【前編】どうしてこの状況を世界が許しているの…ガザで医療行為をしていた日本人看護師訴える“現地の悲鳴”
同13日には、北部で本格的な戦闘があるため南部へ避難した川瀬さんは、職場であったアルクッズ病院のスタッフと、頻繁に連絡を取り合っていた。アルクッズ病院は、イスラエルに攻撃された北部最大のシファ病院とは車で10分くらいの距離にあり、有事の際の協力体制もできあがっていた。
「今回の軍事衝突以前から、看護部長と紛争下の活動を話し合っていて『何かあったら病院に来て、一緒に緊急事態に対応してほしい』と言われていました。しかし想定を超える軍事衝突で私は避難を余儀なくされました。看護部長からも『危険だから来ないでほしい』と言われて……。私自身一医療者として、体は元気なのに何もできないことに、葛藤はありました」
ただ、川瀬さん自身にも命の危険があった。南部の避難所でも爆撃の音は鳴り止まず、爆弾の衝撃で窓ガラスや机が揺れることも、たびたびあった。
「明け方4時くらいに激しくなって、そのたびに仲間と安否確認するために点呼をとったりしていました。
夜寝るときも、次の日に目を覚まさないかもしれないという覚悟もしていました。一度、車で移動中、近くの建物が爆撃を受け、40、50メートル先に建物の瓦礫などが降り注いだこともあったんです。