親元を離れてグループホームへ。喜びも苦労も分かち合いながら、自立して暮らせる今が幸せ――ウィリアムズ症候群・ADHD当事者の古澤瑛子さん【連載】すてきなミドルエイジを目指して
って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。
アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。
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高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。
―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?
アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。
高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。
ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。
――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。
アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。
高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。
アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。
高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。
働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ
――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。
アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。
お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。