「母のように日本の作品に出てみたい」フランス映画界の新星が語る日本での思い出
実際、「オーディションのとき、楽しそうじゃなかったよね」とあとから言われました(笑)。
―本作はオノレ監督の自伝的作品でもあるので、監督のリュカに対する思い入れも強かったのではないかなと。現場ではどのような演出がありましたか?
ポールさん実は、撮影していたときは、彼の自伝的な作品であることを知らされていなかったんです…。偉大な監督を前に緊張していて、こちらから話しかけるようなこともあまりできなかったせいかもしれませんが(笑)。
とはいえ、オノレ監督くらい経験が豊富な方の場合、たとえ自分を投影した役だったとしても、「自分が体験したことをそのまま再現してほしい」みたいに言うことはありません。ただ、本や物をくれたり、撮影中に自分の手袋を貸してくれたりすることはあったので、そういうところや美術的な部分で彼の人生における要素が映画のなかに入っているように感じました。
ジュリエット・ビノシュさんのインパクトはすごかった
―自伝的な物語であることを言わないほうがプレッシャーを与えないだろう、という監督の気遣いもあったかもしれないですね。
ポールさんあとは、あくまでも過去の自分自身としてではなく、現代によくいる若者として描きたいという気持ちが監督のなかに強かったのもあったと思います。