なかなか勉強モードになれない息子Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子のリュウ太。小学生のころは、感覚過敏があって教室にいることがつらかったり、教室での勉強に集中できないことがほとんどでした。中学校では、遊びほうけていました。せっかく通っている塾をさぼったり、テスト勉強をいっさいやらなかったり…。高校受験を控えているにも関わらず勉強することを真剣に考えていないようでした。それは、将来のことがぼんやりしていて、イメージできていないことや、特性によって勉強に集中できないという理由があったようです。現在はそんな息子も23歳。最近になって息子に聞いてみると、将来のことに目を向けて勉強にちゃんと取り組めるようになったのは18歳のとき。専修学校高等課に通っていたころからだったと言います。(遅っ!!)Upload By かなしろにゃんこ。なぜそれまで勉強に取り組めなかったのか。特に中学校のころ、一般的に将来について考え始めるようになる高校受験の時期に、どうして受験勉強に真剣に取り組めなかったのかを息子に聞くと、こんな答えがかえってきました。1、学校の勉強と塾の勉強と学校の宿題の3つは気持ち的にキツイ。学校に行くだけで疲れてしまっていた。「ボー――っと音楽を聴いたりくだらない動画を見て自分を癒したいって思っていたんだよね。勉強はそのうちやればいいだろうって後回しにしてた」2、イヤなことは追い詰められないとできない。追い詰められてもできない。逃げたくなる。「勉強ってどこまでやったら記憶できるか、分からなかった。できるまでやるには相当な努力をしなくちゃいけないのか?と疑問に思ってた。自分はそこまでの努力をしたことがないから、全く分からなかった」だから、親に促されて勉強をしてもパフォーマンスに留まり、身になる学習には結びつかなかったというわけでした。Upload By かなしろにゃんこ。当時を振り返って「勉強法が分からなかったから勉強なんてやったってムダだと思っていたし、いくつもの熟語や単語を暗記しても覚えたそばから忘れていく。本当にちゃんと忘れずに覚えてるだろうか?って再度確認するっていう勉強法が面倒くさかったんだよね」と言う息子。短期記憶や作業記憶など苦手という特性があったこともあり、思うように記憶ができず勉強につまずいていたのだなと思いました。成果が出ないとヤル気もなかなか起こらないというのは分かります。Upload By かなしろにゃんこ。「結局、『コツコツと覚えていく』『一つひとつ積み重ねていく』方法しかないんだって納得できるくらいの経験値が少なかったから、真剣に勉強に取り組めるようになるまで何年もかかってしまった」と息子は言います。「みんなはもっと簡単に覚えているんだろうと思っていた」とも言っていました。自分だけがスゴイ努力が必要なんじゃないかと思っていて、それをやるのは面倒くさいな…と感じていたそうです。周りのみんなも繰り返し暗記して覚えているんだと、あとになってから分かっていったようでした。Upload By かなしろにゃんこ。18歳のとき、息子が発見した「勉強モード」になる方法Upload By かなしろにゃんこ。そんな息子は、好きな動画を見て、楽しく気持ちのいい時間を味わいながら勉強を始めるとスルリと勉強に入っていけるんだと専修学校の高等課3年のときに自分で発見!「自分は好きなものと勉強を結びつけてスタートさせるとやりやすいと分かったんだ」と言っていました。Upload By かなしろにゃんこ。また、「勉強しているのに『お風呂入りなさい』とか『学校からの手紙出しなさい』とか声かけられると調子よく勉強モードをつくった雰囲気が台なしになるから声をかけないでほしいって思ったね!」とも言われました。22時ごろになると声をかけて、就寝の準備を促していたのが息子にとっては勉強の妨げになっていたと知り、母は反省です…。息子は、自分なりのやり方を見つけてから勉強への苦手感が少しずつ軽減・解消されていったのではないかと思います。Upload By かなしろにゃんこ。調子よく勉強できるようになる脳年齢があるのか?精神年齢と関係があるのか?知りたいところです。現在息子は23歳となり、車の整備士から異業種に転職して再度資格取得に向けて専門の講習などを受けています。学生のころと変わらず周りについていくのが大変のようですが自分なりの集中法で毎日机に向き合うことができるようになっています。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)お子さん自身が自分のやりたいことや、自分に合った勉強法を見つけることができたのはとてもすばらしいですね。思春期以降にこのことに気づけることは、とても重要だと思います。義務教育の間はどうしても周りの人がしていることを同じペースで学ばなければいけないので、学習面に凸凹がある子どもたちにとっては時として苦痛になることもあると思いますし、好きなことに出合わないと、勉強する意味もわからず、やる気も起きないことが多いかもしれません。将来やりたいことや、学びたいこと、好きなことがあれば、大学を待たずに先にかじってみるのもいいかもしれません。自分が『やりたいこと』をやるには、「どの分野を学習すればよいのか、自分には今何の分野の学習が足りないのか」が分かることで、苦手と感じる分野であっても勉強する意欲につながったというケースも実際にあります。また、現在の専門学校や大学、大学院の制度は柔軟になっています。特定の領域だけが得意だというお子さんにも、チャンスはあります。勉強が好きになる時期に脳年齢というのがあるわけではありません。むしろ今の息子さんは「何歳までに○○を勉強しないといけない」というものに縛られず、『好きなこと、やりたいこと』を見つけ、それを学習することの価値を見つけられたのだと思います。本来の学ぶ喜びに出会えた息子さんは、新しい価値観や人生にこれから出合えていくのではないでしょうか。
2022年01月25日マンガで自閉症スペクトラム(ASD)を学ぼう!マンガで分かりやすく発達障害が学べる『マンガで学ぶ発達障害』シリーズ。自閉スペクトラム症(ASD)について分かりやすく解説した3つのコラムをまとめてご紹介します。主に社会性と対人関係、コミュニケーションの困難、行動や興味の偏りなどの特徴があると言われている自閉スペクトラム症。その特徴の詳しい説明や、自閉スペクトラム症の診断や治療方法、困りごとを解消するために行いたい療育について、強いこだわりがある場合が多いASDのある子への接し方など、公認心理師の井上先生の解説とともに詳しく解説します。自閉スペクトラム症(ASD)は先天的な発達障害の一つで、・社会性と対人関係・コミュニケーションの困難・行動や興味の偏りの2つの特徴があると言われています。このコラムでは自閉スペクトラム症の特徴や原因について解説します。自閉スペクトラム症の医学的な治療の話や療育方法を解説します。自閉スペクトラム症の特性に合わせてトレーニングをしたり、環境調整をすることで、困りごとを改善したり、得意なことを伸ばしたりできるのが療育です。そんな療育の原則『SPELL』についても詳しく説明!自閉スペクトラム症のある子どもは、強いこだわりや特性などを持つことが多いです。どのように接すればいいのか、9つのポイントとともに解説します。まとめ自閉スペクトラム症のある子は、ものしりだけど、興味の対象が独特だったり、知識に偏りがあることが多く、一人で遊ぶのが好きでお友達に関心をしめさない、初めてのことが苦手で不安にもなりやすいです。ですが、そのユニークな感性を尊重し、接することで、唯一無二の個性となっていきます。まずは自閉スペクトラム症のある子どもそれぞれが抱える苦手なこと、困っていることを知って、その世界を一緒に楽しむことが成長や生きやすさにつながっていくはずです。
2022年01月23日登園日の朝はママだけバタバタUpload By まる昨年11月、自閉スペクトラム症の診断を受けた3歳の息子リュウ。今回は、リュウと過ごす1日について書いてみたい。保育園へ行く日の朝。ママは朝ゆったりとした時間がないとダメなタイプなので最低でも家を出る1時間半前には目覚ましをかけている。目覚ましが鳴ってもすやすやと気持ちよさそうに眠っている息子。とりあえず先に起きて部屋を温めたり朝ごはんの支度を少し進めたりして30分くらいしたら起こすために寝室のドアを開けると…ガバッ!!︎と起きてくる。夜中ぐっすり眠っているときにはドアを開けても一切起きないのに朝だけは飛び起きるのだ。「おいていかれる!」とでもいうように大慌ての半泣きでついて来る。ドアを開ける音が息子にとって何よりの目覚ましになっている。リビングに来たがまだまだ眠い息子は、ぼーっとしていてなかなか動いてくれない。朝はこうしている間に10分、20分とすぐに時間がすぎてしまう。息子は食いしん坊で基本的になんでも食べるのだが、朝はバタバタとごはんを用意して「早く食べてね!」と息子に伝えても、まぁ食べる気がない。つい数ヶ月前に保育園から「リュウくんは、朝ごはんがパンだとお昼までもたなくて不機嫌になってしまうので、お米を食べさせてください」と言われてしまった。しかし、どちらを出してもなかなか食べてくれない。お腹すいたら保育園に迷惑がかからないかな…と私も気が気じゃない中、息子はゆっくりゆっくりぼーっとしながら1時間ほどかけて半分ほどごはんを食べる。ママはその間ずっとドタバタと支度をしたり家事をしたり…。ごはんを食べ終えたらすぐにパジャマを着替えさせて出発する。休日の日中は電車を見に行くUpload By まる保育園のない休みの日。朝ごはんが終わるとすぐに始まる「デンシャ!デンシャ!!」の言葉。電車のDVDが見たくてしっかりとリモコンを持って「デンシャ!デンシャ!!︎」と訴えてくる。「電車、見たい、って言うんだよ」と毎回教えているが、なかなか2語文を引き出すのは難しい。以前、「興味のあるところから発語に繋げていきましょう」と療育の先生から言われた。、確かに「デンシャ、キター!」の2語文が出てきたので、同じように電車から「デンシャ、ハヤイ」や「デンシャ、カッコイイ」など言葉が増えてほしいなと思っている。DVDを流すとおとなしく見ててくれるので家事がはかどるのだが、ヘタすると数時間DVDを見せ続けてしまうことになるので、休日はできるだけ外に出かける。息子はあまり自然のものに触れることが好きではない。子どもといえば、道でいろんなものを拾ってきたりどんぐりを集めたりするものだと思っていたが、息子は落ち葉や石も拾わないしドングリも触らない、砂場なんて今までで2~3回ほどしか入っているのを見たことがない。これも特性なのか性格なのか…。遊具は好きなのだがブランコ、滑り台くらいの通常の公園ではすぐに飽きてしまうのと、ママも公園があまり得意ではないため、休日はもっぱら電車を見に駅に出かける。家から近い駅だとあまり電車の本数が多くないため、数駅先の大きい駅でいつも電車を見るのだが、じっくり時間をかけて見ることができない。2~3本電車を見送ったら手を引っ張って移動したいと言う。すぐに駅から出てごはんを食べてアイスを食べて…ウロウロして電車を見て帰る、がいつものお決まりのコースだ。数時間同じ場所でひたすら電車を見るのもつらいけど、どうせならもう少し見れば?と思ってしまう。まだまだ先の見えないトイレトレーニングUpload By まる現在息子は3歳8ヶ月。同じ歳の子がどんどんパンツになっていっている中、もちろんまだまだオムツが取れる様子はない。試しにトレパンを購入して履かせてみたが、パンツが濡れてもなんのその。たまーに気が向いたときだけ「チッチ!」や「ウッチー!」と言ってしたあとに教えてくれるのはとても嬉しいが、毎回ではないのでまだまだ長い道のりになりそうだなぁと思っている。ただ、保育園の先生からのお話で、おままごとで人形をトイレに座らせて「チッチー」と言っているらしく、トイレですることの意味は分かっているようだ。保育園の先生も療育の先生も「来年度、頑張ろう!!︎」と言ってくれているので、今は私もあまり気にしてはいない。保育園から帰宅するUpload By まる仕事が終わって、保育園から帰宅。ママは、すぐに夕飯の準備。息子はもう慣れているのか、自分でおもちゃをたくさん出して一人遊びをしてくれている。このバタバタの帰宅後はDVDを見せて!とは言わないでおもちゃで楽しく遊んでくれている。夕ごはんは、朝とは違いバクバク食べてくれる(おかずにもよるが…)気にいるとママのおかずに手を伸ばしてきたり、お茶碗を持ち上げておかわりを要求してきたり…。こんなに食べさせていいのか…?と不安にもなる。息子は現在107センチ24.5キロ。子どもが食べなくて悩んでいる人が多い中、食べすぎて悩んでいるというとあまり悩みを共有できなく孤独感を感じることも多い。夕飯を食べさせ終えたら後片付け、保育園の洗濯物を軽く手洗いし(米粒などついているエプロンなどだけ)、お風呂掃除、干しっぱなしの洗濯物をしまい、明日の保育園の準備、歯磨きなどをさせているとあっという間に寝る時間が近づいてくる。お風呂に入れて出てくるころにはもう21時前後。わが家は21時には寝室に行きたいのだが、なかなか難しい日も多い。眠る前に大はしゃぎUpload By まるまだ保育園でお昼寝があるため、お昼寝をしてきた日は寝室に行ってもだいたい21時には寝てくれない。寝ない日は寝室で数時間、飛び跳ね、叫び、転がり大はしゃぎだ。不機嫌ではなく楽しそうなのでそれはいいのだが、ママも家事や仕事があるし、明日仕事で早かったりする。早く寝てくれ。大はしゃぎも2時間になると、さすがにママもイライラしてくる。だいたいリミットは23時…。23時になるとママに鬼が降臨し、「いい加減にして!」と大きな声で言ってしまうこともたまにはある。だいたい23時に叱ると、息子も実は眠かったのか、そのまま静かになって寝てくれることも多い。ちなみに休日は1日外に出ているため、お昼寝はしないことが多いのだが、そうなると20時前とか普段よりだいぶ早くウトウトしてしまう。まだお昼寝は必要なようだ。執筆/まる(監修:初川先生より)慌ただしい日常のレポートをありがとうございます。子育ては、時間に追われずにその子のペースに合わせてやれるなら、どれほど親のイライラは軽減されるだろうか…と思うくらいに、「早くして」「もう〇時だから!」という思いで動く場面って多いですよね。発達障害のあるお子さんを育てていると、おそらくそれは特性なのか、性格なんのか何なんだろうという視点は常にあるのだと思いますし、ほかのお子さんと比べたり、ご自身の子ども観との違いを感じたりすると、より一層そこが気になるのではと思います。ただ、そもそも未就学児の時代はかなり個人差が大きく、また好きな遊びや興味関心は子どもによってさまざまだと感じます。何か新しく習得することに関しても、積極的にやってみる子、みんなができたのをずっと見て最後にできるようになる子、どうにもそのことには手を出さない子など本当にさまざまです(公園の遊具への取り組み方はまさにそれで、身体の発達、運動の発達とも関係して興味関心の持ち方や取り組み方が変わりますね)。今はまだその段階じゃないのだな、それでも興味関心が出てきている段階ではあるな、など細やかな目盛りでお子さんの成長を見られるといいなと思いますし、そこにはほかの大人の目もあるといいのかもしれませんね(トイレトレーニングにおける、保育園での様子を聞けたことはよかったですね!)。何時に何をする、特に朝晩のルーティンに関しては苦手とするお子さんは多いです。自律神経的な調整が難しく、どうしても朝ぼーっとしてしまう、夜はどうしても寝るモードにならないというのはまさによくあることです。そういう意味では、ルーティンとして儀式的に何らかやってみる(朝は音楽を流す、短いテレビ番組に合わせて行動する、夜は読み聞かせやマッサージ、部屋を暗くするなど)ということがそうした面へ役に立つかもしれません。
2022年01月23日むっくんのことを抱きしめたい子どもを抱きしめて、隙間なく体をくっつける。ぬくもり、肌のやわらかさ、シャンプーの匂い、背中にまわる小さな手のひら。安心して体を預けてくれる様子に子どもからの信頼を感じ、愛おしさが育くまれていく大切な抱っこの時間。だけどむっくんは小さなころから抱っこが苦手な子どもでした。私はこのかわいらしい子をぎゅうっと抱きしめてしまいたいのに、抱きしめるとのけぞって逃げ出したり、癇癪を起こしてしまったり…。むっくんが私の腕の中でじっとしてくれるのは、ぐっすり眠る真夜中だけでした。眠ったことを見計らって抱きしめて、私は寂しさを埋めていました。「スキンシップを大切に」は育児のセオリーなのに、それができないこの子にどう愛情を伝えたらいいか分からず、私はよく途方に暮れたものでした。Upload By ウチノコ「感覚の違い」によるすれ違い私は当時「子どもは抱っこが好き」と思い込んでいたため、抱っこを嫌がるむっくんは私を必要としていないと悲観していました。だけど、むっくんと付き合っていくうちにその背景には感覚過敏や多動ちゃんならではの理由があって「抱っこ嫌い=私を嫌っている」ではないと理解できるようになりました。Upload By ウチノコ「感覚の受け取り方」「感覚によって与えられる感情」というさまざまなことを理解する上での「基盤」がむっくんと私は違います。抱っこ一つとっても、そこから受け取るさまざまな感覚が私にとっては「心地よいもの」ですが、むっくんにとっては「不快なもの」。抱っこをしないほうがむっくんにとっては「安心」で、私にとっては「寂しい」。私たちは親子なのに感覚や感情を共有しにくく、小さなすれ違いが起こりやすい親子です。そんなすれ違いを防ぐために、いつからか意識するようになったことがあります。それは「感覚や感情を余すことなく言葉にして伝える」ということです。感覚も感情も見えないし聞こえません。感じ方が異なる以上、私の感じ方を、動いていく心を、意識して伝えなければ伝わりようがないと思い至ったのです。言葉を尽くして伝えるむっくんが抱っこが好きではないことは知っていますが、私はやっぱり抱きしめたい気持ちを抑えられないときがあります。だって私は大好きなむっくんをぎゅうっと抱きしめる幸せを感じたいからです。そこで、ときどきむっくんに抱っこの許可をもらった上で抱っこさせてもらいます。そのときはむっくんがつらくないように、できる限り言葉を使って具体的に感覚と感情を伝えることを心がけています。Upload By ウチノコ心を言葉で実況中継すると、むっくんは抱っこ中にいくらか安心した表情を見せてくれることに気がつきました。言葉で伝えはじめたころはとにかく恥ずかしく感じたものですが、以前よりも今の方がむっくんに私の気持ちや幸せが伝わっている感じがするのです。また、伝える言葉を紡ぐため、私も自分と向き合う必要があり自己理解まで深まった気がして、言葉を尽くす清々しさに目覚めた気分です。さらに、意識して言葉で気持ちを伝え続けるうちに、むっくんにも変化が…。私と同じように、むっくんも言葉を使って感覚や感情を伝えてくれることが増えてきたのです!Upload By ウチノコ気持ちを伝えてくれながら、恥ずかしそうに抱っこを求める様子はひたすら愛おしくって。私たちはこれまでスキンシップで育めなかったものを、今言葉を使って育んでいるようにも感じています。ひょっとしたら感覚の受け取り方は違っていても「言葉を使うことが得意」「言葉で感覚を共有しやすい」という部分が私とむっくんは似ているのかもしれません。Upload By ウチノコ自分を知って、人を知る特性の有無は関係なく、人それぞれ感覚の感じ方、感情の動き方、伝わりやすい方法などは違って当たり前です。だけど、私は息子と出会うまで、自分がどんなふうに感覚を受け取り、その感覚から何を感じ取って生きてきたのかを言語化できるほど考えたことはありませんでした。また、目の前の人がどんなふうに感覚を感じ、どのように感情が動くのか、また理解しやすい方法が何なのか、なんて真剣に考えたこともありませんでした。それらを意識せず、ただ漠然と人と関わっていた私の生き方は、他者とのすれ違いを生み、大切な人を傷つけていたのだろうと思います。だから、自分と相手は「心地よい感覚や感情の動き、伝わりやすい方法」が違うのではないか?という視点を持つことがとても大切だと思うようになりました。それに気づくことができれば、明日から見える景色は大きく変わるかもしれません。むっくんのおかげで、私の世界は外に内にどんどん広がっていくように感じています。息子を通して世界と自分を知る。こんなにも面白い経験をさせてくれるむっくんにただただ感謝です。執筆/ウチノコ(監修:初川先生より)抱きしめることをめぐるプロセス、素敵な気づきのシェアをありがとうございました。読みながら、うぉぉぉ…なんと素晴らしい…!!!と心の中で声にならない声をあげながら拝読しました。可愛いわが子を抱きしめたいのにそれを拒絶されるつらさ、いかばかりだったかと思います。「私を必要としていない」と思い至ってしまう面は、多くの保護者の方で何らか思い当たる節があるのではないでしょうか。(赤ちゃんのころなど何をしても泣き止まないときに途方に暮れつつ悲しくなったご経験をお持ちの方は多くいらっしゃるのでは)感覚の受け取り方が違うのだと頭では理解していてもそれでも苦しかったことと思います。しかしながら、そこからウチノコさんが言葉で伝えながら抱きしめるという方法を実践されてゆきますね。むっくんが言葉の理解が得意だった面もよかったのかなと推察しますし、何よりお母さんがむっくんに安心してもらおうと一生懸命説明しながら関わる、そして嫌だと思う前に撤退する、ということ。そこから、むっくんとウチノコさんの2人が納得し満足するあり方を模索していかれている…。そこが本当に素敵です。コミュニケーションというものは、相手を理解して付き合うということは本来そういうプロセスだったんだろうな、という基本に立ち戻らせていただいた気持ちになります。さらに、むっくんはむっくんで自分の気持ちや抱きしめてもらいたいときのこと、強さについて言語化していることにも驚きです。すごい。お互いの歩み寄り、2人で心地よい距離感を探る。素敵です。最後の【自分を知って、人を知る】にて書かれていること、私もまさにそうだと思いますし、そこを自らのご経験から気づき、学び、語られているというところで感心するばかりです。いろんな方に今回の記事を読んでもらいたい!と勝手に興奮しています(笑)。プロセスと気づきのシェアをありがとうございました。
