林家木久扇がYouTuberに 挑戦の原動力は戦争体験を経ての“無常観”
孫も一緒にね。6万人以上の人がチャンネル登録して見てくださっていて。でも、毎週1本、新しい動画を撮らないといけないから、けっこう大変なんです、ネタ切れで(苦笑)。だからね、本にYouTubeに『笑点』と、僕、コロナ時間もあんまり暇ではないんですよ」
そんな、80代になったいまも尽きることないバイタリティ。源にあったのは、75年前の体験だった。
「ほかの噺家さんと違ってね、僕には『生まれてくることは普通じゃない』っていう、無常感がずっとあるんです」
37年、東京・日本橋に4人きょうだいの長男として生まれた木久扇さん。小学校1年のときにあったのが、東京大空襲だ。
「毎晩、夜が明るくてね。
爆撃の響きがズンズンとありまして。大勢の人が隅田川に飛び込んで亡くなった、地下に避難した人たちが蒸し焼きになっちゃった、人の死骸は酸っぱい臭いがする……。するともうね、自分も今日死んじゃうのかな、明日かなって、そんな思いが、毛穴から体に染み込むように、僕の中に入ってきて」
その後、両親は離婚。母と暮らすことになり、都立の工業高校を卒業後は森永乳業に就職。しかしある日、漫画家の原稿料の高さを知り、驚いて、わずか3カ月で会社を辞め、『かっぱ天国』が大ヒットしていた漫画家・清水崑の書生に。