点です。幼い子が力の限り、長い時間泣き叫びます。じっとしていることができず、常に走り回っている子供がいます。若いときは何でも大笑いし、大興奮し、妄想を膨らませ、バカなことをたくさんしでかします。大人になってからも突如、自分の燃えるような衝動を抑えられない瞬間が訪れます。損をすると半ばわかっているのに自分の全てを賭けてしまう人がいます。ちょっとした好奇心から、違法なものに手を出してしまう人がいます。愛したものにのめり込み、没頭し、耽溺し、おぼれこんで生活が破綻する人もいます。明日早起きしなければならないとわかっているのに、深夜になってもゲームをやめられない、本を閉じられない、ドラマを見ずにいられない、といった経験に、心当たりはないでしょうか。カッとなって怒鳴り散らして後悔したり、勢いで告白してやっぱり後悔したり、職場で号泣して後悔したり、上司を殴りつけて後悔したり、といったことは、珍しいことではありますが、現実問題「よく見る光景」です。こんなふうに、私たちは自分で思う以上に、限りなく激しいエネルギーを生きています。若いときほどそれはむきだしに表れます。一方、大人になってうまく制御できるようになったと思えた瞬間、びっくりするような内なる荒波に飲み込まれてしまうことも、よくあるのです。人生の「出入り口」のリスクの問題は、私たちのこうした「生命力」に直結しています。なぜなら、外界との「出入り」が発生するのは、私たちが生きているためだからです。死んだら、呼吸も、食事も、すべての「出入り」が止まります。私たちは冷たくなり、もう、エネルギーの激しい燃焼と、それにともなう「出入り」は起こらないのです。もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。裁判の場では、それこそが「争点」になります。でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。幸福がもし、人間の心の中に生まれるものだとするなら、私たちが幸福になるにはまず、「ゲートの開け閉めの失敗について、自他を責めるのをやめる」ことが必要なのかもしれません。人生には、誰のせいでもないことが、たくさんあります。新型コロナウイルスに感染した人を責めるのがナンセンスであるのと同じように、そこで犯人捜しをするのは、無意味なのです。もちろん、たくさんの警告を受けながらも「自分だけは大丈夫」「このくらいは大丈夫だろう」といった無根拠な自信で行動し、感染してしまった人々に、医療従事者の方々などが苛立ちを感じるのは当然だと思います。ただ、失敗は誰にもあります。それをどのように反省し、他の人々への教訓とするかは、また別の問題と言えるでしょう。ひとつだけたしかなのは、「リスク管理」と、「失敗した人を直接的に非難する」こととは、別のことだという点です。世の中には、取り返しのつかない失敗というものも、存在します。人間は、そういう失敗を「する」のです。「絶対にやってはならない!」と声を上げるのも大切ですが、「そもそも、人間とは、そういうことをする生き物なのだ」というところから思考を始めるほうが、近道なのではないかと思うのです。いいことも悪いことも「誰のせいでもなく」起こります。そのことを引き受けてどう生きるか、ということが、第8ハウスの幸福のテーマなのではないかと、私は思っています。>>次回もお楽しみに(2021年3月25日更新)
2021年02月25日VR演劇『僕はまだ死んでない』が2月1日より配信される。聴き慣れない「VR演劇」という言葉だが、舞台上から360°を収録できるカメラで撮影し配信、観客は自身のスマートフォンやヘッドマウントディスプレイを使用することによって、まるで自身が主人公であるかのような視界で、観たいアングルを自由に選択して楽しむことができる新たなスタイルの演劇となっている。新型コロナウイルスの影響により、集客型の上演が難しい中で、演劇ならではの臨場感を届けたいという思いから立ち上げられた。今回上演される『僕はまだ死んでない』は、原案・演出をウォーリー木下氏、脚本を広田淳一氏が手掛け、内海啓貴、斉藤直樹、加藤良輔、輝有子、渋谷飛鳥らが出演する。壁に包まれた病室で、脳卒中で倒れ意識はあるが体が動かない主人公・白井直人(内海)の視点から家族や友人のやりとりを見つめていくこととなる。今回は、原案・演出を務めたウォーリー木下氏にインタビューし、同作で目指したものやコロナ禍の演劇について話を聞いた。○■演劇を観に来るお客さんは、解釈の楽しさを知っている――「VR演劇」というなかなか聞き慣れない形式で、今回の企画はどのようにして今の形になったんですか?