【前編】どうしてこの状況を世界が許しているの…ガザで医療行為をしていた日本人看護師訴える“現地の悲鳴”
ほんの数秒で生死を分けたんですね」
こうした緊迫した状況下で、日本の家族との連絡が心の支えになったという。
「家族とはできるだけ連絡を取り合っていました。一度、妹と話をしているときに爆撃があって『ごめん、切るわ』といって避難したときは、さすがに次に繋がるまで心配していたようです。でも、なるべく心配かけたくないので、いつも『大丈夫』と言っていました。日本の家族も『大丈夫、大丈夫、こっちは全員、元気やから』と明るく答えていました。でも、帰国後に聞くと、両親は心配で共に号泣していたそうです。お互い心配かけまいと強がりながら、支え合っていたんですね」
家族と共に、川瀬さんにとって癒しとなったのは、現地スタッフや避難所の人々との交流だ。
「食べものは十分ではありませんでしたが、現地スタッフが危険な状況下で調達してくれました。
きゅうりやトマト、冷蔵庫に入れなくても保存できるチーズなどを食べていました。卵はあったり、なかったり。スタッフの一人に、少ない食材でもスープを作る達人がいたから、1日1回は温かいものを食べられたんです」
彼らが日常を取り戻せるよう、一刻も早い停戦が求められている。
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