私が所属する部署に中途採用である女性社員が入ってきました。入社早々、社内の男性社員たちに愛想を振りまく彼女は、私の彼氏を狙い始めて……。 男性に愛想を振りまく新人社員大学を卒業してからIT関係の会社で働いている私。プロジェクトリーダーを任されることも増えて、忙しい毎日ですが同じ会社に勤める同期の彼氏に支えられながら頑張っていました。 そんなある日。私や彼氏が所属する部署に中途採用である女性が入ってきました。彼女は私の3歳年下。会社には女性社員が少ないこともあって、彼女と仲良くしたいと思った私は早速彼女に話しかけることに。すると彼女は「あ、どうも……」とそっけない様子。緊張しているのかなと感じていましたが、男性の部長には上目づかい+ボディタッチで話しかけたり、他の男性社員にも愛想よく話しかけたりしていて……。 私と他の男性社員とで明らかに態度が異なったのです。 彼女の狙いは私の彼氏!?彼女は美人でスタイルも抜群です。そのためか、私の彼氏も彼女に話しかけられたとき、まんざらでもない表情をしていて……。さすがに見ていられないと思った私が彼に注意をしていると……彼女から「2人はもしかしてそういう関係ですか?」と話しかけられました。 いい機会だと思い、ハッキリと「そう、付き合ってるの」と伝えた私。すると彼女は突然、大爆笑! そして「こんな地味な女じゃなくて、(私の彼氏は)もっと美人と付き合えると思うんだけどな〜」と言い始めたのです。突然のことに私はあ然としてそのときは何も言い返すことができませんでした。 そして、その後も彼女は私の彼氏に積極的に話しかけにいっており、ふたりきりで飲みに行こうと彼を誘っている姿を目撃したことも……。完全に彼を狙っていて、私から奪おうとしているのは明らかでした。 嫌な予感が現実に…彼は彼女の誘いを断っていたようですが、不安が拭えなかった私。彼とふたりきりになった際に、それとなく「彼女があなたのことを狙っているみたいだから気をつけて」と伝えると、「仕事の話をしているだけだろ」となぜか逆ギレ。聞く耳をもってくれませんでした。 そんな中、彼女から彼へのアプローチも止まりません。次第に、私と彼の関係はギクシャクするようになってしまいました。 そしてついには、彼と彼女に呼び出され、彼から「ごめん! 彼女と付き合いたいから別れてくれ」と言われる事態に。なんと、彼は密かに彼女と関係を持っていたようなのです。彼に裏切られ、私はとにかくショックでいっぱいでした。 私は退職。理由は…私が彼と別れてからというもの、2人は仕事中もラブラブな様子。見せつけていると思うときもあり、私は気にしないようとにかく仕事に没頭しました。 そして彼と別れてから1年後、私は会社を退職することに。その際、元彼と彼女がわざわざ私の元へやってきて、「やっぱり、彼氏を奪われちゃって気まずかったんですか?w」とひと言。 しかし、そんな理由で退職するわけではありません。 実は、「結婚」を理由に会社を辞めることになったのです。彼と別れてからの1年間で、私は本当の運命の相手に出会い、結婚する相手の仕事の都合もあり、話し合った結果、私が会社を退職することにしたのです。 非常識なふたりの末路私の口から「寿退社」という言葉が飛び出したことに対して、ふたりは驚きを隠せない様子。そこで私は結婚相手が取引先の男性であることと、その男性が取引先の会社の次期社長であることを伝えました。 すると「あ、あんたが社長夫人……!? そんな、そんなわけ……」と彼女は動揺し始めて……。もうふたりと会うこともないだろうと思った私は、「あること」も伝えました。それは、近々社長からふたりに厳しい処分が下るだろうということ。 実は元彼と彼女、勤務中にもかかわらずふたりで遊んでいたり、勤務態度もかなり悪く、私の夫が勤める取引先の会社の方々からクレームが後を絶たなかったり……と問題を起こしてばかりいたのです。 夫経由でそのことを会社に伝えることとなり、後日、元彼と彼女は社長に呼び出され厳しい処分を下されたようです。恋にうつつを抜かした結果、自身が勤める会社にも取引先にも迷惑をかけることとなってしまったふたり。結婚後、幸せに暮らしている私は、今彼らがどのように過ごしているのか知る由もありません。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月12日私は保育士をしています。実は今勤めている保育園の卒園生です。2歳のとき、両親が離婚し、私は母親に引き取られました。その後の生活は非常に貧しいものでした。私がつらい思いをしないよう、当時の園長先生や保育士さんたちがとても温かく接してくれていたおかげで、私はとても楽しい幼少期を過ごすことができました。私も先生たちのような素敵な保育士さんになりたい――その想いが実り、私は保育士になりました。この保育園では他にも、私の心の支えとなる温かい思い出がありました。 おもちゃを買ってもらえない私に当時の私は内気な子で、園内の遊び場でひとりでよくお人形遊びをしていました。すると男の子が近づいてきて、「ねえ、またひとりで遊んでるの?」と声をかけてくれました。 「うん、私の家にはおもちゃがないから、保育園のお人形さんでしか遊べないの」と答えた私に、「そっか。じゃあこれやるよ! その代わり、大事にしろよな!」と当時流行っていた5人組のヒーローの1体をプレゼントしてくれたのです。 私はこの人形がとても気に入って、片時も離さずにいつも持ち歩いていました。 仕事場に現れた男性がしかしそれからすぐ、男の子は引っ越したため、私は顔も名前も覚えていません。あれから20年経った今も、もらった赤い人形は大切に飾っています。 そんなある日のことでした。保育園の事務室に入ると、園長が若い男性と話していました。この男性は近くの児童養護施設に勤めていて、不要になったおもちゃを施設の子どもたちに配るボランティア活動をしているそう。 子どものころを思い出した私は、この活動に協力することにしました。 彼の部屋に飾ってあったものとは保育園で不要になったおもちゃを集め、そのおもちゃをこの男性に渡して、一緒に施設の子どもたちに配る活動を始めました。それから数カ月後、私たちは自然と恋人関係に。 ある日、彼の部屋に遊びに行くと、ヒーローものの人形が4体飾られていました。彼は、「昔保育園にいた女の子に、1つ渡しちゃったんだよね」と言いました。ここに足りない赤い人形は、私が持っている人形と同じものです。 「その女の子、私だよ……私たち、ずっと前に会っていたんだね」と言い、私は大切にしている赤い人形の写真を見せました。あまりの偶然に2人で驚き、再会できた奇跡に感動しました。 彼の親切が彼自身を支えていた話を聞くと、彼は子どものころ頻繁に引っ越しを繰り返し、その後両親が離婚。つらい日々を送り、母親に当たったり、学校で問題行動を起こしてたこともあったそうです。しかし、この4体の人形を見て「こんな自分でも、昔誰かを喜ばせたことがある」と思い直し、今の仕事に就いたと語り始めました。 私たちはお互いの思い出に支えられながら育ってきたのです。出会うべくして出会ったのだと確信しました。その後、私たちは結婚。おもちゃを施設に配るボランティアも続けています。人に親切にすることでたくさんの笑顔に囲まれ、私たちも幸せをかみしめる日々。これからも2人で協力し、子どもたちのために自分ができることをしていこうと思っています! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月12日私は息子に関するある出来事をきっかけに、私は10年務めた会社を辞め、在宅ワークをすることにしました。新しい生活の中で、今まで見えなかったものが見えるようになったのです。子育てをしながら働くということ子どもを育てながら、長い間福祉施設で働いてきました。職場は子育てをするスタッフに比較的理解があって、休みも柔軟に対応してくれる職場です。 しかし、外で働くことで子どもとの時間に余裕がなく、慌ただしく過ぎていく毎日に私は「このままでいいのか」と思うようになっていました。 下校中にトラブルを起こす息子外的刺激に弱く、小学校に入ってからは登下校が他の子の倍以上かかる息子。朝は送ってあげられるのですが、帰りは私の仕事の関係上なかなか迎えに行けません。 他の家族の迎えも期待できない状況で、息子はひとりで帰っては行方不明になったり、友だちとトラブルを起こしたり……。息子に言って聞かせても改善する様子はなく、私は仕事をしていても息子の下校時刻になると心が落ち着かない毎日でした。 思い切って在宅ワーカーに!小学2年生になった息子は、集中して授業を受けられなくなり、周りの音に過剰反応するなど学校生活に問題が出てきました。このことをきっかけに、専門医から発達障害の診断を受けたのです。 服薬が始まることで、今まで以上に息子へのケアが大切になってくることを実感し、私は家族や職場の上司と相談を重ね、仕事を辞める決意。10年務めた会社を辞めるのは本当に勇気がいることでした。しかし、今、私がするべきは子どもたちのケアだと強く思い、短期間でしたが引継ぎをおこない退職しました。 今は在宅ワークでWebライターの仕事をしながら、朝は余裕を持って子どもたちと接し、夕方は一緒に料理をしたり宿題を見たりしてあげられるようになりました。「ママが家にいてくれてうれしい」という子どもたちの言葉を聞いて、毎日に余裕を持って暮らすことの大切さを実感しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/ななぎ著者:夏目 柚木
2024年01月12日私は30歳の兼業主婦です。家族で職場近くに引っ越し、自転車通勤をしています。快適な新生活を送れるはずだったのですが、そんな私の快適な自転車ライフを邪魔する人物がいたのです。私の自転車の契約番号は25。しかし、その番号のスペースになぜかいつも赤い自転車が停められているのです。帰宅してすぐにその赤い自転車を移動させていたら…… 私の自転車スペースに無断駐輪する男性が激怒「おいお前、何やってる?! いつも俺の自転車を勝手に移動していたのはお前だったのか!」と見知らぬ男性が怒りながら近づいてきました。 私は「あの、番号お間違いではないですか? 私は25番で契約しているんですが……」と伝えると「関係ない! 25番は俺がずっと使ってるんだ!」と意味不明の言い訳。 この男は駐車場代を払わず、勝手に私の契約した駐輪場を使っていたのです。 人の契約シールを勝手に張り替えて住人同士ややこしいことになるのは嫌だったため、私は管理会社に連絡しました。管理会社は大家に相談して対策を取ってくれるとのこと。さらに管理会社は張り紙や住民への手紙を投函して注意喚起してくれました。 次の週末、自転車で出かけようとすると、私の駐輪場の外へ移動されていていました。そして25番には赤い自転車が停めてあります。しかも、私の契約シールが剥がされ、その赤い自転車に付け替えられていました。 その後もロックを何度も壊され勝手に移動されたり、『違法駐輪禁止』と墨で書かれた紙が自転車に張られていたりと、嫌がらせはエスカレートしていきました。 まさか大家も協力者!?ある日、いつものように自転車を停めようとすると、背後から怒鳴り声がして、あの赤い自転車男と、見知らぬおじさんが立っていました。 その男は「俺はここの大家だ! お前のことは聞いている! 何度も無断駐輪をするなと張り紙していたのに懲りないやつめ!」と私を犯人扱いしてきました。 「ここは私が契約している場所です。その方が勝手に私の場所に停めているんですよ」と事情を説明すると、大家は「ここはこの方の場所だ! この駐輪場は、暗黙のルールがあんだよ!」と意味の分からないルールを押し付けようとしてきました。 そして、守れないなら退去させると、退去通知までちらつかせてきたのです。 管理業者が出てきてくれて私が契約書を持って説明しても、全く意味なし。私が困惑していると、先ほどこっそり連絡を入れておいた管理業者の人が助けに来てくれました。 そして、「契約者はこちらの方です。契約者以外の駐輪は禁止、契約していたとしても契約番号以外の場所に停めるのは明らかにルール違反です」と毅然とした態度で言い返してくれました。 「これ以上は私どもは間に入ることは困難だと判断いたしましたので、弁護士を通じて話し合いさせていただきます」と管理業者は大家に伝えました。 信頼を失った大家それを聞いた大家は大慌て! どうやらこの赤い自転車男は大家の親戚だったらしく、昔お金を貸してもらったため頭が上がず、赤い自転車の男の迷惑行為には、目を瞑っていたそうで、大ごとになるのは困るとのこと。 赤い自転車の男がしていた行為はすべて監視カメラに録画されていたため、私は被害届を提出。大家は私にも管理業者にも慌てて謝罪していましたが、今さら謝っても後の祭り。大家が住人に迷惑行為をしていたという話が広まり、その後ほとんど空き室状態になったそう。 私は、この管理業者にほかの素敵なマンションを紹介してもらい、快適な新生活を続送れるようになりました。自分のことしか考えず、相手に迷惑をかけてルールを破るなんて恥ずかしい行動ですね。