子育て情報『「女性である」基準が分からない――子ども時代から感じた違和感。「私は私である」と受け止められるようになって』

2019年8月16日 07:00

「女性である」基準が分からない――子ども時代から感じた違和感。「私は私である」と受け止められるようになって

母は、今までに見たことのないような、強ばった悲しげな表情を浮かべている。まずいと気づいたものの、吐き出した言葉は取り戻せない。何を言うべきか、何をするべきか、私が迷い、うろたえている間、重い空気が流れる。先に口を開き、沈黙を破ったのは母だった。

「ごめん、私はちゃんと希望を1人の人間として見ていなかったのかもしれないね。これからは女の子だからとか、そういうことは言わずにちゃんと話を聞くようにしなくちゃね」

きっぱりとした口調で母は伝えてくれたが、傷ついていたのではなかろうか。私は凄まじい後悔と、やっと言えて、なおかつ受け入れてもらえた安堵に包まれ、その後のことは覚えていない。

以降、母との関係は良好だ。
しかし、長年当たり前だと思っていた感覚から抜け出すことは容易ではない。役割を押しつけてくることこそなくなったが、私の息子について「男の子だからそれぐらいでいいの!」というようなかたちでジェンダーロールを持ち出すことがある。その度に「だからそういうのはやめてって頼んだでしょ」「あ、そうだったね、ごめんごめん」と意思表示して笑い合うことができているのだから、あの日の衝突は無駄ではなかったと思える。


まだ自分が「女性」だという確証を持てない私。男女、LGBT以外にも多様な性があると知り…

女性の体を持って生まれ、恋愛や性愛の感情は男性に向く事実を踏まえると、自分は女性であると捉えるのが自然だ。でもやはり、どこか据わりが悪い。身体的なことはともかく、「心が男性」だとか「心が女性」だという表現があるが、何を以て判断できるのか。基準が分からないから、私は自分が「女性である」という確証を持てないのだ。
それに、現時点で恋愛・性愛の対象が男性だとしても、いつか魅力的な女性に出会って、私が恋をする可能性が皆無とも思えない。だからといって、自分がレズビアンもしくはバイセクシュアルだというのも、どうにもピンとこないのだ。

2度の結婚と離婚、出産を経ても、そうした思いは変わらなかった。そしてあるとき、後に書籍化される宗方美樹(現・小池みき)さんの『同居人の美少女がレズビアンだった件。』というWeb漫画と、同作で“同居人・まきむぅ”として描かれている牧村朝子さんの『百合のリアル』という書籍に出会い、男女及びLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)以外にも、多様な性(LGBTQ+)

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