南樺太、ウクライナ――戦争で2度「故郷」を奪われ日本へ避難した降簱英捷さん(79)
「再発を防ぐための免疫治療の段階です。思ったよりは副作用が軽くて助かっています。ただ、私はここまで生きてくることができたのだから、いつどうなっても運命と思っています」
がん治療が一段落した今年の6月、英捷さんが戦禍のウクライナへ向かったのは、ウクライナ人としての人生の総まとめの活動であった。
緊急避難のときは何も持ち出すことができなかったため、妻や家族の写真や、思い出のウエディングドレスを持ち帰りたかったこともあったという。
「何よりも21年に他界した一人息子ヴィクトルの墓碑を建てる目処をつけたかったのです」
英捷さんの家は孫が機転を利かせて、焼け出された老夫婦に当座、貸与することにしていた。
滞在中に英捷さんは、この家やダーチャなどの財産を孫たちに譲る手続きを完了させた。
すでに昨年11月、英捷さんに日本国籍の残存が確認され、旭川の現住所に新戸籍を編製。ウクライナ人としてひと区切りつけた英捷さんは、日本人として歩みだしている。
「日本語がまだよく話せないから、不思議な日本人ですが」と苦笑いする。
英捷さんが終始穏やかな口調で話すロシア語を通訳するのは、病院にも付き添っている鈴木桃子さんだ。