ルールを守ることは、快適で安心なコミュニティを作る上で重要です。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月11日私は、5歳になる娘を育てるバツイチ・シングルマザーです。最近、ちょっとおませなところがある娘は、私の恋愛事情に興味津々。お友だちのママが再婚すると聞いてから、さらに鋭く突っ込んでくるようになり、私もすこし困ってしまいます。今のところ相手もいないので、再婚するつもりはないのですが……。しかしそんな私にも転機が……! あれだけ恋愛に興味がなかった私が、中途入社してきた1歳年上の男性に、あっさり恋に落ちてしまいました。彼の猛アプローチを受けた私はーー。シングルマザーの恋ルックスも良く優秀な彼は、社内でも注目の的。バツイチ&シンママの私で良いのかと迷いましたが、彼を信じ、結婚を前提に付き合うことになりました。 彼氏ができても私の最優先は娘であることは変わりません。そんな私のスタンスも理解してくれ、良いお付き合いをしていました。 付き合って3カ月が経ったころ。彼のおばあちゃんが手術をすることになり、治療費が足りなくて困っていると打ち明けられました。普段から家族の話をよくしてくれる、家族思いの彼……。保険金が支払われるまでの間、治療費を貸すことに決めました。 しかし、家族には紹介されず、おばあちゃんのお見舞いにもいけないまま、交際からあっという間に半年が経ちました。そういえば、その後おばあちゃんがどうなったのか聞いていなかったと思って彼に聞くと、ちょうど先週退院したそう。これでひとまず安心できます。 私は、そろそろご両親やおばあちゃんにも会いたいと伝えたのですが、ご両親が私との交際をよく思っていないようで説得中だと言われてしまいます。バツイチで子どもがいることを後ろめたく思っていた私は、それ以上何も言えずにいました。 娘が塩対応をした理由彼の家族に会うことは諦め、まずは娘に会ってもらうことにした私。もちろん、娘には彼の存在について事前に話しています。きっと、娘も気に入ってくれるだろうと思ったのですが、娘は彼にまさかの塩対応! なんだか空気も気まずくなって、彼はすぐに帰ってしまいました。 彼が帰ったあと、娘は「あの人と本当に結婚するつもりなら、家に行ってみたほうがいいよ」と言いました。そういえば、彼の家がどこにあるかすら知らないと思い、私は急いで彼を尾行しました。 実家暮らしと聞いていたのに、到着したのは小さなアパート。表札には彼と女性の名前が並んでいたのでした。 娘は彼の正体を知っていた…!すぐに調査会社に依頼して彼の身辺を徹底的に調べると、結果は真っ黒! 既婚者だった上、私以外にも複数の女性と付き合い、お金を搾取していたのです。 信じられないことに、娘の友だちのママが再婚しようとしていたのも彼。娘の友だちは母親の再婚を受け入れられず、娘に相談していたようです。娘は、彼に会ってすぐに、友だちのママの再婚相手と同一人物だと気付いたのでした。 私は証拠とともに彼を問い詰め、お金を返してもらった上でお別れすることにしました。このままではもっと搾取され、とても傷ついていたかもしれません。冷静な娘に救われたのでした。 彼との出会いにすこし浮かれてしまっていた私。落ち着いて考えると、お金を貸すなんて血迷っていたような気がしています。娘との生活を維持するためにも、まだまだ私も男性を見る目を養わなければいけませんね!著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月10日夫と職場結婚し、そのまま寿退社した私。しかし、夫はとんでもないモラハラ夫だったのです……。私を見下し、召使のように扱う夫は、私が体調を崩しても、病院に行く許可すらくれません。限界を迎えた私は、この地獄のような生活に終止符を打つのでした――。スマホの通知音が鳴り響き、私はため息をつきました。 「全然返信ないけど何してる?」「スマホ見てないのか?」という夫からの連投メッセージ。私は「ごめんなさい、気付かなくて」と返すと、また怒涛の勢いで「なにやってんだよ」「5分も待ったぞ」「スマホは肌身離さず持ってろっていつも言ってるだろ」と返信が。 厳しい夫そして私はいつも通り、午前中したことを報告するのでした。 「洗濯物を干して、家の中を掃除した」「あと涼しいうちに庭の草むしりも」「ベットのシーツと枕カバーを交換して」「あとは買い物ももう済ませてきたよ」 「買い物は予算内に収まっただろうな?」と尋ねてきた夫に、「ごめんなさい、今回は100円オーバーしてる」と正直に伝えました。「事前に計算してたんだけど、最近の値上げで予算を超えちゃって……」「前回は予算を下回ったから、それでプラマイゼロにはならない?」と私が言うと、夫は「前回は関係ないし、ルールは絶対だ」「甘ったれた考え方するな」と私を叱責しました。 「俺が汗水垂らしてやっとの思いで稼いだ金なんだ」「無駄にすることは絶対に許さないからな」「お前、今日は夕飯食うなよ」 昨日はクリーニングの出し忘れで、夕飯を抜かれたっけ……。2日連続夕飯抜きは、こたえるものがあります。 私には100円の予算オーバーも許さないくせに、夫は海外のお菓子やジュースをまとめ買い。結局飽きて無駄にするのに、1回に数万円も使うのです。 こんな生活がもう3年も続いているのです……。新しい靴も服も買うことは許されていません。私はよれよれになった服と、今にも穴が開きそうな靴を見て、またため息をつくのでした。 もう、限界…1カ月後――。 その日は朝から体調が悪く、いつもの夫からの昼の連絡も返せませんでした。少し回復してからスマホを見ると、案の定夫からは怒涛の連投メッセージが。 「体調が悪くて寝てた」「ねぇ、病院に行ってきてもいい……?」と送ると、「え?病院なんか行かなくたって、家にある市販薬を飲めばいいだろ」と夫。 しかし、私の第六感が告げるのです。このままだとヤバイ、と。 「まだ耐えられるだろ」「病院に行くと金がかかるし」「主婦のくせに病院にかかるなんて図々しいんだよ、自力で治せ」「市販薬を使うことすらお前には贅沢なんだよ、病院なんてもってのほかだ」 市販薬も、病院にかかることも贅沢……?そこまで言われる筋合いはない……私はこのときそう思ったのです。 モラ夫への制裁翌日――。 「病院の領収書があるけど、お前病院行ったのか?」「俺の金を無駄に使いやがって」「覚悟しろよ」「覚悟するのはお前だよクソ夫」 このままだとヤバイと思った私は、夫に無断で病院へ。そこで判明したのは、あと少し遅かったら命を落としていたかもしれない病気でした。しかも、ストレスが増悪させる要因のひとつだったのです。 ようやく、目が覚めた私。なんでこんな夫の言いなりになっていたのか、今では不思議で仕方がありません。傷つけられた分、徹底的に戦い抜いてやります。 「無職で役立たずの主婦に何ができるって言うんだよ」と嘲る夫に、私は「あなたがしていたのはモラハラって言うの」「モラ夫と離婚する時にはね、妻は慰謝料を請求することができるんだよ」と返しました。 昔からのくせで、毎日日記をつけていた私。夫からの暴言や経済制裁も、すべて3年間分の日記に残っています。さらに、昨晩は家の中にカメラも仕掛けておきました。夫は体調の悪い私に物を投げつけて罵倒してくれたので、いい証拠になるでしょう。 その後――。 弁護士を通して、私たちは離婚。私の日記やカメラの映像を見た義両親は、私の肩を持ち、元夫を勘当しました。 私は元夫から受け取った多額の慰謝料を使って、引越ししました。独身は孤独との戦いだと聞いていましたが、今は一人暮らしが楽しくて仕方ありません。離婚して、ようやく自分らしい人生を取り戻せた気がします。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月09日私は42歳。現在は夫と2人暮らしで平穏な毎日を過ごしています。実は夫にとって私は2人目の妻。前妻は私の親友で、若くして病死してしまいました。2人の間には娘がいて、再婚時には、実の娘として育てていこうと決めたのですが……。亡くなったママが大好きだった娘に、私を母親だと思ってほしいというのは酷な話だとわかっていた私。しばらく様子を見ていましたが、娘は近所に住む義母にばかり懐いていて、私たちは一向に仲良くなれませんでした。お母さんじゃなくておばさん!結婚して数年が経って、娘が中学生になっても、私との関係は変わりませんでした。夫が「今度の授業参観はお母さんと2人で行く」と言っても「このおばさんはお母さんじゃない!」とご機嫌ななめになってしまいます。さすがの私も気が滅入ってしまいましたが、そんなときは亡くなった親友が私に残した手紙を読み返していました。その手紙には、私が夫をずっと好きだったことに気付いていたこと、自分がとってしまって申し訳なく思っているということ、それでも応援してくれて嬉しかったこと、自分が亡くなったあとに夫が再婚するなら、相手は私がいいと思っていることが書かれています。 何度読み返しても涙が流れてしまうこの手紙は、いつでも読めるように仏壇に置いておきました。 家を出て行った娘ある日娘が突然大きな荷物を持ってリビングにやってきました。「他人と一緒に暮らしたくないから、おばあちゃんの家に住む!」と言って、飛び出していってしまったのです。 「他人」とはきっと私のこと。私はショックで動けなくなっていました。夫が娘を追いかけて説得を試みたのですが、娘の決心は変わらず。それ以来娘は義母の家で生活することになりました。 娘はそのまま義母の家で高校卒業までを過ごし、進学はせずに就職。ほどなくして、娘は1人暮らしを始めました。お盆や正月も顔を見せず、すっかり疎遠になってしまった娘から次に連絡があったのは、20歳になったころ。婚約をしたという知らせでした。 新婦の手紙結婚前夜、生まれ育った家から式場に向かうと言って娘が帰ってきました。実の母親に話があったのか、娘は夜遅くまで仏壇の前に座っていたようです。 親友もきっと喜んでいることでしょう。私は親友の写真を持って、式に参列しました。 結婚式は滞りなく進み、最後は新婦からの手紙が読まれます。手紙には夫と親友への感謝の言葉。私は、ほんの少し寂しさを感じていました。しかし、手紙の終わりに、娘が泣きながら私へのメッセージを読み始めたのでした。 結婚式で暴かれた真実娘が私に距離を置いていたのは義母の嘘のせいだったよう。義母は、ママが亡くなったのは、私が夫と不倫していたせいで精神を病んだからと娘に伝えていたのでした。それが誤解だと知ったのは昨夜のこと。仏壇に置いてあった親友からの手紙を読んで知ったというのです。 たくさんの謝罪と、それでも自分を大切にしてくれたことへの感謝を伝えてくれた娘。長い時間がかかりましたが、私はようやく娘と心を通わせることができたのでした。写真の中の親友も、いつもより笑っているような気がしました。 子どもを持つ人との再婚は、決して簡単なことではなかったはず。娘さんとの距離が縮まらずに心を痛めていた時期もあったと思いますが、辛抱強く最後まで愛情を注ぎ続けられたのは素敵なことですね。これからは本当の母娘として、楽しい思い出をたくさん作ってほしいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月07日7歳の息子に「片づけしなさい!」「宿題しなさい!」と注意をしていた私。私からの注意ではなかなか聞いてくれず、息子はついに夫にも怒られてしまいました。そんな姿を見た3歳の娘から、驚きのひと言が! 謝らない息子へ3歳の娘が大人顔負けのアドバイス 私は7歳の息子に対して、「おもちゃ片づけて」などと度々注意をしていました。しかし、そんなとき息子は「面倒なんだもん」の一点張り。結局息子は謝りもせず、片づけなかったおもちゃを私が代わりに片づけるということが続きました。そんな兄の姿を3歳の娘はいつも黙って見つめています。 ある日、「おもちゃを片づけて!」と注意すると、すねた息子は無視するのです。私と息子の様子をその場で見ていた夫は、ついに「いい加減にしなさい!」と激怒! 夫に怒られたことで息子は泣き始めますが、それでも謝ろうとしません。するとその様子を見ていた娘が、そっと息子に近寄り「ごめんねってにっこり笑って、可愛く言ったら許してもらえるよ♡」と、驚きのひと言を放ったのです。 娘の言葉に刺激を受けた息子は、その後「ごめんなさい」と、夫と私に謝ってくれました。この件以降、息子は謝ろうとする姿勢が見えるように。遊んだあとのおもちゃは片づけるという約束も守ってくれています。振り返ると、3歳の娘は何をしたら怒られるか、どうしたら許してもらえるのかがわかっている様子。息子を反面教師に、世の中をうまく渡り歩くすべを身につけているのだと驚いた出来事でした。 作画/ひのっしー著者:佐野千佳
