林家木久扇がYouTuberに 挑戦の原動力は戦争体験を経ての“無常観”
21歳のときには自身の描いたマンガが『漫画サンデー』(実業之日本社)に掲載され、プロとしてデビューもしたのだが。
「声色が得意ですから、捕り物の漫画を描きながら大河内傳次郎や、片岡千恵蔵のまねをしてたんです。そしたら、それを見ていた先生が『お前、面白いから、落語を習って寄席に出てみたら?』って」
清水は懇意にしていた三代目桂三木助への紹介状をしたため、木久扇さんに手渡した。
「僕はここが人生の一大転機だなんて気づきもせずに、言われるがまま、田端の三木助師匠の家を訪ねたんです。そしたら、もう入門することが決まっていて」
じつに軽~い気持ちで転身を果たしたものだが、そこから60年、木久扇さんは落語家として歩み続けている。
「三木助師匠の見習いのころ、亡くなったおばあちゃんの法事があったんです。そこで親戚から『なんかやってよ、おばあちゃん喜ぶから』って頼まれて。それで覚えたての『寿限無』をやったら、お客が知った顔ばっかりだからか、妙にあがっちゃって。
それでも皆、喜んでくれて、終わったら親戚のおばちゃんが『これ、とっといて』って3千円くれたんです。そのとき覚えたんですね、落語をやると、皆が笑ってくれて、お金までもらえるって。