2022年01月21日自閉スペクトラム症と知的障害のあるほぺろうの就学時健診ほぺろうは、来年春から特別支援学校の1年生。昨年の秋に就学時健診に行ってきました。就学時健診とは、次年度に初等教育を受けるお子さんに対して行われる健康診断で、実施についてはお住まいの地域の自治体よりお知らせが来ます。おおよそ内科検診、歯科検診、視力検査、聴力検査が行われ、地域によっては知力検査も含まれる場合もあるようです。わが家の息子ほぺろうは、自閉スペクトラム症があるゆえに慣れない状況に癇癪を起こしやすく、知的障害があるゆえに健診をよく理解していません。何度も予告したり「痛いことはされないよ、こんなことをするよ」と説明しても、病院や医者っぽい雰囲気を察しただけで反射的に号泣してしまいます。とは言え、今回の就学時健診は「行き慣れた場所」「保育園のお友達も一緒」「内科医は行きつけの先生」という好条件で、身体検査自体も保育園で毎月実施してくれているので抵抗は少ないだろうと思い、「たかが就学時健診、まぁなんとかなるだろう」と私は深く考えませんでした。しかしこれが間違いで、ほぺろうにとっては好条件も一蹴するほど「たかが就学時健診」ではなかったのです。Upload By ぼさ子まず、視力検査・聴力検査は完全お手上げ自閉スペクトラム症と知的障害のあるほぺろうにとって、内科検診・歯科検診など「医師が一方的に診てくれる系」はまだ何とか受けられます(身体を抑えておくのが大変だけど)。しかし、視力検査・聴力検査など「自己申告系」は完全にお手上げ!Upload By ぼさ子就学時健診の視力検査は大人と同じく、片目を隠して指定された図形を答えるというスタンダードなものでしたが、ほぺろうは指示も分からなければ、発語がないので質問に答えることもできません。私はこのときようやく、「ハッ!ほぺろうにはこの検査はできない」と気づき、自分を悔やみました。職員さんに検査ができない旨を説明しお詫びすると、5~6歳児の中で検査ができない子どもがいるとは想定外だったのでしょう。「え…ええええ……、どどどどどうしましょう……?」と声が震えるほど動揺させてしまいました。とにもかくにも検査できないものは仕方ないので、その場は免除になりました。そして聴力検査はヘッドホンを装着して質問に答えるもので、視力検査同様に職員さんを戸惑わせ、こちらも免除になりました。Upload By ぼさ子また、ほぺろうは待合ロビーに入った時点で号泣スイッチが入り、待ち時間も健診中もずっと大爆音で泣いていました。体は年長さんの体格なので声量がすごく、会場に逃げ場もなく、泣き声で周りの人は検査内容が聞こえないなど多大な迷惑をかけてしまいました。皮肉なことに待ち時間はとても長く、その時間はずっとほぺろうの癇癪と周りへの申し訳なさで押し潰され、謝ってばかりいました。また、癇癪で擦り減った私の精神には、1歳半健診や3歳健診のときより開いている周りの子との差は堪えるものがありました。自分の備えのなさのせいで健診側の方たちや周りに迷惑をかけただけでなく、ほぺろうにも負担をかけ、何時間も待ったのに検査できない項目もあったり、ほかの子との差を痛感したり…。いろんな思いが重なって、いい大人なのに帰りに泣いてしまいました。事前の相談が鍵!健診が難しい場合の対策今回の経験は同じ境遇の方から体験談を教えていただける機会に恵まれたので、そのお話と自分の反省をもとに「こうしたら良かった」という対策をまとめてみました。あくまで私が思う対応策なので、自治体や特別支援学校等にお話を聞けたらもっと正しい情報が得られたかもしれません。就学時健診のお知らせが来たら…1.まずは進学先の特別支援学校等に相談集団健診が難しいお子さんのために、入学後学校側で健診してくれるところもあるそうです。そうであれば、自治体の集団健診は欠席の旨を伝えたら良いと思います。それでもやはり、自治体で健診してくださいとなった場合は…2.自治体に相談お子さんの困りごとを伝えた上で、・できない項目は免除してもらう・順番をなるべく最初にしてもらう(待たなくて済む)・集団を避けるように日程をずらしてもらう・個別に医療機関で検査してもらうなど…Upload By ぼさ子近年、発達障害のあるお子さんは増加傾向にあると言われていますが、大きな視野で見ると発達障害に限らずいろいろな事情を抱えたお子さんはほかにもいるはずです。そのため、自治体側も詳しい説明がなければどのような配慮が必要かなど分かりにくいかもしれません。診断名や療育手帳の内容を伝えると良いと思いますし、お世話になっている園や発達サポートから話を通してもらうのも一つの方法だと思います。また私もそうでしたが、就学時健診は『任意』であることを知らず、必ずほかの子と同じことをさせなければ…と頑張った結果、つらい思いをしてしまった方も少なくないという印象を受けました。どうしても難しそうであれば「いっそ休む」という選択肢もありますし、自治体によっては希望通りとはいかないかもしれませんが、相談することで少しでも配慮をお願いできることを祈っています。発達が気になる子も楽しく就学準備をしたい発達に心配を抱えるお子さんの就学準備は、進路に迷うという悩みだけでもストレスがあるのではないかとお察しします。私の中では、就学準備の中でも就学時健診がある意味思い出深いものになってしまいましたが、やっぱり就学準備は子どものために希望いっぱい明るく楽しく行いたいもの。情報提供や配慮は、自治体や学校によってバラつきが出てしまいますが、親だけでなく当のお子さんの負担を少しでも軽くするために、自分の経験を情報共有できたらいいなと思いました。※就学時健診の場所や流れは自治体や進学予定先によっても異なることがあります。不安なときは、お住まいの自治体の担当窓口に相談をしましょう。Upload By ぼさ子執筆/ぼさ子(監修:鈴木先生より)神経発達症(発達障害)のあるお子さんの保護者の方には、新年度になったら早めに個別で教育委員会へ相談することをおすすめしています。自閉スペクトラム症のあるお子さんは一般の健診のような集団は苦手なことが多く、なかなか落ち着いて多くの相談をすることもできにくいと思われるからです。小学校入学が一番教育環境の変化するタイミングになります。神経発達症(発達障害)のあるお子さんは、ほかの幼稚園や保育園から来た子と一緒になるなど教育の場所や環境が変わったときには注意が必要です。いじめを予防するためにも入学式の後に担任&校長とよく相談することが大事です。入学後も不安なら、主治医とは医療支援ファイル(担任からの問題点に対して主治医が答え、保護者が見てサインをする)を通じて教員と連携をとることをおすすめめします。
2022年01月19日お気に入りの本や壁紙を破ると言うこだわりUpload By みんみん(以下、――):P(次男)は年長6歳、自閉スペクトラム症、知的障害(中度よりの重度)があります。手に感覚を入れたがる傾向があり、以前は私の腕や首などをつねっていたのですが、今は成長と共に少し落ち着いて、置き換えで絵本や壁紙を破ってしまうようになりました。不思議とお気に入りのものや好きなページから破ってしまい、細かく破って部屋中散乱している状態に…。できるだけ古本などを与え、破ったものは本人にも片づけをさせていますが、家ではその行為をOKとしてしまっているので、本屋さん、友達の家など破ってはいけない場所で破いてしまったらどうしようという不安があります。Pの心の安定のために破かせても良いのでしょうか?「本を破く」ということはそもそもダメな行為なので止めさせるべきでしょうか?三木先生:リスクゼロにするとなると監視が必要ですね。どの程度監視し許容するのか?破ってよい、よくないをどう教えていくのか?今は説明して本人は分かりそうですか?――分からないと思います。でも破ったら叱られるし、ダメなことだというのは何となく分かっていそうなのですが、いくら注意してもやめられないので、もう衝動的に破ってしまう癖のようなものに近いと思います。私の腕をつねる回数は減り絵本に置き換わったので、今回も将来的には絵本から何かほかの物に置き換えていきたいのですが…Upload By みん絵本から置き換えられるような物がほかにはないか?考えてみる。三木先生:何に置き換えられるか?悩みますね。プチプチできる梱包材のおもちゃ的なものや、つねることができるようなものも良いですが、一番身近ないいものとして新聞紙はどうでしょう?――新聞紙自体にあまり興味がないのでうまくいかないかもしれません…好きな絵や柄が書いてあるものの方がいいかもしれません。三木先生:好きなページをカラーコピーしたり、スキャンデータをとっておいていつでもプリントできるようにしてみては?そうやって本から少し離していき、本じゃないものにしていければ良いのですが…試してみないと分からないですが、紙質など本人の手ごたえも重要ですよね?それからお友達の家へ行く場合も、了解をとって破ってもいい本をあらかじめお友達の家に置いておいてもらうのはどうでしょう?それを破るのはOKとし、もし破らなかったらほかの家では破るのNGだと思って場所をわきまえてはいる?ということになりますが、リスクゼロにするにはやはり見せない触らせないなど完全に監視するしかないですね、でもそれではお母さんも大変ですよね。――そうなんです。破るという行為はできればやめて欲しいのですが、もしやめさせるならやはり何か他のものに置き換える必要がありますよね。今までもいろいろと置き換わって来ているので何か良い方法を探したいと思っています。Upload By みん問題となる行動を、問題としないようにする方法三木先生:やっても差し支えない範囲内でやってもらうように置き換えて…梱包の紙など、荷物が届いたらご褒美的な感じでやってみたらどうでしょう?華やかさが必要なら梱包の紙にお子さんの好きな絵を描いてみたり…。一日のご褒美タイムで破ってもらえるようにしてもいいのではないでしょうか。外で破くのを我慢できて、そのご褒美として家で自由に破ることができるという流れにできれば、外で破るリスクは減ると思います。もう少し大きくなったら…ちぎり絵など作品づくりに置き換えるのもいいのでは?――そうですね!色紙などをちぎらせて集めておいて、それを使ってちぎり絵などの作品を作ることに挑戦してみるのも面白いかもしれないです!今はただ破るだけですが、破ったものをまた新たに遊びに使うのは目的のある行為にもつながって良いと思います。そんな風に移行するのは時間がかかるかもしれませんが、一つのアイデアとしてとても参考になりました。Upload By みん感想絵本を破るなどの問題行動は、できればやめて欲しかったのですが、Pは絵本が大好きですし、破るという行為を楽しんでいて精神安定にもつながっていたので、物理的に絵本を与えないという選択はなるべく避けたいと思っていました。今回三木先生に相談して、実害のないものに上手く「置き換えていく」方法や、問題行動を問題行動としないようにする考え方やアドバイスをいただき、一見すると困った行動も、こちらの導き方によって困った行動ではなくなるようにできる場合もあることを学びました。執筆/みん
2022年01月18日塾通いのきっかけは授業でわからない単元が出てきたことUpload By スガカズ小学校生活を送る上で、定型発達のお子さんでも小3から小4にかけて学習につまずいてしまうことが多いと聞いたことがあります。わが家の発達に凸凹がある長男も同様で、小4で割り算の筆算につまずいていました。長男は大人しい性格で、人に「助けて」と言うのが苦手です。先生の状況を見て質問するタイミングをはかること、その場に合った適切な言葉で質問することができなかったようです。学校生活の中だけでは学習の分からないところが解決せず、理解できていないまま授業が進むのがつらいようでした。一方で私自身は子どものころから計算が得意で、小学生のころは暗算が楽しくて家でも繰り返し計算問題に取り組んでいるような子どもだったので、宿題以外で復習する習慣がない長男に合った指導が家庭でできず悩みました。そんなある日、長男は下校してから宿題に取り組もうとするものの、問題の解き方が分からず、「算数が分からないから学校に行きたくない」と泣きながら私に訴えてきました。Upload By スガカズ「分からないままだと長男の学校生活がもっとつらくなってしまうなぁ」「学校そのものは嫌いじゃないし、人と関わることが嫌なわけじゃないもんね…」と、どうしたものかと悩んでいました。そのうちに、「私が教えてあげることができないのなら、普段から子どもに勉強を教えているプロから学んだほうが長男にとって良いのでは?」と気がつきました。泣いている長男に、「勉強が分からないのなら、塾に通ってみるのはどうかな?」と提案しました。泣きながら床に寝そべっていた長男は、体を持ち上げ「そうか!授業で分からないことが減って、学校が楽しくなるかもしれないね。オレ、塾に通う!」と、言いました。こうして、発達に凸凹のある長男に合った塾探しが始まりました。家庭教師、集団塾、個別塾…いろいろあるけど、長男にあった環境はどれ?Upload By スガカズ発達に凸凹のある子どもを育てる家庭は、その子の特性にもよりますが、家庭教師や個別指導塾を選ぶことが多いということを耳にしていました。しかし、わが家は4人きょうだい。当時下のきょうだいたちは、2歳と1歳でまだまだ手がかかる時期でした。そのため家庭教師の方にお願いしても、下の子たちが長男の勉強中に部屋に入ってしまうのではないかという不安がありました。そうすると結果的に長男が集中して学習に取り組めない状況をつくってしまいます。また、発達障害のある子ども向けの塾もありますが、わが家に関しては県をまたいで通わないといけないため、難しいと判断しました。加えて、長男はインドアの遊びが大好きで、自分から外遊びをすることはほとんどありません。体力に不安があり、当時は自転車で坂道がうまく登れませんでした。そのため、通うルートの勾配が少なく、自宅から2キロ圏内のところにある集団塾と個別指導塾を中心に、見学と体験をすることにしました。見学と体験を通していくつもの塾の見学、体験を通して分かったことは、「習い事はさまざまな前提条件が重なるため、発達に凸凹のある子どもにぴったりな塾を探すのは難しい」ということでした。家との距離、開始時間、指導方法、人数、先生との相性などなど…条件に優劣をつけて決める必要がありますし、場合によってはなかなか見つからないこともあるのかもしれないと思いました。体験の際には、塾の先生に必ず長男の障害や特性について伝え、学習に取り組む様子を見ていただきました。実際に体験してみると、進学塾ではないものの、子どもの能力を選別した結果入塾を断るところもありましたし、個別指導塾で私は長男に合っていそうと思っても、長男自身がしっくり来なかったという場合もありました。塾探しをはじめて1ヶ月経ったころ、最終的に、長男の意向を尊重する形で「集団塾」に通うことに決めました。Upload By スガカズその塾に通う前に一つ不安なことがありました。決めた塾は、平日の午後4時半までに塾に到着していないといけないルールだということ。午後3時半に小学校から下校して、40分後には家を出ないといけません。そのためには私が長男に「塾に行く時間だよ」と促す必要があるので、塾の予定に合わせ私の予定も見直しました。実際に通い始めてみて分かる、発達に凸凹のある子どもの「習い事」の大変さUpload By スガカズいよいよ長男の塾通いが始まりました。長男は自閉スペクトラム症とADHDがあり、特に時間の概念が弱いところがあります。また、工作など自分が好きなことに取り組んでいるときは目をキラキラと輝かせ、2時間でも3時間でも没頭し続けます。そんな長男が、例えば「やっと学校終わった~!!」と、喜々としながら工作に取り掛かり始めると大変です。塾に遅れないように時間の確認、声かけ、送迎をしようと私は試みますが、長男自身「やりたいこと」に取り組んでいるので、何度声をかけても長男には届きません。長男が塾に向かうころには私自身がぐったり…。始めのころは週3回の通塾予定でしたが、お互いに無理をしすぎないほうがよいと判断し、週1〜2回に減らすことにしました。工夫をしたものの常に臨機応変に対応することは難しく、ほかのお子さんに比べて長男は塾の遅刻が多い状況でした。その点に関して塾の先生は「長男くんは時間を守れない、時間にルーズな子だ」と呆れていたようでした。それでも長男なりに頑張って塾に通ってくれたので、小学校でのつまずきは目立たなくなりました。気づけば「学校に行きたくない」とは言わなくなってたので、(もうここで学ぶのは十分かもしれないな)と思い、長男と相談して小5の終わりごろに約2年間通った塾の退塾を決めました。辞める際、塾長からは私たち親子に厳しい言葉がありました。長男は、「もう辞める塾だから」と思っていたのか黙って先生の言葉を受け入れていましたが、私は「ただ長男が生きやすくなればよいと思って塾に通わせたし長男も頑張っていたけど、残念な終わり方になってしまったな」と、複雑な気持ちでした。「塾に遅刻する」という経験を通じて分かったことUpload By スガカズ集団塾を辞める少し前に、私は長男に「マイペースなあなたに合う塾がほかにあるはずだから、塾を変えない?」と提案しました。すると長男は、「通ってみて分かったんだけど…」と、自分の気持ちを話し始めました。「オレは今まで、学校から帰ったらまず遊ぶのが、ずっとクセになっているから、遊ぶ時間が少ないと『頑張るぞ!』って気持ちにならないんだ」どうやら、体験を通して「『やりたいこと』の時間を確保できたら『やるべきこと』に取り掛かる意欲がわく」という自分自身の法則に気がついたようです。また、私自身も長男の優先すべき条件が把握できたため、今後違う習い事を決める際に通い始めてからのイメージもつきやすく、周りとの摩擦も起きづらい環境を選ぶことができるようになりました。親子で大変なことも多く、辞めるときは複雑な気持ちになった習い事でしたが、長男も私も失敗を通じて気づきを得られた貴重な経験になりました。執筆/スガカズ(監修:三木先生より)学校って学習がメインの時間なので、勉強が分からないのは実はかなりつらいことなんですよね。それを解消するためにじっくりといろんな選択肢を検討して取り組まれたことは良かったと思います。また、長男くんが自分の行動パターンに気がついたのもすごいことですね。こうやって時間がかかっても「鳥の目で見た」自分の気づきが増えてくると良いですね。
