盟友・寂聴さんに寄せ…作家・澤地久枝「死ぬ準備ができてない」
その後も91年の湾岸戦争や、12年の原発再稼働への抗議行動などで幾たびとなく“共闘”してきたふたりだった……。
「でも、私の人生はあんなに思い切りよくありません。くらべようもなく、大きな存在ですよ、寂聴さんは。読者、いや世の多くの人にとって、寂聴さんが生きていることが、支えだったと思うんです」
澤地さんは視線を漂わせるように、故人に思いをはせた。
■いつ“そのとき”が来るかはわからない。いつ来てもいいように今日を一所懸命に
「おそらく、寂聴さんも最後まで書きたいテーマを持っていたと思うんです。だから、もっと生きたかったんだと思う。私も『まだ死ぬ準備ができていない』などと言いましたが、いつ“そのとき”が来るかわかりません。
だから“そのとき”がいつ来てもいいように、今日を一所懸命に生きようと思っています」
そして澤地さんには、いま書きたいテーマがあるのだという。
「私の叔父は、敗戦直後の8月19日、ソ連軍に追い詰められた末に北朝鮮で一家自決しました。妻子とともにダイナマイトを抱えてのことだったと後に聞かされた。この叔父の記憶をたどり、資料を集めてつないでいけば、いったいどんな人生であったのかがわかる。