鈴木蘭々 化粧品会社の社長をしながら歌手活動を再開した47歳の今
母は絵描きで、ペんてるは子どものころからお世話になっているメーカー。予想どおり『それならしょうがない』とコンテストに出ることを許してくれました」
中2の夏に行われた第1回ミスチャンピオンで準グランプリに輝き、秋には同誌の巻頭グラビアを飾った。同じ年の’89年、資生堂「エクボ」のCMにも抜擢される。
「資生堂1社提供の、ティーン向け30分番組でだけ放送されるCMだったのですが、そのときの監督さんに気に入ってもらえ、次の仕事につながりました」
■歌ウマな友達とカラオケボックスでドリカムを熱唱
リップクリームやファストフードのCMの仕事が決まり、高校は芸能活動に理解ある学校を選択。
「午前で終わる学校だったので、午後はカラオケボックスに行っていました」
カラオケでは’80年代から’90年代にかけてのドリカムの名曲を、仲間内で歌い合うのが定番だった。
「クラスには東芝EMI(当時)から歌手デビューしていたコや、B’zやZARDが所属するレコード会社でデビューを控えているコもいて、歌に自信がある人ばかり。だから難度の高いドリカムの曲を歌いたがったんでしょうね。カラオケでは同じ曲を避けたりするものですが、『未来予想図II』(’89年)