子育て情報『味覚過敏…?小学校の思い出は「給食が怖い」―ー苦しむ僕を救ってくれた恩師への感謝、大人への願い【感覚過敏な15歳社長 連載2】』

2021年6月22日 06:15

味覚過敏…?小学校の思い出は「給食が怖い」―ー苦しむ僕を救ってくれた恩師への感謝、大人への願い【感覚過敏な15歳社長 連載2】

ある日、友達の家で遊んでいて、学校が楽しいか聞かれたので「給食が嫌だ」とこたえました。そうしたら、側にいた友達のお兄さんが「俺の中学校に来なよ。カフェテリアで好きなもの食べれるよ。カレーとかラーメンもある」と教えてくれました。

決まったメニューを強制されることなく、好きなものが食べられる学校があるなんて!家に帰って、母に言いました。「僕は絶対中学受験をして、カフェテリアがある学校に行くから」

お兄さんには「中学受験しないと入れない学校だから、勉強がんばれよ」と言われました。給食がない学校に行けるなら、なんだってやると思いました。確か、小学1年生の5月くらいの話です。


その日から、苦痛な給食の時間は「中学は絶対給食のない学校にいくんだ。それまでの我慢だ」と思っていました。小学校の6年間がどくれらい長かったかはよくわかりませんが、中学は給食のないところに行けるというのが本当に僕の希望でした。

ただ、今、振り返れば、もっと苦労しない選択はあっただろうと思います。しかし、小学生の僕には他の選択肢があることなんて分かりませんでした。

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Upload By 加藤路瑛


それでも給食は苦しい

僕の通っていた学校では「お減らし」という制度がありました。一旦は平等に給食を配って、苦手なものは減らしていい制度です。でも、全部返すのはダメで1口は食べるというのがルールでした。


このたった1口が苦痛でした。1回口に入れて水で流し込めればよかったのでしょうが、基本、飲み物は牛乳でした。1口が食べられません。基本、全てのメニューを1口です。何度、先生が「もういいよ」って言ってくれないかなと思っていました。でも、頑張って食べていたと思います。休み時間も掃除時間も僕は給食と戦っていました。

小学5年生のときの担任の先生は、「そんなに食べないと大きくなれないよ」と毎回僕に声をかける先生でした。
1口を頑張って欲しくて言った言葉だと思いますが、そのころの僕は、言われる度にプレッシャーでした。「食べない人間は大きくなれない」「食べない奴はダメな人間だ」そういう思い込みのような感覚になりました。そのうち、クラスのみんなも「食べないと大きくなれないよ」と僕に言うようになり、お減らししたいのに「食べないとダメだよ」と妨害してくるのです。

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出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11017038048

小学5年生は、毎朝「学校に行きたくない」

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