可隆(よしたか)、長可(ながよし)、蘭丸(らんまる)、坊丸(ぼうまる)、力丸(りきまる)、長重(ながしげ、後の忠政)です。
長男の可隆は父親の可成と同年(1570年)19歳で戦死。そのため次男の長可がわずか13歳で森家を相続。蘭丸、坊丸、力丸は3人とも、本能寺の変で信長と運命を共にします。
長可はその後、小牧・長久手の戦いで27歳で戦死。末弟の長重は14歳で森家の家督を嫌々継ぎました(「いやだ」という文書が残っている)。父親、5人の兄たちはいずれも若くして戦死しましたが長重だけは65歳まで生きました。戦国時代の『プライベート・ライアン』のような話です。
■長宗我部元親四国平定だったのに!
土佐は古くから流人の国でした。この土佐の一豪族から身を起こし、土佐を平定、もう少しで四国を平定! というところまでいったのが長宗我部(ちょうそかべ)氏です。長宗我部氏は土佐の豪族でも下から数えた方が早いほどの弱小な家でした。事実、一度は本城が落とされ、一家離散の憂き目にあっています。
そこから家を再興したのが長宗我部国親(ちょうそかべくにちか)でした。臥薪嘗胆、少しずつ勢力を拡大し長宗我部を大きくしていきます。