くらし情報『黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!』

2015年7月2日 14:35

黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!

「天下様でもかなわぬものは 金の鯱 あまざらし」と、歌にも読まれたように、屋外に置かれているものとしては、世界最大の金だったのだ。

富の象徴であり、誰もが手にしたいと考える金。遥かに見上げる天守閣の上とはいえ、その輝きが目に入れば、出来心を抑えきれなくなる人が現れても不思議はないだろう。

○金の鯱は尾張藩の「金庫」だった!

鯱は胴体が魚で、頭部が竜や獅子、鬼という想像上の生き物で、口から大量の水を噴出すことから、「火災除け」として厨子などを飾っていたが、天守閣に載せたのは、織田信長が建てた「安土城」が最初であるとされる。鯱を金にしたのはいかにも信長らしいが、権力を誇示するために、大坂城や江戸城など他の城でも載せられるようになってゆく。

これらの中でも、名古屋城の金の鯱はとりわけ豪華で、尾張藩の威光を示すものであったが、同時に藩の「金庫」の役割を担うものでもあった。尾張藩は財政が悪化すると、金の鯱の鱗を作り直して純度を下げる改鋳を行なって、資金を捻出していた。

最初の改鋳は1726(享保11)年で、天守閣の修理費を捻出するのが目的だったという。
尾張藩の財政はその後も悪化したため、1827(文政10)

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