結婚を機に夫の自宅で同居生活を開始。夫の祖母が認知症と診断されたため、仕事を辞めて夫の祖母の介護をしていました。その後出産し、現在育児中です。
ブログ「家事ときどき介護~介護は一息、今度は育児!?~」(https://ameblo.jp/kt-kaigo/)にて、育児や同居の話などを書いています。
アメブロで人気の「家事ときどき介護~介護は一息、今度は育児!?~」のpinkyさんによるコミックエッセイ。子育て真っ最中の日常を綴ります。
ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 常日頃から、部屋を片づけたいと思っている私。 そんな私よりも先に真剣に片づけを始めたのが実家の母です。 今回は、そんな母が話した片づけのメリットについて書きます。 ■片づけスイッチが入った母 母は、片づけをしたことで家の中の空気が変わった、と話していました。 「モデルルームみたいな家に住みたい」 と、母が言ったことにより動き出した実家の片づけ。 母がここまで片づけをして物を手放したことは、今までありませんでした。 2000着あった服が1000着になっただけではなく、いらなくなった大きな家具を処分するなど、本当に片づけスイッチが入った母。 母が言うには片づけをすると、気持ちがスッキリするだけでなく…。 ■節約にもつながる!? 過去に買った使う予定のない物を捨てることにより、余計な物を買うことが減り、結果的に節約にもつながっているそうです。 思い切ってひとつ物を捨てると、 “これが捨てられるならこれも捨てられる” と、どんどん不用品を捨てられるようになったと言います。 本を手放したら、本棚も必要なくなって処分するなど、片づけは加速しています。 やる気もどんどん出てきて、気持ちも軽くなった様子の母。 そんな母を見ていると、私も片づけの意欲が湧いてくるのです。 毎年毎年、“今年こそは片づけを終わらせる!”と言って、片づけするする詐欺をしている私。 母の片づけはまだまだ続いているので、そんな母からやる気をもらい、今年こそは家の片づけを進める…! と誓ったのでした。
2024年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 新しい年を迎えましたね。今年もよろしくお願いします。 さて、2024年はどのような1年になるでしょうか。 私はやっと息子の冬休みが終わり、ひとりの時間を過ごせることにホッとしています。 冬休みと言えば、小学2年生の息子の冬休みの宿題ですね。 今回の宿題の進め方は、いつもとはちょっと違ったので、ヒヤヒヤしました。 ■宿題を自分のペースでやってもらうことにした 息子の冬休みの宿題、今回は私は口を出さないと決めて、自分のペースでやってもらうことにしたんです。 基本的に宿題が終わったらゲームをして良いという約束なのですが、 冬休みはゲームをするのも宿題をするのもタイミングをすべて息子に任せました。 冬休みが終わるまでに、宿題が終わっていれば良しということで。 でも、冬休みの最終日に宿題が終わっていなかったら、そのときは、私は口を出すし、宿題が終わるまでゲームはできない。 そんな約束をしました。 すると…。 息子は日中、ほとんど宿題をしませんでした。 同居している義母も宿題を心配する始末。 こんな調子で大丈夫なんだろうか…と、こちらも心配になりました。 ■ついに夫が口を出した 宿題をするのは、決まって寝る前でした。 日中は好きなことをして過ごし、寝る前に少しだけ宿題をやる。 そんな毎日が続き、ついに…。 宿題の進み具合を心配して、夫が口を出していました。 マイペースに宿題を進め、結果的に最終日の午前中にはすべての宿題をやり終えた息子。 途中、大丈夫かな…と、ヒヤヒヤもしましたが、 自分で考えて、よくがんばったと思います。 今年の夏休みも息子のペースで宿題を進めてもらいたいところですが、まったく口を出さないというのは、難しいものですね。
2024年01月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年も残すところわずかとなりました。みなさまは、どのような1年でしたでしょうか。 私は実家の片づけを手伝ったり、何かと実家に呼ばれたりする1年でした。 実家は物が多く、母は特に洋服が捨てられない人でした。 今回は、買い物依存症だったかもしれない、母について書きました。 ■毎月たくさんの服を買っていた母 母は3年前までパートで働いていました。 仕事が終わるとお気に入りの洋服屋さんへ寄り道し、毎月たくさんの服を購入していました。 子どもの頃からそんな姿を見ていたので、私は「また買ったんだ」「本当に洋服が好きだなぁ」くらいにしか思っていませんでした。 そんな母は、私が子どもの頃から文句ばかり言っていました。 私の父は仕事と趣味で忙しい人でしたが、母としてはもっと家にいて一緒に出かけたり、構ってほしかったのだと思います。 自分の夫はあまり家にいないのに、義両親は毎日家にいる… そして、義両親の食事作りもしなければならない… 一体何のために結婚したのか… そんなことをよく言っていました。 母は何かイライラすることがあると…。 義両親と同居しており、金銭的に援助もあって、母はパートで働いたお金をすべて好きなように使えました。 働いたお金はほとんど、保険の支払いや洋服、装飾品を買うのに使ったそうです。 働いている間は、毎月、何万円も服を買うのに使っていたと言う母。 捨てることをしないので、服はたまる一方でした。 “もう服は買わない!”と決めても、どうしてもフラッと洋服屋さんへ立ち寄って、服を買うことがやめられませんでした。 ■母が服を買わなくなったきっかけは… しかし、洋服は大好きでしたし、お金に困っているわけでもなかったので、何か行動を起こすこともありませんでした。 そんな生活を続けていた母ですが、コロナ禍をきっかけに、仕事を辞めました。 仕事を辞めて1年後、父が脳出血で倒れ、父が退院したかと思ったら、入れ替わるようにして、祖母が亡くなりました。 結果的に、母は同居のストレスも、父が家にいないことへのストレスも、すべてなくなったのです。 すると、今までのようにたくさんの服を買うこともなくなりました。 ですが、大量の服は残ったままでした。 今年のお正月のことです。 母が「モデルルームみたいな部屋に住みたい」と言いだしました。 一緒に話をしていた私と兄嫁が、「それなら物を減らさないと…」と、その日のうちから片づけを始めたのです。 それがきっかけとなり、使っていない家具や、今後、着ることはないだろう服など、母はかなりの物を処分しました。 最初はひとりでは服を捨てられず、私も一緒に手伝っていましたが、服の片づけをしていくうちに、母は自ら服を手放せるようになりました。 2000着はあったであろう服が1000着になり、 母は今後、「今ある服で生きていく」と話しています。 まさかあんなに服が大好きだった母が服を手放せる日がくるとは思わず、きっかけさえあれば、人は変われるのだと実感した出来事でした。 ということで、今年は実家の手伝いばかりしていたので、来年こそは私自身の家の片づけをしたい! そんなことを思っている今日この頃です。
2023年12月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 息子が生まれてから、優先順位は息子が一番になりましたし、気持ちにも変化がありました。 子育てして変わったことは、とても多いと思います。 そんな中でも今回は、私自身の服装の変化について書きます。 ■明るい服が好きだった 20代の頃は、意識して明るい色の服を着るようにしていました。 明るい色の服を着ていると、気持ちが明るくなるような気もしましたし、明るい色やキラキラした物が大好きだったのです。 介護の仕事を始めたとき、服装はズボン以外は自由だったので、いろいろな服を着ていました。 ただ、仕事に明るい色はあまり良くないんじゃないかと思い、控えていたのですが…。 たまたま、明るい色の服を着ていた日、利用者さんが服に反応してくれました。 私が働いていたのは、認知症の方を対象とした施設で、普段はあまり言葉を発さない方もいらしたのですが、その方は、私が花柄のエプロンをつけていたときに、 笑顔で「満開だねぇ」と言ってくださって、それがとてもうれしかったんですね。 利用者さんの刺激にもなるような気がして、家でも職場でも、ますます明るい色を身につけるようになりました。 仕事を辞めて、夫のおばあちゃんの介護を始めたときも…。 私は明るい色の服を着ていました。 認知症のおばあちゃんは、私の顔も名前も、覚えられなかったと思います。 それでも、何となく頭の片隅に “明るい色の服を着たあの子”という印象 が残ればいいな…そんな風に思っていました。 時はたち、息子が生まれ、幼稚園へ通うことになりました。 そこで、私はふと気づくのです…。 ■周りのママさんの服装に合わせた 私が息子と幼稚園へ行く機会が増えると、自然と周りのママさんに目がいきました。 私は、ずっと明るい色の服を好んで着ていましたが、私だけが違うジャンルで、浮いているように思えたのです。 それからは、徐々に落ち着いた色の服を買うようになりました。 現在、息子は小学生ですが、 学校へ行くときは特に意識して、落ち着いた色の服を選んで着ています。 明るい色の服も、キラキラした物も、今でも大好きなので、きっと息子の学校へ行く機会がなくなれば、そういう服がまた増えていくかもしれないな、と思います。 ちなみに…。 外に着て行くことがないパジャマなどはピンクが多いです。 寝るときはピンクを着ていると落ち着くんですよね。 ということで、子育てして変わった服装の変化について書きました。 私は息子の学校などへ行く際、落ち着いた色の服を着ている方が安心感があるので着ていますが、誰がどんな服を着ようが個人の自由だと思っています。 派手な格好をしているママさんを見るとカッコイイ! と思いますし、明るい色の服を着ているママさんを見るとステキだな、と思います。 人の目を気にせずにいられるなら、好きな服を着るのが一番いいですね。
