2022年5月15日 06:00
男たちは妻や幼い我が子を手にかけ…沖縄を襲った集団自決の真実
さらに宮城さんには戦争当時、村役場に勤めていた母から託された貴重な手記もあった。母は島に駐屯した日本軍と行動をともにし、そして、集団自決の生き残りでもある。
その母が、戦争末期の座間味の様子を克明に記録した手記を後年、娘に委ねたのだ。宮城さんが母の手記と、自身の調査をもとに著した『母の遺したもの』(高文研)は、沖縄タイムス出版文化賞も受賞。今年1月、研究者らを中心に発足した「ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会」。この「命こそが宝だ」と直言する会でも、宮城さんは共同代表を務めている。
ロシアのウクライナ侵攻など、ますます混迷を極める現在の世界情勢をにらみながら、宮城さんはこう力を込めた。
「座間味の人たちがなぜ、集団自決という悲しい結末を選ばざるをえなかったのか。
現代を生きる私たちにとって、それは決して人ごとではないと思っています」
■祖父がヤギを潰したときの祖母の恐ろしい一言
終戦から4年後の1949年。宮城さんは座間味島に、5人きょうだいの長女として生まれた。
「小学生のころは、学校が終わると決まって母の実家、祖父母の家に。おやつに、祖母がふかしてくれたお芋をいただくのが日課でした。