2024年01月06日田舎育ちで交友関係を大切にしている私と、都会育ちで人間関係も面倒なタイプの夫。夫はよく都会と田舎を比べて、「都会は便利だしおしゃれな人が多い。それに比べて田舎は~」と批判的なことをよく私に言っていました。都会マウントが多い夫に嫌気がさした私が、夫にある提案を持ち掛けると……。都会育ちの夫は田舎嫌い都会育ちの夫は、就職して私の地元である地方に転勤するまで、他県で生活したことがありませんでした。夫とは、転勤先である私の地元で出会い、結婚。田舎での生活が不慣れな上に、人間関係もさっぱりなタイプの夫は、「田舎は交通が不便だし、ヤンキーが多い」など、田舎に対する偏見を持っています。 私は結婚したら家族ぐるみでお付き合いするのが理想でしたが、夫が面倒な人間関係は嫌がると思い、私の地元の友だちと会わせる機会はほぼありませんでした。結婚後、すぐに都会に転勤になり、娘も生まれたので私の田舎に帰る機会も少なくなりました。 なかなか帰省を許してくれない……慣れない土地で子育てをしていた私は、徐々に孤独を感じることが多くなりました。そこで、夫に「実家に帰省したい」とお願いしたのですが、「田舎に帰るなんてお金の無駄」「帰っても娯楽がない」など散々文句を言い、なかなか帰省させてくれません。 私もだんだんストレスが溜まって「娘もきっと楽しいと思うから、1度、私の友だち家族と一緒に遊ぼう!」と夫が絶対嫌がるであろう提案をすると、「子どものためなら1度だけ」と渋々了解してくれました。 一番楽しんでいるのはまさかの夫!?田舎に帰省した私たちは、同じ年齢の子どもがいる私の友人家族に夫を会わせて、遊園地で友だちの子どもと娘を遊ばせたり、みんなでバーベキューをしたりしました。久しぶりに友人と話せてうれしかった私ですが、こんな機会はもう最後だろうなと思っていました。 しかし、結果的に一番楽しんでいたのはまさかの夫! 夫は、休日はどこに行っても人が多い都会に比べて、のびのびと遊べる田舎で楽しそうに過ごす娘の姿を見て、とてもうれしかった様子。さらに私の友人家族とも気が合ったのか、「話しやすくて楽しかった」とノリノリ。思いもよらぬ夫の態度に私はびっくりしました。 この出来事がきっかけで夫からの「都会マウント」はなくなり、私も帰省しやすくなりました。私自身も慣れない都会で育児を始めて、都会が苦手と思うこともありました。夫も当時、慣れない土地での生活にストレスを感じていたのかもしれません。しかし出身地を悪く言われるといい気はしないので、お互いに出身地マウントはしないように気をつけています。 著者:城ゆりこ4歳の女の子と1歳男の子のママ。転勤族になり田舎から都会暮らしへ。現在ワンオペ育児に奮闘中。
2024年01月06日第1子出産のとき、急きょ帝王切開に切り替わりました。初めてのことに緊張と不安・戸惑いの中、私は出産。赤ちゃんと私にひとまずは問題なく、すぐに母子同室になり幸せを嚙みしめていました。しかし、ほっとしたのもつかの間、傷が痛んで起き上がれない私の体を心配して面会を控えた実両親とは反対に、数時間後に面会に来るという義両親に私は違和感を抱きました。 帝王切開で無事出産。傷が痛む中の面会出産時、赤ちゃんの心拍が低下し始めるという事態になり、緊急帝王切開に切り替わりました。夫が病院に駆けつけたのですが間に合わず、私は不安の中出産。赤ちゃんの顔を見たときには安堵したことを、今でも鮮明に思い出します。 両家両親には事後報告をし、私の両親は「大変だったね。体休めて」と言って、面会は翌日にすると連絡をくれました。義両親は数時間後には揃って面会に来ると言い、疲れている私は乗り気ではありませんでした。 予想以上の面会時間に身も心もボロボロ…面会に来た義両親は孫にべったり。私はおなかの傷が痛くてつらかったのですが、義両親が話しかけてくれば相槌をうっていました。「寝ていていいよ」と言われても、遠慮して会話は続けました。 30分ほどで帰ってくれるかと思っていましたが、まったく帰る素振りのない義両親。夫から促す様子もありません。私は疲れからか急に眠くなり「どうして体のつらさを誰もわかってくれないんだ」と、イライラと悲しみの感情がどんどん溢れてきました。 イライラから助けてくれた看護師さんそんなときに看護師さんが体調チェックに。悪露(おろ)を見るので夫たちには一旦部屋の外に出てもらい、そのとき私は思い切って看護師さんに経緯を話しました。すると看護師さんから義両親に帰ってもらうように伝えてくれることになり、義両親はその後すぐに帰って行きました。 後日「長居してごめんね」と義両親から謝りの連絡が来ました。純粋に孫の誕生を楽しみにしてくれた気持ちがわかったので、イライラが長引くこともなかったです。 面会に来てくれたのに帰ってほしいなんて言えなかった私が、看護師さんや助産師さんに相談する手段をもっと早く知っていたら、気持ちがラクになっていただろうなと思います。赤ちゃんの誕生はうれしいことなので、面会に来てくれるならば前もって「短時間でお願いね」など伝えておくと、お互いに気持ち良く過ごせるなと勉強した出来事でした。 作画/ぐら子著者:樋山ゆり菜6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。
2024年01月06日私も夫も、良い意味で現実的で慎重派。そして倹約家です。しかし、子どもを持つことについては、私以上に夫のほうが慎重だと結婚後にわかり、もんもんとすることがありました。それがきっかけでセックスレスになったお話です。やっぱり2人目を持つには不安が同い年の夫と結婚したのは、30代後半に入ったころでした。できるだけ早く子どもが欲しくて、ありがたいことにすぐ第1子を授かることができました。初めての育児は慣れないことも多くて大変でしたが、夫も積極的に育児をしてくれて、楽しんで乳児期の娘と過ごすことができ、すぐに「2人目も欲しい!」と考えるようになったのです。わが家は夫と私の月給を合わせても、平均的な世帯年収よりやや下回るぐらい。私はパート勤めのため、出産で仕事を辞めた後は失業給付のみが私の収入でした。現状の家計では、正直なところ2人目を考えるには金銭的な余裕がありません。お互いぎくしゃくするように…夫は金銭的な余裕のなさを理由に、私に2人目を諦めるように諭します。加えて、避妊のために自分がパイプカット(男性の避妊手術)することまで提案してきました。夫も娘をかわいがっていたので、娘の成長を眺めていたら2人目が欲しくなると思っていたのですが、夫は金銭的なことについてとても慎重で、どうしてもそこは譲れないようです。私が何度も2人目を促すので、次第に夜のたびにお互いぎくしゃくしてしまい、レス気味になってしまいました。話し合い、お互いに避妊対策をすることに現実的には金銭的にも年齢的にも、やはり2人目を望むことはいろいろとリスクが高いと、私も理解しています。夫の言ってることのほうが正しいと思いつつも、わがままを言って夫婦関係がぎこちなくなってしまうのは嫌でした。2人で冷静に話し合った結果、私が避妊対策を講じることに。夫も安心したようで、レスは解消されて夫婦仲も落ち着きました。家計も見直して、そこまで余裕はないけれど、娘を育てるための資金や将来的な学費、2人の老後に備えて貯める目標額まで見据えることができました。無理して2人目以上を望むと、私たち夫婦の場合は余暇や娯楽に使うお金はあまり確保できなかったと思います。まとめそれでも、たまに2人目が欲しい気持ちが再燃して、きょうだいがいるママ友がうらやましくなることもありますが、夫婦で娘を大事に育てている家族の時間が、今は何より大切です。将来、娘の子育てが終了したころに、猫を飼って暮らすのが、夫と私の今の夢です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/雪田みゆ子イラスト/きびのあやとら著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月03日「嫁は他人だから」「嫁は身内じゃない」とさんざん義母から言われてきた私。どうやら私が気に入らないようで、いつも私だけを仲間外れにするのです。親族の集まりに行ってもいびられるので、義実家との関係は疎遠になっていきました。しかし、数年経ってから、義母は「家族なんだから」と私たち夫婦にお金をせびってくるようになったのです……。結婚後、何かにつけて私のことをおとしめる発言を繰り返していた義母。親戚のお嫁さんたちと比べられ、見下されていました。私が大学を出ておらず、父子家庭で育ったことも、義母の暴言を助長させる一因だったようです。 嫁は赤の他人しかし、義母はあからさまに私のことを下げることはありませんでした。「悪いのはあなたじゃないのよ」と前置きして、「悪いのは嫁選びを間違えた息子」「息子の目が腐ってるだけなのよ」と言うのです。私が夫のことを悪く言わないでほしいと言うと、「息子の評価を下げたくないなら離婚でもすることね」と言われてしまうのでした。 呼ばれて親族の集まりに参加した時も、「他人のくせに図々しい」と義母から言われた私。義父は義母に同調していましたが、他の親戚のみなさんはあたたかく迎え入れてくれました。 私が親戚の方々に褒められたのも気に入らなかったのか、「今後親族の集まりには来ないで」「来月、息子の従妹の結婚式にも招待されてるだろうけど、空気を呼んで自分から欠席しなさいね」と言ってきた義母。これ以上義両親との関係を拗らせたくなかった私は、だまってうなずきました。そのまま、義両親とはだんだん疎遠になっていったのです。 華麗なる手のひら返し3年後――。 疎遠になったはずの義母から、突然電話がかかってきました。 「お父さんが働けなくなったことは聞いたでしょ?」「来月から20万の仕送りしなさいね」「え、私たち他人なのに…?」 私も夫から昨日聞いたばかりなのですが、義父は病気で退職せざるをえなくなったそう。毎日のように大酒を飲み、義母のしょっぱくて油っこい料理を食べ続けていたら無理もないな、と思ってしまいました。 「無理です」と仕送りを断ると、「私たちは家族でしょ!支えなさいよ!」と義母は怒鳴ってきました。「嫁は他人」と言って、先に私を仲間外れにしたのは義両親の方。今更家族などと言われても……。 挨拶もなく、いきなりお金の話を切り出してきた義母。突然お金をせびってくる他人に丁寧に接する必要はないでしょう。 「最初から他人任せにせず、自分で働いてみたらどうですか?」「図々しくて恥知らずなあなたたちにお金を貸してあげるほど、私はやさしくありません」 今までの鬱憤を晴らすかのように、一気に義母にまくしたてた私。すると義母は「もういいわ!息子に頼むから!」と言って電話を乱暴に切ったのです。 盛大なしっぺ返し30分後――。 「さっきはごめんなさいね……」「過去のことも謝るわ」「10万でもいいから仕送りしてくれない……?」と先ほどとはうってかわって、下手に出て電話をかけてきた義母。 きっと、夫からも断られたのでしょう。夫は私が義両親から他人扱いされていたことに、ものすごく腹を立てていましたから。 「実は借金もあって……」「家のローンも返し終わってないし……」「そろそろ私たちも介護のことを考えないといけないじゃない……?」と何かと理由をつけて、私たちに仕送りさせようとする義母。 家のローンならまだしも、義母の買い物でこしらえた借金まで面倒を見てあげるつもりはありません。そもそも、私は義両親にとっては他人なのですから。 「お願いだから見捨てないで……」 義母の悲痛な叫びにも、応えてあげる義理はありません。私が義両親を見捨てたわけではありません。先に義両親が私を他人として、切り捨てたのです。私と夫以外の身内に助けてもらえばいいんじゃないでしょうか? その後――。 夫は義母の態度に激怒。そのまま「縁を切る」と言って、夫と私は義両親とは絶縁しました。今は義実家からは遠く離れたところに引越して、夫婦2人で穏やかな生活を送っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月03日夫婦の性生活についてあまり深く考えていなかった私。気が付いたときには立派なセックスレス状態になっていました。今回は、私が経験したセックスレスについてお話しします。子育てで精一杯だった自分わが家は特にセックスレスという自覚がありませんでした。付き合っているときから結婚してからもしばらく定期的に性生活があり、ほどなくして子どもを授かりました。出産して、自然と性生活がなくなっていった形です。むしろ私は子どもが乳幼児のうちは、性生活がほとんどないことが普通と思っていた節すらあります。性生活にまで考えが至らず…とにかく子育てが大変で、性生活にまで考えを巡らせる余裕がありませんでした。もともと要領が良くない私にとって、子どもの毎日の世話を完了させるのがやっと。子どもを寝かしつけて、そのまま私も夢の中……という状態で、その後夜中に起きて日中できなかった家事に手を付けるという日々の繰り返しでした。そのころ、ふとわが家がセックスレスであることに気が付いたのです。このまま何十年も同じ状態だったらどうしたものか、と少し不安な気持ちもありましたが、性生活のための時間も気力も確保できず、どこの家庭もきっとそう大差はないだろうと半ば諦めの気持ちでいました。子どもの成長とともに変化がそうこうしているうちに数年がたち、子どもは幼稚園へ入園しました。