小山明子が振り返る夫・大島渚監督の介護、自身も重度のうつに
それが脳の病気の後遺症と思われますが、このころから車いすの押し方が悪いといっては、『このバカ女!』など罵声が出るようになるんです」
息子さんたちは、「ママ、よく我慢できるね」といったが、小山さんの思いは違っていた。
「私は、八つ当たりしてもらってストレス発散して、少しでも長生きしてもらいたかった。だって、十二指腸の手術後には、最悪のことまで覚悟していたのですから」
このころ、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン神父の著書に感銘を受け、抱えているものを手放すなどの処世術を実践した。
「もう過去の栄光にとらわれるのはやめよう。1人の闘病する人間とその妻として、一日一日を笑って生きよう。女優の代わりはいくらでもいるけど、大島渚の妻は私だけなんです」
’10年10月には、ともに大病を経験した夫婦の念願だった金婚式も無事に済ませた。大島監督が80歳で死去したのは、その3年後だったーー。夫を見送って7年。
気づけば自身も80代半ばとなり、体も悲鳴を上げ続けている現実もある。
「4年前から毎年、乳がんや心臓の手術を繰り返し、昨年も脊柱管狭窄症と肺がんの手術。仕事を続けるときに不安のままいるよりはと、私は手術を選んできました」