巨人Intelに挑め! - 自作PCユーザーを歓喜させたK6シリーズ (5) [番外編]海外出張の思い出 - 2回目の出張は、なんとビバリーヒルズ
それは、USの半導体メーカーが主要なカスタマとしている日本のコンピューター、通信機器、各種電子機器の大手電機メーカー(NEC、富士通、東芝、日立など)は、そのほとんどが半導体部門も持っていて、半導体の需要は旺盛だがその主要納入ベンダーはほとんどが同じ会社の半導体部門、もしくは他の日本大手メーカーの半導体部門という構造になっていた。しかも、その日本の半導体メーカーがUSでの市場拡大を狙ってDRAMのダンピングを始めた。これが、USにとっては大きな貿易障壁と映っていたわけである。
これに業を煮やしたSIA(米国半導体工業会)はワシントンに働きかけ、この日本半導体市場での貿易障壁を日米政府間の貿易交渉のアジェンダに乗せることに成功した。いわゆる、日米半導体摩擦である(この件についても後の話で別途述べるつもりである)。
○「明日ロサンゼルスへ行ってくれ」
そろそろ今回の主題である私の2回目の出張の話をしよう。私は何とかして、入社2カ月くらいで(同時に入社した優秀なエンジニアの多大な協力を得て)AMDの主要製品の5種類の製品パンフレットを日本語化した。英語版と同じ写真を使ってテキストだけが日本語になっているカラフルなパンフレットを各5000部くらい印刷したと覚えている。