2023年11月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 小学2年生の息子、ここ数年で好みなどが変わってきました。 子どもはあっという間に成長していくんだな…と、しみじみ思います。 例えば…。 ■食と色の好みの変化 息子は、あまり野菜を食べないのですが、サツマイモやカボチャは大好きで、よく食べさせていました。 しかし、ここのところ食べる気がしない様子なのです。 代わりに、以前は絶対に食べなかったレタスや千切りキャベツなど生野菜にドレッシングをかけると、少量ですが食べてもらえるようになりました。 息子は、甘いパンが大好きでした。 サツマイモ蒸しパンや、カボチャを使ったパイなども、好んで食べていたのですが、気づけば食べなくなっていました。 ガーリックトーストやカレーパン、めんたいこパンといった甘いパン以外のパンを好んで食べるようになりました。 息子の変化は食の好みだけでなく…。 色や服の好みも変わりました。 幼稚園の頃は、明るい色が大好きで、選ぶ服もカラフルなものを好んで着ていました。 今では、黒やグレーの服をよく選んでいます。 あんなにピンクが大好きで、ピンクのランドセルがいいと言い続けていたのに、今ではピンクを選びません。 あのとき、ピンクのランドセルを買わなくて本当によかったなぁ…と、今になって思います。 ■バンジージャンプにも興味を!? 今まで興味がなかったことにも、興味を示すようになってきました。 息子は怖そうなことはやりたくないタイプだと思っていましたが、バンジージャンプやスカイダイビングなどを“やりたい”、とワクワクしながらテレビを見ています。 遊園地のアトラクションも、私が怖がるものを楽しむ余裕があるので、大人になったらチャレンジするかもしれません。 さらに、私はショッピングモールの吹き抜けすら怖くてガラスの壁側を歩きたくないというのに、息子はガラスにぴったりくっついて下の階を眺めます。 私が怖がっていると、ニヤニヤしながら見てきます。 高いところが怖くないようです。 とはいえ、鉄棒の前回りを怖がったり、ジャングルジムの上にのぼるのを嫌がったり、怖がりな一面もまだあります。 バンジージャンプやスカイダイビングの方が、よっぽど怖いと思うのですけどね。 きっと今後も、こういった好みは変化していくのでしょう。 息子がどんなものを好きになっていくのか、どんなことが得意になっていくのか…これからも楽しみながら見守っていきたいと思います。
2023年10月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の夏休みは夫と息子、私、そして両親と一緒に温泉旅行へ行ってきました。 両親と一緒に旅行するのは、私が小学生のときに行ったのが最後だったので、本当に何十年ぶりという感じです。 もともと、母は父と一緒に旅行することを夢見ていました。 ■老後の旅行を夢見ていた母 老後はいろんな場所に行きたいと、母は常々言っていました。 しかし、父は仕事と趣味でとても忙しい人でした。 今は行く時間がないけれど、もっと年を取れば落ち着く日が来るだろうと、母は信じていたのかもしれません。 そんな矢先、父が脳出血で倒れました。 一時はどうなることかと思いましたが、右半身まひはあるものの、リハビリをがんばり、今はつえをついて歩けるほど回復しました。 母は老後は旅行することを夢見ていたのに、「こんなになって!」と、よく言うようになりました。 確かに、父と母と2人で旅行するのは、大変かもしれません。 でも、私と夫と息子がいれば、きっと何とかなるはず。 そう思い、試しに車で1時間半ほどの場所へ、温泉旅行することになったのです。 父が一緒なので、あまり予定を詰め込みすぎず、ほどほどに観光をして、ホテルでゆっくりできるように計画を立てました。 問題はホテルのお風呂場でした。 最初、母は部屋のお風呂で父の入浴介助をすると言っていたのですが、シャワーチェアもなく、湯船はどうにも狭く高さもあったため、お風呂に入るのは難しかったのです。 それなら、大浴場の方がむしろ入りやすいのでは? と考えました。 まずは夫と息子、私が大浴場へ偵察に行きました。 息子とは今までにも旅行したことがありましたが、まだ小さかったこともあり、入ったのは家族風呂くらいで大浴場は息子にとって初めての経験です。 ■家族で楽しい時間が過ごせた 夫が付き添ってくれることになり、父は無事、温泉に入ることができました。 露天風呂から出るときに、父が少しふらついてしまい、夫が支えようとしたとき、知らない方もとっさに支えてくださったという、心温まるエピソードも聞きました。 とてもありがたいです。 母は露天風呂に入ったことがなく、露天風呂がどういうものかも知らなかったとか。 テレビなどで見たことがあると思うのですが、温泉に興味がなかったようで、「気に留めたことがなかった」と言います。 母は面倒くさいようで大浴場へ行きたがらなかったのですが、私と露天風呂を気に入った息子がおすすめしたので、重い腰を上げて朝風呂へ行きました。 初めて露天風呂に入った母は、「肌がすべすべになった! もっと入っておけばよかった!」と言うくらい、露天風呂が気に入ったようです。 人とお風呂に入ることが苦手とか、温泉自体が苦手な方もいらっしゃると思いますが、母はそういうわけではなかったので、すすめてよかったと思いました。 ただ、部屋と大浴場はすごく分かりやすい場所だったのですが、母は大浴場から戻る途中、迷子になって、やっと戻ってきたとのこと…。 今回、父や息子も一緒でしたし、タイミングが合わなかったのですが、タイミングを合わせて私が母に付き添えばよかったな、と思ったのでした。 少し反省点もありましたが、家族で楽しく過ごせた良い旅となりました。 母の旅行へ行くという夢が叶って、私も安心しました。 そもそも、父は仕事や趣味で忙しく過ごしていた人だったので、きっと病気をしていなかったら、こんな風に一緒に旅行することは、なかったのではないかと思います。 少なくとも、母が露天風呂に入ることはなかったでしょう。 私が子どもの頃も、家族旅行というのは何度かありましたが、ホテルの客室にある小さなお風呂にしか入った記憶がありません。 ホテルに大浴場などがあったのかどうかは分かりませんが、母はあまり興味がなかったのだと思います。 父が病気になったことは決してうれしいことではありませんが、もっと父と過ごしたい、と思った母の願いは叶ったわけで、 すべてが悪いことではなかったのかな、とも思えます。 母は「また旅行に行きたい、もっと遠くにも行ってみたい、弟夫婦と一緒に船の旅をしたい」など夢が広がっているようです。 これからも、夢を現実にしながら、楽しく過ごしてもらいたいですね。
2023年09月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 小学2年生の息子は夏休みを毎日楽しそうに過ごしています。 子どもが夏休みに入ると、こちらは何かと忙しくなりますね。 ということで今回は、今年の夏にやめたことについて書きます。 ■理想と現実は違う 目標を立てるところまでは良いのですが、問題は実行する気力があるかどうかです。 何もできずに1日が終わったり、夏休み中に目標が達成できないと、気持ちも落ち込みがちになってしまいました。 理想と現実は違います。 例えば、部屋の片づけなどは、毎年、夏休みの目標として決めていて、息子と一緒に片づけよう、と思ってはいますが、なかなかうまくはいきません。 実際は、何もやる気も起こらず、ただダラダラしてしまって。 ダラダラ過ごした後というのは、何だか後ろめたい気持ちになってしまうのですが、 今年はその“後ろめたい気持ち”を捨てることにしました。 ■できたことに目を向けると幸福度がアップ できなかったことではなく、できたことに目を向けてみると、案外いろんなことをしているものです。 今年の夏休みは、個人的な私の目標を立てず、最低限の家事をしていれば良しとしよう、と決めました。 昼寝をしても後ろめたさを感じることなく、むしろ幸せな気持ちになりました。 何もしない日があってもいいのです。 やる気が出ないときはゆっくりして、やる気が出たときに動けばいい。 目標を立てずに、気楽な気持ちで過ごす夏休みもいいものですね。
2023年08月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 息子が小学2年生になり、ついに2回目の夏休みがやってきました。 夏休みに気になることといえば、1日の過ごし方、ご飯、宿題など、たくさんあります。 その中でも、息子は2年生になってから、宿題をするまでに時間がかかるようになったので、今回は息子と宿題について書きます。 ■1年生までは約束を守っていた息子だが!? 1年生のときはゲームのおかげで、宿題がとても捗っていました。 というのも、息子に初めてゲームを買ったとき、いくつかの約束事をしたからです。 ゲームよりも「生活」が大事。 食事やトイレ、お風呂、家族との会話など、生活を優先することを伝えました。 ゲームに夢中で家族の声かけを無視するようなことがあれば、ゲームはさせられない。 けれど、約束を守ればゲームの時間制限をせず、好きに遊んでいい。 息子も納得の上で、そのような約束をしたのです。 その2ヵ月後、息子は小学生になりました。 そして、新たに約束を追加しました。 「ゲームは宿題が終わってから」というものでした。 1年生の間、息子は約束を守り続けました。 学校から帰ってきたら、すぐに宿題にとりかかり、さっさと終わらせて、楽しそうにゲームを始めました。 しかし、小学2年生になると…。 息子は学校から帰ってくると、宿題もゲームもせずに、おもちゃで遊び始めるようになったのです。 「宿題をやりなさい」と、口うるさく言いたくなかったので、寝る時間までに終わればいいよ、と言ってはみたものの、いつまでたっても遊びに夢中でまったく宿題をやろうとしません。 勉強が少し難しくなったので、宿題をするのも怠くなってきたようです。 息子も早く宿題をした方が後がラクだと、分かってはいたようですが、それでもなかなかやる気になれない様子でした。 宿題が終わるまで、おもちゃで遊ぶのも禁止にするのは、私は嫌だったのですが、息子が「それでいい」と言ったので、 新たに「おもちゃで遊ぶのは宿題が終わってから」という約束を追加しました。 その後…。 ■宿題を途中放棄しておもちゃを触ってしまう息子 机に向かっていたはずが、いつの間にかフラッと移動し、すぐにおもちゃを触ってしまう息子…。 声をかけると、息子はハッとしていました。 おもちゃ禁止と言っても、無理があるかもしれないと思いました。 私が目の前で見守りながら、何とか宿題を終わらせる日もありました。 普段の宿題でもこの調子で、夏休みの宿題なんて、どうなってしまうのか…。 そんなことを考えてはゾッとしていた私です。 ゲームや遊びでは、ものすごい集中力を発揮する息子…。 その集中力を勉強で発揮できる日は、果たしてやってくるのでしょうか。 とりあえず今年の夏休みの宿題は、家族のサポートが必要になるかもしれません。