久方ぶりに自分1人だけの時間が持てる状態になり、スケジュールとしても気持ちの上でも余裕が生まれたのか、子どもが幼稚園に通い始めてからは前よりあたふたとすることが減りました。そしてそのころから、また自然と性生活が復活したのです。性生活が定期化したある日、何げなく夫に「このまま性生活がなくなるのではないかと思っていた」と話してみました。すると、私が子育てで明らかに余裕がない状況なのに誘うことはとてもできなかった、と打ち明けられました。セックスレスについて気にしていたのは私だけではなかったこと、そして私の精神的な余裕ができるまで待ってくれたことに、申し訳なさとありがたい気持ちを感じたことを覚えています。まとめ今回のセックスレスは、私の場合は時間の流れが解決してくれたようなもの。次に同じような状況になったとき、同様に解決に至るとは限りません。もし今度セックスレスが起こったら、そのときは自分を顧みて、解決のために動こうと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/江田 うさぎ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月03日私は28歳の会社員で、同じ歳の夫と結婚したばかりです。結婚後初めて義実家を訪問すると、義両親は私たちをとてもあたたかく迎え入れてくれました。義両親はとてもフレンドリーな人で、結婚後も仲良くできると思っていました。しかし、実際に結婚してみるととんでもない本性をあらわしたのです……。 お茶ゲームって…?「自分の家だと思って、ゆっくりしてね」と言ってもらい、私はつくづく幸せ者だと思っていました。 するとそこへ、義母が満面の笑みでお茶を運んで来て、突然「わが家恒例のお茶ゲームの始まりよぉ~♪」と言い出し、夫と義父は盛り上がり始めました。 目の前には、1つだけ色の違うお茶が……義母は「ルールは簡単!この4つのお茶の中に、1つだけ特に苦いお茶があります! ハズレを引いた人はおいしいお肉を食べられませ~ん!」と言い始めました。今日のために高級和牛を取り寄せてくれたそうなのですが、一人だけ食べられないと言います。 私は他の罰ゲームを提案しましたが、3人は「そんなの面白くない!」と一蹴。そして、義母が4人の席の前へお茶を配り始めました。 しかし、私の前に置かれたのは、明らかに1つだけ色の違うお茶だったのです。 これは仕組まれてる!ゲームなのに自分で選べず、明らかに自分だけが違う種類のお茶を置かれたことに違和感を抱きながらも、「それじゃ、一斉に飲むわよぉ~」の掛け声で一気飲みすることに。 案の定、私がハズレでした。あまりの苦さに苦しむ私を見て3人は大笑いし、「ルールはルールだから」と3人だけでおいしそうなステーキを食べていました。 その日以来、義実家にお呼ばれするたびに謎のゲームをさせられ、毎回私がハズレを引き、夕食抜きにされたり、家事をやらされたりと散々です。 母をかばう夫ある日、私は夫に「あれはどう見てもお義母さんがわざと私にハズレのお茶を置いてるよね? 色が違うんだから見たら分かるでしょ」と言うと、夫は「母さんがそんなことするはずがないだろ?」と不機嫌になるばかり。 私のことを陥れる義両親にも、全くかばってくれない夫にも不信感が募りました。そして、次に義実家に呼ばれたときには、私の気持ちは固まっていました。私が提示した罰ゲーム義実家でお茶ゲームが始まると、また私の前には一つだけ色の違うお茶が置かれました。私は「私がハズレだったら離婚しますね」と宣言。夫は驚いていたものの、義両親はなんと大賛成! 夫が私のお茶と入れ替え慌てて飲むと、あまりの苦さに吐き出してしまいました。義母は「あ!なんで入れ替えたの!? これはとびきり苦いお茶だから、あなたは飲んじゃだめ!」と本音を言ったのです。 意地悪な義両親のその後義母がわざと苦いお茶を私に出していたことを、これまで信じようとしなかった夫は、顔面蒼白になりました。私は価値観の違いを理由に、離婚を告げました。 義両親は知らなかったようですが、実は夫の給料は少なく、ほぼ私の給料で生活していました。家も私のものなので、離婚後夫は出て行くしかありません。 最初は息子が戻ってくると喜んでいた義両親でしたが、夫が薄給で家にお金を一切入れられず、食費などの負担が増えたのに家のことは何もしないため、大変な思いをしているとのこと。今さら後悔しても後の祭りです。 息子の妻を目の敵にして、両親揃って意地悪をするなんてひどい話です。こういうとき、せめて夫には味方でいてもらいたいものですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月02日私は数年前に、小学生の娘を連れて夫と再婚しました。その後、夫との間には2人の娘ができて、家族5人で幸せな日々を送っていました。長女に冷たい夫長女が高校生になり、次女と三女も大きくなったころから、夫の様子が少しおかしいと感じるようになりました。下の娘2人はかわいがるのに、長女に対して冷たい態度を取ることが多くなったのです。長女もそれに気付き、気にしている様子でした。思い切って、夫に長女のことをどう思っているのかを夫に聞いてみると「そんなことない」とのこと。私と長女が気にし過ぎているのかもしれないと思い、もう少し様子を見ることにしました。明らかになった夫の本性その2カ月後のお正月、家族で実家に遊びに行きました。私が片付けをしている間に、子どもたちは母からお年玉をもらったようで、とても喜んでいました。しかし帰宅すると、長女が自分のお年玉袋には10円しか入っていなかったと言いだしたのです。私はすぐに母に確認をしました。「メグミのお年玉10円ってなんで?」「ちゃんと1万円入れてあんたの夫に渡したけど…」「え?」私が片付けをしていたため、母はそれぞれに渡すお年玉の額が妥当かを夫に確認したそう。その際に夫が一時的にお年玉を預かっていたようです。私が夫に確認すると、夫は開き直ったようにこう答えました。「10円を代わりに入れたじゃん」と。私はこのとき、やはり夫は連れ子である長女のことはかわいく思っていなかったのだと確信しました。夫の本性を知った私は離婚を切り出しました。夫からは、「それくらいで離婚したら後悔するぞ」と言われましたが、私はこんな性格の人と一緒には暮らせないと思い、気持ちが変わることはありませんでした。長女に笑顔が戻った後日、離婚することが決まり、子どもたちを連れて実家へ戻りました。夫には、今後子どもたちとは一切会わないよう、約束させました。それから私は、母と子どもたちと一緒に幸せな日々を送っています。長女に嫌な思いをさせてしまった過去は戻りませんが、以前より笑顔が増えた子どもたちがずっと幸せでいられるよう、尽力していきます。--------------子どもからお年玉のお金を奪うなんて、とんでもない夫でしたね……。しかし、これまでは確信できなかった夫の本性が、この1件で明らかになり、早く離婚できてよかったですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年01月01日私の夫は長男のため、義両親から「少しずつお墓やお寺のことをよろしくね」と言われていました。私の実家ではお盆やお彼岸にお墓参りへ行く程度だったため、義実家でも同じようなことだろうと思っていたのですが……。 入信だなんて、聞いてない! 夫の実家がお世話になっているお寺は、毎年大晦日に集まりがあります。結婚前にも1度参加したことがあったので、その年も気軽な気持ちで参加して、そのあと初詣に行く流れでした。しかし、お寺の集まりの終盤、住職から名前を呼ばれ「新しく入信された○○さんです」とみんなに紹介されたのです。義両親が勝手に私の申し込みをしたらしいのですが、夫も私も入信するなんて聞いていません。 翌日、義実家を訪問して入信について問い詰めると、義父は「家族なんだから同じお寺に加入するのは当たり前だろ」と言うのです。相談もなしに勝手に加入させられるのは良い気分ではないこと、私が悲しい気持ちになったことを夫と2人で伝えました。 義父は身勝手な行動だったことを反省し、謝罪。夫が「お墓の管理はするけど、お寺の集まりには行きたくない」と伝えると、義両親は承諾してくれました。入信の件についても、あとからどんなお寺なのかを聞いて納得はしたので、とりあえず入ったままにしています。今回の問題点は、話し合いが足りなかったこと。この出来事をきっかけに、お互いの気持ちや意見をきちんと伝えるようになり、すれ違うことがなくなりました。 作画/ひのっしー著者:佐藤のぞみ
2024年01月01日私が小学5年生の時のこと。学校生活は充実しているけれど、同じクラスのとある男の子が授業中に騒いだり、嫌がらせをしたりするのです。この男の子は私だけでなく、私の母のこともからかってきました。授業参観のときの母の服装を見て「だっせぇ~」と笑い出したことも。私はその都度「そういうこと言うの、やめて」と注意をしましたが、聞く耳を持ってくれません。 運動会当日、ド派手な保護者が現れて運動会当日、運動場には保護者が集まって、大にぎわいです。そんな中、誰よりも目立つ服装と香水の香りをばらまいて、運動場に高いヒールを履いた母親が現れました。その隣には筋骨隆々の男性が笑顔で立っています。 そう、この2人こそが、私を困らせてくる男の子の両親なのです。運動場でみんなが譲り合ってレジャーシートを敷いている中、この両親は数家族分ほどもあるシートを広げ、うしろの人が見えなくなるなんてお構いなく大きな日傘をさしており、周りも怪訝な顔をしていました。 母親の服装に悪口を「俺のママとパパ、カッコイイだろう♪ 俺のパパは元陸上選手だから、最後の保護者リレーはアンカーなんだぜ!」「お前の母ちゃん、また同じ服? だっせぇ~俺のママを見習えよ!」と大勢の人の前で、自分の両親の自慢や、母の悪口ばかり言ってきます。 そして待ちに待ったお弁当タイム。男の子は母のお弁当を見て、「お前の家の弁当、昭和かよ~」「俺の弁当は料亭に作らせたんだぜ」とお弁当にも嫌味を言ってきます。私は母の愛情がたっぷり詰まったお弁当を食べて元気いっぱい! でも嫌味ばかりの男の子にイライラしていました。 保護者対抗リレーのアンカーに!?何を言われても笑顔で対応している母を見て「どうして怒らないんだろう」と思っていました。母は私に小声で「まぁ、見てなさい」と笑顔でつぶやきました。 運動会も終盤に差し掛かり、保護者対抗リレーの番。あの男の子の父親が陸上選手だったということで、会場は大盛り上がり。しかも、うちの母もアンカーということが判明。さすがに元陸上選手に勝つのは難しいと思っていたのですが…… 母のチームはビリだと思いきやこの父親は「俺もアンカーだから、こりゃ早歩きしてあげないと可哀想かな」と挑発してきました。親子揃って嫌味な似た者同士。そして母は「そんだけ自信満々なら、ちょっと勝負しませんか? 勝った方が負けた方の言うことを一つ聞くということで」と勝負を挑みました。 そしていざリレーが始まると、母のチームは一番ビリ……。勝ち目はないなと私はがっかりしていましたが、アンカーの母にバトンが渡ったとたん、砂埃をまき散らしながら猛スピードで駆けだしました。 みんながあっけにとられている間に、母があれよあれよと前にいた人を追い抜かし、トップでゴール!一躍有名人になりました! 私の母も元陸上選手だったのです。 守らせた約束母は男の子の両親に「約束は守ってもらいますね」と言い、これまでの男の子の失礼な言動をすべて親に伝えました。「自分の子を、人を傷つけない思いやりのある子に育ててください。これが私の要望です」と両親に言ったのです。 「人が嫌がることをして笑うような子に育てたら、恥をかくのはお子さんだけじゃない。あなたたち親もです。そのためには、まず親であるあなたたちが、恥をかかないように態度を改めるのが先だと思います」と。 男の子の両親はハッとしたのか、これまで息子がしてきたことを謝り、気まずそうに帰っていきました。 子どものしつけは親の責任。まずは親自身が子どものお手本になれるような大人でありたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月01日弟が連れてきた婚約者は、私を見下している会社の後輩でした。素直に喜べなかったものの、弟が決めた人なら何も言うまいと決めていた私。しかし、後輩は私が義姉になることが気に食わなかったようで……?「結婚したい人がいる」と言って、恋人をわが家に連れてきた弟。その恋人は、私の会社の後輩だったのです。その後輩は普段から周りの人を見下しているので、正直私は苦手……。しかし、弟が選んだ人だからと、顔合わせの時は何も言いませんでした。 結婚の挨拶を終え、わが家を去った後輩。すぐさま私のもとに「先ほどぶりでーす」とメッセージを送りつけてきて――? 後輩の脅し「美人で頭の良いお姉さんがいるって聞いてたのに……まさか会社でパシリにされてる先輩だったなんて」と、いきなりひどいことを言ってくる後輩。「義姉になるからって調子に乗らないでくださいね?」「こっちは先輩が家族になるってだけで萎えてるんですから」と続けざまに暴言が届きます。 