2021年10月11日 11:00
「原点は恩返し」全盲の佐藤ひらりがパラで国歌の夢を叶えるまで
「もう何年も前から、母も私も、パラリンピックでの国歌の独唱が夢でした。小池都知事や丸川大臣にお会いする機会があったときも『国歌、歌いたいんです!』ってアピールしてました」
積極的に夢を公にし、突き進むのが母娘の流儀。 絵美さんも言う。
「もう、あっちでもこっちでも『これやりたい、あれやりたい』って言いふらすんです。そうすると『だったら手を貸しましょう』っていう人が現れてくれる、そういうものなんですよ」
■作詞作曲した楽曲が被災者を勇気づけ、アメリカの聴衆までおおいに沸かせた
ひらりさんは日本バリアフリー協会が主催する、障害者の国際音楽コンクール「ゴールドコンサート」に出場。10年、小3の秋だった。
「ひばりさんの曲同様に大好きな『アメイジング・グレイス』を歌って、ひらりは史上最年少で観客賞と、歌唱・演奏賞をいただいたんです。お客さんが選んでくれた賞ということで、『それなりに、この子は誰かに届く歌を歌えてるんだな』って確信が持てました」
翌11年3月。
東日本大震災が発生。その被害の大きさに、多くの人同様、ひらりさんも胸を痛めた。
「地震のこと、テレビのニュースで聞きながら、これは私の想像もつかないような大変なことが起きたんだ、そう思いました」