小島秀夫「他人からサインをねだられる人生なんて、想像もしなかった」 “サイン”遍歴を明かす
僕らは、10代の頃のように、心地良い北摂弁で、昔話に花を咲かせた。中学の時の“のど自慢大会”で、彼が中条きよしの「うそ」を、僕が新沼謙治の「ヘッドライト」を歌い、彼が1位、僕が2位になったこと。帰宅時にはいつも浜村淳(注1)のように、僕が映画のあらすじを、導入から最後まで語りながら下校していたこと。僕が書いていた小説の巻末には、いつも彼が解説を書いてくれていたことなど。あっという間に二人だけの同窓会は終わりに近づいた。お開き間際になって僕は彼に突然メールをくれた理由を尋ねてみた。すると、「そうそう、忘れるところだった」と、彼はスマホの写真を開いた。そこには僕らの高校名が印字されたスケッチブックが写っていた。
僕も彼も国公立を最初から諦めていたので、高三時には、二時間枠の美術を専攻していたのだ。その時のスケッチブックだ。「実家を整理していたら、これが出てきたんや」と今度は、スケッチブックの中身の写真を捲る。するとグロテスクなゾンビの落書きが現れた。「小島君、こんなに絵が上手かったんやね。これ見せたくてメールしたんや」と。僕も思い出した。彼がトイレに行っている間に、彼のスケッチブックに鉛筆で落書きをしたのだ。