【インタビュー】『17歳』マリーヌ・ヴァクト 仏映画に咲いた新「美の女神(ミューズ)」
彼女の物静かな様子は共感できるし、感銘を受けるわ。イザベルは人と距離を取りながら生きているの――そこにいるけれども、いない、というようにね」。
売春をしていたことが両親にもバレ、警察に厄介になり、両親の友人たちにも知れ渡ってしまう。簡潔に言ってしまえば、居心地の悪さこの上ない状況だ。しかし、そこからのシーンやイザベルの表情や言葉こそ、本作の真髄なのではないかと感じさせる。
美しき17歳は、当人にとっても“少女なのか?大人なのか?”と曖昧なものだが、イザベル以外の登場人物たちにとってもそれは同じなのだ。大人たちの彼女を見る視線は、イザベルが色香を放ちながら微笑する時、“女”を見るものとなる。
劇中、イザベルが発するセリフの中に「危険な人間は、私ではない」という言葉がある。
危険なものは誰なのだろう?
「大きな意味では、危険というのは、イザベルが他人の心の中に喚起させる欲望のことを指しているんだと思うの。みんな、イザベルの若さや美しさを前に、自分自身の欲望やフラストレーションを直視せざるを得なくなるからよ」。17歳の少女の心の内を表すために、大人たちの視線を演出に入れるその手腕、“さすがはオゾン監督!”と両の手を叩きたくなる。