くらし情報『黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!』

2015年7月2日 14:35

黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!

「海外公演」に出た雌の鯱は、"Remarkable sea monster of grotesque form"と、 欧米人を驚かせ、「日本趣味」(ジャポニスム)のきっかけを作ることとなったのだ。

金の鯱が名古屋城に「帰郷」したのは、取り外されてから7年後の1878(明治12)年のこと。取り壊される予定だった名古屋城の保存が決まり、名古屋市民が宮内庁に返還を懇願したのだった。

名古屋城の天守閣で、再び輝き始めた金の鯱だったが、1945(昭和20)年5月14日の空襲で名古屋城が炎上し、無残にも溶け落ちてしまう。シンボルを失い落胆した名古屋の人々だったが、戦後まもなく天守閣の再建を目指す活動が始まる。1959(昭和34)年10月に名古屋城は再建され、天守閣には大阪造幣局によって作り直された2代目の金の鯱が、往時の姿そのままに輝いたのだった。

○「昭和の柿木金助」は…

金の鯱から鱗を盗んだ犯人は、犯行から20日余り後、盗んだ金の鯱の鱗を鋳つぶして、売却しようとしたところを逮捕された。「金鯱の鱗を剥ぐ! 全日本衝動の真犯人大阪で逮捕」、「国宝名城に昭和の柿木金助金鯱怪盗は独りで命がけの空中大仕事」

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