子育て情報『今すぐ知りたい!  親子のための、学ぶアプリ探検隊 いわさきちひろ 生誕一〇〇年 ~ちひろの目を通して考える「戦争」と「平和」』

今すぐ知りたい!  親子のための、学ぶアプリ探検隊 いわさきちひろ 生誕一〇〇年 ~ちひろの目を通して考える「戦争」と「平和」

同じころ、書道を習い始め、こちらはのちに人に教えるほどの腕前になったようです。

その後、両親の勧めるままに結婚して満州・大連(現・中国遼寧省大連市)にわたります。夫の自死という形で結婚は幕を閉じ、再び東京の実家に戻ります。そこでまた絵筆をにぎることになるのですが、その矢先に太平洋戦争が始まります。「ぜいたくは敵だ」などと言われ、町から色彩も自由も失われていくのをちひろは目の当たりにしているんですね。

教師だった母はそのころは大日本連合女子青年団という団体で、日本から満州の開拓団へ「大陸の花嫁」※を送り出す仕事に就いています。その関係で、ちひろも妹たちといっしょに満州へ渡ります。やがて九死に一生を得て終戦直前に帰国したちひろは、東京で空襲に遭い、家を焼け出されました。
そして両親の実家がある長野で終戦を迎えます。

※「大陸の花嫁」……日本が満州を開拓するために送り込んだ10代の少年たちの結婚相手として大陸に送られた10代の少女たちのこと。

戦前戦中は、比較的恵まれた環境にいることも多かったちひろの生活が一変したのは敗戦からでした。疎開先の長野で、東京に出て絵の勉強を続けたいという思いを募らせるのと同時に、ちひろはこの地で聴いた日本共産党の講演会によって、なぜこのような戦争が起こったのかを知ります。また戦争に反対したために牢に入れられたり殺されたりした人たちがいたということもはじめて耳にし、大きな感銘を受けています。

一方で国策に従って精力的に動いていた母や、軍に属して航空燃料の工事建設を行なっていた父のこと、何も知らずに暮らしていた自分のことを振り返って、加害者の側にいたことを反省し、「二度と戦争を起こしてならない」という強い気持ちをもつようになります。自ら日本共産党に入党したのもこの時期でした。

ちひろは戦争について知ることで、今までの自分の生き方を模索しながら折り合いをつけていったのだと思います。
戦後、疎開先で書いていた日記を読むと、ちひろの葛藤が見てとれ、戦争が人生のターニングポイントになったことがわかります。――絵描きになる前の「いわさきちひろ」に、そのような原点があったのですね。

高津:ちひろは晩年このように言っています。

「青春時代のあの若々しい希望を何もかもうち砕いてしまう戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います。

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