これまでに演劇の公演でVRカメラを使う配信もあったのですが、今回はせっかく企画から立ち上げるので、VRカメラでしか作れない作品にしてみようと考えました。視聴者が出演者となるような形で体験できるものを作りたいと思い、いろんな案を出したんです。中には、「椅子に縛りつけられてる人質」といった案もありました(笑)。いろいろ考えるうちに、いわゆる閉じ込め症候群だと「しゃべれないけど見ることができる」状態なのではないかと思い、僕が終末医療や安楽死といったテーマに興味があったので、結び付けてみたらどうだろうと提案しました。――映像作品に近いところもあるのかな? と想像するのですが、監督のような感覚はあったんですか?稽古の時は演出家ですが、撮影の日は監督みたいでしたね。稽古中はずっと、お客さんの視点である、役者たちの真ん中にいたので、すごく嫌だったと思います(笑)。不思議な稽古でした。――映像作品だけど演劇である、というのはどういうところがポイントでしょうか?“演劇の映像作品”だと思うポイントは、お客さんが自由に見るところを決められる部分です。例えば人物が目の前にいても、横の窓を見ていることもできるんです(笑)。――例えば、好きな俳優さんをずっと見ているなんてことも可能なんですね。全然構わないです。好きな情報を得て編集し、好きな解釈を入れて、世界に1つしかない自分の作品を作れます。多分、演劇を観に来られるお客さんはみんなその喜びを知っていて、1つの解を求めているわけではないのだと思います。――主演の内海さんのファンの方は、内海さんをずっと見るようなことは難しいでしょうか?それだけはちょっと残念なんですが、自分が内海さんになった気持ちにはなれますから、なかなかできない体験です(笑)。もちろん内海さんも臨場感のある形で登場しますので、そこは楽しみにしていただければ。――台本を拝見すると、セリフに対して「【★】前の人物の台詞の語尾に重ねて言う」など、いろいろな記号が書かれていますが、これは今回の企画に合わせていたんですか?いえ、もともと広田くんの脚本がそういうスタイルなんです。とても作りやすく、今回やりたかったこともすごく合っていました。日常の会話ではしゃべる順番がきれいに分かれることはなく、しゃべっている最中に相槌を打ったりもするじゃないですか。見ている方からすると「これは本当に今そこで起こってるんじゃないか」と錯覚するような、喫茶店で隣の人が会話しているのを聞いているようなリアルさになっていると思います。○■「自分の仕事が簡単になくなるんだ」という恐怖――先ほど終末医療などについて気になっていたということでしたが、どういうところが気になっていたんですか?カメラマンの幡野広志さんが、TEDで「安楽死について検討している」という話をされていて。医療はどうしても生きることを念頭に置くものだけど、もし自分がそうなった時、死にたい時に死ねることも大事なのかなと考えさせられたんです。そこからコロナの時代になって、より自分や身内が死ぬ時のことを考えたり。弱者が見捨てられていく世界は寂しいし、答えがあるわけじゃないんですけど、深く考えたいと思うテーマでした。――コロナの時代になってから、いつ自分がどうなるかわからないという気持ちも身近なものになりました。みんな、そうですよね。ただどうも、こういうことについて考えること自体をあまり良いものとしない傾向はあるかもしれないので、今回のようなアトラクション感覚であっても、自分に置き換えられるというのは、意味があることではないかと思って作ってみました。――やはりコロナがあって、新しいものを演劇に結びつけていくという試みは増えていきましたか?僕自身はもともと、舞台があり客席があるものだけが演劇じゃない、と思ってトライしてきたので、その延長線上にある感覚です。4月〜5月の自粛中は落ち込みはしなかったんですけど、新しいことをしたいという気も起きず、ようやく夏くらいから、僕の周りのやる気がある方たちに感化されてきました(笑)。業界として風当たりも強かったですし、これから先どうやったら文化として演劇を認めてもらえるのか。きちんと演劇のことを伝えていって、また第二第三の危機がきた時にもできることを増やしていかないと、と思います。とにかく日本は演劇を見ている人が少ないので、本当に1人でも増やしていかないと。――役者さんにインタビューすると、「エンターテインメントは不要不急なものである」とダメージを受けてるのかな、と思うことがあります。一方で見ている方としては、必要なものだと思っていたので、そこまで皆さんが「不要不急」という言葉を気にしているんだと意外でもありました。みんな、単純に「自分の仕事が簡単になくなるんだ」と思ったんですよね。