【インタビュー】高良健吾 命を見つめた10年 幾多の“死”を乗り越え、永遠を刻みつける
と考えて演じるのではなく、あくまで静人として現場に立ち、主観的に生き、その姿をそのまま観客に委ねた。
「例えば、自分がこの映画の主演ということを考えると“伝える”ということがすごく大切になってくると思うんです。でもそれが『静人という人間を伝える』ということになるとやはり違うと思う。そこで(静人になりきって)主観で演じれば、迷いながらも自分(=静人)が正しいと思うことをやることになる。そうやって静人の気持ちを大切にすれば、見る人が何かを感じてくれる、誰かに伝わると信じていました。それは難しいことだったけど、振り返ったときに、確実に(静人が見ている)この景色を僕も通ったし、(静人が歩んだ)この道を僕も歩んだ。この人を僕は“通り過ぎた”という感覚がありました。静人の行為に対して、おそらく批判もあるだろうし、それは彼自身も分かってて、迷いも自分の中に持ってる。
そうした“見えないもの”が伝わると信じてやっていました」。本作が特別な作品となったことは事実だが、それはこれまで幾多の「死」を積み重ねてきたからこそ。例えば『千年の愉楽』の現場ではちょうど25歳の誕生日に死ぬシーンの撮影が行われ「25年前のこの日に生まれて、でもこうやって役で死んでる」