でも、強かな後輩は私に釘を刺すのも忘れていないよう。「私とは会社で仲が良いってご家族には言っておいてくださいね?私も一応話を合わせてあげますから」「ご家族に会社ではパシリにされてるってバレるのは嫌でしょ?」と脅しまでかけてきます。 こんな後輩ですが、弟が決めた人ですから、私は横やりを入れるつもりはありません。それに、私は与えられた仕事をしっかりこなしているだけ。後輩のグループからは嫌われているようですが、上司からはお褒めの言葉をいただいているので、認められていると思うのですが……。 後輩は総務の事務仕事に飽き飽きしているようで、「そのうち花形の営業職か企画に移動するんで、それまで先輩は私の残業処理係ってことで」と調子の良いことまで言ってきました。 さらに、「彼氏の実家に行くたびに先輩と顔を合わせるのが嫌なので、とっとと自立して一人暮らししてくださいね?」「私の人生にできるだけ関わってほしくないんです」とまで言ってきた後輩。 私は昨年まで一人暮らしをしていました。母が病気で手術をすることになり、その術後の世話のために実家へ戻ったのです。何も事情を知らない後輩から「出ていけ」と言われる筋合いはありません。 弟の結婚相手はこの後輩で本当に良いのでしょうか……。不安な気持ちを抱えながら、私はスマホを置きました。 辞めさせたのは…数カ月後――。 「先輩~!主任に頼まれた資料、今日中にお願いしまーす」と、いつものように個人的なメッセージで仕事を私に押し付けてきた後輩。しかし、それは主任が直接後輩を指名して任せた仕事のはず……。 「今日は仕事が終わったら彼氏と新居の内見に行くので」「かわいい弟嫁のお願い、聞いてくれますよね?」とおねだりしてくる後輩。まだ籍も入れていないのに、何を言っているのでしょうか……。 「私も仕事があるから手伝うのは無理だよ」と言うと、「は?手伝うとかじゃなくて、全部やれってことなんだけど?」と態度を豹変させた後輩。 そして、「あんたさぁ、まだ自分の立場がわかってないの?」「一応先輩だからおおめに見てあげてたけど、あんたくらいのザコ、すぐにでも会社辞めさせられるからね?」と脅してきたのです。 「営業部に行った私の同期、覚えてます?あれ、辞めさせたの私なんですよ」「さえないモブ女のくせに花形部署に行くから、ちょっと嫌がらせしてやったんです」「メンタル弱いくせに調子に乗るからいけないんですよ」 なんてひどいことを……と、私が眉をひそめると、「先輩もそうなりたくないでしょ?」とさらに威圧してきた後輩。私はうなずくしかありませんでした。 結婚祝いに300万!?機嫌を直したのか、後輩は「結婚式の招待状、受け取りましたよね?」と話題を変更。「相談なんですけど、結婚祝いは300万円包んでくださいね!」と突拍子もないことを言い出しました。いくらかわいい弟の結婚とはいえ、そんな大金は出せません。 「実家暮らしで彼氏もいない先輩なら、さぞかし貯金も貯まってるでしょ?」「私は結婚しても仕事を続けるし、先輩のご両親にもとーっても気に入られてるから、あんたのことをどうにでもできる存在なのよ?」と、私を見下す発言を繰り返す後輩。 「きちんと正しい行いをしていれば、ちゃんと見てくれてる人もいるって私は信じてるから……」と返すと、「そういうきれいごとはこの社会では通じないって」「はっきり言って、あんたの味方なんてこの世にいないと思うよ」と一蹴されてしまいました。 「このやり取りを弟に見せてもいいの?」と言うと、「そしたらあんたがトーク画面を偽装したってことにして、大泣きするわ」「あんたより私の方が信用してもらえるだろうし」と返してきた後輩。 これも弟が幸せになるためだ……と思い、とりあえず「ごめんなさい、私が悪かったわ」と謝りました。「わかればいいんですよ~。あんたみたいなブス女は、私のような人間に使われるのが役目なの」「資料、ちゃんと今日中に終わらせておいてくださいね♡」というメッセージとともに、資料に使うデータがメールで送られてきました。こういう時だけ対応が早いんだから……。仕方なく、私は後輩の仕事まで片付けたのでした。 実は私は…2カ月後――。 「ちょっと先輩」と、後輩からメッセージが。「まだ結婚祝いもらってないんだけど?」「いつ払ってくれるんですか?」と結婚祝いの催促をしてきたのです。 「なんで現金でほしいの?」「結婚式の時に渡すんじゃダメなの?」と尋ねてみると、「あと少しで結婚式なのよ!エステや美容医療、そのほかにもいろいろお金がかかるの!」との返答が。どうやら弟に黙って、300万円を自分だけのものにしようとしているようです。 「独身キモ女を結婚式に呼んであげるんです」「300万くらいさっさと払ってくださいよ」「これ、弟も見てるよ~w」 たまたま実家に帰ってきていた弟。弟に声をかけて、後輩からメッセージが届いた瞬間からやり取りを見守っていてもらったのです。後輩の本性を知ってドン引きした弟は、すぐさま「結婚を考え直したい」と後輩へメッセージを送っていました。 「ちょっと待って!先輩なんとかしてくださいよ!」「じゃなきゃ本気で会社にいられないようにしますよ?」と、こんな状況になっても私を脅して思うままに動かそうとする後輩。 そこで、私も「どうぞ、やってみて」と返しました。あの後輩に一体何ができるのでしょうか。とても楽しみです。 数日後――。 あのやり取りをした翌日から、後輩は自宅待機になっていました。それもそのはず、私は人事であることを隠して、総務に潜り込んでいた身。「一部の社員が特定の人に嫌がらせをして退職に追い込んでいる」という報告を受けて、ひそかに調査を進めていたのです。 今まで辞めていったのがおとなしそうな子ばかりだったので、私もあえて目立たない社員のフリをしていました。そうしたら、すぐに後輩と後輩の取り巻きグループたちのいやがらせが明らかになったのです。 それを知った後輩からは連日謝罪のメッセージが。「本当は先輩のこと尊敬していたんです」「嫌がらせしてたことも会社にバレたし、婚約破棄もされそうだし、本当にどん底なんです……」とかなり追い詰められている様子。 しかし、すべては後輩の自業自得。自分の仕事を人に押し付けるだけでなく、気に入らない人を幼稚な嫌がらせで退職に追い込むような後輩に、会社としても払うお金はありません。 「本当に反省してます」と言う割に、私が何か返信すると「この会社に入るためにがんばったのに……」「何も結婚までダメにしなくても……」と文句ばかりの後輩。それを指摘すると、「年下のミスや過ちくらい、笑って許すのが先輩だと思いますよ!」とついに逆ギレされてしまいました。 仕事をサボり、他人を貶めることだけは一人前な後輩の気持ちなんてわかりたくもありません。 許す許さないにかかわらず、やられた方はいつまでも覚えています。反論する元気があるのなら、自分の未熟さと他人を傷つけたことを心の底から反省してほしいものです。 その後――。 後輩は普段の勤務態度と、嫌がらせで他の社員を退職に追い込んだことで解雇に。後輩の取り巻きも部署移動のうえ、減給となりました。 弟も後輩と婚約破棄。弟も相当落ち込んでいましたが、「入籍前に教えてくれてよかった」と笑えるくらいには回復してきました。 私の総務への潜入調査は終わり、今は人事に戻って勤務を続けています。人事にできることは限られていますが、不条理な嫌がらせにより退職に追い込まれる社員が出ないよう、これからもしっかりと目を光らせていきたいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月31日中学生のころ。まだ初潮を迎えていなかった私は生理についてよくわかっていませんでした。そのため、私のある行動で友人を困らせてしまって……。 母に持たされたアレ小学校で生理について学んだものの、よく理解していなかった私。母からも生理について詳しく話を聞いたことがなかったため、中学生になってもあまり生理の知識をもっていませんでした。 そんなある日のこと。母から「学校で突然なったら困るだろうから、かばんに入れておきなさい」とナプキンを渡されました。私は「何に使うの?」と聞いたのですが、母は「とにかく持っていなさい」とだけ言って、使い方などは特に教えてくれなかったのです。 友人から聞かれたことそれからしばらくして、中学校生活にも慣れてきたときのこと。休み時間に仲の良いA子ちゃんから「アレ持ってない?」と聞かれました。よくわからなかった私は「アレって?」と聞くと、A子ちゃんは「急になって困ってるの。今日持ってきてなくて……」と言います。 そこで、なんとなくA子ちゃんが言うアレは、母が持たせたナプキンのことかもと思った私。「たぶん持ってると思う」と言い、かばんの中を探し始めました。A子ちゃんは「もし出てきたら教えて! 他の子にも聞いてくるから」と言って、他の友人の元へ。 よくわかっていなくて…その後、かばんの中からポーチを見つけた私は、ナプキンを取り出し「あったよー!」とA子ちゃんに向かって大声で叫びました。すると、「えっ! ちょっと!」と慌てて駆けよってきたA子ちゃん。「恥ずかしいからそのまま出さないで。男子もいるのに!」と恥ずかしそうにうつむいてしまいました。 それから、家に帰って母にこの出来事を話すと「それはあんたが悪い! ……いや教えてあげなかった私が悪かったわ」と言われました。母は生理について詳しく説明をしてくれて、「生理は恥ずかしいことではないけど、A子ちゃんみたいに嫌な思いをする人もいるからあけすけに言わないように」と教えてくれたのです。 周りのことを何も考えず、ナプキンをポーチから出してしまった自分の行動を反省した私。翌日、A子ちゃんに「恥ずかしい思いをさせてごめんなさい」と謝ると、許してくれたのでホッとしました。 生理についてよく理解しておらず、友人に恥ずかしい思いをさせてしまった私。母からナプキンを持たされたときに、しっかり聞いておくべきだったなと後悔しました。現在、私も1人の娘がいる母親になったので、娘にはしっかり生理について教えてあげたいと思っています。 著者/高井かおる作画/加藤みちか監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 加藤みちか
2023年12月31日夫から何の取り柄もない、冴えない女だと思われている私。私を見下す発言を繰り返す夫に、私も嫌気がさしていました。そんなある日、夫から「新しい嫁を用意したからお前は帰ってくるな」と言われたのです……。夫の働く会社は女性社員が多く、とても華やか。結婚した時は「お前以上の女はいない」と言ってくれていた夫ですが、今は私をさげすむばかり。 女子力とは?「うちの女性社員ってみんな女らしいんだよ」「料理や裁縫が趣味だし、ネイルも綺麗にしてて、みんな美意識が高いんだろうな」「それに比べて……なんで俺の嫁はこんな低レベルなのかなー?」 結婚して4年。たしかに歳は取りましたが、毎日のように「劣化」「低レベル」と言われて嫌な気持ちにならないわけがありません。 「女は年を取ったら価値を失っていくけど、男の場合は渋みが出てきて良い味になるからな」「俺は出世が約束されたエリートだから、部下の女の子たちからも理想の男性だって言われてるし」と自慢気に話す夫。「お世辞って知ってる?」と言いかけましたが、私は慌てて口をつぐみました。 夫のまさかの発言1週間後――。 いつもより早く仕事が終わった私は、休みの夫に「久々に外食しない?」とメッセージを送りました。すると、「今日は19時までの予定だっただろ?」「せっかく1人の時間を満喫してたのに……」と文句たらたら。 「そんなに外食したいならお前1人で行けよ、ババアを連れて歩いても楽しくないだろ」と言う夫。 さすがの私も「あなただっておじさんじゃない、女性の年齢をいじったりするのは良くないと思う」「そういうのを会社で言ったらハラスメントになってしまうわよ?」「女の子にちょっと褒められたくらいで調子に乗って……私の年齢を悪く言う前に、4年で10kg以上太った自分自身をどうにかしなさいよ!」と言い返しました。 「うるせえ!ババアなんかに言われたかねーよ!」「女は25過ぎたら価値なんかないくせに!」「お前なんかもういらねぇ!もう帰ってくんな!」と夫。 そして、宣言通り、夫は私を閉め出したのです。鍵は換えられていなかったものの、チェーンで入れないようにされていました。さらに、私の荷物が玄関の外に放り出されていたのです……。 仕方なく、私は自分の荷物を持ってホテルに宿泊。1週間経っても夫がへそを曲げ続けていたため、ウィークリーマンションを借りてそこで一人暮らしを始めました。 何も知らない夫1カ月後――。 別居中の夫に、「話したいことがあるから、家に帰ってもいい?」とメッセージを送りました。 「お前もう帰ってこなくていいよ」「新しい嫁くるからw」「離婚届ももう出したからなw」「あんた何も知らないんだねw」 私は離婚届にサインした覚えはありません。どうやって出したというのでしょうか。 私の疑問はさておき、夫は機嫌良く「前々からババアの嫁は捨てたいと思っててさ、交際してた女の子にプロポーズしたんだ」「お前と違ってピチピチの若い女の子だよ」と不倫を露呈。 