2023年07月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 息子も小学2年生になり、自分でできることが増え、ずいぶん楽になりました。 過去を思い返してみると、息子が生まれる前から、私は子育てについての思い込みがたくさんあったように思います。 ということで今回は、子育ての思い込みから解放されたことについて書いていきますね。 息子を妊娠したときのことです。 私には理想の育児がありました。 ■子どもが生まれて産後うつに 子どもには優しく穏やかな気持ちで接し、楽しく育児をしていこうと決めていました。 子どもを産み、育てるなんて並大抵のことではありません。 子どもを育てることに責任も感じていました。 失敗することは許されない、と自分にプレッシャーをかけていました。 不安になることもありましたが、前向きに考えることは得意だったので、きっと何とかなる、と根拠のない自信がありました。 しかし、現実はそんなに甘いものではありません。 妊娠中も、精神的に不安定になることは多々ありました。 しかし、子どもが生まれ、一層不安定になってしまったのです。 完全に、産後うつだったと思います。 不安なことがあると、夜な夜なネットで検索ばかりしていました。 息子が夜中にたびたび起きるので、ただでさえ睡眠時間が減っていたのに、さらに睡眠時間は減りました。 息子と2人で家で過ごしている間は気が張っていて、何とか過ごしていましたが、週末、家族が全員休みの日がくると、絶望的な気持ちになりました。 ■育児に失敗も完璧もない そんなことを思っては、ひとりで泣いていました。 何度も出て行こうと思いましたが、それを思いとどまったのはやはり息子と離れたくなかったからです。 母親の資格がないと思いながら、息子の母親でいたいと強く思いました。 罪悪感でいっぱいになりながらも、明日からは、優しく穏やかな気持ちで笑顔で過ごそうと誓う…その繰り返しでした。 私の精神状態などお構いなしに、息子はどんどん成長していきました。 だんだん手がかからなくなり、楽になっていき、 私の気持ちは時間が解決してくれました。 私は、親が子どもを育てるものだと思っていました。 ですが、実際には私や夫だけで育てることなんて、とてもできませんでした。 家族だけでなく、今まで出会ったすべての人から、息子はたくさんの影響を受けて育ってきました。 親には子どもを育てていく責任があり、完璧に育てなければいけない、失敗は許されない、そう思い込んでいましたが、そもそも子育てに、完璧も、失敗なんてものもなかったのです。 親ですら、完璧ではないのに、完璧な人間など存在しないのに、完璧を求めること自体が間違っていたのです。 子育てに”失敗”も”成功”もありません。 そんなことを考えるのは、子どもに対して失礼なことです。 失敗と思うのも、成功と思うのも、個人の価値観の問題であって、どちらが正しいなんてありません。 時にはイライラしてしまったり、怒ってしまうこともあるけれど、愛情を持って育てていれば、子どもは勝手に大きくなっていきます。 私は成長していく息子を見て、思い込みから解放されました。 これからも、息子は出会っていく人たちから、たくさんの影響を受けて育っていくでしょう。 息子がこれからの人生で何を感じ、何を選択していくのか、それが楽しみで仕方がありません。
2023年06月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 私はプレゼント選びのセンスがなく、母の日、父の日、誕生日…両親、義両親へのプレゼントに毎回、悩んでいました。 今回は、そんな私が家族に喜んでもらえたプレゼントについて書きました。 ■母が喜んだプレゼントは!? 過去に、母の誕生日にプレゼントを渡したときは…。 あからさまにガッカリされたことも。 それからというもの、母はほしいものをリクエストするようになりました。 その後…。 車でご飯の美味しいお店に連れて行き、食事をプレゼントにしてみたところ、 「これからもプレゼントは外食がいい!」 というくらい、両親はとても喜んでいました。 ということで、それ以来、両親の誕生日、母の日、父の日と、いろいろなレストランやカフェへ行くようになりました。 また、プレゼントを買うとき、人それぞれ好みがあるので、家族の好みを把握しておくことは大事ですね。 例えば…。 ■悩んだ義両親へのプレゼント 母の日といえば、カーネーションは定番ですが、義母は花が嫌いなので、買わないように気をつけよう…と思った記憶があります。 義母は好みがハッキリしていて、買ってきた物に対しても正直なところがあるので、プレゼントを買うときはドキドキでした。 義父が喜ぶプレゼントも、なかなか難しくて、いつも悩んでいました。 そこで…。 記念日が近いとき、何かほしい物があると分かれば、絶対にチャンスは逃しません。 一緒に買い物へ行き、義両親がほしい物を買ってプレゼントすることが増えました。 同居しているので、家族と買い物へ行く機会が多いのが、ありがたいです。 本当は、家族の好みを把握して、すてきなプレゼントを用意したいと思うのですが、今、ほしい物や必要な物をプレゼントすることがほとんどです。 プレゼント選びは難しいですね。
2023年05月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、先輩ママから聞いたお金のトラブルになりそうだった出来事と、それを聞いて私が思ったことなどについて、書きました。 ■友だちにジュースをおごってもらったが…!? 小学校中学年になると、友だちと遊ぶ機会がぐっと増えたそうです。 「公園で遊ぶ」と言うので、お金は持たせていなかったそうですが、中にはお金を持ってくる子がいるのだとか。 下の子が「一緒に公園に行きたい」と言って、ついて行ったからこそ、友だちにジュースをおごってもらっていたことに気づけたけれど、もしついて行かなかったら…と思うとゾッとする、と話していました。 このことがキッカケとなり、友だちにおごったり、おごられたりしてはいけない、と 家族でお金についても話し合ったそうです。 友だちにおごったり、おごられたりすることを禁止している学校も、増えてきているのではないでしょうか。 そんな話を聞いていて、私が子どもの頃はどうだったのか思い出してみると…。 ■自由だった私の子ども時代 すごく自由にやっていた記憶がありますが、「家には何かしら食べる物があるから、外で食べるのはもったいない。おなかが空いたら家で食べな」と、祖母に言われていた気がします。 祖母に言われていたからか、私自身も“外で買うのはもったいない”と思っていて、友だちがコンビニでお菓子を買っていても、私は駄菓子屋以外では買ったことがありませんでした。 友だちに「お菓子を食べていいよ」と言われたら、もらうこともありました。 私の家に友だちがきたときには、お菓子だけでは足らず、冷蔵庫に入っていた漬物まで勝手に食べたこともありました。 今の時代だと怒られそうなこともしていましたが、 誰にも怒られたことはありませんでしたね。 そんな自由な環境にいたからかもしれませんが、本音を言うと、子ども同士でおごったりおごられたりすることが、そんなに悪いことだとは思いません。 そういう経験をしながら、 社会性が身につくこともあると思うからです。 ただ、トラブルになりやすいのも事実でしょう。 ■あらゆるトラブルが想定される 純粋に、友だちと一緒にジュースを飲みたい、お菓子を食べたい、そういう理由で、自分のおこづかいからお金を出すのなら、それはそれで良いと思うのです。 しかし、そのお金が、家から勝手に持ち出してしまったお金で親は知らない…となると、問題です。 そして、おごり目当ての子が近づいてくることもあるでしょう。 きっと、あらゆるトラブルを想定して、 学校でも”禁止”とされているのだろう、というのは分かります。 息子も、いずれひとりで外へ行く日が来るのだろう、と覚悟しているのですが、今は家が好き過ぎて、外へ行く気持ちはない様子です。 いつから変わっていくのか、見守っていきたいと思います。
2023年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 早いもので、息子も4月には小学2年生になります。 幼稚園では登園拒否もあり、行きたがらない日が多かった息子でしたが、小学生になると一変。 この1年間、“学校に行きたくない”とは、1度も言いませんでした。 楽しく穏やかに過ごせた1年だったこともあり、クラス替えや担任の先生が気になる今日この頃です。 新学期も近いので、今回は、1年生が学校に慣れ始めた頃に起きた出来事について書きます。 ■防犯ブザーが鳴り響いていた 息子を学校へ送っているときのこと…。 どうやら、防犯ブザーについていたピンを失くしてしまったようでした。 ブザーを止めようにも、ピンの代わりになるような物も持っておらず…。 学校まであと少しの距離だったので、 男の子たちが防犯ブザーを手で押さえ、音を小さくしながら学校へ走っていきました。 女の子と一緒に、一足先に職員室へ向かった男の子たちの後を追いました。 すると、すでに職員室で先生に電池を抜いてもらっている最中で…。 ■男の子たちの会話にほっこりした 1学期の最初の頃は、いたずらに防犯ブザーを鳴らしてしまう子もいましたが、1学期も後半になると、そういう子はほとんどいなくなりました。 そんな中で起きた防犯ブザーのトラブルでした。 紛失しないように、ピンが抜けきらない防犯ブザーもあるようですが、女の子が持っていたのはピンが抜けきるものだったようです。 遅刻だな! と言いながら、誇らしげに笑い合う男の子たちを見て…。 “まだまだ世の中捨てたもんじゃないな” “こんないい子たちがいるのだから、未来は明るいかもしれないな” そんなことを思った、とてもほっこりした出来事でした。
