小山明子が振り返る夫・大島渚監督の介護、自身も重度のうつに
大変ねえ~」
小山さんは当時を振り返る。
「すぐ目の前にいるのは妻の私なのに気づかない。『そうなんですか』と返事しながら、心臓が凍りそうなほどショックで。帰って鏡を見たら、頭は白髪、十数キロ痩せて、化粧もしていない老婆のような姿の自分がいました」
この出来事が「介護うつ」から立ち直るきっかけとなった。
「20歳で女優になって四十数年。いかに自分が夫に依存していたかを知るんです。精神的にも自立しなければ、と思いました」
その第一歩として、地元・藤沢市の広報誌で見つけた社会保険健康センターのスイミングスクールへ通い始めた。
その後、順調に回復した大島監督だったが、結婚40周年を迎えたころから、再び多発性脳梗塞や十二指腸潰瘍穿孔などが襲う。
「夫の入院と同じころ、うちで何十年も働いてくれた70代のお手伝いさんも入院。ここをなんとか乗り切らなければと、私は2つの病院に通い続けました。周囲に頼ることも覚えました。4年間のうつ体験は、無駄じゃなかったんです」
退院してきた大島監督は、「要介護5」の判定となり、さらに過酷なリハビリの日々が始まる。
「討論番組などの影響で『バカヤロー』のイメージもあった大島ですが、素顔は家族にも誰にも『ありがとう』の人でした。