2017年1月3日 13:00
子どもの就学先、悩んで当然!支援級と普通級の狭間でわかったこと
本人が悩み苦しむ権利も奪っているのでは?」
そう問いかけられ、私は何も言うことができずにいました。
その日をきっかけに「支援級という選択は子どもの悩み、苦しみ、戦う権利さえ奪ってしまうのでは…」「私たちが味わってきた青春を、息子から奪ってしまうのでは?」と考えるように。
そしてとうとう、「やっぱり、普通級がいいんじゃ…」と、それまでの考えがガラリと変わってしまったのです。
「普通級へのこだわり」。淡い期待はいつしか譲れない目標へと変わり…
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私に突如訪れた「普通級へのこだわり」の犠牲者はもちろん息子です。私はとにかく
●45分椅子に座っていられる
●先生の指示を聞ける
これを息子の人生の目標と言わんばかりに、療育先には「療育の内容を普通級を見据えた内容に」とお願いしました。
この頃にはもはや、「障害特性が許せない」という心理状態だった私。
今なら、「特性が許せないということは、子どもの存在が許せないということ」だとわかるのですが、当時は特性だからと理解できていた行動も許せなくなっていました。
私の期待をよそに、他の子と比べ群を抜いて「できない」息子。そんな姿を目にしては、毎日泣く日々が続きました。
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その後訪れた発達検査の日、私のイライラはついに爆発します。
「どうしていつもこうなの!小学校にすらまともに入れてもらえないんだよお前は!!」
息子を怒鳴りつけ、帰りの車で息子と2人で泣きました。
これまで大きな声をあげたことはあったけれど、息子を傷つける言葉を言うために怒鳴ったのは初めてでした。
このままじゃいけない、それはわかっているけれど今この「普通級の選択」から逃げたらどうなってしまうのか…。
「ある日突然開眼して、勉強ができるようになるんじゃ」「すごい芸術家になるんじゃ」そんなことにすがっては、いつの日か「普通」の子たちと交わる人生を勝手に期待して勝手に傷ついて、その矛先を息子に向けていました。
そんなとき訪れた講演会。周囲との違いを認めなかった私に届いた、ある言葉
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どん底の日々を過ごしながらも、障害や支援についての勉強をやめなかった私。