2022年01月13日成長と共にオムツ交換スペースを利用しずらくなってくる自閉スペクトラム症のあるPが、3歳のころの話です。外出先でオムツ交換スペースを利用したくても、「ベビールーム」「赤ちゃん休憩室」と書かれている場合が多く、3歳になり身長も大きくなったもう赤ちゃんではないPが、赤ちゃんや小さな子たちと同じスペースでオムツを交換するという行為が気になるようになりました。3歳になったPは自分より小さな子たちに「お兄ちゃんまだオムツなの?」と言われたり、不思議な目で見られたりしてしまうこともありました。Pは自分の気持ちを言葉にすることがまだまだ難しく、3歳を過ぎてもオムツ交換スペースへ行くと言うことをP自身がどのように考えているのかまでは分かりませんでした。実際本人は全く気にもしていなかったかもしれません。それでもPの立場になって考えて想像してみると、やはりもう赤ちゃんではないPがオムツ交換スペースを利用するのは本人にとっても恥ずかしいことなんじゃないかな?と考えるようになりました。Upload By みんオムツ交換スペースの次に利用し始めた場所は?それからはなるべく車の中でオムツを交換するようにしていましたが、すぐに駐車場へは戻れない場合や、身長が高くなってからは車の中では狭くて交換しにくい場合もあり、なかなか不便なことも多かったです。そこで新たに利用するようになったのは「多目的的トイレ」です。多目的トイレにはオムツ交換のしやすいベッドもあったりするので、多目的トイレがある場合はそこに入るようになりました。それまで多目的トイレは「本当に必要な人を待たせてしまうことにつながる」のでなるべく利用しないようにしていました。でもPのオムツが外れてトイレを利用できるようになってからも、変わらず多目的トイレを利用させていただいています。Pが5歳を過ぎたあたりからは、夫や長男と男子トイレに一緒に行けるようになりました。ですが、私と2人だけで出かけたときなど、一緒に女子トイレにつれていくのはPと同じくらいの歳の女の子への配慮を考えるとやはり難しいです。でもPをトイレの外で待たせて、私だけが女子トイレへ入ることは絶対にできません。逆に、Pを一人で男子トイレに行かせることもまだまだ難しく、外出先で私もPも両方が安心してトイレを利用するためには多目的トイレが1番使いやすいのです。Upload By みん利用しずらかった多目的的トイレを、私たちが利用するためには…今まで多目的トイレは、車椅子の人、オストメイトが必要な人の為のトイレだと思っていたので、なるべく利用しないようにしていましたが、私たちのような親子にとっても外出の際にはとても大切で必要な場所となりました。今ではどこにでもあって当たり前のようになってきた多目的トイレですが、昔は限られた場所にしかなく、トイレ問題が壁になり外出したい場所へ自由に行くことのできない障害のある方や困った方も多かったと思います。しかし、車椅子、お年寄り、赤ちゃん連れの人など見た目で分かりやすい場合は堂々と利用ができても、私たち親子のように一見見た目では何に困っていて多目的トイレを使うのかが分からない場合は、「必要ないのに使っている人がいる」と誤解されてしまう場合もあります。そんな誤解を避けるために、外出するときには普段からPにヘルプマークをつけるようにしています。(※ヘルプマークとは、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。)ヘルプマークで、外見だけでは分からない障害などがあることを知らせ、周りの人へ多目的トイレの使用を理解してもらうことも必要だと感じています。そして同時に、一見普通の親子連れに見えるかもしれませんが、そのような理由があり、多目的トイレを使う場合もあることを少しでも覚えておいてもらえると嬉しいです。参考:東京都福祉保健局 ヘルプマークUpload By みん執筆/みん(監修:三木先生より)これは難しい問題なのですが、「本当に必要な人」にP君は含まれているように思います。見た目では何が困るのか、ご本人以外には分からないこともあります。ヘルプマークをつけるのは周りの理解を得るために良い方法の一つに思えますが、そういったものがなくても「きっと何かあるんだろうな」とお互いに思える社会になると良いですね。
2022年01月09日学校へ行かない生活小1の秋に不登校を選んだむっくん。当初は、精神的に不安定だったこともありゆっくりと本を読んだり、テレビを見て過ごすことが多かったような気がします。3ヶ月経ったころから、少しずつ活気が戻り「何かやることない?」と家の中をうろうろするようになりました。とは言っても、外へ出てどこかの集団に属することはしんどいと話すことから自宅で過ごすことに。自分のために使える時間がたっぷりある自宅でいったいどう過ごせばいいのだろう?自由って尊いけど、自由って難しいなあと感じたものでした。Upload By ウチノコおうち時間の過ごし方学習意欲が多少あるむっくんは、当初から1日1時間程度学習していました。少しずつ時間が増えていき、現在は2時間ほどの学習をこなしています。得意な内容は先に進め、苦手な内容は時間をかけて、興味を持った内容を深堀したりと、むっくんに合う方法を模索しつつ学習を進めています。初期のころは外出を嫌がりましたが、少しずつ拒否感は消えてサイクリングを楽しむようになりました。いつもより少し遠いスーパーに出かけてみたり、通ったことのない道を開拓してみたり。最近は歩数でキャラクターを育成できるスマホゲームに夢中で、歩くことを心がけているようです。本が好きなので図書館によく行きますし、科学館や市営プールなどの公営施設にもときどき出かけます。むっくんは感覚過敏があり、人が多いと疲れてしまうため今までは人の多い場所は敬遠していました。ですが、平日昼間はどこも人が少ないのでおでかけのハードルが下がり、今までは絶対無理だったショッピングモールも短時間なら付き合ってくれるように!息子との買い物にウキウキしてしまう母です。家事スキルはぐーんと伸びました!料理がお気に入りで、お腹がすくと本やインターネットのレシピを参考に斬新な食事やお菓子をつくってくれます。家にずっといるので、昼食どうしよう?と毎日悩ましかったのですが、むっくんと交代制になりずいぶん楽になりました。洗濯や掃除なども手伝ってくれることが増え、暮らしにゆとりがあるからいろいろと興味をもってくれるのかな?なんて考えています。Upload By ウチノコ過ごし方の基本かもしれないテレビゲーム!これは毎日楽しんでいます。私もゲームが好きなので、一緒にプレイしたり対戦することもあります。またscratchなどのプログラミングにも興味を持って取り組んでいます。Youtubeを使って知りたいことを調べたり、ゲーム動画、アニメ、実験動画、コマ撮り動画などをよく見ています。テレビでは学習番組や自然科学系の番組を好んで見ている様子で、ニュースチェックもするようになりました。外の世界を知ることができ、いい刺激になっている様子です。もともと高学年での理科実験を楽しみにしていたので、自宅で実験やっちゃおうと働きかけたときはとても喜んでくれました。最近では図鑑や動画でやり方を調べて、材料をメモして、買い物に行き、準備を整えて実験するという一連の流れを楽しんでいます。また、自分の実験の様子などをタブレットで撮影、編集して見せてくれることもあります。Upload By ウチノコ本が好きなこともあり、暇さえあれば何か本を読んでいます。教科書などに乗っているおススメの本を借りてきて読んだり、漫画も読むようになりました。気に入った作家さんの作品を集めて読むなど、新しい世界の広げ方を覚えてきました。音楽をよく聴くようになりました。YouTubeを使って好きな曲をいろいろ流したり、演奏したいと楽器に向かうこともあります。また、映画もよく見るようになり、80年代のハリウッド映画が今のお気に入りです。もともと物をつくることが好きなむっくん。小さなころから何かに感銘を受けたら手元で何らかの方法でそれを再現していました。頭の中がいっぱいになりそうなときに、手元でアウトプットして頭の容量を開けているのだろうと私は理解していますが、これが思うようにできないことがつらいようなので、いつでも自由に表現できる現在は満たされているようです。おかげで癇癪などはずいぶん減ったように感じています。畑を借りて一緒に野菜を育てています。一生懸命草取りをする私を尻目に、むっくんは昆虫やカエルを取ることに夢中ですが…。今年はチョウやカエルなどの飼育にも挑戦し、学びの多い活動ができました。Upload By ウチノコ自宅で1年過ごして思うことむっくんが「なにかやることない?」と言い出したとき、私は「何か刺激を与えてあげなくちゃ!」と思い込み、頑張りすぎてへばってしまいました。そのため今は、手抜きも意識しつつ暮らしています。私がやる気を出そうが出すまいが、むっくんは自分の調子で1日の過ごし方を選んでいるようです。親子が1日中一緒に過ごすのですから、当然疲れるときもあるし、喧嘩だってします。だけど、不登校生活は楽しいなぁって感じる自分もいます。むっくんは何もせず過ごす日もあれば、忙しく情報を集め活動する日もあり。当たり前なんだけど、どこで過ごそうが子どもは成長するんだなぁとしみじみ感じています。今日も私たちは明るく楽しく1日を過ごしています。執筆/ウチノコ(監修:三木先生より)とても活動の種類が多くて良いですね!これだけのことを準備してあげるのはすごく大変だったでしょうけど、でもおかげでむっくんは楽しく過ごせているようですね。また、外出で「いつもと少し違ったこと」に取り組めているのも良いですね。そうやって少しずつ世界を広げていくことも大事です。それらも含めて「頑張ったり、頑張らなかったり」を繰り返しながら、成長していくんですね。
2022年01月07日パニック、周りへの配慮で移動手段に悩むUpload By ゆきみ長男けんとが自閉スペクトラム症と診断を受けて半年以上が経ったころ、長期休暇があったので夫の実家へ帰省することに(コロナ流行前)。とても離れている夫の実家への移動手段は、飛行機、新幹線、車の3つ。子どもたちは飛行機に乗ったことがなかったのですが、けんとが大きな音が苦手でパニックをおこしてしまう可能性が高いのでやめました。新幹線は、電車が大好きすぎて興奮して車内を走りまわってしまいそうですし、大声などで周囲にご迷惑をおかけしてしまうのでやめました。残る手段は車のみ。移動時間はとてもかかりますが、家族だけの空間なので安心!旅行がてら、数ヶ所の宿泊をはさんで行くことに決定。Upload By ゆきみ通常の旅行荷物に加え、偏食対策にと普段飲んだり食べたりしているもの、実家や移動中でも子どもたちが楽しく過ごせるようにハマってるおもちゃ、DVD、絵本を大量に準備し、さらには階段用にベビーゲートまで!車は荷物でいっぱいになりました。いざ、出発!普段から車移動に慣れていることもあり、大好きなDVDを観て過ごしたので泣くこともなく、旅行も楽しみながら帰省することができました。お義母さんの愛情がつまった一言Upload By ゆきみけんとが自閉スペクトラム症の診断後、初めての帰省。あらかじめ夫が診断についてメールでお義母さんに伝えてくれていましたが、特に返信がなかったとのことで心配していました。しかし、到着すると以前とまったく変わらずに大喜びで子どもたちを迎え入れてくださったお義母さん。そして私に「大丈夫よ」と声をかけてくださいました。短い言葉の中に、とても強く深い愛情を感じました。夫の実家では目に入るものすべてが新鮮なようで、衝動がとても強いけんとは気になるものを発見しながら家の中を走り回りました。とてもマイペースで天然なお義母さん。普段、大人だけの生活をされているので、手の届く位置にハサミ、カッター、花瓶、ダンベルや割れ物があり、しかもこの帰省時、たまたまエアコンが壊れていたそうで、大きなストーブが出ていました。「危ない、熱い」が理解できていなかった2人だったので、親が1人ずつに必ずついて、朝から夜まで家の中を追いかけまわしていたらヘトヘトに。結局、持っていったオモチャではほとんど遊びませんでした。Upload By ゆきみUpload By ゆきみ視覚過敏?水族館でエンドリピート階段遊び家の中を追いかけまわしたら疲れ果ててしまい、2日目は外出することにしました。けんとの好きなローラー滑り台がある公園をネットで見つけ行ってみると、想像よりも広い公園でした。高台にそびえたつローラー滑り台は、たどり着くまでに大人は息を切らしてしまうほど。目を離すと順番抜かしをしてしまうので、ずっと一緒について楽しく遊びました。Upload By ゆきみ午後は、ゆうきの大好きな水族館へ。けんとは療育手帳を持っているので、本人、介護者が半額になる割引サービスを利用させていただきました。目を輝かせながら、あっちの魚、こっちの魚へと水槽をみてまわる、ゆうきは本当に楽しそう。けんとは、視覚過敏の影響で薄暗いのが怖いのか、入場してすぐのエントランスから先へは入ろうとしませんでした。エントランスにある階段の上り下りにハマり、長時間、階段で過ごし親の足はパンパン。公園に続き階段エンドリピートとなったのです。そして、けんとのご要望にお答えして館内のカフェへ。綿菓子を食べてとてもおいしかったようで大満足な子どもたちでした。Upload By ゆきみコタツでのんびりする日を夢見て家の中でも外出先でも朝から夜まで追いかけ回し、さらには車での長距離移動ということで、とても体力的には疲れた帰省となりましたが、久しぶりにお義母さんと会うことができ、子どもたちもとても楽しんでいたので、行ってよかったです。水族館はコロナの影響もあり最近は行けていません。ゆうきが好きなので、また行くことがあると思います。けんとは薄暗いのが今も苦手なので水槽エリアには入れないかもしれませんが、そのときは、また一緒にカフェでおいしい物を食べようかと思っています。公的施設などでは、療育手帳を提示すると入場料などが割引になることも多く、「試しに行ってみよう」とダメ元でチャレンジしやすくなるのでありがたいです。全部のエリアは行けなかったとしても、いつかのチャレンジで行けるエリアが見つけられるかもしれません。あれから2年。子どもたちも以前より少しだけ落ちついてきたので、もしも帰省できたときには前回よりはゆったりと体を休められる時間があったら嬉しいなと願ってます。執筆/ゆきみ(監修:初川先生より)まずは、お疲れ様でした…!子連れで家を数日離れるのは大変なことですが、発達的な特性によって、きっと衝動的に動いてしまうだろうとか、環境の変化に何らかの反応を出してしまうかもしれないといったことが想定されやすいお子さんの場合、保護者の方の準備段階からかかる心身へのご負担はなかなかだろうと思います。日頃慣れた環境では、危ない物は取り除き、お子さんがエラーを起こしにくいようにしていたり、お子さんが楽しく過ごせる仕掛け・工夫をされたりしていることでしょうから、ご実家の環境でお子さんに危険が及ばぬよう、文字通り「見続ける」こと、大変だったとお察しします。ゆきみさんの語りの中で、保護者にとってはそんな緊張状態の連続ながらも、お義母さんのお言葉や公園での様子、水族館のメインである生き物では楽しめずともカフェで楽しめたなど、単に大変だっただけではなく、よかったなぁと感じる場面もしっかりと感じていらっしゃること、とても大切なことだなと感じますし、きっとお子さん方にも、そんなお母さんの気持ち(一緒に楽しめている気持ちもあるということ)は伝わっているだろうと感じました。
2021年12月25日小学3年生のころUpload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子リュウ太が小学校3年生のときに親子で教育相談所(※)に通っていたときのことを書きたいと思います。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。ほっとできる場所がなかった息子Upload By かなしろにゃんこ。このころの私は、勉強にやる気を出さない息子に対して、嫌がっている塾に無理やり行かせたり、宿題ができるまで厳しく接してしまうこともありました。同じ年頃の定型発達の子どもと同じように課題に取り組めるようにしなければならないと焦っていたのです。思い返すと厳しすぎる親だったと思います。一方でこのころの息子は、家庭では勉強のことなど厳しく言われ、学校ではお友達とのトラブルが多発していました。家庭でも学校でもほっと安らげるときがなかったのではないかなと思います。今思えば、特性が原因でうまくいかないことを親も理解できていなかったために叱られたり、友達とトラブルになったりしていたのだと分かります。しかし、まだ子どもの特性とその支援がよく分かっていなかったこの当時、イライラしている息子に対してどうしたらいいのか、どこに頼ったらいいのか私自身とても悩んでいました。そんなとき小学校の担任の先生の勧めで、地域の教育相談所に親子で通うことになりました。これが私たち親子の最初の公的な支援機関との関わりでした。そこで母の私は相談員の方と育児の相談・カウンセリングを受け、その間に息子はサポートルームで指導員さんと過ごしていました。※地域によって相談室・サポートルームの有無や利用のしくみは違うため、お近くの教育相談所(または教育センター)にお問い合わせください。サポートルームでは息子が過ごしていたサポートルームは、6帖ほどの畳の部屋でオモチャがたくさん置いてありました。そして優しい指導員さんがいて、一緒に遊んでくれます。どれでも好きなオモチャで遊んでよく、どんな遊び方をしてもOKでした。子どもが遊びを通して「自己肯定感を育む」場所なのだそうです。Upload By かなしろにゃんこ。そこでは、指導員さんは息子がやることに一切否定的なことを言いませんでした。「そうだよ、それでいいんだよ!その遊び方や考え方でいいんだよ!」と絶賛してくれるのです。学校ではトラブルが多発し、家では母や父にガミガミ叱られることが多かった息子にとって、最高の場所だったようです。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。私の育児相談やカウンセリングをしてくださった相談員の先生は、私が話す家庭の情報から今の息子にとって必要なことを導き出し、サポートルームで”息子が安らげる時間”を提供してくれたのだと思います。小学校3年生から5年生の2年間、隔週1時間お世話になりました。Upload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときUpload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときに「リュウ太くんはもう大丈夫、ほかにもこの場所に来るのを待っている子がいるからバトンタッチしようね」ということで、サポートルームに通わなくなりました。最後の日に息子は「ここ好きだったのに寂しいな…」と言いました。息子に発達障害があるかもしれないと分かってから、いろいろな支援機関に足を運びました。息子は親に連れられて仕方なく支援機関に通っていた感じに見えたのですが、このとき息子がサポートルームに毎週来ることを楽しみにしていたんだと分かってほっこりしました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。Upload By かなしろにゃんこ。息子をまるごと受け止めて接してくれたサポートルームの方々と、その場所が好きだったいう息子の様子を見てから、私は公的な支援機関を頼ることに抵抗がなくなりました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。この経験から、現在も息子にも「困ったら公的な支援機関に相談しようね!」と気軽に話すことができるようになりました。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)子育てに行き詰ったときについ感情的になってしまったりすることは多いと思います。また、支援機関に行くことは勇気が必要ですし、その間お子さんはどうしようと悩むこともあると思います。かなしろさんが体験されたように、保護者もお子さんも支援してもらえる場所もあります。地域によって相談室やサポートルームなどの有無やしくみは違うため、すべての教育相談所(※)がかなしろさんが体験されたようなシステムをもっているとは限らないので、お近くの相談できる機関や親の会などから情報を得るといいかもしれません。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。