2023年03月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 私は息子の習い事のことで悩むことが多かったため、今回は習い事について書きました。 ■幼稚園で習い事をしていないのは息子くらいだった 息子が幼稚園に通っていたときのことです。 気軽に話ができるママ友は比較的多い方だったと思いますが、その中で習い事をしていない子は息子くらいで、焦る気持ちがありました。 息子にやりたいことを聞いても答えは返ってきませんし、とりあえず体験だけでもさせてみることにしました。 サッカー、体操、英会話…いろいろやらせてみた結果。 何をやっても、息子は同じことしか言いませんでした。 何をやっても楽しいし、またやりたい。 でも、私が見ていなければ、どれもやりたくない、とのことでした。 息子、幼稚園は楽しい様子でしたが、疲れが溜まっているように見えたので、幼稚園のあとに習い事へ行ったら体力が持たないのでは? という不安もありました。 さらに、バスの関係で、息子は幼稚園から帰ってくる時間が遅く、習い事を始めたら、いつもより早い時間に幼稚園へ迎えに行かなければいけません。 そうなったとき、私の方が今以上に気持ちに余裕がなくなってしまうかもしれない、そんな不安もありました。 多くの人が、当たり前のように子どもに習い事をさせているけど、私には難しいことだったので、本当にみんなすごいな…と、いつも思っていました。 私は息子が生まれてから、幼稚園を卒園するまで、結局、習い事をさせることはありませんでした。 息子が小学生になり、自分で考えてやりたいことを言うようになったら、そのときは全力でサポートしようと決めました。 そして現在…。 ■子どもは何かしら学んでいる 去年の誕生日にゲームを買ってからというもの、家にいる時間はゲームばかりやるようになりました。 ゲームばかりしているのは、あまり良くないことのように思えるかもしれません。 私も、このままでいいんだろうか…と、考えることはよくあります。 しかし、よくよく見ていると、ただ遊んでいるように見えてかなり頭を使っているんです。 作る系のゲームが好きで、長い時間、集中して作っているので、そういうことが向いているんだろうな、と感じました。 そして何より、子どもは上達が早く、1年前までは、私の方がうまかったゲームも、あっという間に息子の方が上手になりました。 きっと、人生に無駄はないのでしょうね。 習い事をしていても、していなくても、子どもは何かしら学んでいる、焦る必要はまったくなかったな、と今ではそう思っています。
2023年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 早いもので、息子も今年の春には小学2年生になります。 最近知ったのですが、もっともいじめが多いのは小学2年生だそうで、 いじめは低年齢化しているというのです。 そこで今回は“いじめ”について書いていきたいと思います。 息子が通う学校でも、いじめについて話を聞くことがありました。 ■悪意はないかもしれないけど… 息子の通う学校は登校班がないので、学校まで子どもを送る保護者の方が多いです。 子どもを学校まで送っていると、子どもたちの様子がよく分かります。 そんな中で、たまたまママ友が登校中にひどいことを言っている子たちを見つけて、「そんなことを言ったらいけないよ」と注意したそうです。 小学校低学年というと、まだ物事を相手側の視点に立ってとらえるという認識が育っていない時期でもありますし、しばしばこういう心ない言葉を聞くことも多いものです。 ひどいことを言われた子はどんな気持ちか…。 それを考えてもつらいですが…。 もし言われたのが自分の子どもだったら…と考えると、やはりとてもつらい気持ちになってしまいます。 1年生には、悪意はないかもしれません。 遊びの延長であったり、悪気なく言いたいことを言ってしまうこともあるでしょう。 しかし、相手が嫌な気持ちになってしまったら、 それは“いじめ”ということになってしまうのかもしれません。 息子も、同じクラスの子に何度も物を隠されたことがありました。 私の知っている子だったので、私が直接その子に「息子の物を隠さないでくれるかな?」とお願いしました。 それ以来、その子が息子の物を隠すことはなくなり、無事解決したのですが…。 ■3学期が始まった頃、息子に変化が! 息子は、「絶対に許せない」と言っていました。 さらに冬休みに入ったある日のこと…。 息子が学校で一番信頼しているお友だちの話をしてくれました。 思い出して目に涙を浮かべている息子を見て…。 嫌なことをされた傷は、私が思うよりも深かったのではないかと思いました。 そして、3学期が始まったある日のこと…。 冬休みの間は、あんなに許せないと言って涙を見せることもあった息子でしたが、 その子の優しい一面を見て気持ちが少しだけ和らいだ様子でした。 小学校低学年、ついひどいことをしてしまったり、言ってしまうこともある年齢なのでしょう。 息子が良い気持ちで学校へ通えるよう、これからも見守っていきたいと思います。
2023年01月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 もうすぐ2022年も終わりますね。 みなさまはどのような年末年始を過ごすのでしょうか。 今回は、わが家の年末年始について書きます。 まず、年末というと同居したばかりの頃、義父に言われた言葉を思い出します。 ■お正月がないってどういうこと!? お正月がないとは? と疑問に思いましたが、どうやら親戚付き合いがなかったり、おせち料理を食べなかったり、 イベントらしいことをしない家という意味 でした。 イベントのない家ということで、少し寂しさはあったものの…。 親戚付き合いがないならないでとても気がラクですし、家族とのんびり過ごせて最高! と思いました。 イベントも、なければないでラクなのですよね。 ただし、イベントがあった方が息子が喜ぶので、今後も楽しいイベントはやっていきたいと思っています。 唯一、難しいのが年末年始の食材管理です。 ■毎年食材が余りがちになるのが悩み 家族が休みの日は出かけることも多く、家に帰ってきてからご飯を作る気力がなくなり、 お惣菜などに頼ることも増えるので、毎年食材が余りがちなのです。 今年も大変お世話になりました。 来年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
2022年12月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 小学1年生の息子にほぼ毎日、音読の宿題がでています。 これがまた大変で、私は対応に失敗し、音読を聞かせてもらえなくなりました。 今回は、再び音読を聞かせてもらえるようになるまでのことを書きます。 ■息子が読めないところを指摘していたら…!? 音読の宿題をした後、うまく読めていたら◎、読めていなかったら△、などを保護者が記入しなければいけないのですが、私は正しく読めるようになってほしかったので、息子が読めなかったところを指摘しました。 初めて読む文章は、つっかえたり声が小さかったりしますが、何回か読むと本当に上手に読めるようになりました。 息子は、二重丸がほしいようで、うまく読めるようになるまで読みました。 二重丸をもらえるまで読むなんて、えらいな、と思いました。 そのため、 できていないところは指摘し、できたら褒める…私は、これでいいのだと思っていました。 ある日…。 いつものように音読の宿題をしていたときのこと。 私が二重丸をつけられないと言うと、息子が突然泣き出しました。 泣きながら、もう1回読むと言いました。 悔しい気持ちになりながらもがんばる姿勢は、むしろ良いことのように思ってしまいました。 しかし…。 私に音読を聞かせたくないと言って、息子が泣いたのです。 確かに、私は義母や夫よりも厳しかったかもしれません。 ですが、ちゃんと読めるようになった方が息子のためになることを伝えました。 最初は優しく話していましたが、息子が頑なに私を拒否するのでついカッとなってしまいました。 私は息子が学校で困らないように正しく、きちんと読めるようになってもらいたい、という気持ちがとても強かったのです。 しかし、息子にはわかってもらえませんでした。 「そんなにお母ちゃんに聞かせたくないなら、もういい! 今後音読は絶対に聞かないから!」と、私は怒って部屋を出ました。 落ち着いて、お風呂に入りながら、今後どう息子に接すればいいのか考えていました。 ■私が失敗を通して学んだこと よくよく考えたら、まだ1年生。 宿題をやるだけでもえらいのに、完璧を求めすぎていたのではないかと反省しました。 自分のできなかったところをいちいち指摘されて、息子はさぞ嫌な気持ちになったことでしょう。 私のやり方は、息子にとって音読を嫌いになるやり方だったのかもしれません。 正しく上手に読めることよりも、まず読んだことを褒めるべきだった、と思いました。 息子が二重丸がほしいと言ったら、二重丸をあげるべきだったのかもしれません。 お風呂から出た後、私は息子に怒ったことを謝りました。 音読を聞かせないと言われたことが、とてもショックで悲しくて、それでついカッとなってしまった、と。 息子が学校でうまく読めなかったとき、嫌な思いをしないですむように、正しく読んでほしいと思っていたことを伝えました。 私は息子の音読を聞くのをやめました。 息子が私に聞かせてもいいと思うまで、何も言わずに待つことにしました。 そして、何日かたったある日、息子が音読を聞かせてくれました。 たとえうまく読めていないと思っても、“上手に読めていた”と言うようにしました。 息子がそれでいいと思うなら、二重丸をあげようと思いました。 息子に聞いてみて、もう一度読むか判断してもらうことにしました。 こうして、やっと息子は再び私に音読を聞かせてくれるようになりました。 今でも息子は私に音読を聞かれるのを嫌がることもありますが、そういうときは、同居の強みをいかして、義母に聞いてもらっています。 私から、無理に音読を聞くことはしません。 息子が私に聞いてほしいと思ったときは、 慎重に正しく読むことよりも、楽しく読めるように意識して聞いてあげたいと思います。 ということで、息子に音読を聞かせてもらえなくなった、私の失敗談は終わります。 私自身が子どもの頃、教科書がちゃんと読めず、恥ずかしい思いをしたことがあったので、息子にはそんな思いをさせたくない、と考え過ぎていたかもしれません。 子どものためと思ってあまり口うるさく言ってはいけないな、と実感しています。
