くらし情報『山谷のけんちん汁店 84歳の店主が見た日雇い労働者の町の盛衰』

2020年11月16日 11:00

山谷のけんちん汁店 84歳の店主が見た日雇い労働者の町の盛衰

「はいよ、いつもありがとうございます、270円です」

開店早々の来客に「幸先いいですね」と記者が声をかけると、新平さんは少し、顔を曇らせた。

「でも、もうね、そんなにたくさんは売れないんだ。あんまり出なくなっちゃったんだよ。昔みたいに、町に人がいないからね」

大倉屋があるのは通称「山谷」と呼ばれる地域。東京都台東区北部から荒川区の南端にまたがる、かつての日雇い労働者の町だ。ヒロ子さんが、続ける。

「昔はね、いまよりも、うんと売れたんですよ。店の前に、それは見事に15人も20人も行列ができてね。
作る量もずっと多かったから、手にね、マメができるほど包丁使って、野菜を刻んでね……」

昭和30~40年代。当時の山谷には「簡易宿泊所(通称・簡宿)」と呼ばれる安宿が200軒以上あって、およそ1万5千人が、寝泊まりしていた。そんな彼らが、高度経済成長期の日本を、東京の発展を、体を張って支えていた。新平さんは当時をこう述懐する。

「だって、ここの人たちが、東京タワーを建て行ったり、オリンピックの競技場、造り行ったりしてたんだもの。あのころはね、うじゃうじゃ人がいた。お金一銭もなくたって、ここに来さえすれば、日雇いの仕事がいっぱいある、ここに来れば仕事にありつける、山谷はそういう町だったの」

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