自分の価値観が揺さぶられるとき、積極的に黙ることができるか?
ということを言いたいなと思う。
■いちいちみてくる
ふだんの会話やテレビなどで、何かをほめるとき「上からみたいであれだけど」という枕詞がついたり、ほめられたときに「上からだな(笑)」というツッコミが交わされたりすることがときどきある。
けなしてるわけではなくても、ほめてくることもたしかに上からだなと私もよく思う。自分がその人をジャッジする立場にあると思っていちいちほめてくる。ナンボのもんじゃいと思う。Y2Kファッションをまとったラッパーが、「するもされるもジャッジがどうでもいいな」とラップしていた。
オジサンのまなざしでいちいちほめたりけなしたりする。ほめてるんだからいいじゃん! という風に、セクハラオジサンがみんな一緒に反抗する。
みんな一緒に同じ言葉を身に着けて、喧嘩上等というふるまいをしてくる。
性的客体化には、称賛的客体化と批判的客体化がある。オジサンのまなざしで性的な部位や機能として見て、称賛してくる。これも客体化。これもセクハラ。いちいち見てきて、エロいとジャッジしたりはしたないとジャッジしてきたりする。ユニバーサルスタジオジャパンでの「露出」に対して、多くの人々がこのどちらかの意味で鼻息を荒くしていた炎上が想起される。