「僕は日本と韓国の架け橋になりたいんです」。“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.1
心配はしつつ、やりたいことをやらせてあげようって。
ーお父さんは?
特に反対されました。「とりあえず成人するまでは俺の言うことを聞け」と。でもちゃんと勉強して、大学に受かったから、お父さんも「結果を出したんなら頑張ってこい」と送り出してくれました。その時はまだ全面的に賛成していたわけではないんですが。
ーじゃあ今は応援してくれているんですか?
卒業前に帰国した時に、お酒を飲みながら話したんですね。そしたら「こんなに成長してくれて、親として誇らしい。日本に行かせてよかった」と言ってくれたんです。
その時に鼓童に入りたいと言ったら、「頑張ってみろ」と言ってくれました。お母さんは「いつかは帰ってきて」と。
ーそうですよね。なかなか連絡も取れないですから。
はい。ただ、実は僕、韓国が大嫌いだったんです。
ーその理由は?
何にしても雑なところや、今はそうでもなくなってきているんですが、男性は女性に奢らなければいけないとか、徴兵とか……。だから大学生まで大嫌いだったんです。
友達や家族以外の韓国人は嫌い。そんな感じでした。
ー今は違うと?
はい。きっかけは韓国のとある詩人です。日本と韓国がまだ戦争をしていた時に、その詩人は日本に留学していたんですが、「なぜ祖国が独立のために戦っているのに、自分は勉強のために日本に来ているのだろう」