「不倫なら、私が慰謝料を請求しても問題ないよね?」と聞くと、「別に良いけど?どうせはした金だろ、くれてやるよ」と夫。 「その子は昨日うちに来る予定だったんだけど、ちょっと予定がずれたみたいでさ~」とメッセージを連投し続ける夫。 本当に何も知らないようなので、私は真実を教えてあげることにしました。 「どれだけ待っても不倫相手なら来ないわよ?」「もう連絡すら取れなくなってるんじゃないかしら?」 この1カ月間、私がおとなしくしているとでも思っていたのでしょうか。私は夫の会社の人に聞き込みを続け、不倫相手を特定したのです。そして、不倫相手の帰宅時間を見計らって待ち伏せし、直接話を聞き出しました。 彼女は今年入ったばかりの新入社員でした。田舎から上京したばかりで、右も左もわからない状態だった不倫相手。そこに下心を隠して近づいたのが、彼女の直属の上司である夫だったのです。 私が夫の妻であることを明かすと、不倫相手は泣きながら謝罪してきました。自分が何をしでかしたのかようやく気付いたのでしょう。 「なんてことしてくれたんだ!俺の計画をぶち壊しやがって!」「彼女を待ち伏せして脅すなんてどうかしてる!そんな異常なこと、頭がおかしい人間しかやらねーよ!」「そこまでして妻の座を奪われたくなかったのか?!」 別に、私はこんな男の妻の座に執着はしていません。私をさげすみ続けてきた男が幸せになるのが許せなかっただけです。 「……私の報復がこれで終わりだと思ってるの?」と送ると、夫は「何をする気だ……?」と怯えていました。 実際のところ、もうやれることは全部やりました。あとは夫が破滅していくところをあたたかな目で見守るだけです。 その後――。 夫と話す前に、私は根回しをすべて終えていました。夫の上司には「不倫相手を異動させて、夫と引き離してください……」と健気な妻を演じてお願いしましたし、離婚届のサインを偽造されたことについても弁護士に相談しました。もちろん、その後で正式な離婚届を提出しています。 不倫相手は自主退職したようですが、夫は私への慰謝料や離婚届の偽造の罰金を支払うために義両親や親族からお金を借りたようで、今でもあの会社で働かざるをえないようです。どこに行っても後ろ指を指されて肩身の狭い思いをしてるようですが、自業自得です。 一時期は元夫への憎しみにとらわれていた私ですが、最近になって新たな恋人ができました。年齢や容姿を揶揄したりしない、素敵な人です。新しい恋人との楽しい記憶で、元夫に関する記憶をすべて上書きしてしまいたいな、と思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月31日結婚後、夫は会社での人間関係に疲れ、退職。私は会社員として働きながら、落ち込んでいた夫を支えていました。毎日私に「迷惑かけてごめんな」と言っていた夫。しかし、夫の父親、つまり私にとっての義父が亡くなった途端、夫の態度が豹変したのです……。仕事を辞めてから、毎日のように「迷惑かけてごめん」「俺と結婚して失敗だったよな……」と私に言い、自分自身を責め続けている夫。私は励ましの言葉をかけ続けていましたが、あまり夫には響いていないようでした。 義父の死夫と2人なら私の収入だけでも十分暮らしていけるので、「のんびり新しい仕事を探せばいいよ」と言っていた私。そんな生活が約1年続き、夫もちょこちょこ求人雑誌などを見始めるようになっていました。 そんな時、義父が亡くなったのです。 心不全で急逝した義父。夫は「いまだに無職だし、亡くなった父さんに合わせる顔がない」と言ってしぶっていましたが、「最後のお別れなんだから」と私が引きずって葬儀に向かいました。 長男である夫が喪主だったのですが、夫は呆然として立ち尽くしているのみ。手続きや葬儀の手配は、ほぼ私が行いました。 そうしてバタバタしているうちに、あっという間に2週間が経過。「今週末もお義父さんの実家に行くよね?」と切り出すと、夫は「いや、いいよ」と一言。 そして、「俺たち別れよう」と切り出されたのです。 夫の本音は…義父が亡くなったショックから立ち直れていないのか、と不安になった私。いつものように「別に迷惑かけられたなんて思ってないよ……?」と言うと、夫はいつになく明るく「お前ってさ、ほんと馬鹿だよな~」と言い出したのです。 「俺、落ち込んでるようにちゃんと見えてた?」「お前、結構給料いいじゃん?だから俺が働かなくてもいいかもって思って、仕事やめちゃったんだよね~」 一瞬ぽかんとしたものの、私は「元気なら良かった……」と返してしまいました。すると、夫は「お前の取り柄ってやさしいとこだもんな」と笑いました。 「でも、離婚は決定だから」と夫。 「もうお前に愛情ないんだよな」「父さんの遺産が入るし、一緒に居る必要ないから離婚で」「いいけど、後でたよらないでね」「は?頼るわけないだろw」 仕事ばかりしている私に魅力を感じなくなったと言う夫。私が母親のようにあれこれうるさいことも気に入らなかったようです。これからは義父の遺産で自由に暮らしていきたいとのことでした。 さらに、「俺、他に好きな人いるし」と言い出した夫。この一言で私は打ちのめされてしまいました。そして、私たちはそのまますぐに離婚したのです。 やり直せない2カ月後――。 元夫から「最低な離婚をさせて悪かった」「一番幸せだったのはお前と一緒に過ごした時間だったってことにやっと気づいたんだよ」とメッセージが届きました。 はぁ? この一言に尽きます。離婚直後はショックで悲しみに暮れていた私。しかし、ちゃんと考えてみると、夫は最低なクズ野郎です。私と一緒に居た時間……つまり、私が働いている時間にぐーたら過ごして、他の女と不倫しているのが幸せだった、なんて言えるんですからね! 元夫のことを考えれば考えるだけ、腹が立ちます。と同時に、なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろう……という虚無感も。 「お義父さんの借金も相続しちゃったんでしょ?」「お金に困ったから私に連絡してきたってところ?」と聞くと、「知ってたのか!?」と元夫。 義父は生前、私に「借金があるから遺産は放棄しろ」と言っていたのです。しかし、遺産相続の手続き前に離婚したため、言うタイミングを逃してしまった私。元夫は義父の借金を背負って生きていく羽目になってしまったのです。 元夫に借金が発覚してから、不倫相手も姿をくらましたそう。「やっぱり俺のことを一番に理解してくれるのはお前だ」「女は若ければいいってもんじゃない、包容力があってやさしいお前みたいな人が一番だ」と私に甘い言葉をささやく元夫。しかし、もうその手には乗りません。 「もうあんたに愛情ないんだよね」とだけ言って、メッセージのやり取りを打ち切った私。その後も「俺を見捨てないでくれ!」「ちゃんと働くから!」「どうかもう一度俺と共に人生を歩んでください……」などのメッセージが届いていましたが、私は無視し続けました。 3年後――。 今、元夫がどうなっているかは知りません。しかし、元夫が相続した義実家は、売りに出されていました。きっと借金の返済のために売却せざるをえなかったのでしょう。 ずっと支えてきた夫に裏切られたショックはなかなか消えませんでした。しかし、幸運なことに、もう一度だけ信じてみてもいいかな、と思える人に出会えました。今は結婚は考えられませんが、私自身も内面をもっと磨き、お互いを支えられる関係であり続けたいと思っています。 もし、義父があの時に亡くなっていなければ、私はずっと元夫を信じ続けていたでしょう。元夫との関係を断ち切るきっかけを作ってくれた義父のお墓参りには毎年行っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月31日幼稚園に通う娘と夫と、3人暮らしを続けていた私。専業主婦の私がお金を使うのが気に入らない夫からは、毎月「生活費を使いすぎだ」と言われていたので、必要最低限のものしか買っていませんでした。しかし、最近では、私だけでなく、娘にかかる費用まで「無駄だ」と言い出すように。夫の暴言はエスカレートし、ついには「離婚してもいいのか?」と脅してくるようになったのです……。夫は会社員として働いていますが、そこまで給料が良いわけではありませんでした。私は生活費をやりくりし、自分の服や美容院代を娘の洋服やお菓子に回していました。 無駄無駄無駄ァ!夫は何かにつけて「生活費を使い過ぎだ」「無駄遣いが多い」と私を責め立ててきます。さらに、娘のお弁当の中身や洋服にもケチをつけ出したのです。 「ちょっと食いつきがいいからって、娘の弁当に金かけるんじゃねぇ」「子どもなんてすぐ大きくなるんだから、最初からデカいサイズの服を買っておけよ」「ちょっと娘を甘やかしすぎなんじゃないか?」 そして、気に入らないことがあると、すぐに「娘のおもちゃを捨てるぞ」と私を脅してくる始末。この頃から私は、夫との生活に限界を感じ始めていました……。 生活費が半分に!?1週間後――。 今月の生活費を夫からもらったのですが、中身はなんといつもの半分。さすがにこれでは暮らしていけません。 「俺の半分の収入で家族3人で暮らしているところもあるんだぞ」「お前が無駄遣いするから家計がギリギリになるんだ」「ただでさえ幼稚園の金も高いのに……。娘に金を使い過ぎなんだよ」 夫はそう言いますが、子どもの年齢や状況が違うかもしれないのに他の家族と比べられても納得がいきません。 「それだったら最近増えてるあなたの飲み歩きの回数を減らしてよ!」と私が言うと、夫は「俺は毎日汗水たらして働いてるんだよ!俺が稼いだ金を俺が使って何が悪い!」と返してきました。 こんなに我慢して節約しているのにと、私がくちびるを噛み締めていると、「次俺に口答えしたら離婚するからな」と、夫がいつもとは違う形で脅してきました。離婚届を差し出されて、仕方なくサイン。 切り詰められるところは、とことん切り詰めています。育ち盛りの娘の食費を削るわけにもいきません。私はどうしたらよいのか途方にくれていました……。 娘が高熱を出すと…1週間後――。 その日、朝から娘は高熱を出していました。私は娘を病院に連れて行くための準備をしていましたが……、財布がありません!どこにもないのです! 慌てて夫に電話すると、「お前の財布なら俺が持ってる」とすんなり白状。「病院でいくらかかるんだ?」「家に薬はあるだろ、それ飲ませとけば大丈夫だ」と、娘の病院代まで無駄だと言うのです。 「財布に入ってる保険証と医療証があれば無料なのよ!」「うちには一銭もお金がないの……、だから今すぐ帰ってきて、財布を返して!」 しかし、夫は「もう会社に着いたから帰るのは無理」「うちの金が使えなくなったから、今度は税金を使うんだな」「税金の無駄遣いってやつだ」と取り合ってくれません。 娘が苦しんでるのに……! 「もういい、あんたには期待しない」と言うと、夫は「お?そんなこと言ってもいいのかな~?」「こないだ離婚届書いたの忘れたのか?」「帰ったら出しちゃおうかな~」と煽り始めました。 「いいよ、私が出しておく」と告げると、「言ったな?マジで離婚するぞ?」とまだ私をおちょくる調子の夫。「あんたこそ離婚してから後悔しないでよね」と言うと、「するか」「専業主婦のお前が離婚できるわけないだろ」「俺が帰るまで土下座の練習でもしとけ」と言われたのです。 数時間後――。 「おい、お前らどこ行った?」「まさか病院じゃねえよな」「ガキなんて黙って寝かせてろって言っただろ!」「もうあんたの子はいないよ」 私は近くに住む両親に頼み、お金を貸してもらって病院へ。娘はインフルエンザでした。夫の言うとおりにあのまま家で寝かせていたら、もっとひどい事態になっていたかもしれません……。 母に娘についていてもらい、私は病院の帰り道に役所に寄り、離婚届を提出してきたのです。 離婚届を提出したことを話すと、「今すぐ訂正しに行け!」「俺は本気で離婚したいとは思ってなくて……。もう少し節約をしてもらいたかっただけで……」と夫。 「生活費は戻す!」「俺と暮らした方が絶対に良い生活ができるはずだ」と今更言われても、まったく心に響きません。自分だけは飲み歩き、妻と娘には少しの贅沢もさせない自分勝手な夫に用はないのです。 なおも「俺が金にシビアになってたのは、お前たちのためにマイホームを建てようと思ってたからだ」と言う夫。しかし、私は夫の貯金がほとんどないことも知っています。どうやら、飲み屋の女の子に入れあげていたようです。 何度謝罪されても、もうやり直すつもりはありません。専業主婦の前に、私は娘の母親なのです。大切な一人娘のためならば、誰にだって頭を下げるし、なんだってやります。 その後――。 私は離婚したこととその理由を義両親に話しました。最初は信じてくれなかった義両親。しかし、少し元気になった娘が「お菓子はいらない……パパが無駄だって怒るもん……」とつぶやいたのを聞いて、ようやく信じてもらえました。 義両親は元夫に激怒し、私への慰謝料と養育費を何が何でも払わせると鼻息荒くしていました。そして、私の両親と同じように娘のサポートを全力ですると約束してくれました。 順調に回復した娘と私は私の実家に戻り、娘は以前よりも笑顔で過ごしています。