2022年11月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 夫と息子、そして義両親と同居している私。 それぞれ食の好みがバラバラで、同居したばかりの頃や息子が生まれた後など、それなりに悩んだりもしました。 今回は、そんなわが家での夕飯作りについて書こうと思います。 一番楽なのは家族全員が食べられるメニューなのですが、作ると時間がかかるものが多い気がします。 例えば、ギョーザ、からあげ、ハンバーグなどは家族全員が喜んで食べますが、時間がある日でないと作れません。 冷凍食品やお惣菜に頼ることもしばしば。 ■家族みんなが食べられるように工夫 私が出かける予定があったり、午後に気力がなくなりそうなときは、 午前中のうちにカレーやハヤシライスなどを作っておくことが多いです。 寒くなってくると、週に1回は鍋と豚汁を作ります。 大人には人気のメニューで、とても楽なのですが、息子は鍋も豚汁も苦手です。 ご飯に鍋の出汁を入れて、具を細かく刻み、卵を入れれば、息子が喜んで食べる雑炊ができあがります。 豚汁も、ご飯に汁と刻んだ具とチーズを入れれば、リゾット風で、息子にも美味しく食べてもらえます。 また、家族に合わせて途中から作り方を変えるメニューもあります。 私と夫は豚キムチが大好きなので、たまに食べたくなるのですが、ほかの家族は食べません。 なので、肉を焼いてから別のフライパンにも肉を入れて、味つけを変えています。 時間のない日は生野菜がラクなのですが、息子が食べられないのでコーンなどでごまかします。 何品も作るのは大変なので、基本的に品数が少ないわが家。 けれど、食べたい物を食べるときにはどうしても品数は多くなりがち。 ■慣れてしまえば何とかなる 品数が多くなりそうなときは、簡単なものしか作りません。 魚を焼くだけとか、ナスはレンジでチンしてポン酢をかけるだけとか。 作る時間がたくさんあれば、ゆっくりいろいろな料理を作りたいものですが、日々やりたいことがたくさんあって、基本的に余裕がない私はラクな方へラクな方へと考えがちです。 それぞれ食べたいもの、食べられるものが違っても慣れてしまえば何とかなるものだな、と思います。 家族が、手抜き料理を良しとしてくれているから、というのもあるかもしれません。 余裕がある日でも、ない日でも、美味しくご飯を食べてくれる家族に感謝しつつ、これからも自分が食べたいご飯、家族が喜ぶご飯を無理せず作っていきたいと思います。
2022年10月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 みなさんはどんな防災対策をしているでしょうか。 今回はわが家の防災対策について書いていきたいと思います。 ■普段使うものを意識して買っている わが家は、普段使うものや食べるものを多めにストックしておき、使ったら買い足すというローリングストック方式を採用しています。 非常食などを備蓄しておくのではなく、“普段使うもの”を意識して買っています。 普段食べていないものを買っておくと、賞味期限がきたときの消費が大変になるんですね。 今はいろいろなものが出ているので、美味しいものもあると思いますが、私が購入していた缶に入ったパンは、あまり美味しくありませんでした。 煮干しやドライフルーツなども普段食べていないものなので、賞味期限がきたときにあまり食べたいと思わず、 これは無駄買い、無駄食いになってしまったな、と思いました。 賞味期限がきたときに、美味しく無理なく食べられるものをストックしないと意味がないと気づいたんですね。 ■赤ちゃんの手口拭きが便利 レトルトご飯はご飯が足りなくなったときに便利で買っておくことがありますが、200gだと私にはちょっと多いんですよね。 賞味期限が近づいてくると、夫が仕事で、息子も学校に行っている日のお昼ご飯に私が食べることが多いので、120~160gくらいの小盛のものを買うようにしています。 日用品についても同じく、普段使っているものを多めにストックしています。 コロナが始まった頃、トイレットペーパーやティッシュ、生理用品などが品薄になったり、ドラッグストアに長蛇の列ができたりしていましたね。 普段多めにストックしていたことで、わが家は焦ることがありませんでした。 それから、息子が生まれてからは、赤ちゃんの手口拭きを箱で買うようになりました。 いまだに便利で箱買いしているのですが、手や口を拭くのはもちろん、掃除にも使えますし、災害時には体を拭くこともできて、万能だと思います。 赤ちゃんのおしりふきでもいいかもしれませんね。 何も、特別なものを準備する必要はないと思うんです。 夫はガソリンをこまめに入れるようにしていると言っていましたが、それだって防災対策につながると思います。 普段使っているもの、食べているものを少しだけ多くストックするだけで、私は気持ちが安心するので続けています。 こうして準備をしておいて、何事もないことが一番良いのですけどね。
2022年09月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の夏はどのようにお過ごしでしょうか。 私はというと、今年は夏休みに入る前に、ママ友と遊ぶ計画を立てることになりました。 ■隣町の公園で花火をすることにした 日中の公園は暑さが心配…。 だったら夕方の公園は? ということで、夕方に集まることにしたのです。 ついでに、花火(手持ち花火)もできたら子どもたちが喜ぶだろう、と。 しかし、市のホームページなどを調べてみると…。 公園での花火は禁止されていて、花火ができそうな場所はなかったのです。 市のホームページに問い合わせ先が書いてあったので、どこか花火ができる場所がないか聞いてみましたが、家の庭以外ではないそうで…。 庭がない家に住んでいる場合、花火をすることすら難しいようでした。 こうなったら、公園での花火がOKの隣町へ行くしかない! そんなわけで、夏休みは隣町の公園で花火をすることに決めました。 私と息子は、軽く夕飯を食べてから行ったので、食べる物はお菓子しか持っていきませんでしたが、おにぎりを持ってきているママ友もいました。 塩分補給もできて良いと思います。 また、100円ショップに「虫よけキャンドルバケツ」というものが売っていて、花火の種火にもなるとのことで、試しに買ってみました。 さらにドラッグストアに花火を固めて捨てられる袋が売っていたので、そちらも試しに購入。 花火は台紙にテープでとめられているものを買ったので、あらかじめはがしておいて、折れないように持って行きました。 ■公園での花火に持ってくと良いものは? 夕方になれば暑さもマシになるだろうと思いましたが、結局、暑いことに変わりはありませんでした。 しかも子どもたちは、遊具でひたすら遊んだり、虫を追いかけたりして、ずっと動き回っています。 みんな汗びっしょりでした。 私は水筒に麦茶を入れて持って行っただけでしたが、保冷バッグに保冷剤を入れて持って行ったり、凍らせたペットボトルを持って行っても良かったかな、と思いました。 また、場所によっては蚊がたくさんいたので虫よけスプレーや、ちょっとしたケガをする子もいたため、絆創膏が役に立ちました。 そして、遊具で遊んだり、花火をするのでサンダルよりも靴の方が安全だと思い靴を履かせていきましたが、サンダルだと砂や小石が入ったりするので、 靴で行って正解でした。 あたりが暗くなってきて、いよいよ花火を始めましたが…。 100円ショップの虫けよキャンドルは、風が強い日だったこともあり、あまり役に立ちませんでした。 風がなければ良かったのかもしれませんが、小さいので使いにくいかもしれません。 ロングライターで何度も火をつけたので、指が痛くなりました。 ライターも100円ショップで買いましたが、もう少し使いやすいものを買っても良かったかもしれません。 一応、水を入れたバケツも用意。 しかし、 花火を固めて捨てる袋に水を入れると、ジェルのように固まって、そのまま終わった花火を入れることができて、とても便利でした。 しかもそのままゴミに出せるので、後片づけもラクにできました。 ■息子や私にとって良い思い出になった お友だちと遊び、花火をして、息子は大満足の様子。 特に今年の夏は暑いので、私は息子と一緒に家の中で過ごす時間が多かったですし、こうしてお友だちと遊ぶ特別な1日があると、息子も私も楽しく過ごせて良い思い出になりました。 夏休みが終わる前に、もう一度、集まろうかと話しているので、準備をしっかりして行こうと思います。 花火は、あっという間に終わってしまったので、つぎはもう少し多めに花火を持っていくことにします。 花火の種火用のロウソクは、もう少し大きな缶に入っているものを購入。 次回はそちらを使ってみたいと思います。 すぐに火が消えないと助かるのですが。 残り少ない夏休み、楽しく過ごせますように。
2022年08月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 息子が小学生になり、初めての夏休みがやってきました。 今年の夏はとても暑い気がします。 夏休み前、息子を学校まで送っていると、日傘をさす子どもたちの姿も見られました。 ■今年は息子と一緒に楽しい夏休みを過ごせそう 今は、女の子だけでなく、男の子も普通に日傘をさしていますね。 息子はまだ傘を持ちながらの登下校が危なっかしいので、日傘を持たせることは、今のところ考えていませんが、もう少し大きくなったら、日傘もいいかもしれません。 水に濡らすと冷たくなるタオルも、なかなか気持ちよさそうに見えました。 そんな、暑い日が続く今日この頃、夏休みをどうやって過ごすか考えてしまいます。 今までの夏休みといえば、暑さもあって、家の中で過ごすことが多かったです。 息子が年少さんのときは、夏休みがしんどくて、 早くひとりの時間がほしい、とよく思っていた気がします。 しかし、今は…。 息子が休みの日は、時間に追われることなく過ごせるので、ゆっくりできていいな、と思えるほど、気持ちに変化がありました。 息子と一緒に楽しい夏休みを過ごせそうです。 夏休みの目標なども息子と一緒に考えることにしました。 ■息子の夏休みの目標は…!? 息子はテーマパークに行きたいようでしたが、夫の休みの都合もありますし、旅行に行くとしても、近場で…と思っていたので、申し訳ないですが、この目標は却下しました。 ということで、息子の夏休みの目標は、 部屋を片づけてお友達と遊ぶこと、そして、本を18冊読むこと、だそうです。 すでに、お友だちと遊ぶ予定もあるので、私も息子と一緒に部屋の片づけをしつつ、物を減らしたり、まだ読めていない買った本を読もうと思います。 息子が赤ちゃんのときは、たくさん本を読んであげていたのですが、あまり本に興味がないようなので、ここ最近は本を読んであげることもなくなっていました。 もちろん、自分から読むこともありません。 しかし、学校で夏休みの宿題に本を読むというのがあったので、目標にしたようです。 自分で読んでも、読んでもらってもいいとのことなので、息子は読んでもらう気でいるようですが。 家には息子が読むような本があまりないので、図書館にも連れて行こうと思います。 こういうことをきっかけに、いろいろなことに興味を持ってもらいたいですね。 みなさまも、楽しい夏休みを過ごせますように。
