子育て情報『「普通」を望む親心は条件付きの愛だったー自閉症児の親子を取材して、小児科医が願うこと』

2018年11月9日 07:00

「普通」を望む親心は条件付きの愛だったー自閉症児の親子を取材して、小児科医が願うこと

しかしこの夢はよく考えてみれば、私たちの誰もが心の中に抱く夢です。そういう意味では「普通」の夢です。

「普通」であることを否定されそうになった母は、医師の診断を誤診だと考え、ドクターショッピングに走ります。5つのクリニックや病院を回った末に、母は自閉症という診断を認めざるを得なくなります。しかし、だからと言って勇太君の未来を諦めてしまうわけではありません。2つの施設に通って療育を受けるのです。

けれども、勇太君を「普通」の子にすることはできませんでした。療育の成果はありましたが、勇太君はあくまでも知的障害を伴う自閉症児なのです。
保育園に通う勇太君はみんなと同じ行動が取れません。一列に並んで同じ格好をして歌を歌う子どもたちと離れ、勇太君は一人で絵本を眺めています。その姿を見て、母は絶望的な気持ちになります。この気持ちから母はなかなか抜け出すことができず、抗うつ剤を服用することになります。

ではなぜ、母は我が子の障害を受容できたのでしょうか?それは偶然ある日、精神科病院の鉄格子の向こうに小学生くらいの子どもが佇んでいるのを窓の外から見てしまうからです。その病院は、適切な育児を受けなかったためにストレスが昂じ、うつ病や統合失調症を併発してしまった自閉症児が入院していることで知られていました。母は見知らぬ少年の姿を見て、ようやく我が子が「普通」に生きていくことを諦めるのです。


子どもではなく、親自身が変わる

障害児を授かる親の心理的変遷を分析した専門家の報告は多数ありますが、ある学者は、障害児の誕生を親にとっての「期待した子どもの死」と見なしています。


死の受容というのは、決して簡単なことではありません。最終段階の受容とは「諦め」であると言えるでしょう。しかしながら、障害児を育てるためには「諦め」の先があるはずです。つまり「障害を生きる」という人生が待っているのです。

このためには、今まで持っていた古い価値観を捨てて、新しい価値基準を構築し、我が子に対して「あなたは、あなたのままでいい」と承認する必要があります。

この作業は、まさに「普通」であることの呪縛を断ち切り、世間並みという横並びの生き方と決別し、我が子にとって最も幸せな生き方を理解し、寄り添い、伴走することが重要になります。障害を持った子どもを変えようとしてはいけない。それは無理なことです。
親自身が変わらなくてはいけないのです。

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