小山田圭吾の『障がい者いじめ』に、古市憲寿がズバリ 内容に「分かる」「共感」
と指摘。
また、問題なのは『いじめから時間が経過してしまった場合』とし、「すべての被害者がすぐに告発できるわけではない。言葉にできるまでに10年、20年かかることがある」と被害者の心に寄り添いました。
続けて、古市さんはこう持論を展開しています。
当事者の問題であること、日本は法治国家であること、の二点が重要だと思います。
私刑は許されないわけですから、当事者が告発したい場合に、それを支援する制度や社会のあり方は大事です。
だけどそれを、それこそ「いじめ」のような形で加害者を糾弾するのは反対です。
@poe1985ーより引用
最後に、「当事者が告発をしたい場合に、それを支援する制度や社会のあり方が大切」と持論をつづっています。
投稿には、ネット上でさまざまな声が寄せられました。
・「『いじめ』という言葉がよくない」というのは本当に共感。その言葉があることで、いじめの実情が曖昧になっている気はする。
・当事者が告発できる社会の構築っていうのは少し難しいのかも。もちろん実現するのが理想だけど…。
・開会式の作曲家としてふさわしくないという批判は仕方がないと思う。けど古市さんのいうように、私刑にしていい、というわけでもない。