2022年07月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の春から小学生になった息子。 ひとりで登校することに不安があるようで、まだひとりで学校には行けません。 帰り道はお友だちがいるので、途中までは帰ってきます。 もともと息子は慎重な性格ということもあり、1年生の間は送り迎えを覚悟しています。 ■通学路以外の道から帰りたがる子がいる 息子と一緒に登下校していると、同じ1年生の子の様子がよく分かります。 通学路はあらかじめ決まっているのですが、上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子のなかには、1年生でも別の道から帰りたがる子がいます。 「こっちの方が近道」「こっちから帰ろう」と、声をかけてくれます。 ただ、決められた通学路以外の道を通って事故にあった場合、保険がおりなかったり、途中まで保護者が迎えに来ているのに、行き違いになってしまうこともあります。 息子にはそう説明して、ちゃんと通学路を通って帰ってくるように伝えたので、今のところ通学路を通っていますが、一緒に帰ってくるお友だちには「別の道から帰ろう」と、よく誘われているようです。 大雨の日、着てきたレインコートをどうしたらいいのか分からず、立ち尽くしている1年生の子を見かけます。 とくにランドセルを背負ったまま着ることができるタイプのレインコートは、着にくく脱ぎにくいようです。 自分の子どもを送ったついでに、保護者が脱ぐのを手伝っていたり、子どもたち同士で手伝っていたり、ほほえましい姿も見かけます。 ■息子のお友だちがランドセルを背負ったまま遊びにきたけどけど… お友だちと一緒だと帰れるけれど、ひとりだと帰るのが不安、という子もいました。 帰り道が同じ方向だったので、途中まで一緒に帰りましたが、無事、保護者の方に会うことができました。 帰り道が同じ方向の保護者の方と話すことができて、心強かったです。 息子と家に帰ってきて、庭で植物に水をあげていたときのこと。 息子のお友達がランドセルを背負ったまま、庭にやってきました。 息子もお友だちも一緒に遊びたがりますが、こちらとしてはヒヤヒヤします。 まだ1年生。 帰るのが遅いと保護者の方は心配しているだろう…と。 保護者の連絡先を知っている子はまだ良いのですが、連絡先も分からない子の場合は困ってしまいます。 こちらも心配になり途中まで送ったら、保護者の方が心配して探しにきていたこともありました。 小学生になり、まだ数ヵ月。 かわいい1年生の子たちをこれからも見守っていきたいと思います。
2022年06月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の春から小学生になった息子。 一番の心配は給食でした。 今回は、幼稚園と小学校での給食(またはお弁当)事情について書こうと思います。 幼稚園では給食(またはお弁当)の時間が苦痛で、登園拒否が続いたこともあった息子。 先生によっても違いましたが、厳しい先生だと、嫌いな食べ物も食べなければいけない、という圧のようなものがあったようなのです。 特に年少の頃、息子は苦手な食べ物を口にすると、吐いてしまうことがあったので、 あまり無理に食べさせないでほしいと先生にお願いしたこともありました。 息子が通っていた幼稚園は、給食とお弁当が選べる日がありました。 お弁当を作るのが大変なので、本当はすべての日を給食にしたいくらいでしたが、息子の強い希望で、どちらか選べる日は、お弁当を作っていました。 お弁当なら、息子が食べられる物だけを入れられますし、息子はお弁当が大好きで、お弁当を残すことはほとんどありませんでした。 しかし、年長になったある日から、息子はお弁当を残すようになったのです。 ■楽しみにしていたゼリーを残して帰ってくるようになった この頃、幼稚園では小学校を意識して、昼食の時間が短くなっていたのです。 息子は、甘いものは基本的に何でも大好きで、お弁当のデザートにつけていたゼリーを食べることも、とても楽しみにしていました。 それなのに、 ゼリーを残して帰ってくるなんて、とても信じられませんでした。 「ご飯やおかずを残してもいいから、時間が無くなる前にゼリーは食べなよ?」と伝えていたのですが、やはりお弁当を残すと、ゼリーには手をつけずに帰ってきていました。 お弁当を残しているのにゼリーを食べると「まだおかずが残っているのに、デザートを先に食べてる!」と指摘してくる子もいたようです。 幼稚園では、デザートは最後に食べるというルールがあったのですね。 もちろん、気持ちは分かります。 私も家では、デザートはご飯とおかずを食べてから、とよく言っていますから。 ただ、息子を見ていると、とても切なくなりました。 ■ついに小学校で給食が始まった! 時間内に食べ終われるように、お弁当の量をかなり減らし、ゼリーをつけることもやめました。 本人も、その方が気持ちがラクだったようです。 しかし、幼稚園でも時間がないと、あまり食べられない息子だったのに、小学校は毎日給食で、一体どうなってしまうのだろう…。 そんな不安がありました。 ついに小学校で給食が始まり…。 苦手な野菜が多く、おかずを残してしまう息子は、やはりデザートを食べられないようでした。 給食のメニューを見ても、息子の苦手なものが多そうでした。 ひどいときは、牛乳のほか、ご飯しか食べられないんじゃないかと思うような日もあります。 もちろん、少しずつ苦手な食材も食べられるようになってほしいと思いますが…。 それよりも、 給食が原因で“学校へ行きたくない”と思ってほしくありませんでした。 食べられない物が多いからこそ、デザートくらいは美味しく食べてもらいたい…。 そんな気持ちもありました。 「もし、先生やクラスの子から、デザートを食べることで何か言われたら、お母さんが先生にお話するから」と息子に伝えました。 後日…。 ■小学校の方が昼食でのストレスは少ない様子 息子は目を輝かせながら、学校から帰ってきました。 「ご飯とおかずを残しても、デザートを食べていい」 と先生が言ってくれたと、とても喜んでいたのです。 どうやら、幼稚園よりも小学校の方が昼食でのストレスは少ないようで、息子は毎日、楽しく学校へ行っています。 3年間、あまり幼稚園へ行きたがらなかった息子。 「幼稚園、行きたくないなー」が口癖のようだった息子。 その息子が「小学校行きたくない」とはまだ1回も言っていないことに、正直、驚いています。 大人からすると、そんなことで…と思うような小さなことでも、子どもにとっては重大なことだったりするので、幼稚園と小学校での昼食事情も少しは関係しているのかもしれないな、と思ったのでした。
2022年05月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、結婚し子どもが生まれたら変わった夫のことについて書こうと思います。 夫との出会いは職場でした。 ■夫とは職場恋愛をへて結婚 夫はふざけたり、冗談を言ったりして、周りの人を笑わせていて、おもしろい人だな、と思っていました。 ときに冗談が行き過ぎて、人を傷つけることもありましたが、仕事に対する姿勢を尊敬していました。 職場で出会ったので、仕事中はよく注意されることもありましたし、厳しい人だな、とも思っていました。 でも、その真面目さを見て、 この人と結婚する人は幸せだろうなぁ、と思ったのです。 縁があって付き合い結婚すると、夫は変わりました。 仕事のグチや不満をよく口にしてイライラすることが多かった夫ですが、私の前でイライラすることが格段に減りました。 子どもが苦手ということは知っていたので、自分の子どもができたら、どういう反応をするのか、少し怖い部分もありました。 その前に、子どもをほしいと思っているのか、そういうことを何も聞かずに結婚してしまったので、それを知るのも怖かったのです。 その後、息子が生まれましたが…。 ■息子が生まれてから、さらに変わった夫 息子が生まれたとき、面会はガラス越しでした。 ガラス越しに、早くまた抱っこしたい、と言っている夫を見て、かわいいと思っているんだな、と意外に思いました。 そして、現在も…。 息子が生まれたときから「かわいいかわいい」と言っていた夫。 大きくなっても「まだかわいい」と、親バカ全開です。 出会ったばかりの頃の夫とは変わり過ぎていて、正直なところ、夫がここまで変わるとは思っていませんでしたが、これはうれしい誤算でしたね。
2022年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 先月、6歳になった息子も無事卒園し、来月からはいよいよ小学生です。 幼稚園での3年間で、息子は大きく成長しました。 息子のおかげでママ友もたくさんできて、私自身もとても楽しい3年間でした。 ということで今回は、ママ友に感謝していることについて書きたいと思います。 息子が生まれてからしばらくは、私にはママ友がひとりもいませんでした。 ■プレ幼稚園で奇跡的に初めてのママ友ができた いなきゃいないで気が楽かもしれない、とは思いつつ、それでもママ友がいたらなぁ、という気持ちはどこかにありました。 子育て支援センターに行ってみたり、離乳食教室に参加してみたり、公園へ行ったり、人と話す機会はありましたが、ママ友はできませんでした。 息子が2歳を過ぎたころ、プレ幼稚園へ通うことになりました。 そこで奇跡的に初めてママ友ができたのです。 プレ幼稚園で出会ったママさんは、とても社交的な方で、メッセージアプリのグループに招待してくださったのです。 この時、私は1人のママさんしか知らなかったのですが、メッセージアプリのグループには、ほかに3人のママさんがいたので、文章にとても気を遣いました。 普段は使わない絵文字などをほかのママさんが使っていたので、マネして使ってみたり、最初の1週間はドキドキしていましたが、時間が解決してくれました。 顔と名前が一致して、誰がどんな人かも分かると、 あっという間に気楽に話せる間柄になりました。 プレ幼稚園で母子分離が始まると、何人かで集まっておしゃべりする機会ができました。 この頃は、子どもと離れることが、ほとんどない時期だったので、こうして子どもと離れて人と話すことが楽しくて仕方がなかったのです。 すごいと思ったのは、ママ友と話していて、 人の悪口を言うような人がひとりもいなかったことです。 私が想像していたママ友のイメージとはまるで違い、ほど良い距離感で、安心して付き合えました。 時に子育ての不安を共感し合い、お互いに励まし合い、とても良い関係でした。 良い縁に恵まれて、ありがたい3年間を過ごせました。 幼稚園のイベントのお手伝いなどにも積極的に参加できたのは、ママ友がいたからだと思います。 私ひとりだったら、とても参加する勇気はなかったでしょう。 息子は友だちを作ることが、そんなに得意ではないのですが、お友だちと個人的に遊ぶ機会があったからこそ、仲良くなれた気がします。 ■幼稚園がこんなに楽しかったのはママ友のおかげ 最初はなかなか私の側を離れない息子でしたが…。 時間がたつと、お友だちと一緒に遊べるようになりました。 個人的に遊んだことがきっかけで、 幼稚園でも仲良くしていたようです。 仲の良いママ友とは、小学校がバラバラになってしまうので、残念ではありますが、今やママ友というよりは、普通に友だちになってしまっているので、これからも変わらず、ランチに行こうと思います。 不安だった幼稚園がこんなに楽しいものになったのは、 間違いなく、ママ友のおかげです。 良い出会いに本当に感謝しています。 これから息子は小学生。 息子にも、私自身にも新たな出会いがありますように。