やはり、大声で怒鳴ったり、無理な節約を私に求めたりする元夫の姿を見て、幼心に思うところがあったのでしょう。 これからは、両親や義両親の力を借りながら、娘がのびのびと生活できるように全力で働き、愛情を注いでいこうと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月30日普段から自己肯定感が低い私。明るく人を笑わせることが大好きですが、本当は周りを気にして言いたいことが言えないことも……。同僚に言われた言葉そんな私の性格を見抜いていたのか、同僚とお昼ごはんを食べているときに、「あんたさ、そんなに人に気をつかっていたら疲れるでしょ。でも、そこが良いところよね、人の悪口をあんたの口から聞いたことない。これってすごいことだよ」とポツリと言われたのです。自分を見てくれている人がいる人からこんなことを言われたのは初めてで、「お世辞ではなく心からそう思う」と言ってくれてとてもビックリしました。自分が思っている以上に、自分を見てくれている人がいるんだなと思いました。まとめこの同僚のおかげで「自分が信じてやってきたことは間違いではなかった」と思えて、少し自信がついたのです。とてもうれしい言葉で救われました。今でもお互いを励まし合う、心強い味方です。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/サトウユカ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月30日私が中学3年生のときの話です。高校受験を控え、夜遅くまで勉強する毎日。ずっと勉強している私のことが心配なのか、母がずっと「そろそろ寝なさい」「ちゃんと野菜も食べなさい」と小言ばかりで、勉強の邪魔ばかりしてくるので鬱陶しく思っていました。イライラした私は、「何時まで起きてようが私の勝手でしょ? いちいちうるさい!」ときつい言葉で返してしまうこともしばしば。私は、家族の面倒ばかり見ている母のような人生は送りたくないと思っていました。 母に「こんなダサいお弁当箱も恥ずかしい!」私の通う中学校は給食がないので、毎日お弁当を持って行きます。母が毎朝お弁当を作ってくれるのですが、毎日卵焼きとウィンナーやきんぴら、煮物など茶色おかずばかりで、友だちの前で食べるのが恥ずかしく、嫌でした。 ある朝、また茶色いお弁当を手渡してきた母に「お母さんのお弁当、もう飽きちゃった。こんなダサいお弁当箱も恥ずかしい!」と思いをぶつけてしまいました。そして、「今日からコンビニで買うから」と宣言したのです。 コンビニ弁当を食べ続けているうちにしばらくはコンビニのお弁当や菓子パンを選ぶのが楽しかったのですが、少しずつ飽きてきてしまいました。そのうち疲れを感じるようになり、夜もよく眠れません。加えて、ニキビと便秘にも悩まされるようになってきました。 次第に母のお弁当が懐かしく、恋しくなってきたのです。 母が救急搬送!?授業中に母のお弁当のことを考えていると、教頭先生が「お母さんが救急車で病院に運ばれたらしい! すぐに行きなさい!」と教室に駆け込んできました。 母に酷い言葉を言ってしまった後悔で胸が痛む思いをしながら、病院へ向かいました。父の話によれば、駅で足を滑らせて階段から落ちてしまったのだそうです。命に別状はないものの、しばらく入院することになりました。 母が電車で出かけていたのは、私のために新しく、かわいらしいお弁当箱を購入するためだったのです。 ありがたみを知ってその事実を知って、私は「お母さん、もう会えないのかと思っちゃったよ……」と、母の前で大泣き。入院中は家族みんなで家事を協力しながら頑張ると伝えました。 私は料理担当になったのですが、想像以上に大変でした。献立を考えて買い物に行き、料理を作って片づける……さらに母は栄養面も考えてメニューを工夫してくれていたようです。大変さを身をもって思い知り、これを毎日続けてくれていた母へ、感謝と罪悪感の気持ちでいっぱいになりました。 入院中、母がしていたこととはその後、母は無事退院し、ある朝またお弁当を作ってくれました。ピンク色のかわいいお弁当箱。蓋を開けると、まるで雑誌に出てくるようなカラフルでおいしそうなお弁当が!母は入院中、お弁当づくりの本や動画を見ながら勉強をしていたとのこと。 私があんなにひどいことを言ったのに、母は笑って許してくれ、その上私のために努力までしてくれたのです。私は泣きながらようやく謝ることができました。親がいつもそばにいて、お弁当を作ってくれることは当たり前ではありません。日々感謝をして、気持ちを言葉で伝えられるといいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月30日子どものころから胃腸が弱い私。30歳になってからおなかを壊す頻度が多くなり、30代後半からは1週間に1回おなかを壊すようになりました。本気で悩んだ私が腹痛を改善するためにおこなった2つの方法を紹介します。1週間に1回の頻度でおなかを壊す体質にもともと胃腸が弱く、子どものころからよくおなかを壊していた私。ですが、冷たい飲み物やアイスクリームを食べてもおなかを壊すことはありませんでした。 30代になると胃腸の動きが悪くなったのか、だんだんおなかを壊す頻度が多くなり、40歳手前のころには1週間に1回おなかを壊す状態に。このころは原因不明の腹痛でおなかを壊したり、冷たい飲み物を飲んだときやアイスクリームを食べたときにもおなかを壊したりするようになっていました。例えば友人とレストランやカフェに行き、ミニパフェを食べた後におなかを壊したり、フローズン状のドリンクを飲んだら「もう二度と飲まない」と思うほど、ずっとトイレから出られなかったりしたこともありました。ただ冷たい物を食べたあとにおなかを壊すのは理解できたのですが、1週間に1回おなかを壊す理由がわからず、改善しないまま40歳になりました。腹痛改善方法1:養命酒を飲む40歳になったころ、とあるテレビCMを見ました。それは養命酒のCM。子どものころに祖母からよく「体を温めるとおなかが痛いのが良くなる。養命酒は体が温まるよ」と言われていましたが、アルコールが入っているので飲めませんでした。それをふと思い出し、わらにもすがる思いで「試してみようかな」と思いました。早速次の日仕事帰りにドラッグストアへ行き、養命酒を購入しました。用法・用量は、「成人の場合1回20ml、1日3回、食前または就寝前に服用」とのこと。仕事をしているのでお昼には飲めませんが、朝もあまり良くないかなと思い、初めは夕食前に1回だけ飲むようにしました。1カ月ほど続けてみましたが、あまり効果は感じませんでした。おなかを壊さないようにするにはほかに何をすれば良いのか思いつかないし、そのままやめてしまうのももったいないと思ったので養命酒を1日に2回飲むように。夕食前の1回のほか朝に1回追加で飲むようにしましたが、幸い会社には歩いて行ける距離に住んでいたので問題はありませんでした。その後、2週間くらいするとうれしいことにおなかを壊す頻度が減ってきました。「これは効くのでは?」と期待した私。なんと、1カ月ほど過ぎるとおなかを壊さないようになったのです。腹痛改善方法2:腹筋運動養命酒は1、2年続けました。本当によく効いて、頻繁におなかを壊していた私には救世主でした。ですが、あることがきっかけで養命酒をやめることに。それは「腹筋」でした。私は30代前半に少し病気をして、そのときに筋肉が相当落ちたことがありました。それは体感でもわかったし、スポーツジムで筋肉量を測定したときにも気が付いていたことでした。「このままでは良くないだろうな」と思ってはいたものの何もしなかったのですが、42歳のある日、少しおなかが出てきたからという理由で腹筋をしようと決めました。YouTubeで結構キツそうな動画を見つけて毎日その動画で9分間頑張りました。それから1、2カ月ほどたったころでした。養命酒がなくなったのに購入するのをずっと忘れていて、飲まない状態が1カ月くらい続いたのです。「おなかが痛くなるかな……」と思っていたのですが、養命酒を飲んでいないのにもかかわらず、おなかを壊しませんでした。腹筋を始める前にも時々飲まないことがあったのですが、そのときは必ずおなかを壊していたので非常に驚きました。養命酒を飲み始めてから腹筋以外の生活習慣は何も変わっておらず、それ以外におなかを壊さなくなった理由は考えられないと思いました。まとめ子どものころからおなかを壊しやすい体質なので、絶対壊さないかと言うとそうではありませんが、本当に悩んでいたころに比べたらとても改善しました。1週間に1回おなかを壊していたときは遠出をするのも苦痛でしたが、今は気にせず外出ができています。養命酒には本当にお世話になりましたが、低コストという面では筋トレが一番良いと思いました。テレビやスポーツジムに行っている友人などから「筋肉があると体が温まる」と聞いたことがあったのですが、子どものころに祖母から聞いた「体を温めるとおなかが痛いのが良くなる」と通ずると思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/サトウユカ著者/葉月(44歳)自分のしたいことを追求しすぎて、結婚もせずアラフィフ直前に。楽しく自分らしく生きるために日々模索中。栄養士・調理師の資格持ち。趣味は料理とパン作り、食べ歩き。
2023年12月30日なかなか物を捨てられない私。肌着としてキャミソールをまとめて5枚購入していましたが、そんな性格が元で恥ずかしい思いをしたエピソードをご紹介します。 え、私から…?なかなか物を捨てられない私は、肌着としてキャミソールをまとめて5枚購入していました。しっかり洗えば長く着れると思い、多少生地がよれてきても着ていたある夏の日。会社に着くと汗の臭いが。「え?急に?臭う?夏だから?」と思っていましたが、こっそり身体中嗅いでみると、数年着ているキャミソールから放たれていたのです。 挙句の果てには制服にまで臭いが移っているような気がして、すぐ捨て新しいものを調達しました。周りにも臭っていたのか否か。臭いに気づいた瞬間は恥ずかしくていたたまれなかったです。 勿体ないからという理由で、ボロボロになるまで着ようとしても肌着にもやっぱり寿命があるんだなと感じました。無理に長く着るのはやめようと思い、今はシーズン毎に買い替えています。新しい良いものを身に着けることで自分の気持ちも上がる気がしています。 作画/マキノ 著者:守山一二三中小企業で、毎日奮闘する30代会社員。
2023年12月30日35歳専業主婦の私は、同じ年の夫と小学4年生の娘と楽しく平和に暮らしています。ところが、そんな仲良し家族の私たちにとんでもないことが起きたのです。それは、近所に新しくできた高級寿司店に家族で行ったときのことで……。後から来た客の態度に「?」最奥のカウンター席に並んで座り、和やかに食事をしていた私たち。しばらくして、スーツ姿の男性が入って来たのですが……。「ナゴミさまが来てやったぞ!」と大声を出し、勝手に逆側の奥の席にドカッと腰掛けたのです。自分を「さま呼び」し、案内される前に座り込む様子に、私は遠目ながらビックリ。「あの人、何?」と、小学生の娘でも一瞬でわかるくらいマナーのなっていない人でした。予想通りその男性は横柄な口調で注文を始め、合間に何度も「俺はエリート銀行員だ」と繰り返しています。大将も困惑気味で、「はぁ……」と相づちを打つのが精いっぱい。さらに、高級寿司店は初挑戦というサラリーマン風の男性2人が遠慮がちにのれんをくぐってきたのですが、この「ナゴミさま」が高笑いを始めたのです。突然マウンティング開始「お前たち、みすぼらしい見た目からして零細企業の底辺会社員だろ? 俺は大手銀行で何億円も動かすエリート。一流バンカーの年収を聞きたいか?」ポカンとする2人には構わずに、ナゴミは意味不明なマウンティングを展開。ドン引きした彼らは、食事をせずにすぐ帰ってしまいました。さらにナゴミは、苦言を呈した大将にも「客に偉そうなことを言うな!」と逆ギレする始末。遠くにいた私たちのイライラも募っていきました。小一時間ほどして先に食事を終えた私たち。ふんぞり返るナゴミの横を通り過ぎたそのとき、娘が「器の小さい人」とつぶやいたのです!小4ながら聡明で考え方も成熟している娘はしばしば鋭い指摘をするのですが、これにナゴミは大激怒。「生意気なガキと貧乏くさい親子が高級店に来やがって……。早く帰れ!」と怒鳴っています。しかし娘は、「あなたこそ、このお店で調子に乗って大将に迷惑かけたら大変なことになるよ? 私の顔、よーく覚えておいてね」とすまし顔。「ガキに何ができる、さっさと出ていけ!」とわめくナゴミを置いて、私たちは帰路に着きました。小4の娘にも逆ギレ?数日後。私たちは娘のたっての願いで、彼女の誕生日にこの高級寿司店を再訪。大将も先日のことを謝りながら、海鮮で作った誕生日プレートを用意してくれました。大好物のたまごも乗った特別メニューに娘も大喜び。ところがその瞬間、あの嫌な大声が聞こえてきて……。娘を見るなり、「お前らまたか。貧乏人は来るなと言ったろ!」