子育て情報『「女性である」基準が分からない――子ども時代から感じた違和感。「私は私である」と受け止められるようになって』

2019年8月16日 07:00

「女性である」基準が分からない――子ども時代から感じた違和感。「私は私である」と受け止められるようになって


「女の子」の枠に入れられるのが嫌。でも、「男の子」になりたかったわけではない

突然だが、私の戸籍上の性別は女性である。「何を今さら」と言われてしまいそうだが、私は長年この事実に違和感を抱いてきた。

私が生まれた昭和50(1975)年は、今以上にジェンダーロール(性役割)が守るべきものとして扱われていた時代である。女の子はスカートを履くのが当たり前。現在では好んで履くこともあるが、物心ついた当時は、これが嫌で嫌で仕方なかった。股下がスースーするような履き心地が心もとないというのもあるが、「女性である」という枠に組み込まれてしまうようで、何だか恐ろしかったのだ。「女の子らしい」とされるレースや小花柄などは、視覚情報としてうるさく感じられ、避けていた。


かといって、男の子になりたかったわけではない。私の髪は、元美容師である母の手によって常にショートカットにされていた。私から「長く伸ばしたい」と母に願い出たことも何度もあったが、「自分で手入れができるようになってからね」と聞き流されていた。なぜ娘の願い出をいつも退けていたのかと後年質問したところ、「ショートカットが可愛いと思っていたから」と答えた。

嘘ではないだろうが、おそらく面倒だったのもあると私は思う。私には3歳上の兄がいて、今ではすっかり落ち着いた2児の父親だが、学童期は多動気味な少年だった。そんな息子を育てながら、こだわりの強い娘こと私の髪を毎日結ってから送り出すなんて、自分だったら泣きながら「勘弁してください」と願い出るだろう。

ショートカットで装飾の少ないシャツやパンツという出で立ちに加え、痩せてはいたが、骨ばったごつい体格をしている私は、しょっちゅう男の子に間違われていた。
保育園や小学校のクラスメイトからの「オトコオンナ」というからかいも、悪気ない大人から「坊ちゃん」などと呼ばれるのも、等しく不快に感じていた。なぜ服装や髪型から「男の子である」と決めつけられ、時にはからかいの対象として扱われなければならないのか。とても理不尽に思え、泣きながらその場を逃げ去ることもあった。

「女性」の枠に入れられることも、「男性」として扱われることも、私にとっては受け入れ難い。
「じゃあ私は一体どっちに入ったらいいの?」
そんな疑問が湧き上がってきた。


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