2022年03月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 先日6歳になったばかりの息子ももうすぐ卒園。 春にはいよいよ小学生です。 息子が入園してから、いろいろなことがあったなぁ…と、遠い日の出来事のように思います。 反省も多かったあの頃を思い出しながら、入学に向けて大事だと思っていることを再確認しようと思います。 息子が入園する前のこと。 私にはいくつかやっておきたいことがありました。 ■息子にパンツで1日過ごしてもらう作戦を決行 3歳の誕生日を迎えたばかりの息子。 いよいよ入園が迫っていました。 年少になるにあたり、日中のオムツだけでも卒業させておきたい、着替えもひとりでできるようにさせておきたい、と考えていました。 そこでやったのが、パンツで1日過ごす作戦。 1週間もたてば「トイレにいく」と言い出すのではないか…と思い始めたのですが…。 尿意がまるで感じられない様子でした。 トイレに連れていっても出ることはないのに、30分もたつといつの間にか漏らしている…。 そうして1日が終わっていきました。 これが何日も続くのか…そう思うと、酷くストレスを感じました。 私は割と短気なこともあり、このまま続けると息子を怒鳴りつけてしまいそうなので、一旦、あきらめました。 きっと、息子にはまだ早いのだろう、と思うことにしました。 プレ幼稚園の日…。 ほかのママさんがトイトレをがんばっている姿を見て、 私は他人事のように“私には無理だ”と思いました。 いくら怒ってはいけないと自分に言い聞かせても、私はきっと息子を怒らずにはいられないだろう、と。 そんなことをしてもお互いに嫌な気持ちになるだけですし、私はもう少し時間をかけたいと思いました。 しかし、時間はあっという間に過ぎていきました。 幼稚園の生活にも慣れ始めた年少の夏休み前のこと…。 ■オムツで登園しているのは息子だけと知った 担任の先生から電話をもらいました。 みんなパンツで登園していて、オムツで登園しているのは息子だけ、とのことでした。 このときの息子はパンツを嫌がっていました。 私と息子のペースで、のんびりやっても、そのうちトイレに行けるようになるだろう、と思っていました。 でも、どこかで焦る気持ちがありました。 何度も声掛けに失敗しました。 そんなことを繰り返すうちに息子に厳しくあたってしまったことも。 息子はとてもマイペースで人のことを気にしている様子はありませんでした。 そんな息子を見て、私は時に焦ることがありました。 けれど、焦ってもいいことは何もありません。 私自身、とてもストレスを感じやすくなっていて、情緒不安定な時期でもありました。 このままではいけない、と強く思い、私はがんばることをやめました。 息子は息子。私は私。 誰に何と言われようと、お互いのペースを考えながらのんびりやっていくことを決めました。 それからはわりとスムーズで、気がついたら息子はひとりで着替えられるようになっていたし、夏休みが終わるとパンツで登園できるようになりました。 具体的にどんな声掛けをしていったのかも、今では覚えていないほど、少しずつ少しずつ、自然と息子は成長していきました。 ■何事も無理に周りに合わせる必要はない 私の育て方がいけなかったから息子はいつも一番最後なんだろうか、と思ったこともありました。 私がもっとちゃんとした母親だったら、と思ったこともありました。 でも、誰もそんなことを思う必要はないのだと思います。 すべての人ができるからといって、それが自分にできることとは限りません。 自分にできることをすべての人ができるわけでもありません。 子育てにおいて早くできることがいいことのように思われがちですが、そんなことはまったくないと思います。 子どもが成長したとき、オムツがはずれたのはいつだったのか、ひとりで着替えられるようになったのはいつだったのか、そんなことを聞かれることはまずありません。 覚えている人も少ないかもしれません。 そんなことは、大人になればどうでもよくなるのです。 最初から、自分を信じて、子どもを信じて、ふたりのペースでやっていたらお互いにとても良い気持ちで乗り越えられただろうと確信しています。 もうすぐ息子は卒園し、そして入学します。 これから先も、私と息子にとって必要なことは、無理に周りに合わせることではなくて、マイペースに楽しんでいくことだと思っています。
2022年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 2022年になりましたね。 今年はどのような1年になるでしょうか。 去年は、父が脳出血で入院、そして退院し、祖母が亡くなるなど、実家ではいろいろな変化がありました。 年末は特に慌ただしかったのですが、今年に入り、ゆったりとした気持ちで過ごせています。 今年、私が一番気になっていることは、息子が小学生になることです。 ■小学校に入学して息子の環境が大幅に変わることが不安 息子が年少のときは、登園拒否が激しかったことをよく覚えています。 年中になり、泣くことは減っても、なかなかスムーズに登園することができず、 “一体いつになったらスッと幼稚園に行ってくれるのだろう…” と、よく考えたものです。 そして年長の今、ようやくスッと登園するようになりました。 昨日まで遊んでいたと思ったら、突然、授業が始まるのです。 大幅に環境が変わるので、不安がないわけではありません。 せめて、ひらがなだけでも書けるようにと、ドリルを買ってみたものの、文字を書くのはめんどうくさいようで、なかなか進まないのです。 大好きなことには、ものすごい集中力を発揮しますが、興味のないことは一瞬で飽きるのですね。 ■PTA活動についても気になっている 勉強することが本当に苦痛ならば、勉強はしなくてもいいと思っているんです。 自分に必要なことというのは自分が一番分かっている、と思うからです。 やりたくもないことを無理やりやらせることによって、大人になったとき、自分が何をやりたかったのか分からなくなってしまうんじゃないか、と。 とはいえ、ひらがなくらいは、早めに覚えておいてもらいたいのも事実です。 もうひとつ、小学校で気になることと言ったら、PTA活動です。 子どもが低学年のうちにやっておいた方がいい、とよく聞くのですが、そういうものなのでしょうか。 どうせ避けては通れなさそうなので、今年はPTA活動を積極的にできたらな、と思っています。 同じように考えている保護者の方もたくさんいらっしゃると思うので、実際にできるかどうかは分かりませんが、めんどうくさいながらも楽しみでもあるのです。
2022年01月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年一番衝撃的だったわが家のニュースといえば、私の父の入院、そして退院です。 年内に退院できたこと、とても嬉しく思います。 父もホッとしていることでしょう。 今年の春、「父が倒れた」と母から連絡をもらったときは、どうなることかと思いました。 ■母からの連絡に頭が真っ白になった “父が冷たくなっていた”と、母が言うので、即死かと思ったんです。 あのときは頭が真っ白になりました。 今年一番の衝撃は、まさしくこのときでした。 つい数時間前に笑顔で手を振っていた父が、まさか倒れるとは思ってもみませんでした。 父は約1カ月、意識不明だったと思います。 コロナの影響で面会することもできず、父の意識が戻ったのか戻っていないのかも、よく分からない状況でした。 医師の話によると…。 絶望的でした。 趣味ができないどころか、 「脳出血で脳の一番大事部分が出血しており、もう考えることができるかどうかも分かりません」と、医師が言ったのですから。 けれど、私たち家族は医師の言うことを信じませんでした。 父が倒れて何日かは、まさかこんなことになるなんて…と、家族は信じられない気持ちでしたが、その後は驚くほど前向きに考えていました。 いつまでも落ち込んでいても、父の意識は戻らない。 それならば、前向きな想像をしよう、と。 そうして、私や母、祖母も少しずつ普段の生活に戻りました。 父が倒れてから約1カ月後…。 ■退院後の父は驚くほど回復していった 1カ月ぶりに、まともに父に会うことができました。 父の表情が乏しく感じましたが、意識が戻り、寝たきりの状態から、車イスに座れるようになっていました。 転院した後の父は、驚くほど回復しました。 あれよあれよという間に、栄養を送っていた鼻のチューブが抜け、自力で食事ができるようになり、歩行の練習が始まりました。 秋になり、ぼちぼちと退院の話がでるようになった頃…。 母は「どうしてこんなことになったのか」と、よく言っていました。 父が退院したあとのことなど、不安もあったと思います。 けれど、最終的には 「きっと何とかなるわよ。そんな気がするわ!」 と、前向きでした。 そして、父は退院しました。 自力でつえをついて歩けるようになって。 訪問リハビリにて、目標があると良い、という話になり、“またできるようになりたいこと”を聞かれたとき、 「またテニスをしたい」 と父は言いました。 とてもやる気があり、向上心が高い父。 もしかすると、またテニスができるくらいに回復する可能性もあるのでは!? なんて、思ってしまいます。 これからも、そんな父を見守っていきたいです。
