目や耳が不自由な人でも誰でも一緒に楽しめる「日本で唯一のユニバーサルシアター」をつくった女性
徐々に、自分の癒しの場となっていた喫茶店やカフェで働けないかと考えるようになるんです」
両親の猛反対を押し切って飲食業界に就職したが、結局、人間関係に疲弊して挫折する。同じころ、最初の結婚をして東京を離れたがうまくいかず、1年にも満たないで離婚して戻る体験もしていた。
つらい出来事が立て続けに起きたとき、深く傷ついた心を癒してくれたのが映画だった。
「もう生きていてもしょうがないとまで思っていたのが、在学中から大好きだった『バグダッド・カフェ』など、いくつもの映画作品にふれて、そうした悩みもちっぽけなものに思えるようになっていたんです」
そんな折、学生時代から通っていた高田馬場の名画座・早稲田松竹で、アルバイトを募集していることを知る。
■バリアフリー上映会のスタッフを経て映画祭の主催が人生の転機に――
「早稲田松竹のバイトを続けながら、自主映画監督が主宰していた異業種交流会に加わりました。そのなかで立ち上がった企画が、目の見えない人に向けてのバリアフリー上映会でした」
チャップリンのサイレント映画の名作『街の灯』の活弁付き映画会の実現に向け、平塚さんもスタッフのひとりとして参加。