『ラストマイル』野木亜紀子作品から紐解く、社会システムが生み出す弊害
その中には、晶のように、そんな毎日に疲弊して、どこかに引っ張り込まれるような感覚を持ってしまってもなんら不思議ではない。
二作品の舞台はまったく違っているが、効率主義に追い立てられ、疲弊し、前にもすすめず、後にも引けず、とにかくこの流れを留めてしまいたいと思う人が出てくるということに、映画を見て決して他人事とは思えなかった人は多いのではないだろう。
晶の場合は、一度ではなく、交際相手の京谷との関係性に悩んでいた最中に、仕事でもいまだストレスは貯まり、その仕事のために資料となる写真を撮影に行ったビルの非常階段で、またふと、どこかに引きずり込まれるような感覚になる。しかし、スマホの連絡帳の中から、なんとか電話をかけられる相手を探して、留まることができたのだった。
その後、晶が少しだけ強くなった瞬間があるのだが、彼女がとった行動とは、会社への辞表をいつでも胸にしのばせておくことだった。つまり、晶は(比喩であるが)懐に爆弾を抱えて毎日を生きることで、ふとこの世から消えてしまいたくなるという瞬間を克服したのだ。
『ラストマイル』では、実際に爆弾によって人の命が奪われるシーンから始まる。罪は決して逃れられるものではないが、その動機に関しては、社会のシステムに関係あり、世の中の多くの人が、このシステムに悲鳴をあげそうになっている状況が重ねられていた。