岡田茉莉子、90歳 最高のパートナーを失っていま「あなた、もっと強い女になるわよ」
岡田さんは壇上で、「命のある限り女優を続けます」と逆の決意をスピーチしていた。
「女優としての覚悟ができたのはこのときだったかもしれません」
『秋津温泉』が終わると、時間を作って会うようになり、互いの話をするようになっていた。プロポーズは、吉田監督が『嵐を呼ぶ十八人』を撮り終えた直後のこと。「これからも私と一緒に歩いてくれませんか」であった。
2人で映画を作りながら、ともに歩こうという意味に聞こえました」
岡田さんは懐かしそうにふわりとほほ笑む。実際に結婚生活はそのとおりになった。
64年6月21日師匠である木下惠介監督の立ち会いの下、無事に西ドイツ(当時)で式を挙げ、新婚旅行から帰国して早々事件が起こる。吉田監督は、挙式直前に監督した『日本脱出』のラストが無断でカットされていたことに抗議。
「自分の撮りたいものを撮るには独立しかない」と松竹を退社し、夫婦で独立プロ『現代映画社』を立ち上げた。岡田さんは自分の見いだした吉田監督が才能を遺憾なく発揮できるよう支えたいという思いで、迷いはみじんもなかった。
「松竹に『辞めます』と挨拶に行ったら、『君まで辞めなくても。いばらの道だよ』と諫められましたが、『彼についていきます』と。