2021年12月21日自閉スペクトラム症のあるPには兄がいます。長男が3歳のときに弟のPは生まれました。Pが赤ちゃんだったころは、長男は弟が生まれたのが嬉しそうで一緒に遊べるようになることをずっと楽しみにしていました。でも待てども待てども、弟とはほとんどコミュニケーションが取れないし、関わろうとしても無視され、癇癪につながるからと母親の私から自分の行動を止められることもあって、なかなか弟と一緒に遊べず、長男は「Pはいつしゃべるようになるの?」「Pはずっとこのままなの?」と疑問や不安を感じるようになっていました。Upload By みん「弟には障害がある」ということに、長男はどのように理解を進め、どのようなことに悩んでいるのか?私たち夫婦は長男の前でもPの障害についての話を自然にしていたので、長男は大人の会話を聞いてなんとなく「Pは普通の子とは違うんだ」ということを理解していたようです。それに自分の友だちの弟や妹はしゃべったり兄姉にくっついてきたりするのにPはそういうことはまったくしないし、自分と同じ幼稚園へは行かずに、家から遠い普通の園とは少し雰囲気の異なる園に通っているということ、病院へ定期的に何回も通院していることなどからも、自閉スペクトラム症のことはまだ詳しく分かっていなくても「弟には何らかの障害がある」ことを長男なりに感じるようになっていました。そんな長男ですが、Pは自分の物を平気で取ったり壊したりするし、自分は何もしていないのに急にかまれたり引っかかれたりすることもあるし、家族がいつもPを中心に、Pに合わせた行動ばかりしていることに、日頃から不満を感じたり我慢したりしている部分は多々あるのではないかと思います。そのため、たまに「Pが僕の弟じゃなければ良かった!」「このまま大人になったら心配だよ!」「Pと一緒にいたら恥ずかしい!」と言ってしまうこともあります。私はそんな風に思ってしまうのは自然なことだし仕方がないと思い、長男のそのような発言も言いたいときは言わせていたし、聞いてあげるようにしていました。Upload By みん弟の困った行動に振り回される日々…そんなある日、PがAIアシスタントで音楽を聴きたがっていたのですが、自分ではうまく発音ができないので、長男がPのために音声操作をしてあげていたことがありました。Pは同じ曲を繰り返し聴きたがるので、長男はAIアシスタントに向かって「リピート再生」「戻って」などと延々と言ってあげなければなりません。長男は止めどきが分からず、ずっとPに付き合うのにも嫌気がさしている様子でしたが、急に止めるとPが癇癪を起こして大変なことになるのも分かっていたので、『どうしたらいいかな?』と私に相談してきました。私は「次が最後の1回だと予告してから再生して、終わったらおしまいのジェスチャーをしてみたら?」と長男にアドバイスをしました。そのアドバイスを聞いた長男は「本当にそんな風に言うだけで終わることができるのかな?」と半信半疑の様子でした。Upload By みん弟の特性に合わせた対応をしたことで、長男は弟の成長を感じることができて…しかし、実際にそのように言ってみるとPは長男の指示をちゃんと理解し、スッと音楽を聴くことを止めることができたのです。そんなPの様子を見て長男は感動したらしく思わず涙を流していました。私は長男が泣いて喜んでいる様子に驚き、何で涙が出たのかを聞くと、長男は「Pに言ったってどうせ無理だと思っていたのに、ちゃんと僕の指示を聞いてくれたから感動したんだ!物凄く嬉しかった!」と言いました。そんな長男の言葉を聞いて私は、親である私がPの小さな成長を感じては喜ぶのと同じで、兄である長男にとっても、弟の成長を感じるとたとえ小さなことだとしても、こんなにも嬉しく感動できるものなんだなと思いました。きょうだい児は、普通のきょうだいより不安や苦労もいろいろとあるかもしれません。でも普段からきょうだいのことを考える機会も多く、障害のあるきょうだいから学べることも沢山あるのかもしれないなと長男を見て思っています。まだまだ成長過程ですが、長男にとって弟のPの存在は、良くも悪くも影響があることを忘れず、長男とPとの関係も一緒に見守っていきたいと思っています。Upload By みん執筆/みん(監修:井上先生より)子育てをしていると、つい発達障害のある子の方に手を掛けてしまうことも多くなりがちです。幼いきょうだい児にとっては、自分にかまってもらえないことで感情を爆発させてしまうこともあると思います。このコラムで素晴らしいのは、この年齢のきょうだい児さんに「〇〇障害とはこういうものなんだよ」と言葉で説明するのではなく、「こうしたら弟が受け入れてくれるんだよ」「こんな声かけをしたら伝わるかもしれないよ」ということを体験的に理解させてあげられたことです。このような工夫すればうまくいく、という体験が、将来的な障害理解にも結びついていくのではないでしょうか。きょうだい児も成長とともに障害を言葉や概念としても理解できるようになってくると思います。ご家庭で発達障害について、話すことをタブーにしない雰囲気をつくっていくことが重要かと思います。
2021年12月20日どう接したらいいのか分からない1~2歳のむっくんは言語発達や身体的な発達は一般的な目安通り進んでいましたが、歩くようになったころから多動が強くなり、じっとすることが難しくなりました。何かに興味を示したら、手を振り払って道路に飛び出そうとしたり、手が振り払えないように強く握っていると今度は自分の腕が抜けるまで引っ張ったり。いつも本気で追いかけていないと身の安全を守ることができませんでした。また偏食、入眠の難しさや、たびたびの激しい癇癪に途方に暮れることもありました。私は育児に疲弊しきって、1歳半健診で医師に相談しましたが元気な子だねと言われただけ…。2歳過ぎには当時住んでいた市の育児相談先にも相談しましたが、お子さんから離れる時間をつくりましょうというアドバイスのみ。このころは出かけることも億劫になり、自宅でひたすら子どもへの接し方をネット検索していたように思います。Upload By ウチノコ発達障害があるに違いないあるときふと思い立ち、困っている内容に『発達障害』というワードを組み合わせて検索してみました。すると次々とヒット!当時の私はむっくんに発達障害があるか否かには興味はなく、とにかく現在の困り感を緩和したい気持ちでいっぱいでした。ようやく求めていた情報に出合うことができて、未来が明るくなったような気持ちさえしたものです。Upload By ウチノコただ当時は夫の転勤で引っ越したばかり。慣れない土地で勇気を出した相談も「大丈夫」と言われてしまい、心が折れていました。再び第三者に相談する勇気が持てないまま、日々をなんとかやり過ごしていたように思います。そんな中、夫が3年間海外に行くことになり、私は子どもと共に実家に身を寄せることに決めました。住み慣れた土地に戻り、両親の助けが得られるようになったことから少しずつこわばっていた心もほどけていきました。Upload By ウチノコ集団生活の始まりやがて3歳になった息子は園での集団生活を始めます。すると、家庭以上に接し方の難しさが目立つようになりました。教室から脱走はしょっちゅうで、そもそも自分の席に座りつづけることが周囲の子どもたちのようにはできませんでした。製作などみんなと同じ活動を行うことを嫌い、自分の好きなように自由にふるまうことも多かったようです。癇癪も相変わらず起こしやすく、先生や周囲の子に手が出てしまうこともありました。Upload By ウチノコただ入園したことで、息子への関わり方の難しさを保育士さんと共有することができました。私はやっとむっくんのことを安心して第三者に相談できるようになったのです。保育士さんに相談するうちに発達障害がある子のための支援がいろいろとあることを知りました。支援体制を整えるためには専門の病院にかかり息子に必要な手立てをアドバイスしてもらうことが必要だと知り、3歳過ぎにやっと専門病院にかかることができたのです。診断の先にあったものその後、むっくんは自閉スペクトラム症(ASD)とADHDの診断を受けました。さらにむっくんは感覚過敏が強く、つらい思いをすることが多いだろうとの指摘を受け、今まで関わりが難しかった理由を私はやっと知ることができました。Upload By ウチノコむっくんのように理由の見えにくい癇癪や他害が目立ってしまうと、周囲から繰り返し叱責されるなどの「無理解による不適切な対応」を受けやすくなります。結果それが本人を苦しめることになり、ますます状況が悪化することもありえます。診断前は、私もたくさん「不適切な対応」をしていました。だけど、診断を受けて発達障害を学ぶことで、息子への「不適切な対応」を少しずつですが変えていくことができました。また、保育園では保育所等訪問支援などの専門家による支援を受けて、適切な対応の周知や環境改善を行っていき集団生活での状況も確実に変わっていきました。診断のおかげで、周囲の大人が知識を得て変わることができ、むっくんのつらさが和らいで状況が変わっていったのだと思います。今、悩んでいる方へ育児の悩みを人に相談することは、なかなか勇気が必要です。その上、多動があると子どもから目を離しにくいため落ち着いて相談する時間さえ取りにくかったり、他害は周囲の目が気になってしまい相談しにくいこともあります。私はなんとか相談したものの受け入れられず、結局孤立を選びました。だけど、孤立は人を必要以上に追い詰めます。追い詰められた中で状況を変えることはとても難しいです。だから、私は発達障害があるか否かを考えるよりも、まずは安心して相談できる場所や人を諦めずに探すことが大切な気がするのです。私が保育士さんに出会えたように、理解してくれる人は必ずどこかにいます。今、育児に悩んでいる方が安心して相談できる誰かと繋がっていることを私は願っています。執筆/ウチノコ(監修:鈴木先生より)本来はすべての自治体で専門的に相談できることが理想ですが、なかなか医療とのつながりがありません。診断することで「不適切な対応」が少しでも変えられれば、早期介入・診断が重要となります。本来なら1歳半や3歳児健診のようなメジャーな健診で専門医につなげる必要があるのですが、人脈などのパイプが担当医や担当保健師さんにないと「様子を見ましょう」という決まり文句で経過を見ないで終わっている現実があります。自治体で専門医による定期的な神経発達症の勉強会が行われていないことが問題なのです。
2021年12月16日集団生活で自分のペースを保つことが難しいPは…Upload By みん自閉スペクトラム症のあるPが療育園に入園したのは、年少のときです。療育園に入園してからは、毎日長時間クラスの集団の中で過ごすことになりました。クラスが騒がしかったとき、お友だちとおもちゃの貸し借りが上手くいかなかったとき、自分のペースを保てなかったときなどに、癇癪とパニックを起こすようになってしまったP。長時間泣き喚き、自傷や他害の様子も見られるようになってしまいました。私は先生からその話を聞き、母子通園が終わって園で離れて過ごすPに対して、どのように対応してあげたら良いのかと悩んでいました。集団の中で過ごすことがパニックにつながっているのは分かっていましたが、療育園自体は毎日行きしぶりもなく、楽しく通っていたので園を休んでしまうのは根本的な解決策にはならないと思っていました。その後、私はクラスでのPの様子が心配で療育園へ見学に行きました。すると教室の隅に子ども1人が座って入れるくらいのサイズの段ボール箱がちょこんと置かれていました。数日前に先生から「P君がクールダウンできるように、P君専用の箱を作って置かせてもらっています」と電話で聞いていたので、私はそれがPのための箱だと一目で分かりました。安全地帯を作ってもらい、どのような場面でどのように活用していたのか?そして自由遊びの時間、クラス全体が笑い声や泣き声で騒がしくなり、自分のペースを保つことが難しそうだったPは、何かに怒った様子で突然走り出してしまいました。「あぁ…こんな風に気持ちが乱れて不安定になってしまうのか」と思って見ていると、Pの走った先にはあの段ボール箱がありました。Pはその箱の中に一直線。すっぽり入って、自分の服をかみながら落ち着こうとしている様子でした。先生が用意してくれた段ボール箱の中は、Pが好きな色で塗ってあり、好きなキャラクターの絵やシールなども四方に貼られていました。そしておもちゃやぬいぐるみなどもたくさん入っていました。そのような空間で1人で過ごしていたPは、徐々に落ち着き始め、自分だけの力でクールダウンすることができていました。箱の外側にはPのマークも貼ってあったので、「Pの箱」であることをクラスのお友達も理解してくれているようでした。Upload By みん一時的に避難することで、自分でクールダウンができるようになってからは…教室に置かれた一時的な避難場所となる段ボール。ここに入ることで、クラスのみんなと過ごす空間を完全に別にすることなく、同じ空間にいながらも自分のペースを保ち、安心することができていたようです。そんなPでしたが、少しずつクラスの雰囲気にも慣れ、段ボールに入る回数も減って集団で過ごせるようになり、段ボールは徐々に必要なくなりました。そして新年度、新しいクラスになったときには慣れるまでの間段ボールを教室に置いてくれたりもしましたが、何回か箱の中に入ったくらいでした。そのうちほかのお友達と一緒に箱に入って遊ぶようになり、いつの間にかそれは「みんなのスペース」となっていき、P専用の避難所としての箱はもう必要なくなっていました。このような一時避難所的な安全地帯がなぜPに必要で有効だったのか?を私なりに考えてみました。音や視覚の刺激が強い自閉スペクトラム症のPは、集団生活に慣れるまでに時間がかかります。予測できないお友達の声や行動に想像以上にストレスを感じてしまうので、そのような刺激を少しでも遮断し、自分の安心できる場所を確保することで、不安や混乱を減らし、少しずつクラスの雰囲気にも慣れることができたのかな?と思いました。ですが、いつでも避難できるようにするのではなく、先生たちはみんなで一緒に決まった活動をするときや給食のときなどは教室に箱を置きませんでした。クラスで活動するときはちゃんと活動させ、箱に入れるのはあくまでも自由遊びの時間限定というルールでメリハリをつけて使うようにしてくれていました。Upload By みん自閉スペクトラム症のある子にとっての環境配慮の大切さを実感もしそれらの知識のない人が、1人で箱に入っているPを見たら、「閉じ込められてる」「特別扱い」 などと誤解されてしまう場合もあるかもしれません。でも決して誰かに無理やり入らされているわけではなく、本人が必要だと思ったときに自分の意思で入っていました。個々の性格や特性にもよるとは思いますが、自閉スペクトラム症のある子にとって「クールダウンできる環境」をつくってあげるのは、とても大切な配慮であることを理解してもらえたら嬉しいなと思います。執筆/みん(監修:三木先生より)クールダウンできる場所や方法があると思えるだけで、その場にいる安心感がかなり違ってきますよね。箱の準備も素敵ですが、運用にメリハリをつけてくれたのは先生の素晴らしい工夫ですね。
2021年12月06日将来をどう考えておけばいいの?ウチノコ(以下、――):息子のように、自閉スペクトラム症やADHDの診断はあるけれど学習面での困難さをそこまで抱えていない子は、将来の進路は一般就労に向かっていくと考えていたらいいのでしょうか?Upload By ウチノコ三木先生:そうですね、僕は知的な能力が高ければ一般就労を目指していけばいいと思っています。知的障害がある場合は一般就労では難しいケースもありますが、発達障害のある子は環境にフィットして、自分で自分の機嫌がとれさえすれば、凸凹はあっても能力に問題があるわけではないですからね。息子君も、【得意】と【不得意】の差は大きいかと思うのですが【得意】でどれくらい勝負できるかを探っていくといいと思います。――得意で勝負ですか…三木先生:例えば勉強が得意なら、私立の進学校なんてどうでしょうか?――それは…既に不登校を選んでいるので、学校に行かない場合の私立の授業料を考えてしまって(苦笑)三木先生:でも、今彼が学校に行かない理由の周りのがやがやした騒がしさが嫌だとか、授業中の待ち時間が嫌だとか、そういったものが解消できる環境なら案外合うかもしれませんよ? 私立の男子校の中には、息子君と同じような特性のある子も意外と多いのではないかと思います。理解のある学校であれば、落ち着けるような環境をつくってくれるかもしれませんよね。Upload By ウチノコ――そうかもしれませんね!三木先生:息子君の場合、勉強も進路も本人に合っていれば楽しく取り組めて、ご機嫌で過ごせるでしょう? ご機嫌でいられると、易刺激性や感覚過敏なんかもそこまで顕著に出ないんですよね。当然、程度にはよりますが、今までは無理だった環境下でも過ごせるようになったりね。合う合わないはあるだろうけど、進路として検討してみてもいいのかもしれないと思います。それに、そもそも大人に近くなってくると感覚過敏なんかは今より軽減されるというか、丸まってくるものなんですよね。加えて、認知的な理解でもコントロールできるようになってきます。例えば、急によく分からない水の音が聞こえてきたら気持ち悪い。だけど何の音なのか確認して理由が分かれば気にならなくなるじゃないですか。感覚ってある程度までは認知で調整することができるものなんです。だから成長して見える範囲が広がる、理解できることが増えて理解の深さも出てくれば、おのずと今しんどさのある音などへの過敏やこだわりなんかも多少軽減されてくるだろう。そうすると、大人になったころにはある程度落ち着いて暮らせるようになる、という見通しは立てられるようになるのでそこを目指していけたらいいですね。Upload By ウチノコ――なるほど…確かに8歳の今でさえ、以前よりも感覚過敏は落ち着いてきました。三木先生:さらに将来についても、今の時代は認知機能が高ければ就ける仕事が増えてきていますから。外資家のコンサルや証券なんかはわりとロジカルで頭が良い人が活躍されているでしょう。研究者なども、自分の興味をとことん追求するといった特性を生かして活躍できるかもしれません。勉強を頑張っていってもいいし、ほかの分野でも好きそうな興味のあることをガンガン伸ばして、得意で勝負していくことがこれからできることなんだと思いますよ。――ありがとうございます。ただ、息子の場合は学校へ行かないケースも考えておかなきゃと思うのですが…三木先生:そうですね。僕は学校の目的って授業とそれ以外って話をよくするんですけど。究極、勉強と友達(社会性)を学びに行くところなので、その2つができるなら場所は学校でなくてもいいと思うんです。ほかにも、決められた場所で、決められたことを、言われた通りにやる。っていう目的もありますが、それが息子君は苦手ですよね。今の時代、この目的の重要性は落ちてきているようにも感じます。なので、とにかく勉強と社会性の2つをどう担保するのかを考えながら次のステップの進路を考えてもらうといいのかなと思います。まあ正直、学校に行くというのが一番手っ取り早いんですけどね…(笑)――うん、学校楽ですよねー(笑)三木先生:そう、楽なんだけど。息子君のように合わないなら自力でそういうリソースを探して、経験や体験を担保していく感じかなぁ。それをずっとやっていたら、たまに学校行ってないけど起業したよ、なんて人のパターンも聞きますよね。今息子君は8歳だから、就職は15年後とかですよね。そうなると企業の採用の感じがどう変わっているかすらわからないですからね。――必要とされる人財の条件が、現在と同じとは限らないのですね。三木先生:はい、就職も正規ルートじゃなくて、変わったルートもありますからね。好きなことを通して縁があった人に「君、面白いからウチの会社に来てよ」と採用されちゃったとか。学校行かなかったけど大検受けて、大学行って好きなことやっているうちに会社になっちゃいましたなど、息子君の場合はそっちの方がイメージがわくかもしれませんね。Upload By ウチノコ――ああ、確かに。大学は行く気がするのですが、高校は微妙だなと感じているんです。三木先生:その場合、費用はかかるかもしれませんが、通信制高校など、特長あるコンテンツを持っている場所を探していくことが合っている気がしますね。社会性のほうも子どもと関わるだけでなく、彼を面白がってくれる大人の中のほうが過ごしやすい時期だってあるかもしれない。その中で新しい刺激を受けて、何か目覚めることもありますからね。「やりたいことをやるためには、興味のないこともやらなくちゃ!」という所にたどり着けると、嫌いなことや苦手なことにも必然性を感じて学んでいくかもしれません。Upload By ウチノコ――なんだか将来が明るくなった気がします。具体的にいろいろとありがとうございました!あとがき先のことがどうにも霧の中でしたが、何をするかではなく、目的をどこに置くかを明確にして考えていけばいいのだなと感じました。自分の歩いてきた道しか知らない私ですが、もっと視野を広げていろいろな事を知り、考えていけたらいいなと思っています。執筆/ウチノコ