と文句を言い始めたナゴミは、誕生日プレートを目にして逆上。「ちゃちいサービスはファミレスでやれよ! 俺さまの行きつけでガキくさいことはするな」とお皿を取り上げようとし、はずみでたまごが地面に落下してしまったのです。落ちたたまごと怒りでうち震える娘を無視したナゴミは、高飛車な態度を続けます。「こうなったら俺がこの店をプロデュースしてやるよ。そうすりゃ貧乏人お断りで繁盛間違いなしだ」真っ青になった大将は、どこかに電話をしている娘のそばに駆けつけて悲鳴を上げました。「店舗プロデューサーならもう、ここにいらっしゃいます……!」実はこの子…誰のことだよ、とせせら笑うナゴミに、電話を切った娘が名刺を渡して宣言しました。「私がここのプロデューサー兼オーナーです」「はぁ? 何言ってるんだお前ら」ガキのままごとだ、くだらない冗談だ、ニセの名刺まで作りやがって、とバカにするナゴミでしたが、大将も「彼女は飲食業界で名高い天才少女です。多くの飲食店のオーナー兼店舗プロデューサーとして活躍されています」と証言してくれました。それでも信じないナゴミを前にして、娘は言い放ちました。「さっき電話しておいたから、もうすぐ嫌でもわかるよ。今回は絶対に許せない!」傲慢銀行員の末路間髪おかず、ナゴミの携帯に着信が。目の前で電話を取ったナゴミは、みるみるうちに青ざめていったのです。「支店長! は……? 今すぐ謝れ……?」途端にしどろもどろになったナゴミ。娘は容赦なく告げました。「大将も他のお客様もお料理も大事にしない人にプロデューサーなんて務まらないし、銀行員としてもダメね。大金を預けた顧客の顔と名前くらい覚えていなさいよ」後日ナゴミは、銀行名を振りかざした横柄な態度でさまざまな問題を起こしていたことが判明し、解雇されてしまったそうです。娘はといえば、相変わらず天才少女として辣腕(らつわん)を振るい、あの高級寿司店も大評判。これからも家族3人で、仲良く食事に行こうと思っています。--------------飲食店を複数経営していて社会の一般常識もわきまえた小4の天才少女と、大手銀行に勤めていてもマウンティングばかりで傲慢(ごうまん)な大人……。なんとも情けない構図ですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2023年12月29日息子を出産したばかりの私。会社員の夫は激務で帰りは遅く、慣れない育児に翻弄されつつも、私はなんとかワンオペで息子の面倒を見ていました。しかし、そんなある日、突然義母から怒りの連絡が来たのです――。仕事が忙しすぎて、出産にも立ち会えなかった夫。その後も連日帰りが遅く、私が退院してからも日付が変わってから帰宅していました。 夫は激務私にとって初めての育児。事前に育児雑誌やネットで情報は集めていたものの、実践となるとうまくいかず……。夫の助けを借りられないこともあって、私は心身ともに疲れ果てていました。 そこで、私は実母よりも近くに住んでいる義母を頼ろうと決意。夫に「お義母さんにお手伝いしてもらえるよう頼んでもいい?」と聞いてみると、「母さんは多分無理だな」「おじさんが怪我したらしくて、しばらく親戚の家に行ってるんだよ」との返事が。 夫も私たちのことを気にしているようで、「来月になったら早く帰れるようになると思う」「シッターさんも検討してみて」と言ってくれました。しかし、その直後、夫は不思議な質問をしてきたのです。 「なぁ、生後1カ月くらいの子って1日に何回くらいお通じがあるものなんだ?」 いきなりの質問に私は戸惑いつつも、「うちの子は5~6回くらい」と答えました。夫によると、取引先の人にうちと同じ月齢の子がいて、便秘で悩んでいるそうです。私が助産師さんから聞いたことを伝えると、夫は「そうなんだ、良かった」となぜか安堵していました。 この子は誰!?1週間後――。 自宅で息子をあやしていると、突然義母から電話がかかってきました。しかも、とても怒っています……。 「新生児を置いて出ていくなんて母親失格よ!」「なんの話ですか?」「息子は私と一緒にいますよ」「じゃあうちにいる子供は…?」 激怒していた義母は、呆気に取られたようで、しばらく何も言いませんでした。タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど息子が泣き出し、私と息子が一緒にいることは伝わったようです。 「あの……、お義母さん、大丈夫ですか?」「夫から親戚の方の看病に行っていると聞いてましたけど、介護でかなりお疲れなのではないでしょうか……」と私がおずおずと言うと、「親戚の看病?何のこと?私はずっと家にいるわよ」と義母はきょとん。 「1週間くらい前に息子から、あなたが急に家を出て行ったから孫を預かってほしいって言われたの」「それで、その子の面倒を今見てるんだけど……」と義母。しかし、うちの息子は私と片時も離れたことはありません。 「息子も毎日定時で仕事を終えて、まっすぐうちに来てくれてたけど、さすがに私だけじゃもう面倒見切れなくて……」と言う義母。夫は毎日残業していると言っていたのに……。 義母も私も、お互いへの連絡を夫に止められていたことが発覚。夫が黒幕なのは明らかです。「息子なら今日も夕方くらいにうちに来るって言ってたわ」と教えてくれた義母に、夫の足止めを頼み、私は息子を連れて義実家へ向かいました。 衝撃の子どもの正体翌日――。 私と義母に問い詰められて、夫は義母に預けていた子どもの正体を白状しました。その子は……、なんと夫と不倫相手の子どもだったのです。嫁と不倫相手を同時期に妊娠させるなんて……と私は呆れ、義母はまた激怒。 しかも、夫は不倫相手の子を「認知しない」と言い切ったようで、不倫相手も激怒していたそう。子どもを夫に押し付けて、どこかへ消えてしまったそうです。困り果てた夫は、その子どもを義母に預けることに。 義母の後押しもあり、私は離婚を夫に突き付けました。すると、夫は「離婚だけはしたくない!」「この子、息子と双子ってことにできないかな……」と言い出したのです。 「残業だから」と嘘をついて義母の家に行き、不倫相手の子どもの世話をしていた夫。息子のおむつ替えなんて一度もしたことなかったのに……。不倫していたことも身勝手てな嘘も許せませんでした。 その後――。 「離婚したくない」とごねていた夫。しかし、義母に一喝され、ようやく離婚届にサインしてくれました。私はシングルマザーになり、実家で両親のサポートを受けながら息子を育てています。私がたっぷり愛情を注いでいきたいと思っています。 一方、不倫相手の子どもは、義母から聞いた話によると、不倫相手が義実家に迎えに来たそうです。不倫相手もワンオペで限界を迎えていたようで、元夫に子どもを押し付けたことについて義母に泣いて謝っていたとのこと。憎みたい気持ちもありますが、同じような苦労をしてきた身としては憎み切れません。 不倫相手も実家に帰って、子どもを育てることにしたそうです。あの子には幸せに暮らしていってほしいと心から思います。子どもに罪はないのですから。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月29日夫との結婚生活は順風満帆なものの、厄介なのが義母。未だに子離れできておらず、何かにつけて私の粗探しをしてくるのです。そして私たち夫婦が共働きなことや、家事を分担制にしていることがとくに気に入らない様子。そんなある日、義母が「家事が不十分よ!」とケチをつけてきて……?「あなた、うちの息子に家事をやらせてるんですって?」 共働きの私たち。話し合って家事も分担制にしています。しかし、義母はそれが気に入らないよう。 「うちの息子に家事をさせるなんて!」昔から勉強ができて、有名大学を卒業し、一流企業に入った夫。一方、嫁の私は高卒で、あまり知られていない企業で働いています。そこも義母の嫁いびりに拍車をかけているのでしょう……。 「あなたが先に家事を終わらせておけば、うちの息子は家事をしなくて済むでしょう!ほんと察しが悪い嫁ね」「今後は全部あなたが一人でやりなさい!」と電話口でキーキー騒ぐ義母。 仕方なく「すみません、わかりました」と言うと、「じゃあさっそく明日、そっちに行くわね!」と突撃宣言。私が一人でしっかり家事をこなせるか、確認しに来るようです。 「ほんとあなたのような嫁をもらって、息子がかわいそうだわ」「これはしっかりしつけ直す必要がありそうね」「うちの嫁として未熟な部分を、明日からしっかり叩き直してあげますから!」 息巻く義母の声を聞きながら、私はこっそりため息をつくのでした。 「それは息子さんの担当です」1週間後――。 仕事中の私に、義母から電話がかかってきました。先週、うちに来ただけでは飽き足らず、まだ何かケチをつけようと言うのでしょうか……。 「料理はお粗末だし掃除も甘い」「全部やり直しなさい」「夫に言ってもらえます?家事は夫の仕事なので」「は?」 どうやら勝手に合鍵を作り、うちに侵入したそう……。それってやってはいけないことなのでは……?と思いましたが、いったん置いておくことにしました。 話し合いを重ねて、今度義母に何か言われたら真実を話そうという結果に落ち着いた私たち夫婦。義母が金切り声で叫ばないといいのですが……。 「お義母さん、夫から承諾をもらったので真実をお話ししますね」「夫は今、働いていません」「数カ月前のことですが、夫は会社での競争に疲れて自主退職したんです」 夫が仕事を辞めたので、私が稼ぎ頭に。夫は家事をするのが好きなようで、専業主夫になってもらったのです。 「そんなわけないじゃない!」「全部あなたのせいだわ!あなたと結婚してから息子は変わってしまったのよ!」「とっとと息子と離婚して地獄に堕ちろ!息子の人生にあんたは必要ないの!」 自慢の息子が一流企業を退職したという事実に耐えられなかったのでしょうか。夫がスーパーから帰って来た時には、もう義母はいなかったそうです。 夫の本音翌日――。 義母から夫には勝手に家に入ったことへの謝罪のメッセージが、私には「離婚しろ!」とのメッセージが延々と送られてきていました。このままではキリがないと思った夫が、義母に電話をかけることに。 「うちの嫁をいちいち責めたり、俺に干渉したりしないでくれ」「もう限界だ、二度と関わりたくない」と冷たく言った夫に、「お母さんはあなたのためを思ってアドバイスしてただけなの……」「やっぱり結婚して変わっちゃったのね……」と電話口で泣き出す義母。 「成績が落ちたらヒステリックに泣き叫んで、せっかくできた友だちと遊ぶだけで悪い友人とは遊ぶなって責め立てたよね。就職中も母さんの希望の企業に入らないと生きるのを辞めるとか脅してさ」「勝ち組だなんて思ったことないよ、毎日が地獄だった」「この人と出会ってやっと自分を取り戻せたんだ。俺の大切な人は嫁だけだよ」 さらに、夫は「もう二度とうちに来ないでくれ」「母さんとは絶縁する」と、絶縁宣言。義母は「今すぐそっちに行くから!」「引きずっててでも息子を連れて帰るわ。元凶の嫁から引き離さないよ!」とわめいていましたが、夫は無視して電話を切りました。 私たちはすでに引っ越し済み。夫は義母から物理的な距離を置きたいと言っていたので、義母には内緒で引っ越しを進めていたのです。義母が来てももぬけの殻なのです。 その後――。 私たちは携帯電話番号を変更し、義母の連絡先をあらかじめブロック。義母との縁が完全に切れたことで、夫もかなり前向きになりました。これからもお互いに支え合い、尊重し合いながら理想の夫婦を目指していきたいです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月29日大好きだった彼から振られたことをきっかけに、友人から「次の恋愛に進もう!」と合コンに誘われたみさきさん。そこで出会った男性・Sさんからの猛アプローチの末、付き合うことになりました。しかし、付き合った初日に「朝まで一緒にいて安心したいんだ」とSさんからお願いをされ、なんとラブホテルに行くことになってしまい……。 反省してる…?何もしないからというSさんの言葉を信じホテルに入室したみさきさん。しかし、トイレのドアノブを何度もガチャガチャしてきたり、シャワー中に覗いてきたりと、Sさんは驚きの行動を連発。悪びれる様子のないSさんにイライラし、みさきさんは「信用できないので私はソファーで寝ます」と言ったところーー。 Sさんは正座で謝罪をし始め、みさきさんに嫌われたくないから自分がソファーで寝ると言い出しました。反省した素振りが見えたため、みさきさんはSさんの言葉を信じてベッドで寝ることに。 しかし、今までのSさんの行動を思い返したみさきさんは、まだ信用できない……となかなか眠ることができません。そこで、Sさんの様子を横目で見たところ、すでに眠っている様子。寝ているなら何もしてこないだろう、とみさきさんは安心して眠りについたのでした。 やっと体を休めることができたみさきさん。このまま何事もなく、朝を迎えられることを願います。 すがのみさきさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター すがのみさき
2023年12月29日