2021年3月29日 11:00
「ダウン症の兄に守られていた」元ヤングケアラー語る過去
自分と同じ“ダウン症の兄がいる妹”に会ってみたいと思って連絡を取ろうとしましたが、なかなかきょうだいにつながれず、周囲から『自分でホームページを作ったら』と言われて、独学でサイトを立ち上げました」
96年10月、「ダウン症児・者の兄弟姉妹ネットワーク」がスタート。やがて日本各地の80人ものきょうだいたちとメーリングリストで意見を交わすようになり、持田さんは痛感する。
「こんなにいたんだ。家族の世話や将来のことで悩んでいたのは、私だけじゃなかったんだ」
仕事を終え帰宅すると、夜中までメール交換する日々を送っていた01年、父親の大腸がんが発覚。
「それまで父がやっていた兄の世話を、私が引き受けるようになりました。兄は、父のことを『殿』と呼んで慕っていました。その父から、夢だった息子とのキャッチボールができなくなった無念さや、会社の同僚たちが子供自慢をするときには『仕事があるから』とうそをついて席を外していたことなど初めて本音を聞かされるんです。親である父が、私たちきょうだいと同じ思いをしていたと知って驚きました。
もっと早い時期に語り合えていたらと悔やみました」
2年間の闘病生活の末、父親が亡くなる直前のこと。