2021年12月05日周りの子たちの成長に焦りを感じるけんとの1歳半健診へ行ったとき、言葉が出ておらず、指差しをしない、指を差したところを見ない、歩き方がぎこちない息子が、周りの子どもたちと違うことに気がつき、衝撃が走ります。発達相談をして、そのときに臨床心理士さんに勧められた市の親子教室へ通うことにしました。親子教室には言葉が出ていない子も多く通っていて、悩みごとも同じように感じていました。毎週楽しく通い、月日が経つにつれ、気がつくと、ほとんどの子が言葉が出ておしゃべりをしていました。けんとは相変わらずお話しをする気が感じられず不安に。Upload By ゆきみ親子教室の個別進路相談で「地域の幼稚園に通おうと思っています」と伝えると、臨床心理士さんに「少人数制の発達支援センターがいいと思います」と強く勧められ、専門家の方にそこまで言われるなら、と入園を決意しました。Upload By ゆきみなぜ、そんなに発達の遅れを気にしていなかったのかというと、2歳5ヶ月のときに1~50までの数字を順番に並べたり、3歳になってすぐに47都道府県を覚えたりと、むしろ記憶力の良さに驚いて、祖父にいたっては「天才だ」と張り切っていたほどだったからです。「言葉が遅いだけで、体の成長が追いつけば、すぐに平均的な成長になるだろう」と、当時は夫婦、親族みんなで思っていました。Upload By ゆきみもしかして?のきっかけは友人の娘さんある日、親子教室で仲良くなった友人が「うちの娘は自閉スペクトラム症なのでは」と思い始め、児童精神科の受診を決意したと聞きました。娘さんは、タイプは違うものの、けんとと同じように発達がのんびりした子だと思っていたのでビックリ。もしかしてうちも?と、慌ててネットで調べはじめました。そして、「自閉スペクトラム症傾向チェック」ができるサイトを見つけ、たくさん当てはまってる項目があることに気がつきます。Upload By ゆきみ急いで旦那、祖母に相談しました。私たち家族は、自閉スペクトラム症について全く知識がなく、笑わない子、ずっと家にこもっていて人と全く関わらない子、だと思い込んでいたので、最初は誰も「違うでしょ」という反応だったのですが、サイトを見ながらみんなで話し合い、児童精神科の受診を決めました。かかりつけ医に相談に行くと「この子は違うと思うけどね」と言われましたが、紹介状を出してくださり、地元では有名な大病院の児童精神科に予約を取ってくださいました。Upload By ゆきみ予約は取りにくく、私は5ヶ月待ち。友人はその後1年待ちと言われ、さらには新規予約は受けつけないと言われた友人もいました。心の準備「0」で告げられてこのころ、身長が成長曲線の下に大きくはみ出してしまい、「低身長」が気になりはじめました。そこで専門の病院で検査をしていただくことに。問診で低身長専門の先生がけんと君にたくさん話しかけてくださいました。が、全く反応せず、マイペースに遊びだしたかと思えば、カレンダーの数字に大興奮する姿をじっくり見て、「この子、自閉スペクトラム症だと思いますよ」と、思いもよらぬ一言。Upload By ゆきみUpload By ゆきみ児童精神科での診察を受ける前に「低身長」のことで病院へ行っただけなのに、自閉スペクトラム症の可能性を伝えられるという、まさかの事態になったのでありました。モヤモヤにサヨナラ。スッキリ向き合えた低身長検査から約1ヶ月後。予約していた児童精神科に行きました。このころには数人の友人の子どもが受診していて、初診では診断名がつかなかったというお子さんもいました。うちの子はどうなんだろう?と、おそるおそる「診断名はつくのですか?」と先生にお聞きしたら、あっさり「自閉スペクトラム症ですね」と。初診で診断名がつきました。Upload By ゆきみ低身長の先生に伝えられていたので、分かっていながら受診したにも関わらず、やはりいざ、診断名がつくと数日間は落ち込みました。でも、それ以前の「そうかもしれない」とモヤモヤしていた時期よりも、スッキリした気がしました。そして、診断名がついたからといっても何も変わらない、可愛い息子がニコニコと目の前にいました。少しずつ受け入れていくにつれ、自閉スペクトラム症についてや、この子の特性をもっと知りたい!と思うように。まだまだ不安なことはたくさんありますが、この子にあった育て方を探っていきたいなと思う毎日です。執筆/ゆきみ(監修:初川先生より)けんとくんに診断が下りるまでのさまざまな展開を臨場感たっぷりに読みました。心の準備0で自閉スペクトラム症について指摘を受けたのはさぞ衝撃だったことと思いますし、児童精神科の初診で診断が下ったことも予想していたとはいえ、さまざまなお気持ちが去来したことと思います。落ち込んだ気持ちのあとに、いつもと変わらない可愛いけんとくんの姿をしっかりと捉えられたこと、何よりです。診断があってもなくても“変わらないもの”はあります。その一方で、自閉スペクトラム症という診断がついたことで、けんとくんの世界の捉え方や感じ方に、ご家族はじめ周りの大人は思いを馳せやすくなる面もあると思います。そして、発達障害という切り口を持つことで、こんなときにはこんな風に対応するとうまくいきやすいといった蓄積がさまざま積み重ねられています。お子さんに合った育て方を考えるうえで、診断がその1つのヒントになるといいですね。
2021年11月24日株式会社ぶどう社(所在地:東京都世田谷区、代表者:市毛 未知子)は、新刊「私がいなくなったら(のこされた自閉息子と父は……)」を11月17日に発売いたしました。定価1,760円(1,600円+税) A5判・168ページ詳細URL: ●内容ある日突然、癌であること、余命半年であることを宣告された自閉症児の母親。1部では、母親(おかん)が、闘病中の自閉息子の対応、入院中の父子暮らしの準備、自分のこと……そして、息子にのこせるものはなにか、夫にのこせるものはなにかを、自分の体験とともに綴ります。2部では、父親(おとん)が、おかんの闘病中のこと、入院中の日常の引き継ぎ、仕事の調整、看取り……そして、のこされた自閉息子との毎日の奮闘記を綴ります。おかんからおとんへのバトンタッチ。そこには、多くの人とのかかわりがありました。沢山の人とかかわりながら、助けられながら家族で闘病し、母親(おかん)亡きあとを生きる父親と息子。付録には、夫婦でお世話になった専門家の「旅立つ準備」を掲載。●もくじはじめに(おかん・おとん)1部 おかん1章 私が癌を発病1 いつもの朝に突然、癌が降ってきた!2 突然の病から始まったわが家のドタバタ劇3 がんばり過ぎないがまんしない方法を考える4 自閉症の息子に病気を告知する?5 母がいないところで息子はできていた!6 病院の面会で困った息子の行動あれこれ7 夫と息子だけの暮らしにできる準備8 夫が亡きあとの息子はどうなる?9 お通夜やお葬式に参加できる?2章 のこしていくこと(グリーフケア)2部 おとん3章 おかんの闘病中4章 おかんをおくる5章 おかんがいなくなってから6章 おかんがのこしてくれたもの付録・細井 晴代(発達支援教室クローバー代表)発達障がいの子どものために「旅立つ準備」をしておこうさいごに(細井 晴代・おとん・おかん)●著者紹介中野 智子(なかの ともこ) - おかん1964年、島根県江津で生まれる。血液型はB型。高校卒業後、上京し看護師免許を取得。以後、大阪・江津・東京と各地で看護師およびケアマネージャーとして経験を積む。おとんとの結婚を機に愛知県へ。2010年に出産し、息子が自閉症と診断されると将来を見据えて通信教育で社会福祉士を取得。2015年には、細井先生らとNPO「ぎふと」を設立。障害児(者)とその家族を支援する活動を始める。関西人がよく言う「しらんけど」で周りの人に親しまれていた。2019年10月17日、癌のため他界。中野 真一郎(なかの しんいちろう) - おとん1964年、東京都小平生まれ、横浜育ち。血液型はA型。仕事であちこち点々とするが、2000年から愛知県在住。若い時より山登りと温泉好きで、息子が小さい時よりあちこちの山歩きに連れて歩く。現在、おかんの後を継いでNPO「ぎふと」副理事を務める。●書籍概要発行 :株式会社ぶどう社著者 :中野 智子・中野 真一郎版形 :A5判頁数 :168ページISBN :978-4-89240-252-4Cコード:0036定価 :1,760円 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月17日入眠が難しいむっくんは小さいころから入眠が苦手です。もともと入眠しにくい体質なのもありますが眠ることに強い不安感を持っていて、眠ろうとすると緊張して余計寝つけなくなるようでした。5、6歳のころは21時から22時ごろに寝室に入っても眠りにつくのは23時から24時。翌日の生活を考えると心配になる入眠時間ですが、不安が和らぐよう「早く眠る」よりは「穏やかに眠る」を意識して暮らしていました。ところがそんなむっくんに、さらなる試練が訪れたのです。悪夢の始まりむっくんは、6歳から過度の疲れ、強い刺激、不安や興奮が強い夜に悪夢を見るようになりました。悪夢を見ると泣きながら飛び起きて、怖がって再入眠できなくなります。さらに悪夢の恐怖が和らぐまで「怖い夢を見るから眠りたくない!」と睡眠を拒否することもありました。ここで眠ることを強要するとますます不安が強くなりかねないと判断し、不安が和らぐことだけを目的に朝までアニメをつけて過ごした日もありました。Upload By ウチノコ私まで眠れないそんな日々を送るうちに、私にも異変が起こりました。眠ろうとすると、時々軽いパニック発作が起こるようになり、なかなか深い眠りに到達できなくなったのです。その状態を繰り返すうちに、私の中で「今日も眠れなかったらどうしよう」という不安が強くなり、寝室や布団に入ると緊張してしまうように…。まさにむっくんと同じ状態、これは本当に参りました。結局、私の入眠困難は心療内科にかかりつつ、睡眠記録をつけて自分に合った睡眠時間や眠れない状態のパターンなどを客観視することで、一年くらいで落ち着いていきました。この間、つらくもありましたが【眠れない】がどういうことか、むっくんの気持ちを本当の意味で知ることができた貴重な経験になり、私自身の睡眠に対する意識を変えるきっかけにもなりました。Upload By ウチノコ【眠れない】経験からわかったこと私は入眠不安を経験したことで、不安を抱えて寝室にいるつらさ、眠れないまま暗い部屋の布団の中でじっとしていなければならない苦痛、緊張から感覚がさえていくうちに、目を閉じることすら難しくなる感覚を知りました。Upload By ウチノコ自分の体験を参考にむっくんの睡眠記録をつけてみたところ、何時に寝室入りしても眠りにつくのが23時過ぎになることが多いと発見!むしろ早く寝室に入ると寝つけないつらい時間が長くなるため、緊張が増すのかもしれないと気がつきました。そこで寝室入りを22時半以降に変更することにしたのです。すると、悪夢さえなければ30分程度で眠りにつけるようになりました。一般的な同年齢の子よりは睡眠時間は少なめかもしれませんが、翌朝も問題なく起床でき、一日元気いっぱいに過ごせるので、この子はもともと睡眠時間が短い体質なのかもしれないなぁと考えるようにもなりました。安心する方法探しまた、むっくんと相談しながら不安が和らぐ入眠アイテム探しも頑張りました。例えばアイスノンで頭を冷やしたり、お気に入りのオルゴールや波の音などをかけるといくらか眠りやすい気がすること。また、悪夢を見ないための験担ぎとして、枕元に決まったおもちゃを並べるルーチンを取り入れたり、特定のアロマオイルを使う、手をぎゅうぎゅうと強い力でリズムよく握って刺激すると安心できることも発見しました。Upload By ウチノコむっくんには感覚過敏がありますが、刺激のない状態だと感覚が研ぎ澄まされて落ち着けないようで、むしろ何か弱い感覚刺激を入れ続けるほうが安心できる様子でした。中でも一番幸せな入眠方法は、テレビをつけっぱなしの明るいリビングで、ビーズクッションに寝転がり眠ること!寝室を暗くして布団で眠ろうと意気込むと緊張してしまうのですが、寝室以外の慣れた部屋で安心できる番組をぼんやり眺めているうちに眠くなれば不安を感じずにすむようでした。現在の様子むっくんは7歳のときに不登校を選択しました。私は、この決断を機に寝かしつけることやそろそろ寝る?などの声かけをやめて、入眠のタイミングを完全に本人にまかせることにしました。不安の多かった夜は、やりたかったことを一人で静かに楽しむ時間になりました。夜に学習する日もありますが、日中より集中できる様子なのでひょっとしたらむっくんは夜に頭のさえる体質なのかもしれません。夜を楽しく過ごしているからか悪夢も随分減りましたし、私の入眠タスクも寝てるむっくんを寝室に連れていくだけになり、本当に楽になりました。わが家の睡眠スタイルは、教科書的にはバツかもしれません。だけど夜になると「怖い夢見たらどうしよう」と半泣きだったむっくんが「今日も一日楽しかった~!」と好きなテレビを見ながら安心して眠る様子に、今はこれでもいいんじゃないかなって私は思っています。この先もむっくんは睡眠で悩むことがあるかもしれません。だけど、親子で真剣に睡眠と向き合った経験を糧にして、むっくんなりの対策を見つけて眠りにくさともまぁまぁ仲良く暮らしていけたらいいなぁと思っています。Upload By ウチノコ執筆/ウチノコ(監修:初川先生より)睡眠にまつわる難しさを抱える方は多くいらっしゃいますね。寝つけない理由として寝るのが怖いと訴えるお子さんも一定数いらっしゃるのではと思います。ウチノコさんがご自身の不調をきっかけに睡眠記録をつけて客観視してみることができたこと、とてもよいターニングポイントになったのだろうと思います。「夜は寝るもの」「早寝早起きがよい」というのは確かに概ね事実なのですが、全員にすべからく良いというものでもなく、個人差がありますが、先入観や道徳観が子に合った睡眠スタイルに気づくのを妨げている面もあります。また、不安が和らぐ入眠アイテム探しも素晴らしい試みですね。何が良いかは本人にしか分かりませんし、本人も気づいていないかもしれません。さまざま試して安心すると思いながら眠りにつけることは何よりだなと思います。そして、お母さんが一緒に試行錯誤してくれている、そのこと自体もとても安心感につながるプロセスのように感じました。
2021年11月16日太郎の様子を保育園のライブ映像で見ることにUpload By まゆん現在、自閉スペクトラム症のある太郎は小学6年生。太郎は保育園の年少クラスになってから数ヶ月後、保育園側から行動について指摘を受け、私は教室に設置されているカメラのライブ映像で太郎の様子を見ることになった。保育園に到着し、教室の前を通る。年少のクラスの園児は30人近くいた。園児一人ひとりは小さいが30人近くがひとつの教室にいるとひとつの大きななにかに見えた。それに対して保育士の先生は1人。子どもに比べ大きいはずなのに小さく見えた。数ヶ月前までの未満児クラスでは担任の先生も複数人の体制だったが、それから急に一人体制…。これも太郎の行動が目立ちだしたひとつの誘因なのかもしれないと1人で分析していた。保育園の行事毎にいただく写真で太郎はだいたい先生の隣に写っていた。私と私の母は写真を見ながらいつも「今回も先生が隣に写ってるね」「やっぱりちょっと落ち着きがないもんね」「太郎が先生に近づいてるんじゃなくて、先生が太郎についてくれてるんやろうね」などと話をしていた。Upload By まゆんUpload By まゆん先生がついていないといけない状況なのに、先生1人に30人近い園児となると太郎も先生も大丈夫なのかな…と進級してから不安には思っていた。そして不安が的中した。モニターにうつしだされた太郎は…教室での太郎の様子をライブ映像で見るため事務室に入った。私は見ることが怖かったが、目を逸らしてはいけないと思った。モニターの前でドキドキしながら太郎を探した。ドキドキしながらモニターにうつる太郎を見つけた。Upload By まゆんそこに映っていたのは、いつも通りの太郎だった。いつも通り動き回っていた。いつも通りに椅子に黙って座って居られず、ガタガタと動いていた。いつも通り人の話を集中して聞いていなかった。いつも通り急に動き出して…授業中に1人教室を飛び出して…なんと年長クラスへ侵入して行った…。私が知っているまんまの太郎だった。それはもう楽しそうに、体を大きく弾ませながら走っていた。Upload By まゆん私は声も出ないほどの衝撃を受けた。太郎の行動に衝撃を受けたのではない…私が衝撃を受けたのは…周りの園児たちの落ち着いた様子で、太郎との『違い』だった。誰一人として太郎と同じような行動はしておらず、教室の中で先生の指示通りに作業を行っていた。私は放心状態だったが、園の先生は私にこう話しかけてきた。「こういう状況であるため保育士の加配が必要です。加配のためには、太郎くんに発育テスト(知能検査)を受けてもらうことが必要なんです」と。先生がおっしゃっていることの理解はできていた。しかし心が追いついてなかった。心が震えながら返事をしていたが、どう返事をしたのかは覚えていない。Upload By まゆん太郎の行動に日頃から『発達障害』ではないかと不安はあったものの、確実なものがあるわけではありませんでした。モニターで周りの子どもたちとの違いというものを目の当たりにしたときに、1歳7ヶ月のころの運動会でひっかかっていた『何か』が明確になったのでした。『みんなと同じ』ということが正しいというわけではありませんが、『みんなと違う』となると何かあるのか?この子の未来は?など不安が一気に押し寄せてきました。執筆/まゆん(監修:鈴木先生より)自治体で行っている3歳児健診でも集団から外れてしまう子がいます。3歳児健診で行動の問題があっても残念ながら、たいていの場合は「様子を見ましょう」になってしまいます。従って、次の就学時健診までの数年間、そのままの状態が続くことになり、今回のケースのように保育園や幼稚園から行動の問題点を指摘されることが多いのです。そのため、最近は自治体によっては集団に入る年中さんあたりで5歳児健診を行い、お子さんにどんなつまずきがあるかを診るようになってきました。5歳児健診は親にお子さんのつまずいている現状に気づいてもらうための健診です。しかし、残念ながらまだ一部の市町村しか行えていません。就学時健診でもスルーしてしまい、小学校の担任に言われて初めて気づく親御さんも珍しくありません。
2021年11月11日わが子は自閉スペクトラム症なのかもしれないと自問自答する日々Upload By みんわが子には発達障害があるのかもしれないと悩んでいた期間に、発達障害への疑いが実感へと近づいたきっかけは、ある知人2人の反応と言葉があったからです。今回はそのうちの一人「ママ友」との忘れられない出来事を描きたいと思います。Pには3歳上に兄がいます。兄が幼いころはその兄の友達とママ友たちの何人かで集まって遊ぶ機会がよくありました。勿論Pもその場に一緒に連れて行くのですが、Pが1歳半を過ぎたあたりから「Pの様子を見てほかのママさんたちはどう思っているんだろう?」と私は少し気にするようになりました。そのため、誰かに疑問に思われる前に自分からPの発達の心配事を話すようしていました。でも私がPの発達の遅れを周りに相談しても、大体の人は「大丈夫だよ」「男の子は言葉が遅いっていうし」「うちの子だって同じような感じだったよ」と返してくれます。きっと「どう返したら良いのか分からない」「思ったことをハッキリ言ってしまうと失礼になるかもしれない」など、配慮や励ましの意味もあったのかもしれません。でも私はそんな言葉を聞いても「そうだよね、心配しすぎだよね!」とは心から思えずにいました。Upload By みんママ友たちの励ましを素直に聞き入れられなかった私そんなモヤモヤした気持ちを抱えていたある日、ある一人のママさんと私の二人でじっくり話しをする機会がありました。その人は自治体が行う乳幼児健診などに関わる仕事をしていて、これまでも数多くの子どもたちを見て来た経験がある人でした。私はそんなママさんに、今Pの発達に悩んでいて私自身はこの子に発達障害があるかもしれないと思っていることと、療育を始めようと思っていることなどを深刻な雰囲気ではなく軽い気持ちで話してみました。すると、そのママさんから予想もしない驚きの反応が返ってきたのです。ママさんは私の話を聞きながら、何も言わずにポロポロと涙を流し始めたのです!私は突然の涙に驚きました。同時になんだか私も泣きそうになってしまい、必死で涙を堪えていました。ママさんは私の話を聞いたあとに、泣きながらこのように話をしてくれました。「私は医師ではないからその話を聞いて発達障害についての断定や診断はできないけれど、でもみんちゃんがPくんの発達について悩んで、いろいろと考えている話を聞けて良かった。療育は早ければ早いほど良いと思うよ!頑張ってね!」と。私はそのときに「あぁやっぱり発達障害の知識がある人がPを見ると、何かあると分かるくらいにPはほかの子とは違うんだ。それも思わず涙を流すほどってことはやっぱりPには発達障害があるんだろうな…」と思いました。Upload By みんママ友が流した涙を重く感じた私は…私はママ友が流した涙がずっと頭から離れず、ママ友の涙の理由を考えれば考えるほど深いため息がでる日々が続きました。でもその涙があったからこそ「うちの子は大丈夫だ」と安易に考えずに済み、やっぱりPには発達障害があるかもしれないとより強く考えるようになりました。Pの発育をほかの人から客観的に見てもらったことによって、発達障害を受け止める心構えや、療育や診断へと進むための背中を押してもらえるきっかけの一つにもなったので、今ではその涙に感謝をしています。Upload By みんそして、同じ時期にもう一人「もしかして発達障害?」と思っていた私の背中を押してくれた人がいます。その話は別の機会に描けたらと思います。執筆/みん(監修:三木先生より)とても素敵なママ友ですね。そしてそれまでの間、みんさんがほかのママ友からの励ましの声を素直に受け止められずモヤモヤしていた時期があったからこそ、そのタイミングでの涙の理由を考えられたのかもしれませんね。
