メリットなし? 多額の借金をしてまで大学へ行くことに対する意見3つ
こんにちは。コラムニストで経済思想史家の鈴木かつよしです。
2013年6月に“国立大学改革プラン”が閣議決定されたのを受けて、2014年8月に文部科学省から全国の国立大学に“人文社会科学系学部の廃止”が通達されてから3年が経ちました。
国が率先して「大学は生産性を上げるための技術論を教えることに専念すべき」という考え方を示したことによって、わが国の大学は近年ますます“大手企業に就職するための専門学校”としての色合いを深めており、筆者が大学生であった約40年前のような“深い洞察力と広い視野を持った人間を育てる場所”のような役割は失ったように思います。
ところで、そのように専門学校と同様の意図でもって行く大学は、貸与型奨学金という多額のローンを二十歳そこそこの時点から背負ってまで通う価値があるところなのでしょうか?
何かの分野の専門的な技術を身につけたいのであれば、それこそ大学よりは学費の安い専門学校に通うか、あるいは衣食住を無償で提供してくれる親方のもとに弟子入りする方がよほどコスパがいいのではないでしょうか?
今回は、大学進学に関して存在するさまざまな意見について、筆者同様これから大学進学の年齢をむかえる十代半ばの子どもを持つ都内C市在住のパパたちママたちに実際に聞いた話に言及しながら、“今の大学は多額の借金をしてまで行く価値があるのか?”という問題について一緒に考えてみたいと思います。
●意見1:「自分は職人だが幅広い教養を求めて大学に行った。でも息子には求めない」
最初に紹介するご意見は、筆者のパパ友でもある50代のガラス細工職人の男性のものです。
『父親が従業員5~6人ほどの小さなガラス屋を経営していた私は、若いころからガラス製造を仕事にする気持ちは決まっていたのですが、高校生のときに親とは違う付加価値の高い創作ガラス工芸をやりたいと思うようになりました。
その際、高校を卒業したらすぐにその道の大家に弟子入りする道もあったのですが、一介のガラス職人であっても政治経済や文化芸術について一家言を持った“大人の市民”として、自分の後輩や弟子たちに生き方についてのアドバイスができるような人物になりたいと思い、私立大学の経済学部に進んで西洋経済史を学びました。その選択は自分としては大正解で、妻や子や弟子たちにも恵まれ充実した人生を送ることができたと思っています。