舞台を中心にしている俳優さんからすると、あっけなく公演中止になるし、とても怖い時代で戦々恐々としていると思います。でも見ている方が「そんなことないよ」と言ってくれることが、大きな糧にもなりますし、この作品を作るにあたって、余計なお世話だけど「役者さんの仕事をちゃんと増やさないといけないな」という気持ちもあったんです。たとえコロナで誰か陽性者が出ても、このVR演劇は永久に上演できる。今後も、他の方法も含めて色々な作戦を考えていかなきゃいけないなと思っています。――例えばチーム制にするとか…?もちろん、チーム制、Wキャスト、トリプルキャスト、アンダースタディも方法の1つです。あとは舞台上に役者が出てこなくても出ている形をとれる演劇とか、いろいろな形はあるはずなんです。37.5度出たら、もう公演が中止になるかもしれないとか、かわいそうじゃないですか。37.5度くらい、コロナにかからなくても出ることはある。それで公演中止とならないような仕組みを、作っていかないといけないですよね。――それはすごく楽しみです。ぜひ最後にメッセージもいただけたら。重たいテーマで、かつ聞き慣れない「VR演劇」というジャンルなんですけど、演劇の初心者の方でも楽しめるようになっています。見終わった後に深く考えられるところがたくさんあって、何度見ても楽しめる作品になっていますので、ぜひ1人で楽しんでください(笑)。1人でしか楽しめないので、絶対に密にならない演劇です。※配信チケットは2月28日23時59分まで、期間中何回でも購入可能となっている。閲覧は2月1日18時~3月7日23時59分で閲覧期限は7日間、配信チケット価格は3,500円(税込)。■ウォーリー木下93年、神戸大学在学中に演劇活動を始め、劇団☆世界一団を結成し、現在は「sunday(劇団☆世界一団を改称)」の代表として全ての作品の作・演出を担当。外部公演も数多く手がけ、役者の身体性に音楽と映像とを融合させた演出を特徴としている。また、ノンバーバルパフォーマンス集団「THE ORIGINAL TEMPO」のプロデュースにおいてはエジンバラ演劇祭にて五つ星を獲得するなど、海外で高い評価を得る。10ヶ国以上の国際フェスティバルに招聘され、演出家として韓国およびスロヴェニアでの国際共同製作も行う。2018年4月より「神戸アートビレッジセンター(KAVC)」舞台芸術プログラム・ディレクターに就任。2017年と2018年には手塚治虫生誕90周年記念MANGA Performance『W3 ワンダースリー』ではノンバール作品として構成・演出を、2019年と2020年にはデイヴィッド・アーモンド作『スケリグ』の演出を手掛ける。
2021年01月31日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)人間のからだには様々な「門」「出入り口」があります。口や鼻の穴、目や耳、汗腺や尿道、肛門、膣など、私たちの身体にはたくさんの入り口や出口があって、外界と常になにかしら、やりとりしています。この「口」がふさがってしまうと、命が危険にさらされます。それに似て、生活・人生にも、様々な出入り口があります。たとえば「がま口」がそうです。お金が入ってくる口と、出て行く口です。性交によって「他者を受け入れる」ことも「ゲート」のテーマです。「入学」「入門」「入居」など、どこかに自分を丸ごと預けるような「入り口」もあります。一方、古来「脱出」「出奔」「脱獄」「家出」など、穏やかでない「出口」の使い方もあります。「コロナ禍」で私たちは、マスクで口を塞ぎ、ウイルスの出入りに常に気を配る状態になりました。出口や入り口は、出入りしてほしくないものが出入りしてしまう危険をはらんでいます。しっかり閉めておかなければ、望ましくないものが入ってきますし、中からどんどん大事なものが流出してしまう場合もあります。とはいえ、閉めっぱなしでは使えないのです。どんなにマスクをして気をつけていても、食事をするときには、マスクを外さなければなりません。マスク自体、呼気と吸気を通すように作られていなければ、私たちは窒息死してしまいます。星占いで用いる第8ハウスは、ホロスコープの「出入り口」のような場所です。その対岸の第2ハウスもまた、ゲートです。実際、古く第2ハウスは「ハデスの門」などと呼ばれました。金庫も財布もきちんと閉めておかなければなりませんが、開かなければ用をなしません。厳重に管理されなければならない「ゲート」のイメージは、古くから星占いの世界に刻み込まれていたようです。私たちの人生は、外界に向かって開かれなければなりません。