2021年12月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 コロナ禍も早いもので2年目なのですね。 私自身、コロナ禍になったことで、気持ちにも変化がありましたし、息子の幼稚園でも変わったことがたくさんありました。 今回はコロナ禍での変化について、書いていきたいと思います。 まず、私自身の変化について。 ■一番の感染症対策は何なのかにたどり着いた それこそ1年前までは、コロナへの不安が大きく、少しでも多くの情報がほしいと思い、調べてばかりいました。 そして、一番の感染対策は、 “免疫力を高めること” なのではないか、という結論に至りました。 体のために良いことは取り入れていこうと、考え始め…。 体のために、地元の旬の食材を意識して買うようになりました。 こんな時期だからこそ、地元を応援したいという気持ちもありました。 コロナ禍になる前は、流れに身を任せて生きていたように思いますが、今は、納得できないことをするのはやめよう、という気持ちになりました。 その方が、自分を大切にできると感じますし、悔いも残らないと思ったからです。 ということで、私自身の変化もたくさんありましたが、次に、息子が通う幼稚園での変化について書きたいと思います。 もともと息子が通っている幼稚園は役員がなかったのですが、その代わりに、イベントの前にはお手伝いを募集していて、保護者も幼稚園のイベントを手伝うことができました。 私は息子の幼稚園での様子を少しでも知りたかったこともあり、息子が年少さんのときは、積極的にお手伝いに参加していました。 しかし、コロナ禍でイベントが減り、規模も小さくなり、息子が年中さんになると、お手伝いの募集もなくなってしまいました。 イベントがなくなる寂しさもありましたが、お手伝いがなくなると、気持ちはとても楽になりました。 今の年中、年少さんの中には、遠足を知らない子もいると知り、それを聞いたときに悲しくなりました。 イベントが減ると楽な一方、遠足くらいは行かせてあげたかったです。 しかも、保護者が幼稚園へ行く機会が減り、子どもの幼稚園での様子を知ることが、以前より難しくなったと感じました。 ■コロナ禍になり、変わってよかったこと 運動会は、中止にはなりませんでしたが、規模が小さくなりました。 時間帯で区切られ、あっという間に終わりました。 運動会と言えば、早起きしたにも関わらず、お弁当作りに時間がかかってしまった記憶がありますが、そのお弁当作りがなくなったのは嬉しかったです。 早くから場所とりをする必要もなく、それもとても楽だったので、 毎年これでもいいかもしれないな、と思ってしまうほどでした。 そして最近、就学前健診がありました。 時間がかかると噂に聞いていたのですが、コロナ禍ということでグループ分けされており、受付時間がいくつかあったので、すぐに終わりました。 コロナ禍にならなければ、変わらなかったこともあると思うので、ある意味、よかった部分もありました。 ただ、何事にもメリットとデメリットがあるので、今後もよかったと思うことは取り入れながら、臨機応変に考えたいものですね。
2021年11月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 結婚を機に、義両親と同居を始めて早くも11年が過ぎました。 友人や知人に義両親と同居していると言うと、よく言われるのが 「私は同居は無理」 という言葉。 義両親との関係は悪くはないのだけど、同居となると話は別、という人も多いようです。 義両親にご飯を作っても、なぜか食べてもらえない…。 義両親が勝手に子どもにお菓子をあげてしまって困っている…など、義両親との関係について悩みを聞くこともあります。 私が個人的に、同居に必要だと思うことが2つあるのですが、同居に限らず、義両親との関係でも大切なことかもしれません。 今回はそのことについて書こうと思います。 ■義母の態度を見て嫌われているのでは? とよく思っていた 同居したばかりの頃は、義母の態度を見ては“自分は嫌われているのではないか…”と、よく思ったものです。 直接“嫌い”と言われたわけでもないのに、相手の気持ちを確かめることもなく、勝手に想像して落ち込んでいました。 ちゃんと話をしてみれば、何のことはないということは、案外多いのではないかと思います。 私はじっくり話をしてみたら、もやもやが晴れることが多かったです。 話して、余計にもやもやする場合もあるかもしれませんが。 ということで、同居に必要なこと1つ目は、 “話し合うこと”です。 勝手に不安に思う前にちゃんと相手の話を聞くこと、話し合うことは、とても大事だと思っています。 同居に必要なこと2つ目は、 “相手の気持ちを尊重すること”です。 当たり前のことのようですが、人はそれぞれ、自分の意見を持っています。 その意見が、必ずしも同じとは限りません。 むしろ、違うことの方が多いのではないでしょうか。 例えば、私は息子のアトピーを気にして、なるべくお菓子をあげたくない、と思っていました。 そこへ、義両親が勝手に息子にお菓子を与えたら、どうでしょう。 私はいい気持ちはしませんよね。 ■義両親にイライラするのは当たり前なこと! 大事なのは距離感 私が同居できている理由のひとつに、義両親が私の育児を尊重してくれている、というのがあると思います。 例えば、息子はアトピーがあるので、なるべくお菓子は控えたい、ということを説明したときにちゃんと受け入れ、私に確認してくれることが増えたので、とてもありがたかったです。 たまに、何でもない日にケーキやお菓子、甘い菓子パンを買ってきてくれたりするときもありますが、それはそれで、ありがたくいただいています。 完璧にきっちりとしなくても、お互いに歩み寄る気持ちがあれば、うまくいくのではないかと思っています。 時には義両親にイライラすることもあると思います。 イライラするなんて、当たり前のことだと思います。 実の親にイライラすることもあれば、夫にイライラすることもあるし、子どもにイライラすることもあるでしょう。 イライラしない関係になれたら、それが一番いいとは思いますが、 義両親にイライラするなんて当たり前のこと! と思っていれば、気持ちも多少楽になるかもしれません。 同居というのは、お互いが歩み寄ろうとする気持ちがないとなかなか難しいものです。 どちらかが近づいても、もう一方が拒否したら、いい関係を築くことはできません。 干渉し過ぎても、まったく関心がなくても、うまくはいかないのかもしれません。 もし、うまくやっていくのは難しいだろうと思ったら、ちょうどよく距離をとった方が、お互いの幸せになることもあると思います。 “これが正解”というものなどはなく、関係は相手によって変わります。 気楽に考えたいものですね。
2021年10月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 子どもの成長を素直に喜べない、子どもの手が離れていくことが寂しい…。 そう思うママさんは多いと思いますが、私はまったく思ったことがありません。 息子の成長がただただ嬉しい…! 今日は、そんなわが家のお話を書きたいと思います。 ■息子が幼稚園に行くことでの開放感がものすごかった 息子が幼稚園に通い始めたときのこと、 「今まで当たり前に一緒にいたから、子どもと離れることが寂しい」 そう、ママ友が言っているのを聞いて、“そう思う人もいるんだなぁ…”と思いました。 息子が幼稚園になじめるのかどうか、気になる部分はありましたが、それよりも何よりも、私は子どもが幼稚園へ行くことでの解放感がものすごく、最高に嬉しく思っていました。 今になって思うのですが、息子が生まれてからの私は無意識にがんばりすぎていたのかもしれません。 自分がつらいと思っても、我慢することは多かったように思います。 それが当たり前なのだと思っている部分もあったと思います。 私にとっての理想の母親というものを意識し過ぎていたかもしれません。 例えば、自然と卒乳することが理想でした。 それよりも先に、息子が話せるようになったら、話し合って授乳をやめたいと思っていました。 結果、卒乳というよりは話し合って断乳したのですが、結局、3歳まで授乳しており、精神的にも肉体的にも、とてもつらい時期がありました。 後悔はしていないので、あれはあれで良い経験だったかな、とも思いますが、もっと適当でよかったのだろうと今になって思います。 初めての育児、分からないことだらけで、神経質にもなりがち。 心配しがちでしたね。 ■息子が生まれてから私の中にずっと不安があった 私は心配してばかりいました。 ちゃんと息子を育てられているのかが不安だったのです。 息子は日々成長しているのに、世の中の平均と比較してしまったり。 子どものアトピーが治らないのは、私が作る食事に原因があるのではないかと、ネットで検索してばかりいました。 子どもには個人差があるし、息子は大丈夫! と信じてはいたものの、どうしても気になってしまうことは多く、息子が生まれてから 私の中にずっと不安があって、何かあるたびに思い悩んでいました。 それが、今はどうでしょう。 まとまって息子が眠るようになり、私もまとまった睡眠時間がとれるようになりました。 授乳を終えた寂しさなど、ほぼありませんでした。 ただただ解放感。 天国だと思いました。 ずっと目を離せなかった息子でしたが、少しの間、ひとりで遊べるようになり、徐々に目を離せるようになりました。 そのうえ、今では勝手に義両親の部屋へ遊びに行くようになりました。 ■わが家はこれでいいんだ、とようやく思えるようになったのは…!? 私は同居しているので家事をするときなど、義母に息子を見てもらうことが多かったのですが、 「見ていてもらえますか」 「おねがいします」 と声をかけることがありました。 しかし、それが地味にストレスでもありました。 世の中のお母さんは同居していない人がほとんどで、それでもひとりでがんばっている。 子どもを義母にお願いすること自体がおかしいのではないか、本来ひとりでがんばるべきなのではないか、こんなに手伝ってもらっているのに育児がしんどいと思うこと自体がいけないことなのでは、とよく考えていました。 しかし、息子が勝手に義両親の部屋へ行くようになり、お互いが楽しそうにしている姿を見ると、 わが家はこれでいいんだ、とようやく思えるようになりました。 とにかく、息子の成長というのは、私にとっては嬉しいことだらけで、日々、楽になっていくという実感しかないのです。 無意識にたまりにたまったストレスが、息子の成長とともになくなっていったのでしょうか。 単に、私が子育てに向いていなかったというだけかもしれません。 この先、また悩むこともあるのでしょうが、息子が赤ちゃんだったころの私の精神状態を考えると、何でも乗り越えられそうな気さえするのです。
2021年09月26日