2021年11月09日映画「梅切らぬバカ」のストーリー11月12日に全国ロードショー公開される映画「梅切らぬバカ」。自閉スペクトラム症の50歳の男性とシングルマザーの母子2人の日常を描いた作品。親子の愛情や絆といったテーマに加えて、障害のある人が地域の中で暮らすということについても考えさせられる映画です。閑静な住宅地、大きな梅の木がある古い一軒家に暮らす、山田珠子(加賀まりこ)と50歳の息子、山田忠男こと忠(ちゅう)さん(塚地武雅)。珠子は占い師として生計を立てるシングルマザー、忠さんは自閉スペクトラム症、几帳面で馬が好き。毎日決まった時刻に起き、朝食をとり、作業所に通う忠さんと母の穏やかな暮らしに、変化が訪れる。隣家に越してきた里村家は、思い付きで行動しがちな父・茂(渡辺いっけい)、明るい母・英子(森口瑤子)、小学生の草太(斎藤汰鷹)の3人家族。あるとき、忠さんがぎっくり腰になったことを機に「親なきあと」を考えた珠子は、忠さんをグループホームに入居させることを考え始める。ところが、そのグループホームには、近隣からの反対運動が起こっていた――。タイトルは「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ということわざから。木によって剪定のしかたが違うように、それぞれの人の特性によって向き合い方があるという意味。映画「梅切らぬバカ」オフィシャルサイト障害者の側と、その近隣の人々、両方の視点を同時に描くUpload By 発達ナビ編集部映画「梅切らぬバカ」監督・脚本の和島香太郎さんと、息子役の「忠(ちゅう)さん」を好演した塚地武雅さんに、LITALICO発達ナビ編集長・牟田が、この映画への思いを伺いました。LITALICO発達ナビ牟田暁子編集長(以下――) はじめに、この映画を撮ろうと思われたきっかけから、教えてください。和島香太郎監督(以下、和島):数年前、障害のある男性の一人暮らしを描いたドキュメンタリー映画に、編集として携わっていたことがこの映画を撮るきっかけになっています。そのドキュメンタリー映画では、主人公の男性は広汎性発達障害(※)と診断されていて、親御さんが残された家に一人暮らしを続けていました。福祉のサービスや親族の助けを借りて、どうにかギリギリ自立生活をされている、その様子を記録したドキュメンタリーでした。編集をするということは、すべての撮影してきた素材映像を確認することになります。その男性と近隣住民との関係がよくなかったために、画面上に近隣住民が映らないように編集する作業もありました。最初はあまり気にしていなかったんですが、こうせざるをえない状況があるんだな…と思うようになっていきました。そのドキュメンタリーの完成後、主人公の彼がおかれた状況を知ってもらうために、近隣の人たちに見ていただく機会があり、そのあとに長い手紙をもらいました。内容をまとめると、「障害者を肯定的に描きすぎているんじゃないか、近所に住む者としては彼の言動によって不安な思いもしている、憤りもある」というようなことが書かれていたのです。私たちが撮影を通じて見ていた彼は、とてもユーモアのある、やさしいおじさんでした。でも、近隣の人にはまた別の視点がある。そこまで全部ひっくるめて描くことができたら、と思ったんです。ただ、ドキュメンタリーでは近隣の人たちにカメラを向けることができない。フィクションであればできるかもしれないと、脚本を書いたのです。※編集部注:診断当時の名称。現在は自閉スペクトラム症と称される――ハッピーエンドになりすぎない、救いのない感じでもないという絶妙なストーリーですが、そこも意識して脚本を書かれたのでしょうか。和島:取材する中で、自閉症のある方のお母さんにもたくさんお会いして、いろいろなお話を伺いました。こういう題材を扱った映画において、奇跡が起きたり、ハッピーエンドだったりすることに違和感を持たれている方も少なくありませんでした。問題の解決を描くことは映画を観に来た人に気持ちよく帰ってもらうためなのかもしれません。けれど、現実ではギリギリのところで心の折り合いをつけながら、暮らしている方々がいます。その姿を映画のために歪めないことを意識して、悩みながら、着地した脚本になります。最初から最後までフラットに忠さんとして演じたUpload By 発達ナビ編集部――塚地さんは、監督のそうした思いをどのように感じられていましたか?塚地武雅さん(以下、塚地):完成した台本を見せていただいたときに、監督が言わんとしていることが詰まった内容だと感じました。大きく奇跡が起こるということではなく、日常を切り取った話だけれど、「あ、私も考えなきゃな」と思えるような脚本でしたね。僕自身は、身近に障害のある方がいるわけではありません。子どものころには、たとえば、同じバスに自閉症の方が乗ってきたときに、ちょっとこわいと身構えたこともありました。だから、映画で描かれている近隣の人たちの気持ちもわかるんです。実際のグループホームを見学したり、監督からいただいた多くの資料映像で家族の方々の姿を見たりするうちに、「こわい」存在ではないとわかってきます。でも踏み込まないとわからないとも感じています。――忠さんを演じてみて、どんな感じでしたか?塚地:ほんとに最初から最後まで変わらずに「忠さん」として、演じていたんですよね。通常の映画やドラマでは、クライマックスに向けて気合を入れて演じる場面があるというか、「ここで感動してもらおう!」というスイッチを入れるところがあるんです。でも今回、そうしたことは一切なく、フラットにただ忠さんとして演じられたのは、脚本に深みがあったからだと思っています。――たしかに自然でした。がんこな忠さんの心が少しずつ落ち着いていく様子が見られますが、そのあたりも自然でリアルだなと思いました。障害者を見る大人の視点が子どもたちに与える影響も気になるUpload By 発達ナビ編集部――監督は、この作品を撮るにあたって、新たに意識した社会課題などはありますか?和島:作品の中でも少し触れているんですが、大人が子どもたちに与える影響について考えますね。新たに施設をつくるときの反対運動で、反対派の人たちは「子どもたちの安全を守らなくてはならない」と主張します。そのときに、じゃあ当の子どもはどう思っているのか、ということは見えてこないんですね。もちろん、大人たちは本気で、子どもを守るという切実な思いをもっているでしょう。でも、子どもたちからすると、自分たちの存在が差別行動といわれてもおかしくないことの口実に使われている、と感じることもあるんじゃないかと思うときがあります。偉そうなことはいえないけれども、こうした行動が、子どもに与える影響について考えてしまうんです。子どもは意外と冷静に大人たちのことを見ています。映画で描いた草太みたいにフラットな視線の子もいる一方、そうではなく偏見を強める子も出てくるかもしれない、そこが気になっています。――私の娘は重度の障害がありますが、保育園時代の友だちは、娘のことを友だちとして自然に受け入れていました。ですが周りの大人から「あの子と一緒にいると危ない」と言われていたら、「あの子は危ない子だ」とインプットされてしまうかもしれませんね。愛される存在として描かれた「忠さん」Upload By 発達ナビ編集部――ところで、撮影した中で、塚地さんにとって印象的だったシーンは?塚地:乗馬クラブでの馬とのシーンですね。なにしろ、馬ですからねぇ(笑)、なかなか思った通りに動いてくれなくて。びっくりして逃げてほしいところで逃げなかったり、違うところでびっくりして興奮がおさまるのを待ったり、一筋縄ではいかなかった!しかも、雨の夜で、肌寒い時期に僕はパジャマ姿だったし…、このシーンの撮影は朝までかかるかもしれないと思っていました。――(忠さんになり切って演じていたとおっしゃっていましたが)馬に「想定通りに動いて!」と思ったりする瞬間も、忠さんとして見ていましたか?塚地:撮影中はもう考えないようにして、忠さんとしては楽しい状況なんだから、忠さんとして楽しもうとしていましたね。自分の撮影ではないときに、馬に「(走り出すのは)そっちじゃない!」と言いたくなったりはしましたけど(笑)。――自分とは世界のとらえ方が異なる、自閉症のある人を演じるむずかしさは、どんなところにありましたか?塚地:感情の表現です。忠さんの表情って、赤ちゃんのような喜怒哀楽なんです。うまくいかないこととか、責め立てられたことに対して怒りや憤りの感情が自分に向かうことが自閉症の方には多いと伺いました。そこはリアルに演じないとならないから、自分で自分を叩き自傷するシーンでは本気で叩きました。でもね、映画ですから何カットも撮り直しするわけでね…痛いんですよ(笑)。だけど忠さんになっていると、手が抜けないから本気で叩く。監督が納得できる絵になるまで叩き続けたのは大変だったなぁ。――演じることのプレッシャーはなかったですか?塚地:めちゃくちゃありました。実際に自閉症のある子どもがいらっしゃる親御さんから見たら、全然わかってないと言われる可能性は大きいし。今も、公開されてからどう思われるか不安ですよ。僕自身がお笑い芸人で、素性も知られているじゃないですか。もしかしたら、まったく知られていない新人の俳優さんが演じたほうが、リアルに感じられるかもしれない。そういう意味で、僕でいいのだろうかという不安はありました。でも、監督からぜひと言われた熱意や、こうした作品を撮りたいという気持ちを聞かせていただいて、本気で、全力で僕のできる限りで演じ尽くした、というところです。――監督、どうしても塚地さんに演じてほしかったのは、どういうところからですか?和島:取材をしていた中で、ダウン症のあるお子さんを育てるお母さんの話を聞いたときがあったんですね。その方は、「息子にはこの町の有名人になりなさい、と言い聞かせて育てた」とおっしゃっていました。それは、この町の中で生きていくために、この町の人たちに存在を認められて愛される人になりなさいということ。それを聞いて、忠さんは愛される存在であってほしいと思い、風貌や表情のイメージから、パッと塚地さんが浮かんだんです。塚地さん、愛される方ですよね。――愛される存在、ほんとにそうですね。私が自宅でオンライン試写を見ていた時に、隣にいた(障害のある)娘が興味津々で忠さんのことを見ていましたよ。娘が通っている特別支援学校には自閉症のあるお友達もいるので、「あれ、友だちかな?」と思っていたのかもしれません。いつもはドラマなんかには興味がないようで全然みないんですが、この映画は集中してよくみていましたね。塚地:そうなんですか!それはほんとに、よかった。ホッとしました(笑)。異なる立場の人たちの目線が少し変わって、歩み寄るきっかけになればUpload By 発達ナビ編集部――最後に、LITALICO発達ナビの読者へ、メッセージをお願いします。塚地:自閉症のお子さんをもつ方々に見ていただいた時に、少しでも肩の荷を下ろしてもらえるようなところがあるとうれしいです。ストーリーは架空だけど、嘘を描いているわけではないと思っています。また、障害のある方が身近にいらっしゃらない方には、こういう実情があるということを知ることで、少しでも目線が変わればいいなぁと思います。この映画は、映画の中だけのストーリーというより、むしろ見終わって劇場を出たときに広がっている日常の世界にある身近な話。私自身も、独身の中年男性という状況は忠さんと同じです。「およめさん、もらいます」と言っている忠さんの気持ちもわかるので(笑)。映画を見たことが、誰かにやさしくなれるきっかけになってほしいと思います。和島:私自身、てんかんの持病があって、「ぽつラジオ」というインターネットのラジオ番組をつくっています。その中で話題になるのが、病気の開示。偏見を怖れて伏せがちなてんかんという病気を、周囲の人、学校の友達、勤務先、近所の人に対してどう開示していくか。てんかんがある人の中には車の運転が制限される方もいるので、地方に住んでいる場合は、どうしてもお隣さんの力を借りなくてはならないということもあります。病を開示したうえで、どう周りとかかわるかが課題なんです。「梅切らぬバカ」の中では、病や障害を通して、身近な人とうまくいかないこともあるけれど、少しずつ少しずつ歩みよっていくプロセスみたいなものを、自分なりにこだわって描きました。特にお隣さんとの関係に注目してしていただきたいです。冒頭とラストで登場人物に小さな変化が起きています。――私も自分の子どもには、地域の中で生きてほしいと願っています。親子や、先生と子どもという縦の関係、あるいは子ども達同士という横の関係だけでなく、地域の中に、さまざまな立場の人との「斜めの関係」が欲しいと思っています。そうした思いにも通じる映画だなと感じました。またこの映画は、塚地さん、そして加賀まりこさんという誰もが知る俳優の方が演じる映画ですので、身近に障害がある人がいない方にも興味を持っていただける機会となるのではないかと思います。お話を聞かせていただきありがとうございました。『梅切らぬバカ』上映情報Upload By 発達ナビ編集部11月12日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー都会の古民家で暮らす自閉症の息子と母。息子が50歳を迎えるのを前に、母は「このまま共倒れになっちゃうのかね?」とつぶやきます。障害のある人に不寛容な社会の中であっても、寄り添いながら暮らす母子の姿を温かく誠実に描いています。一人ひとりと誠実に向き合う中で、小さいけれど確かな未来への希望が生まれていく様も感じさせてくれる作品です。監督・脚本:和島香太郎出演:加賀まりこ、塚地武雅渡辺いっけい、森口瑤子、齋藤汰鷹、林家正蔵、高島礼子配給:ハピネットファントム・スタジオインタビュー:関川香織(K2U)撮影/古谷利幸(F-REXon)
2021年11月05日ちょっと変わった不登校?ウチノコ(以下、――):息子は現在不登校を選んでいます。今はとっても元気に過ごせているのですが、不登校初期は母子分離不安からか、私の後追いをしたり、今まで以上に触れ合いを求めたりという時期がしばらくありました。これはやっぱり何か不安を感じていたということなのでしょうか?Upload By ウチノコ三木先生:それは、愛着のサイクル、安心できる人の存在、安全基地の話ですね。外の世界が充実していたら人は安全基地がなくても暮らしていけます。しかし、危険を感じているときは安心して過ごすことができる安全基地が必要になります。だから外が充実していないため安全基地であるお母さんが必要になったと考えることができますね。――そうなのですね。不登校を選んでから1年近く経った今では、以前のように私を求めることはなくなったのでいろいろと回復したってことになるのですね。息子が不登校を選んだ理由はいろいろあるのですが、一番は感覚の過敏さからくる疲れだったのかなと感じています。聴覚過敏があって。いろんな音を聞いていちいち反応したり、同時に数人の会話を聞いて理解して答えようとしたり。それで疲れ果てるのだけど、不安の強い子なのでイヤーマフなどで音を減らすのも不安で仕方ないとなってしまい。特別支援学級に所属しているのですが、それでも学校はうるさくてとても疲れると訴えてました。三木先生:うんうん。――それで、結果的には不登校を選んだのですが、それが…、息子の不登校はちょっと変わっているらしいんです。担任の先生からも息子さんのような不登校は初めて経験しましたと言われていて。例えば、朝は学校に行く友達が外から名前を呼んでくれるので、いってらっしゃーいと窓から見送ったり…親の登校見守り当番に行く!とついてきて、友達を学校まで送ったらオレ帰るわって満足げに帰宅したり…。週に1日1時間だけ、大好きだった図書の授業に行くのですが、嫌がらず登校し、友達と触れ合って、また来週来るね!って満面の笑顔で帰る感じで。放課後も小学校の友達と公園で遊ぶ日もあって。学校への拒否感は少ないけど、学校には行かない。今の形が自分には丁度いいんだって言うんです。Upload By ウチノコ三木先生:へぇ~!――どうこうなるものでもないのでしょうけど、とにかく息子のような子の情報がなくて。いったいこれからどうしたらいいのかなって思うことがあるんです。三木先生:う~ん…そのままでいいんじゃないかなぁと僕は思いますよ。いわゆる不登校の、社会不安が強くて行けないというのとは、息子さんの場合、何か、質か量かは違うんでしょうね。――そんな感じはします。本人元気だし、スクールカウンセラーさんに相談に行くという雰囲気でもなくて…三木先生:そうですよねぇ。楽しく生きてるしなぁ。それなら学校で得られるはずだったものの取りこぼしだけ気をつけていれば、あんまり行かなくてもいいんじゃないですか?学校の目的って、要は【学習】と【社会性】ですよね。社会性って言っても、息子さんの場合、友達などのコミュニティネットワークもある程度持っているし。勉強もそんなに困るタイプではなさそうだし。それなら行かなくても何も問題ないですよね。まぁお母さんからしたら、ずっと子どもが家にいるので大変かもしれませんが…(笑)Upload By ウチノコ――ええ、影響はずっと息子が家にいるってことですね(笑)家では学習もまぁちょっとはしていて。あとはゲームして、好きな番組見て、今は料理がお気に入りで、ほかにもインターネットから情報を集めて科学実験してみたり。パソコンでプログラミングしていたり。好きな本を好きなだけ読んだり。まーぁ生き生きと過ごしています。三木先生:おぉ!話を聴く限り、興味を持っていろんなことして過ごせるお子さんみたいですし、ますますそれならそれでいいんじゃないって気がしてきましたよ。――…いいんでしょうか?三木先生:いいんでしょうね!日本の教育って、標準化されていて。このレールに乗っていくと、最低限ここまでは到達できますよっていうのがはっきり決まっているのだけど、それ以外の選択肢が若干吊り橋状態っていう仕組みなんですよね。だから吊り橋側の道を行く人はドキドキするんですけど、その吊り橋を渡っている理由、要は元のルートに乗れない理由が何かってことを考えるんです。能力的に難しいために吊り橋を行くタイプのお子さんにはサポートが必要だと思いますが、ルールが気に食わない、こっちの道が好きだからなどの理由があるお子さんの場合は、それで全然いいと僕は思いますよ。――そっか…Upload By ウチノコ三木先生:ただ、あんまり前例もないし、先の展開も全く想像がつかないから、大人はドキドキしちゃいますよね。なんとかなるんだろうけど、何をしたらどうなるのか全然分からないという。――そうなんです!何とかなると思うのだけど、息子は私が積極的に関わっても喜ぶタイプではなくて、自分で自由にやりたい人なので。なら私はただこのまま彼が家にいる生活を続けるしかできないけど、それでいいんだろうか?と三木先生:それでいいんですよ。まぁ、大丈夫なんじゃないかなぁ。――そっか、なんかホッとしました。ありがとうございます。周りに変だ変だっていわれるから(笑)三木先生:まぁ正直、変は変かもしれないけど(笑)変上等で行きましょうよ!あとがきなかなかこれから進む道の情報がなくて、どうしようかなぁと思っていたので、三木先生からの力強い肯定に肩の荷が下りた気持ちです。吊り橋を不安がってばかりではなく、楽しみながら、未開の地を息子と一緒に開拓していけたらと思います。執筆/ウチノコ
