インテリヤンキーの愉快な地元生活 (1) 大学院卒でも「学区」から出ない!? インテリヤンキーの実態とは
中学からの同級生は5人ほどで、ほぼ全員が学級委員などを経験していた。吉祥寺を擁する武蔵野市を中心とする「広い地元」の優等生ばかりを集めたような高校なのだ。東京全体から最優秀層の生徒が集う国立や私立の進学校とは違い、良くも悪くもまったりとした雰囲気だったと思う。
○地元を愛した記憶はなく、"広い世界"を志向する日々
地元から完全に離れたのは、国立市にある国立大学に入ってからのことだ。僕は実家から電車通学ができたが、学生の半数は地方出身者であり、東村山の「元中」など1,000人近い同級生に一人もいなかった。社会科学系の学部しかない実学志向の大学だったため、一部の意識高い系の学生は「グローバルビジネスリーダー」を目指して勉強会やインターンシップを企画・実施していた。僕もその一人として、ひたすらに広い世界を志向していた。
屈辱と勉強の思い出しかない地元を愛した記憶は一度もない。
年齢を重ねるとともに憎しみは薄れ、今ではたまに同級生と地元で飲むこともある。でも、所沢や東村山に住みたいとは思わない。すでに両親が両市から出ているという理由もあるが、僕にとって地元とは「イケてない自分」と同義だからだ。