目や耳が不自由な人でも誰でも一緒に楽しめる「日本で唯一のユニバーサルシアター」をつくった女性
このユニークな映画館が、人々の心に温かな変化を起こしている。身近なところでは、「街が優しくなった」という地元の声も。
「けっして障害者のためだけの映画館ではありません」
何度もそう口にした平塚さんが実現させようとしている「夢の映画館」の物語を紐解こう。
■両親の猛反対を押し切り就職・結婚・離婚。深く傷ついた心を癒したのが映画だった
1972年(昭和47年)9月19日、東京都荒川区で生まれ、3歳からは北区で育った平塚さん。
「父は自宅の工房で歯科技工士をしており、母もその仕事を手伝っていました。近所のいじめっ子とクラスが離れる小3のころまで、私は泣き虫の女の子でした」
小中と地元の公立校を出て、都立小石川高校へ。
「高校では硬式テニス部で部長もやり、練習メニューも考案するなど、かなり熱中していました。
当時、5つ年上の姉が私立の短大へ通っていました。音楽好きで、才能も認められ音楽大学への推薦も決まっていたのですが、親から『音大を出てメシが食えるのか』という猛反対があって断念させられ、それがきっかけで姉は心を病むんです」
そのことが、平塚さんの生活にも多大な影響を及ぼしていく。