2021年11月02日人とお話をするのが苦手な息子たちです長男けんとは、現在6歳(年長)です。3歳のときに療育手帳を取得し、自閉スペクトラム症と診断をうけました。言葉が出始めたのは3歳。それから5歳まで、ほぼ母音のみで、6歳になった現在も片言の口調です。構音障害で「一生、上手にはお話し出来ない可能性がある」と病院の先生や言語聴覚士さんに言われました。次男ゆうきは現在4歳1ヶ月(年少)。先生のお話しによると、発達障害グレーゾーンです。3歳まで「ママ」という言葉だけで会話を成立させようとしていましたが、急にやる気スイッチが入り、最近お話しができるようになってきました。Upload By ゆきみ2人とも、成長ホルモン分泌不全性低身長症という、身長が伸びにくい病気でもあります。現在は同じ、こども園に通っています。会話はあまり交わさないけれど、兄弟の絆を感じる瞬間がたまにあり、ママはコッソリ泣いてしまいます。Upload By ゆきみけんとは赤ちゃんのとき、とても静かで、あまり泣きませんでした。助産師をしている知人に「本当に静かな赤ちゃんね」と驚かれたことも。Upload By ゆきみ体を動かすためにベビースイミングとベビー体操に通ってみることに。しかし、プールに入った瞬間、大号泣。Upload By ゆきみ更衣室に入るだけで泣いてしまうようになったので、プールには行かなくなりました。ベビー体操では好んでは動きません。お気に入りのヨーグルトカップを持っていき「こっちおいでー」と誘い、なんとか体を動かすようにしていました。Upload By ゆきみある日、動物園へ行き、「ゾウさんだ」と指さしをしても、全く反応がありません。思いつきで「1、2、3~」と指で数えるのを見せてあげたら、まさかの大興奮!Upload By ゆきみその後、ママは動物園でずっと数を数えることになりました。キラキラな笑顔で「もう1回」とアピールしてくれるのが愛おしかったのですが、エンドレスリピートだったので、ちょっと大変。その日から現在まで「数字とともに生きる」といっても過言ではないほど、数字にまつわることが大好きです。不安を感じ始めた1歳半健診、そして現在まで出産するまでは子どもと関わることが少なかったため、この月齢の子どもが何をするのかという平均的な発達をまったく知らず、気にしていませんでした。そんなときにあった1歳半健診で、周りの子どもたちと違うことに気づき、衝撃が走ります。Upload By ゆきみ保育士さんが積み木を積んだり、「犬はどれだ」と質問したりしても見ることすらない息子。ほかの子たちが「わんわん」と楽しそうに指をさしてる姿を目の当たりにして、不安になり涙が出ました。すると、保育士さんが声をかけてくださり「発達相談」に行くことに。臨床心理士さんと発達のお話をして、勧められた市の親子教室へ通うことにしました。その後、年少で発達支援センターに通園。年中から、こども園に転園して現在にいたります。不安な日々の中から「楽しい探し」したい3歳で自閉スペクトラム症だと診断を受けた直後、息子がどうなるのか 未来を想像することができず、不安な日々が続きました。 私自身、子どもが診断を受けるまで知識がなく、勝手な印象で自閉スペクトラム症というのは、笑わない子、ずっと家にこもっていて人とまったく関わらない子、だと思い込んでいたのです。周りの家族、親戚、友人も同じでした。1人でも多くの方に自閉スペクトラム症のことや、ユニークな部分も知ってもらいたい!と思うようになり、ブログで子どもたちのことを発信し始めました。私はシンガーソングライターとしてイベントのステージで歌うときがあるのですが、息子はさまざまな感覚過敏がありその場にはいられません。いつか、こういう感覚過敏のある方たちが気軽に参加でき、走り回ったり、声をあげたり、泣いてしまっても周りを気にしなくて大丈夫な出入り自由!みんなWelcomeな、イベントを開催したいという夢を持つようになりました。マイペースで過敏な息子を通じて、「うちの子もだ」「自閉スペクトラム症ってそうなんだ」「こういう子もいるんだ」と1人でも多くの方にお届けできるコラムを書いていけたらと思っております。よろしくお願いします。執筆/ゆきみ(監修:井上先生より)自閉スペクトラム症のあるお子さんのこだわりは、問題行動と見られることもありますが、その行動自体がお子さんにとって楽しみな余暇活動になっていることもあると思います。お子さんの視点に立って、お子さんを見ることができるようになると、子育ての楽しみも少しずつ増えていくかもしれません。コンサートや映画は、子育て中の親御さんの場合、お子さんが泣いたりパニックを起こしたりすることを心配してためらってしまう方も多いです。ゆきみさんのような方が、子育ての経験をもとにバリアフリーのコンサートなどを主催していただけるのは、とても夢があっていいですね。
2021年10月26日自閉症の子どもへの接し方のポイントは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン自閉症の子どもと接するときの9つのポイントを解説自閉スペクトラム症(自閉症)のある子どもとは、どのように接するといいのでしょうか。強いこだわりやコミュニケーションが苦手など、特性によるさまざまな困りごとも接し方で大きく変わります。自閉スペクトラム症のある子どもに接するときには、以下の9つのポイントに気をつけましょう。1.言葉は短く具体的に伝える長く説明されたり一度にたくさん指示されたりすると自閉スペクトラム症のある子どもは混乱してしまうことがあります。「おやつよ。座って食べてね」のように一文にいくつもの指示があると分からないこともあります。まず「座ってね」と一つ伝え、できてから「おやつを食べてね」と次の行動を伝えましょう。「うろうろしないで椅子に座って食べてね」というような言い方だと、言葉の中に『おやつを食べる』という目的が抜け落ちていたり、『うろうろ』という「座る」以外の余計な言葉が入っていることにより分かりづらくなってしまいます。指示は短く簡潔に、理解しやすい言葉で伝えましょう。2.視覚的な手段を使って説明する自閉スペクトラム症のある子どもは、耳で伝えられる情報は理解することが苦手な場合が多く、絵や写真といった視覚的な情報は理解しやすい場合が多いようです。これからする予定について、知らせるときに短く分かりやすい言葉と同時に絵や写真を提示することで、コミュニケーションが苦手な自閉スペクトラム症の子どもにとって理解しやすい環境になり、何をして欲しいのか明確に分かるようになります。予定や約束ごとなども、絵にして知らせると、理解しやすく安心できます。3.のぞましい行動をほめる自閉スペクトラム症のある子どもは相手の言葉の意図をくみ取ることが難しい場合があります。そのため「してはダメ」なことを注意するよりも、「してほしい」ことをしたときにストレートな表現でほめるほうが効果的です。うまくいったことや頑張ったことがあれば、どんな小さなことでも思い切りほめます。同じことでも何度もほめることで「よい行動」が印象づけられ、具体的に分かります。4.叱るだけでなく、して欲しいことを具体的に伝える接するときに気をつけたいのが、何かを説明するときに怒らないということです。保護者や支援者が感情的になると、伝えたい意図が伝わらなくなってしまいます。何かを伝えたいときは、『〇〇しない』という禁止だけでなく、どうして欲しいのかを具体的に短い言葉で簡潔に伝えることを心がけてください。否定的な言葉ではなく、「○○してほしい」「○○しましょう」と言い換えるようにしましょう。自閉スペクトラム症のある子どもは接し方を工夫すると、パニックを起こすことも少なくなり、本人も家族も生活を共にするのがとても楽になります。生活のパターンを掴むまでは時間がかかりますし、大変なこともいろいろあると思いますが、少しずつ問題は解決していきます。諦めずに医師に相談しアドバイスをもらいながら対処していきましょう。5.スケジュールが変わるときは事前に説明する自閉スペクトラム症の特性として、突然の変化が苦手ということがあります。いつもと違うことやスケジュールの変更は自閉スペクトラム症のある子どもにとってとても不安なことです。変更を伝えるときには、事前に絵に書いて見せるなどして説明しましょう。本人が理解でき、見通しが持てることでパニックを緩和したり減らすことができます。6.指示のタイミングを考える自閉スペクトラム症のある子どもが何か行動を始めたときに、その行動を途中でやめるように指示すると、パニックになってしまうことがあります。パニックになると落ち着くまでに時間がかかりますので、本人も周りの大人も体力を消耗してしまいます。次の行動にスムーズに移れるためには、指示のタイミングとして行動を始める前が重要です。子どもが好きな活動に取り掛かる前に、終わる時間をタイマーで示したり、終わったあとの次の行動をあらかじめ写真カードなどで知らせておくなどの工夫が考えられます。活動をする前の指示がうまくいかなかった場合には、子どもの様子を見て一通り区切りが良いところを見て指示するようにしましょう。活動をうまく切り替えることができた場合には、ほめることが大切です。7.感覚過敏に配慮する自閉スペクトラム症のある子どもは感覚過敏がある場合も多いです。特定の音や、活動、場所を嫌がったりすることもあると思います。これは単純な好き嫌いやわがままではないことがあります。感覚過敏が背景にある場合は叱ったり無理強いしても解決しません。音に敏感な場合はイヤーマフなどを使用するなど、まずは環境調整から考えていきましょう。成長するにしたがって、場面に応じてコントロールできたり 理由が分かることで、我慢できることも広がってくることも多いです。8.興味・関心のあることで不安を解消し、得意なことを増やす自閉スペクトラム症のある子どもは、何もすることがないと時間を持て余して不安定になる傾向があります。病院の待合室や電車の中などで手持無沙汰を解消できるよう、絵の描けるホワイトボードやパズルなど、好きな遊びを準備しておくと落ち着いて過ごせるかもしれません。本人に合った習いごとに取り組むなど、余暇の過ごし方を教えることも重要です。興味・関心のあるものを増やしていくことで、本人の得意なことも増やすことができます。9.困ったことがあれば子ども自身がヘルプ要請を出せるようにする自閉スペクトラム症のある子どもは自分ではうまくできず、困る場面があります。しかしコミュニケーションをとるのが苦手なことも多くあります。そこで、困ったことや、できないことがあったときに、自分でサインを出して助けを求められるようにすることがとても大切です。そもそも自閉スペクトラム症のある子どもは自分が「困っている状況」だということを本人が理解できず、パニックになったり固まってしまう場合もあります。まずは子どもに「イライラする」「どうしたらいいのかわからない」「涙が出る」など、自分の感覚や感情がどんなときに「困っている状況」なのかを教えます。そして困った状況になったら誰に助けを求めればいいかを教えます。「どうしたらいいのですか?」「分からないので教えてください」など、なんと言うかもできるだけ具体的に説明するとよいでしょう。
2021年10月18日コンゴ共和国のヴィルンガ国立公園にある、マウンテンゴリラの保護施設。この施設に、世界的に有名なメスのゴリラがいます。名前はンダカジ。ンダカジは、2019年に世話係のアンドレ・バウマさんと撮った写真が話題となりました。アンドレさんが構えるカメラに向かって、まるで人間のように自然なポーズを決めるンダカジの写真が拡散され、一躍人気者になったのです。You might have recently seen caretakers Mathieu and Patrick’s amazing selfie with female orphaned gorillas Ndakazi and...Posted by Virunga National Park on Monday, April 22, 2019You might have recently seen caretakers Mathieu and Patrick’s amazing selfie with female orphaned gorillas Ndakazi and...Posted by Virunga National Park on Monday, April 22, 2019人気者のゴリラが天国へそれから約2年が過ぎた2021年10月、ヴィルンガ国立公園が再び、アンドレさんとンダカジの写真を公開。つづられていたのは、ンダカジが天国へと旅立ったという報告でした。ウェブメディア『The Dodo』によると、ンダカジが保護されたのは2007年で、まだ生後2か月の赤ちゃんだったそう。密猟者によって命を奪われた母親の体をつかんでいたところを発見されたといいます。母親と引き離されたンダカジが保護されたその日から、アンドレさんはずっと親代わりとしてンダカジの世話をしてきました。ンダカジは長い間病気を患っていて、それが急に悪化し、最期はアンドレさんの腕の中で息を引き取りました。It is with heartfelt sadness that Virunga announces the death of beloved orphaned mountain gorilla, Ndakasi, who had...Posted by Virunga National Park on Tuesday, October 5, 2021It is with heartfelt sadness that Virunga announces the death of beloved orphaned mountain gorilla, Ndakasi, who had...Posted by Virunga National Park on Tuesday, October 5, 2021ンダカジの旅立ちを知らせる投稿には、たくさんのお悔みのコメントが寄せられています。・とても悲しく、でも美しい写真だね。・涙が止まらない。ンダカジが安らかに眠れますように。・アンドレさん、今までンダカジを愛してくれてありがとう。Andre with a sick NdakasiPosted by Virunga National Park on Monday, August 15, 2011Andre with a sick NdakasiPosted by Virunga National Park on Monday, August 15, 2011Sick Ndakasi with MGVP Vets and AndreWhen the vets finished their work, Ndakasi was groggy but waking up. Andre held her for a long time until she was fully awake and feeling a bit back to normal.Posted by Virunga National Park on Monday, August 15, 2011Sick Ndakasi with MGVP Vets and AndreWhen the vets finished their work, Ndakasi was groggy but waking up. Andre held her for a long time until she was fully awake and feeling a bit back to normal.Posted by Virunga National Park on Monday, August 15, 2011保護されてからずっと一緒に過ごしてきたアンドレさんは、ンダカジにとって父親であり、親友だったといいます。最愛のアンドレさんの腕の中で眠りについたンダカジは、幸せだったことでしょう。そして、ンダカジの思い出はこれからもずっと、アンドレさんや人々の心の中に生き続けるはずです。[文・構成/grape編集部]
2021年10月15日赤ちゃんのころの様子むっくんは赤ちゃんのころから現在に至るまで、一貫して総睡眠時間は平均より短め、入眠に時間がやたらかかるのに一度眠ると起きないという睡眠リズムを持っています。私がむっくんの睡眠に悩み始めたのは授乳が終わったころからでした。とにかく入眠に時間がかかり、授乳なしではお昼寝も夜の寝かしつけも思うようにいかないのです。初めての子育てだったことも相まって、夫婦共にむっくんを寝かせることのストレスは相当なものでした。Upload By ウチノコ更に当時は、お座りや歩行、発語などといった月齢相当の目安となるような発達は順調に進むものの、睡眠以外にも、多動、他害、癇癪、偏食なども強く、むっくんへどう接したらよいのかが全く掴めませんでした。育児書やネット上のアドバイスを片っ端から試すのに、何もかもうまくいかない。お昼寝に失敗すると癇癪が起こりやすく、更に関わりが難しくなってしまうので、朝起きたときから何をして過ごせば今日寝てくれるだろうかと、睡眠のことばかり考えていた気がします。Upload By ウチノコ当時の私は、むっくんが起きている間は息ができず、眠っている間だけ息ができる。そんなふうにも感じていました。子どもとの暮らしを楽しめない自分を、自分で責めてもいたことを覚えています。3~5歳のころこのころから、むっくんはイヤイヤながらも眠る努力をしてくれるようになりました。むっくんも寝ようと頑張るものの、布団の中でじっとすることができず寝付くのに1~2時間かかります。昼間は園へ行き外遊びもばっちり!夕方からはずっと、一般的に眠るに適したと言われる環境を必死で維持しているのに、ふとんの肌触りや温度、外の車の音などの刺激にいちいち反応し、暗闇でごそごそ動き続けてしまうのです。隣で寝たふりをしながらその音を2時間近く聞くことは、とにかくイライラするものでした。最終的には脅してじっとさせて眠らせるという、穏やかな眠りには程遠い寝かしつけをしていました。Upload By ウチノコ眠れない理由むっくんは5歳のころになかなか寝ない理由を教えてくれました。Upload By ウチノコ必死で眠らせようとしていた私と、私とのお別れが嫌で眠らないように頑張っていたむっくん。むっくんは今も不安を感じやすい子なので、イライラする私の横でずっと独りで不安と向き合っていたのかもしれないと思うと情けなくて・・・。むっくんは機能的に眠ることが苦手な面もありますが、上手く眠れない理由の一つに強い不安感があると知り、私はこのころから【早く眠る】ではなく【穏やかに眠る】ことを意識するようになりました。私にできたことむっくんは3歳半のときに神経発達症の診断を受けて医療とつながっていましたが、入眠に時間がかかると言っても0時ごろまでには眠れて中途覚醒もないタイプでした。そのため、入眠に時間がかかることが日中の活動に差し支えることはなく、主治医からお薬などを勧められることもありませんでした。そこで、眠るときはできるだけ心地よい感覚で安心できるように、マッサージをしたり、寝具を重くしたり、アロマを使ったりの工夫はしていました。だけどむっくんは私に何かしてもらうより自分で調節して、自分のタイミングで眠る方が楽そうでしたので、私や弟の動きが自己調節を妨げないように大人用の寝具を一人で使えるようにして、私はひたすら気配を消して見守っていたように思います。色々試しましたが、一番効果があったのはなにより私が先に眠ることでした。夜、私一人の時間が欲しいという望みを潔く諦められたころから入眠への悩みはいくらか楽になっていったような気がします。Upload By ウチノコ当時を振り返って子どもが思うように眠らないと、私は自分時間の確保ができません。いつまでこれが続くのか、このままでこの子は大丈夫なんだろうかという心配や不安も襲ってきます。そんなときに「子どもの睡眠時間は大切だからしっかり確保しましょう!」やら「眠らせるには日光に当てる、たっぷり外遊び、生活リズムを整える」などの正論アドバイスを見聞きすると、まるで「寝かせられないあなたはダメな親」と言われているように感じてしまい、心をズタズタにされたものです。今ならハイハイ、そういう子もいるだろうけど、ウチは全然違うんですよーって笑って返せますが当時はそうではなかった。だから発達障害では睡眠が上手くいかない場合があると知ったとき、眠らないのは仕方ないことなんだと思えて救われたような気がしました。今も平均より睡眠時間が少なめなむっくんですが、スクスク元気に成長しています。身長だって平均ですし、夜が遅くても朝は自力で定時起床できます。相変わらず入眠に時間はかかりますが、眠り方のコツも掴めてきて、本人なりに試行錯誤しながら自分の睡眠と向き合っています。当時は諦めた私の自由時間も今は確保できています。だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ、寝なくても何とかなるもんだよって、あのころの自分に伝えてあげたいな、なんて思ったりするのです。執筆/ウチノコ(監修:三木先生より)コントロールのきかない癇癪や不眠は本当に恐怖の対象ですよね。でも、大人が必死になればなるほど子どもが安心できなくなるのは、睡眠以外のテーマでも同じかもしれません。まずは大人が先に安心して、その様子を見てもらうという方法はとても良かったように思います。
