2020年8月21日 11:00
判決確定から10年…川崎協同病院事件の医師が見た終末医療の今
抜管すると気道をふさいだり、痰が吸引できず、近い将来、Aさんの死が訪れる可能性が高い。
カルテにも、須田さんは《家族の抜管希望強し。大変辛いが夕方、家族が集まってから抜管することとする》と書き込んでいる。
「そのときは、抜管で急変するとは考えておらず、ゆるやかに死に向かうと思っていました」
ところが抜管後、Aさんは苦しそうに体を反らせ始めた。
「病室にはご家族が10人くらい集まり、小さなお孫さんもいたので、苦しみを取るように鎮静剤を投与したんです。その後も、ゴーゴーという苦しげな呼吸が続いたので、同僚医師に相談して筋弛緩剤を少量ずつ点滴で投与。Aさんの呼吸が次第に弱まり、死亡を確認しました」
その3年後、一連の行為をした須田さんが殺人容疑で逮捕された。
「患者さんが苦しむことが予想できなかったことは申し訳ないですが、私の行ったのは医療であるという信念があります」
11年もの歳月をかけ、最高裁まで争ったが、殺人罪が確定。
しかし量刑は懲役1年6カ月、執行猶予3年と非常に軽かった。判決文にも《この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法だけで抜本的な解決が図れるような問題ではないのである》とあるように、最高裁にとっても苦渋の決断だったことがうかがえる。