でも、無防備に開かれっぱなしの状態では、容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまいます。人生の玄関、人生の裏口、人生のがま口。こうしたものを、危機感をもって管理する姿勢を、誰もが持っています。ただ、その危機感の「強弱」は、人によって振り幅が大きいものでもあります。警戒心の強い人もいれば、ユルユルの人もいるのです。また、経験によって、その管理運用の方針は大きく変わります。たとえば、子供の頃の経済的な環境は、大人になってからのその人の経済活動を大きく左右します。性的な問題で傷を負わされた人は、その後長く、「ゲートを閉ざした状態」になることは珍しくありません。外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、私たちは傷を負うリスクを引き受けることになります。そして、実際に、傷を負ってしまうことがあるのです。これは、若いうちだけでなく、いくつになっても起こりえます。ゲートから何が入ってきて、何が出て行くのか。私たちは、ゲートの開け閉めだけはある程度自分でできますが、「門をたたいてくる相手」を、管理することはできません。どんな人に愛を告白されるのか、いつどんな人がオレオレ詐欺の電話をかけてくるのか、自分を口説いている相手は本気なのか遊びなのか、そうしたことを「コントロール」することはできないのです。「何が来るか」ということ自体は、制御不能なのです。私たちにできることはただ、「ゲートを開くかどうか」の判断だけです。オレオレ詐欺の被害に遭った人や、性犯罪の被害者などに「警戒が足りなかった」「やられるほうが悪い」という言葉を投げかける人がいます。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」「他の人が引っかかっても、自分は冷静で賢いから、決して引っかからない」と考える人は、驚くほどたくさんいます。でも現実には、そうではありません。人生の「ゲート」を自ら開くとき、私たちは一様にリスクを負うのです。そして、人生の「ゲート」を開かないときも、私たちは人生のチャンスを逃し、ひとりぼっちで苦しみながら生きることになるリスクを負うのです。リスクは、どちらにも存在します。「ノーリスク」で生きることはできないのです。第8ハウスから「幸福」を考えたとき、まず「リスク」というテーマが浮かびます。自分の人生に何を容れ、何を拒絶するか、という判断がそこにあるからです。たとえば、親族からの莫大な遺産を、あえて「受けとらない」という判断をする人がいます。全額を寄付したり、誰かに譲ったりする人は、少なくありません。「受けとることによる、なんらかのリスク」を回避するための判断だったのでしょう。厳しい親の言うことを聞いて、恋愛を一切拒否して育ち、大人になった人がいます。既に十分いい大人になってしまってから、この人は親に「早く結婚しなさい」と言われ、激しい戸惑いと怒りを感じたそうです。一切のリスクを回避するために、「ゲート」を完全に閉ざして生きてきたため、それをどのように開けばいいのか、わからなくなってしまった、ということなのだと思います。ゲートの開き方は、経験によって学び取られなければならないのです。一方、育った環境からの影響で、自尊心が非常に低く、「何でも受け入れてしまう」という人もいます。人からの「求め」や人からの褒め言葉を、渇いた人が塩水を飲むように、ずっとごくごく飲み続けてしまうのです。渇きはおさまらず、心には痛みが蓄積していきます。ゲートが開きっぱなしで、「受け入れることのリスク」が一切回避されないまま、傷つき続けてしまう人は、決して少なくありません。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年2月25日更新)
2021年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。▼ 7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)はこちら■7.「パートナーシップ」と幸福。(後編)「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。この違いは、どこにあるのでしょうか。パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。ただ、こんなことを私は想定します。パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
2020年12月25日