2021年10月15日自閉症って医学的な治療はできるの?現在、自閉スペクトラム症(自閉症)を根本的に治す薬や手術などの医学的な治療法は開発されていないため、自閉スペクトラム症を完全に治療することはできません。しかし、療育や環境調整を通して接し方や伝え方を工夫することで、発達の促進や、日常生活における本人の困りごとを解消することができます。自閉スペクトラム症のある子がのびのびと暮らしていくためにUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン自閉スペクトラム症のある子がのびのび生活するためには、周囲の理解と協力が必要です。保護者はまず本人の性格や特性をよく理解し、過ごしやすい環境を整えましょう。周囲の人によく伝えることも大切です。幼稚園や保育園、小学校に通うようになると、コミュニケーションの困難から、自分の思いをうまく伝えられなかったり、周りから孤立してしまったりすることも考えられます。上手にコミュニケーションをはかるためにも、日頃から自分の思いをどう伝えたらよいかを個々の子どもの発達に合わせて教えていきましょう。また、こだわりとの付き合い方やパニックになったらどうしたら良いかなど、落ち着いて生活する方法を一緒に考えましょう。興味や関心の高い分野を伸ばすなど、特性や強みを生かして本人の自己肯定感を高めることも重要です。自閉スペクトラム症の治療の判断基準は?いつから始めるのがいいの?■どのような症状があれば治療を行うべきなの?自閉スペクトラム症の症状は大きくわけて二つの症状があります。一つは『社会性と対人関係・コミュニケーションの困難』、もう一つは『行動や興味の偏り』です。それぞれの症状が発達期に現れると定義されています。自閉スペクトラム症の子どもは早ければ1歳ごろから症状が出始めます。お子さんによっては3歳ごろになると「周りの子ども達と比べると話すのが遅い」「目を合わさない」などの症状が、より目立ってきます。乳幼児健診などのときに気づかれることもありますが、見過ごされてしまうこともあります。子どもの発達で気がかりなことがあれば、家庭で判断するのではなく、まず身近な相談できる専門機関や、かかりつけの医師に相談してみましょう。専門の医療機関を紹介してくれるかもしれません。できるだけ早期に症状に気づくことで支援につながり、適切な対応をすることで子どもの状態が大きく変わることがわかってきています。■療育を始める年齢は?いつまで続けるのがいいの?療育などの専門機関に通い始めるのは早いほうがよいと言われています。本人や家族がなんらかの困りごとに直面している場合、相談機関や医療機関の相談を経てできるだけ早いうちからその子に合った療育や環境調整を行うことが望ましいでしょう。自閉スペクトラム症の人は、自分が好きなことに集中することが得意な人が多くいます。子どもでも大人顔負けの知識を持っている子もいますし、大人になってから仕事などで専門性を発揮する方もいます。その子に合った環境設定を行い、早期からの支援を受けることは、得意分野を伸ばし、特性を活かす力を育むことに繋がります。上述の通り、自閉スペクトラム症そのものを根本的に治療することは困難ですので、「こうなれば療育や支援は終わり」という明確な線引はありません。しかし、年齢があがるにつれ、環境調整、その子の特性や発達段階に合わせた支援によって、サポートの内容や頻度を減らしても安定した生活を送れるようになる人もいます。自閉スペクトラム症の療育法自閉スペクトラム症の症状は、個人の性格や特性によって少しずつ違います。そのため療育では、個々に合った対応法を組み合わせた支援プログラムを受けていきます。自閉スペクトラム症の療育法にはどのようなものがあるのでしょうか。ここでは、一般的な療育法・投薬を紹介したいと思います。自閉スペクトラム症の療育を行うときの原則療育とは医療、訓練、教育、福社などの現代の科学を総動員して障害を克服し、その児童が持つ発達能力をできるだけ有効に育て上げ、自立に向かって育成することである。自閉スペクトラム症の特性に合わせてトレーニングをしたり、環境調整をすることで、困りごとを改善したり、得意なことを伸ばしたりできるのが療育です。小さいうちから療育に通うことで、精神的・身体的機能に対してある程度の効果が表れることが多くあります。自閉スペクトラム症の療育方法にはいろいろありますが、どの療育方法に限らず大切な点は以下のとおりです。①Structure(構造化): 自閉症の人たちに周囲の環境の意味をわかりやすく整理し伝える。時間や空間、意図の視覚化をする②Positive(肯定): 子どもを肯定しほめる(自己肯定感を高める)③Empathy(共感): 自閉症の特性を深く理解し、共感する④Low arousal(低刺激): おだやかな刺激や環境にする(過激な刺激や興奮を避ける)⑤Links(連携): 地域と連携し協力するそれぞれの頭文字をとってこの原則を「SPELL」と言います。(参照:SPELL(英国自閉症協会))自閉スペクトラム症の症状への投薬治療その子に合わせた環境調整、療育をして、それでも難しい場合には投薬治療を併用することも考えられます。現時点では根本治療のための薬は開発されていませんが、自閉スペクトラム症そのものを治すための薬ではなく、衝動性・不安障害を抑える薬や、パニックを抑える薬など、自閉スペクトラム症の特性から起きる生活上の困難を緩和するために薬が処方されることがあります。そのほかにも医師によって個人に合った薬を処方されますので、信頼できる医師に困っている症状を相談し、まずは環境をうまく調整しながら、療育を行い、それだけでは改善が難しい場合服薬を併用するのが理想的と言われています。薬の服用により特性が緩和されているときには、療育や教育の効果も出やすくなるとも言われています。薬物療法は医師の指示のもと用法や用量を守って服用していかなくてはいけません。薬に頼り切って多用するのは避けましょう。その子に合った環境を設定し、療育を行うことで、困りごとの改善や得意なことを伸ばし、特性を活かすことにつながっていくでしょう。
2021年10月10日「当たり前」に知っていそうなことを知らない?ウチノコ(以下、――):時々、むっくんが当たり前のことを理解できていないように感じることがあります。以前、むっくんがいとこと遊んでいたところ、置きっぱなしていたおもちゃをいとこのお母さんが拾ったくれたのですが「おもちゃとった!」と大騒ぎになって。落ちていたから拾っただけと説明しても通じず、そこで「大人はおもちゃそんなに欲しくないからとらないよ!」と伝えたところ「え?そうなんだ!」とびっくりされてしまい。この言わなくても分かっていそうな概念を年齢相応に理解できていない気がするのですが、息子の特性から考えるとそういうものなのでしょうか?Upload By ウチノコ三木先生:そうですね、僕らって具体例をいっぱい浴びる中でだいたいの一般ルールを理解していくんです。例えば、いろんな子どもや大人をみるうちに「大人ってそういえばおもちゃあんまり触らないな」と感じていく。その中にはたまに、あのおじさんはやたらおもちゃに興味津々だなっていう人も混ざっているのだけど(笑)そういうのも含めて全体的な傾向から大人はそんなおもちゃに興味ないなと理解していくんです。だけど、ASDのある子は【汎化】ができないところがあるんです。そうなると一般概念の汎化が弱いパターンもあると思うので、この話は説明がつくような気がします。解る側からすると、その年まで生きてきたら大人がおもちゃに興味ないって知ってるよね!?ってなるんですけど、本人からすると一般化されたルールは説明してもらわないと知らなかったとなるので。そこは説明してあげたらいいと思うし、むしろ説明してあげた方が本人も楽だと思います。――なるほど!三木先生:今回「大人はおもちゃをとらないよ」と教えているので、今後は彼の中で一般的な大人とみなした人がおもちゃを拾っても「とった!」とはならないと思うんです。ただ難しいのが、大人はおもちゃを欲しくないの【大人】をどれくらいの幅で理解できているのか?ということなんです。【親戚の大人】はあてはまるのか【自分が遊んでいるときに寄ってきた大人】はどうなのかなど【大人】をどの条件で理解しているかによって、条件から外れる大人に対しては、やっぱり「とった」と思う可能性もゼロではない。――あぁ~…三木先生:その一般ルールをどこまで認識しているかは、今後の行動を観察しながらから読み解いてあげる必要があると思います。この間は大人はおもちゃをとらないと理解していたのに、今日は大人に「とった」と言う。そういうイレギュラーなシーンを見つけ出して彼の中でどのファクターが一般化されたルールの例外として扱われたのかを拾っていきながら、理解度を見極めていく必要があるのかもしれません。Upload By ウチノコ三木先生:おそらく今回の件のほかにも【理解できていない一般ルール】があると思うので、それを一つずつ考えていかないといけないですね~――そうですね、ありますねぇ。でも本当に私が思いもしないことなのでどう見つけるか難しい…三木先生:今回の俯瞰的な学びとして、この子には【一般ルールが入ってない可能性がある】と知ることはできたと思うんです。今までは彼が怒っても「なんで?」ってなっていたと思うのですが、これからは「とんでもないベーシックな一般ルールが入っていない可能性があるぞ」と頭によぎると思うので「まさかとは思いますが、コレ(一般ルール)を知っていますか?」と言ってみたときに子どもは「ハッ!」っとなるかもしれない。そうしたら、今日も一個潰せたぞ!とお母さんは喜んでいいというワケです。Upload By ウチノコ――果てしないですね(苦笑)三木先生:賽の河原の石を積むような感じかもしれませんが(笑)ほかにどんなエピソードがありますか?――どうだろう…あ!そうか、言い争いになるときが多いのかもしれません。今回の「とった」「とってない」もそうですが、そういうときは何か根本的な認識に違いがあるのかもしれないです!あと「いじわる」とかふわっとした言葉を使うと揉めますね。先日も弟がテレビを見ていて、そこにちょっかいをかけるので「いじわるしないで!」と言ったら「いじわるしてない!」と言い出して「した」「してない」の言い争いに…。そこで待てよと思って「いじわるって何か知ってる?」ってきいたら「知らん!」って言われました(笑)仕方ないので「弟がテレビを見ているときに注意をそらす行動はやめましょう」と具体的な行動で言い替えたら伝わったんですけど。三木先生:なるほど~。人の意図が絡むと本人の整理が難しいのかもしれませんね。そのケースだと「いじわる」と言われても本人的には悪意があってやってるわけではない。でも周囲から見ていたら本人の意図はともかく、あまり好ましい行動ではないという意味での「いじわる」ですよね。そのニュアンスの食い違いなんだけど…。まだ今の年齢で理解することは難しいかもしれませんね。高学年くらいになると自分を客観的に評価して「いじわるって言われたな」と理解できるんだけど。もうしばらくは分からないと思います。Upload By ウチノコ――えぇ~、遠いですね。三木先生:でも僕らいつもそんなこと考えて声かけしてないですものねぇ。――そうですよ~(泣)でも先生と話したおかげで、言い争いになるときにヒントがあるっていう気づくきっかけはつかめました!三木先生:うん「なんでこんなにかみ合わないんだろう」っていうときですからね!いいですね、ヒントがキャッチできているんだから。もうあとは作業です!一個ずつ埋めていくだけです!と言っても、それが大変なんですけど、五里霧中状態ではない。入口はここにあるってわかっていることはいいことですよ!――そうですよね!ありがとうございます。前向きに頑張ります~!あとがき今回の気づきは生活の中でよく親子で揉める原因なので、その理由を掴むことができて大きな学びとなりました。賽の河原の石を、あきらめず積んでいこうと思います!執筆/ウチノコ
2021年10月01日自閉症(自閉スペクトラム症)とは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン自閉スペクトラム症は先天的な発達障害の一つで、・社会性と対人関係・コミュニケーションの困難・行動や興味の偏りの2つの特徴があると言われています。略称としてASD(Autism Spectrum Disorder)と呼ばれることもあります。社会性と対人関係・コミュニケーションの困難とは① 対人-情緒的な相互性の障害例)他者の感情の読み取りや予測が難しい、思い込みが激しい、共感性が乏しいなど② 非言語的コミュニケーションの障害例)目を見て話さない/話すのが苦手、目線を合わさないまま会話する、声が大きい(小さい)、他人との身体的な距離感が分からないなど③ 発達水準に相応した仲間関係を築くことの障害例)遊びのルールへの固執、皮肉やお世辞を理解できない、曖昧な表現が理解できない、言葉を字面通り捉えるなど行動や興味の偏りとは① 常同的または反復的な身体の運動、物の使用、または会話例)おもちゃを一列に並べる、物をずっと叩いたりする、言葉のオウム返し、独特な言い回しなど② 同一性への固執、習慣への頑ななこだわり、または言語的・非言語的な儀式的行動形式例)ほんの小さな変化への苦痛、移行することの困難さ、思考の柔軟性のなさ、質問を繰り返す、儀式のような毎日の挨拶などの決まった習慣、同じ食べ物を食べ続けるなど③ きわめて限定され執着する興味例)車や乗り物、恐竜など好きなものに関する情報や知識を集めることにこだわる、何時間もかけて時刻表を書き出すなど④ 感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ、環境の感覚的側面に対する並外れた興味例)痛みや体温に無関心に見える、特定の音、触感に対して逆の反応をする、対象を過度に嗅いだり触れたりする、光や動きを見ることに熱中するなど自閉症(自閉スペクトラム症)の原因は何?自閉スペクトラム症とは、さまざまな要因が関与して起こる先天的な脳機能障害です。自閉スペクトラム症の原因に関しては諸説あり、医学的にはっきりとした原因は分かっていませんが、脳や心身が発達する時期に、何らかの先天的な遺伝的要因に加えてさまざまな環境要因が相互に影響し合って生じた脳機能障害が原因になると考えられています。つまり自閉スペクトラム症は生まれ持った障害です。以前は「テレビを見過ぎたから自閉症になった」とか「親の愛情不足で自閉症になった」と言われたこともありますが、親の育て方やしつけのせいではありません。また、自閉スペクトラム症を完全に治療することはできません。しかし、幼児期に関しては、お子さんによって症状の出方が変化することもあり、早期からの療育による効果も期待されます。周囲からの理解や環境づくりなどを進めることで、本人の困りごとを解消し、得意なところを伸ばすことで発達の促進ができます。
2021年09月26日ひたすら追い掛け回す日々むっくんの多動は歩き始めた生後10ヶ月ごろから始まったように記憶しています。何か気になるものが目に入ったら一直線! 私がついてきているかなんて確認もせず突っ走る。よく言えば好奇心旺盛な子ですが、車道への飛び出しやぶつかりなどの危険を回避するために神経をすり減らしながら「少しはじっとしてよ!」と怒っていたような記憶があります。いつも追いかけていないといけないため、誰かと子育ての会話もできませんでした。ときどき、ほかの子と自分の子を比較して落ち込むというエピソードも聞きますが、比較しようにもほかの子の様子を観察することもできず、幸か不幸かそういう落ち込みも感じられない。そんな幼児時代でした。Upload By ウチノコ身の安全が守れないむっくんは動きたいときに抱っこや手つなぎで行動を制されると癇癪を起こし、手を振り払って車道へ飛び出しそうになることもありました。当時は逃げられないように苦肉の策でこんな手のつなぎ方をしていました。Upload By ウチノコしかし、このつなぎ方にもデメリットがありました。それは、とっさに手が離せないため、子どもが腕を引っ張られすぎて肘に亜脱臼を起こし肘内障になってしまう可能性があること。むっくんはとても力の強い子な上、痛みの感覚が少し鈍いところがあるので、自分で怪我をしないよう加減することが難しく親側が加減を判断する必要がありました。Upload By ウチノコ手を離せば危険、手をつなげば肘内障で本当に困りました。肩は抜けにくいので上腕固定でつかまった宇宙人のように歩いたり…。2歳過ぎにはむっくんの安全を守る自信がなくなり、親子で家に引きこもりがちになりました。幸いむっくんは外出が好きではない子だったので、外に連れ出さない私はダメな親だと、私が自己バッシングしていたくらいでむっくんはご機嫌で過ごせていたことが幸いですね。Upload By ウチノコ今思う多動の理由当時は何故突然走り出してしまうのか、出先でじっとできないのかわからず。なんで私はこんな大変なんだろう?しんどいしんどい、つらいつらい。と思っていました。だけど今はその理由がわかるような気がしています。むっくんは8歳の今でもさまざまな刺激に対して不安を感じやすく、感覚過敏の強い子です。見るもの、触るもの、聞こえるもの、全てが初めての幼いころは今よりもっと過敏だったのだろうと思います。例えば初めて行った場所でよくわからない音が聞こえたら、不安になり確認したくなるのは当然です。見たことのないものがあれば、安全を確認することで安心できると思います。Upload By ウチノコ私はその刺激が何なのかを知っているから不安も感じないし、刺激に気づきもしません。だけど過敏なむっくんは小さな刺激にたくさん不安を感じて反応してしまい、それが「多動」という状態を招いていたのだと考えています。本当にしんどくて、つらかったのは私ではなくてむっくんだった…だから外出を好まなかったのだと今ならわかるのです。感覚過敏を知ってからむっくんは3歳のときに発達障害の診断を受けました。その後は発達障害を知り、感覚過敏を知り、私の接し方を変えることができたおかげで大変さはずいぶんと変わりました。私が接し方を学ぶ前の1歳半と、学んだあとの3歳児検診ではこんな変化も見られました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコUpload By ウチノコもちろん年齢の違いはありますが、ああ、こういうことだったんだなと。この子はずっとただ調べたかった。ただ確認したかった。ただ安心したかっただけなんだなと、今はむっくんのことをそんな風に捉えています。無知だった自分への後悔当時の私は発達障害のことも感覚過敏のことも知識がなく、むっくんの世界を理解しようとしませんでした。自分のことばかり考えて、むっくんの行動を一方的に押さえつけました。当時の写真や映像には不安そうな顔のむっくんが写っていて、自分の無知が申し訳なくて情けなくて涙が出てきます。仕方なかった。だけどもし、むっくんの目線で世界を見る努力ができていれば・・・もっとほかにやりようがあったとも思うのです。むっくんの多動は6歳ごろに落ち着きました。いろいろなことを知り、知識で自分の行動をコントロールできるようになったのだと思います。そのころ手のつなぎ方を一般的なつなぎ方に戻しました。久々にすべての指でぎゅっと握ったむっくんの手は、大きくて分厚くてしみじみと成長を感じました。今もときどき必死で握りしめたあの小さな手を思い出して、もっと楽しめばよかったと寂しくも思うこともあります。だけど、今のむっくんは昔の自分の多動話を聞くとものすごく喜んでくれて、それがなんだか私の救いになっているのです。Upload By ウチノコ執筆/ウチノコ(監修:三木先生より)服装や手のロックなど、できることを一通り試す姿勢は素晴らしいですね。そういう不安や葛藤を自分たちで乗り越えてきたからこそ分かることもあると思います。こういう痛みをおぼえているからこそ、手が大きくなったことを実感する喜びもひとしおなのかもしれませんね。
2021年09月17日