マリー・アントワネット展に行ってきた!壮絶すぎる生涯と、知られざる素顔に迫る
事件の3日後には、国王一家はタンプル塔に投獄されてしまいました。暗く、ずっしりとした雲が空を覆う様子が、一家の悲惨な結末を表しているようです。
塔のなかでも、国王はのちのルイ17世となる王太子の教育に熱心だったといわれています。ゲームや数学、そして書き方の練習をしていた記録が残されています。王太子の習字帖には「国民に愛される、国民に愛される…」と書かれています。
1792年12月以降、家族と引き離されていたルイ16世は、1793年1月21日に断頭台へのぼります。そして1793年10月16日、ついにアントワネットも死刑執行の日を迎えます。
16日、死の直前となった午前4時に、義理の妹に書かれた遺書が残っています。紙にびっしりと、小さな文字で悲痛な思いがつづられています。
タンプル塔で暮らしていた時の肌着が、そのまま残されています。この頃には下着の洗濯にも自由が許されず、10日に1回程度だったと言われています。
死刑当日に履いていたとされる靴も展示されていました。
あれほどファッションを愛し、豪華絢爛なドレスに身を包んで暮らした彼女が最期に身に付けたのは、白の質素なチュニックでした。